忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

銀貨になった作曲家

前回のエントリーに拍手ありがとです~
そしてちょっと間が開いてしまいました。リサイタルの告知など色々始動しててちょっと焦っているやら心配やら。集客がんばらないと。

今日はちょっとリサイタルのプログラムを通して弾いて、それから録音してみました。全部は聴きませんでしたがテンポが焦ってないかとか、あとおおまかなバランスとかサウンドとかをチェック。
意外と聞いても大丈夫な演奏でした(笑)というのは主にテンポの面で焦って無くて、気持ち分だけ落ち着ければベストかな。ただ強弱の幅とか横の線とかもちょっとなんとかするべきところも多々あります。
今のところはプログラム全体弾けることは弾ける状態ですが’、良い演奏にしていくプロセスが必要。自信が付いたところでもっと詰めていかないと。

そんな練習もあり今右の小指の外側がすごい勢いで皮がむけています(汗)
今回のプログラムに限らずなことなんですが(オクターブを指の端で捉えるので両手とも親指・小指の外側はある程度皮がむけたり固くなったりします)、特に今回鳥のカタログを始め高音の負担が大きい曲・箇所が結構あるらしく。
練習時間は相変わらず2時間ほどですが結構な負担なんだろうなあ。

今日はTwitterでいくつか面白いクラシック界隈のネタやニュースが入ってきました。
一つ目はAustralian Chamber Orchestraのアカウントから。
なんでも10歳の女の子から要望のお便りが来たそうで。それがこちら(英語)。
中身は要約するとACOの奏者達、そして聴衆もみんな「Onesies」(フード付きのジャンプスーツ)を着るコンサートをやって欲しい、とのこと。
アイディアもほほえましいのですがPSの部分がまた面白いです。ACOのコンサートに毎回行っていることを伝えてるだけでなくブラームスのピアノの曲がお気に入り、ということまで書いています。なんてしっかりした子、そして筋金入りのクラシックファン。

そして今年はブリテン生誕100年。イギリスやオーストラリアでもちょこちょこコンサートを通してお祝いされている様子ですが、イギリスでこのたびその記念でブリテンが50ペンス硬貨のデザインになったそうです。

こちらのニュース(英語)に詳細と実際の硬貨の写真があります。50ペンス硬貨はなんと7角形(オーストラリアの50セント硬貨は12角形)。
ブリテンの肖像画ではなく、五線譜の上にベンジャミン・ブリテンの名前、作曲家である旨、生年、そして彼の作品「テノール、ホルンと弦楽のためのセレナード」の「夜想曲」の歌詞が一部書かれています。(歌詞はアルフレッド・テニスンの詩)

こうやって自分の好きな作曲家が硬貨になるってとても嬉しいです。以前フランスのお札にドビュッシーの肖像画が使われたり、パラグアイのお札にバリオスの肖像画が使われていたり、ということも聴いていますが、今年改めてブリテンの音楽にはまったのもあってタイミングの要素も喜びを強めているみたいです。
それに上記セレナードも今年ものすごく好きになった曲なので硬貨にチョイスされて嬉しいです。
ブリテンが歌詞にしている詩はすっとしたインパクトがあって、その音楽のスタイルと独特な結びつき方をしていると思います。曲を知ってれば言葉を見ただけで音楽の感じが自然に出てくるような。このフレーズもそういったところがあって、銀色の硬貨に銀色の文字で輝いているのを見るのは感激です。

ということでどうにかしてその50ペンス硬貨手に入りませんかねえ(笑)可能ならばぴっかぴかの状態で欲しいのですが。まず特別版硬貨として出てから一般流通するらしいんですがなんとか。シティのBlock Arcadeにあるコイン屋さんとかに入ってこないかなあ・・・

ブリテンは20世紀、そしてイギリスの偉大な作曲家ですが、例えばエルガーやヴォーン=ウィリアムスとかと比べるとちょっと知名度は低い(特に作品自体は)ところがあったり、取っつき難い作風でもあったり。でもその音楽は20世紀・イギリスを色んな側面で代表しています。
それに音楽とはちょっと別のところで同性愛者としての面も今の社会においてもっと知られて欲しいところがあったり。
なのでこの硬貨を機にベンジャミン・ブリテンとその作品がイギリスのみならず世界中にもっと知れ渡るように願っています。


今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 「テノール、ホルンと弦楽のためのセレナード」より「夜想曲」



今年大々的にはまった曲で、すでに何回か言及している曲ですが今回は紹介しないわけにはいきません。
ブリテンの数ある素晴らしい歌曲の中の1作品で、彼の多くの歌曲と同じく英語の詩が歌詞として使われています。歌詞はこちら(英語)。実はまだ全楽章歌詞と照らし合わせながら聴いてないんですよね。
今回硬貨に使われたのはこの「夜想曲」の中の「Blow, bugle, blow, set the wild echoes flying」という部分です。

私がブリテンの音楽を知ったのは実はショスタコーヴィチ経由で(同時代で交友があって、作風も共通点があってチェロの作品も多くて)。この2人は似たような「闇」を扱うイメージが強かったのですが、どちらも聴き込むうちにかなり違う側面も見えてきて。
ブリテンの音楽ってものすごく軽いんですよね。暗いイメージからなかなか気づきにくいんですがものすごく透明で、風のような軽さがある。


この楽章ではその風の様な弦の音の動きが強く感じられます。
歌のパートも「Flying」の歌い方だったり、「Dying, dying, dying」で羽根がふわふわと地に降りていくような繊細なフレーズの終わり。
明るい光にもどこかひねくれた色があるんですが、それでも透き通っている。
なかなかここまで空気のような音楽ってなかなかないような気がします。

今回も持ってるのと同じ奏者の演奏(ただしCDは違う)をリンク。
紹介したのは「セレナード」の中の「夜想曲」ですが、ブリテンはまた別にテノールと楽器アンサンブルのための「夜想曲」という曲を書いています。こちらは我らがバリー・タックウェルがホルン吹いてるのでこちらももっと聴いて知りたいです。

拍手[1回]

PR
メル響コンサート「Adams Conducts Adams」感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
ピアノは結構順調に進んでますがもうずっと息が苦しくて困っています。昨日妹が洗濯に柔軟剤を使った香りがちょっと私の気道には刺激的なようで。外も暖かくなっても気道にやさしくないみたいで。
とりあえずスパイロメーター予約したので初めての検査は楽しみです。

さて、昨日はメル響のコンサートに行ってきました。
その前にメルボルンセントラルのPancake Parlourに行って夕飯を食べたのですが(あそこはサラダがなんか美味しいので甘くないパンケーキを頼みます)、途中でそこと隣の店が停電して暗い中で食べました。非常灯はあったりして食べるのには問題なかったですがお店の人達が大変そうでした。

メル響のコンサート、今回は1947年生まれのアメリカの作曲家、ジョン・アダムズが自身の作品を指揮するコンサートでした。
プログラムは以下の通り。

<メル響 Adams Conducts Adams>
指揮:ジョン・アダムズ
アダムズ Short Ride in a Fast Machine(1989)
アダムズ バイオリン協奏曲(1993)(バイオリン:Leila Josefowicz)
アダムズ City Noir(2009)(サキソフォン:Timothy McAllister)

今回↑に作曲年書いたのはちょっとそれに関して書きたい事があったので。
アダムズはいわゆるミニマル・ミュージックという、音楽の要素を単純にしたり繰り返しを特徴的にした音楽のスタイルで有名なのですが、彼の音楽は今はミニマル・ミュージックから大きく進化を遂げています。
コンサートで最初に演奏されたShort Ride in a Fast Machineは正にそのミニマル・ミュージックのスタイルで書かれた作品でしたが、バイオリン協奏曲とCity Noirではミニマル・ミュージックの要素を残したまま、そして過去や現在の音楽に大きく影響を受けて音楽的に広く深く円熟しています。
今回のコンサート、ちょっとお客さんの入りがいつもに比べて良くなかったのですがおそらくアダムズのミニマル・ミュージックの作曲家としてのイメージで敬遠した人が多かったと思われます。Short Ride in a Fast Machineから30年、その30年の間にアダムズの音楽が変わることなかったという偏見で敬遠するのは本当に勿体ないコンサートでした。

Short Ride in a Fast Machineはアダムズ曰く(そうそう、彼は曲間に自分で自分の作品の説明していました)昔友人のスポーツカーに乗せてもらった思い出(かならずしも良い物ではない)が題材だそうです。
以前聴いたピアノ2台のためのHallelujah Junctionと同じくリズムもハーモニーも明るくて、どこか機械的なところがある繰り返し。オーケストラにあれだけの人数がいても軽やかさがある音楽です。

バイオリン協奏曲は形式としては伝統的な、バイオリン協奏曲らしい曲。
特に(形式はバロック時代までさかのぼる)シャコンヌの第2楽章が美しかった。Robert Hassの「Body through which the dream flows」という肉体と精神が表裏一体となる喜び(でいいのかな)についての詩を題材としているのですが、地上の楽園でした。ただただ美しい。
そして第3楽章は打って変わって超絶技巧で激しく盛り上がる(ショスタコのバイオリン協奏曲第1番の終わりをちょっと思い出します)のですが、これがびっくりするくらいにロックンロール。ソリストもオケもストレートにパワフルな演奏でした。

そしてCity Noir。アダムズはこの作品を35分の交響曲、または交響詩と言っていましたが私は聴いてみて交響詩のほうがしっくりきました。
この曲はフィルム・ノワールという1940年~50年代に作られたアメリカの社会の闇などを描いた犯罪映画のジャンルを題材にしているそうです。なんでもそういった映画ってBGMは断片的にしか使われなくて、音楽をつけたらどうなるだろう、という思いがあったそうです。

アメリカの都会の夜と闇を描いたこの曲はダークだけどSinisterじゃない、確かに映画の描写のような、エキゾチックさやロマンがあって。
スタイルとしてはところどころミニマルミュージックの影もあるけれどものすごくジャズの色も強くて、ときどきブルース、さらに19世紀末のシュトラウスの交響詩のような音楽や、バルトークやマーラー辺りから始まった「夜の音楽」のフレーバーもかなりあり。それが一つの新しい現代の音楽の世界になっているのはぞくぞくしました。

普通に聴いてもかなり濃い音楽なのですが、弾く方にとっても濃い音楽のようでした。
特にサックスを始め木管軍団はジャズのように吹きっぱなしの部分が結構あったり。
ジャズらしくトロンボーンやトランペットのジャズもかっこいい中、ホルンのソロもかっこよかった(ホルンはあんまジャズとかで使われないんですよね、音がちょっと古いところがあるのか)!ホルンもジャズできるじゃんね!
あと打楽器が(特に最後にかけて)かっこよかった!本当に今は打楽器・リズムが特徴的な時代なのかもしれませんね。メル響の打楽器セクションも強いですし。

今回のコンサートで気づいたアダムズの音楽の魅力、それは今という時代、そしてその先にある未来にとても肯定的というかポジティブというか、そういうところだと思います。
それは題材に現代を感じる、というだけでなく変に懐古的でもなく、City Noirのように闇を描いてもそういったことに絶望している様子でも無く、音楽の表現が前向きな印象を終始受けました。だからアダムズの音楽は楽しいですし、同時に安心するところもあり、素晴らしいと思います。
改めて彼の進化した音楽に出会えてよかったです。もっとアダムズの音楽を手元に揃えたい。

さて、今回こうやって出かけたわけですがどうも最近疲れ気味。
あんまり休んでもいられないタイミングですし、季節の変わり目かもしれませんがあんまり寝落ちないようにしたいと思います。


今日の一曲: ジョン・アダムズ 「City Noir」



一回聴いただけで色々語るのは難しい曲ですが(特に上ですでに紹介している分もありますし)、ちょっとだけ。
先ほど書いたようにこの曲は都会の闇を題材にした交響曲or交響詩。3楽章に分かれています(第1楽章と第2楽章は続けて演奏されます)。
他の曲もそうですが、ジョン・アダムズにとって都会という場所、そしてその文化がとても身近なんだな、と思える作品です。(カリフォルニア出身らしいですが都会っ子なのかな)

一方私にとっては「大」が付くほどの都会というのはフィクション作品で見るのが主で、実際昨日コンサート終わりで外に出たらメルボルンのシティが小都会としてこぢんまりとして静かにたたずんでるのを見てギャップに力が抜けたくらい。
元々のモデルというかイメージはロサンゼルスらしいですが、自分にとっては例えばBANANA FISH(ニューヨークが舞台)だったり、あとポケモンのヒウンシティ(同じくニューヨークがモデル、夜にプレイするので夜景ばっかり見てます)あたりが中心。
先ほども書きましたが闇とはいえSinisterではないのでBANANA FISHみたいなリアルに迫る感じではないんですよね。
なのでやっぱりこの曲を聴いて大都市のその暗くもエキゾチックな部分にあこがれを持つ、というのはものすごくあるかも。

とにかくこの作品を聴いてアダムズがミニマル・ミュージックの作曲家だとは言えないと思います。曲の長さこそ交響曲にしては短めですが中身は深く広く、そして形式も中身もSymphonic。

先ほどもこの曲が色んなスタイルの影響を受けていることに言及しましたが、そういうところもアメリカの都市が、そして現代が様々な人種や文化を内包しているのに通じるところもあると思います。

そういった魅力が初めて聴いてどれだけ伝わるか分かりませんが、とにかくたくさんの魅力にあふれている曲です。
事前知識としてはジャズがどんな風な音楽かちょろっと知ってたりすると色々納得かもしれませんし、あとアダムズのミニマル・ミュージックが主だったときの音楽を知ってるとその面影と進化が聞こえるかもしれません。
とにかく色んなジャンル・時代の音楽が交わってる音楽なのでクラシック音楽をやる人はもちろん、他のジャンルの人にも是非聴いて欲しい曲です。

録音はこれは初演なのかな?生演奏の録音で、mp3アルバムにdigital booklet付きで出ています。(同じ録音はiTunes Storeにもあります)
出来たらCDで欲しいんですが最近はクラシックもmp3だけ、という録音がちょこちょこ出てるのでCDはないのかも。

拍手[1回]

春来たりて1ヶ月のカウントダウン開始!
前回のエントリーに拍手どうもですー
今日はお医者さん(GP)に行ってきました。息苦しさに関してレントゲンも胸部CTも異常が無かったので肺機能検査に行かなきゃならないそうです。スパイロメーターの。
もともとあんまりアクティブな生活をしてるわけじゃないのもあってものすごく苦しいとか著しく日常生活に影響があるとかそういうわけじゃないんですが、やっぱり日常的に息苦しくて外に行くと明らかに息苦しいのでなんとか原因・治療的なものが分かるといいなあ・・・

メルボルンは昨日から春になったようです。気温が20度台に入ってきて、外を歩けば花の香りも。
精神の調子もなんだか不安定なようなところがあったのもおそらく季節の変わり目かな。
外に出るにはいい季節になってきましたが心身ともに調子をちゃんと見ておかないといけませんね。

さて、今日は8月の28日。つまり今年のリサイタルまであと1ヶ月となりました。
チラシ用の絵も描きましたのでプログラムとともに紹介。

<ピアノリサイタル「Tableaux」>

プログラム(順番は若干変更になる可能性もまだあります):
メシアン 「鳥のカタログ」より第3曲「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
メシアン 「鳥のカタログ」より第8曲「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲 op.103より第3、8、6、5、7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op.39より第8、4、7番
メシアン 「鳥のカタログ」より第13曲「ダイシャクシギ」

・・・という大体1時間10分くらいのプログラムです。
弾いてる分にはいいんですが聴く方にはちょっと長いかなあ・・・

「Tableux」とタイトルをつけた由来は視覚、というか絵に関する曲が多いのが由来。
それぞれの曲の色も絵画・風景画のような色彩で、複数の画家の作品を集めた画廊の中を歩くような、そんな演奏がしたいと思っています。

月曜日にレッスンした時に先生がこのプログラムのことを面白い、良い曲を集めたプログラムだと言ってくれて。
ピアノの王道とはだいぶ離れた、先生でもよく知らない曲を弾くことが多いなか、先生をはじめ周りの色んな人がそれを楽しみにしてくれて、応援してくれて、もっとやれと言ってくれて。
自由に表現させてくれるだけでなくそれを評価してくれて、好いてくれるのは本当に嬉しくて心強い限り。今回だけでなくこれからもずっとピアノでこの道を進んでいこうと思います。

ということであと1ヶ月、一番やらなくちゃいけないことは自分の演奏に余裕を持たせること。
なにかとせかせかしやすんですよね、全体的に。特に鳥カタ。
それから色々音のバランスを調整したり、あとは音楽的な表現で磨き上げるところもたくさん。
実はこれまでにちょこちょこっとしか自分の演奏を録音してないので、びくびくしながらもやらなくちゃいけない。

あとは演奏以外でも集客だったり体調管理だったり仕事・検査・外出など含めたスケジュール管理だったり、これから1ヶ月色々とちまちま大変ですが無理なく準備を進めていきたいです。

あ、明日は(忘れそうになるのですが)メル響のコンサートです。
ジョン・アダムズが指揮するジョン・アダムズの作品。生で聴ける機会は貴重なので楽しみです。夕飯何にしよう。


今日の一曲: ガブリエル・フォーレ 前奏曲第8番



リサイタルプログラムから早速1つ。
フォーレは19世紀末から20世紀初頭にまたがる時代にそのお国柄・時代を(地味に)よく表した作品をいくつも残していると思います。その中でもこの前奏曲集はその時代が移り変わろうとしているまさにその瞬間を捉えたような、フォーレ自身の晩年の音楽の円熟と合わせて独特の渋さと魅力を兼ね備えた曲が揃っています。

フォーレと言えば(私も昔チェロで弾いたような)ロマンチックで美しいメロディーの音楽が有名ですが、晩年になってくるとちょっとスタイルが変わってきます。
この前奏曲第8番もそのひねくれ具合とか堅めで丸いスタッカートとか、どちらかというとプーランクのスタイルにクロスオーバーしているような。
同じ踊りを思わせる3拍子でも19世紀の華やかなダンスホールではなく、薄暗いサロンとかクラブのダンスフロアのよう。

実は今回のリサイタルプログラムの中で一番短い曲でありながら(1分強)、ものすごく手こずっている一曲でもあります。なんといってもスタッカートの粒を揃えながらときどきオクターブを弾くのに手を広げる、というのはとても難しいです。
なので大きい手の方が有利か、と思いきや手が重なったり細かい指のクロスオーバーがあったり、細かさと俊敏さが求められる部分は小さい手の方がうまくいったり。要するにどっちにしても難しいのです。
そしてその技巧の難しさを感じさせないように優雅に軽やかにひねくれを持って弾くのもまた難しいです。

フォーレの前奏曲集はちょっとマイナーながらも短い中で光るものがある面白い曲集です。
このリサイタルの「Tableaux」というテーマにおいては他の曲よりも小さなサイズの、メインではないけれど味のある、見る人がふと立ち止まってイメージを考えるような絵画のようなイメージ。
決して最初から心に刺さるような曲ではないかもしれないですが、じわじわお楽しみに。

今マイナーと書きましたがアマゾン(日本)にほとんど録音がない!ここまでマイナーとは!
私がもってる録音はジャン=フィリップ・コラールの演奏です。フォーレの他のピアノ曲がまとめて入っているので時代毎の比較もできます。


拍手[1回]

メル響2014年シーズン発表だそうです
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
仕事はなんとか一件片付き、ピアノもなんだかとりあえずなんとか。
ちょっと腕指が疲れ気味なので前やってたストレッチも始めましたが無理のないようにしないと。

昨日のエントリーで書きましたがメル響の来年のプログラムが発表されました。まだまだ全然楽しみにできる余裕もないですがメモも兼ねてめぼしいコンサートを紹介していきます。

<1,2月>
1月は基本コンサートは無し、2014年一発目はDoctor Whoのコンサート、そして2月にはチャイニーズ・ニューイヤーでのTan Dun(映画音楽で有名な中国の作曲家)のコンサート。2月末にはLord of the Ringsのコンサートもあります。
そして毎年おなじみSidney Myer Music Bowlでの無料野外コンサートシリーズは3つコンサートがあるそうですがプログラム詳細はまだ発表されていません。後でのお楽しみに、ということで。

<3月>
3月にはドヴォルザークの8番(+序曲「謝肉祭」、ベートーヴェンピアノ協奏曲第2番)のコンサートがあったり、ボロディン「イーゴリ公」(合唱付き)、ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲とシベリウス2番というロシア音楽中心のコンサートがあったり。ライトミュージックではないけど聞きやすくて聴いて楽しいコンサートが並んでます。

<4月>
4月と言えば新しい音楽の祭典、Metropolis Festival。
どうやら来年はフィンランド音楽中心みたいです。ユースオケで「惑星」を振った彼がバイオリンソロをつとめるコンサート(シベリウスのタピオラ、ラウタヴァーラのバイオリン協奏曲、ムストネンの交響曲)も楽しみですが、Concert Champetreというタイトルのコンサートも面白そう。なんでもロシアの作曲家Shchedrinが書いた「2本のオーボエ、2本のホルン、チェレスタと弦楽のための音楽」に興味津々です。外せない!

<5月>
以前マーラー6番や7番、ラフマニノフ交響曲3番を振り、今年はショスタコーヴィチ10番を振る予定のMark Wigglesworthがラフマニノフの交響曲2番を振りにやってきます。他の2曲(SchenlzerのA Freak in Burbankとメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番)は聴いたことないので楽しみ。
他にはAustralian Chamber Orchestraで有名なRichard Tognettiがソリストとして弾くコンサート、そして大学の友人が指揮する「子供」テーマのコンサートもあります。ラヴェルの「マ・メール・ロワ」とかフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」組曲をお目当てに行ってみようかな。

<6月・7月>
6月の末には首席指揮者のSir Andrew Davisを迎えてアイヴス(Orchestral Set No. 2)、ベートーヴェン(ピアノ協奏曲第4番)とベルリオーズ「幻想交響曲」のコンサートがあります。ベートーヴェンはもうそんなに聴かなくても良い曲なのですがソリストが(室内楽でたくさん録音を持ってる)エマニュエル・アックス!生で演奏、それもソロとは逃せないですね。
7月中旬にはスメタナの「我が祖国」コンプリートの演奏があります。意外と生で全曲聴くことは少ないんですよね。
さらに7月末にはSir Andrew Davis指揮でマーラー1番とリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」という後期ロマンの美味しいとこが味わえるプログラムも。

<8月>
8月で注目のコンサートはバッハのミサ曲ロ短調のコンサート。メル響でバロック音楽を聴くのもちょっと珍しいです。前々からこの曲の偉大さは耳にしていながら実際に聴いたことはなかったのでこのコンサートで初めましてしたいところ。

<10月>
2014年シーズンである意味一番びっくりしたのがこの10月にあるコンサート。タイトルは「アランフェス協奏曲」で「ああアランフェスか、誰が弾くんだろう」と詳細をみたらなんと前述Tan Dunのギター協奏曲(オーストラリア初演)も演奏される、ということで。ソリストも中国の奏者。それにドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」と「イベリア」を合わせた面白そうなプログラム。

<11月・12月>
今年はもひとつマーラー!Sir Andrew Davisの指揮でマーラー2番です!
それも楽しみですがイェフィム・ブロンフマンがブラームスのピアノ協奏曲第2番を弾きに来る、というのは大変テンションのあがる話。なんとしても聴きに行きたい。
12月はあるようでなかったアラビアテーマのコンサート。ニールセンの「アラジン」組曲、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」、そしてリムスキ=コルサコフの「シェヘラザード」。

12月と言えば一年をヘンデルの「メサイア」で締めくくり、がメル響の慣習なのですが今回発表したプログラムにはどうやら入っていないみたい。聴きに行きたいとかそういう事では内のですが一体どうした!?

どうも今年プログラム見てて「あれ、これここ数年でメル響で聴いてない?」という曲が結構あったり、割と(他のオケとか含めて)よく聴くような曲が多い印象でちょっとうーんと唸っています。
出会ったことない新しい曲に初めましてするのを楽しみに行くようなコンサートが少ないんですよね。ちょっとそれは残念です。
ただ生で聴ける機会があってありがたい、素晴らしい曲も揃ってますので来年もメル響のコンサートに行くのを楽しみにしています。


今日の一曲はお休みです。

拍手[1回]

Music across the borders
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日はイギリスのPromsのコンサートが豪ABCで流れてて、なんとホルストとルトスワフスキの組み合わせのコンサート。今ちょうど惑星を聞いているところです。
ルトスワフスキは前から何曲か曲を聴いて知って、かなり好きな作曲家。でもまだまだ知らない曲も多いです。今回聞いたSymphonic Variationもピアノ協奏曲もツボにものすごくはまったので改めて録音とかもっと手元に増やさないと、と思いました。

小学校の頃からここオーストラリアで育つとほんとイギリス音楽に触れる機会が多くなります。
ピアノではもともと(プロとして弾くような)イギリス生まれのレパートリーが少ないですが、子供として習う時にはイギリスの民謡が出てきたり。
そして弦・吹奏楽・ブラスバンド・合唱ではイギリス音楽を弾かないで過ごすのはほぼあり得ないのではないかと思います。
もちろんプロオケでもイギリス音楽はちょくちょく演奏されますし。

オーストラリアでこれですからおそらくイギリスも似たような、もっと濃いイギリス音楽の環境になるんだろうな、と今ラジオを聞いて思ったのです。
Promsなんか何日にもわたってコンサートがあって、テレビとかで見たかぎりだと結構子供達も見に行ってるようですし。威風堂々とかみんな揃って歌いますし。音楽環境としては教育そのものとは別の意味で贅沢だなーと。

でも逆にイギリス圏の外だとヴォーン=ウィリアムスの作品はあんまり知られてなかったり、イギリスの作曲家の知名度全体がぐっとさがるという話は聞きます。
それはイギリスの音楽が特別難解だというわけではなく(むしろ多くの人に響く美しさと懐かしさを持ち合わせています)、でもどこかにそういった見えない障壁?みたいなものがあるような。
それはここで何度か書いている「餅は餅屋」的な、イギリスの音楽はイギリスの奏者が弾かないとその魅力が出にくい、みたいなところも関係しているのかもしれませんが。

ただフランスもまたお国の奏者でないとうまく表現できないエスプリみたいのがあるイメージが強い中、フランスでは今あんまり自国の音楽を弾かない傾向にあるらしいという話を母からこないだ聞きました。なんでもフランス音楽は軽薄、みたいなことらしくて。(そこが良いんじゃないか!)障壁が反対側に働いているということなんですかね。フランスは20世紀の前半・後半に素晴らしいレパートリーが膨大にあるので大変勿体ない話です。

やっぱどこの国も(というのは言い過ぎかもしれませんが)自分の国の音楽を胸を張って弾くべきだと思うのです。先生も私に日本の曲を弾きなさい、と言いました。その結果が今のレパートリーなのですが(笑)
オーストラリアも歴史こそ短いけど世界に誇れるレパートリーも各方面で結構そろってて、もちろん世界に誇れる奏者もいて。
とにかくオーストラリアの人がオーストラリアの音楽を弾かないと、他の国で弾いたり聞いてもらえる望みはないですから。それはどこの国でも同じ。

もしも自分が日本で演奏することがあればメシアンはもちろんですがなんとかオーストラリアの曲を絡めたいところです。
なかなか選曲難しいんですけどね。17年住んでてちょっとは弾いてますがオーストラリアの音楽で「これ!」とぴたっと合うものがまだ見つかってなかったり。
それに聴衆にとっては(高い確率で)初めて聞くオーストラリアの音楽になるわけですから曲の質はもちろん、オーストラリアをうまく表すような曲を選びたいところ。(これは自分が弾く音楽全般に言えることで、一応ある程度意識はしています)

話はイギリス音楽に戻りますが、イギリス音楽はピアノのレパートリーが少なくて自分がその魅力を広めようとすると演奏ではちょっと無理があったり。(一応大学の図書館でヴォーン=ウィリアムスのピアノ曲を1つ見つけて楽譜をコピーしてあります。録音はないのですが。)
ヴォーン=ウィリアムスの交響曲とか、ブリテンの歌曲とか、ウォーロックの歌曲とかラッターの合唱曲とか、演奏することは敵わないけど素晴らしいよ!ということをこのブログでちまちま書いたりしています(笑)

音楽は文化交流という側面もありますからね。あらゆる文化交流の形と同じく決して簡単では無くて、色々試行錯誤だったり慎重なプランニングが必要ですが、音楽は(食と同じくらいには)効果のある交流の形だと思います。
特にオーストラリアは色んな文化を受け入れる、ということに関しては(音楽でも)得意な方だと思いますが自分の文化を内外に発信することはまだまだなのかもしれません。

最近はインターネットで世界中の音楽が演奏する様々な聴けるようになって「こんな所にまでオーストラリアの音楽(例)が知られてるんだ!」と思うこともありますが、なかなかその影響って生の演奏では現れないものなんですかね。コンサートのプログラムとか(日本のテレビなりこっちのお知らせなり)で見てるとやっぱり障壁を感じる、とまではいかなくても文化差はかなりあり。
文化も色々、隔てる障壁も色々、ですがもっと色んな音楽が聴けるように、弾かれるように、聴かれるようになって欲しいものです。
音楽自体は(クラシックに限らずですが)多様な文化を影響を受けて作られている時代ですから、より多くの人に接点ができるはずなんですよね。

障壁、というかこれは棲み分けの話になるのかもしれないのですが同じ国・文化でも演奏する楽器によって知ってる・聞くレパートリーが変わる、というまた別の文化差もあるのですがそれはもしかしたらまた別の日に。


今日の一曲: Nicholas Buc 「Sky Saga」

なんとなくオーストラリアの音楽を紹介する流れだったので最近聞き直したこの曲を。
ユースオケでチェロを弾いていた時代、いわゆるライトミュージックのコンサートで一度戦争(&そのほか戦いの)映画の音楽をテーマにしたコンサートをやりました。例えばプラトーンで使われたバーバーの「アダージョ」だったり、ベン・ハーの曲だったり、シンドラーのリストのテーマ曲だったり、はたまたスター・ウォーズのメドレーだったり。戦争映画関連だけど楽しい曲・有名な曲が多かったです。

その中で唯一オリジナル曲だったのがこの「Sky Saga」。作曲家は当時第1バイオリンを弾いていて作曲もやっていた先輩でした。彼がまたひょうきんな人なんですが、他にもテレビや映画などで絶対聞いたことのある色んな音楽をすごいユーモアのセンスでメドレーに仕立てたり(以前紹介したかな、Magic Memorabilia Medley)、あとチャンネル31のニュースのテーマを作曲したりとにかく凄い人。(あ、あと車のクラクションがラ・クカラチャなんです)

「Sky Saga」は男性ナレーターとオケのための作品。第二次世界大戦でオーストラリアを守るために戦った空軍のその行為と勇気をたたえる詩(今調べたらSir Thomas Whiteという方のでした)を音楽に乗せた作品。詩は歌としてでなくナレーションとして挿入されます。

戦争という題材はもちろん重いのですが、詩の内容もそんなに生々しく戦争を描いていないですし、曲もすっきり聴けるものです。Nickの得意としていた映画音楽を思わせるようなスタイルで描くのは戦争自体、というよりも先ほど書いたように守り戦う者の勇気に敬意を示す、という側面。
でももちろん失われた命に対する悲しみ、戦争のむなしさみたいなものも描かれています。こちらでANZAC Dayなどで戦死者の弔いにビューグル(トランペットの一種)で演奏される「The Last Post」を短調に変えて繰り返し演奏させます。
The Last Postって元は長調の和音で奏でられるのですが、その場の雰囲気もあって長調でももの悲しく聞こえるもので。それをさらに短調にすることで悲しみを強調する・・・ということでいいのかな。

あくまでも戦争の一面を扱う作品ですが、なんとなく歴史の授業で習ったオーストラリアの戦争への関わり方や、あとオーストラリアのお国柄全般に通じるものがあって「オーストラリアらしい」戦争についての音楽だな、とこないだ聞いて改めて思いました。

録音が見つからないです(汗)私もユースオケのコンサートの録音で持ってるだけで、ぐーぐるで検索したら2004年のRoyal Philharmonic ChoirとOrchestraの演奏しか出てこなくて。
この曲に限らずNickの作品他にもどっかで録音されてないのかなー・・・

拍手[1回]