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前回のエントリーに拍手ありがとうございました~
相変わらず不調気味です。昨日は一日休んだのですがどれくらいためになったかは分からない。
ちょこちょこしなきゃいけない事考えなきゃいけないことあるんですが。
メルボルンの冬はコンサートがたくさん。facebookでも友達のコンサートのお知らせが舞い込んできます。
プライベートに仕事に色々facebookも使い道がありますが、音楽をやってる友達がどうfacebookを使ってるか、というのもここ数年見てて面白いなと思ったのでちょっとここにまとめてみようと思います。
まずは今書いたコンサート等イベントの告知。
コンサートがあるよ、来てね、ということだけでなく友達の友達にも広告したり、遠くに住んでる友達なんかにも自分は今こういう活動をしてますよ、という広報の役割もあったり。
実際見てて面白いんですよね、海外に住んでる友達で向こうに行ってからがらっと弾くレパートリーが変わったり、あとメルボルンにいる友達でクラシック以外のジャンルもやるようになったり。
もちろん私もリサイタルの告知のこと考えなきゃ(もごもご)
そして多岐にわたる情報交換。
例えば学校や個人で楽器を教えている友達なんかは何らかの事情で(一時的に・ずっと)生徒を代わりに教えてくれる人を探さなきゃいけないときにfacebookで友達に呼びかけるケースなんかもあります。
それから楽器の修理はどこがいい、とか行けなくなったコンサートのチケットを安く売りたい、とかこの曲はだれの演奏を買ったらいいか、とかもよく見ます。
メルボルンやオーストラリアのクラシック音楽業界の動向などについてのニュースや議論なんかも。
特に海外渡航に関してこういう情報交換は重要になってきます。
中でも最近よく聞くのが飛行機に乗るときの楽器の扱い。オーストラリア外でもトラブルの話は聞くのですが、最近どうもオーストラリアの格安航空各社では楽器持ちの人に対してあんまり優しくないらしいです。
例えばホルンを機内持ち込みできなかったり、チェロを乗せるために1席チケットを購入させてくれない、という話だったり。例え国内移動でも楽器を預け荷物として乗せるのはリスクが高いです。
楽器は単純に値段が高いというだけでなく貴重なもの(そしてほぼ生き物のようなもの)なのでそこんところ何とかしてくれないと楽器弾きの人には本当に致命的。友達の中には抗議のメールやfacebookポストなどを書くと言ってた人も何人かいるので声を上げることで変わるといいなあ、と思います。(私も昔楽器を飛行機に乗せたことがあるので)
それから海外で大学に通ったりプロのオケで弾いたりしてる友達から色んな国の音楽事情が聞けるのも面白いです。
ここ数年思ったのは東南アジアのクラシック界隈って結構最近凄いんじゃないか、と。マレーシアのオケなんかは(ちょっと奏者解雇の問題で一悶着ありましたが)演奏をようつべでも聴けますし、シンガポールの大学で音楽の教育に関するお金のかけ方とかびっくりしました。
ちなみにfacebookからの情報ではないのですが最近両親が引っ越したマレーシアではオケのコンサートでドレスコードがあってジーンズとかでいっちゃダメ、ということになってるらしいです。メルボルンは全然そういうことなくてみんな普通にジーンズとかで来てます。メル響のページにもドレスコードなしと書いてあります。なのでもっと気軽に行きましょうよ。
そして最後になりますがとっても重要なfacebookの用途といえばネタの投稿・拡散でしょう。
オーストラリア内外のソースから音楽に携わった人が笑える、様々なネタが流れてきます。
身近に見つけたネタだったり、写真だったりコラージュだったり、はたまた音楽とは関係ないけど中国に演奏旅行に行くと決まって「変な英語の看板シリーズ」が流れてきたり。(日本のそれとは破壊力が違いますが日本の英語諸々も気をつけた方がいいですよー)
そんなわけで音楽関連の友達(&他アカウント)のfacebookポストを見てると色々面白いです。大学を卒業して、みんなそれぞれの道を進んでいても「音楽家コミュニティ」というのはfacebookを通して続いていて、大学の時と同じようにお互い必要な(そして不必要な(笑))情報を交換したりして支え合っていて。
そういうのがないとやっぱり一人で悩むしかない部分が多くて難しいですもんね。
自分が音楽を細々と続けていられるのもそういったコネクションのおかげ、というところも少なからずあるので、うまく活用しながら続けて行きたいです。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル ピアノ三重奏曲 第3楽章
こないだのパッサカリア特集からチョイス。
19世紀最後ぎりぎり~20世紀初頭のフランスって前の時代にあったソナタとか協奏曲とかそういう「お決まりの」形式からだんだん離れてく傾向にあって。同時に室内楽の楽器編成もピアノ三重奏とか弦楽四重奏の占める割合が少なくなる傾向にありました。
だからといってこの時代におけるそういう伝統的な形式・楽器編成の作品のクオリティが下がったわけではないです。
例えばプーランクのバイオリンソナタはそのレパートリーの中に強烈なくさびを打ち込んでますし、ラヴェルのピアノ協奏曲もユニークな立ち位置で愛され続けています。
そして同じくラヴェルのピアノ三重奏曲は20世紀ではショスタコのそれと性質はほぼ真逆ながら双璧といえるほど素晴らしい曲です。(あれ、他にこのジャンルで忘れてるのありましたっけ(汗))
さらに言えば少数精鋭的なラヴェルの作品の中でもかなり輝いてます。
このピアノ三重奏曲を第3楽章から紹介するのも大変勿体ないです。一番恋に落ちるのは第1楽章だと思ってますし、なんといっても第3楽章は「間奏曲」的な立ち位置まで含めての美しさ、みたいなところがあって。でも単体でも美しい。
強いて言えば似てる曲は同じラヴェルの「クープランの墓」の「フーガ」かな。バロック時代からある形式を完全にラヴェル味に作り替えた、というところと独特の静けさ、というか。こっちの方がどこか宗教音楽的な雰囲気はありますかね。グレゴリオ聖歌とか20世紀ヨーロッパのミニマルミュージックにも通じるstaticな流れ。
ピアノ、バイオリン、チェロどのパートもシンプルなのですが、音と音の間(縦も横も)の空間だったり、絶妙な色と緊張のハーモニーだったり(ピアノパートにあるんですよ、刺さるやつが)、ある意味人間が書いたとは思えないような、一種の完璧さがあって。
不思議な空間、不思議な時間。ちょっと心持ちを選ぶような曲ではありますが、最初ぱっとしなくてもじわじわ染みいって来る音楽だと思います。
先ほども書いたようにこのトリオは全楽章、頭から聞いて欲しい作品です。
自分にとって特別な曲なのであんまり頻繁には言及しませんが今が機会なので強くおすすめします。
(ちなみに私はこのトリオの4つの楽章をモチーフにして雨にまつわる4つの短編ストーリーを書いたこともあります。)
フランス音楽も基本「餅は餅屋」が大切なのでボザール・トリオの演奏を。(私が持ってるのとは別のCDですね)
そういえばまだラヴェルの弦楽四重奏の録音持ってなかったな・・・今度大学で借りられるかしらん。(=どっちかというと借りたあと延滞せずに返せるか、ですね)
相変わらず不調気味です。昨日は一日休んだのですがどれくらいためになったかは分からない。
ちょこちょこしなきゃいけない事考えなきゃいけないことあるんですが。
メルボルンの冬はコンサートがたくさん。facebookでも友達のコンサートのお知らせが舞い込んできます。
プライベートに仕事に色々facebookも使い道がありますが、音楽をやってる友達がどうfacebookを使ってるか、というのもここ数年見てて面白いなと思ったのでちょっとここにまとめてみようと思います。
まずは今書いたコンサート等イベントの告知。
コンサートがあるよ、来てね、ということだけでなく友達の友達にも広告したり、遠くに住んでる友達なんかにも自分は今こういう活動をしてますよ、という広報の役割もあったり。
実際見てて面白いんですよね、海外に住んでる友達で向こうに行ってからがらっと弾くレパートリーが変わったり、あとメルボルンにいる友達でクラシック以外のジャンルもやるようになったり。
もちろん私もリサイタルの告知のこと考えなきゃ(もごもご)
そして多岐にわたる情報交換。
例えば学校や個人で楽器を教えている友達なんかは何らかの事情で(一時的に・ずっと)生徒を代わりに教えてくれる人を探さなきゃいけないときにfacebookで友達に呼びかけるケースなんかもあります。
それから楽器の修理はどこがいい、とか行けなくなったコンサートのチケットを安く売りたい、とかこの曲はだれの演奏を買ったらいいか、とかもよく見ます。
メルボルンやオーストラリアのクラシック音楽業界の動向などについてのニュースや議論なんかも。
特に海外渡航に関してこういう情報交換は重要になってきます。
中でも最近よく聞くのが飛行機に乗るときの楽器の扱い。オーストラリア外でもトラブルの話は聞くのですが、最近どうもオーストラリアの格安航空各社では楽器持ちの人に対してあんまり優しくないらしいです。
例えばホルンを機内持ち込みできなかったり、チェロを乗せるために1席チケットを購入させてくれない、という話だったり。例え国内移動でも楽器を預け荷物として乗せるのはリスクが高いです。
楽器は単純に値段が高いというだけでなく貴重なもの(そしてほぼ生き物のようなもの)なのでそこんところ何とかしてくれないと楽器弾きの人には本当に致命的。友達の中には抗議のメールやfacebookポストなどを書くと言ってた人も何人かいるので声を上げることで変わるといいなあ、と思います。(私も昔楽器を飛行機に乗せたことがあるので)
それから海外で大学に通ったりプロのオケで弾いたりしてる友達から色んな国の音楽事情が聞けるのも面白いです。
ここ数年思ったのは東南アジアのクラシック界隈って結構最近凄いんじゃないか、と。マレーシアのオケなんかは(ちょっと奏者解雇の問題で一悶着ありましたが)演奏をようつべでも聴けますし、シンガポールの大学で音楽の教育に関するお金のかけ方とかびっくりしました。
ちなみにfacebookからの情報ではないのですが最近両親が引っ越したマレーシアではオケのコンサートでドレスコードがあってジーンズとかでいっちゃダメ、ということになってるらしいです。メルボルンは全然そういうことなくてみんな普通にジーンズとかで来てます。メル響のページにもドレスコードなしと書いてあります。なのでもっと気軽に行きましょうよ。
そして最後になりますがとっても重要なfacebookの用途といえばネタの投稿・拡散でしょう。
オーストラリア内外のソースから音楽に携わった人が笑える、様々なネタが流れてきます。
身近に見つけたネタだったり、写真だったりコラージュだったり、はたまた音楽とは関係ないけど中国に演奏旅行に行くと決まって「変な英語の看板シリーズ」が流れてきたり。(日本のそれとは破壊力が違いますが日本の英語諸々も気をつけた方がいいですよー)
そんなわけで音楽関連の友達(&他アカウント)のfacebookポストを見てると色々面白いです。大学を卒業して、みんなそれぞれの道を進んでいても「音楽家コミュニティ」というのはfacebookを通して続いていて、大学の時と同じようにお互い必要な(そして不必要な(笑))情報を交換したりして支え合っていて。
そういうのがないとやっぱり一人で悩むしかない部分が多くて難しいですもんね。
自分が音楽を細々と続けていられるのもそういったコネクションのおかげ、というところも少なからずあるので、うまく活用しながら続けて行きたいです。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル ピアノ三重奏曲 第3楽章
こないだのパッサカリア特集からチョイス。
19世紀最後ぎりぎり~20世紀初頭のフランスって前の時代にあったソナタとか協奏曲とかそういう「お決まりの」形式からだんだん離れてく傾向にあって。同時に室内楽の楽器編成もピアノ三重奏とか弦楽四重奏の占める割合が少なくなる傾向にありました。
だからといってこの時代におけるそういう伝統的な形式・楽器編成の作品のクオリティが下がったわけではないです。
例えばプーランクのバイオリンソナタはそのレパートリーの中に強烈なくさびを打ち込んでますし、ラヴェルのピアノ協奏曲もユニークな立ち位置で愛され続けています。
そして同じくラヴェルのピアノ三重奏曲は20世紀ではショスタコのそれと性質はほぼ真逆ながら双璧といえるほど素晴らしい曲です。(あれ、他にこのジャンルで忘れてるのありましたっけ(汗))
さらに言えば少数精鋭的なラヴェルの作品の中でもかなり輝いてます。
このピアノ三重奏曲を第3楽章から紹介するのも大変勿体ないです。一番恋に落ちるのは第1楽章だと思ってますし、なんといっても第3楽章は「間奏曲」的な立ち位置まで含めての美しさ、みたいなところがあって。でも単体でも美しい。
強いて言えば似てる曲は同じラヴェルの「クープランの墓」の「フーガ」かな。バロック時代からある形式を完全にラヴェル味に作り替えた、というところと独特の静けさ、というか。こっちの方がどこか宗教音楽的な雰囲気はありますかね。グレゴリオ聖歌とか20世紀ヨーロッパのミニマルミュージックにも通じるstaticな流れ。
ピアノ、バイオリン、チェロどのパートもシンプルなのですが、音と音の間(縦も横も)の空間だったり、絶妙な色と緊張のハーモニーだったり(ピアノパートにあるんですよ、刺さるやつが)、ある意味人間が書いたとは思えないような、一種の完璧さがあって。
不思議な空間、不思議な時間。ちょっと心持ちを選ぶような曲ではありますが、最初ぱっとしなくてもじわじわ染みいって来る音楽だと思います。
先ほども書いたようにこのトリオは全楽章、頭から聞いて欲しい作品です。
自分にとって特別な曲なのであんまり頻繁には言及しませんが今が機会なので強くおすすめします。
(ちなみに私はこのトリオの4つの楽章をモチーフにして雨にまつわる4つの短編ストーリーを書いたこともあります。)
フランス音楽も基本「餅は餅屋」が大切なのでボザール・トリオの演奏を。(私が持ってるのとは別のCDですね)
そういえばまだラヴェルの弦楽四重奏の録音持ってなかったな・・・今度大学で借りられるかしらん。(=どっちかというと借りたあと延滞せずに返せるか、ですね)
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冬なんで、ってこともないですが風邪引きました。といっても仕事もピアノもある程度してます。
昨日朝起きたら喉が痛かったんで風邪なんだか胃酸逆流なんだかわからなくて最初不便でした。
で、こないだ撮った胸部レントゲンには異常がなかったので(これもまた念のため)CTスキャンを受けに行くのですが、とりあえず風邪が治ってから息苦しさが続いていれば、ということで
CTスキャンは仕事とかでは聞くものの受けるのは初めてなのでどきどきわくわくです。
さて、ポケナガは最後の国、リュウの国を制覇するために準備しているところ。できれば2匹目のイーブイをグレイシアにするまで粘りたい。(グレイシアだけじゃないかな、本家で使ったことないのは)
ランセの伝説は武将が進化しないっぽくて、ポケモンを進化するとベストリンクじゃなくなるのが地味に残念なのですがギャラリーのポケモングラフィックがどれも可愛いのでがんがん進化させます(笑)
そんなこんなで久しぶりのキーワードto音楽のお題はポケモンのタイプの組み合わせにしてみました。単一タイプだとちょっとつまんないかなー(あと17種全部やらなくちゃいけないかなー)と思ったので2つのタイプ複合で。
なるべくその組み合わせのタイプのポケモンを意識せず、タイプの組み合わせ自体を意識した積もりだったんですがやっぱり意識してたかも。
あと「くさ・どく」みたいによくある組み合わせを避けたわけではないですが、どっちかというと少数派の組み合わせになりました。あと曲もタイプも心なしか偏りました。
1)いわ・ひこう: ブラームス 狂詩曲第1番
もう冒頭の右手の下降と左手のアルペジオからしてこれしかない。ブラームスはじめん得意なイメージがありますがこの曲はどっちかというと岩。ダイナミックな感じには飛行が欲しい。岩飛行といえば普通の岩とはちょっと違ってい素早さと破壊力でがんがん攻めるプテラ、アーケオス。(ちなみに同じ狂詩曲でも上昇で始まる、地に足の付いた第2番ならはがね・じめんあたりでしょうか)
2)ほのお・はがね: メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」第18楽章「恐るべき塗油のまなざし」
メシアンの音楽はほのおとかエスパーな要素があると思うのですが、この曲は燃え上がりながらもものすごくがっちりしているところもあり。四度とかトライトーンベースのハーモニーが続き繰り返されるのが鋼を思わせます。炎鋼は今のところヒードランのみ。鋼の耐性・防御の高さ、炎の攻撃性能を合わせもつ、ちょっと変わった&手強いポケモン(使ったことないですが)。
3)あく・ゴースト: クラム アメリカ歌曲集第5集「Voices from a Forgotten World」より第10楽章「Demon Lover (A Ghostly Ballad)」
暗いエレメントを2つ重ねた複合タイプ。弱点がないことでも知られます。恋人だった船乗りが幽霊として現れ、この世ともつかぬ空間で地獄へ手を引かれてしまう、というこの曲にはこのタイプがふさわしい。音楽自体も悪・霊どちらも思わせる暗さがあって、音だけでなくその間の余韻・静寂・空間もその闇を作り出します。この複合タイプで言えばヤミラミよりミカルゲに近いかな。
4)はがね・むし: ラヴェル バイオリンソナタ 第3楽章
鋼も虫もそんなにラヴェルのイメージではないですよね。どっちかというと炎とか水とか飛行とか、はっきりelementalな印象なのですが、この曲ばかりはラヴェルの音楽の機械的なフレーバー(→鋼)と、ちょっとひねったハーモニーに細かく動く音型(→虫)がちょっと異質な感じでこの組み合わせに。虫鋼は数種類キャラの違うポケモンがいるのですが、これだけ速いのはアイアントくらいかな。
5)ゴースト・ひこう: マーラー 交響曲第4番 第2楽章
マーラーの作品って探せば炎から鋼からゴーストからなにから見つかるのですが、その中でもゴースト的フレーバーは独特じゃないですかね。傍にいる死の影、必ずしもわかりやすく恐くはない死の姿。この4番のスケルツォも一見明るい中に死神のバイオリンや不気味さがあって、風に乗ってやってきて踊る、軽やかな死神のイメージがあります。唯一ゴースト飛行のタイプを持つフワライドも見かけは可愛いらしいですがしっかりゴーストです。
6)あく・はがね: プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 第3楽章
がっつり暗く、でもしっかり中身が詰まっててエッジがあって、攻撃もしっかりあるけれど防御・耐性もあり、という注文に応えるにはこのコンビネーションですね。地面もありかな、と思ったのですが防御性能が全く変わってくるのと、あとこの曲の暗い金属的な冷たさも含めてこちらに。今いる悪鋼はキリキザン。ポケナガではかなりお世話になってます。
7)ドラゴン・でんき: ラフマニノフ 練習曲音の絵 op.33 変ホ短調
ラフマニノフだったら(ロシア作曲家全般もそうですが)地面とか氷の方が得意な印象があるのですが、ちょっとひらめいてしまって。前々からこの曲は雨・嵐のイメージと紹介してますが、ぐねぐね蛇行する速いパッセージが蛇というか竜のイメージに思えてしまって。実際このタイプの組み合わせを持ってるゼクロムとはだいぶ違うイメージですが(規模がまず小さい)、こんな電気ドラゴン居てもいいんじゃないかしらん。
8)ゴースト・ほのお: スクリャービン ピアノソナタ第9番「黒ミサ」
スクリャービンといえば炎ですが、ゴーストもかなり得意だと思います。独特のおどろおどろしさ?ではないけど不思議な雰囲気はエスパーでも悪でもなくゴースト。色々そこら周りで似てる曲があるなか、ゴースト的なフレーバーが特に強いと思う「黒ミサ」ソナタをチョイス。このタイプのポケモン、シャンデラの揺れる炎に通じるところたくさん。
9)エスパー・はがね: 武満 「Signals from Heaven」より「Day Signal」
武満の音楽にもエスパータイプっぽい何かを思います。水や飛行や色々組み合わせがある中、この曲のたたずまいはエスパー的な何かも鋼的な何かもあってかなりunusual。直線的に素直に響く金管の音が鋼で、そのハーモニーと間の空間はエスパー、とも。ドータクン、メタグロス、ジラーチとポケモン側も無機質さのある独特な雰囲気を持ったメンバー揃い。
10)じめん・ドラゴン: ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲 第4楽章
これも地面と併せるのはドラゴンか悪か、と悩みましたが「荒ぶる」感じはドラゴンかな。東洋風というよりは西洋風の。とにかく盛り上がってる間の破壊力、エネルギーは凄いですからねこの曲。割り当てながらちょっとイメージしていたのはガブリアスがげきりんを使うところ。オケ曲とは違うピアノ・バイオリン・チェロでの狂気がそういう感じだと思うんです。
11)どく・ひこう: ヴォーン=ウィリアムス 交響曲第8番 第2楽章
ヴォーン=ウィリアムスのメジャーな作品からだと毒のイメージは全く想像できないと思いますが、彼のダークサイド的な曲にはちょこちょこ入ってきます。そういうダークで毒のあるテイストも他の作曲家とはひと味違ってて面白いです。ポケモンは「風」のエレメントがなくて代わりに飛行で表現。どことなく鳥的な動きもあるかも?ただ今ポケモンにいる毒飛行は鳥ではなくてコウモリ(クロバット)なのでちょっとイメージは違いますが。
12)くさ・はがね: ヒンデミット ハープソナタ 第2楽章
そもそもこのお題をやろうと思ったのがこのタイプの組み合わせがきっかけでした。ナットレイのタイプである草鋼の組み合わせを音楽で表したらどうなるんだろう、という。結果ヒンデミットの作品のいくつかに草・鋼という一見矛盾するような性質が同居しているようなイメージにたどり着きました。四度ベースのハーモニーでしっかり枠組みのある音で鋼を連想するながらも、どこか植物が伸びるようなしなやかさや匂い(?)もあったり。結果ナットレイとはだいぶ違う感じになりましたが。
ということでやってみましたが結構面白かったです。もちょっと時間をかければもっとできそう。
あと探している間に単一タイプのやつもいっぱい見つかったんでそれもできるかなー・・・
(全般的には単一タイプの種類数が多いポケモンのタイプ(例:みず)は曲でも単一タイプが多くなるような印象を受けました)
またなにかひらめいたら続きor似たようなことやってみるかもです。
曲のラインアップが既出が多くなってしまいましたからね。そこんとこ改良したいです。
今日の一曲はお休み。
昨日朝起きたら喉が痛かったんで風邪なんだか胃酸逆流なんだかわからなくて最初不便でした。
で、こないだ撮った胸部レントゲンには異常がなかったので(これもまた念のため)CTスキャンを受けに行くのですが、とりあえず風邪が治ってから息苦しさが続いていれば、ということで
CTスキャンは仕事とかでは聞くものの受けるのは初めてなのでどきどきわくわくです。
さて、ポケナガは最後の国、リュウの国を制覇するために準備しているところ。できれば2匹目のイーブイをグレイシアにするまで粘りたい。(グレイシアだけじゃないかな、本家で使ったことないのは)
ランセの伝説は武将が進化しないっぽくて、ポケモンを進化するとベストリンクじゃなくなるのが地味に残念なのですがギャラリーのポケモングラフィックがどれも可愛いのでがんがん進化させます(笑)
そんなこんなで久しぶりのキーワードto音楽のお題はポケモンのタイプの組み合わせにしてみました。単一タイプだとちょっとつまんないかなー(あと17種全部やらなくちゃいけないかなー)と思ったので2つのタイプ複合で。
なるべくその組み合わせのタイプのポケモンを意識せず、タイプの組み合わせ自体を意識した積もりだったんですがやっぱり意識してたかも。
あと「くさ・どく」みたいによくある組み合わせを避けたわけではないですが、どっちかというと少数派の組み合わせになりました。あと曲もタイプも心なしか偏りました。
1)いわ・ひこう: ブラームス 狂詩曲第1番
もう冒頭の右手の下降と左手のアルペジオからしてこれしかない。ブラームスはじめん得意なイメージがありますがこの曲はどっちかというと岩。ダイナミックな感じには飛行が欲しい。岩飛行といえば普通の岩とはちょっと違ってい素早さと破壊力でがんがん攻めるプテラ、アーケオス。(ちなみに同じ狂詩曲でも上昇で始まる、地に足の付いた第2番ならはがね・じめんあたりでしょうか)
2)ほのお・はがね: メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」第18楽章「恐るべき塗油のまなざし」
メシアンの音楽はほのおとかエスパーな要素があると思うのですが、この曲は燃え上がりながらもものすごくがっちりしているところもあり。四度とかトライトーンベースのハーモニーが続き繰り返されるのが鋼を思わせます。炎鋼は今のところヒードランのみ。鋼の耐性・防御の高さ、炎の攻撃性能を合わせもつ、ちょっと変わった&手強いポケモン(使ったことないですが)。
3)あく・ゴースト: クラム アメリカ歌曲集第5集「Voices from a Forgotten World」より第10楽章「Demon Lover (A Ghostly Ballad)」
暗いエレメントを2つ重ねた複合タイプ。弱点がないことでも知られます。恋人だった船乗りが幽霊として現れ、この世ともつかぬ空間で地獄へ手を引かれてしまう、というこの曲にはこのタイプがふさわしい。音楽自体も悪・霊どちらも思わせる暗さがあって、音だけでなくその間の余韻・静寂・空間もその闇を作り出します。この複合タイプで言えばヤミラミよりミカルゲに近いかな。
4)はがね・むし: ラヴェル バイオリンソナタ 第3楽章
鋼も虫もそんなにラヴェルのイメージではないですよね。どっちかというと炎とか水とか飛行とか、はっきりelementalな印象なのですが、この曲ばかりはラヴェルの音楽の機械的なフレーバー(→鋼)と、ちょっとひねったハーモニーに細かく動く音型(→虫)がちょっと異質な感じでこの組み合わせに。虫鋼は数種類キャラの違うポケモンがいるのですが、これだけ速いのはアイアントくらいかな。
5)ゴースト・ひこう: マーラー 交響曲第4番 第2楽章
マーラーの作品って探せば炎から鋼からゴーストからなにから見つかるのですが、その中でもゴースト的フレーバーは独特じゃないですかね。傍にいる死の影、必ずしもわかりやすく恐くはない死の姿。この4番のスケルツォも一見明るい中に死神のバイオリンや不気味さがあって、風に乗ってやってきて踊る、軽やかな死神のイメージがあります。唯一ゴースト飛行のタイプを持つフワライドも見かけは可愛いらしいですがしっかりゴーストです。
6)あく・はがね: プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 第3楽章
がっつり暗く、でもしっかり中身が詰まっててエッジがあって、攻撃もしっかりあるけれど防御・耐性もあり、という注文に応えるにはこのコンビネーションですね。地面もありかな、と思ったのですが防御性能が全く変わってくるのと、あとこの曲の暗い金属的な冷たさも含めてこちらに。今いる悪鋼はキリキザン。ポケナガではかなりお世話になってます。
7)ドラゴン・でんき: ラフマニノフ 練習曲音の絵 op.33 変ホ短調
ラフマニノフだったら(ロシア作曲家全般もそうですが)地面とか氷の方が得意な印象があるのですが、ちょっとひらめいてしまって。前々からこの曲は雨・嵐のイメージと紹介してますが、ぐねぐね蛇行する速いパッセージが蛇というか竜のイメージに思えてしまって。実際このタイプの組み合わせを持ってるゼクロムとはだいぶ違うイメージですが(規模がまず小さい)、こんな電気ドラゴン居てもいいんじゃないかしらん。
8)ゴースト・ほのお: スクリャービン ピアノソナタ第9番「黒ミサ」
スクリャービンといえば炎ですが、ゴーストもかなり得意だと思います。独特のおどろおどろしさ?ではないけど不思議な雰囲気はエスパーでも悪でもなくゴースト。色々そこら周りで似てる曲があるなか、ゴースト的なフレーバーが特に強いと思う「黒ミサ」ソナタをチョイス。このタイプのポケモン、シャンデラの揺れる炎に通じるところたくさん。
9)エスパー・はがね: 武満 「Signals from Heaven」より「Day Signal」
武満の音楽にもエスパータイプっぽい何かを思います。水や飛行や色々組み合わせがある中、この曲のたたずまいはエスパー的な何かも鋼的な何かもあってかなりunusual。直線的に素直に響く金管の音が鋼で、そのハーモニーと間の空間はエスパー、とも。ドータクン、メタグロス、ジラーチとポケモン側も無機質さのある独特な雰囲気を持ったメンバー揃い。
10)じめん・ドラゴン: ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲 第4楽章
これも地面と併せるのはドラゴンか悪か、と悩みましたが「荒ぶる」感じはドラゴンかな。東洋風というよりは西洋風の。とにかく盛り上がってる間の破壊力、エネルギーは凄いですからねこの曲。割り当てながらちょっとイメージしていたのはガブリアスがげきりんを使うところ。オケ曲とは違うピアノ・バイオリン・チェロでの狂気がそういう感じだと思うんです。
11)どく・ひこう: ヴォーン=ウィリアムス 交響曲第8番 第2楽章
ヴォーン=ウィリアムスのメジャーな作品からだと毒のイメージは全く想像できないと思いますが、彼のダークサイド的な曲にはちょこちょこ入ってきます。そういうダークで毒のあるテイストも他の作曲家とはひと味違ってて面白いです。ポケモンは「風」のエレメントがなくて代わりに飛行で表現。どことなく鳥的な動きもあるかも?ただ今ポケモンにいる毒飛行は鳥ではなくてコウモリ(クロバット)なのでちょっとイメージは違いますが。
12)くさ・はがね: ヒンデミット ハープソナタ 第2楽章
そもそもこのお題をやろうと思ったのがこのタイプの組み合わせがきっかけでした。ナットレイのタイプである草鋼の組み合わせを音楽で表したらどうなるんだろう、という。結果ヒンデミットの作品のいくつかに草・鋼という一見矛盾するような性質が同居しているようなイメージにたどり着きました。四度ベースのハーモニーでしっかり枠組みのある音で鋼を連想するながらも、どこか植物が伸びるようなしなやかさや匂い(?)もあったり。結果ナットレイとはだいぶ違う感じになりましたが。
ということでやってみましたが結構面白かったです。もちょっと時間をかければもっとできそう。
あと探している間に単一タイプのやつもいっぱい見つかったんでそれもできるかなー・・・
(全般的には単一タイプの種類数が多いポケモンのタイプ(例:みず)は曲でも単一タイプが多くなるような印象を受けました)
またなにかひらめいたら続きor似たようなことやってみるかもです。
曲のラインアップが既出が多くなってしまいましたからね。そこんとこ改良したいです。
今日の一曲はお休み。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日はちょっくらピアノのレッスンに行ってきました。
これで一応一通りリサイタルのプログラムは全曲先生に聞いてもらったことになります。
「金の魚」を始め懸念がちょっとあるのであと一回レッスンして欲しいところ。
とにかくもちょっと自分に厳しく、もっと腰を入れて練習せねばです。
前「楽器と性格」シリーズでちょっとピアノとピアニストとその性質について書きましたが、それとは関連して、でもちょっと別にピアニストという生き物について考えてました。
音楽家の中でもピアニストは本当に色んなイメージを持たれていて。
スター的な扱いだったり、孤高の存在だったり、どこか魔法使いのようなイメージもあったり。アーティストでありメカニックであり。
その反面ずっと練習室に籠もってる、とか自己中心なところがある、とか音楽性よりも技巧を重視する、それから楽器というより機械、なんて言われることもありますね。
良くも悪くもそういうイメージがあるのは今に限ったことじゃないです。
フランスの作曲家、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」という(白鳥がずばぬけて有名です)曲は色々ジョーク的なエレメントがたくさん入ってるのですが、その中の「ピアニスト」という曲はピアニストという「動物」を皮肉っているというかおちょくっているというか、まあそういう感じなのです。
曲の内容は基本的で単調な音階・指のエクササイズの繰り返し。ピアノパート(2台とも)には奏者に初心者が弾いているように下手を演じて弾くように指示があります。
練習室という檻の中で黙々と技巧を磨く、というピアニストはサン=サーンスの時代にもいっぱいいたんでしょうね。
もちろんピアノで曲を弾いて、自由に表現をするにあたって基礎の技巧ってのは大事ですし(他の楽器と同じく)、特にピアノは演奏するにあたって技巧を披露することが求められるのですが、どうしてもそっちに偏ってると思われがちなのかな。
前回のエントリーでも書いたのですが、私の周りのピアニスト達も大学を離れてから「音を正確に弾いたり技巧を極めたりするよりもっと音楽を楽しんで自由に表現したい」と感じていて。
技巧に関してはどんなに磨いても昔の奏者だったり今の奏者だったり未来の奏者だったり、全然敵いっこない相手が常にいて。それに抗ったり競ったりするのではなく、ピアニストであること以前に音楽家・芸術家として演奏をしたい、という思い。
それはやっぱりここに来るまで受けてきた音楽・ピアノ教育にも原因があったりして。
ピアノを弾き始めたところから大学に至るまで、音楽を「正しく」弾くことに重きをおくような傾向は今のオーストラリアだけで見られる傾向ではなく。他の国でもそうですし、前述サン=サーンスの時代もそうだったと思われ。
ピアノを習う課程で大切なことではあるのですが、ピアノの膨大なレパートリー、多彩な表現の世界を知ること、そしてピアノに限らず色んな音楽やいろんな芸術とそのつながりに触れて、自分の表現したいこと、表現の仕方を考え試していくこともおろそかにしてはいけない。
自分もなんとなーく自分の表現したいこと、というのは分かってるのですがどうやって、というのはまだまだ試行錯誤中で。表現するためにどんなレパートリーを弾くか、レパートリーを広げるためにどこら辺を探せばいいのか、とかあと曲を組み合わせることとか、そういうことはだんだん分かってきてるのですが。アイディアを前に出して勝負したい。
それを形にするための技巧・表現のテクニックという「奏者」としての部分はまだまだ未熟です。特にピアニストのメカニックな側面はもっと出していきたいのに出せてない部分。
ところで先ほどのサン=サーンスの「ピアニスト」ですが、決してピアニストのその技巧重視なところをけなしたり指さして笑ったりするような意図じゃないと思います。
割とこの「動物の謝肉祭」って音楽をある程度知ってる人が分かるような、そしてサン=サーンスの周りの人たちでにやっとするようなネタが入ってて、つまりこの「ピアニスト」というのもピアノを弾いている、または弾いた経験のある人がにやりとするネタなんですよね。
つまりは描写されているピアニストは誰もが通ってきた道であり、自分や友人、生徒たちのちょっと懐かしい姿であり。
そこには愛があるんですよね。ほほえましい目で見てしまうというか。
練習室という檻からでてこようよ、広い世界においでよ、みたいな?同時にこの曲がピアニストに警告している・・・というとちょっと深読みしすぎかな。
ということでピアニストの一側面をちょろっと書き出してみました。
偉いこといえる立場じゃ全然ないんですがね、ちょっと書き出したいと思いまして。
ここに書く話はピアノ関連ちょっと少なめな気もしますがまた別のアングルからピアノ・ピアニストについても書きたいです。
今日の一曲: カミーユ・サン=サーンス 「動物の謝肉祭」より第12曲「化石」
「ピアニスト」の概要は書いちゃったんで自分のお気に入りを。もしかしたら前も紹介したかもしれない。
先ほどサン=サーンスはこの「動物の謝肉祭」にいろんなジョークを仕込んだ、と書きましたがこの曲もかなりそう。
当時ちょっとout-of-fashionというか、流行の波に流されていったメロディーが次から次に出てきます。主に民謡が多いような?(フランスにおける音楽が芸術として、上流階級的な発展しているという含みかな?)
その音楽の「化石」(ってほど古くないですけどね)の中にはサン=サーンス自身の作品も入ってます。曲の一番最初に聞こえるのがそのサン=サーンスの「死の舞踏」です。
フランスは今も流行の街ですが、この曲を聴くと音楽に関しても流行り廃れのペースが速かったのかな、ということがうかがわれますね。
(ちなみにサン=サーンスってクラシック界ではトップクラスの長寿作曲家なんでそういう時とおもに音楽が移り変わるのは人一倍見てきたんだろうなあ)
この曲で活躍するのは木琴。乾いた骨の音です。ものすごく難しいパートとかじゃないんですが、楽しいパートです。
それは他のパートもそうで、立ち替わり入れ替わりちょっとずつ主役になるそのテンポというか、そういうものも含めて楽しい。
「動物の謝肉祭」は「白鳥」ばっかり演奏されて、テレビでたまに「終曲」や「水族館」が使われて、くらいなのですが他の曲も軽く楽しく聴けます。
クラシックを知ってると仕込まれたジョークも分かることもありますが必ずしも必須知識ではありません。
私のバーンスタインの録音だとそういうとこも含めて説明してくれます。ピーターと狼と一緒に収録で子供からずっと楽しめるCDです。
今日はちょっくらピアノのレッスンに行ってきました。
これで一応一通りリサイタルのプログラムは全曲先生に聞いてもらったことになります。
「金の魚」を始め懸念がちょっとあるのであと一回レッスンして欲しいところ。
とにかくもちょっと自分に厳しく、もっと腰を入れて練習せねばです。
前「楽器と性格」シリーズでちょっとピアノとピアニストとその性質について書きましたが、それとは関連して、でもちょっと別にピアニストという生き物について考えてました。
音楽家の中でもピアニストは本当に色んなイメージを持たれていて。
スター的な扱いだったり、孤高の存在だったり、どこか魔法使いのようなイメージもあったり。アーティストでありメカニックであり。
その反面ずっと練習室に籠もってる、とか自己中心なところがある、とか音楽性よりも技巧を重視する、それから楽器というより機械、なんて言われることもありますね。
良くも悪くもそういうイメージがあるのは今に限ったことじゃないです。
フランスの作曲家、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」という(白鳥がずばぬけて有名です)曲は色々ジョーク的なエレメントがたくさん入ってるのですが、その中の「ピアニスト」という曲はピアニストという「動物」を皮肉っているというかおちょくっているというか、まあそういう感じなのです。
曲の内容は基本的で単調な音階・指のエクササイズの繰り返し。ピアノパート(2台とも)には奏者に初心者が弾いているように下手を演じて弾くように指示があります。
練習室という檻の中で黙々と技巧を磨く、というピアニストはサン=サーンスの時代にもいっぱいいたんでしょうね。
もちろんピアノで曲を弾いて、自由に表現をするにあたって基礎の技巧ってのは大事ですし(他の楽器と同じく)、特にピアノは演奏するにあたって技巧を披露することが求められるのですが、どうしてもそっちに偏ってると思われがちなのかな。
前回のエントリーでも書いたのですが、私の周りのピアニスト達も大学を離れてから「音を正確に弾いたり技巧を極めたりするよりもっと音楽を楽しんで自由に表現したい」と感じていて。
技巧に関してはどんなに磨いても昔の奏者だったり今の奏者だったり未来の奏者だったり、全然敵いっこない相手が常にいて。それに抗ったり競ったりするのではなく、ピアニストであること以前に音楽家・芸術家として演奏をしたい、という思い。
それはやっぱりここに来るまで受けてきた音楽・ピアノ教育にも原因があったりして。
ピアノを弾き始めたところから大学に至るまで、音楽を「正しく」弾くことに重きをおくような傾向は今のオーストラリアだけで見られる傾向ではなく。他の国でもそうですし、前述サン=サーンスの時代もそうだったと思われ。
ピアノを習う課程で大切なことではあるのですが、ピアノの膨大なレパートリー、多彩な表現の世界を知ること、そしてピアノに限らず色んな音楽やいろんな芸術とそのつながりに触れて、自分の表現したいこと、表現の仕方を考え試していくこともおろそかにしてはいけない。
自分もなんとなーく自分の表現したいこと、というのは分かってるのですがどうやって、というのはまだまだ試行錯誤中で。表現するためにどんなレパートリーを弾くか、レパートリーを広げるためにどこら辺を探せばいいのか、とかあと曲を組み合わせることとか、そういうことはだんだん分かってきてるのですが。アイディアを前に出して勝負したい。
それを形にするための技巧・表現のテクニックという「奏者」としての部分はまだまだ未熟です。特にピアニストのメカニックな側面はもっと出していきたいのに出せてない部分。
ところで先ほどのサン=サーンスの「ピアニスト」ですが、決してピアニストのその技巧重視なところをけなしたり指さして笑ったりするような意図じゃないと思います。
割とこの「動物の謝肉祭」って音楽をある程度知ってる人が分かるような、そしてサン=サーンスの周りの人たちでにやっとするようなネタが入ってて、つまりこの「ピアニスト」というのもピアノを弾いている、または弾いた経験のある人がにやりとするネタなんですよね。
つまりは描写されているピアニストは誰もが通ってきた道であり、自分や友人、生徒たちのちょっと懐かしい姿であり。
そこには愛があるんですよね。ほほえましい目で見てしまうというか。
練習室という檻からでてこようよ、広い世界においでよ、みたいな?同時にこの曲がピアニストに警告している・・・というとちょっと深読みしすぎかな。
ということでピアニストの一側面をちょろっと書き出してみました。
偉いこといえる立場じゃ全然ないんですがね、ちょっと書き出したいと思いまして。
ここに書く話はピアノ関連ちょっと少なめな気もしますがまた別のアングルからピアノ・ピアニストについても書きたいです。
今日の一曲: カミーユ・サン=サーンス 「動物の謝肉祭」より第12曲「化石」
「ピアニスト」の概要は書いちゃったんで自分のお気に入りを。もしかしたら前も紹介したかもしれない。
先ほどサン=サーンスはこの「動物の謝肉祭」にいろんなジョークを仕込んだ、と書きましたがこの曲もかなりそう。
当時ちょっとout-of-fashionというか、流行の波に流されていったメロディーが次から次に出てきます。主に民謡が多いような?(フランスにおける音楽が芸術として、上流階級的な発展しているという含みかな?)
その音楽の「化石」(ってほど古くないですけどね)の中にはサン=サーンス自身の作品も入ってます。曲の一番最初に聞こえるのがそのサン=サーンスの「死の舞踏」です。
フランスは今も流行の街ですが、この曲を聴くと音楽に関しても流行り廃れのペースが速かったのかな、ということがうかがわれますね。
(ちなみにサン=サーンスってクラシック界ではトップクラスの長寿作曲家なんでそういう時とおもに音楽が移り変わるのは人一倍見てきたんだろうなあ)
この曲で活躍するのは木琴。乾いた骨の音です。ものすごく難しいパートとかじゃないんですが、楽しいパートです。
それは他のパートもそうで、立ち替わり入れ替わりちょっとずつ主役になるそのテンポというか、そういうものも含めて楽しい。
「動物の謝肉祭」は「白鳥」ばっかり演奏されて、テレビでたまに「終曲」や「水族館」が使われて、くらいなのですが他の曲も軽く楽しく聴けます。
クラシックを知ってると仕込まれたジョークも分かることもありますが必ずしも必須知識ではありません。
私のバーンスタインの録音だとそういうとこも含めて説明してくれます。ピーターと狼と一緒に収録で子供からずっと楽しめるCDです。
前回のエントリーに拍手ありがとうございました~
低調のため休んでいたら次のコンサートの感想になってしまいました。
今回行ってきたのは大学時代の友達のリサイタル@Melbourne Recital Centre(Salon)。
彼はイギリスを拠点にして演奏したりしてるのですが年一くらいのペースでこっちに戻ってきてるみたいで、戻ってきてるときはコンサートを開いたりもしています。
ピアニストとしての彼の話はちょっと後で。今回のプログラムはこんな感じでした。
<Tristan Lee Piano Recital>
ピアノ:Tristan Lee
ワーグナー/リスト 「リエンツィ」の主題による小幻想曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第15番 「田園風」
ワーグナー/リスト 「トリスタンとイゾルデ」より「イゾルデの愛の死」
(休憩)
ブラームス ピアノソナタ第3番
見ての通りドイツ音楽尽くしのプログラム。かなりヘヴィーでした!ただそれがよかった!
今回演奏した彼はオージー基準でも背が高く、というか身体が大きくて手も大きく、在学中からパワフルな演奏が特徴的でした。卒業してからは繊細な方向の表現もぐーんと広がって、それも存分に楽しめたプログラムでした。
前半だと聞いてて安心するベートーヴェンもよかったのですがなんといっても「愛の死」が素晴らしかったです。元のオケ版は聴いたことありますが、ピアノで聴くのは始めて。むしろピアノの方がいいような所も。
とにかく美しくて(エンディング!)、そしてワーグナー独特の音楽と時の流れがものすごく自然に感じられて、これぞ音楽の神髄!みたいに思う音楽で。ふと独り占めしたくなる演奏でした。
私はブラームスの音楽が大好きだということは何回かここでも書いてますが、ブラームスの3つのピアノソナタは全く未履修で(でかくて弾けない、というのも一つの理由ですが)。
今回演奏された第3番が最後のピアノソナタなのですが作品番号はop.5 、20歳のときの作品です。つまりこのブログで言及があったどの作品よりずっと早い時期の作品。交響曲第1番を書き始めるより前。
そんな背景を知るとなかなか面白い曲です。ベートーヴェンの初期の作品にちょっと似た、挑戦的なハーモニーの変化とか音楽の展開だったり、照れないストレートな表現だったり。それとともにピアノという楽器には収まりきらない巨大な、後に交響曲というジャンルで開花したような表現が見られたり。
ほんっと難しい曲なんですが、素晴らしい演奏でしたし、曲に対するものすごい愛を感じました。特に第2楽章。
先ほども彼の体格について書きましたが彼と私とは体格も演奏のスタイルも得意とするレパートリーも対照的な、かなりタイプの違うピアニストで。でも在学中から彼も私の演奏を高く評価してくれて、私も彼の演奏を高く評価していて。
だから特に今回のリサイタルでは自分にはとうてい真似できない、敵わないとこがいっぱいあったのですが、だからといって嫉妬したり真似しようとしたりとかはないんですよね。
自分がピアノを弾いてて支えになる、そして学ぶところが多いのは偉大な奏者よりも身近なライバル・同志が大きいんだと改めて思いました。
私が思うところの彼の演奏全般での長所というのはぎっしりパワーに満ちて、どっしりした、そしてゆるぎない安定感だと思います。私の演奏には欠けているエレメント。
ただその裏返しとして、安定な故にどこか音楽がstaticになってしまうというか、不平衡力による動力、momentumの流れが欠けているという印象もあります(愛の死ではそうでもなかったのですが)。
そんな演奏から学ぶことももちろん多いですが、コンサート後で飲みながら話して学ぶことも多く。
ピアノを弾くにあたってどれだけ音を正確に弾くかではなく、自由な音楽表現を追求したい、という話になるのは今回に限ったことではなく。大学を離れてから複数のピアニスト友達が語っていることなんですよね。大学の教育にも原因があるっぽいんですが。
そこら辺、あと自分が思うことについては次回ちょっとエントリーを割いて書ければなあ、と思ってます。
それから今回のリサイタルで知り合った友達の友達でダンスの歴史を研究している人に会ったのですが、その人はバレエ・リュス辺りが専門だそうでびっくり(今のリサーチトピックは別みたいですが)。
バレエ・リュスについて、そして今それを研究することについてたくさん興味深い話がきけました。そして彼女の話によるとバレエ業界が19世紀に逆戻りしていて、レパートリーや振り付けのスタイルなどあらゆる方向でそういう傾向だそうです。バレエ・リュスで切り開いたものが元に戻って、そしてバレエ・リュスの素晴らしい作品が演じられない、と彼女も懸念していました。
バレエ・リュスも好きですが、そういう懸念も私のクラシック音楽(現代音楽)についての思いと似てい共感しました。
そのほかにも色んな人と初めて・久しぶりに出会って、音楽のマニアックな話から革製パンツの話まで色んな話をしました。結果タクシーで家に帰るくらい遅く居てしまいましたがたまには良いですよね。
バレエ・リュスの話が出ましたがもうちょっとしたらメル響のストラヴィンスキー祭り。是非春の祭典に行きたいのでチケット予約せねば。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ピアノソナタ第3番 第2楽章
聴いただけじゃ意外とキャッチできなかった部分も多いので(弾くことは全く考えてないのですが)今度スコアをさらわなきゃ。
このピアノソナタ第3番は全部で5楽章編成、なんと演奏時間40分。ジャンル・作曲家は違えど同じ5楽章編成の、前回紹介したマーラー5番みたいに一つ一つの楽章のキャラが立ってる作品です。(それだけでなくてマーラーの音楽に通じるところ、言葉で説明できないレベルであるんですよねー)
その中でもスローで長い、ロマンチックな第2楽章が今回の演奏で一番印象に残りました。
ブラームスの後期の作品に通じる暖かい人間的な音楽なのですが、あふれるようなロマンチシズム、想像の自由さなど若々しいところも多々あり。
ちょっと青臭いながらも内気さなどもあって、それもまた暖かい目で見てしまう。
面白いなーと思ったのはエンディングでなかなか終わってくれないこと。ブラームスの音楽ってちょくちょくそういうことがあるのですが、この曲でのエンディングは恋人同士の電話で自分から切れなくて延々と話しちゃうあれに通じるようなところがあると思います。私だけでしょうか。
若さとか感情とか、ロマンとか、人の心とか、そういったものひっくるめて素晴らしいなあ、愛しいなあと思わせる曲です。
若いころを振り返って素直な心で聴きたいですね。
リンクしたのはジュリアス・カッチェンのブラームスピアノ曲全集。20代から60代まで、ブラームスの人間と音楽を味わえるCD6枚組。いいなあ欲しいなあ。
低調のため休んでいたら次のコンサートの感想になってしまいました。
今回行ってきたのは大学時代の友達のリサイタル@Melbourne Recital Centre(Salon)。
彼はイギリスを拠点にして演奏したりしてるのですが年一くらいのペースでこっちに戻ってきてるみたいで、戻ってきてるときはコンサートを開いたりもしています。
ピアニストとしての彼の話はちょっと後で。今回のプログラムはこんな感じでした。
<Tristan Lee Piano Recital>
ピアノ:Tristan Lee
ワーグナー/リスト 「リエンツィ」の主題による小幻想曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第15番 「田園風」
ワーグナー/リスト 「トリスタンとイゾルデ」より「イゾルデの愛の死」
(休憩)
ブラームス ピアノソナタ第3番
見ての通りドイツ音楽尽くしのプログラム。かなりヘヴィーでした!ただそれがよかった!
今回演奏した彼はオージー基準でも背が高く、というか身体が大きくて手も大きく、在学中からパワフルな演奏が特徴的でした。卒業してからは繊細な方向の表現もぐーんと広がって、それも存分に楽しめたプログラムでした。
前半だと聞いてて安心するベートーヴェンもよかったのですがなんといっても「愛の死」が素晴らしかったです。元のオケ版は聴いたことありますが、ピアノで聴くのは始めて。むしろピアノの方がいいような所も。
とにかく美しくて(エンディング!)、そしてワーグナー独特の音楽と時の流れがものすごく自然に感じられて、これぞ音楽の神髄!みたいに思う音楽で。ふと独り占めしたくなる演奏でした。
私はブラームスの音楽が大好きだということは何回かここでも書いてますが、ブラームスの3つのピアノソナタは全く未履修で(でかくて弾けない、というのも一つの理由ですが)。
今回演奏された第3番が最後のピアノソナタなのですが作品番号はop.5 、20歳のときの作品です。つまりこのブログで言及があったどの作品よりずっと早い時期の作品。交響曲第1番を書き始めるより前。
そんな背景を知るとなかなか面白い曲です。ベートーヴェンの初期の作品にちょっと似た、挑戦的なハーモニーの変化とか音楽の展開だったり、照れないストレートな表現だったり。それとともにピアノという楽器には収まりきらない巨大な、後に交響曲というジャンルで開花したような表現が見られたり。
ほんっと難しい曲なんですが、素晴らしい演奏でしたし、曲に対するものすごい愛を感じました。特に第2楽章。
先ほども彼の体格について書きましたが彼と私とは体格も演奏のスタイルも得意とするレパートリーも対照的な、かなりタイプの違うピアニストで。でも在学中から彼も私の演奏を高く評価してくれて、私も彼の演奏を高く評価していて。
だから特に今回のリサイタルでは自分にはとうてい真似できない、敵わないとこがいっぱいあったのですが、だからといって嫉妬したり真似しようとしたりとかはないんですよね。
自分がピアノを弾いてて支えになる、そして学ぶところが多いのは偉大な奏者よりも身近なライバル・同志が大きいんだと改めて思いました。
私が思うところの彼の演奏全般での長所というのはぎっしりパワーに満ちて、どっしりした、そしてゆるぎない安定感だと思います。私の演奏には欠けているエレメント。
ただその裏返しとして、安定な故にどこか音楽がstaticになってしまうというか、不平衡力による動力、momentumの流れが欠けているという印象もあります(愛の死ではそうでもなかったのですが)。
そんな演奏から学ぶことももちろん多いですが、コンサート後で飲みながら話して学ぶことも多く。
ピアノを弾くにあたってどれだけ音を正確に弾くかではなく、自由な音楽表現を追求したい、という話になるのは今回に限ったことではなく。大学を離れてから複数のピアニスト友達が語っていることなんですよね。大学の教育にも原因があるっぽいんですが。
そこら辺、あと自分が思うことについては次回ちょっとエントリーを割いて書ければなあ、と思ってます。
それから今回のリサイタルで知り合った友達の友達でダンスの歴史を研究している人に会ったのですが、その人はバレエ・リュス辺りが専門だそうでびっくり(今のリサーチトピックは別みたいですが)。
バレエ・リュスについて、そして今それを研究することについてたくさん興味深い話がきけました。そして彼女の話によるとバレエ業界が19世紀に逆戻りしていて、レパートリーや振り付けのスタイルなどあらゆる方向でそういう傾向だそうです。バレエ・リュスで切り開いたものが元に戻って、そしてバレエ・リュスの素晴らしい作品が演じられない、と彼女も懸念していました。
バレエ・リュスも好きですが、そういう懸念も私のクラシック音楽(現代音楽)についての思いと似てい共感しました。
そのほかにも色んな人と初めて・久しぶりに出会って、音楽のマニアックな話から革製パンツの話まで色んな話をしました。結果タクシーで家に帰るくらい遅く居てしまいましたがたまには良いですよね。
バレエ・リュスの話が出ましたがもうちょっとしたらメル響のストラヴィンスキー祭り。是非春の祭典に行きたいのでチケット予約せねば。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ピアノソナタ第3番 第2楽章
聴いただけじゃ意外とキャッチできなかった部分も多いので(弾くことは全く考えてないのですが)今度スコアをさらわなきゃ。
このピアノソナタ第3番は全部で5楽章編成、なんと演奏時間40分。ジャンル・作曲家は違えど同じ5楽章編成の、前回紹介したマーラー5番みたいに一つ一つの楽章のキャラが立ってる作品です。(それだけでなくてマーラーの音楽に通じるところ、言葉で説明できないレベルであるんですよねー)
その中でもスローで長い、ロマンチックな第2楽章が今回の演奏で一番印象に残りました。
ブラームスの後期の作品に通じる暖かい人間的な音楽なのですが、あふれるようなロマンチシズム、想像の自由さなど若々しいところも多々あり。
ちょっと青臭いながらも内気さなどもあって、それもまた暖かい目で見てしまう。
面白いなーと思ったのはエンディングでなかなか終わってくれないこと。ブラームスの音楽ってちょくちょくそういうことがあるのですが、この曲でのエンディングは恋人同士の電話で自分から切れなくて延々と話しちゃうあれに通じるようなところがあると思います。私だけでしょうか。
若さとか感情とか、ロマンとか、人の心とか、そういったものひっくるめて素晴らしいなあ、愛しいなあと思わせる曲です。
若いころを振り返って素直な心で聴きたいですね。
リンクしたのはジュリアス・カッチェンのブラームスピアノ曲全集。20代から60代まで、ブラームスの人間と音楽を味わえるCD6枚組。いいなあ欲しいなあ。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
ソウルシルバーすっかり止まっています(汗)今日辺り進めようかな。
昨日はメル響のコンサートに行ってきました。
マーラーの交響曲は一年に一度は生で聴きたいと思ってるのでこれははずせない!
しかもBrett Deanの新曲(オーストラリア初演)もある、ということでこれも楽しみでした。
プログラムは以下の通り:
指揮者:Simone Young
Brett Dean バリトン、合唱とオーケストラのための「Last Days of Socrates」(仮邦題:ソクラテスの最後の日々)
(Peter Coleman-Wright:バリトン、Timothy Reynolds:テノール、Melbourne Symphony Orchestra Chorus)
グスタフ・マーラー 交響曲第5番
「ソクラテスの最後の日々」、素晴らしかったです。
題の通りソクラテスの裁判から死までを描いた作品で、テキストはGraeme William Ellisの英語のリブレットを使っています。
前半がっつり使う大規模作品。女神アテナへの呼びかけ、ソクラテスの裁判、そして牢での処刑と3つのシーンに分かれています。ソクラテスはバリトン、処刑者としてテノールソロがちょろっと出てきて、あとは個々のキャラクターも集団も合唱が担当する、というちょっと変わった構成。
一人のキャラクターを合唱で表す、というのはなかなかないですよねえ。
ということで題材は(音楽より他の意味で)古典のなかの古典ですが、音楽はBrett Deanの現代的で複雑なスタイルそのまま。
裁判で人々が荒ぶる様子を表す不規則で熱狂的なリズムにはオーストラリア(となぜかダンスミュージック)を感じました。あれはすごかった。
ものすごく抽象的、と思いきや白鳥の歌の話が出てくるところでオーボエのソロがあったり(オーボエは裏声で吹くことも多かったです)、鳥の声を真似たピッコロソロがあったり。
一番そういう意味で凄かったのは採決をとるシーン。熱狂の中でコイン(有罪・無罪の票として使われた)が器に投げ入れられ、食い気味で人々のテンションがmaxになるのは正直恐ろしいほどでした。
正に「狂」の音楽。Frenzy, Craze, Madness。
それから判決から処刑までの間のチェロソロがかっこよかった。ソクラテスは前からチェロのイメージがあるのでそういう意味でも嬉しい。
あとビオラの超絶技巧な(でもちょっと目立たない)ソロもあったし、それにソクラテスが毒杯を飲むシーンで完全な静寂の中にコントラバスクラリネットのソロ!音に苦さと重さがあって最高のキャスティングでしたね。先ほどのコインのシーンと同じくらいえぐさのある描写でした。
そしてマーラー5番。弾いた経験もあり何回も聴いていてよく知った曲ですが新しい発見もちょこちょこあって、それに生で通してじっくり聴くのは素晴らしいです。改めてこの曲への愛を確認しました(笑)
演奏はというと第1楽章、第4楽章あたりは普通に良くて、あんまり特別に思ったとこはなかったかなあ・・・第3楽章、第5楽章はちょっと不思議な(あんまり聴かない)テンポの変化が多くてちょっとオケがずれるところも。
ただ第2楽章は今回よかったです。嵐の様な楽章がうまいこと勢いに乗って、それから音がとにかく濃かった。特に弦。
その反面金管はちょっとパワーが足りかったような、というかいつものぴたっと合ってぱっと音が輝くような気持ちよさはなかったかな。トランペットはかっこよかったですが。
そうそう、以前お仕事ご一緒したシンバル奏者の方がクラッシュシンバルでトリル(トレモロ?)をやっててびっくりしました。あれは職人技ですね。
Brett Deanでもマーラーでも打楽器セクションは大活躍でした。
今回のプログラムではスタンダード且つ偉大なマーラーの交響曲と、今生きて活躍している作曲家の新しい曲の組み合わせでした。同じように去年のアデス「Polaris」にマーラー3番の組み合わせ、そして手元にあるNYフィルのアデス「Polaris」にマーラー9番の組み合わせとか、そういうプログラム組みはうまくいってるようで。
つまりは今の時代にスタイルこそ違えどマーラーの交響曲と並べても遜色のない作品が生まれている、演奏されているというのは本当に凄いことだと思います。(弾く方は大変そうですが)
ただ現代音楽を生で初演として聴くのは貴重な経験ですが、一つ悩みがあります。
こういう音楽ってコンサートで聴いて「すごい!好き!もっと聴き込みたい!」と思ってもまだ録音が出てない場合がしばしばあるんですよね。
今回のソクラテスもそういうケース。現代音楽の複雑さを考えるとやっぱり1回聴いただけでは勿体ないだけじゃなくて足りないので。
(ただ Brett Deanの音楽に関しては録音よりも生でがっつり集中して、楽器が演奏しているのを見ながら聴くのが一番と思います)。
とにかくマーラー5番をまた聴けて、そしてソクラテスに出会えて良かったです。新しい音楽、聴いたことのない音楽に出会うのがとにかく楽しい!
今週は友達のリサイタルがありますが8月13日のメル響ストラヴィンスキー祭りでの春の祭典は聴きに行きたいです。チケット予約せな。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第2楽章
マーラーの交響曲の中で、楽章単位でダントツ知名度が高いのは第5番の第4楽章ですが、マーラー5番は交響曲としてもバランスが取れた、ちょうどいいスケールの交響曲で、各楽章違った魅力があって良い曲だと思います。CDとして持ってて損はないクラシック。
そんな中で私が好きなのは第1楽章と第2楽章。暗いやつです。
チェロで弾いてて特に楽しかったのもこの2つ。結構チェロのパートが粋で良いのです。
第2楽章は嵐のような楽章。それもかなり描写的。風だったり雨だったり、雲が立ちこめたまま何も動かない不穏さ、そして最後に晴れて雨露がきらめく(これがすごいです!)のとかとにかく風景・様子がはっきり見えやすい音楽です。
勇ましいホルンをを始め金管のパートも格好いいですが、この楽章を支えているのが弦楽器だとも思います。うねるような音型を弾いたり、そのパワーは昨日の演奏で改めて思い知りました。
かなり複雑に書かれているので一番最初に耳に入ってくる音以外もものすごく作り込んであって、ちょっと耳のフォーカスを変えてみると面白いパートが聞こえてきます。そういう手加減なしの作り込みもマーラーの音楽の魅力。
生で聴くときはオケの様々な楽器を見ながらフォーカスを移してみてください。打楽器とかも結構格好いいことしてますよ。
チェロでのこの楽章の思い出といえば前述雲が立ちこめたまま何も動かない不穏な箇所。
チェロセクション全員で、ものすごく抑えた音で(音量も感情も)、低い弦だけ使ってそのstillnessを表現します。腕の長さと弓の長さと音が出る最低限の弓の動きの折り合いが難しくて腕が痛くなるのですが、なかなかこういう効果ってなくて特別な箇所だったりします。
さらに第5楽章で出てくる輝かしくて勝利的な音楽がちょろっと一時的に出てくる箇所は素晴らしい!マーラーは闇の深さをよく知っているから光の描写がああもまばゆく、焦がれる感じになるんだと思う良い例です。さらに言えば光が弱くなってくところの描写の切なさ最高。
まるで一続きの映像(ドキュメンタリー的な)を見ているようなこの楽章。長さをあんまり感じさせなく聴けます。
5番はそれぞれの楽章に魅力があって、個別で聴いても素晴らしいですが、是非!交響曲全体を一続きに聴いてみて下さい。できたら生で。マーラーの音楽をあんまり聴いたことがない人にも自信を持ってすすめたい曲です。
マーラーの演奏でどこのオケ、誰の指揮がいいかというのはなかなか自信ないのですが手元のベルリンフィル演奏、ハイティンク指揮は割とオーソドックスで聞きやすい演奏だと思うのでリンク。このCDだと4番とセットになってますね。
ソウルシルバーすっかり止まっています(汗)今日辺り進めようかな。
昨日はメル響のコンサートに行ってきました。
マーラーの交響曲は一年に一度は生で聴きたいと思ってるのでこれははずせない!
しかもBrett Deanの新曲(オーストラリア初演)もある、ということでこれも楽しみでした。
プログラムは以下の通り:
指揮者:Simone Young
Brett Dean バリトン、合唱とオーケストラのための「Last Days of Socrates」(仮邦題:ソクラテスの最後の日々)
(Peter Coleman-Wright:バリトン、Timothy Reynolds:テノール、Melbourne Symphony Orchestra Chorus)
グスタフ・マーラー 交響曲第5番
「ソクラテスの最後の日々」、素晴らしかったです。
題の通りソクラテスの裁判から死までを描いた作品で、テキストはGraeme William Ellisの英語のリブレットを使っています。
前半がっつり使う大規模作品。女神アテナへの呼びかけ、ソクラテスの裁判、そして牢での処刑と3つのシーンに分かれています。ソクラテスはバリトン、処刑者としてテノールソロがちょろっと出てきて、あとは個々のキャラクターも集団も合唱が担当する、というちょっと変わった構成。
一人のキャラクターを合唱で表す、というのはなかなかないですよねえ。
ということで題材は(音楽より他の意味で)古典のなかの古典ですが、音楽はBrett Deanの現代的で複雑なスタイルそのまま。
裁判で人々が荒ぶる様子を表す不規則で熱狂的なリズムにはオーストラリア(となぜかダンスミュージック)を感じました。あれはすごかった。
ものすごく抽象的、と思いきや白鳥の歌の話が出てくるところでオーボエのソロがあったり(オーボエは裏声で吹くことも多かったです)、鳥の声を真似たピッコロソロがあったり。
一番そういう意味で凄かったのは採決をとるシーン。熱狂の中でコイン(有罪・無罪の票として使われた)が器に投げ入れられ、食い気味で人々のテンションがmaxになるのは正直恐ろしいほどでした。
正に「狂」の音楽。Frenzy, Craze, Madness。
それから判決から処刑までの間のチェロソロがかっこよかった。ソクラテスは前からチェロのイメージがあるのでそういう意味でも嬉しい。
あとビオラの超絶技巧な(でもちょっと目立たない)ソロもあったし、それにソクラテスが毒杯を飲むシーンで完全な静寂の中にコントラバスクラリネットのソロ!音に苦さと重さがあって最高のキャスティングでしたね。先ほどのコインのシーンと同じくらいえぐさのある描写でした。
そしてマーラー5番。弾いた経験もあり何回も聴いていてよく知った曲ですが新しい発見もちょこちょこあって、それに生で通してじっくり聴くのは素晴らしいです。改めてこの曲への愛を確認しました(笑)
演奏はというと第1楽章、第4楽章あたりは普通に良くて、あんまり特別に思ったとこはなかったかなあ・・・第3楽章、第5楽章はちょっと不思議な(あんまり聴かない)テンポの変化が多くてちょっとオケがずれるところも。
ただ第2楽章は今回よかったです。嵐の様な楽章がうまいこと勢いに乗って、それから音がとにかく濃かった。特に弦。
その反面金管はちょっとパワーが足りかったような、というかいつものぴたっと合ってぱっと音が輝くような気持ちよさはなかったかな。トランペットはかっこよかったですが。
そうそう、以前お仕事ご一緒したシンバル奏者の方がクラッシュシンバルでトリル(トレモロ?)をやっててびっくりしました。あれは職人技ですね。
Brett Deanでもマーラーでも打楽器セクションは大活躍でした。
今回のプログラムではスタンダード且つ偉大なマーラーの交響曲と、今生きて活躍している作曲家の新しい曲の組み合わせでした。同じように去年のアデス「Polaris」にマーラー3番の組み合わせ、そして手元にあるNYフィルのアデス「Polaris」にマーラー9番の組み合わせとか、そういうプログラム組みはうまくいってるようで。
つまりは今の時代にスタイルこそ違えどマーラーの交響曲と並べても遜色のない作品が生まれている、演奏されているというのは本当に凄いことだと思います。(弾く方は大変そうですが)
ただ現代音楽を生で初演として聴くのは貴重な経験ですが、一つ悩みがあります。
こういう音楽ってコンサートで聴いて「すごい!好き!もっと聴き込みたい!」と思ってもまだ録音が出てない場合がしばしばあるんですよね。
今回のソクラテスもそういうケース。現代音楽の複雑さを考えるとやっぱり1回聴いただけでは勿体ないだけじゃなくて足りないので。
(ただ Brett Deanの音楽に関しては録音よりも生でがっつり集中して、楽器が演奏しているのを見ながら聴くのが一番と思います)。
とにかくマーラー5番をまた聴けて、そしてソクラテスに出会えて良かったです。新しい音楽、聴いたことのない音楽に出会うのがとにかく楽しい!
今週は友達のリサイタルがありますが8月13日のメル響ストラヴィンスキー祭りでの春の祭典は聴きに行きたいです。チケット予約せな。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第2楽章
マーラーの交響曲の中で、楽章単位でダントツ知名度が高いのは第5番の第4楽章ですが、マーラー5番は交響曲としてもバランスが取れた、ちょうどいいスケールの交響曲で、各楽章違った魅力があって良い曲だと思います。CDとして持ってて損はないクラシック。
そんな中で私が好きなのは第1楽章と第2楽章。暗いやつです。
チェロで弾いてて特に楽しかったのもこの2つ。結構チェロのパートが粋で良いのです。
第2楽章は嵐のような楽章。それもかなり描写的。風だったり雨だったり、雲が立ちこめたまま何も動かない不穏さ、そして最後に晴れて雨露がきらめく(これがすごいです!)のとかとにかく風景・様子がはっきり見えやすい音楽です。
勇ましいホルンをを始め金管のパートも格好いいですが、この楽章を支えているのが弦楽器だとも思います。うねるような音型を弾いたり、そのパワーは昨日の演奏で改めて思い知りました。
かなり複雑に書かれているので一番最初に耳に入ってくる音以外もものすごく作り込んであって、ちょっと耳のフォーカスを変えてみると面白いパートが聞こえてきます。そういう手加減なしの作り込みもマーラーの音楽の魅力。
生で聴くときはオケの様々な楽器を見ながらフォーカスを移してみてください。打楽器とかも結構格好いいことしてますよ。
チェロでのこの楽章の思い出といえば前述雲が立ちこめたまま何も動かない不穏な箇所。
チェロセクション全員で、ものすごく抑えた音で(音量も感情も)、低い弦だけ使ってそのstillnessを表現します。腕の長さと弓の長さと音が出る最低限の弓の動きの折り合いが難しくて腕が痛くなるのですが、なかなかこういう効果ってなくて特別な箇所だったりします。
さらに第5楽章で出てくる輝かしくて勝利的な音楽がちょろっと一時的に出てくる箇所は素晴らしい!マーラーは闇の深さをよく知っているから光の描写がああもまばゆく、焦がれる感じになるんだと思う良い例です。さらに言えば光が弱くなってくところの描写の切なさ最高。
まるで一続きの映像(ドキュメンタリー的な)を見ているようなこの楽章。長さをあんまり感じさせなく聴けます。
5番はそれぞれの楽章に魅力があって、個別で聴いても素晴らしいですが、是非!交響曲全体を一続きに聴いてみて下さい。できたら生で。マーラーの音楽をあんまり聴いたことがない人にも自信を持ってすすめたい曲です。
マーラーの演奏でどこのオケ、誰の指揮がいいかというのはなかなか自信ないのですが手元のベルリンフィル演奏、ハイティンク指揮は割とオーソドックスで聞きやすい演奏だと思うのでリンク。このCDだと4番とセットになってますね。