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前回から間が開きましたが前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
最近ちょっと不調、というか色んな方向に色んなことが入ってきて良い方にも悪い方にもごろごろ転がっていました。
一つ一つはここで文に起こすのも難しいんで割愛です。
そんな中昨日フォロー先さんとお話していてアイディアが湧いたので今日はまたトピックでくくって曲をいくつか紹介しようと思います。
今日のくくりは「虫にまつわる曲」。昆虫に限りませんが結局ほぼ昆虫になりました。
まず、タイトルも中身も虫をモチーフにしている曲。
一番有名なのはリムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」ですかね。元はオケ曲ですがラフマニノフのピアノ編曲を始めようつべで見つかるだけでもこれだけの楽器のために編曲されています。
狭い音域で速く動く音型が熊蜂のうなるような羽音を表しています。
そして昆虫の中でも美しいというイメージが強い蝶をモチーフにした音楽もいくつかあります。
大抵曲の題がフランス語で「Papillons」なんですよね。ピアノ曲だとシューマンのPapillons、そして同じくシューマンの「謝肉祭」のPapillons、そしてグリークの「叙情小曲集」の「蝶々」(子供が弾くことも多いです)。
あとフォーレがチェロとピアノのための小品「Papillons」を書いてますね。
(ちなみにショパンの練習曲で「蝶々」と呼ばれるop.25-9については題名はあとからつけられたものだそうです)
上記フランス語の「Papillon」もそうなのですが、結構多くの言語で「蝶」と「蛾」には同じ言葉を使うそうで。つまり上記の曲を蝶でなくて蛾の曲と解釈しても(無類の蛾好きとしては)なんら問題はないはずなのですが、実は蝶でなくて蛾をはっきりモチーフにしている曲もあるんです。
それがラヴェルのピアノ曲「鏡」の最初の楽章、「蛾」(Noctuelles)。調をはっきりせず暗闇にきらきら光るような、ゆらめくような色彩が大変魅力的な曲で、夜を飛ぶ蛾のイメージにぴったりです。
あと以前から何回か紹介しているクラムのアメリカ歌曲集第5巻に収録されている「Firefly Song」もものすごく好きな曲です。元の詩がアメリカの先住民(オジブワ族)の歌なのですが、歌詞を見てもクラムの音楽的表現を聞いてもどうもFirefly=蛍、ではなく光・火の周りを飛ぶ蛾の話にしか聞こえないんですよね。
そしてこれもちょっとマイナーですがブリテンがオーボエとピアノのために「2つの昆虫の小品」という作品を書いてるんですよ。ここでモチーフになっているのはバッタとスズメバチという身近な昆虫たちです。オーボエで昆虫、というのもちょっと変わったアイディアですが(オーボエ=鳥類が多いですからね)、ピアノと合わせた独特な表現がブリテンらしくて面白かったり。
ちょっとクラムに戻りますがクラムがよく歌曲にその詩を使っているスペインの詩人、ロルカの作品ではちょくちょく虫が登場するため、クラムの音楽にも結果的に虫が登場することになるんですよね。
例をあげると「古の子供たちの声」の最初の楽章にこおろぎ、スペイン歌曲集「アルハンブラの幽霊達」の「6本の弦」にタランチュラ、など。
クラム以外だとラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」の「絞首台」(元の詩はルイ・ベルトラン)に蝿と甲虫が出てきますね。
あと特定の虫でなく日本の秋でもよくある複数の虫の声が聞こえる、というのを使った作品もあります。
バルトークの「戸外にて」の「夜の音」が筆頭ですね。カエルの声と虫の声。バルトークはこういった虫の声が聞こえるsoundscapeを作品に多用しています。
そしてそれを受け継いだクラム、そしてオーストラリアではロス・エドワーズもそういった夜に聞こえる虫の声を音楽に取り入れてsoundscapeを作っています。
はっきりと書いているわけではないですが、クラムだと「夏の夜の音楽」(最初の楽章特に)、アメリカ歌曲集第2巻の最終楽章「Sometimes I feel like a motherless child」、さらに「Black Angelsでは」もっと超現実的な虫の声が聴けます。
(こういうところも含めてクラムが大好きなんですよ)
あとこれもはっきりと書いてるのをみたことがないんですが、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」の第2楽章(Cappriccio notturno e Arioso)は初めて聴いたときから蛾を描写していると信じているんですが、これは蛾好きのバイアスがかかってるからですかね?
他にも探したらあると思うんですよね、特に20世紀音楽で。
作曲家の出身地域、というのも関係するのかな、と思いますが明確なパターン・偏りは未だに見いだせず。あと日本の現代クラシック音楽作品はどうなんでしょうね。日本は文化的に虫やその声と関わりが深いですし。
ということで今日の一曲はお休みです。こないだ借りたCD'sからブリテンを一曲次回紹介したいですね。
そして虫といえばただいまポケモンブラックで念願の炎蛾ウルガモスさんを捕まえているところです。諸事情あって昨日から何回も捕まえ直ししております。そういった粘りを発揮するのは今回っきり・・・のはず。
(そういえばほのおポケモンでいえば手元にはシャンデラさん、これからウルガモスさんを捕獲、となるとこないだエンディングの流れで捕まえた伝説のほのお・ドラゴンポケモンレシラムさんは捕まえっぱなしで使わない可能性がさらにアップ、と・・・すまないレシラムさん。)
最近ちょっと不調、というか色んな方向に色んなことが入ってきて良い方にも悪い方にもごろごろ転がっていました。
一つ一つはここで文に起こすのも難しいんで割愛です。
そんな中昨日フォロー先さんとお話していてアイディアが湧いたので今日はまたトピックでくくって曲をいくつか紹介しようと思います。
今日のくくりは「虫にまつわる曲」。昆虫に限りませんが結局ほぼ昆虫になりました。
まず、タイトルも中身も虫をモチーフにしている曲。
一番有名なのはリムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」ですかね。元はオケ曲ですがラフマニノフのピアノ編曲を始めようつべで見つかるだけでもこれだけの楽器のために編曲されています。
狭い音域で速く動く音型が熊蜂のうなるような羽音を表しています。
そして昆虫の中でも美しいというイメージが強い蝶をモチーフにした音楽もいくつかあります。
大抵曲の題がフランス語で「Papillons」なんですよね。ピアノ曲だとシューマンのPapillons、そして同じくシューマンの「謝肉祭」のPapillons、そしてグリークの「叙情小曲集」の「蝶々」(子供が弾くことも多いです)。
あとフォーレがチェロとピアノのための小品「Papillons」を書いてますね。
(ちなみにショパンの練習曲で「蝶々」と呼ばれるop.25-9については題名はあとからつけられたものだそうです)
上記フランス語の「Papillon」もそうなのですが、結構多くの言語で「蝶」と「蛾」には同じ言葉を使うそうで。つまり上記の曲を蝶でなくて蛾の曲と解釈しても(無類の蛾好きとしては)なんら問題はないはずなのですが、実は蝶でなくて蛾をはっきりモチーフにしている曲もあるんです。
それがラヴェルのピアノ曲「鏡」の最初の楽章、「蛾」(Noctuelles)。調をはっきりせず暗闇にきらきら光るような、ゆらめくような色彩が大変魅力的な曲で、夜を飛ぶ蛾のイメージにぴったりです。
あと以前から何回か紹介しているクラムのアメリカ歌曲集第5巻に収録されている「Firefly Song」もものすごく好きな曲です。元の詩がアメリカの先住民(オジブワ族)の歌なのですが、歌詞を見てもクラムの音楽的表現を聞いてもどうもFirefly=蛍、ではなく光・火の周りを飛ぶ蛾の話にしか聞こえないんですよね。
そしてこれもちょっとマイナーですがブリテンがオーボエとピアノのために「2つの昆虫の小品」という作品を書いてるんですよ。ここでモチーフになっているのはバッタとスズメバチという身近な昆虫たちです。オーボエで昆虫、というのもちょっと変わったアイディアですが(オーボエ=鳥類が多いですからね)、ピアノと合わせた独特な表現がブリテンらしくて面白かったり。
ちょっとクラムに戻りますがクラムがよく歌曲にその詩を使っているスペインの詩人、ロルカの作品ではちょくちょく虫が登場するため、クラムの音楽にも結果的に虫が登場することになるんですよね。
例をあげると「古の子供たちの声」の最初の楽章にこおろぎ、スペイン歌曲集「アルハンブラの幽霊達」の「6本の弦」にタランチュラ、など。
クラム以外だとラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」の「絞首台」(元の詩はルイ・ベルトラン)に蝿と甲虫が出てきますね。
あと特定の虫でなく日本の秋でもよくある複数の虫の声が聞こえる、というのを使った作品もあります。
バルトークの「戸外にて」の「夜の音」が筆頭ですね。カエルの声と虫の声。バルトークはこういった虫の声が聞こえるsoundscapeを作品に多用しています。
そしてそれを受け継いだクラム、そしてオーストラリアではロス・エドワーズもそういった夜に聞こえる虫の声を音楽に取り入れてsoundscapeを作っています。
はっきりと書いているわけではないですが、クラムだと「夏の夜の音楽」(最初の楽章特に)、アメリカ歌曲集第2巻の最終楽章「Sometimes I feel like a motherless child」、さらに「Black Angelsでは」もっと超現実的な虫の声が聴けます。
(こういうところも含めてクラムが大好きなんですよ)
あとこれもはっきりと書いてるのをみたことがないんですが、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」の第2楽章(Cappriccio notturno e Arioso)は初めて聴いたときから蛾を描写していると信じているんですが、これは蛾好きのバイアスがかかってるからですかね?
他にも探したらあると思うんですよね、特に20世紀音楽で。
作曲家の出身地域、というのも関係するのかな、と思いますが明確なパターン・偏りは未だに見いだせず。あと日本の現代クラシック音楽作品はどうなんでしょうね。日本は文化的に虫やその声と関わりが深いですし。
ということで今日の一曲はお休みです。こないだ借りたCD'sからブリテンを一曲次回紹介したいですね。
そして虫といえばただいまポケモンブラックで念願の炎蛾ウルガモスさんを捕まえているところです。諸事情あって昨日から何回も捕まえ直ししております。そういった粘りを発揮するのは今回っきり・・・のはず。
(そういえばほのおポケモンでいえば手元にはシャンデラさん、これからウルガモスさんを捕獲、となるとこないだエンディングの流れで捕まえた伝説のほのお・ドラゴンポケモンレシラムさんは捕まえっぱなしで使わない可能性がさらにアップ、と・・・すまないレシラムさん。)
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前回のエントリーに拍手どうもですー。
調子はちょっと持ち直した感じではありますが引き続き低空飛行です。
そんな中音楽方面でちょこちょこ楽しみな知らせがありました。
まずはメル響の謎解き&コンサート、Secret Symphonyの次の回がもうすぐ来るぞ、というお知らせ。
そしてもう一つは豪ABCで今年もClassic 100カウントダウンの投票が始まった、というお知らせです。
Classic 100カウントダウンは今年で3年目。2011年には「20世紀の音楽」、2012年には「フランスの音楽」をテーマにしてきましたが今年2013年は「映画の音楽」。映画に使われたクラシック音楽、そして映画のサウンドトラックが対象で、少し前からリストに加える曲を募集していました。
最終的なリストはこちら。ここから10曲選ぶシステムです。結構長いリストです。今回映画音楽がテーマということで諸々著作権の問題があるのかな、試聴できる曲は少ないみたいですね。
今回どういう基準で投票するか、というのがこれまでと違ってちょっと悩んでいます。
私は映画にはそんなに詳しくなくて(というか少なくとも2年以上映画を映画館で観ていない)、ただリストに載っている曲のうち「映画に使われたクラシック音楽」にあてはまる曲は知ってるものが多くて、あとライトミュージックのコンサートなんかで映画サントラのメドレーなどもいくつか弾いていて。
つまり映画のなかでどう曲が使われているか、というのまで含めての評価はできないんですよ。映画の音楽になると音楽そのものの善し悪しだけじゃなくてそのcontextと効果まで重要なんですが。
ただリストを見てると「こんな曲まで使っちゃってくれてるの!?」という曲も結構あって、そういう(有名な曲だけじゃなくてイメージにあう曲をもっと深く広く探してくれている、そして今生きている作曲家を含む現代クラシック音楽を積極に採用してくれる、という)ところも評価してもいいかな、と思うのです。もちろん映画のためにオリジナルで作曲された作品というのも大事ですけどね。
そして今回の投票の特徴の一つが同じ曲でも使われている映画別に投票できる、ということ。
映画などで既存の曲を使うと使われ方によって曲の印象は変わる可能性があります。なのでそういうところも含めてランキングの最終的なラインアップは楽しみです。
同じ曲でも使われ方によって印象が変わる、ということからちょっと派生して。
音楽の感じ方って本当に色んな要素で無限に変化するんだな、ということを考えてました。
同じ曲でも演奏される場所、演奏する人、前後の曲、演奏される時間や時期、一緒に流す映像、などなど。
そして音楽を受け取る方、つまり聞き手の状態というのも大きいな、と。そこはやっぱり弾き手がコントロールできないけれど重要な要素ですね。
自分も聞き手としてそれを意識しようとはしてるんですが、実際に自分の精神状態によってどれだけ音楽の印象が変わるか、というのを目の当たりにすると本当にびっくりしますね。
ちょっとこないだiTunesのプレイリスト振り分けでショスタコの弦楽四重奏曲をちらちら聴いてて「ほんっとショスタコ素晴らしいなあ!」と思ったり。もちろん普段からショスタコーヴィチの音楽は素晴らしいと思ってるんですが鬱に傾いているときは特別なツボに共鳴するんですよね、ものすごく。
マーラーもこないだ似たようなことがありましたし、あとこないだクロノス・カルテットの演奏で聴いた「12/12」も聴いた当時からあれは夏に良く合う曲、と思っていたら冬に聴くとまた別の魅力を感じたり。
そういうところも合わせて音楽をもっと深く知りたいし考えていきたいです。
ということで今回はここら辺で。ポケモンブラック、クライマックスに向かってるのですが色々ツッコミどころとかもあったりして面白いのでブラック2を買うだけじゃなくてホワイトバージョンでこの一連の流れをまた味わってもいいかな、と思っています(ほんとはプラチナバージョンも欲しかったり)。あと音楽も大変良くてなんだか嬉しいです。そこらについてはまた。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第2番 第1楽章
ショスタコの曲はやっぱり派手で比較的わかりやすい交響曲とかオケ曲は有名で割と紹介しやすいのですが、弦楽四重奏曲はなかなかちょっとマニアックな方に入ってしまうみたいで。
ショスタコーヴィチは15つの交響曲と15つの弦楽四重奏を書いていますが、後者はとっても内向的、というか作曲者の内なる思い、ソヴィエト政府の諸々の圧力下で表にできない思いを形にした、ごく近しい人達との間で共有することを目的にした作品。なのでそういうマニアックでわかりにくい、万人受けしたり人に向けて積極的に語りかけるものではないです。
だからといって暗い作品ばかりではないんですよね。(私が好きなのは暗い作品が多いですが)
明るい曲・・・もあるのですが、上記からわかるように心の底から明るい曲ではないです。(あとショスタコ自身も結構ひねくれた人でしたしねー)
この弦楽四重奏曲第2番の第1楽章はイ長調という明るい調で、割と明るい曲調で始まるながらもどこかねじれたような、闇とは言わないものの毒がそこここらに見え隠れして、さらに曲の最初から聞こえるクレッシェンド(音が大きくなる)が何度も何度も繰り返されるのがだんだん怖くなってくるような。
弦楽器のクレッシェンドってほんと鬼気迫る音がでますねー(特に弦楽器同士重ねたとき)
ショスタコーヴィチは弦楽四重奏というオーソドックスなアンサンブルのために本当に素晴らしい、そして斬新な曲を書きますね。弦楽四重奏といえばモーツァルトやハイドンの時代から作品はありましたが、ショスタコーヴィチは個々の楽器の使い方、組み合わせ方などが独特で、これまでの作品にはないパワーを生み出すのが面白いです。
例えば4人をバイオリン2人とビオラ+チェロの真っ二つに分けた使い方とか、オケでも見られるユニゾンのパワフルさを生かすような作曲のしかたとか、この曲でも特徴的な5度の音程の響きとか。
ショスタコーヴィチが書いた15つの弦楽四重奏曲は先ほども書いたように通じ合えるのはちょっと難しいところもある曲ですが、どれも違うキャラクターの素晴らしい曲ばかりです。
最初に聴くおすすめは第1番、第8番、第2番あたりかな。第7番や第9番も好きですし、なんといっても最後の第15番の魅力はまた別格なところがあります(ショスタコーヴィチの晩期の音楽はそうですね)。
特に第8番は作曲の経緯も合わせて有名で比較的演奏頻度・録音の数も多いので是非是非はじめましてしてください。
私も持ってるEmerson Quartetによる全15曲の録音をリンクしてみました。全曲試聴ありです。Emerson Quartetの演奏はクリーンながらパワフルで、生演奏とは思えないくらいのクオリティです。全曲そろえるなら是非この録音で。
調子はちょっと持ち直した感じではありますが引き続き低空飛行です。
そんな中音楽方面でちょこちょこ楽しみな知らせがありました。
まずはメル響の謎解き&コンサート、Secret Symphonyの次の回がもうすぐ来るぞ、というお知らせ。
そしてもう一つは豪ABCで今年もClassic 100カウントダウンの投票が始まった、というお知らせです。
Classic 100カウントダウンは今年で3年目。2011年には「20世紀の音楽」、2012年には「フランスの音楽」をテーマにしてきましたが今年2013年は「映画の音楽」。映画に使われたクラシック音楽、そして映画のサウンドトラックが対象で、少し前からリストに加える曲を募集していました。
最終的なリストはこちら。ここから10曲選ぶシステムです。結構長いリストです。今回映画音楽がテーマということで諸々著作権の問題があるのかな、試聴できる曲は少ないみたいですね。
今回どういう基準で投票するか、というのがこれまでと違ってちょっと悩んでいます。
私は映画にはそんなに詳しくなくて(というか少なくとも2年以上映画を映画館で観ていない)、ただリストに載っている曲のうち「映画に使われたクラシック音楽」にあてはまる曲は知ってるものが多くて、あとライトミュージックのコンサートなんかで映画サントラのメドレーなどもいくつか弾いていて。
つまり映画のなかでどう曲が使われているか、というのまで含めての評価はできないんですよ。映画の音楽になると音楽そのものの善し悪しだけじゃなくてそのcontextと効果まで重要なんですが。
ただリストを見てると「こんな曲まで使っちゃってくれてるの!?」という曲も結構あって、そういう(有名な曲だけじゃなくてイメージにあう曲をもっと深く広く探してくれている、そして今生きている作曲家を含む現代クラシック音楽を積極に採用してくれる、という)ところも評価してもいいかな、と思うのです。もちろん映画のためにオリジナルで作曲された作品というのも大事ですけどね。
そして今回の投票の特徴の一つが同じ曲でも使われている映画別に投票できる、ということ。
映画などで既存の曲を使うと使われ方によって曲の印象は変わる可能性があります。なのでそういうところも含めてランキングの最終的なラインアップは楽しみです。
同じ曲でも使われ方によって印象が変わる、ということからちょっと派生して。
音楽の感じ方って本当に色んな要素で無限に変化するんだな、ということを考えてました。
同じ曲でも演奏される場所、演奏する人、前後の曲、演奏される時間や時期、一緒に流す映像、などなど。
そして音楽を受け取る方、つまり聞き手の状態というのも大きいな、と。そこはやっぱり弾き手がコントロールできないけれど重要な要素ですね。
自分も聞き手としてそれを意識しようとはしてるんですが、実際に自分の精神状態によってどれだけ音楽の印象が変わるか、というのを目の当たりにすると本当にびっくりしますね。
ちょっとこないだiTunesのプレイリスト振り分けでショスタコの弦楽四重奏曲をちらちら聴いてて「ほんっとショスタコ素晴らしいなあ!」と思ったり。もちろん普段からショスタコーヴィチの音楽は素晴らしいと思ってるんですが鬱に傾いているときは特別なツボに共鳴するんですよね、ものすごく。
マーラーもこないだ似たようなことがありましたし、あとこないだクロノス・カルテットの演奏で聴いた「12/12」も聴いた当時からあれは夏に良く合う曲、と思っていたら冬に聴くとまた別の魅力を感じたり。
そういうところも合わせて音楽をもっと深く知りたいし考えていきたいです。
ということで今回はここら辺で。ポケモンブラック、クライマックスに向かってるのですが色々ツッコミどころとかもあったりして面白いのでブラック2を買うだけじゃなくてホワイトバージョンでこの一連の流れをまた味わってもいいかな、と思っています(ほんとはプラチナバージョンも欲しかったり)。あと音楽も大変良くてなんだか嬉しいです。そこらについてはまた。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第2番 第1楽章
ショスタコの曲はやっぱり派手で比較的わかりやすい交響曲とかオケ曲は有名で割と紹介しやすいのですが、弦楽四重奏曲はなかなかちょっとマニアックな方に入ってしまうみたいで。
ショスタコーヴィチは15つの交響曲と15つの弦楽四重奏を書いていますが、後者はとっても内向的、というか作曲者の内なる思い、ソヴィエト政府の諸々の圧力下で表にできない思いを形にした、ごく近しい人達との間で共有することを目的にした作品。なのでそういうマニアックでわかりにくい、万人受けしたり人に向けて積極的に語りかけるものではないです。
だからといって暗い作品ばかりではないんですよね。(私が好きなのは暗い作品が多いですが)
明るい曲・・・もあるのですが、上記からわかるように心の底から明るい曲ではないです。(あとショスタコ自身も結構ひねくれた人でしたしねー)
この弦楽四重奏曲第2番の第1楽章はイ長調という明るい調で、割と明るい曲調で始まるながらもどこかねじれたような、闇とは言わないものの毒がそこここらに見え隠れして、さらに曲の最初から聞こえるクレッシェンド(音が大きくなる)が何度も何度も繰り返されるのがだんだん怖くなってくるような。
弦楽器のクレッシェンドってほんと鬼気迫る音がでますねー(特に弦楽器同士重ねたとき)
ショスタコーヴィチは弦楽四重奏というオーソドックスなアンサンブルのために本当に素晴らしい、そして斬新な曲を書きますね。弦楽四重奏といえばモーツァルトやハイドンの時代から作品はありましたが、ショスタコーヴィチは個々の楽器の使い方、組み合わせ方などが独特で、これまでの作品にはないパワーを生み出すのが面白いです。
例えば4人をバイオリン2人とビオラ+チェロの真っ二つに分けた使い方とか、オケでも見られるユニゾンのパワフルさを生かすような作曲のしかたとか、この曲でも特徴的な5度の音程の響きとか。
ショスタコーヴィチが書いた15つの弦楽四重奏曲は先ほども書いたように通じ合えるのはちょっと難しいところもある曲ですが、どれも違うキャラクターの素晴らしい曲ばかりです。
最初に聴くおすすめは第1番、第8番、第2番あたりかな。第7番や第9番も好きですし、なんといっても最後の第15番の魅力はまた別格なところがあります(ショスタコーヴィチの晩期の音楽はそうですね)。
特に第8番は作曲の経緯も合わせて有名で比較的演奏頻度・録音の数も多いので是非是非はじめましてしてください。
私も持ってるEmerson Quartetによる全15曲の録音をリンクしてみました。全曲試聴ありです。Emerson Quartetの演奏はクリーンながらパワフルで、生演奏とは思えないくらいのクオリティです。全曲そろえるなら是非この録音で。
相変わらず調子が良くない日々を過ごしていますが行ってきました、2週間ぶりのピアノのレッスン。
一言で言うと行って良かったです。
メシアンの「イソヒヨドリ」はやっぱ聴く側にとっては長く感じるかなー・・・
12分とかそれくらいで、ダイシャクシギあたりとそう変わらないのですが(鳥のカタログの中だと曲の長さでは中級くらいですかね)、無駄な繰り返しが多いといわれれば確かに否定できない。プログラムのなかの位置づけとか、曲の各々の部分の魅力とか、そういう物は分かってもらえたのですが。
メシアンをある程度聴いてる先生で長く繰り返しが多く聞こえるんだったら聞き慣れてない人にもなかなか魅力は伝わりにくいかなー・・・と改めてこの曲のプレゼンの仕方を考え直しています。真ん中のガムランのところ(一番好きなセクション)をキーにしたいんですよね。
それからドビュッシーの「金の魚」は技巧的な部分をじっくり指摘してもらったのがありがたかったです。色々怠っていたことがあるのは自分でも分かっていたのですが具体的に示してもらって、一つ一つ解決していくプロセスはやっぱり大事。本当は先生に頼ってないで自分でやらなきゃいけないことなんですがね。
それからこの「金の魚」を含めてドビュッシーの「映像」全2集に先生が並ならぬ愛を持っていることが今日話していてひしひしと感じられて。ドビュッシーのピアノ作品だと私にとってもお気に入り。今弾いてるのが第2集、まだ第1集も一部弾いてなかったりしますが何度も戻ってきて自分のものにしたいです。
どうもちょっとピアノは悪戦苦闘で(もちろんメンタルの調子の低迷も手伝ってのことですが)、自信が1週間ほど休むのもありかなー・・・と思ってるのですがなんせ今仕事もない状態で、一日何もしないのもいやだし、ピアノを弾かないとそれはそれで不安ですし(慣れもそうですが精神的な不安の種になるんですよね)。ちょっと今考えあぐねてるところです。
全体的に「どうにかもうちょっと元気でないかなー」なんですよね。何やっててもそうなんですけど。
ポケモンもかなり地味な作業に入りましたし(汗)そもそもそんなにぱーっと派手になにかやって容易にものすごく楽しくなる、という性格でもなく・・・まだ冬も来てないのに大変なさけない状態です、はい。
しいて言えばコンサート行きたいなあ・・・
ということでピアノのレッスンについてのメモがてらのエントリーでした。しっかりせんと。
今日の一曲はおやすみです。
一言で言うと行って良かったです。
メシアンの「イソヒヨドリ」はやっぱ聴く側にとっては長く感じるかなー・・・
12分とかそれくらいで、ダイシャクシギあたりとそう変わらないのですが(鳥のカタログの中だと曲の長さでは中級くらいですかね)、無駄な繰り返しが多いといわれれば確かに否定できない。プログラムのなかの位置づけとか、曲の各々の部分の魅力とか、そういう物は分かってもらえたのですが。
メシアンをある程度聴いてる先生で長く繰り返しが多く聞こえるんだったら聞き慣れてない人にもなかなか魅力は伝わりにくいかなー・・・と改めてこの曲のプレゼンの仕方を考え直しています。真ん中のガムランのところ(一番好きなセクション)をキーにしたいんですよね。
それからドビュッシーの「金の魚」は技巧的な部分をじっくり指摘してもらったのがありがたかったです。色々怠っていたことがあるのは自分でも分かっていたのですが具体的に示してもらって、一つ一つ解決していくプロセスはやっぱり大事。本当は先生に頼ってないで自分でやらなきゃいけないことなんですがね。
それからこの「金の魚」を含めてドビュッシーの「映像」全2集に先生が並ならぬ愛を持っていることが今日話していてひしひしと感じられて。ドビュッシーのピアノ作品だと私にとってもお気に入り。今弾いてるのが第2集、まだ第1集も一部弾いてなかったりしますが何度も戻ってきて自分のものにしたいです。
どうもちょっとピアノは悪戦苦闘で(もちろんメンタルの調子の低迷も手伝ってのことですが)、自信が1週間ほど休むのもありかなー・・・と思ってるのですがなんせ今仕事もない状態で、一日何もしないのもいやだし、ピアノを弾かないとそれはそれで不安ですし(慣れもそうですが精神的な不安の種になるんですよね)。ちょっと今考えあぐねてるところです。
全体的に「どうにかもうちょっと元気でないかなー」なんですよね。何やっててもそうなんですけど。
ポケモンもかなり地味な作業に入りましたし(汗)そもそもそんなにぱーっと派手になにかやって容易にものすごく楽しくなる、という性格でもなく・・・まだ冬も来てないのに大変なさけない状態です、はい。
しいて言えばコンサート行きたいなあ・・・
ということでピアノのレッスンについてのメモがてらのエントリーでした。しっかりせんと。
今日の一曲はおやすみです。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
相変わらず調子は悪いですが今日はちょっとエネルギーが増えてた感が。
月曜日には大学にCD借りに(こないだのコンサートから。Tevotはなかったですが)行きたいのでもうちょっと元気が欲しいところ。
さて、こないだのメル響コンサート、ブリテンの「Our Hunting Fathers」でタランテラのスタイルを則った曲が出てきました。そのときも書きましたがイギリスの音楽でタランテラが使われているのをきくのは初めてで。
以前ここで話しましたがこの「タランテラ」という踊りが小さい頃から好きで、ちょっとフェチみたいなものがあるんですよ(笑)
なので今回のエントリーでは色んな国の作曲家がタランテラの形式で書いた曲をいくつか紹介してみたいと思います。
ちなみに:タランテラ=南イタリアの速い舞曲(拍子は6/8、またはそのほか三連符が続く)で、タランチュラという蜘蛛に噛まれた際に毒を抜くために休まず踊り続けなければならなかった、という話が元になっているといわれている。
タランテラはぐるぐる回るスタイルが特徴的ですが今日のエントリーでは似た地方・似たスタイルで跳躍が特徴的なサルタレッロも似たものとして扱います。
1)チャイコフスキー 「イタリア奇想曲」
ロシアの作曲家、チャイコフスキーはバレエの中でも他のジャンルでもイタリアの音楽を作品に取り入れています。その中でもこのイタリア奇想曲はメドレーの様に色んなイタリアの音楽が続く面白い曲。特に後半に現れる激しいタランテラは私の中で「一番タランテラらしいタランテラ」を持ってると思います。あの狂乱的な、炎の様なキャラクターは最高ですね。短いのが勿体ない。
2)レスピーギ 「風変わりな店」のタランテラ
以前紹介しました、イタリアの作曲家ですが出身地方は南でない、という本場のようでちょっと違うタランテラ。でもタンバリンの使い方とかぐーるぐる回る音型とか熱さとか良いですね。全体的にチャイコフスキーのよりも軽めで、同じく短いのでさっくり2回くらい続けてきいちゃうときもよくあります。
3)サン=サーンス ピアノ協奏曲第2番 第3楽章
これはフランスの作品。ピアノのパートに跳躍が多いのでサルタレッロなのかと思いますが全体的には回る音型も入れ替わるように現れるのである意味ハイブリッドかな?中間部のオケパートにサン=サーンスらしい、空に弧を描くようなコラールが挟まるのが素敵ですし、エンディングに向かって踊りが狂おしさを増していく(ただしテンポは速くならないように!)がまた興奮します!
4)シマノフスキ 夜想曲とタランテラ
バイオリンとピアノのための曲。ポーランドのタランテラといえばショパンのそれが有名と思われますがでもこれが外せないんです!かなりテンポ・リズム共に重めで、回る音型はほぼないのですが執拗に繰り返す「たーたたたた」のリズム、バイオリンの超人的な跳躍、強弱、鬼気迫る音、そして禍々しさがあるハーモニーから感じる狂気はとてもタランテラらしいです。
5)メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」第4楽章
これも回るリズムではなく「たんたたたた」が執拗に繰り返されるタイプのタランテラ(楽章のタイトルはサルタレッロ。ただそんなに跳躍してもいなかったり)。メンデルスゾーンはドイツ出身ですが、そのお国柄かちょっと重めで四角い印象。だからフルオケで何度も繰り返すと執拗さが増して、ちょっと「狂気」の方向が違う感じかな。
6)プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第4楽章
ロシアとソヴィエトは別物として。やっぱりタランテラといったらプロコフィエフだと思います。ただし元のイタリアの空気とは全く別な雰囲気の、違う狂気をはらんだタランテラ。前も紹介しましたがロンド形式で立ち替わり入れ替わり色んなシーンが現れて、それが悪夢のサーカスになってだんだんごっちゃになってくるのが凄いですね。クレイジー。
7)シューベルト ピアノソナタハ短調 D958 第4楽章
こんどはオーストリア。シューベルトの作品に狂気がないという訳じゃないですがシューベルトには珍しい鬼気&狂気だと思います。上記プロコフィエフと同じでロンド形式で書かれてきて、きいているとまるで迷路に迷い込んだみたいな感覚に陥ります。なんと言ってもキーチェンジが多い。一見整っているようで割とカオスなところがあるかも。
8)ブリテン 「我らの借りをする先祖」より「Dance of Death (Hawking for Partridge)」
そして最後にイギリスのタランテラ。元々イギリスあたりにはジーグという、サルタレッロに似たような三連符ベースで跳ねるような快活な踊りがあるのでどうしても似てしまうところはありますね。死の舞踏に仕立てられているのもあって、元のエネルギッシュで情熱的な舞踏とはまた違う不気味でまがまがしいキャラクターが面白い。そして繰り返しはオケパートよりも歌のパートに現れているのがまたちょっと異質なところかな。
・・・結構見つかりましたね。まだまだあると思いますが。(実際ipodにはまだ数曲入ってます)
ポピュラー音楽界隈はどうなんだろう。映画音楽はゴッドファーザーで使われているとWikipediaにありましたが、ゲーム音楽とかでタランテラが効果的に使われてたら追っかけて見つけにいきたいです。
ヨーロッパ周りで少なくともこれだけの作曲家がタランテラに憧れてこんなにいろいろな応用の仕方をしていて、まだまだいろんな形のタランテラがききたいと思うので。
ということで月曜日にブリテン大学で借りてきます~
今日の一曲はこんなに紹介したのでお休みです。
相変わらず調子は悪いですが今日はちょっとエネルギーが増えてた感が。
月曜日には大学にCD借りに(こないだのコンサートから。Tevotはなかったですが)行きたいのでもうちょっと元気が欲しいところ。
さて、こないだのメル響コンサート、ブリテンの「Our Hunting Fathers」でタランテラのスタイルを則った曲が出てきました。そのときも書きましたがイギリスの音楽でタランテラが使われているのをきくのは初めてで。
以前ここで話しましたがこの「タランテラ」という踊りが小さい頃から好きで、ちょっとフェチみたいなものがあるんですよ(笑)
なので今回のエントリーでは色んな国の作曲家がタランテラの形式で書いた曲をいくつか紹介してみたいと思います。
ちなみに:タランテラ=南イタリアの速い舞曲(拍子は6/8、またはそのほか三連符が続く)で、タランチュラという蜘蛛に噛まれた際に毒を抜くために休まず踊り続けなければならなかった、という話が元になっているといわれている。
タランテラはぐるぐる回るスタイルが特徴的ですが今日のエントリーでは似た地方・似たスタイルで跳躍が特徴的なサルタレッロも似たものとして扱います。
1)チャイコフスキー 「イタリア奇想曲」
ロシアの作曲家、チャイコフスキーはバレエの中でも他のジャンルでもイタリアの音楽を作品に取り入れています。その中でもこのイタリア奇想曲はメドレーの様に色んなイタリアの音楽が続く面白い曲。特に後半に現れる激しいタランテラは私の中で「一番タランテラらしいタランテラ」を持ってると思います。あの狂乱的な、炎の様なキャラクターは最高ですね。短いのが勿体ない。
2)レスピーギ 「風変わりな店」のタランテラ
以前紹介しました、イタリアの作曲家ですが出身地方は南でない、という本場のようでちょっと違うタランテラ。でもタンバリンの使い方とかぐーるぐる回る音型とか熱さとか良いですね。全体的にチャイコフスキーのよりも軽めで、同じく短いのでさっくり2回くらい続けてきいちゃうときもよくあります。
3)サン=サーンス ピアノ協奏曲第2番 第3楽章
これはフランスの作品。ピアノのパートに跳躍が多いのでサルタレッロなのかと思いますが全体的には回る音型も入れ替わるように現れるのである意味ハイブリッドかな?中間部のオケパートにサン=サーンスらしい、空に弧を描くようなコラールが挟まるのが素敵ですし、エンディングに向かって踊りが狂おしさを増していく(ただしテンポは速くならないように!)がまた興奮します!
4)シマノフスキ 夜想曲とタランテラ
バイオリンとピアノのための曲。ポーランドのタランテラといえばショパンのそれが有名と思われますがでもこれが外せないんです!かなりテンポ・リズム共に重めで、回る音型はほぼないのですが執拗に繰り返す「たーたたたた」のリズム、バイオリンの超人的な跳躍、強弱、鬼気迫る音、そして禍々しさがあるハーモニーから感じる狂気はとてもタランテラらしいです。
5)メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」第4楽章
これも回るリズムではなく「たんたたたた」が執拗に繰り返されるタイプのタランテラ(楽章のタイトルはサルタレッロ。ただそんなに跳躍してもいなかったり)。メンデルスゾーンはドイツ出身ですが、そのお国柄かちょっと重めで四角い印象。だからフルオケで何度も繰り返すと執拗さが増して、ちょっと「狂気」の方向が違う感じかな。
6)プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第4楽章
ロシアとソヴィエトは別物として。やっぱりタランテラといったらプロコフィエフだと思います。ただし元のイタリアの空気とは全く別な雰囲気の、違う狂気をはらんだタランテラ。前も紹介しましたがロンド形式で立ち替わり入れ替わり色んなシーンが現れて、それが悪夢のサーカスになってだんだんごっちゃになってくるのが凄いですね。クレイジー。
7)シューベルト ピアノソナタハ短調 D958 第4楽章
こんどはオーストリア。シューベルトの作品に狂気がないという訳じゃないですがシューベルトには珍しい鬼気&狂気だと思います。上記プロコフィエフと同じでロンド形式で書かれてきて、きいているとまるで迷路に迷い込んだみたいな感覚に陥ります。なんと言ってもキーチェンジが多い。一見整っているようで割とカオスなところがあるかも。
8)ブリテン 「我らの借りをする先祖」より「Dance of Death (Hawking for Partridge)」
そして最後にイギリスのタランテラ。元々イギリスあたりにはジーグという、サルタレッロに似たような三連符ベースで跳ねるような快活な踊りがあるのでどうしても似てしまうところはありますね。死の舞踏に仕立てられているのもあって、元のエネルギッシュで情熱的な舞踏とはまた違う不気味でまがまがしいキャラクターが面白い。そして繰り返しはオケパートよりも歌のパートに現れているのがまたちょっと異質なところかな。
・・・結構見つかりましたね。まだまだあると思いますが。(実際ipodにはまだ数曲入ってます)
ポピュラー音楽界隈はどうなんだろう。映画音楽はゴッドファーザーで使われているとWikipediaにありましたが、ゲーム音楽とかでタランテラが効果的に使われてたら追っかけて見つけにいきたいです。
ヨーロッパ周りで少なくともこれだけの作曲家がタランテラに憧れてこんなにいろいろな応用の仕方をしていて、まだまだいろんな形のタランテラがききたいと思うので。
ということで月曜日にブリテン大学で借りてきます~
今日の一曲はこんなに紹介したのでお休みです。
前回のエントリーに拍手ありがとうございました。
今度は火曜日に行ったコンサートの感想へ。
メル響のコンサートでブリテンの「古い詩に新しい意味を持たせる」という話を書きましたが、このコンサートも(スケールは違うながらも)テーマがその考えにつながるようなところがあって、続けて2日行ってよかったですね。
今回のこの「Remastering the Vintage」というコンサートなのですが、ユースオケや大学のオケで知り合った、大学でトロンボーンを教えていたCharles McInnesという方が今作曲でMasters Degreeをやっていて、その課題として作曲した曲の録音を兼ねてお披露目、というコンサートでした。
演奏されたのは2曲だったのですがその間に曲の解説やディスカッションもあり。
演奏場所はメルボルン大学のGraduate Centreという、大学院にあたるMasters Degreeなどをやっている人達のための施設がある建物(古い建物です)にある、Gryphon Galleryという部屋でした。普通のサイズのグランドピアノが一つあって、プロジェクターとかも使えて。
下がバーになってて騒音が完全には防げないことを除くとなかなかいい演奏スペースでしたね。(特にプロジェクターとか使ったりする演奏にはいいかも)
さて、このコンサートのタイトル「Remastering the Vintage」は古き良きものを新しくリマスターする、ということ。たとえば録音でも(こないだ聖飢魔IIの初期アルバムがそうだったように)新しい技術でマスターし直して当時の録音技術では成しえなかった音質にしたり、それによって古いものを作り直すだけでなくより良いものにして、元の作品の世界をより鮮明に再現することなどを指します。
なので今回演奏されたピアノ独奏のための曲「Mirror Image」はショパンの前奏曲イ短調に、バイオリン独奏のための「Quiet Girl」はルチアーノ・ベリオのピアノのための小組曲にインスピレーションを得て、そして深く絡めて作曲されています。(そして後者はPeter Høegの同名の小説もベースになっています。これが音楽がらみ、というか人を調など音で感じる、というくだりがあって面白そうなので読んでみなくちゃ)
ちなみにベリオの小組曲はそれ自体が新古典派という20世紀の音楽だけれど古い様式を使って書かれている曲で、作曲者がその曲を知らずに聴いて「なんだこれは!?」となったのが一つのきっかけだったそうです。
新古典派の音楽ってそういう独特の雰囲気があるんですよね。古っぽいけどものすごく斬新な表現が所々に見えて、知らないで聞くと本当に不思議で、正体をつかもうとするほど惑わされる。
(この新古典派の音楽の不思議な感覚は音楽のスタイルの違いに親しんでると強く表れるのは明らかなのですがあんまりクラシックに親しんでない人でも感じるものなのかが気になりますね)
そういう風に古い作品を元に書いた曲という背景があるので、初めて演奏を聴くのと一緒に説明があるのは曲に取っつくのに助かりますし、曲をちょっとでも深く理解するのにいいですね。
特に今回聞いた作品二つはモチーフになった曲との絡め方が結構システマティックというか、論理的なところが結構あって、(聞くだけでは分からない)プロセスがしっかり曲に組み込まれていたので、説明とか分析とか見るのがとっても面白かったです。
特に好きだったのがバイオリン独奏の曲の最終楽章。元になったベリオの曲はバロック時代の組曲の最終楽章でよく使われたジーグという(イギリス周りの)踊りを元にしたのですが、この曲はそれをまた元にしたもの。なのでジーグの三連符の快活な感じとかは残っているのですがバロック時代のジーグとも、ベリオの作品ともまた違う21世紀の音楽に仕上がっていました(ちょっとロックとかの影響も感じたのですが気のせいかもしれない)。
作曲者さんは元はトロンボーン奏者で、今回曲を書くに当たってそれぞれの奏者(ピアノは毎度おなじみマイケル、バイオリンは大学時代からの友達です)と色々相談したそうですが、その課程で「バイオリンで複数のラインを同時に弾かせるにはどうしたらいい」ということになって(←ちょっと訳が上手く行かなかった)、バイオリン奏者の子がバッハやイザイの無伴奏ソナタを参考資料として提供したそうなのですが、その結果イザイのソナタみたいにめちゃくちゃ難しいパートになってしまったそう(笑)なかなかこの表現と技巧と奏者の困難というのが難しいですね。
ということで久しぶりの友達に会って話したり、音楽の話を聞いたり演奏を聴いたりとっても楽しくて意義ある時間でした。大きなコンサートでなくてこういう演奏機会もいいですね。
私も(今日は調子の悪さにピアノ休みましたが)諸々がんばらなければ。
今日の一曲はお休みです。
今度は火曜日に行ったコンサートの感想へ。
メル響のコンサートでブリテンの「古い詩に新しい意味を持たせる」という話を書きましたが、このコンサートも(スケールは違うながらも)テーマがその考えにつながるようなところがあって、続けて2日行ってよかったですね。
今回のこの「Remastering the Vintage」というコンサートなのですが、ユースオケや大学のオケで知り合った、大学でトロンボーンを教えていたCharles McInnesという方が今作曲でMasters Degreeをやっていて、その課題として作曲した曲の録音を兼ねてお披露目、というコンサートでした。
演奏されたのは2曲だったのですがその間に曲の解説やディスカッションもあり。
演奏場所はメルボルン大学のGraduate Centreという、大学院にあたるMasters Degreeなどをやっている人達のための施設がある建物(古い建物です)にある、Gryphon Galleryという部屋でした。普通のサイズのグランドピアノが一つあって、プロジェクターとかも使えて。
下がバーになってて騒音が完全には防げないことを除くとなかなかいい演奏スペースでしたね。(特にプロジェクターとか使ったりする演奏にはいいかも)
さて、このコンサートのタイトル「Remastering the Vintage」は古き良きものを新しくリマスターする、ということ。たとえば録音でも(こないだ聖飢魔IIの初期アルバムがそうだったように)新しい技術でマスターし直して当時の録音技術では成しえなかった音質にしたり、それによって古いものを作り直すだけでなくより良いものにして、元の作品の世界をより鮮明に再現することなどを指します。
なので今回演奏されたピアノ独奏のための曲「Mirror Image」はショパンの前奏曲イ短調に、バイオリン独奏のための「Quiet Girl」はルチアーノ・ベリオのピアノのための小組曲にインスピレーションを得て、そして深く絡めて作曲されています。(そして後者はPeter Høegの同名の小説もベースになっています。これが音楽がらみ、というか人を調など音で感じる、というくだりがあって面白そうなので読んでみなくちゃ)
ちなみにベリオの小組曲はそれ自体が新古典派という20世紀の音楽だけれど古い様式を使って書かれている曲で、作曲者がその曲を知らずに聴いて「なんだこれは!?」となったのが一つのきっかけだったそうです。
新古典派の音楽ってそういう独特の雰囲気があるんですよね。古っぽいけどものすごく斬新な表現が所々に見えて、知らないで聞くと本当に不思議で、正体をつかもうとするほど惑わされる。
(この新古典派の音楽の不思議な感覚は音楽のスタイルの違いに親しんでると強く表れるのは明らかなのですがあんまりクラシックに親しんでない人でも感じるものなのかが気になりますね)
そういう風に古い作品を元に書いた曲という背景があるので、初めて演奏を聴くのと一緒に説明があるのは曲に取っつくのに助かりますし、曲をちょっとでも深く理解するのにいいですね。
特に今回聞いた作品二つはモチーフになった曲との絡め方が結構システマティックというか、論理的なところが結構あって、(聞くだけでは分からない)プロセスがしっかり曲に組み込まれていたので、説明とか分析とか見るのがとっても面白かったです。
特に好きだったのがバイオリン独奏の曲の最終楽章。元になったベリオの曲はバロック時代の組曲の最終楽章でよく使われたジーグという(イギリス周りの)踊りを元にしたのですが、この曲はそれをまた元にしたもの。なのでジーグの三連符の快活な感じとかは残っているのですがバロック時代のジーグとも、ベリオの作品ともまた違う21世紀の音楽に仕上がっていました(ちょっとロックとかの影響も感じたのですが気のせいかもしれない)。
作曲者さんは元はトロンボーン奏者で、今回曲を書くに当たってそれぞれの奏者(ピアノは毎度おなじみマイケル、バイオリンは大学時代からの友達です)と色々相談したそうですが、その課程で「バイオリンで複数のラインを同時に弾かせるにはどうしたらいい」ということになって(←ちょっと訳が上手く行かなかった)、バイオリン奏者の子がバッハやイザイの無伴奏ソナタを参考資料として提供したそうなのですが、その結果イザイのソナタみたいにめちゃくちゃ難しいパートになってしまったそう(笑)なかなかこの表現と技巧と奏者の困難というのが難しいですね。
ということで久しぶりの友達に会って話したり、音楽の話を聞いたり演奏を聴いたりとっても楽しくて意義ある時間でした。大きなコンサートでなくてこういう演奏機会もいいですね。
私も(今日は調子の悪さにピアノ休みましたが)諸々がんばらなければ。
今日の一曲はお休みです。