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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日は夏もおそらく終わりの日、ということでface to aceの「ヒグラシ」を忘れずに聞きました。
そして仕事朝の部ではクロノス・カルテットの録音をiTunes Storeで購入するべく試聴してました。
おそらく「Nuevo」(こないだ聞いた12/12が入ってる)、「Night Prayers」、それからピアソラと共演のミニアルバム・・・かな。グレツキの四重奏曲もほしいんだけど。どれもちょっと前のCDで、クラシックよりはそれ以外のジャンルが多いかな。
いろんなアーティストといろんなジャンルで共演するんでどこから攻めればいいか分からないんですよ。以前一部購入したThelonius MonkのカバーCDもそのうち。
そんな中いいなあ、と思ったのがクロノスが演奏するフィリップ・グラスというアメリカのミニマルミュージックの作曲家による四重奏曲集。(ミニマルミュージック=音楽のいろんなエレメントをそぎ落とした音楽スタイルで、繰り返しやペンタトニック=不協和音が少ないのが特徴)
クロノスの表現の正確さは繰り返されるパッセージで良く現れるとこないだから思ってるのですが、そのパッセージを繰り返すときも寸分違わず同じく弾く正確さ、そしてその正確で完全に同じ繰り返しが生み出す、単調でなく作曲家が意図した不思議な効果はグラスの音楽で特に映えるような気がします。
前も書いたと思うのですが大学の教育は20世紀以降の音楽に対して興味を持たせるようなものではなくて。そんななかちょろっと授業でいわゆるミニマル・ミュージックについてはちょこちょこっと習った中でちょこちょこっと良い曲に出会ったり。
ヨーロッパ方面はペルトが玄関口となり全体的に印象がよかったり(課題でミニマル・ミュージックを作曲したときは私はヨーロッパスタイルで書きました)。
アメリカ方面ではFitkinのピアノ曲「Cone Gatherers」が受けが良くて、それ以外はあんまりだったり。
それが卒業後数年かけてミニマル・ミュージックのレパートリーの知識も広がってきました。
自分の興味もそうなんですがコンサートで聞く機会も多くなってきましたよ。
特に印象に残ってるのがジョン・アダムスの2台のピアノのための作品「Hallelujah Junction」ですね。今アメリカのミニマルミュージックに興味がわいてきてるのもこの曲を聴いたのが大きい。
ヨーロッパのミニマルミュージックにバロック以前の宗教音楽みたいなフレーバーがあってメロディックなのに比べて、アメリカのミニマルミュージックはコンピュータ的というか、それから曲の題材も政治・歴史がらみが少なくなくてどっちかというと急進派という、そういうところがちょっと取っつきにくいのかなあ・・・
そんな中今日色々試聴してみたフィリップ・グラスの音楽は割とポップミュージックとかテクノに通じるところがあって割と聞きやすいなじゃないかな、という印象でした。
試聴してたのはこのCDなのですが、オペラからシンセサイザー(だよね)やらいろんな作品が入ってて面白いです(ただしちょーっと高いんだよなあ)。
ただグラスの作品はどうも当たり外れがあるような感じもしますね。ミニマルミュージックの特徴がうまく生きる曲もあれば平凡に聞こえてしまう曲もあり。
グラスでちょっと前から気になってるのがABCの20世紀音楽カウントダウンでランクインしたオペラ「アクエンアテン」。ツタンカーメンの父ちゃんのことはメルボルンにツタンカーメン展が来たときにちょろっと知りましたが、どんなオペラなんだろうなあ。
ラジオでカウントダウンの時に聞いたのと今日試聴したのではいい感じの音楽なんですが。
ちょこちょこ選んで購入してみるかなー・・・
アメリカのミニマルミュージック、といえば今年は8月末にジョン・アダムスがメル響で自分の作品を指揮しにくるのでそれまでにアダムスの作品をもうちょっと知っておきたいなあ、と思います。前述Hallelujah Junction(まだ録音持ってない)の他だとオペラ「Nixon in China」とか攻めてみたい。
先ほどアメリカのミニマルミュージックには政治・歴史がらみの題材が多いと書きましたが、具体的な例をよくよく考えてみると面白いですね。
ぱっと思い浮かぶだけでアダムスの「Nixon in China」、Reichの「9/11 WTC」や「Different Trains」、グラスの「Satyagraha」(今日ちょっと聞いた)とか。
題材を直接的に表現してるのが特徴っぽいですね。結構実際の人間の声や言葉を使ったり(9/11 WTCとか)、ミニマルミュージックでも歴史・政治的出来事を刻み込むリアリズムがある、みたいな。
まだまだ自分にとっては新しいエリアですが(そしてピアノのレパートリーがそんなには大きくないエリアですが)ちょっとずつ新しい音楽に出会いたいです。
とりあえずこの後クロノス・カルテットの選んだ録音をダウンロードしなければ。
今日の一曲: トマス・タリス「Spem in Alium」(クロノス・カルテット演奏)
クロノス・カルテットといえば現代音楽が中心ですが、以前から書いているように広いジャンルの演奏を手がけています。この「Spem in Alium(我、汝の他に望みなし)という曲はイギリスの古音楽(16世紀)の合唱作品で、なんと40声のために書かれているそうです。楽器を買わなくても歌は歌える、とはいえ少なくとも40人集めて一人一人違うパートを歌わせる、というのは作曲当時の音楽・宗教的背景でどれくらい実現可能だったんだろう。(修道院・・・か?答えは。)
そんな合唱曲を弦楽器で弾いたのがこのクロノス・カルテットのバージョン。
ビブラートをかけない、真ん中で膨張するスタイルは古楽器のようなのですが、その透明度とか正確さはとっても現代的。それが不思議な違和感と調和のバランスを作りだしてて面白い。
なんだかとっても・・・クロノスだなあ、と。
この曲はクロノス・カルテットがクラムの「Black Angels」を弾いているCDに入ってるのですが(Black Angelsはクロノス結成のきっかけとなった曲です)、曲の取り合わせが面白いですね。
Black Angelsと、これと、ショスタコの四重奏曲第8番と、Martaの「Doom - A Sigh」とアイヴスの「They are there!」。全部が全部戦争関連ではないのですが、20世紀の歴史を切り取ったようなフレーバーはある・・・ような。言葉で表せないけどつながりはある。
(こういうプログラム組みできたら面白いだろうなー)
この曲だけじゃなくこのCD全体を通じてクロノス・カルテットの表現が分かるようになってますし、それから電気増幅だったり40部合唱を再現してみたり、と弦楽四重奏というアンサンブルの枠をぐんと広げる演奏が聴けるようになっています。
クラムとショスタコは特におすすめですよー。
今日は夏もおそらく終わりの日、ということでface to aceの「ヒグラシ」を忘れずに聞きました。
そして仕事朝の部ではクロノス・カルテットの録音をiTunes Storeで購入するべく試聴してました。
おそらく「Nuevo」(こないだ聞いた12/12が入ってる)、「Night Prayers」、それからピアソラと共演のミニアルバム・・・かな。グレツキの四重奏曲もほしいんだけど。どれもちょっと前のCDで、クラシックよりはそれ以外のジャンルが多いかな。
いろんなアーティストといろんなジャンルで共演するんでどこから攻めればいいか分からないんですよ。以前一部購入したThelonius MonkのカバーCDもそのうち。
そんな中いいなあ、と思ったのがクロノスが演奏するフィリップ・グラスというアメリカのミニマルミュージックの作曲家による四重奏曲集。(ミニマルミュージック=音楽のいろんなエレメントをそぎ落とした音楽スタイルで、繰り返しやペンタトニック=不協和音が少ないのが特徴)
クロノスの表現の正確さは繰り返されるパッセージで良く現れるとこないだから思ってるのですが、そのパッセージを繰り返すときも寸分違わず同じく弾く正確さ、そしてその正確で完全に同じ繰り返しが生み出す、単調でなく作曲家が意図した不思議な効果はグラスの音楽で特に映えるような気がします。
前も書いたと思うのですが大学の教育は20世紀以降の音楽に対して興味を持たせるようなものではなくて。そんななかちょろっと授業でいわゆるミニマル・ミュージックについてはちょこちょこっと習った中でちょこちょこっと良い曲に出会ったり。
ヨーロッパ方面はペルトが玄関口となり全体的に印象がよかったり(課題でミニマル・ミュージックを作曲したときは私はヨーロッパスタイルで書きました)。
アメリカ方面ではFitkinのピアノ曲「Cone Gatherers」が受けが良くて、それ以外はあんまりだったり。
それが卒業後数年かけてミニマル・ミュージックのレパートリーの知識も広がってきました。
自分の興味もそうなんですがコンサートで聞く機会も多くなってきましたよ。
特に印象に残ってるのがジョン・アダムスの2台のピアノのための作品「Hallelujah Junction」ですね。今アメリカのミニマルミュージックに興味がわいてきてるのもこの曲を聴いたのが大きい。
ヨーロッパのミニマルミュージックにバロック以前の宗教音楽みたいなフレーバーがあってメロディックなのに比べて、アメリカのミニマルミュージックはコンピュータ的というか、それから曲の題材も政治・歴史がらみが少なくなくてどっちかというと急進派という、そういうところがちょっと取っつきにくいのかなあ・・・
そんな中今日色々試聴してみたフィリップ・グラスの音楽は割とポップミュージックとかテクノに通じるところがあって割と聞きやすいなじゃないかな、という印象でした。
試聴してたのはこのCDなのですが、オペラからシンセサイザー(だよね)やらいろんな作品が入ってて面白いです(ただしちょーっと高いんだよなあ)。
ただグラスの作品はどうも当たり外れがあるような感じもしますね。ミニマルミュージックの特徴がうまく生きる曲もあれば平凡に聞こえてしまう曲もあり。
グラスでちょっと前から気になってるのがABCの20世紀音楽カウントダウンでランクインしたオペラ「アクエンアテン」。ツタンカーメンの父ちゃんのことはメルボルンにツタンカーメン展が来たときにちょろっと知りましたが、どんなオペラなんだろうなあ。
ラジオでカウントダウンの時に聞いたのと今日試聴したのではいい感じの音楽なんですが。
ちょこちょこ選んで購入してみるかなー・・・
アメリカのミニマルミュージック、といえば今年は8月末にジョン・アダムスがメル響で自分の作品を指揮しにくるのでそれまでにアダムスの作品をもうちょっと知っておきたいなあ、と思います。前述Hallelujah Junction(まだ録音持ってない)の他だとオペラ「Nixon in China」とか攻めてみたい。
先ほどアメリカのミニマルミュージックには政治・歴史がらみの題材が多いと書きましたが、具体的な例をよくよく考えてみると面白いですね。
ぱっと思い浮かぶだけでアダムスの「Nixon in China」、Reichの「9/11 WTC」や「Different Trains」、グラスの「Satyagraha」(今日ちょっと聞いた)とか。
題材を直接的に表現してるのが特徴っぽいですね。結構実際の人間の声や言葉を使ったり(9/11 WTCとか)、ミニマルミュージックでも歴史・政治的出来事を刻み込むリアリズムがある、みたいな。
まだまだ自分にとっては新しいエリアですが(そしてピアノのレパートリーがそんなには大きくないエリアですが)ちょっとずつ新しい音楽に出会いたいです。
とりあえずこの後クロノス・カルテットの選んだ録音をダウンロードしなければ。
今日の一曲: トマス・タリス「Spem in Alium」(クロノス・カルテット演奏)
クロノス・カルテットといえば現代音楽が中心ですが、以前から書いているように広いジャンルの演奏を手がけています。この「Spem in Alium(我、汝の他に望みなし)という曲はイギリスの古音楽(16世紀)の合唱作品で、なんと40声のために書かれているそうです。楽器を買わなくても歌は歌える、とはいえ少なくとも40人集めて一人一人違うパートを歌わせる、というのは作曲当時の音楽・宗教的背景でどれくらい実現可能だったんだろう。(修道院・・・か?答えは。)
そんな合唱曲を弦楽器で弾いたのがこのクロノス・カルテットのバージョン。
ビブラートをかけない、真ん中で膨張するスタイルは古楽器のようなのですが、その透明度とか正確さはとっても現代的。それが不思議な違和感と調和のバランスを作りだしてて面白い。
なんだかとっても・・・クロノスだなあ、と。
この曲はクロノス・カルテットがクラムの「Black Angels」を弾いているCDに入ってるのですが(Black Angelsはクロノス結成のきっかけとなった曲です)、曲の取り合わせが面白いですね。
Black Angelsと、これと、ショスタコの四重奏曲第8番と、Martaの「Doom - A Sigh」とアイヴスの「They are there!」。全部が全部戦争関連ではないのですが、20世紀の歴史を切り取ったようなフレーバーはある・・・ような。言葉で表せないけどつながりはある。
(こういうプログラム組みできたら面白いだろうなー)
この曲だけじゃなくこのCD全体を通じてクロノス・カルテットの表現が分かるようになってますし、それから電気増幅だったり40部合唱を再現してみたり、と弦楽四重奏というアンサンブルの枠をぐんと広げる演奏が聴けるようになっています。
クラムとショスタコは特におすすめですよー。
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前回のエントリーに拍手どうもです~
3月になってから暑い日が続いて夕方も暖かい中Melbourne Recital Centreにコンサートを聴きに行ってきました。
聴きに行ったのがクロノス・カルテットというアンサンブルで。アメリカをベースとしている弦楽四重奏で、ジョージ・クラムの「Black Angels」を聴いたことがきっかけで結成された、現代音楽を中心に幅広いジャンルの音楽を演奏するグループです。
今回のコンサートも現代音楽から民族音楽から映画音楽、ロックまで様々な音楽が集まったプログラムで、電気で増幅した弦楽四重奏に加えて録音を流しながら弾いたり、照明、音響などを駆使したパフォーマンス。
プログラムは先ほどのリンク先に任せちゃいましたが、ほとんど知らない曲です。2曲のアンコールも合わせて知ってる曲ワーグナーだけですからね。全部の曲がメルボルン初演かオーストラリア初演、そしてすべての曲がクロノスのために作曲or編曲されています。それもすごいですよね。
(そういえばプログラムには作曲家・作品のことだけでなく編曲者の紹介にもかなり力が入っていました)
クロノス・カルテットのことは弦楽四重奏のレパートリーについての本でクラムのBlack Angelsと共に知って、大学1年くらい?まだ現代音楽にはまってない時に来豪したのを聴きに行って。その時はペンデレツキの四重奏曲を聴いたのが記憶に残ってます。
その前回聴いた演奏はHamer Hallという大きなホールだったのですが、今回はMelbourne Recital Centreの大きいホール、Elisabeth Murdoch Hallというもちょっと観客とステージが近い場所で、ちょろっと曲の紹介なんかも入ったりして奏者が近く感じたコンサートでしたね。
演奏はとにかくすごかった。独特の解釈、表現の幅や精密さ、パワーや繊細さ、アンサンブルのチームワーク・・・なんと行っても様々な国(民族音楽だとポーランド、ベトナム、アンコールのスウェーデンとか)の様々なスタイルの音楽に新しいエネルギーと新しい命を吹き込むのがすごい。弦楽四重奏だけどそれ以上、音楽だけどそれ以上のものがあるんですよね。
今回たくさん新しい曲と出会いましたが特に好きだったのが最初の「Aheym」、次の「Eremikophobia」、それからチェロのソロがどストライクだった「Sim Sholom」、そしてアンコール前のCafe Tacuba「12/12」、アンコール1曲目のスウェーデン民謡かな。
Eremikophobiaは新しくてまだ録音がないのが悔やまれる。(他の曲はいくつかYoutubeでも見つかりましたしiTunes storeでクロノスの録音色々ありますのでできるだけ入手したいです。さすがに一回聴いただけでは勿体ないしまだ色々把握できてないところががが)
「12/12」はメキシコのCafe Tacubaというメキシコのロックバンド(エスニックフレーバーが結構入ってるみたいです)の曲なのですが、クロノスのバージョンだけでなくCafe Tacubaの楽曲も気になります。
そういえばリンク先のプログラムとは曲順がちょっと違ってて、実際のプログラムを見たときに「Sim Shalom」がポーランドのユダヤ文化の歌のような祈りの曲なのに続いてワーグナーという曲順にものすごく驚いたのですが(ワーグナーとユダヤ民族との関連はここでは省略。きっと前書いてる)、第1バイオリンのおじさんが曲間MCで「今気づいたんだけど(こういう2曲が並ぶのは)世界初じゃないかな」と。確かに意識的にはなかなか・・・だよなあ。不思議な巡り合わせ。
それからチェロ奏者の方(今後のスケジュールを調べてたら5月でこの方は交代するとのことでした)の持ってるチェロがうちのチェロにそっくりでしたよ。胴が細めなところとか、色とか、あとD弦のかすれ具合とかC弦の深みとか。びっくり。
演奏のかっこよさももちろんなのですが(毎曲終わりに「かっこいい・・・」と口から出るほどです)、今回クロノス・カルテットの演奏を聴いて彼らの作る音楽が自分が今理想としている音楽作りにものすごく近いんじゃないかな、と思いました。
クラムを始め現代音楽、民族音楽周りとかの好きなジャンルを専門としているということだけじゃなくて、現代音楽を軸として新しい音楽にもオープンで、ゆるぎない独特の解釈と表現で演奏して、しかもクラシック(現代音楽)での技巧や表現をひとつも妥協することなく他のジャンルでも生かして、ジャンル関係なく音楽作りができたらな-・・・と。
前回彼らの演奏を聴いたときから自分も音楽家のはしくれとしてちょっとは成長した・・・というこ
とだといいな。
とにかく昨日の演奏を聴いて本当にその理想を実感して、音楽に打ち込む気持ちを新たにできて。そういう意味でも行って良かったです。なによりものすごい演奏だったし、素晴らしい体験をしました。最高のコンサートの一つに入りました。
クロノス・カルテット、また近いうちにメルボルンに演奏に来ると良いな。やっぱり生演奏ならではの楽しみもたくさんあるので。聴く機会があれば是非聴きに行ってみてください。
今日の一曲: JG Thirlwell 「Eremikophobia」
(録音はまだないです)
Eremikophobia=砂・砂漠に対する恐怖という意味です。これを調べたときからどうしても頭から離れてないイメージがあって。
藤崎竜版の「封神演義」で仙人達が全面戦争する場面があるのですが、その中で張天君が『紅砂陣』という空間を作り出して主人公サイドの天才道士・楊ゼンを苦しめるくだりがあって。
紅砂陣というのは一面砂漠の空間で、その主である張天君がその砂および空間を司るルールを自由にすることができる。外に出れない、というだけでなくその中で張天君以外の存在はすべて急速に風化してしまう一種の砂地獄。
広がる空間に砂ばかり、砂と張天君を相手にあがき、風化という緩慢な死に追われ、そして楊ゼンはここで内に押し込めた本当の自分の姿を張天君に見透かされ突きつけられる、という何層にもなる戦いが起こる場面なのですが。
その砂漠の中の孤独感とか、徐々に乾いて風化していく感とか、独特の時間の流れみたいなものはこのEremikophobiaにも現れています。
弦楽四重奏だけでなく実際の砂漠の音、ただの砂漠の音ではなく砂が砂丘の上を動くときに起こる低周波の音がスピーカーから聞こえてきます。
それに合わせてまずはビオラが入って弦楽四重奏が砂漠と共に人間のものではない音楽を奏でます。
この砂漠の音を録ったというのがオマーンの砂漠とのことなのですが、途中から音楽が中東風になります。このセクションがものすごく好きでした。4人ユニゾンで同じメロディーを奏でるのですが、力強くてエキゾチックな旋律は中東のスタイルなんだけれど、アーティキュレーションとかのスタイルが妙に西洋風なところもあって、それが逆にかっこいい。
最後の穏やかにうねるようなスローな和音のセクションも素敵でした。
録音の使い方とかだと割とオーソドックスな現代音楽といえばそうなのですが今の時代の弦楽四重奏曲のレパートリーとして光る一曲だと思います。是非クロノスには録音していただきたいです。絶対買う。
3月になってから暑い日が続いて夕方も暖かい中Melbourne Recital Centreにコンサートを聴きに行ってきました。
聴きに行ったのがクロノス・カルテットというアンサンブルで。アメリカをベースとしている弦楽四重奏で、ジョージ・クラムの「Black Angels」を聴いたことがきっかけで結成された、現代音楽を中心に幅広いジャンルの音楽を演奏するグループです。
今回のコンサートも現代音楽から民族音楽から映画音楽、ロックまで様々な音楽が集まったプログラムで、電気で増幅した弦楽四重奏に加えて録音を流しながら弾いたり、照明、音響などを駆使したパフォーマンス。
プログラムは先ほどのリンク先に任せちゃいましたが、ほとんど知らない曲です。2曲のアンコールも合わせて知ってる曲ワーグナーだけですからね。全部の曲がメルボルン初演かオーストラリア初演、そしてすべての曲がクロノスのために作曲or編曲されています。それもすごいですよね。
(そういえばプログラムには作曲家・作品のことだけでなく編曲者の紹介にもかなり力が入っていました)
クロノス・カルテットのことは弦楽四重奏のレパートリーについての本でクラムのBlack Angelsと共に知って、大学1年くらい?まだ現代音楽にはまってない時に来豪したのを聴きに行って。その時はペンデレツキの四重奏曲を聴いたのが記憶に残ってます。
その前回聴いた演奏はHamer Hallという大きなホールだったのですが、今回はMelbourne Recital Centreの大きいホール、Elisabeth Murdoch Hallというもちょっと観客とステージが近い場所で、ちょろっと曲の紹介なんかも入ったりして奏者が近く感じたコンサートでしたね。
演奏はとにかくすごかった。独特の解釈、表現の幅や精密さ、パワーや繊細さ、アンサンブルのチームワーク・・・なんと行っても様々な国(民族音楽だとポーランド、ベトナム、アンコールのスウェーデンとか)の様々なスタイルの音楽に新しいエネルギーと新しい命を吹き込むのがすごい。弦楽四重奏だけどそれ以上、音楽だけどそれ以上のものがあるんですよね。
今回たくさん新しい曲と出会いましたが特に好きだったのが最初の「Aheym」、次の「Eremikophobia」、それからチェロのソロがどストライクだった「Sim Sholom」、そしてアンコール前のCafe Tacuba「12/12」、アンコール1曲目のスウェーデン民謡かな。
Eremikophobiaは新しくてまだ録音がないのが悔やまれる。(他の曲はいくつかYoutubeでも見つかりましたしiTunes storeでクロノスの録音色々ありますのでできるだけ入手したいです。さすがに一回聴いただけでは勿体ないしまだ色々把握できてないところががが)
「12/12」はメキシコのCafe Tacubaというメキシコのロックバンド(エスニックフレーバーが結構入ってるみたいです)の曲なのですが、クロノスのバージョンだけでなくCafe Tacubaの楽曲も気になります。
そういえばリンク先のプログラムとは曲順がちょっと違ってて、実際のプログラムを見たときに「Sim Shalom」がポーランドのユダヤ文化の歌のような祈りの曲なのに続いてワーグナーという曲順にものすごく驚いたのですが(ワーグナーとユダヤ民族との関連はここでは省略。きっと前書いてる)、第1バイオリンのおじさんが曲間MCで「今気づいたんだけど(こういう2曲が並ぶのは)世界初じゃないかな」と。確かに意識的にはなかなか・・・だよなあ。不思議な巡り合わせ。
それからチェロ奏者の方(今後のスケジュールを調べてたら5月でこの方は交代するとのことでした)の持ってるチェロがうちのチェロにそっくりでしたよ。胴が細めなところとか、色とか、あとD弦のかすれ具合とかC弦の深みとか。びっくり。
演奏のかっこよさももちろんなのですが(毎曲終わりに「かっこいい・・・」と口から出るほどです)、今回クロノス・カルテットの演奏を聴いて彼らの作る音楽が自分が今理想としている音楽作りにものすごく近いんじゃないかな、と思いました。
クラムを始め現代音楽、民族音楽周りとかの好きなジャンルを専門としているということだけじゃなくて、現代音楽を軸として新しい音楽にもオープンで、ゆるぎない独特の解釈と表現で演奏して、しかもクラシック(現代音楽)での技巧や表現をひとつも妥協することなく他のジャンルでも生かして、ジャンル関係なく音楽作りができたらな-・・・と。
前回彼らの演奏を聴いたときから自分も音楽家のはしくれとしてちょっとは成長した・・・というこ
とだといいな。
とにかく昨日の演奏を聴いて本当にその理想を実感して、音楽に打ち込む気持ちを新たにできて。そういう意味でも行って良かったです。なによりものすごい演奏だったし、素晴らしい体験をしました。最高のコンサートの一つに入りました。
クロノス・カルテット、また近いうちにメルボルンに演奏に来ると良いな。やっぱり生演奏ならではの楽しみもたくさんあるので。聴く機会があれば是非聴きに行ってみてください。
今日の一曲: JG Thirlwell 「Eremikophobia」
(録音はまだないです)
Eremikophobia=砂・砂漠に対する恐怖という意味です。これを調べたときからどうしても頭から離れてないイメージがあって。
藤崎竜版の「封神演義」で仙人達が全面戦争する場面があるのですが、その中で張天君が『紅砂陣』という空間を作り出して主人公サイドの天才道士・楊ゼンを苦しめるくだりがあって。
紅砂陣というのは一面砂漠の空間で、その主である張天君がその砂および空間を司るルールを自由にすることができる。外に出れない、というだけでなくその中で張天君以外の存在はすべて急速に風化してしまう一種の砂地獄。
広がる空間に砂ばかり、砂と張天君を相手にあがき、風化という緩慢な死に追われ、そして楊ゼンはここで内に押し込めた本当の自分の姿を張天君に見透かされ突きつけられる、という何層にもなる戦いが起こる場面なのですが。
その砂漠の中の孤独感とか、徐々に乾いて風化していく感とか、独特の時間の流れみたいなものはこのEremikophobiaにも現れています。
弦楽四重奏だけでなく実際の砂漠の音、ただの砂漠の音ではなく砂が砂丘の上を動くときに起こる低周波の音がスピーカーから聞こえてきます。
それに合わせてまずはビオラが入って弦楽四重奏が砂漠と共に人間のものではない音楽を奏でます。
この砂漠の音を録ったというのがオマーンの砂漠とのことなのですが、途中から音楽が中東風になります。このセクションがものすごく好きでした。4人ユニゾンで同じメロディーを奏でるのですが、力強くてエキゾチックな旋律は中東のスタイルなんだけれど、アーティキュレーションとかのスタイルが妙に西洋風なところもあって、それが逆にかっこいい。
最後の穏やかにうねるようなスローな和音のセクションも素敵でした。
録音の使い方とかだと割とオーソドックスな現代音楽といえばそうなのですが今の時代の弦楽四重奏曲のレパートリーとして光る一曲だと思います。是非クロノスには録音していただきたいです。絶対買う。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
なんとか仕事もめどがついてきたかな。やっとですね。
ストレスで体がかゆくなったり気分が不安定になったり不安・焦燥に襲われたりでだいぶしんどかったですが今日あたりからちょっと楽になってきたかも。
昨夜は何もしないでいられなくてAge of Wondersをざくざく進めちゃいました。ただざくざくしすぎて色々拾い損ねたことがたくさんあるのでやり直し。
この1週間ほどで改めて自分は「調子が悪い」レベルからそんなに遠くないところに普段いるんだな、と実感。
昨日はピアノもやらず一日仕事でしたが今日は練習再開。(そういえば先生からもメールが来ました)
そろそろ色々暗譜を始めないとな-・・・ということで少しばかり始めたり。
ただふと立ち止まって冷静に考えてみるとそもそも自分はどうやって弾く曲を覚えるんだろうか、それが分からない。
去年もそれでちょっと悩んだんですよね。どうやって暗譜してたんだっけ、と。
前も書いたと思うのですが基本人前で演奏するときは暗譜で弾いています。大学のときはそれこそ結構なペースで演奏してましたし、暗譜は基本苦手ではないんですが、改めて考えてみるとどうやってやってるんだろう、どうやって取りかかればいいんだろう、と悩んでしまう。
そもそも難しい曲が暗譜も難しいとは限らないですからね。
どちらかというとシンプルな方が覚えるのが難しいような。
例えば今日やってたフォーレの前奏曲第6番は比較的短い2声のカノン+もう1声というシンプルな構成で、すでに何回も弾いて聴いてどんな曲かは分かっているんだけれどいざ楽譜を見ないとなると戸惑うことが多く。
対照的に同じフォーレの前奏曲第8番は技巧的に難しくて(自分にとっては)、今でも結構苦戦を強いられているのですが、暗譜で弾こうとしたことはまだ一回もなかったのに今日楽譜を見ないで弾いたら音が分からないところが一つもなかった。
「難しい曲」といっても以前ここで例に曲を選んで説明したように色々あって。その中でも技巧的に難しいというか、指・手の動きが独特だと覚えやすいというのはあると思います。手の動き・動作の記憶ってのは本当に大きい。
(もちろん技巧が難しい曲はそれだけ初期からの練習量も多くなる、というのもあります)
それから音楽に論理的なパターンが含まれてると覚えやすいのももちろんありますね。
自分でパターンを意識的に覚えて意識的に実行できるのは動きの記憶に頼るよりも安心感があります。
この理屈で行くと独特な技巧と合理的・論理的な音楽が合わさったプロコフィエフは割と暗譜しやすいんじゃないか、と思われますが自分の経験だと当たってると思いますね。
動きだったり論理だったり意外にも「覚えるとっかかり」というのは大切だと思います。
コードの種類だったり(和音は基本的に大きい方が手が覚えやすいし頭も迷わない、モーツァルトとかハイドンみたいにシンプルな和音は逆に迷う)、メロディーを覚えてそこに肉付けする、みたいなやりかただったり。全部いっぺんに覚えるのは大変なのでどこか一つに集中してそこから攻めていく・・・というと当たり前に聞こえますが。
だからメシアンはまだとっかかりがあると思うんです。形式もあるし(鳥の鳴き声の連なりも含む)、ある程度のメロディーだったりそれっぽい音の連なりはあるし、和音も手の形を覚えるには良い方だし。
よく「メシアンどうやって暗譜してるの?」と大学時代は聞かれましたがいろんな種類の覚えかたを組み合わせて、しっかり色彩を感じて自分の音と楽譜の音を比較しながらがっつり弾いていくしかないのかもしれませんね。
そして今回ももちろんメシアンありますからね。ダイシャクシギは4ページを除いて大学の試験で暗譜で弾いたので大丈夫、ヒメコウテンシも短めで覚えやすい鳴き声の連なりになってますし。
・・・やっぱりイソヒヨドリか。
正直まだまだ手の内にないので暗譜まで考えが回ってないのですが、そのうちぶちあたらなきゃいけない壁。長いし。音多いし。そもそも弾くのが難しいし。
あんまり↑みたいな偉いこといってられないですな、本当のところ。
先ほど書いたように決して苦手だったり、演奏中にブランクになったりとかはしないのですがこの暗譜を始めるのはどうも滅入ることもあり。
どうやって立ち向かえばいいのか、という悩みもあるのですが、なんかこう・・・せっかくここまで弾けるようになったのが一旦ゼロになる、ではないけど楽譜を見ないで弾こうとするとだいぶ弾けなくなる、思うように弾けなくなるのがちょっとしんどい。
弾いたことがある曲、すでになんかしらないけど暗譜できてる曲もありますが、今日味わったこの一旦挫折感を何度も味わわなくちゃいけないかと思うとやっぱり大変ですね。
・・・いつ演奏できるようになるんだろう。
兎にも角にも明日からちょっと余裕が出てくるといいですな。
ピアノも冷静に考えたいし、創作方向にもっと枝をのびのびと伸ばしたいですし、ゲームもじっくりやりたい。あとキーワード関係やりたいですね、ここで。じっくり考える余裕が必要なんですっかりご無沙汰ですし。
あと暑いうちに外に出たいです!夏が終わる前にもうちょっと味わいたい!
今日の一曲はお休みです。
なんとか仕事もめどがついてきたかな。やっとですね。
ストレスで体がかゆくなったり気分が不安定になったり不安・焦燥に襲われたりでだいぶしんどかったですが今日あたりからちょっと楽になってきたかも。
昨夜は何もしないでいられなくてAge of Wondersをざくざく進めちゃいました。ただざくざくしすぎて色々拾い損ねたことがたくさんあるのでやり直し。
この1週間ほどで改めて自分は「調子が悪い」レベルからそんなに遠くないところに普段いるんだな、と実感。
昨日はピアノもやらず一日仕事でしたが今日は練習再開。(そういえば先生からもメールが来ました)
そろそろ色々暗譜を始めないとな-・・・ということで少しばかり始めたり。
ただふと立ち止まって冷静に考えてみるとそもそも自分はどうやって弾く曲を覚えるんだろうか、それが分からない。
去年もそれでちょっと悩んだんですよね。どうやって暗譜してたんだっけ、と。
前も書いたと思うのですが基本人前で演奏するときは暗譜で弾いています。大学のときはそれこそ結構なペースで演奏してましたし、暗譜は基本苦手ではないんですが、改めて考えてみるとどうやってやってるんだろう、どうやって取りかかればいいんだろう、と悩んでしまう。
そもそも難しい曲が暗譜も難しいとは限らないですからね。
どちらかというとシンプルな方が覚えるのが難しいような。
例えば今日やってたフォーレの前奏曲第6番は比較的短い2声のカノン+もう1声というシンプルな構成で、すでに何回も弾いて聴いてどんな曲かは分かっているんだけれどいざ楽譜を見ないとなると戸惑うことが多く。
対照的に同じフォーレの前奏曲第8番は技巧的に難しくて(自分にとっては)、今でも結構苦戦を強いられているのですが、暗譜で弾こうとしたことはまだ一回もなかったのに今日楽譜を見ないで弾いたら音が分からないところが一つもなかった。
「難しい曲」といっても以前ここで例に曲を選んで説明したように色々あって。その中でも技巧的に難しいというか、指・手の動きが独特だと覚えやすいというのはあると思います。手の動き・動作の記憶ってのは本当に大きい。
(もちろん技巧が難しい曲はそれだけ初期からの練習量も多くなる、というのもあります)
それから音楽に論理的なパターンが含まれてると覚えやすいのももちろんありますね。
自分でパターンを意識的に覚えて意識的に実行できるのは動きの記憶に頼るよりも安心感があります。
この理屈で行くと独特な技巧と合理的・論理的な音楽が合わさったプロコフィエフは割と暗譜しやすいんじゃないか、と思われますが自分の経験だと当たってると思いますね。
動きだったり論理だったり意外にも「覚えるとっかかり」というのは大切だと思います。
コードの種類だったり(和音は基本的に大きい方が手が覚えやすいし頭も迷わない、モーツァルトとかハイドンみたいにシンプルな和音は逆に迷う)、メロディーを覚えてそこに肉付けする、みたいなやりかただったり。全部いっぺんに覚えるのは大変なのでどこか一つに集中してそこから攻めていく・・・というと当たり前に聞こえますが。
だからメシアンはまだとっかかりがあると思うんです。形式もあるし(鳥の鳴き声の連なりも含む)、ある程度のメロディーだったりそれっぽい音の連なりはあるし、和音も手の形を覚えるには良い方だし。
よく「メシアンどうやって暗譜してるの?」と大学時代は聞かれましたがいろんな種類の覚えかたを組み合わせて、しっかり色彩を感じて自分の音と楽譜の音を比較しながらがっつり弾いていくしかないのかもしれませんね。
そして今回ももちろんメシアンありますからね。ダイシャクシギは4ページを除いて大学の試験で暗譜で弾いたので大丈夫、ヒメコウテンシも短めで覚えやすい鳴き声の連なりになってますし。
・・・やっぱりイソヒヨドリか。
正直まだまだ手の内にないので暗譜まで考えが回ってないのですが、そのうちぶちあたらなきゃいけない壁。長いし。音多いし。そもそも弾くのが難しいし。
あんまり↑みたいな偉いこといってられないですな、本当のところ。
先ほど書いたように決して苦手だったり、演奏中にブランクになったりとかはしないのですがこの暗譜を始めるのはどうも滅入ることもあり。
どうやって立ち向かえばいいのか、という悩みもあるのですが、なんかこう・・・せっかくここまで弾けるようになったのが一旦ゼロになる、ではないけど楽譜を見ないで弾こうとするとだいぶ弾けなくなる、思うように弾けなくなるのがちょっとしんどい。
弾いたことがある曲、すでになんかしらないけど暗譜できてる曲もありますが、今日味わったこの一旦挫折感を何度も味わわなくちゃいけないかと思うとやっぱり大変ですね。
・・・いつ演奏できるようになるんだろう。
兎にも角にも明日からちょっと余裕が出てくるといいですな。
ピアノも冷静に考えたいし、創作方向にもっと枝をのびのびと伸ばしたいですし、ゲームもじっくりやりたい。あとキーワード関係やりたいですね、ここで。じっくり考える余裕が必要なんですっかりご無沙汰ですし。
あと暑いうちに外に出たいです!夏が終わる前にもうちょっと味わいたい!
今日の一曲はお休みです。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
あの後無事(乳が出ている)Sahiraを倒して、さらにJuliaのキャンペーンゲームの最初のシナリオもなんとかクリアしました。優勢になってから本拠に攻撃を仕掛けるまでもっとくまなくマップを冒険して高位ユニットを得るために町を育てて・・・が必要なようです。三国志よりもそこんとこの辛抱が必要なのかも。
今日はシティのFederation SquareのThe Edge Theatreでベートーヴェンのピアノソナタマラソンが開催されていました。これはメルボルンのコミュニティーベースのラジオ局3MBS主催のイベントで、朝9時の部から夜9時の部まで7つのコンサートでベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を演奏するという試み。コンサート時間は休憩含め14時間、メルボルン内外から28人のピアニストが集まって演奏しました。
もちろん知り合いや友達も演奏していましたよ~
ピアノ弾きとしてはちょっとベートーヴェンから心離れているようなところのある私でもこのイベントは是非1つ2つ行きたい、と思っていたのですがとにかく仕事が立て込んでいて家を離れられず。
でもイベント主催がラジオ局とあって生中継がラジオ・オンラインラジオで放送されていたので聴きながら仕事しました。
(聴いたのは3時の部、5時の部)
コンサートホールのように大きな場所じゃないですがどのコンサートもほぼ満席だったらしいですし、Twitter, facebookでも反響が結構あったようで。
何よりもこんなに多くの凄腕ピアニストが集まってこういうイベントをできる、それぞれ違った&どれもすばらしい「ベートーヴェン」の演奏が聴けるのはすばらしいことです。
・・・ただやっぱり行きたかったなあ、と。
演奏を生で聴きたい、というのももちろんそうですが、ピアノ仲間みんなに会いたかったなあ・・・
どうしても今の生活だと音楽仲間に会えるのは間隔があいてしまって、こういうコンサートイベントだけに限られて。しかもこれだけ大規模なピアノイベントで普段会わないピアノの先輩や知り合いと会えるチャンスはなかなかないですし。
会うだけじゃなくてこういう機会で色々音楽の話を聞くのがいいんですよね。
特に今回自分の守備範囲の外であるけどピアノを語るには欠かせないベートーヴェンとあって、自分よりもずっとまっとうなピアニスト達から色々ピアノの深いところ、ベートーヴェンを弾くと言うこととか色々学ぶこともたくさんあったはず。
(ラジオで演奏やインタビューを少しずつ聴いて思うこと、勉強になったことありましたが)
でも実際に聴きに行ったとして、ベートーヴェンのピアノソナタがもうすぐ弾きたくなるか、といったらそうじゃないと思うんですよね。
今目の前に自分でよく考えて組んだプログラムがあってがっつり食いつき中だから、というのもあるのですがどうもベートーヴェンのピアノソナタに食指が動かなくて。
(チェロソナタは第3番が弾きたいですが、いつも。ピアノでもチェロでも。)
ベートーヴェンの生涯のうち若いうちから晩年まで、32曲のピアノソナタを書いているのに卒業してから数年間あんまりストライクしてないんですよね。
もちろん録音は全曲昔から持ってて全く知らないソナタはなく、聴くのは結構好きなんですが自分で弾くとなるとぴんとこない、というか・・・
これが弾きたい!という強い思いもなければ、こういうプログラムに組み入れたいというアイディアもなければ自分ならこう弾きたいという解釈の思いもなく。
主に自分のピアノ弾きとしての未熟さなのかな、と思います。こういうピアノのためのピアノの魂みたいな、王道でクラシックな音楽に向き合って自分なりの意味を探して自分のものだと胸をはって表現できないのは。
・・・まあ一生このままではないと思うんですがね。きっとどっかでひらめいたり炎が燃えたりしてなにかベートーヴェンのソナタを弾く時がくると思います。こればかりはもう時の流れと運と出会いに任せるしかないかと。
ベートーヴェンのピアノ作品はピアノという楽器の一つの魂(唯一ではなく)であり、そして人間の魂も濃く表現していて、なにより芸術作品として(完璧とは言いませんが)素晴らしいものなので、ピアノを続けてればいつか交わる道なのかな、と思います。
ちなみに過去にはいくつかベートーヴェンのピアノソナタは弾いています。
全楽章コンプリートで弾いたのが第9番、第14番(月光)、第18番・・・あたりかな。
他にも一部だけ弾いてるのがいくつか。人前で弾いたことはかなり少ないはず。
これから弾きたいかも・・・と思う気持ちが今あるのが第13番、第17番、第22番、第23番(熱情)、第24番、第27番、第31番でしょうか。
主にちょっとだけひねった感のある、そんなにスケールの大きくない、比較的マイナーで自分の解釈を追求できそうな曲が中心ですね(がっつり直球勝負で熱情とか入ってますけど)。
いつか弾きたい気持ちになるのが、ベートーヴェンのソナタを良い感じで組み入れたプログラムが作れるようになるのが静かながら楽しみです。
そしてメルボルンでこういう比較的大規模なコンサートイベント(過去にやってたPiano Landmarksとかもそうですが)がまた開かれるといいな。メシアンメシアン(笑)メシアンだったら一枚噛みたい、というか演奏したいですよ!(ただ鳥カタはもう一人で全部とかやってますけどね、マイケルが!)
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第21番 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中でも愛称がつけられているものは有名ですね。例えば第14番「月光」とか、第23番「熱情」とか。この第21番は「ヴァルトシュタイン」という愛称で親しまれている名曲です。
全32曲の中の第21番。ここらへんからベートーヴェンのソナタも「後期」にさしかかってくるはず。
ベートーヴェンはピアノソナタに限らずですが当時の音楽の常識や決まりをぶち破る破天荒なことをした作曲家で、例えば形式だったりハーモニーだったり、意外な展開が大得意。
それが初期の作品だとちょっとどや顔が見えるというか、素晴らしい音楽なんだけれど意外なことをやりたいがためみたいな印象がちょっと前に出てきて、音楽としての深みがちょっと追いついてないところがあるような気がするんですよね。若気の至りというか。それも愛される理由なんですが。
でもこのヴァルトシュタインくらいになってくると音楽が良い感じに成熟してきていろんなところで常識をぶちこわしてきた表現の広さにさらに深みを与えて。
発展した技巧も、ものすごく変わったハーモニーも、すべて音楽的に意味がある、そんな満足感がある音楽です。
ベートーヴェンの音楽を代表する交響曲だったら自分は第5番「運命」を選びますが、ピアノソナタだったらこのヴァルトシュタイン。運命はハ短調でベートーヴェンがものすごく得意としている帳ですが、同じCのハ長調もまたベートーヴェンの魂だと思います。(ちなみに最後のソナタ32番はハ短調→ハ長調)
そこは話し始めたらちょっと長くなるんですけど、もちろん調性以外でもこのヴァルトシュタインはベートーヴェンを代表する作品だと思います。
これについては言葉を費やすよりも聴くのが早いです。この第1楽章を最初から最後まで旅するとその道のりの隅々までその魂と芸術の極みがあると思うので。
・・・とはいえ前述自分が弾きたい曲には入れてませんね。第1楽章は弾いたことあるのですが第3楽章がものすごく自分にとって難しかった!オクターブで音階とか(しかも右手)死ぬほどハードだったです。
なのでこの曲に関しては自分で弾くよりいろんな人の素晴らしい演奏に出会っていきたいと思います。
ベートーヴェンのピアノソナタは全32曲のボックスセットも多くありますし、いくつか組み合わせて1~2枚のCDにまとめたものも色々あります。
とりあえず初めましてを想定して32曲全部試聴があるアシュケナージの録音(家にあるやつ)をリンク。調も難易度もキャラクターも長さも規模も違う32曲。きっと好きになるソナタが見つかるはずです。
あの後無事(乳が出ている)Sahiraを倒して、さらにJuliaのキャンペーンゲームの最初のシナリオもなんとかクリアしました。優勢になってから本拠に攻撃を仕掛けるまでもっとくまなくマップを冒険して高位ユニットを得るために町を育てて・・・が必要なようです。三国志よりもそこんとこの辛抱が必要なのかも。
今日はシティのFederation SquareのThe Edge Theatreでベートーヴェンのピアノソナタマラソンが開催されていました。これはメルボルンのコミュニティーベースのラジオ局3MBS主催のイベントで、朝9時の部から夜9時の部まで7つのコンサートでベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を演奏するという試み。コンサート時間は休憩含め14時間、メルボルン内外から28人のピアニストが集まって演奏しました。
もちろん知り合いや友達も演奏していましたよ~
ピアノ弾きとしてはちょっとベートーヴェンから心離れているようなところのある私でもこのイベントは是非1つ2つ行きたい、と思っていたのですがとにかく仕事が立て込んでいて家を離れられず。
でもイベント主催がラジオ局とあって生中継がラジオ・オンラインラジオで放送されていたので聴きながら仕事しました。
(聴いたのは3時の部、5時の部)
コンサートホールのように大きな場所じゃないですがどのコンサートもほぼ満席だったらしいですし、Twitter, facebookでも反響が結構あったようで。
何よりもこんなに多くの凄腕ピアニストが集まってこういうイベントをできる、それぞれ違った&どれもすばらしい「ベートーヴェン」の演奏が聴けるのはすばらしいことです。
・・・ただやっぱり行きたかったなあ、と。
演奏を生で聴きたい、というのももちろんそうですが、ピアノ仲間みんなに会いたかったなあ・・・
どうしても今の生活だと音楽仲間に会えるのは間隔があいてしまって、こういうコンサートイベントだけに限られて。しかもこれだけ大規模なピアノイベントで普段会わないピアノの先輩や知り合いと会えるチャンスはなかなかないですし。
会うだけじゃなくてこういう機会で色々音楽の話を聞くのがいいんですよね。
特に今回自分の守備範囲の外であるけどピアノを語るには欠かせないベートーヴェンとあって、自分よりもずっとまっとうなピアニスト達から色々ピアノの深いところ、ベートーヴェンを弾くと言うこととか色々学ぶこともたくさんあったはず。
(ラジオで演奏やインタビューを少しずつ聴いて思うこと、勉強になったことありましたが)
でも実際に聴きに行ったとして、ベートーヴェンのピアノソナタがもうすぐ弾きたくなるか、といったらそうじゃないと思うんですよね。
今目の前に自分でよく考えて組んだプログラムがあってがっつり食いつき中だから、というのもあるのですがどうもベートーヴェンのピアノソナタに食指が動かなくて。
(チェロソナタは第3番が弾きたいですが、いつも。ピアノでもチェロでも。)
ベートーヴェンの生涯のうち若いうちから晩年まで、32曲のピアノソナタを書いているのに卒業してから数年間あんまりストライクしてないんですよね。
もちろん録音は全曲昔から持ってて全く知らないソナタはなく、聴くのは結構好きなんですが自分で弾くとなるとぴんとこない、というか・・・
これが弾きたい!という強い思いもなければ、こういうプログラムに組み入れたいというアイディアもなければ自分ならこう弾きたいという解釈の思いもなく。
主に自分のピアノ弾きとしての未熟さなのかな、と思います。こういうピアノのためのピアノの魂みたいな、王道でクラシックな音楽に向き合って自分なりの意味を探して自分のものだと胸をはって表現できないのは。
・・・まあ一生このままではないと思うんですがね。きっとどっかでひらめいたり炎が燃えたりしてなにかベートーヴェンのソナタを弾く時がくると思います。こればかりはもう時の流れと運と出会いに任せるしかないかと。
ベートーヴェンのピアノ作品はピアノという楽器の一つの魂(唯一ではなく)であり、そして人間の魂も濃く表現していて、なにより芸術作品として(完璧とは言いませんが)素晴らしいものなので、ピアノを続けてればいつか交わる道なのかな、と思います。
ちなみに過去にはいくつかベートーヴェンのピアノソナタは弾いています。
全楽章コンプリートで弾いたのが第9番、第14番(月光)、第18番・・・あたりかな。
他にも一部だけ弾いてるのがいくつか。人前で弾いたことはかなり少ないはず。
これから弾きたいかも・・・と思う気持ちが今あるのが第13番、第17番、第22番、第23番(熱情)、第24番、第27番、第31番でしょうか。
主にちょっとだけひねった感のある、そんなにスケールの大きくない、比較的マイナーで自分の解釈を追求できそうな曲が中心ですね(がっつり直球勝負で熱情とか入ってますけど)。
いつか弾きたい気持ちになるのが、ベートーヴェンのソナタを良い感じで組み入れたプログラムが作れるようになるのが静かながら楽しみです。
そしてメルボルンでこういう比較的大規模なコンサートイベント(過去にやってたPiano Landmarksとかもそうですが)がまた開かれるといいな。メシアンメシアン(笑)メシアンだったら一枚噛みたい、というか演奏したいですよ!(ただ鳥カタはもう一人で全部とかやってますけどね、マイケルが!)
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第21番 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中でも愛称がつけられているものは有名ですね。例えば第14番「月光」とか、第23番「熱情」とか。この第21番は「ヴァルトシュタイン」という愛称で親しまれている名曲です。
全32曲の中の第21番。ここらへんからベートーヴェンのソナタも「後期」にさしかかってくるはず。
ベートーヴェンはピアノソナタに限らずですが当時の音楽の常識や決まりをぶち破る破天荒なことをした作曲家で、例えば形式だったりハーモニーだったり、意外な展開が大得意。
それが初期の作品だとちょっとどや顔が見えるというか、素晴らしい音楽なんだけれど意外なことをやりたいがためみたいな印象がちょっと前に出てきて、音楽としての深みがちょっと追いついてないところがあるような気がするんですよね。若気の至りというか。それも愛される理由なんですが。
でもこのヴァルトシュタインくらいになってくると音楽が良い感じに成熟してきていろんなところで常識をぶちこわしてきた表現の広さにさらに深みを与えて。
発展した技巧も、ものすごく変わったハーモニーも、すべて音楽的に意味がある、そんな満足感がある音楽です。
ベートーヴェンの音楽を代表する交響曲だったら自分は第5番「運命」を選びますが、ピアノソナタだったらこのヴァルトシュタイン。運命はハ短調でベートーヴェンがものすごく得意としている帳ですが、同じCのハ長調もまたベートーヴェンの魂だと思います。(ちなみに最後のソナタ32番はハ短調→ハ長調)
そこは話し始めたらちょっと長くなるんですけど、もちろん調性以外でもこのヴァルトシュタインはベートーヴェンを代表する作品だと思います。
これについては言葉を費やすよりも聴くのが早いです。この第1楽章を最初から最後まで旅するとその道のりの隅々までその魂と芸術の極みがあると思うので。
・・・とはいえ前述自分が弾きたい曲には入れてませんね。第1楽章は弾いたことあるのですが第3楽章がものすごく自分にとって難しかった!オクターブで音階とか(しかも右手)死ぬほどハードだったです。
なのでこの曲に関しては自分で弾くよりいろんな人の素晴らしい演奏に出会っていきたいと思います。
ベートーヴェンのピアノソナタは全32曲のボックスセットも多くありますし、いくつか組み合わせて1~2枚のCDにまとめたものも色々あります。
とりあえず初めましてを想定して32曲全部試聴があるアシュケナージの録音(家にあるやつ)をリンク。調も難易度もキャラクターも長さも規模も違う32曲。きっと好きになるソナタが見つかるはずです。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
White Nightの公式ページをみたら世界のいろんな都市でこういうオールイベントが企画されているようで(メルボルンは今年が初(英語で言うとInaugural)でこれから毎年やる予定だそうです。)、リストを見てみると日本・京都・10月5日とか書いてあるじゃないですか。ぐーぐるさんはまだ何にも知らんよーというのですが続報を期待してます。地域密着、というかそれぞれの都市の特色を生かした、各都市で違う色合いのイベントになったらいいなあ、と勝手に思っているんですが。
さて、そんなわけで夏をエンジョイな天候が続いていたのですが昨夜ものすごい嵐になって(一度夜中に目が覚めました)、今日は午前中から昼過ぎまでずっと雨。気温もぐっと下がりました。
それがどうもいけなかったのか今日は午後から背中まで痛い頭痛に襲われ。最近首~腕の調子も悪目だったのですがやっぱり背痛は首と関係があるようです・・・ストレッチはちゃんとまじめにやらねば。
仕事がなんせ忙しいのですが行きたいコンサートも色々。3月上旬に予約したKronos Quartetのコンサートはなんとしてでも行きますし、メル響も国立アカデミーもシーズンが始まってますし(ただまだちゃんと見てないんだ、なんとかせねば)。
なんといっても3月3日=今週日曜日3MBSラジオ主催でFederation Squareで開催される1日ベートーヴェンピアノソナタマラソンに行きたいんですがね-。知ってる人も弾きますし、こういうイベントはなかなか出会えないですし。ただやっぱり仕事が・・・(汗)
そんな中でピアノのレッスンをなんとか・・・と先生にメールしました。まだ返事は来てません。
自分の耳で自分の演奏を聴いて自分の頭で評価するのには若干限界がきているこの頃。なかなか自信が持てずにいます。
でもだんだんまとまって来た感はあるんですよね、大部分は。大きな技術的or音楽的問題を抱えてる曲はほぼない。主に技術的。
一番懸念してるのはメシアン(鳥カタ)の暗譜ですかねえ・・・
ヒメコウテンシは大丈夫だと思うんですが、今回初で弾く&プログラム中最長曲であるイソヒヨドリは全くそっちに関してはまだ。(そもそもまだ楽譜見ても心配なところがたくさん)
大学の最終試験で一回弾いているダイシャクシギにしても試験のときには4ページ分だけ楽譜見て弾きましたから。それも全く覚えられなかったってわけじゃないんですがその時の記憶がどれだけ水面下に残っているかは自信ないです。
でもやっぱりメシアンは、そして鳥のカタログは難しいながらも自分にとって近い音楽です。
そして完全に手前味噌ですが鳥がどんどん自分の弾き方に入ってきているというか、鳥が板についてきているというか。
ただやっぱりちょくちょく元の鳥の声と照合したりするのも重要ですし、音の正確さももっと突き詰めていかなきゃいけないし。今まだ結構パッセージ毎のニュアンスとか表現重視なんですよね。もっとミクロに迫ってかないと。
今日はでもダイシャクシギを通してたら外でmynaが3羽ほど(みんなでかかったのでスパムの家系かも)塀の上に止まってぴよぴよ騒いでこっちを見ていました。
これをどう解釈すればいいのか・・・ちゃんと鳥の声に聞こえてるのかな、とか期待しちゃいますよ。
でも鳥の声に聞こえたところでさえずりとかカモメの声とかテリトリーの主張なので。テリトリーをとったり雌をとったりそういう意図はないんですよ。あの子たちとは共生したいと思ってます。
(ただ窓ガラスのこっち側のテリトリーは主張する権利ありますよね)
そしてこないだのWarrnamboolでの景色や音がイソヒヨドリとつながり、というのを始めとして曲同士の関連とか、音楽以外、クラシック音楽以外でのイメージのつながりなんかも順調に育っている・・・かな。
フォーレの前奏曲第5番、ラフマニノフの練習曲「音の絵」の第7番や「ダイシャクシギ」には似たような灰色のつながりがあったり、流れる水のつながり、海のつながりがあったり。
あとface to aceの春がモチーフの曲にある感覚をフォーレの前奏曲第7番に持って行きたかったり。
まだまだどの曲も「良い演奏」ができる状態ではないですが、だんだん弾くに当たって余裕がでてくるようなところもあるのでそういうイメージのつながりを積極的に探して表現に育てていければいいな、と思っています。
・・・にしてももうちょっとゆっくりしたい。
創作の方も途切れ途切れですしね、もっとゲームもゆっくりしたい・・・もある。
首のこともありますし無理なく行きたいです。
今日の一曲: Chet Atkins 「Smokey Mountain Lullaby」(ソロギター編曲:Tommy Emmanuel)
夕方の仕事とか夕飯作りの時にしょっちゅう聴いてる曲です。
一日が終わったーというか、とにかく心が落ち着く曲。もともとギター=父の弾く音、だからアコースティックギターは落ち着くのですが、なんともシンプルでハーモニーと響きが美しいです、この曲は。
私がこの曲を知ったのは父が持ってるCD(サイン入り)「The Day Finger Pickers Took Over the World」だったのですが、今ちょろっと動画検索してみたら教則本などにも入っていてTommyの演奏だったり弾いてみた動画だったり色々ありますねー。超絶技巧よりも表現力が問われる美しい人なので好きな人、弾いてみたいと思う人結構いるのかな。
いいな、タブ譜もあるみたいだし父に弾けと言いたいですな(笑)。弾いてくれないかな。あるいは私がチェレスタで弾く、というのもありではないか。
上にリンクする録音とは別にようつべの動画をひとつこちらにリンク。Tommyの割と最近の演奏です。ギター一本だとこういう演奏になるんですね。
White Nightの公式ページをみたら世界のいろんな都市でこういうオールイベントが企画されているようで(メルボルンは今年が初(英語で言うとInaugural)でこれから毎年やる予定だそうです。)、リストを見てみると日本・京都・10月5日とか書いてあるじゃないですか。ぐーぐるさんはまだ何にも知らんよーというのですが続報を期待してます。地域密着、というかそれぞれの都市の特色を生かした、各都市で違う色合いのイベントになったらいいなあ、と勝手に思っているんですが。
さて、そんなわけで夏をエンジョイな天候が続いていたのですが昨夜ものすごい嵐になって(一度夜中に目が覚めました)、今日は午前中から昼過ぎまでずっと雨。気温もぐっと下がりました。
それがどうもいけなかったのか今日は午後から背中まで痛い頭痛に襲われ。最近首~腕の調子も悪目だったのですがやっぱり背痛は首と関係があるようです・・・ストレッチはちゃんとまじめにやらねば。
仕事がなんせ忙しいのですが行きたいコンサートも色々。3月上旬に予約したKronos Quartetのコンサートはなんとしてでも行きますし、メル響も国立アカデミーもシーズンが始まってますし(ただまだちゃんと見てないんだ、なんとかせねば)。
なんといっても3月3日=今週日曜日3MBSラジオ主催でFederation Squareで開催される1日ベートーヴェンピアノソナタマラソンに行きたいんですがね-。知ってる人も弾きますし、こういうイベントはなかなか出会えないですし。ただやっぱり仕事が・・・(汗)
そんな中でピアノのレッスンをなんとか・・・と先生にメールしました。まだ返事は来てません。
自分の耳で自分の演奏を聴いて自分の頭で評価するのには若干限界がきているこの頃。なかなか自信が持てずにいます。
でもだんだんまとまって来た感はあるんですよね、大部分は。大きな技術的or音楽的問題を抱えてる曲はほぼない。主に技術的。
一番懸念してるのはメシアン(鳥カタ)の暗譜ですかねえ・・・
ヒメコウテンシは大丈夫だと思うんですが、今回初で弾く&プログラム中最長曲であるイソヒヨドリは全くそっちに関してはまだ。(そもそもまだ楽譜見ても心配なところがたくさん)
大学の最終試験で一回弾いているダイシャクシギにしても試験のときには4ページ分だけ楽譜見て弾きましたから。それも全く覚えられなかったってわけじゃないんですがその時の記憶がどれだけ水面下に残っているかは自信ないです。
でもやっぱりメシアンは、そして鳥のカタログは難しいながらも自分にとって近い音楽です。
そして完全に手前味噌ですが鳥がどんどん自分の弾き方に入ってきているというか、鳥が板についてきているというか。
ただやっぱりちょくちょく元の鳥の声と照合したりするのも重要ですし、音の正確さももっと突き詰めていかなきゃいけないし。今まだ結構パッセージ毎のニュアンスとか表現重視なんですよね。もっとミクロに迫ってかないと。
今日はでもダイシャクシギを通してたら外でmynaが3羽ほど(みんなでかかったのでスパムの家系かも)塀の上に止まってぴよぴよ騒いでこっちを見ていました。
これをどう解釈すればいいのか・・・ちゃんと鳥の声に聞こえてるのかな、とか期待しちゃいますよ。
でも鳥の声に聞こえたところでさえずりとかカモメの声とかテリトリーの主張なので。テリトリーをとったり雌をとったりそういう意図はないんですよ。あの子たちとは共生したいと思ってます。
(ただ窓ガラスのこっち側のテリトリーは主張する権利ありますよね)
そしてこないだのWarrnamboolでの景色や音がイソヒヨドリとつながり、というのを始めとして曲同士の関連とか、音楽以外、クラシック音楽以外でのイメージのつながりなんかも順調に育っている・・・かな。
フォーレの前奏曲第5番、ラフマニノフの練習曲「音の絵」の第7番や「ダイシャクシギ」には似たような灰色のつながりがあったり、流れる水のつながり、海のつながりがあったり。
あとface to aceの春がモチーフの曲にある感覚をフォーレの前奏曲第7番に持って行きたかったり。
まだまだどの曲も「良い演奏」ができる状態ではないですが、だんだん弾くに当たって余裕がでてくるようなところもあるのでそういうイメージのつながりを積極的に探して表現に育てていければいいな、と思っています。
・・・にしてももうちょっとゆっくりしたい。
創作の方も途切れ途切れですしね、もっとゲームもゆっくりしたい・・・もある。
首のこともありますし無理なく行きたいです。
今日の一曲: Chet Atkins 「Smokey Mountain Lullaby」(ソロギター編曲:Tommy Emmanuel)
夕方の仕事とか夕飯作りの時にしょっちゅう聴いてる曲です。
一日が終わったーというか、とにかく心が落ち着く曲。もともとギター=父の弾く音、だからアコースティックギターは落ち着くのですが、なんともシンプルでハーモニーと響きが美しいです、この曲は。
私がこの曲を知ったのは父が持ってるCD(サイン入り)「The Day Finger Pickers Took Over the World」だったのですが、今ちょろっと動画検索してみたら教則本などにも入っていてTommyの演奏だったり弾いてみた動画だったり色々ありますねー。超絶技巧よりも表現力が問われる美しい人なので好きな人、弾いてみたいと思う人結構いるのかな。
いいな、タブ譜もあるみたいだし父に弾けと言いたいですな(笑)。弾いてくれないかな。あるいは私がチェレスタで弾く、というのもありではないか。
上にリンクする録音とは別にようつべの動画をひとつこちらにリンク。Tommyの割と最近の演奏です。ギター一本だとこういう演奏になるんですね。