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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
ちょっと今仕事が割り込んできたりして頭があたふたしているのですが徐々に考えていきたいと思います。
さて、今日は蒸し暑い中大学の図書館が年末年始にしばらくお休みということでCDやら楽譜やら借りてきたのでちょっとその紹介を。
借りてきた楽譜はクセナキスのピアノ曲「Herma」と「Evryali」。
ヤニス・クセナキスはギリシャの20世紀の作曲家で(そう、Xから始まる作曲家!)、ブーレーズやシュトックハウゼンと同じくメシアンに師事して音楽のモダニズムを開拓していった作曲家です。割と経歴が面白いのでWikipediaリンクざっと読んでみて下さい。建築・数学のバックグラウンドは作品によく現れてると思いますし、あと日本とのつながりも結構深い作曲家。
割とこのポストメシアン世代の音楽は聴くには難解ながら結構好きで、でも弾くにはやっぱりちょっと敬遠してきたのですが(そもそもその発端となったメシアンの練習曲の2つ目からだよなーと思ったのです)、ひょんなことから(=大学の図書館の特大スコアの引き出し)クセナキスの音楽に興味を持ってようつべで聴いてみたら割と好きで。
主なピアノ曲は「Herma」、「Evryali」、「Mists」、「A.r 」があるのですが今回Mistsは雨の中でっかいスコアを持ってくるのは避けたかったので断念。「A.r 」はラヴェルに捧げた曲らしいんだけど楽譜が今のところ見つからない。
一番好きなのは「Evryali」なのですが、常に楽譜が4段(普通ピアノの楽譜はおおまかに右手・左手と分けて2段)で書いてあってものすごく難しそう。ただ不可能とは不思議と思わないです。
「Herma」は伝統的な2段の楽譜で見た目はちょっとシンプル。ただそれでも難しいですよ。音とか。強弱とか。リズムとか。跳躍とか。あと楽譜の最初に誤記訂正のページが4ページ入ってて(苦笑)
とりあえず今すぐ弾くわけじゃないけれど楽譜見ながら聴いたり、近いうちにCDも買ったりして吸収・消化始められればなあ、と思います。(あと将来的に弾くなら自分が知ってる・弾く他の音楽との折り合いというか、そういうものもつけないとですね)
そして、CDは以下の5枚。
1) Ross Edwardsの木管系の協奏曲コレクション(Heart of Night)
2) オーストラリアのギター音楽コレクション
3) ヒナステラ ピアノ曲集
4) Tavenerとペルトの弦楽四重奏のための作品(編曲あり)
5) リゲティ Le Grand Macabre
1)はこのブログでも何回か話に出ていますオーストラリアの作曲家、Ross EdwardsのCD。演奏はメル響。
収録されているのはオーボエ協奏曲「Bird Spirit Dreaming」(ラリアで最高の奏者と名高いDiana Dohertyがオーボエのソリスト)、尺八とオーケストラのための「The Heart of the Night」(こちらも本国最高の尺八奏者、Riley Leeがソロ)、そしてクラリネット協奏曲(メル響主席のDavid Thomasがソロ)。
尺八についてですが、Edwardsはこの楽器を好んで使っていて、アンサンブルやソロの作品もあったはず。で、それをRiley Leeが片っ端から(違)弾いているというわけです。改めて聴くのは初めてなので大変楽しみ。
Westlakeの作品に出会ってオーストラリアの音楽はギターに合う、と思ったので借りてみた2)。収録されてるのはEdwards, Houghton, Schulthorpe, Koehne, Deanの作品。Brett Deanが特に興味津々。オケの楽器使いは凄いけどギターのイメージはなかったので。
3)のアルベルト・ヒナステラ(本当はジナステラと呼んで欲しいらしい)はアルゼンチンの作曲家。前から名前は聞いていたのですがちょこちょことしか作品に出会う機会がなく、でもヴィラ=ロボスを弾くならもっと南米(そして中米?)も広げなきゃ、ということでご挨拶に。
4)のTavenerとペルトはどちらもヨーロッパのミニマルミュージックを代表する作曲家。ペルトの器楽作品も結構持っているけれど(声楽はまだ。ちなみにこのCDに収録されてるペルトの作品は既に持ってるのの編曲)、Tavenerはちょっと初めましてということで。一曲が結構長いのですが色々楽しみです。
リゲティはピアノ音楽ばっかり聴いて他がさっぱりだったのですが、ひょんなきっかけからオペラ「Le Grand Macabre」を借りることに。先ほどあらすじを読んでみたのですがまあカオスですね!(笑)(日本語の詳細なあらすじが見つからなくて紹介出来ないのが残念)それ以外でもカオスなところが。でもそれが面白そう。リゲティの音楽ってものすごくこう、メカニカルというか幾何学的というかそういうのがあるので色んなところがカオスでもどこかちゃんとまとまるんじゃないかな。
あらすじの途中でなんか隕石が落ちてくるとなりそれで混乱が起こったり、で落ちてきたけれど結局登場人物が生きてて「死に勝った!」とかいう流れで、なんかこの2012年12月21日に世界が滅びると言われているあれに通じるというか、なんか知らないけどタイミングがよかったなあと。明日聴きます(笑)
・・・ということでこれらのCD、楽譜はこれから美味しくいただきます。またそのうち感想もちょこちょこ。
それから今日はエプロンを衝動買いしたり、あとT2でモロッコ風アイスティーのグラスを買いました(こんなの。色がついてるやつもあったのですがこれが一番使いやすそうだった)。ミントが正しい種類のが見つからないのですが、今夏試してみたいです。
モロッコ風でなくても今年の夏は(去年より暑くなると信じて)アイスティーがもっと飲みたいです。暑くなれ。
今日の一曲: エドワード・エルガー 「エニグマ」変奏曲より第7変奏曲「Troyte」
前回のリストから一つちょっと注釈を加えかったのでチョイス。
「雷」のエレメントを表現するのに使った曲ですが、普段稲妻とか雷は雨・嵐などで暗い中のイメージですが(例えばベートーヴェンの「田園」とかシュトラウスのアルペン交響曲での嵐、そしてシューベルトのピアノソナタ変ロ長調、ベルリオーズの幻想交響曲での暗い遠雷のイメージ)、今回「雷」自体の特徴を説明するにあたって明るい曲を選んでみました。
なんたって光ですからね。ものすごい光がものすごい速さで真っ直ぐ、物理の諸々に素直に従って空を切り裂き、稲を実らせる。暗い中ぱっと光って消える。
ちなみにオーストラリアの夏の稲光は見てて本当に爽快ですしね(大晦日に何回か見れた覚えが)。
明るく激しくストレートでエネルギーに満ちて、なおかつティンパニが雷みたいな曲と言ったらこれしかないでしょう。
「エニグマ」変奏曲は各変奏曲がエルガーの様々な友人をコミカルに、そして愛をこめて表しているのですがこの第7変奏「Troyte」のモデルになった人物はピアニストで、なんかその弾き方が激しくてむしろ低音がドラムの様に聞こえる、という(たまにいますねーそういうピアニスト)。それがこの変奏曲でティンパニのパートがものすごくかっこよくなった経緯だそう(笑)
短いけれどドラマに満ちあふれて、明るくなったり暗くなったり終始めまぐるしく、ものすごく強烈で爽快な印象な曲。
・・・なのでもしかしたらこのTroyteなる人物の気質も「雷」の気質だったんじゃないかなあ、とちょっと想像するのも面白いです。
試聴はないのですがうちにある録音のなかで同じエルガーのチェロ協奏曲(デュ・プレ演奏!そして旦那のバレンボイム指揮!)とカップリングされたCDをリンクします。
ちょっと今仕事が割り込んできたりして頭があたふたしているのですが徐々に考えていきたいと思います。
さて、今日は蒸し暑い中大学の図書館が年末年始にしばらくお休みということでCDやら楽譜やら借りてきたのでちょっとその紹介を。
借りてきた楽譜はクセナキスのピアノ曲「Herma」と「Evryali」。
ヤニス・クセナキスはギリシャの20世紀の作曲家で(そう、Xから始まる作曲家!)、ブーレーズやシュトックハウゼンと同じくメシアンに師事して音楽のモダニズムを開拓していった作曲家です。割と経歴が面白いのでWikipediaリンクざっと読んでみて下さい。建築・数学のバックグラウンドは作品によく現れてると思いますし、あと日本とのつながりも結構深い作曲家。
割とこのポストメシアン世代の音楽は聴くには難解ながら結構好きで、でも弾くにはやっぱりちょっと敬遠してきたのですが(そもそもその発端となったメシアンの練習曲の2つ目からだよなーと思ったのです)、ひょんなことから(=大学の図書館の特大スコアの引き出し)クセナキスの音楽に興味を持ってようつべで聴いてみたら割と好きで。
主なピアノ曲は「Herma」、「Evryali」、「Mists」、「A.r 」があるのですが今回Mistsは雨の中でっかいスコアを持ってくるのは避けたかったので断念。「A.r 」はラヴェルに捧げた曲らしいんだけど楽譜が今のところ見つからない。
一番好きなのは「Evryali」なのですが、常に楽譜が4段(普通ピアノの楽譜はおおまかに右手・左手と分けて2段)で書いてあってものすごく難しそう。ただ不可能とは不思議と思わないです。
「Herma」は伝統的な2段の楽譜で見た目はちょっとシンプル。ただそれでも難しいですよ。音とか。強弱とか。リズムとか。跳躍とか。あと楽譜の最初に誤記訂正のページが4ページ入ってて(苦笑)
とりあえず今すぐ弾くわけじゃないけれど楽譜見ながら聴いたり、近いうちにCDも買ったりして吸収・消化始められればなあ、と思います。(あと将来的に弾くなら自分が知ってる・弾く他の音楽との折り合いというか、そういうものもつけないとですね)
そして、CDは以下の5枚。
1) Ross Edwardsの木管系の協奏曲コレクション(Heart of Night)
2) オーストラリアのギター音楽コレクション
3) ヒナステラ ピアノ曲集
4) Tavenerとペルトの弦楽四重奏のための作品(編曲あり)
5) リゲティ Le Grand Macabre
1)はこのブログでも何回か話に出ていますオーストラリアの作曲家、Ross EdwardsのCD。演奏はメル響。
収録されているのはオーボエ協奏曲「Bird Spirit Dreaming」(ラリアで最高の奏者と名高いDiana Dohertyがオーボエのソリスト)、尺八とオーケストラのための「The Heart of the Night」(こちらも本国最高の尺八奏者、Riley Leeがソロ)、そしてクラリネット協奏曲(メル響主席のDavid Thomasがソロ)。
尺八についてですが、Edwardsはこの楽器を好んで使っていて、アンサンブルやソロの作品もあったはず。で、それをRiley Leeが片っ端から(違)弾いているというわけです。改めて聴くのは初めてなので大変楽しみ。
Westlakeの作品に出会ってオーストラリアの音楽はギターに合う、と思ったので借りてみた2)。収録されてるのはEdwards, Houghton, Schulthorpe, Koehne, Deanの作品。Brett Deanが特に興味津々。オケの楽器使いは凄いけどギターのイメージはなかったので。
3)のアルベルト・ヒナステラ(本当はジナステラと呼んで欲しいらしい)はアルゼンチンの作曲家。前から名前は聞いていたのですがちょこちょことしか作品に出会う機会がなく、でもヴィラ=ロボスを弾くならもっと南米(そして中米?)も広げなきゃ、ということでご挨拶に。
4)のTavenerとペルトはどちらもヨーロッパのミニマルミュージックを代表する作曲家。ペルトの器楽作品も結構持っているけれど(声楽はまだ。ちなみにこのCDに収録されてるペルトの作品は既に持ってるのの編曲)、Tavenerはちょっと初めましてということで。一曲が結構長いのですが色々楽しみです。
リゲティはピアノ音楽ばっかり聴いて他がさっぱりだったのですが、ひょんなきっかけからオペラ「Le Grand Macabre」を借りることに。先ほどあらすじを読んでみたのですがまあカオスですね!(笑)(日本語の詳細なあらすじが見つからなくて紹介出来ないのが残念)それ以外でもカオスなところが。でもそれが面白そう。リゲティの音楽ってものすごくこう、メカニカルというか幾何学的というかそういうのがあるので色んなところがカオスでもどこかちゃんとまとまるんじゃないかな。
あらすじの途中でなんか隕石が落ちてくるとなりそれで混乱が起こったり、で落ちてきたけれど結局登場人物が生きてて「死に勝った!」とかいう流れで、なんかこの2012年12月21日に世界が滅びると言われているあれに通じるというか、なんか知らないけどタイミングがよかったなあと。明日聴きます(笑)
・・・ということでこれらのCD、楽譜はこれから美味しくいただきます。またそのうち感想もちょこちょこ。
それから今日はエプロンを衝動買いしたり、あとT2でモロッコ風アイスティーのグラスを買いました(こんなの。色がついてるやつもあったのですがこれが一番使いやすそうだった)。ミントが正しい種類のが見つからないのですが、今夏試してみたいです。
モロッコ風でなくても今年の夏は(去年より暑くなると信じて)アイスティーがもっと飲みたいです。暑くなれ。
今日の一曲: エドワード・エルガー 「エニグマ」変奏曲より第7変奏曲「Troyte」
前回のリストから一つちょっと注釈を加えかったのでチョイス。
「雷」のエレメントを表現するのに使った曲ですが、普段稲妻とか雷は雨・嵐などで暗い中のイメージですが(例えばベートーヴェンの「田園」とかシュトラウスのアルペン交響曲での嵐、そしてシューベルトのピアノソナタ変ロ長調、ベルリオーズの幻想交響曲での暗い遠雷のイメージ)、今回「雷」自体の特徴を説明するにあたって明るい曲を選んでみました。
なんたって光ですからね。ものすごい光がものすごい速さで真っ直ぐ、物理の諸々に素直に従って空を切り裂き、稲を実らせる。暗い中ぱっと光って消える。
ちなみにオーストラリアの夏の稲光は見てて本当に爽快ですしね(大晦日に何回か見れた覚えが)。
明るく激しくストレートでエネルギーに満ちて、なおかつティンパニが雷みたいな曲と言ったらこれしかないでしょう。
「エニグマ」変奏曲は各変奏曲がエルガーの様々な友人をコミカルに、そして愛をこめて表しているのですがこの第7変奏「Troyte」のモデルになった人物はピアニストで、なんかその弾き方が激しくてむしろ低音がドラムの様に聞こえる、という(たまにいますねーそういうピアニスト)。それがこの変奏曲でティンパニのパートがものすごくかっこよくなった経緯だそう(笑)
短いけれどドラマに満ちあふれて、明るくなったり暗くなったり終始めまぐるしく、ものすごく強烈で爽快な印象な曲。
・・・なのでもしかしたらこのTroyteなる人物の気質も「雷」の気質だったんじゃないかなあ、とちょっと想像するのも面白いです。
試聴はないのですがうちにある録音のなかで同じエルガーのチェロ協奏曲(デュ・プレ演奏!そして旦那のバレンボイム指揮!)とカップリングされたCDをリンクします。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
昨日はAge of Wonders: Shadow Magicをじっくりやってみました。といっても自分なりの「じっくり」なので結構ゲームプレイで至らないことも色々あり。せっかちなんですよねー。こういう戦略ゲームでしっかり国力を育てて、とか苦手ではなかったはずなんですが、例えばコーエーの三国志シリーズと比べると動きに自由度があるためAoWの方が防御が大事になってきたりして。ちゃんとやらないと色んなところが手薄になる。
あとせっかく将軍的な存在のHeroが集ってきてくれてるのに誰が誰か把握してないのはやめようと思います(笑)それぞれの能力を把握して諸々生かしたりplan aheadしたりしないと。あと魔法諸々も把握しないと。地形魔法とかかけれるようになりたい。
今回Tigransという猫人族でプレイしたのですが、結構慣れてきましたね。初心者にも使いやすいっぽい。詳細は今のところは割愛しますがこれから他の種族も慣れていきたいです。
ADOMもAge of WondersもSacrificeも、自分が好きなゲームはちょっと古めでリプレイ価値がかなり高い傾向にあるような気がします。何にしてもカスタマイズ好きなのが影響してるかな。自分が操るキャラクターが最初に(またはSacrficeの場合そのたどる道で)自分が使いやすい、イメージしやすいようにカスタマイズできるゲームがいい。
なので結果いろんなチョイスがあって、何回も違う組み合わせやマップ、ルートで遊べるゲームが手元に長く残る、と。
音楽も割とこのリプレイ価値は大事ですね。聴くにしても弾くにしても。
例えばこないだまで候補だったフォーレの舟歌は聴くにはまあ日常でちょこちょこ流し聴きして長く好きでいられるけれどここから数ヶ月しっかり練習して毎日向き合って、となるとなかなか想像できなかった。
(だから聴くのと弾くのでは違う物差しがあるってことですね)
リプレイ価値についてはこのブログで何度も話していますがホルストの「惑星」は意外と結構高いです。もう17年とか知ってる曲で、3回演奏してて、7つの楽章一通りはまって一周してもまだ新しく発見すること、好きになることがあって。ああ、これは一生好きでいられるな、という安堵感があります。
あと「鳥のカタログ」は自分にとってのリプレイ価値はかなり高いです。なんせ情報量が多いので聴く度に何かがこなれていく感じがずっと続きますし、だんだん馴染んでいく感がすごい(ただ弾く、となると「全曲」弾く機会は一生にあるかないかかもしれませんからねー)。
テレビなどメディアで良く使われたり、クラシックは特にポピュラー系統のコンサートでよく弾かれたりとかする「名曲」って結構その露出の多さで摩耗することが多いんですよね。
キャッチーな曲だからこそその摩耗に耐えられないところがあるのも確かで。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲なんかその良い例だと思いますね。
じっくりタイプの曲はじわじわ来るので長く楽しめるけれどその同じ理由でメディアでの使用は向いていないと思われたり。
割と手堅い名曲なはずなのがこの摩耗のためにちょっと特別さを失ったり、とかいうケースもよくあります。ベートーヴェンの交響曲第7番とか。良い曲だけれど、もう聴かなくていいよなーと思っちゃったりするのはやっぱり勿体ない。
それを恐れて、ではないですけれど「特定の曲を大事に聴く」というのは心がけています。(もう一つ理由としては「心や状況が合った時により味わえるようにとっておきたい」というのもあります) 一番意識してそうしてるのはface to aceの音楽かな。
でも心がけることなく自然と再聴のスパンが長くなる曲もあり(マーラー6,7番とか)。とっても好きな曲だけどそんなに頻繁に聴かなくて良い曲は聴かなくていい。
対照的に毎日一回くらい聴いても変わらず好きが保てる(ただし↑と違ってどっぷりな好きではないかな)曲もあり。バーデン・パウエルの音楽でいくつかありますね。
先ほど書いたように聴くのと弾くのではリプレイ価値を測る基準ってのが全く違います。
弾く、となると演奏するまでに毎日とか2日~3日に一回じっくり細部まで詰めながら数ヶ月弾かなくちゃいけなくて。
ただ先ほどの「深く好きで自然と再聴のスパンが長くなる曲」ってのは練習で毎日弾いても勿体ないと感じませんね。やっぱり思い入れの強さがそれだけ労力をかけたくなるのに直結するので。今でいうとダイシャクシギやラフマニノフのop. 39-7あたりがそうです。弾くことに関しては飽きる気がしない。いつだってもっと自分の演奏を自分の中に取り込んで考察して消化してまた弾きたくなる。
基本自分が弾くのに選ぶ曲って何回も弾きたくなるような曲を選んでいると思います。(ゲームに同じく)
前にも書いてますが曲の組み合わせで個々の曲の意味合いや解釈、弾き方も変わりますし。
あと基本せっかちな私ですが本を読むにしてもピアノをやるにしてもゲームをやるにしても最初にざーっと全体像を捉えてから何度もなぞって細部を詰めていくのが基本方針なのでそこからくる摩耗に耐えられない曲、最初に出会ったときに割と多くが分かってしまう曲は選ばない傾向にあります。
毎日の練習を重ねる上でもそうですが、一回演奏してしばらくおいてまた別の演奏のために再習得するときも、その「更に掘り下げる」作業が好きです。
1回目演奏するときよりは時を経て2回目、3回目と重ねていく過程でもっと多くのことが曲から(そして曲以外から)得られ、演奏も上手くなっていく・・・と信じたいので(笑)
実際ここ数ヶ月で昔弾いた曲をさらってみたら音は忘れていたりディテールの再現がなってなくても技巧・体力・表現的に昔より楽に感じたりすることが多かったです。そして昔弾いた曲に対しての愛は失ってない。
だから今回のプログラム組みで入らなかった曲もいつか何かの形で復活するだろうし、前回のリサイタルのスクリャービンもまたどっかで復活する予定です。
一度演奏した曲をまた弾くようになるには自分の(技巧・表現・人間的)成長を待つ必要がありますし、あとプログラムがどんなものになるかということにも大きく左右されますし、それから純粋に時間をおく必要はやっぱりあるのかな。
その時間をおく、寝かせるということの(自分の成長を抜きにした)意味というのはなかなか説明するのが難しいのですがきっとあると思います。
初めて曲を弾き始めるのに負けないくらい再習得も労力がいりますし、前演奏したことあるからと気が抜けないこと色々あります。
なのでこれからの数ヶ月結構大変になることが予想されますが、でもまあ意外となんとかできるような気もしてきました(笑)
自分の納得いく形になるといいな、と思っています。
今日の一曲: face to ace 「CARNAVAL」
今夜日本ではface to aceの秋ツアーの追加公演が行われているところなのでそろそろツアーでの曲もここで扱おうかな、ということで。
私がライブに行ったのはもう1ヶ月以上になりますがほんと楽しくて思い出に残ってありがとうございますーの気持ちを密かにこめたチョイス。(来年の春ツアーの予定も発表されてますしねー。もちろん春は行けないんですがとってもわくわくしています。また来年後半に!)
父が諸々ラテン系の音楽をよく聴く(&弾く)環境で育ったものでちょっとそちらのスタイルの音楽には自分もうるさいようなところが少しあるのですが(まあ偉そうに)、最終的にこのCARNAVALもはまりました。というかライブに行く前にはまっておいてよかった(笑)
そもそもACEさんの書く曲は(聖飢魔IIでもそうなのですが)自分にとってはじっくり系でじわじわ来る場合が多いような印象。馴染んでしまうとしっかり馴染むのが心地良かったり。
最初に好きになったのは終わりのギターソロだったのですが(笑)、何より間奏のキーボードが好きなのですよ。リズムが。
ライブではそこで海月さんのキャンペーン中の振り付けがあるんで踊ってたんですが(ちょっと踊ったー、そしてあれから練習してないすみません)、真似したくなるこのキーボードパート。ぱっと真似できないと分かるとヴィラ=ロボスが弾きたくなる。
やっぱりでもこの季節(=メルボルンでの)ですよ、この歌は。暑い時に聴かないと(この曲が収録されてる「風と貝がら」全般そうですが)。
夏が似合って、あと赤が似合う。お酒(カクテルがいいんじゃないかな)も合う。というか飲みたくなってきました。
とにかく夏の夜におすすめです。
昨日はAge of Wonders: Shadow Magicをじっくりやってみました。といっても自分なりの「じっくり」なので結構ゲームプレイで至らないことも色々あり。せっかちなんですよねー。こういう戦略ゲームでしっかり国力を育てて、とか苦手ではなかったはずなんですが、例えばコーエーの三国志シリーズと比べると動きに自由度があるためAoWの方が防御が大事になってきたりして。ちゃんとやらないと色んなところが手薄になる。
あとせっかく将軍的な存在のHeroが集ってきてくれてるのに誰が誰か把握してないのはやめようと思います(笑)それぞれの能力を把握して諸々生かしたりplan aheadしたりしないと。あと魔法諸々も把握しないと。地形魔法とかかけれるようになりたい。
今回Tigransという猫人族でプレイしたのですが、結構慣れてきましたね。初心者にも使いやすいっぽい。詳細は今のところは割愛しますがこれから他の種族も慣れていきたいです。
ADOMもAge of WondersもSacrificeも、自分が好きなゲームはちょっと古めでリプレイ価値がかなり高い傾向にあるような気がします。何にしてもカスタマイズ好きなのが影響してるかな。自分が操るキャラクターが最初に(またはSacrficeの場合そのたどる道で)自分が使いやすい、イメージしやすいようにカスタマイズできるゲームがいい。
なので結果いろんなチョイスがあって、何回も違う組み合わせやマップ、ルートで遊べるゲームが手元に長く残る、と。
音楽も割とこのリプレイ価値は大事ですね。聴くにしても弾くにしても。
例えばこないだまで候補だったフォーレの舟歌は聴くにはまあ日常でちょこちょこ流し聴きして長く好きでいられるけれどここから数ヶ月しっかり練習して毎日向き合って、となるとなかなか想像できなかった。
(だから聴くのと弾くのでは違う物差しがあるってことですね)
リプレイ価値についてはこのブログで何度も話していますがホルストの「惑星」は意外と結構高いです。もう17年とか知ってる曲で、3回演奏してて、7つの楽章一通りはまって一周してもまだ新しく発見すること、好きになることがあって。ああ、これは一生好きでいられるな、という安堵感があります。
あと「鳥のカタログ」は自分にとってのリプレイ価値はかなり高いです。なんせ情報量が多いので聴く度に何かがこなれていく感じがずっと続きますし、だんだん馴染んでいく感がすごい(ただ弾く、となると「全曲」弾く機会は一生にあるかないかかもしれませんからねー)。
テレビなどメディアで良く使われたり、クラシックは特にポピュラー系統のコンサートでよく弾かれたりとかする「名曲」って結構その露出の多さで摩耗することが多いんですよね。
キャッチーな曲だからこそその摩耗に耐えられないところがあるのも確かで。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲なんかその良い例だと思いますね。
じっくりタイプの曲はじわじわ来るので長く楽しめるけれどその同じ理由でメディアでの使用は向いていないと思われたり。
割と手堅い名曲なはずなのがこの摩耗のためにちょっと特別さを失ったり、とかいうケースもよくあります。ベートーヴェンの交響曲第7番とか。良い曲だけれど、もう聴かなくていいよなーと思っちゃったりするのはやっぱり勿体ない。
それを恐れて、ではないですけれど「特定の曲を大事に聴く」というのは心がけています。(もう一つ理由としては「心や状況が合った時により味わえるようにとっておきたい」というのもあります) 一番意識してそうしてるのはface to aceの音楽かな。
でも心がけることなく自然と再聴のスパンが長くなる曲もあり(マーラー6,7番とか)。とっても好きな曲だけどそんなに頻繁に聴かなくて良い曲は聴かなくていい。
対照的に毎日一回くらい聴いても変わらず好きが保てる(ただし↑と違ってどっぷりな好きではないかな)曲もあり。バーデン・パウエルの音楽でいくつかありますね。
先ほど書いたように聴くのと弾くのではリプレイ価値を測る基準ってのが全く違います。
弾く、となると演奏するまでに毎日とか2日~3日に一回じっくり細部まで詰めながら数ヶ月弾かなくちゃいけなくて。
ただ先ほどの「深く好きで自然と再聴のスパンが長くなる曲」ってのは練習で毎日弾いても勿体ないと感じませんね。やっぱり思い入れの強さがそれだけ労力をかけたくなるのに直結するので。今でいうとダイシャクシギやラフマニノフのop. 39-7あたりがそうです。弾くことに関しては飽きる気がしない。いつだってもっと自分の演奏を自分の中に取り込んで考察して消化してまた弾きたくなる。
基本自分が弾くのに選ぶ曲って何回も弾きたくなるような曲を選んでいると思います。(ゲームに同じく)
前にも書いてますが曲の組み合わせで個々の曲の意味合いや解釈、弾き方も変わりますし。
あと基本せっかちな私ですが本を読むにしてもピアノをやるにしてもゲームをやるにしても最初にざーっと全体像を捉えてから何度もなぞって細部を詰めていくのが基本方針なのでそこからくる摩耗に耐えられない曲、最初に出会ったときに割と多くが分かってしまう曲は選ばない傾向にあります。
毎日の練習を重ねる上でもそうですが、一回演奏してしばらくおいてまた別の演奏のために再習得するときも、その「更に掘り下げる」作業が好きです。
1回目演奏するときよりは時を経て2回目、3回目と重ねていく過程でもっと多くのことが曲から(そして曲以外から)得られ、演奏も上手くなっていく・・・と信じたいので(笑)
実際ここ数ヶ月で昔弾いた曲をさらってみたら音は忘れていたりディテールの再現がなってなくても技巧・体力・表現的に昔より楽に感じたりすることが多かったです。そして昔弾いた曲に対しての愛は失ってない。
だから今回のプログラム組みで入らなかった曲もいつか何かの形で復活するだろうし、前回のリサイタルのスクリャービンもまたどっかで復活する予定です。
一度演奏した曲をまた弾くようになるには自分の(技巧・表現・人間的)成長を待つ必要がありますし、あとプログラムがどんなものになるかということにも大きく左右されますし、それから純粋に時間をおく必要はやっぱりあるのかな。
その時間をおく、寝かせるということの(自分の成長を抜きにした)意味というのはなかなか説明するのが難しいのですがきっとあると思います。
初めて曲を弾き始めるのに負けないくらい再習得も労力がいりますし、前演奏したことあるからと気が抜けないこと色々あります。
なのでこれからの数ヶ月結構大変になることが予想されますが、でもまあ意外となんとかできるような気もしてきました(笑)
自分の納得いく形になるといいな、と思っています。
今日の一曲: face to ace 「CARNAVAL」
今夜日本ではface to aceの秋ツアーの追加公演が行われているところなのでそろそろツアーでの曲もここで扱おうかな、ということで。
私がライブに行ったのはもう1ヶ月以上になりますがほんと楽しくて思い出に残ってありがとうございますーの気持ちを密かにこめたチョイス。(来年の春ツアーの予定も発表されてますしねー。もちろん春は行けないんですがとってもわくわくしています。また来年後半に!)
父が諸々ラテン系の音楽をよく聴く(&弾く)環境で育ったものでちょっとそちらのスタイルの音楽には自分もうるさいようなところが少しあるのですが(まあ偉そうに)、最終的にこのCARNAVALもはまりました。というかライブに行く前にはまっておいてよかった(笑)
そもそもACEさんの書く曲は(聖飢魔IIでもそうなのですが)自分にとってはじっくり系でじわじわ来る場合が多いような印象。馴染んでしまうとしっかり馴染むのが心地良かったり。
最初に好きになったのは終わりのギターソロだったのですが(笑)、何より間奏のキーボードが好きなのですよ。リズムが。
ライブではそこで海月さんのキャンペーン中の振り付けがあるんで踊ってたんですが(ちょっと踊ったー、そしてあれから練習してないすみません)、真似したくなるこのキーボードパート。ぱっと真似できないと分かるとヴィラ=ロボスが弾きたくなる。
やっぱりでもこの季節(=メルボルンでの)ですよ、この歌は。暑い時に聴かないと(この曲が収録されてる「風と貝がら」全般そうですが)。
夏が似合って、あと赤が似合う。お酒(カクテルがいいんじゃないかな)も合う。というか飲みたくなってきました。
とにかく夏の夜におすすめです。
前回のエントリーに拍手どうもですー。
今日は久しぶり(=リサイタル前以来)に運転してきました。やっぱちょこちょこやらないと慣れないですなー。
といっても近くのスーパーまで行って来ただけなのですが。でもやっぱり家の周りが難しい。
普通のそこらのスーパーで豆腐も(Tofuという名で)売ってるのですが、最近入った豆腐のとあるブランドがなんだかすごいです。
Hard, Momen, Silk, Classic, Bean Curdと5種類。木綿と絹ごしは分かるし、Hardはどうやらサラダに使う堅いやつっぽいのですがClassicってなんだろう。そして豆腐=bean curdではないのか。
とりあえず今度普通の木綿とか絹ごしを買ってどんな感じか食べてみたいと思います。
ピアノも(前回書きましたが)ちょっと落ち着いて来ました。
一応この曲の組み合わせで行きたい、というのが決まったので、ちゃんと出来るかどうかはわかりませんがとりあえずのところはこれで行くことに。気持ち楽になりましたね。
曲のリストはこんな感じ(想定の順番で):
メシアン 「鳥のカタログ」より「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
1. 葉ずえを渡る鐘
2. 廃寺にかかる月
3. 金色の魚
メシアン 「鳥のカタログ」より「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲集 より 第3番、第8番、第6番、第5番、第7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39より 第4番、第8番、第7番
メシアン 「鳥のカタログ」より「ダイシャクシギ」
これでトータル14曲、70分くらいの予定。時間も曲も前回よりチャレンジに出てみました。
個々の曲で言うとイソヒヨドリとラフマニノフの第7番が難関。でも一番の問題は暗譜かな。
とりあえず優先度付けて初めましてのフォーレをさらいながら最難関の曲に取り組み始め。どれくらい時間がかかるだろうなあ。それがとにかく分からなくて。
曲のラインアップは前ちょろっと書いたと思いますがフォーレの晩期の前奏曲の色彩やハーモニーがラフマニノフのこれまた晩期の練習曲に通じるところがあり。
あと今年弾いたドビュッシーの「映像」第2集も弾けるかなーとか思ったり。(この3つの曲集は作曲された年も近いのです)
それで「鳥のカタログ」をなんとか絡めようと思って試行錯誤したり。時代や色彩が全くこれが一番難しかったかな。
でもダイシャクシギで最後しめたいと思ってたのは確実でした。
前のリサイタルの「20のまなざし」もそうですが、曲集から一部を選んで弾く時って曲の順番を変える必要がでてくる場合が多いんですよね。
最初の曲を抜いたり最後の曲を抜いたりすると特に影響が大きいような印象が。
新しい曲の組み合わせと曲の順番で曲集に新しい意味を持たせる、ということですかね。
これがでも結構うまいことまとまるような感じなんですよね。
「映像」だったり「音の絵」だったり、それから鳥カタも景色の描写、ということでなんとなくこの「視覚」中心な曲を集めたような。(だから武満の「雨の木素描II」が実は入れたかったです)
で、メシアン以外の曲はどれも原色でない微妙で不思議な色合いの曲ばっかりで、そこにはっきり色のメシアンを挟んでコントラストを付けたり。
で、最初のイソヒヨドリが海が舞台で、最後のダイシャクシギも全く違う雰囲気の海が舞台でシンメトリーになってるし、なんとなく水の流れを思わせる曲が(「金色の魚」も実際は存在しない水ですが)ちょこちょこ出てきて、本来やりたかった「水」のプログラムの流れを継いでいるようなところがあるような気がします。
なによりも好きな曲を詰め込めてなんとかまとまる見込みができたのがよかった。
ということで無理と分かるまではこのプログラムでこれからやっていきたいと思います。
すっかり手の内や伏線を明かした形になりましたが、まだ時間はかかるし今のうちに、と思いまして。
これから個々の曲を磨いて、プログラム全体として育てて深めていくのが楽しみです。
(しかし今回鳥カタに注力しなくちゃいけないので20のまなざしの残りの3つまで手が回らないのが気がかり。ここで色々書きたかったんだけどそれもいつになるか・・・)
今日は遅くなってしまったので今日の一曲はおやすみ。
キーワード系のエントリーもまたやりたい、というかやる予定です。
今日は久しぶり(=リサイタル前以来)に運転してきました。やっぱちょこちょこやらないと慣れないですなー。
といっても近くのスーパーまで行って来ただけなのですが。でもやっぱり家の周りが難しい。
普通のそこらのスーパーで豆腐も(Tofuという名で)売ってるのですが、最近入った豆腐のとあるブランドがなんだかすごいです。
Hard, Momen, Silk, Classic, Bean Curdと5種類。木綿と絹ごしは分かるし、Hardはどうやらサラダに使う堅いやつっぽいのですがClassicってなんだろう。そして豆腐=bean curdではないのか。
とりあえず今度普通の木綿とか絹ごしを買ってどんな感じか食べてみたいと思います。
ピアノも(前回書きましたが)ちょっと落ち着いて来ました。
一応この曲の組み合わせで行きたい、というのが決まったので、ちゃんと出来るかどうかはわかりませんがとりあえずのところはこれで行くことに。気持ち楽になりましたね。
曲のリストはこんな感じ(想定の順番で):
メシアン 「鳥のカタログ」より「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
1. 葉ずえを渡る鐘
2. 廃寺にかかる月
3. 金色の魚
メシアン 「鳥のカタログ」より「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲集 より 第3番、第8番、第6番、第5番、第7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39より 第4番、第8番、第7番
メシアン 「鳥のカタログ」より「ダイシャクシギ」
これでトータル14曲、70分くらいの予定。時間も曲も前回よりチャレンジに出てみました。
個々の曲で言うとイソヒヨドリとラフマニノフの第7番が難関。でも一番の問題は暗譜かな。
とりあえず優先度付けて初めましてのフォーレをさらいながら最難関の曲に取り組み始め。どれくらい時間がかかるだろうなあ。それがとにかく分からなくて。
曲のラインアップは前ちょろっと書いたと思いますがフォーレの晩期の前奏曲の色彩やハーモニーがラフマニノフのこれまた晩期の練習曲に通じるところがあり。
あと今年弾いたドビュッシーの「映像」第2集も弾けるかなーとか思ったり。(この3つの曲集は作曲された年も近いのです)
それで「鳥のカタログ」をなんとか絡めようと思って試行錯誤したり。時代や色彩が全くこれが一番難しかったかな。
でもダイシャクシギで最後しめたいと思ってたのは確実でした。
前のリサイタルの「20のまなざし」もそうですが、曲集から一部を選んで弾く時って曲の順番を変える必要がでてくる場合が多いんですよね。
最初の曲を抜いたり最後の曲を抜いたりすると特に影響が大きいような印象が。
新しい曲の組み合わせと曲の順番で曲集に新しい意味を持たせる、ということですかね。
これがでも結構うまいことまとまるような感じなんですよね。
「映像」だったり「音の絵」だったり、それから鳥カタも景色の描写、ということでなんとなくこの「視覚」中心な曲を集めたような。(だから武満の「雨の木素描II」が実は入れたかったです)
で、メシアン以外の曲はどれも原色でない微妙で不思議な色合いの曲ばっかりで、そこにはっきり色のメシアンを挟んでコントラストを付けたり。
で、最初のイソヒヨドリが海が舞台で、最後のダイシャクシギも全く違う雰囲気の海が舞台でシンメトリーになってるし、なんとなく水の流れを思わせる曲が(「金色の魚」も実際は存在しない水ですが)ちょこちょこ出てきて、本来やりたかった「水」のプログラムの流れを継いでいるようなところがあるような気がします。
なによりも好きな曲を詰め込めてなんとかまとまる見込みができたのがよかった。
ということで無理と分かるまではこのプログラムでこれからやっていきたいと思います。
すっかり手の内や伏線を明かした形になりましたが、まだ時間はかかるし今のうちに、と思いまして。
これから個々の曲を磨いて、プログラム全体として育てて深めていくのが楽しみです。
(しかし今回鳥カタに注力しなくちゃいけないので20のまなざしの残りの3つまで手が回らないのが気がかり。ここで色々書きたかったんだけどそれもいつになるか・・・)
今日は遅くなってしまったので今日の一曲はおやすみ。
キーワード系のエントリーもまたやりたい、というかやる予定です。
ブーゲンビリア、ジャカランダ、キョウチクトウにジャスミンと夏の花が咲き乱れる季節になってきました。
最近日が長くて夕方働いていると8時くらいでもちょっと前の5時くらいの感覚で。「おーもうこんな時間!?」と思うことが多いです。
昨日ブログを更新してるときに妹が帰宅したのですが、なんか面白い本を土産に持って来まして。
Maria da Gandra & maaike van Neckの「World Musical Instruments」という本で、その名の通り世界の楽器の図鑑みたいな本です。こんな本。
表紙にあるような切り絵風の絵で、楽器が開発・発明された時期ごとに年表として表示されています。楽器には番号が振ってあって後ろの索引で名前や種類(音の出し方による分類)などが調べられるようになっています(撥や弓など楽器の付属物も別にまとめて描いて番号がふってあって、メインの楽器のところにそっちの番号も表示されているのはなかなかいいシステムですね)。
ちなみに前書きは色んな言語で書いてあります。
イラストは楽器の相対的なサイズが分かるようになっていて(最初の「楽器」がヒトの声帯なので人間と大きさとの比較もできる)、和太鼓なんかはどーんと1ページ費やしてますし、パイプオルガンはページに収まってなかったり(大きな楽器は全体像を別縮尺で巻末にまとめてあります)。逆に鈴とか小さすぎて分かりにくいものも。
これが面白いんですよねー。色んな国の色んな楽器が見られる、というだけでなく時代と照らし合わせたり、進化の流れや流行も分かりますし。
これこんな時代にもうあったんだ!とかこの時代には金管楽器が色々出てきてるな、とか。
で、やっぱり今では無いような楽器とか、どうみても変な楽器とかあるんですよね。前回の一時帰国で行った浜松博物館に実物があったのも結構たくさんありましたが、実物を見ても変なものは変(笑)
イラストがこうシンプルだから特徴がはっきり分かってインパクトもまた大きいというか。ページをめくって「これ変!変!」と妹に見せること多々。
楽器の種類ってそう無限なわけでも無いんですよね。大体文化圏の中である程度決まった形いくつかに落ち着くというか(ちょっとざっくり言い過ぎかもしれないですけど)。
で、年表をたどっていくと時代が後になってくるとその大体の種類の中で改良・進化していくことが(全く新しい楽器の発明よりも)多くなってくる傾向があるように見えます。
その改良・進化がとにかく面白い。楽器をより良くしようと思ったら例えば音をもっと大きく、響きを良くとか(古代に比べて近代は大きい場で音楽を演奏するようになったため)、音域を広くしようとか、音の質や音色を買えてみようとか、弾きやすくしよう、運びやすくしようとか、色々改良点はあって。
今普通に使われている楽器だって完璧ではないです。ファゴットの指使いの変なのとか、ハープで現代音楽を弾く難しさとか、バイオリンだって弾く姿勢に注意を払わないと怪我に繋がる恐れもありますし。
この図鑑に載っている「変な楽器」もその「より良くしよう」という過程でもう色んな手段を試みたのがものすごく見えるんですよね。
例えば木管楽器のあの複雑なキーのシステムが実現できる前、金管楽器のバルブが作れるような技術がある前には音域を広げようとか、響きを良くしようとか、音を大きくしようとか考えると「管を長くする」という方向を検討しなくちゃいけなくて。
でも管を伸ばすと持つのが難しくなる。アルペンホルンなんか完全に地面に着いてるし(響き的には接触しないほうがもちろん望ましい)、とにかく運びにくいし重い。
だからセルパンみたいにぐにゃぐにゃしたり、ホルンの変わったやつみたいに色んなところでぐるぐる巻いてみたり、結果見た目ものすごく奇妙な楽器が出来てしまうわけです。
(弦楽器だったら共鳴弦といって実際には弾かないけれど共鳴させることで響きを豊かにする弦をいくつも張ったり、胴体の形を変えてみたりとかした結果変な形になる場合が多いです)
それから現代によくある変な楽器は逆に技術の進化によって色んなことが出来るようになったためあんな楽器とこんな楽器を合わせてみようとか形をこんなにしてみようとかそういうケースが多い。
で、そんな試行錯誤がとにかく大変で、作ってる本人はものすごく真剣だったことが分かるのだけれど、そういう試行錯誤も苦労もみんなひっくるめて「変な楽器」ってものすごく笑えるんです。もう面白くて仕方が無い。
そんなこんなでとにかく昨日からページをめくっては楽しくて。妹には感謝です。
変な楽器、色々あって自分のお気に入りは選べないのですが、ぐーぐるさんの画像検索で「instrument serpent」のキーワードで検索するとちょっと面白いかも。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン 「エグモント」序曲
本文とは全く関係ないのですが前から紹介したかった曲。最近ちょっとオケ曲が手薄な印象ですしね。
メルボルンに来て学校で楽器が習えることを知り、チェロを6年生で始めて。
小学校のオケではかなり簡単にしたアレンジの曲を弾いていましたが、7年生になって中・高校生のオケになると曲のアレンもちょっと面白い・難しいものになったり、それから原曲そのままで弾くようにもなりました。
その中で生涯初めてちゃんと原曲で弾いた曲がこの「エグモント」序曲でした。
なんというか、ものすごく典型的にベートーヴェンですよね。暗い情熱に、調は「熱情」ソナタと同じヘ短調、そして最後の勝ち誇ったような長調の光。
あと「動き」が良いです。フレーズの流れに勢いがあって、チェロが弾く下降するメロディーとか、描く弧がどこもダイナミック。
この頃のオケってオペラでもそんなに金管が活躍することは少なかったのですが、その代わりといっちゃなんですが木管楽器隊のアンサンブルがすごく好きです。第2主題(長調の和音から始まる)で聞こえる木管楽器が一致団結した音はいいですね。この時代ならではの響き、みたいなところがあって。
ベートーヴェンは数々のオペラの序曲を残してますが「エグモント」はその中でも愛着があります。前述体験もそうですが、やっぱりベートーヴェンは暗いのが性に合いますね。この曲でコンサートを始めるときはどういうプログラムが良いんだろう。
最近ちょっとベートーヴェンの音楽にはそこまで特別なものを感じない時期に来ているようですがそれでも自分にとっては大切な曲です。
最近日が長くて夕方働いていると8時くらいでもちょっと前の5時くらいの感覚で。「おーもうこんな時間!?」と思うことが多いです。
昨日ブログを更新してるときに妹が帰宅したのですが、なんか面白い本を土産に持って来まして。
Maria da Gandra & maaike van Neckの「World Musical Instruments」という本で、その名の通り世界の楽器の図鑑みたいな本です。こんな本。
表紙にあるような切り絵風の絵で、楽器が開発・発明された時期ごとに年表として表示されています。楽器には番号が振ってあって後ろの索引で名前や種類(音の出し方による分類)などが調べられるようになっています(撥や弓など楽器の付属物も別にまとめて描いて番号がふってあって、メインの楽器のところにそっちの番号も表示されているのはなかなかいいシステムですね)。
ちなみに前書きは色んな言語で書いてあります。
イラストは楽器の相対的なサイズが分かるようになっていて(最初の「楽器」がヒトの声帯なので人間と大きさとの比較もできる)、和太鼓なんかはどーんと1ページ費やしてますし、パイプオルガンはページに収まってなかったり(大きな楽器は全体像を別縮尺で巻末にまとめてあります)。逆に鈴とか小さすぎて分かりにくいものも。
これが面白いんですよねー。色んな国の色んな楽器が見られる、というだけでなく時代と照らし合わせたり、進化の流れや流行も分かりますし。
これこんな時代にもうあったんだ!とかこの時代には金管楽器が色々出てきてるな、とか。
で、やっぱり今では無いような楽器とか、どうみても変な楽器とかあるんですよね。前回の一時帰国で行った浜松博物館に実物があったのも結構たくさんありましたが、実物を見ても変なものは変(笑)
イラストがこうシンプルだから特徴がはっきり分かってインパクトもまた大きいというか。ページをめくって「これ変!変!」と妹に見せること多々。
楽器の種類ってそう無限なわけでも無いんですよね。大体文化圏の中である程度決まった形いくつかに落ち着くというか(ちょっとざっくり言い過ぎかもしれないですけど)。
で、年表をたどっていくと時代が後になってくるとその大体の種類の中で改良・進化していくことが(全く新しい楽器の発明よりも)多くなってくる傾向があるように見えます。
その改良・進化がとにかく面白い。楽器をより良くしようと思ったら例えば音をもっと大きく、響きを良くとか(古代に比べて近代は大きい場で音楽を演奏するようになったため)、音域を広くしようとか、音の質や音色を買えてみようとか、弾きやすくしよう、運びやすくしようとか、色々改良点はあって。
今普通に使われている楽器だって完璧ではないです。ファゴットの指使いの変なのとか、ハープで現代音楽を弾く難しさとか、バイオリンだって弾く姿勢に注意を払わないと怪我に繋がる恐れもありますし。
この図鑑に載っている「変な楽器」もその「より良くしよう」という過程でもう色んな手段を試みたのがものすごく見えるんですよね。
例えば木管楽器のあの複雑なキーのシステムが実現できる前、金管楽器のバルブが作れるような技術がある前には音域を広げようとか、響きを良くしようとか、音を大きくしようとか考えると「管を長くする」という方向を検討しなくちゃいけなくて。
でも管を伸ばすと持つのが難しくなる。アルペンホルンなんか完全に地面に着いてるし(響き的には接触しないほうがもちろん望ましい)、とにかく運びにくいし重い。
だからセルパンみたいにぐにゃぐにゃしたり、ホルンの変わったやつみたいに色んなところでぐるぐる巻いてみたり、結果見た目ものすごく奇妙な楽器が出来てしまうわけです。
(弦楽器だったら共鳴弦といって実際には弾かないけれど共鳴させることで響きを豊かにする弦をいくつも張ったり、胴体の形を変えてみたりとかした結果変な形になる場合が多いです)
それから現代によくある変な楽器は逆に技術の進化によって色んなことが出来るようになったためあんな楽器とこんな楽器を合わせてみようとか形をこんなにしてみようとかそういうケースが多い。
で、そんな試行錯誤がとにかく大変で、作ってる本人はものすごく真剣だったことが分かるのだけれど、そういう試行錯誤も苦労もみんなひっくるめて「変な楽器」ってものすごく笑えるんです。もう面白くて仕方が無い。
そんなこんなでとにかく昨日からページをめくっては楽しくて。妹には感謝です。
変な楽器、色々あって自分のお気に入りは選べないのですが、ぐーぐるさんの画像検索で「instrument serpent」のキーワードで検索するとちょっと面白いかも。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン 「エグモント」序曲
本文とは全く関係ないのですが前から紹介したかった曲。最近ちょっとオケ曲が手薄な印象ですしね。
メルボルンに来て学校で楽器が習えることを知り、チェロを6年生で始めて。
小学校のオケではかなり簡単にしたアレンジの曲を弾いていましたが、7年生になって中・高校生のオケになると曲のアレンもちょっと面白い・難しいものになったり、それから原曲そのままで弾くようにもなりました。
その中で生涯初めてちゃんと原曲で弾いた曲がこの「エグモント」序曲でした。
なんというか、ものすごく典型的にベートーヴェンですよね。暗い情熱に、調は「熱情」ソナタと同じヘ短調、そして最後の勝ち誇ったような長調の光。
あと「動き」が良いです。フレーズの流れに勢いがあって、チェロが弾く下降するメロディーとか、描く弧がどこもダイナミック。
この頃のオケってオペラでもそんなに金管が活躍することは少なかったのですが、その代わりといっちゃなんですが木管楽器隊のアンサンブルがすごく好きです。第2主題(長調の和音から始まる)で聞こえる木管楽器が一致団結した音はいいですね。この時代ならではの響き、みたいなところがあって。
ベートーヴェンは数々のオペラの序曲を残してますが「エグモント」はその中でも愛着があります。前述体験もそうですが、やっぱりベートーヴェンは暗いのが性に合いますね。この曲でコンサートを始めるときはどういうプログラムが良いんだろう。
最近ちょっとベートーヴェンの音楽にはそこまで特別なものを感じない時期に来ているようですがそれでも自分にとっては大切な曲です。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
昨日は久しぶりにコンサート行って来ました。やっぱり生きているピアノの音を聴くのはいいですね。(いかに普段の自分の弾くピアノの音が生きてないか、というか)
場所はMelbourne Recital CentreのSalon。こういうリサイタルでした。
・・・つまりピーターのリサイタルです。プログラムはリンク先のとおり、全部で1時間強のプログラムでした。
面白いプログラムでしたね。聞いたことない曲もたくさん。
一見ばらばらに見えてものすごくさりげないというか抽象的なところでつながりがある。不思議な組み合わせと連なりのプログラム。
Brett Deanの「Equality」はメゾソプラノとのバージョン(作曲家の娘さん)と一緒に弾いたのを聴いたことがあるのですがこれはピアニストが読みながら弾くバージョン。これは曲よりもMichael Leunigの詩が面白いのよですねー。(歌手とのバージョンであった「Prayer」も好き)
メトネルはあんまり縁の無い作曲家で、以前聴いたときはそんなに魅力を感じなかったのですが今回の「Skazka」(お伽話)からの3曲はなるほどピーターがメトネルが好きだというのがものすごく分かりました。がっつりなロシア系のピアニズムに後期ロマン派的な表現と色彩、それでいてどこか内向きなところがあって。特に第1番の河の流れの曲が良かったです。それから3河の流れを表す曲、森の妖精みたいなものを表す曲、リア王が嵐に向かって荒ぶるシーンを表す曲という曲の組み合わせも素晴らしかったですね。
ブラームスによるバッハのシャコンヌ(バイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調から)は左手だけで弾く曲なのですが、それを感じさせない演奏でしたね。こういうのを聴くととにかく大きい手がうらやましくなる(左手オンリーの曲はほんとそうなんですよ)。あとバッハのパッサカリアとフーガハ短調もそうですがこういうパッサカリアとかシャコンヌとかの素晴らしい演奏を聴いているとなんか自分の創作した諸々の運命に対してものすごくさいなまれるというかなんというか(汗)
「E-330 Plays」は作曲家が聴衆にいました(空いた席のその隣でした(笑))。面白い曲でしたね。エヴゲーニイ・ザミャーチンの「われら」というディストピア小説が元になっていて、20年以上もオペラとして暖めているうちの1シーンだそうです。
先日Michael Kieran Harveyが今年のPeggy Glanville Hicks addressで説いたようにオーストラリアで自国の作曲家の評価がそんなに高くないと言われる中、こういう風なリサイタルプログラムで地元の作品が演奏されたりする機会があること、それを聴く機会があるのは良いですね。(でもやっぱりオペラは大がかりだからもっと難しいんだろうな)
後でピーターの家族周りと一緒に夕飯をいただいた時にもそういう話になったのですが、割とクラシック好きな人が多い中地元の音楽も聴衆側の需要は結構あるっぽい雰囲気はあるような気がします。
照明を落として演奏されたDenisovの「Signes En Blanc」。クレーの絵画と少なからずつながりがある曲らしいのですが、なんとなくそれが分かるようなところはありました。
こういう曲好きなんですよ、余韻を楽しむ、抽象絵画みたいで何か音楽というよりはなにか神秘的な言語みたいなところがあるフレーズ使いの音楽。
いいなあ、そういう曲に出会いたい。
そしてリゲティの練習曲第4,5,6番(第1巻より)。
前の2曲も合わせてですがピーターの強みはやっぱり現代音楽だと思います。メトネルとかバッハ(ブラームス)の演奏もすばらしいながらも現代にもっと近いレパートリーが自然に聞こえるというかすっと入ってくると言うか。(リア王のメトネルは今回聴いたよりももっともっと激情的に弾くのもあると思うんですよね)
曲として好きなのは第6番で(おそらく私にとって一番のお気に入り)、演奏で一番好きだったのがスローな第5番。
(今日初見で弾いてみましたが私でも弾けそう。第2巻も楽譜買っていくつか弾けるようにしておきたい)
楽しかったです、聴いていて。ものすごく興味深かったですし、なんといってもプログラムを組むことについて勉強になったというか。改めて自分が弾きたい曲を練り直してみようという気になりました。
あと久しぶりに会ってちっとは話せてよかったですね。いつも会うとほっとします。あとお土産(箸、お茶と金平糖のセット)も渡しました。
あと夕飯で「先に頼んで良いよ」っていったら頼もうと思ってた料理と同じの頼みやがりまして(笑)
生ハムとクルミとメロンとゴルゴンゾーラとイチジクの、メインディッシュにリストされてるのに前菜とデザートを足したような料理でした。美味しかったです。
近いうちにまたゆっくり、と約束しているのでピアノの諸々の相談はまたそのとき。
今州立図書館で真ん中に穴を空けて内側から弾けるようにしたピアノの演奏、というのをやってるのですが(NHKニュースでも取り上げられたのですが今は記事はないみたいです)、ピーターもどうやらそれで弾いているらしく(お父さんが携帯で動画撮ってました)、その周りでなんかぶらぶらする予定になりそうです。ちょっと見たい(笑)ちなみに腰がめちゃくちゃしんどいらしいです。
ということでまあ自分のピアノのほうはぼちぼち。なかなか他の音楽家仲間との話し合いとか刺激とかそういうものが少ない環境(=主に自分側の問題ですが)がちょっとネックになってきそうな予感があって。室内楽とかやったほうがよかったりするのかな、と。
ただ前回のプログラムもなんとなくこう自分の内的世界の切り取りみたいな側面があって、そういうのがやっぱりやりたいところもあり。これからのプログラム組みもそういう風になってくれればいいな、と少し思っていたり。
とりあえず明日・明後日はマッサージを始めちょっとゆっくりの予定なのでゆっくり考えたいと思います。
今日の一曲: リゲティ・ジェルジュ 練習曲第1巻 第4番「ファンファーレ」
リゲティの練習曲で一番最初に出会う曲、というと多分これが一番かな。一番良く聴くような気がします(単に身近なピアニストでこれを弾く人がちょこちょこある、というだけかも?)。
リゲティに特徴的な機械っぽいところがあるながらも明るくて色彩もはっきりしていて、比較的catchyなリズムで聞くには分かりやすい曲かも。
でもとにかくリゲティの練習曲というのは難しい。ピアノのレパートリーの中でもトップクラスの技巧的難易度を誇る曲集です。
何が難しいというとまず指を動かすこと、それからイレギュラーなリズムでアクセントをしっかり強調してリズムの魅力を出すこと、それから求められているスピードで弾くこと。
この曲も曲集のなかでは比較的難しくない方だと思うんですよ。音だけなら。私でもそこそこ初見でなんとかなるくらいは。
ただこの曲のモチーフになっている繰り返される音階的なパッセージのアクセントを最初から最後まで落とさずつけるのがものすごく難しい。特に右手のアクセントとずれるところが。
なんかこう、狂うと思うんですよね、こういうディテールを継続して完璧にやるのには。人間の脳としてパンクするというか。
曲調もそうですし、上記ディテールの再現に求められる技巧・脳の能力も合わせてリゲティの音楽って人間の域を超えた機械っぽいところがあるんですよね。
それがなんというか無機質で冷たくみえるというか、そういうことはよく言われるそうで。ちなみにラヴェルも似たような印象を抱かれることが多いのですが、母曰くそういうところに魅力を感じるか否かの差が文系・理系の感性の違いだそうで(もちろん文系の感性は別のところで理系の感性にはなかなか共感しがたい魅力を感じるということで、どちらが勝っているということではないです。
でもこの曲をつまらなく感じたからといってリゲティの音楽全部捨てたもんでもないと思います。同じように無機質かもしれませんが色んな魅力を持った曲が全3巻の練習曲集にはありますし。例えば第6番は結構激情型だったり(私はそのバランスが好きです)。
なかなか普段出会うことは少ないかもしれませんが、リゲティのピアノ曲は面白いですよ。ちょっとご挨拶してみてください。
リンクしたのはエマールの演奏。もうこれがバイブル、というかこんなに完璧にこの曲集を弾きこなす人はほぼいませんね。人間らしい演奏に聞こえるか機械の完璧さを感じるかはまあ聞いてみてくださいな(リンク先には残念ながら試聴はありませんが)。
昨日は久しぶりにコンサート行って来ました。やっぱり生きているピアノの音を聴くのはいいですね。(いかに普段の自分の弾くピアノの音が生きてないか、というか)
場所はMelbourne Recital CentreのSalon。こういうリサイタルでした。
・・・つまりピーターのリサイタルです。プログラムはリンク先のとおり、全部で1時間強のプログラムでした。
面白いプログラムでしたね。聞いたことない曲もたくさん。
一見ばらばらに見えてものすごくさりげないというか抽象的なところでつながりがある。不思議な組み合わせと連なりのプログラム。
Brett Deanの「Equality」はメゾソプラノとのバージョン(作曲家の娘さん)と一緒に弾いたのを聴いたことがあるのですがこれはピアニストが読みながら弾くバージョン。これは曲よりもMichael Leunigの詩が面白いのよですねー。(歌手とのバージョンであった「Prayer」も好き)
メトネルはあんまり縁の無い作曲家で、以前聴いたときはそんなに魅力を感じなかったのですが今回の「Skazka」(お伽話)からの3曲はなるほどピーターがメトネルが好きだというのがものすごく分かりました。がっつりなロシア系のピアニズムに後期ロマン派的な表現と色彩、それでいてどこか内向きなところがあって。特に第1番の河の流れの曲が良かったです。それから3河の流れを表す曲、森の妖精みたいなものを表す曲、リア王が嵐に向かって荒ぶるシーンを表す曲という曲の組み合わせも素晴らしかったですね。
ブラームスによるバッハのシャコンヌ(バイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調から)は左手だけで弾く曲なのですが、それを感じさせない演奏でしたね。こういうのを聴くととにかく大きい手がうらやましくなる(左手オンリーの曲はほんとそうなんですよ)。あとバッハのパッサカリアとフーガハ短調もそうですがこういうパッサカリアとかシャコンヌとかの素晴らしい演奏を聴いているとなんか自分の創作した諸々の運命に対してものすごくさいなまれるというかなんというか(汗)
「E-330 Plays」は作曲家が聴衆にいました(空いた席のその隣でした(笑))。面白い曲でしたね。エヴゲーニイ・ザミャーチンの「われら」というディストピア小説が元になっていて、20年以上もオペラとして暖めているうちの1シーンだそうです。
先日Michael Kieran Harveyが今年のPeggy Glanville Hicks addressで説いたようにオーストラリアで自国の作曲家の評価がそんなに高くないと言われる中、こういう風なリサイタルプログラムで地元の作品が演奏されたりする機会があること、それを聴く機会があるのは良いですね。(でもやっぱりオペラは大がかりだからもっと難しいんだろうな)
後でピーターの家族周りと一緒に夕飯をいただいた時にもそういう話になったのですが、割とクラシック好きな人が多い中地元の音楽も聴衆側の需要は結構あるっぽい雰囲気はあるような気がします。
照明を落として演奏されたDenisovの「Signes En Blanc」。クレーの絵画と少なからずつながりがある曲らしいのですが、なんとなくそれが分かるようなところはありました。
こういう曲好きなんですよ、余韻を楽しむ、抽象絵画みたいで何か音楽というよりはなにか神秘的な言語みたいなところがあるフレーズ使いの音楽。
いいなあ、そういう曲に出会いたい。
そしてリゲティの練習曲第4,5,6番(第1巻より)。
前の2曲も合わせてですがピーターの強みはやっぱり現代音楽だと思います。メトネルとかバッハ(ブラームス)の演奏もすばらしいながらも現代にもっと近いレパートリーが自然に聞こえるというかすっと入ってくると言うか。(リア王のメトネルは今回聴いたよりももっともっと激情的に弾くのもあると思うんですよね)
曲として好きなのは第6番で(おそらく私にとって一番のお気に入り)、演奏で一番好きだったのがスローな第5番。
(今日初見で弾いてみましたが私でも弾けそう。第2巻も楽譜買っていくつか弾けるようにしておきたい)
楽しかったです、聴いていて。ものすごく興味深かったですし、なんといってもプログラムを組むことについて勉強になったというか。改めて自分が弾きたい曲を練り直してみようという気になりました。
あと久しぶりに会ってちっとは話せてよかったですね。いつも会うとほっとします。あとお土産(箸、お茶と金平糖のセット)も渡しました。
あと夕飯で「先に頼んで良いよ」っていったら頼もうと思ってた料理と同じの頼みやがりまして(笑)
生ハムとクルミとメロンとゴルゴンゾーラとイチジクの、メインディッシュにリストされてるのに前菜とデザートを足したような料理でした。美味しかったです。
近いうちにまたゆっくり、と約束しているのでピアノの諸々の相談はまたそのとき。
今州立図書館で真ん中に穴を空けて内側から弾けるようにしたピアノの演奏、というのをやってるのですが(NHKニュースでも取り上げられたのですが今は記事はないみたいです)、ピーターもどうやらそれで弾いているらしく(お父さんが携帯で動画撮ってました)、その周りでなんかぶらぶらする予定になりそうです。ちょっと見たい(笑)ちなみに腰がめちゃくちゃしんどいらしいです。
ということでまあ自分のピアノのほうはぼちぼち。なかなか他の音楽家仲間との話し合いとか刺激とかそういうものが少ない環境(=主に自分側の問題ですが)がちょっとネックになってきそうな予感があって。室内楽とかやったほうがよかったりするのかな、と。
ただ前回のプログラムもなんとなくこう自分の内的世界の切り取りみたいな側面があって、そういうのがやっぱりやりたいところもあり。これからのプログラム組みもそういう風になってくれればいいな、と少し思っていたり。
とりあえず明日・明後日はマッサージを始めちょっとゆっくりの予定なのでゆっくり考えたいと思います。
今日の一曲: リゲティ・ジェルジュ 練習曲第1巻 第4番「ファンファーレ」
リゲティの練習曲で一番最初に出会う曲、というと多分これが一番かな。一番良く聴くような気がします(単に身近なピアニストでこれを弾く人がちょこちょこある、というだけかも?)。
リゲティに特徴的な機械っぽいところがあるながらも明るくて色彩もはっきりしていて、比較的catchyなリズムで聞くには分かりやすい曲かも。
でもとにかくリゲティの練習曲というのは難しい。ピアノのレパートリーの中でもトップクラスの技巧的難易度を誇る曲集です。
何が難しいというとまず指を動かすこと、それからイレギュラーなリズムでアクセントをしっかり強調してリズムの魅力を出すこと、それから求められているスピードで弾くこと。
この曲も曲集のなかでは比較的難しくない方だと思うんですよ。音だけなら。私でもそこそこ初見でなんとかなるくらいは。
ただこの曲のモチーフになっている繰り返される音階的なパッセージのアクセントを最初から最後まで落とさずつけるのがものすごく難しい。特に右手のアクセントとずれるところが。
なんかこう、狂うと思うんですよね、こういうディテールを継続して完璧にやるのには。人間の脳としてパンクするというか。
曲調もそうですし、上記ディテールの再現に求められる技巧・脳の能力も合わせてリゲティの音楽って人間の域を超えた機械っぽいところがあるんですよね。
それがなんというか無機質で冷たくみえるというか、そういうことはよく言われるそうで。ちなみにラヴェルも似たような印象を抱かれることが多いのですが、母曰くそういうところに魅力を感じるか否かの差が文系・理系の感性の違いだそうで(もちろん文系の感性は別のところで理系の感性にはなかなか共感しがたい魅力を感じるということで、どちらが勝っているということではないです。
でもこの曲をつまらなく感じたからといってリゲティの音楽全部捨てたもんでもないと思います。同じように無機質かもしれませんが色んな魅力を持った曲が全3巻の練習曲集にはありますし。例えば第6番は結構激情型だったり(私はそのバランスが好きです)。
なかなか普段出会うことは少ないかもしれませんが、リゲティのピアノ曲は面白いですよ。ちょっとご挨拶してみてください。
リンクしたのはエマールの演奏。もうこれがバイブル、というかこんなに完璧にこの曲集を弾きこなす人はほぼいませんね。人間らしい演奏に聞こえるか機械の完璧さを感じるかはまあ聞いてみてくださいな(リンク先には残念ながら試聴はありませんが)。