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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日は友達のところでリサイタルのプログラムを聴いてもらいに行きました。
友達というか先輩というか、そもそも一番最初に「演奏に戻るべきだ」と言ってくれた人で、大学のころから私の演奏を評価してくれた人で。
今回リサイタルをやるお知らせをだしてすぐ「本番前にプログラムを聴きたい」と申し出てくれたので、ありがたく弾かせてもらって来たわけです。
結果いい演奏になったか自分ではあんまり実感も手応えもなかったのですが褒められて、アドバイスもいただいて。
彼の家のピアノ(カワイのグランド)のキーがものすごく重たかったのに戸惑ったりなんだりもしたし、ちょろっと揺らいでずれそうなことになったり(でも自分でもちょっとびっくりする立ち直りの早さでした)、本番で実力がどれくらい発揮できるか、わからないんですが。
でも人前で弾いた、というのは大きいですし、あと大学でそうだったみたいに演奏を聴いてもらって、コメントしたりしゃべったりして、っていう大学時代の日常をちょろっと取り戻したような感覚にも何か自信を感じた、というかなんというか。
そしてどこに行っても「いいプログラムだ」と言われるのが嬉しい。(もちろんそれを最大限に引き出す演奏をせにゃならんのですが!)
今回のリサイタルのプログラムに関する雑感はこちらのエントリーで書いてるのですが、一つ一つの曲もあんまり巷で演奏を聴かないし、全体としてもちょっと変わった感じのプログラムで。
特に最近(例えばMelbourne Recital CentreでのAustralian Voicesシリーズなど)、コンサートやそのプログラムををデザイン・プロデュースする人を「Curator」と表記しているんですが(一般的には博物館の館長を指す言葉でもあります)、そのcurateする過程が好き、という話を今日していて。
彼が今プランニングしてるプログラムみたいに聴衆の事を考えてモーツァルトを入れたり、とかそういう配慮は基本的私はできなかったりします。だから一般の集客力はなかなか弱かったりするのですが・・・
今回のリサイタルはちょっと経緯が違うのですが、これからやりたいと思ってること(いっぱいあります)は大体こんなテーマでこんな曲を含めて・・・という風に形作って、全体の世界観をものすごく重視してて、だからこそなかなか融通がきかなくなる、きかせたくなくなるところがあるので。
Curatingではまだまだ色々やってみたい、実験したいことがたくさん。(それについては今回のが終わったらまた・・・)
あと自分が弾くレパートリーはなかなか他の人が弾かない、というのも大事にしています。
自分が好きなものをいつも弾いてるのですが、割とそこにはクラシックのうちのクラシックなレパートリーを守備範囲にする人も、がっつりな現代音楽を弾く人もカバーしてない曲がちらほらあったりで。
(だからがっつりな現代音楽にまだ手が回ってない、というのもあるんですが・・・)
これからレパートリーを広げていく方向(クラシック外も含めて?)もまた自分なりに考えていきたいのですが、それはまだこれから後の話かな。
今回のリサイタルは過去の「演奏者」としての自分をとりもどす側面が少なからずあるながらも、これからまた新しくピアニストとしての基盤をつくる演奏でもあり。
自分ができること、やりたいこと、そして自分だからできること、自分しかできないことを演奏でなんとかしていく第一歩でもあり。
大げさな話になってきましたがもうちょっと自分も自覚したほうがいいとおもうので(汗)
何にせよ(ちょっとびびっているながらも)楽しみです。先のことはとりあえず置いといて、とにかくここからなので。もっと演奏したい!と今まで以上に強く思えるようなリサイタルになるといいですね。
少なくとも聞きに来てくれた人にヴィラ=ロボスの第2楽章に出会って恋に落ちてもらえれば、メシアンの第5番の美しさを伝えられれば、そしてスクリャービンで燃え尽くせば、と思っています。
普段はあんまり聴かれない曲の魅力を自分が伝えること、そしてプログラム全体としての芸術を完成されることが一番のミッションです。
そのヴィラ=ロボスの第2楽章は明日の実地リハーサルでのフォーカスですね。あのピアノでどう音をバランスしていくか。
ということで明日はおそらくお知らせとちょろっとだけ更新になります。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第5曲「子に注ぐ子のまなざし」
Naxosでのマイケルの録音(時間限定試聴あり)
今回のリサイタルプログラムで一番美しい曲だと私が思う曲です。もちろん私の本番の演奏に大きく寄りますが。
子、というのはもちろん「神の子」を指す言葉。子に注ぐ子のまなざし、といっても幽体離脱じゃないですよ!
宗派だったりその他信仰の方向性によって神や三位一体、聖家族などのコンセプトにはいろいろ解釈がありますが、メシアンは音楽作品において「神の言葉」を神の子どもとして位置づけています。
旧約聖書の創世記の最初における「光あれ」の言葉から全てが作られた、ということから神が発する言葉は神の最初の子どもであり、神の意志を現実にする担い手でもあった、ということになり。
そんな先に生まれた「子」が人間として生まれた「子」に注ぐまなざしがこの曲。
神と子、子と子は一体であり、そして同時に別の性質をもった別の存在でもあり。
音楽は3つに分かれていて、下の部分は終始「神のテーマ」を弾いていて、上の二つの部分では「リズムカノン」という手法を使っています。
カノン=輪唱、というのは聴いたことがあると思いますが、ちょっと性質が違う音楽で。
なんというのかな、上の部分と真ん中の部分で奏でられてる音は違うのですが、真ん中の部分は上の部分の1.5倍長いリズムで書かれていて。時々上の部分と真ん中の部分が出会うようになっている、効果としてはサイクル的な感じになっています。(やっぱ説明下手だった)
メシアンがこの「リズムカノン」を使うときは時の流れみたいなものの表現が多いです。この曲のように遅く使って永遠の時のなかにsuspendされたような感覚を表現することが多いですが、速い用法もあります(トゥーランガリラの第7楽章とか)
そしてたまに上部分が途切れて始める鳥の声のセクション。この鳥の声は後の作品のように実際の鳥の歌を書き写したものではなく、あくまで理想的な、象徴的な鳥の歌だそうです。一応クロウタドリとか参考にしている鳥はあるそうですが。
なんというか、クラムのLux Aeternaみたいに不思議なneutralityを感じる、そして時の流れを感じる、独特の美しさと神聖さ(必ずしもキリスト教におけるそれを表すのではない)を持った曲です。
ちと拙いところはあるながらも自分の性質にもまた合ったところがあるので(だからこれからもどんどん弾いていきたいです)それが伝わる演奏にしたいですね。
今日は友達のところでリサイタルのプログラムを聴いてもらいに行きました。
友達というか先輩というか、そもそも一番最初に「演奏に戻るべきだ」と言ってくれた人で、大学のころから私の演奏を評価してくれた人で。
今回リサイタルをやるお知らせをだしてすぐ「本番前にプログラムを聴きたい」と申し出てくれたので、ありがたく弾かせてもらって来たわけです。
結果いい演奏になったか自分ではあんまり実感も手応えもなかったのですが褒められて、アドバイスもいただいて。
彼の家のピアノ(カワイのグランド)のキーがものすごく重たかったのに戸惑ったりなんだりもしたし、ちょろっと揺らいでずれそうなことになったり(でも自分でもちょっとびっくりする立ち直りの早さでした)、本番で実力がどれくらい発揮できるか、わからないんですが。
でも人前で弾いた、というのは大きいですし、あと大学でそうだったみたいに演奏を聴いてもらって、コメントしたりしゃべったりして、っていう大学時代の日常をちょろっと取り戻したような感覚にも何か自信を感じた、というかなんというか。
そしてどこに行っても「いいプログラムだ」と言われるのが嬉しい。(もちろんそれを最大限に引き出す演奏をせにゃならんのですが!)
今回のリサイタルのプログラムに関する雑感はこちらのエントリーで書いてるのですが、一つ一つの曲もあんまり巷で演奏を聴かないし、全体としてもちょっと変わった感じのプログラムで。
特に最近(例えばMelbourne Recital CentreでのAustralian Voicesシリーズなど)、コンサートやそのプログラムををデザイン・プロデュースする人を「Curator」と表記しているんですが(一般的には博物館の館長を指す言葉でもあります)、そのcurateする過程が好き、という話を今日していて。
彼が今プランニングしてるプログラムみたいに聴衆の事を考えてモーツァルトを入れたり、とかそういう配慮は基本的私はできなかったりします。だから一般の集客力はなかなか弱かったりするのですが・・・
今回のリサイタルはちょっと経緯が違うのですが、これからやりたいと思ってること(いっぱいあります)は大体こんなテーマでこんな曲を含めて・・・という風に形作って、全体の世界観をものすごく重視してて、だからこそなかなか融通がきかなくなる、きかせたくなくなるところがあるので。
Curatingではまだまだ色々やってみたい、実験したいことがたくさん。(それについては今回のが終わったらまた・・・)
あと自分が弾くレパートリーはなかなか他の人が弾かない、というのも大事にしています。
自分が好きなものをいつも弾いてるのですが、割とそこにはクラシックのうちのクラシックなレパートリーを守備範囲にする人も、がっつりな現代音楽を弾く人もカバーしてない曲がちらほらあったりで。
(だからがっつりな現代音楽にまだ手が回ってない、というのもあるんですが・・・)
これからレパートリーを広げていく方向(クラシック外も含めて?)もまた自分なりに考えていきたいのですが、それはまだこれから後の話かな。
今回のリサイタルは過去の「演奏者」としての自分をとりもどす側面が少なからずあるながらも、これからまた新しくピアニストとしての基盤をつくる演奏でもあり。
自分ができること、やりたいこと、そして自分だからできること、自分しかできないことを演奏でなんとかしていく第一歩でもあり。
大げさな話になってきましたがもうちょっと自分も自覚したほうがいいとおもうので(汗)
何にせよ(ちょっとびびっているながらも)楽しみです。先のことはとりあえず置いといて、とにかくここからなので。もっと演奏したい!と今まで以上に強く思えるようなリサイタルになるといいですね。
少なくとも聞きに来てくれた人にヴィラ=ロボスの第2楽章に出会って恋に落ちてもらえれば、メシアンの第5番の美しさを伝えられれば、そしてスクリャービンで燃え尽くせば、と思っています。
普段はあんまり聴かれない曲の魅力を自分が伝えること、そしてプログラム全体としての芸術を完成されることが一番のミッションです。
そのヴィラ=ロボスの第2楽章は明日の実地リハーサルでのフォーカスですね。あのピアノでどう音をバランスしていくか。
ということで明日はおそらくお知らせとちょろっとだけ更新になります。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第5曲「子に注ぐ子のまなざし」
Naxosでのマイケルの録音(時間限定試聴あり)
今回のリサイタルプログラムで一番美しい曲だと私が思う曲です。もちろん私の本番の演奏に大きく寄りますが。
子、というのはもちろん「神の子」を指す言葉。子に注ぐ子のまなざし、といっても幽体離脱じゃないですよ!
宗派だったりその他信仰の方向性によって神や三位一体、聖家族などのコンセプトにはいろいろ解釈がありますが、メシアンは音楽作品において「神の言葉」を神の子どもとして位置づけています。
旧約聖書の創世記の最初における「光あれ」の言葉から全てが作られた、ということから神が発する言葉は神の最初の子どもであり、神の意志を現実にする担い手でもあった、ということになり。
そんな先に生まれた「子」が人間として生まれた「子」に注ぐまなざしがこの曲。
神と子、子と子は一体であり、そして同時に別の性質をもった別の存在でもあり。
音楽は3つに分かれていて、下の部分は終始「神のテーマ」を弾いていて、上の二つの部分では「リズムカノン」という手法を使っています。
カノン=輪唱、というのは聴いたことがあると思いますが、ちょっと性質が違う音楽で。
なんというのかな、上の部分と真ん中の部分で奏でられてる音は違うのですが、真ん中の部分は上の部分の1.5倍長いリズムで書かれていて。時々上の部分と真ん中の部分が出会うようになっている、効果としてはサイクル的な感じになっています。(やっぱ説明下手だった)
メシアンがこの「リズムカノン」を使うときは時の流れみたいなものの表現が多いです。この曲のように遅く使って永遠の時のなかにsuspendされたような感覚を表現することが多いですが、速い用法もあります(トゥーランガリラの第7楽章とか)
そしてたまに上部分が途切れて始める鳥の声のセクション。この鳥の声は後の作品のように実際の鳥の歌を書き写したものではなく、あくまで理想的な、象徴的な鳥の歌だそうです。一応クロウタドリとか参考にしている鳥はあるそうですが。
なんというか、クラムのLux Aeternaみたいに不思議なneutralityを感じる、そして時の流れを感じる、独特の美しさと神聖さ(必ずしもキリスト教におけるそれを表すのではない)を持った曲です。
ちと拙いところはあるながらも自分の性質にもまた合ったところがあるので(だからこれからもどんどん弾いていきたいです)それが伝わる演奏にしたいですね。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
まずはリサイタルが1週間後にせまったのでお知らせから:
さて、もうあと1週間、といってもそればっかり考えてるわけにもいかないです。ほどよく他のことにも頭を使ったり。
そんなところにtwitterのフォロー先さんが黄昏・夕暮れ周りでつぶやいてらっしゃったので大々的に便乗して黄昏イメージの曲を選んでみました。
今回なるべくフォロー先さんのこれまでの黄昏関係の絵やつぶやきにならって、と言うのが正確か分からないのですがしみじみする夕暮れ、よりも突き刺さるような夕暮れのイメージを求めてチョイスしました。
その結果なぜか普段言及の少ない自分にとって秘蔵のガチで大事な曲が数多く入ったりもしました。
ということで10曲どうぞ。
1) フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
黄昏、といえばまずはこれ。穏やかながらも心に刺さる、美しい曲です。この余韻をずっと味わっていられるのの幸せは「これ未完成で全然いいよ!」と思わせますね。耳が痛くなるほどの静けさ、という表現がありますがそれにぴったり。動いていない中で変わっている、穏やかさの中にある緊張。季節はきっと冬~春かな。水色の空が淡く黄色に、オレンジになっていく様子。
2) ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第4楽章「自殺」
禍々しい、空が血の色に染まる夕暮れのイメージ。実際の詩が夕方を表している、とも取れなくはないんですよね。自殺者の体に生える百合が日光を浴びて赤く見える、というような描写があるので。先ほどのシューベルトと比べると表す感情も全然違えば空の色もかなり違います。とにかく暗い雲で映えるこの紅の色がどぎつくて温度とか季節とかが想像できないくらいなイメージがあります。
3) レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 交響曲第5番 第1楽章
自分にとって伝家の宝刀、というか特別さではトップランクの曲。交響曲の一番最初の楽章だけれどこれ一つで一つの世界ができちゃうくらいです。自然を感じる、広い空の色の変化と流れる時間を感じる曲で、とくにクライマックスが!もう!聞き流すのではなくじっくり集中して聴いて欲しいと思います。人里から離れたところで雲が流れて、優しい風が吹く春~夏の夕のイメージ。
4) ジョン・アイアランド ダウンランド組曲 第3楽章
一つ前のヴォーン=ウィリアムスもそうですがイギリス音楽は特に夕暮れが得意ですね。独特のノスタルジーだったり、光の加減だったり、なかなか他の国の音楽では見つからないものいっぱい。この曲は金管アンサンブルのための曲なのですが、イングリッシュ・ブラスの柔らかい丸い音色が表すのは夕暮れの空の色というよりは黄昏時の人の心なのかも。あえていうなら秋の色鮮やかな夕陽かな。
5) オリヴィエ・メシアン 8つの前奏曲 第6楽章「苦悩の鐘と別れの涙」
これはちょっとだけ変化球かな。フォーカスはなにより「ずっとこの黄昏を感じていたい」と、刹那とも言える短い時間にしがみつくような感覚(苦悩と別れですから)。もうメシアンの黄金の永遠ですねー。長く感じるけれど、愛しい長さ。ずっと西の空を見つめているような。後半の下降和音が特に黄昏を思わせます。温度とかは忘れるような、ひたすら黄金色の時間。
6) ジョージ・クラム 「いにしえの子どもの声」 第4楽章「Todas las Tardes~」、第5楽章「Se ha Llendo~」
どっちかに絞るべきだったのは承知です(この2つの楽章の間にはさまれてる楽章もありますし)が、どちらもこのテーマにふさわしい、実際に日暮れを見ながら聴いてものすごい一致感を感じた曲です。どちらも人間の時間の流れと世界・自然の時間の流れにどれだけ差があるか感じながら、暮れていく日に人の命を思うような。トイピアノの音色やオーボエ、鐘の音が特に響きます。赤く染まった太陽自体が入っている絵。
7) Andy Statman 「Flatbush Waltz」
クレズマーから一曲。クレズマーに限らずヘブライ系の音楽もまた夕方を連想させることが多いですね。でもイギリス音楽よりも切ないエレメントが強い、というか。泣くようなバイオリンだったり、ちょっと甘いギターの繰り返し音だったり、どうしても弱いんですよ、こういうのに。夕方に聴くにふさわしい音楽ですし、夕方に弾くのが似合う曲(だから風景には人間が入る)。重くはない、繊細な曲で、ピンポイントで琴線に触れます。
8) たま 「らんちう」
これまで紹介した夕暮れのどれともかなり性質が違う曲ですね。なんといっても知久さんはものすごく強烈な夕暮れを書きます!色のビビッドさ、あの時間帯独特の切なさ、一種のまがまがしさ、全て網羅している。夕暮れの赤は金魚の赤、という連想もありますが、この独特な情景は最後の部分の歌詞の描写がすごいですね。とにかく濃い。圧倒されるような色と感情です。
9) 聖飢魔II 「Crimson Red」
聖飢魔IIの楽曲のなかでもものすごい好きでほとんど聴かない部類に入るのですが、今日ちょっと夕方久しぶりに聴いて再確認したところです。なんというか、ぐさぐさ来る黄昏の描写ですね。音楽の強烈さ、切なさもそうなのですが歌詞がまた素晴らしい。燃えますね。人間の心が。メルボルンの夏の夕暮れ(それこそ9時とかに日が沈む)ときのあの温度と光の強さがぴったりですが、同時に冬の身を切る冷たさに映える夕暮れにも合いますね。
10) face to ace 「灯」
上記にちょっとにた強烈さ、痛みを感じるような赤い夕方。初めて聴いたとき以来、消えていく光を思うようなイメージがこの曲にはずっとあります。切ないエレメントはかなり強いです。柔らかいキーボードの音と激しいエレキギターのコントラストといい。強さと儚さと光と闇と。今回紹介した他の曲よりももっと夜に近く、秋~冬の黄昏。
キーポイントはやっぱり空の色が変わる、時間の流れを感じる、一日が終わる=太陽が死んでいく、光が失われる、それから独特の切なさだったり寂しさだったり、あたりかな。音楽的に重要になるのが「空の色が変わる」部分で、これは和音進行やハーモニー、キーの変化などで表されているので、音楽のなかでもハーモニーの変化に耳を澄ませて聴いて欲しいと思います(このトピックだけじゃなくいつも言ってることですが)。
今日の一曲は今日はお休みです。(メモ:リサイタルプログラムからはあと2曲)
まずはリサイタルが1週間後にせまったのでお知らせから:
日時: 9月22日(土) 14:30~
場所: Richmond Uniting Church、メルボルン
プログラム:
ヨハン・セバスチャン・バッハ トッカータ ホ短調
エイトル・ヴィラ=ロボス 「ブラジル風バッハ第4番」より
第2楽章 コラール(藪の歌)
第3楽章 アリア(賛歌)
オリヴィエ・メシアン 「幼子に注ぐ20のまなざし」より
第11番 聖母の最初の聖体拝受
第7番 十字架のまなざし
第14番 天使達のまなざし
第5番 子に注ぐ子のまなざし
アレクサンドル・スクリャービン 「炎に向かって」
さて、もうあと1週間、といってもそればっかり考えてるわけにもいかないです。ほどよく他のことにも頭を使ったり。
そんなところにtwitterのフォロー先さんが黄昏・夕暮れ周りでつぶやいてらっしゃったので大々的に便乗して黄昏イメージの曲を選んでみました。
今回なるべくフォロー先さんのこれまでの黄昏関係の絵やつぶやきにならって、と言うのが正確か分からないのですがしみじみする夕暮れ、よりも突き刺さるような夕暮れのイメージを求めてチョイスしました。
その結果なぜか普段言及の少ない自分にとって秘蔵のガチで大事な曲が数多く入ったりもしました。
ということで10曲どうぞ。
1) フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
黄昏、といえばまずはこれ。穏やかながらも心に刺さる、美しい曲です。この余韻をずっと味わっていられるのの幸せは「これ未完成で全然いいよ!」と思わせますね。耳が痛くなるほどの静けさ、という表現がありますがそれにぴったり。動いていない中で変わっている、穏やかさの中にある緊張。季節はきっと冬~春かな。水色の空が淡く黄色に、オレンジになっていく様子。
2) ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第4楽章「自殺」
禍々しい、空が血の色に染まる夕暮れのイメージ。実際の詩が夕方を表している、とも取れなくはないんですよね。自殺者の体に生える百合が日光を浴びて赤く見える、というような描写があるので。先ほどのシューベルトと比べると表す感情も全然違えば空の色もかなり違います。とにかく暗い雲で映えるこの紅の色がどぎつくて温度とか季節とかが想像できないくらいなイメージがあります。
3) レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 交響曲第5番 第1楽章
自分にとって伝家の宝刀、というか特別さではトップランクの曲。交響曲の一番最初の楽章だけれどこれ一つで一つの世界ができちゃうくらいです。自然を感じる、広い空の色の変化と流れる時間を感じる曲で、とくにクライマックスが!もう!聞き流すのではなくじっくり集中して聴いて欲しいと思います。人里から離れたところで雲が流れて、優しい風が吹く春~夏の夕のイメージ。
4) ジョン・アイアランド ダウンランド組曲 第3楽章
一つ前のヴォーン=ウィリアムスもそうですがイギリス音楽は特に夕暮れが得意ですね。独特のノスタルジーだったり、光の加減だったり、なかなか他の国の音楽では見つからないものいっぱい。この曲は金管アンサンブルのための曲なのですが、イングリッシュ・ブラスの柔らかい丸い音色が表すのは夕暮れの空の色というよりは黄昏時の人の心なのかも。あえていうなら秋の色鮮やかな夕陽かな。
5) オリヴィエ・メシアン 8つの前奏曲 第6楽章「苦悩の鐘と別れの涙」
これはちょっとだけ変化球かな。フォーカスはなにより「ずっとこの黄昏を感じていたい」と、刹那とも言える短い時間にしがみつくような感覚(苦悩と別れですから)。もうメシアンの黄金の永遠ですねー。長く感じるけれど、愛しい長さ。ずっと西の空を見つめているような。後半の下降和音が特に黄昏を思わせます。温度とかは忘れるような、ひたすら黄金色の時間。
6) ジョージ・クラム 「いにしえの子どもの声」 第4楽章「Todas las Tardes~」、第5楽章「Se ha Llendo~」
どっちかに絞るべきだったのは承知です(この2つの楽章の間にはさまれてる楽章もありますし)が、どちらもこのテーマにふさわしい、実際に日暮れを見ながら聴いてものすごい一致感を感じた曲です。どちらも人間の時間の流れと世界・自然の時間の流れにどれだけ差があるか感じながら、暮れていく日に人の命を思うような。トイピアノの音色やオーボエ、鐘の音が特に響きます。赤く染まった太陽自体が入っている絵。
7) Andy Statman 「Flatbush Waltz」
クレズマーから一曲。クレズマーに限らずヘブライ系の音楽もまた夕方を連想させることが多いですね。でもイギリス音楽よりも切ないエレメントが強い、というか。泣くようなバイオリンだったり、ちょっと甘いギターの繰り返し音だったり、どうしても弱いんですよ、こういうのに。夕方に聴くにふさわしい音楽ですし、夕方に弾くのが似合う曲(だから風景には人間が入る)。重くはない、繊細な曲で、ピンポイントで琴線に触れます。
8) たま 「らんちう」
これまで紹介した夕暮れのどれともかなり性質が違う曲ですね。なんといっても知久さんはものすごく強烈な夕暮れを書きます!色のビビッドさ、あの時間帯独特の切なさ、一種のまがまがしさ、全て網羅している。夕暮れの赤は金魚の赤、という連想もありますが、この独特な情景は最後の部分の歌詞の描写がすごいですね。とにかく濃い。圧倒されるような色と感情です。
9) 聖飢魔II 「Crimson Red」
聖飢魔IIの楽曲のなかでもものすごい好きでほとんど聴かない部類に入るのですが、今日ちょっと夕方久しぶりに聴いて再確認したところです。なんというか、ぐさぐさ来る黄昏の描写ですね。音楽の強烈さ、切なさもそうなのですが歌詞がまた素晴らしい。燃えますね。人間の心が。メルボルンの夏の夕暮れ(それこそ9時とかに日が沈む)ときのあの温度と光の強さがぴったりですが、同時に冬の身を切る冷たさに映える夕暮れにも合いますね。
10) face to ace 「灯」
上記にちょっとにた強烈さ、痛みを感じるような赤い夕方。初めて聴いたとき以来、消えていく光を思うようなイメージがこの曲にはずっとあります。切ないエレメントはかなり強いです。柔らかいキーボードの音と激しいエレキギターのコントラストといい。強さと儚さと光と闇と。今回紹介した他の曲よりももっと夜に近く、秋~冬の黄昏。
キーポイントはやっぱり空の色が変わる、時間の流れを感じる、一日が終わる=太陽が死んでいく、光が失われる、それから独特の切なさだったり寂しさだったり、あたりかな。音楽的に重要になるのが「空の色が変わる」部分で、これは和音進行やハーモニー、キーの変化などで表されているので、音楽のなかでもハーモニーの変化に耳を澄ませて聴いて欲しいと思います(このトピックだけじゃなくいつも言ってることですが)。
今日の一曲は今日はお休みです。(メモ:リサイタルプログラムからはあと2曲)
前回のエントリーに拍手ありがとうございますー
何よりも今日という日が無事終わったことにほっとしています。
妹が暖かい北の地に旅行に行ったためリサイタルをやる教会に一人で運転して、リハーサルして帰ってきました。
ちょっと混んだところとか、西日に向かって運転したり夜間運転だったり、なんとか無事帰宅できました。
まだちょこちょこ危なっかしいところとか判断に迷うところとかありますが、ちょっとずつは運転もうまくなってきているかな・・・
リハーサル、というのはつまり本番で弾くピアノで弾いてそのピアノに合わせての対策を練る、ということが主なので突き詰めた練習ではないです。うちにあるアップライトピアノははっきりいって音が薄っぺらかったりキーが軽かったり、はっきりしている音なんかも特徴なのですが、教会にあるピアノは音は深くて響きもいいながら曲の最後とかでペダルを外すときにぶちっと音が切れてしまったり、高音が鋭かったりという考慮ポイントも。
でも以外と場所見知りとかピアノ見知りとかしないようで概ね良かったです。弾き方を変えなきゃいけないとこはそんなになかったですし(やっぱりヴィラ=ロボスの第2楽章だなー・・・)。
もちろんお客さんが入ってみないと本番は分かりませんが、そこもちゃんと考慮してバッハを一番最初に持ってきたりしているので。
ちょっと教会の写真も撮って来ちゃいました。本番は昼なので照明はそんなにつけないのでこういう感じの写真はリハーサルならでは、ということになるのかな。
すでに紹介済ですがRichmondにあるRichmond Uniting Churchという教会で、バルコニー合わせて180人収容だったかな?バルコニーは(妹以外は)使わない予定。
なかなかcozyでアットホームな雰囲気で、サイズもそういうところも今の自分にはいいかな。
木の部分が多いですよね。もっと大きい教会だと石の比率が大きくなります。そういう大きな教会だと全体的にひんやりした雰囲気が好きだったりします。

お気に入りはこのオルガンの部分。青緑の星空にちょっとかわいらしい配色で、オルガンのパイプも色が塗られていておもちゃのようにも見えますがれっきとした本物のパイプオルガン。
ここでオルガンのリサイタルも開かれていますし、近くにある2つの別の教会と一日で3つのオルガンを聴くリサイタルシリーズも開かれているそうです。
オルガンは楽器自体はもちろん、それが設えられている教会によっても音や響きが変わりますし、音楽だけでなく色んな雰囲気・建築の教会も味わえるのがまた面白い。
前も書きましたがここだけじゃなくて色んなところで弾きたいですね。すでにもう反省がちょっと入ってるんですが次回はもうちょっと自分に自信もって集客ももっとアクティブにいきたいですし。今回の経験を生かして次回はもっとてきぱきと各種手続き進めたい。そしてまだ考え始めるのはちょっと早いですがまだまだリサイタルのプログラムに関しても弾きたい曲、組み合わせたい曲、扱ったり表現したりしたいコンセプトいくつかあるので、ぜひ今回無事に成功させたいです。
ということで明日でリサイタルまであと1週間。最近夜中に気分が落ちたり不安を感じたりすることが増えたのは「次の日になる」ことに対しての不安だと思われますが、昨日・今日の一人運転、そしてリハーサルを終わらせて峠を越えたような気もします。
あとはプログラム印刷してひたすらピアノ・・・ですよね?なんか忘れてないことを願ってます。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第11番「聖母の最初の聖体拝受」
つきあいが長いからなのかちょっと最近になって弱点が出始めているっぽい曲。この曲は出来てあたりまえ、ホームで当たり前、みたいなところがあるのでしっかりせねば。
それにこの曲は今回弾くメシアンの中だったら一番聴き手にとって分かりやすい曲でもありますからね。やっぱり大切。
前も紹介してると思いますが、この曲は聖母マリアの元に天使ガブリエルが現れ、マリアが神の子を身ごもっていることを伝える有名なシーンを表しています。(幼稚園のページェントでやった思い出のあるシーンです。ガブリエルを演じました、私)
まるで絵画やタペストリーみたいな表現で、さらに美しい(モダンっぽくない)ハーモニーや色彩で20のまなざしの中でも特に取っつきやすい曲だと思いますし、メシアンメインじゃないプログラムでも単品で弾かれることもあります。さらに他のまなざしともなかなか組み合わせやすいですし、曲数に共通するテーマもいくつか使われてるためここから聴き広げることもできる、なにげにオールマイティーカード。
最初に聞こえる和音はこの曲集で繰り返し使われている「神のテーマ」。祈るマリアに神の加護があることを表しています。高音に聞こえる鳥の声のようなパッセージはいと高きところから使者がくる予兆。
そして音楽が活発になったところ(ここも「神のテーマ」が中心)が天使ガブリエルの到来を表します。前述幼稚園のページェントではガブリエルは舞台に登場してマリアの回りを走って(飛んで)一周することになってたんですがそのまんまですね!
そして喜ばしい報せを告げ、マリアが驚き。素数列を使ったリズム(音の長さが2, 4, 3, 4, 5, 4, 7, 4, 11, 4)、そしてまた別の数列のリズム(1, 3, 2, 4, 3, 5・・・)が続いているところで繰り返される低音が現れます。
この低音、実際楽譜に「みどりごの鼓動」と書いてあって、テンポが実際の胎児の心拍数になっているそうで(240 bpmのはず)。
さきほど書きました諸々の理由でおすすめの曲。メシアンは初めて、現代音楽はあんまり知らない、という方にはぜひこの曲で出会って欲しいです。
今回はジャケットで選びました。かならずしも20曲全部がこういう雰囲気ではないですが、この第11番には特にぴったりです。
何よりも今日という日が無事終わったことにほっとしています。
妹が暖かい北の地に旅行に行ったためリサイタルをやる教会に一人で運転して、リハーサルして帰ってきました。
ちょっと混んだところとか、西日に向かって運転したり夜間運転だったり、なんとか無事帰宅できました。
まだちょこちょこ危なっかしいところとか判断に迷うところとかありますが、ちょっとずつは運転もうまくなってきているかな・・・
リハーサル、というのはつまり本番で弾くピアノで弾いてそのピアノに合わせての対策を練る、ということが主なので突き詰めた練習ではないです。うちにあるアップライトピアノははっきりいって音が薄っぺらかったりキーが軽かったり、はっきりしている音なんかも特徴なのですが、教会にあるピアノは音は深くて響きもいいながら曲の最後とかでペダルを外すときにぶちっと音が切れてしまったり、高音が鋭かったりという考慮ポイントも。
でも以外と場所見知りとかピアノ見知りとかしないようで概ね良かったです。弾き方を変えなきゃいけないとこはそんなになかったですし(やっぱりヴィラ=ロボスの第2楽章だなー・・・)。
もちろんお客さんが入ってみないと本番は分かりませんが、そこもちゃんと考慮してバッハを一番最初に持ってきたりしているので。
すでに紹介済ですがRichmondにあるRichmond Uniting Churchという教会で、バルコニー合わせて180人収容だったかな?バルコニーは(妹以外は)使わない予定。
なかなかcozyでアットホームな雰囲気で、サイズもそういうところも今の自分にはいいかな。
木の部分が多いですよね。もっと大きい教会だと石の比率が大きくなります。そういう大きな教会だと全体的にひんやりした雰囲気が好きだったりします。
お気に入りはこのオルガンの部分。青緑の星空にちょっとかわいらしい配色で、オルガンのパイプも色が塗られていておもちゃのようにも見えますがれっきとした本物のパイプオルガン。
ここでオルガンのリサイタルも開かれていますし、近くにある2つの別の教会と一日で3つのオルガンを聴くリサイタルシリーズも開かれているそうです。
オルガンは楽器自体はもちろん、それが設えられている教会によっても音や響きが変わりますし、音楽だけでなく色んな雰囲気・建築の教会も味わえるのがまた面白い。
前も書きましたがここだけじゃなくて色んなところで弾きたいですね。すでにもう反省がちょっと入ってるんですが次回はもうちょっと自分に自信もって集客ももっとアクティブにいきたいですし。今回の経験を生かして次回はもっとてきぱきと各種手続き進めたい。そしてまだ考え始めるのはちょっと早いですがまだまだリサイタルのプログラムに関しても弾きたい曲、組み合わせたい曲、扱ったり表現したりしたいコンセプトいくつかあるので、ぜひ今回無事に成功させたいです。
ということで明日でリサイタルまであと1週間。最近夜中に気分が落ちたり不安を感じたりすることが増えたのは「次の日になる」ことに対しての不安だと思われますが、昨日・今日の一人運転、そしてリハーサルを終わらせて峠を越えたような気もします。
あとはプログラム印刷してひたすらピアノ・・・ですよね?なんか忘れてないことを願ってます。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第11番「聖母の最初の聖体拝受」
つきあいが長いからなのかちょっと最近になって弱点が出始めているっぽい曲。この曲は出来てあたりまえ、ホームで当たり前、みたいなところがあるのでしっかりせねば。
それにこの曲は今回弾くメシアンの中だったら一番聴き手にとって分かりやすい曲でもありますからね。やっぱり大切。
前も紹介してると思いますが、この曲は聖母マリアの元に天使ガブリエルが現れ、マリアが神の子を身ごもっていることを伝える有名なシーンを表しています。(幼稚園のページェントでやった思い出のあるシーンです。ガブリエルを演じました、私)
まるで絵画やタペストリーみたいな表現で、さらに美しい(モダンっぽくない)ハーモニーや色彩で20のまなざしの中でも特に取っつきやすい曲だと思いますし、メシアンメインじゃないプログラムでも単品で弾かれることもあります。さらに他のまなざしともなかなか組み合わせやすいですし、曲数に共通するテーマもいくつか使われてるためここから聴き広げることもできる、なにげにオールマイティーカード。
最初に聞こえる和音はこの曲集で繰り返し使われている「神のテーマ」。祈るマリアに神の加護があることを表しています。高音に聞こえる鳥の声のようなパッセージはいと高きところから使者がくる予兆。
そして音楽が活発になったところ(ここも「神のテーマ」が中心)が天使ガブリエルの到来を表します。前述幼稚園のページェントではガブリエルは舞台に登場してマリアの回りを走って(飛んで)一周することになってたんですがそのまんまですね!
そして喜ばしい報せを告げ、マリアが驚き。素数列を使ったリズム(音の長さが2, 4, 3, 4, 5, 4, 7, 4, 11, 4)、そしてまた別の数列のリズム(1, 3, 2, 4, 3, 5・・・)が続いているところで繰り返される低音が現れます。
この低音、実際楽譜に「みどりごの鼓動」と書いてあって、テンポが実際の胎児の心拍数になっているそうで(240 bpmのはず)。
さきほど書きました諸々の理由でおすすめの曲。メシアンは初めて、現代音楽はあんまり知らない、という方にはぜひこの曲で出会って欲しいです。
今回はジャケットで選びました。かならずしも20曲全部がこういう雰囲気ではないですが、この第11番には特にぴったりです。
メルボルンは一日に四季がある街、と言われますが一番天気が不安定なのが春なのかもしれないな、と16年半経ってやっと気づいている最近。
夏も結構急な天候の変化はありますがはっきりしてますからね。春の方が「不安定」という言葉にはぴったりかなー・・・
それでもさすがに4つも季節はないような(それは夏か)。
精神の調子も微妙に不安定。大体「普通の変動」の範囲に入るか入らないかくらいの振れ幅で上に行ったり下に行ったり。どっちにしたって思考が集中できないのがannoying。文書きしたいよー。日本に行く前に進めたいよ-。
こんど妹が居ない間にリサイタルのリハーサルに一人で車で行かなくちゃいけない、ということで今週はそこまで行って帰る練習です。今日も行って来ました。
Richmondは決して遠くないのですしそこそこ普通に行ける道もあるのですがまだちょこちょこ慣れないところが。
あと車を駐めるところがまだ見つかっていない(汗)細い道だったり行き止まり道だったり一方通行だったりあそこらへんはちと難しいです。
ところで前書いてるかわかりませんがこっちのガソリンスタンドってセルフがほとんどなんです。ちゃんとやりかた覚えましたよ~ガソリンスタンドの出入りに若干不安がありますが。
特定のスーパーマーケットのポイントカードで特定のガソリンスタンドの割引になったりするのもちゃんと頭に入れとかないと。
実は昨日シティから帰る途中に道ですっころびました。詳細は今でもよく分からないのですが両肩に荷物(重くはないですが)を下げてたのでバランスを立て直せず手は地面についたものの左膝強打。ユニクロのカーゴパンツはびくともしなかったです皮膚もほとんどすりむけてなかったのですが内出血で膝周りがすごい色に。(皮膚はもちろん日常でなかなか見ない色だったので写真撮っときました)
一応擦れて痛くないよう昨日は絆創膏を貼っていたのですが、友達に内出血だったら湿布はどうか、と提案され。理に適ってはいるんですがすりむけてはいないものの少し薄くなっている様子で、ささくれっぽくなってるところもあるので湿布の粘着が怖い(汗)
なので膝が痛いのはもちろんなのですが、倒れたときに体重+荷物重を受けた腕もなんだか痛い。起き上がるときに体重をかけると痛い、ということみたいです(腕を内転・外転させる筋肉みたいです。ピアノには全く影響が無いわけではないですが案外大丈夫)。生活してて不便、ということではないですが起き上がったりするときのゆっくりさに自分でも毎回びっくりします。(というかもうちょっと身を起こして一日を過ごそう、というのも・・・)
バランスと良い結果といい運動不足があるのかなー・・・というのはあんまり考えたくないんですが・・・
そうそう、昨日のことで書いてなかったこともうひとつ。Haunted Bookshopでリサイタル用?にアルケミーゴシックの「Star of Udolpho」を買いました(廃盤になっているペンダントの一つ。もったいない!)。店のおじさんによると世界最古に近いゴシック小説が由来の作品だそうで、実際そのMystery of Udolpho(だったかな?)という小説も店に置いてあるそうです。古い英語で書かれているので読むのは難しいそう。
アルケミーゴシックは9月から来年のカレンダーが出ているそうなのですがまだ出会っていない・・・16ヶ月カレンダーなのでちょっと早めに買っておきたいのですが。今年版は干支にちなんでドラゴンがテーマでしたが来年はルーンの妖精がテーマだそう。
そして9月といえばアルケミ新作発表の季節でもあります。ラインアップはこんな感じ。色々面白いのが今回もありますね、Steampunkもクラシック系も。
今年も無料でカタログ送付とあったので注文しました。楽しみです。
(そうそう、Haunted Bookshopにも新作がもうすぐ来るはずですね。前回そんなにラグなかったので結構すぐかな。)
今は何よりピアノがしっかりやりたいですし、水曜日のマッサージが楽しみです。
早く腕が痛くなくなりますように。
今日の一曲: 聖飢魔II 「HOLY BLOOD~戦いの血統」
今日は日本では元聖飢魔IIのギタリストであり現CANTAの歌手&ギタリストであるルーク篁さん(ルーク参謀)の地球デビュー25周年ライブイベントがあったそうです。
聖飢魔IIの第13番目(一番最後に入った)構成員で速弾きのギタリストとしてだけではなくたくさんの素晴らしい・愛される楽曲を書き(書いた曲数は一番多い)、CANTAではさらにボーカルも務め、今年はツール・ド・フランスの解説まで。聖飢魔II、CANTA他仲間のミュージシャン達と今日は楽しいライブになっただろうなー。
「HOLY BLOOD」(最初に収録された大教典は「メフィストフェレスの肖像」でいいのかな)は私が聖飢魔IIを好きになったきっかけの曲なんです。どういう経緯だったかは覚えていないのですが、確かにこの曲をちょこちょこ聴き始めたのがそもそもの始まりだった。
とにかく変ホ短調というキーに弱いのがまずあるんですが、メロディーが割とストレートなのと、楽器パートが全体としてものすごく充実しているというかものすごく緻密に書かれてる、アンサンブルとしてぴたっとなってる印象があって。ドライな爽快感が音にあっていいです。
あと「HOLY BLOOD」は去年のチャリティーミサ「Tribute to Japan」の一番最後(=2日目の最後)に演奏された曲でもあります。(だから去年が最後だったら聖飢魔II最後の曲になる、ということに)
妹が持ってるDVDでは最後に演奏されることがなかったのでちょっと意外に思って今でもちょっと驚いているのですが(汗)
そして今確認してみたら作曲だけでなく作詩もルーク参謀だった。参謀が作曲・作詩どっちも担当している曲って歌詞が人間の若さとか内面の弱さを表現する、エール的な歌が割とあるんですがこれはちょっと毛色が違いますね(なので確認が必要だった)。
メロディーもストレートだけど歌詞も似たようなストレートさがあってその竹を割るような感じが今でもものすごく好きです。
リンクしたのは前述メフィではなくベストアルバム「1999 Black list「本家極悪集大成盤」」。これほんとラインアップいいですね。聖飢魔IIってこんな音楽、というのがうまくカバーされてるというか。初期の作品から巷のイメージとは(色んな方向に)違うものまで。説明するのはこれ一枚で事足りそうな。(入門大教典もいいですが)
そして音楽と直接関係ないのですがルーク参謀といえば髪型・衣装の多様さもまたすごい。ちょっと見びっくりするものもいくつかあるのですが、このBlack Listのジャケットのルーク参謀(後列、左)なんか頭に羽根はえてますし。
夏も結構急な天候の変化はありますがはっきりしてますからね。春の方が「不安定」という言葉にはぴったりかなー・・・
それでもさすがに4つも季節はないような(それは夏か)。
精神の調子も微妙に不安定。大体「普通の変動」の範囲に入るか入らないかくらいの振れ幅で上に行ったり下に行ったり。どっちにしたって思考が集中できないのがannoying。文書きしたいよー。日本に行く前に進めたいよ-。
こんど妹が居ない間にリサイタルのリハーサルに一人で車で行かなくちゃいけない、ということで今週はそこまで行って帰る練習です。今日も行って来ました。
Richmondは決して遠くないのですしそこそこ普通に行ける道もあるのですがまだちょこちょこ慣れないところが。
あと車を駐めるところがまだ見つかっていない(汗)細い道だったり行き止まり道だったり一方通行だったりあそこらへんはちと難しいです。
ところで前書いてるかわかりませんがこっちのガソリンスタンドってセルフがほとんどなんです。ちゃんとやりかた覚えましたよ~ガソリンスタンドの出入りに若干不安がありますが。
特定のスーパーマーケットのポイントカードで特定のガソリンスタンドの割引になったりするのもちゃんと頭に入れとかないと。
実は昨日シティから帰る途中に道ですっころびました。詳細は今でもよく分からないのですが両肩に荷物(重くはないですが)を下げてたのでバランスを立て直せず手は地面についたものの左膝強打。ユニクロのカーゴパンツはびくともしなかったです皮膚もほとんどすりむけてなかったのですが内出血で膝周りがすごい色に。(皮膚はもちろん日常でなかなか見ない色だったので写真撮っときました)
一応擦れて痛くないよう昨日は絆創膏を貼っていたのですが、友達に内出血だったら湿布はどうか、と提案され。理に適ってはいるんですがすりむけてはいないものの少し薄くなっている様子で、ささくれっぽくなってるところもあるので湿布の粘着が怖い(汗)
なので膝が痛いのはもちろんなのですが、倒れたときに体重+荷物重を受けた腕もなんだか痛い。起き上がるときに体重をかけると痛い、ということみたいです(腕を内転・外転させる筋肉みたいです。ピアノには全く影響が無いわけではないですが案外大丈夫)。生活してて不便、ということではないですが起き上がったりするときのゆっくりさに自分でも毎回びっくりします。(というかもうちょっと身を起こして一日を過ごそう、というのも・・・)
バランスと良い結果といい運動不足があるのかなー・・・というのはあんまり考えたくないんですが・・・
そうそう、昨日のことで書いてなかったこともうひとつ。Haunted Bookshopでリサイタル用?にアルケミーゴシックの「Star of Udolpho」を買いました(廃盤になっているペンダントの一つ。もったいない!)。店のおじさんによると世界最古に近いゴシック小説が由来の作品だそうで、実際そのMystery of Udolpho(だったかな?)という小説も店に置いてあるそうです。古い英語で書かれているので読むのは難しいそう。
アルケミーゴシックは9月から来年のカレンダーが出ているそうなのですがまだ出会っていない・・・16ヶ月カレンダーなのでちょっと早めに買っておきたいのですが。今年版は干支にちなんでドラゴンがテーマでしたが来年はルーンの妖精がテーマだそう。
そして9月といえばアルケミ新作発表の季節でもあります。ラインアップはこんな感じ。色々面白いのが今回もありますね、Steampunkもクラシック系も。
今年も無料でカタログ送付とあったので注文しました。楽しみです。
(そうそう、Haunted Bookshopにも新作がもうすぐ来るはずですね。前回そんなにラグなかったので結構すぐかな。)
今は何よりピアノがしっかりやりたいですし、水曜日のマッサージが楽しみです。
早く腕が痛くなくなりますように。
今日の一曲: 聖飢魔II 「HOLY BLOOD~戦いの血統」
今日は日本では元聖飢魔IIのギタリストであり現CANTAの歌手&ギタリストであるルーク篁さん(ルーク参謀)の地球デビュー25周年ライブイベントがあったそうです。
聖飢魔IIの第13番目(一番最後に入った)構成員で速弾きのギタリストとしてだけではなくたくさんの素晴らしい・愛される楽曲を書き(書いた曲数は一番多い)、CANTAではさらにボーカルも務め、今年はツール・ド・フランスの解説まで。聖飢魔II、CANTA他仲間のミュージシャン達と今日は楽しいライブになっただろうなー。
「HOLY BLOOD」(最初に収録された大教典は「メフィストフェレスの肖像」でいいのかな)は私が聖飢魔IIを好きになったきっかけの曲なんです。どういう経緯だったかは覚えていないのですが、確かにこの曲をちょこちょこ聴き始めたのがそもそもの始まりだった。
とにかく変ホ短調というキーに弱いのがまずあるんですが、メロディーが割とストレートなのと、楽器パートが全体としてものすごく充実しているというかものすごく緻密に書かれてる、アンサンブルとしてぴたっとなってる印象があって。ドライな爽快感が音にあっていいです。
あと「HOLY BLOOD」は去年のチャリティーミサ「Tribute to Japan」の一番最後(=2日目の最後)に演奏された曲でもあります。(だから去年が最後だったら聖飢魔II最後の曲になる、ということに)
妹が持ってるDVDでは最後に演奏されることがなかったのでちょっと意外に思って今でもちょっと驚いているのですが(汗)
そして今確認してみたら作曲だけでなく作詩もルーク参謀だった。参謀が作曲・作詩どっちも担当している曲って歌詞が人間の若さとか内面の弱さを表現する、エール的な歌が割とあるんですがこれはちょっと毛色が違いますね(なので確認が必要だった)。
メロディーもストレートだけど歌詞も似たようなストレートさがあってその竹を割るような感じが今でもものすごく好きです。
リンクしたのは前述メフィではなくベストアルバム「1999 Black list「本家極悪集大成盤」」。これほんとラインアップいいですね。聖飢魔IIってこんな音楽、というのがうまくカバーされてるというか。初期の作品から巷のイメージとは(色んな方向に)違うものまで。説明するのはこれ一枚で事足りそうな。(入門大教典もいいですが)
そして音楽と直接関係ないのですがルーク参謀といえば髪型・衣装の多様さもまたすごい。ちょっと見びっくりするものもいくつかあるのですが、このBlack Listのジャケットのルーク参謀(後列、左)なんか頭に羽根はえてますし。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
昨日はブルームーンでTwitterのTLも盛り上がっていましたが昨日はまた別に盛り上がることがあったのでブルームーンにちなんだエントリーは今日に。
実際月の移り変わりのアプリでみると満月はちょうど日付が変わるときで、今日でもfraction illuminatedは0.99~1.00なのでそんなに変わりなかったり。
ということで今日は「月」にちなんだ曲を10つ紹介します。キーワードto音楽のフォーマットができればよかったんですがちょっと難しいのでフリーフォーマットで。
1) ガブリエル・フォーレ 「マスクとベルガマスク」より「月の光」
フォーレによるオケ・合唱・ソロの歌手のための組曲で、楽章ごとにオケだけだったり合唱が入ったり歌曲になってたりします。この楽章はテノール歌手とオケのための組曲。詩はヴェルレーヌの「艶なる宴」からだそう。
以前も紹介していますがこの曲の月の光は冷たく蒼く神秘的に庭を照らす感じ。幸せの中に存在するもの悲しさと儚さ。フォーレに特徴的なフルートやハープのラインがフランスのfin-de-siecleを象徴する芸術を形作ります。
2) ベンジャミン・ブリテン 「ピーター・グライムズ」より「4つの海の間奏曲」 「月光」
こないだ紹介したばっかりだった!その時書いた通りピーター・グライムズはブリテンによる港町を舞台としたオペラ。オペラの中でオケのみで海の情景を描く間奏曲を抜き出した「4つの海の間奏曲」ですが、特に美しいと思うのがこの「月光」です。穏やかな海の上に黄金に輝く満月、金色を映し揺れる海。水平線と比べて少しずつ動いているのが分かるような。暖かみのある月の光です。
3) クロード・ドビュッシー 「映像」第2集より「廃寺にかかる月」
ドビュッシーだったらベルガマスク組曲の「月の光」は有名なので(ちなみにさっきのフォーレと同題材)こちらをプッシュしたい。ドビュッシーは東洋的な物が好きで、この曲の舞台もどこかしらの東洋の寺。空高くに白く輝く、時の止まったような古い寺と月の風景です。ちょっと「荒城の月」に似た情景がありますね。この曲のガムラン風というか鈴の音のような響きは前述ブリテンにも似たようなサウンドがあるのがまた面白かったり。
4) オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「モリヒバリ」
神秘的な森の夜が舞台のこの曲はあくまでもモリヒバリ、そしてナイチンゲールの鳴き声がメインですが真っ暗な「モリフクロウ」の森の景色とは違って月が輝いています。それは直接的には描かれて居ないのですが曲調でなんとなくわかりますし、あと途中でナイチンゲールの鳴き声のパッセージに「lunaire」=月の、月のようにという言葉が書いてあって、ここでナイチンゲールの鳴き声(聴覚)が月の光(視覚)と一致するようになっています。
5) オットリーノ・レスピーギ 「ローマの松」より「ジャニコロの松」
これも最近言及しましたね。レスピーギの説明によると満月に照らされた松の情景だそうです(そしてここにもナイチンゲールが)。夢のような柔らかさと暖かさで優しく恋人たちや眠る人に注いでいるような感じですね。なんといってもクラリネットの音色の透明さが月光を表現するのに効いていますね。それからピアノやチェレスタの音色も忘れず。
6) アルノルト・シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」 第13楽章「打ち首」
これまでの月のイメージとはがらり変わってこの「月に憑かれたピエロ」の月は狂気の象徴であり、冷たく不気味なもの。どの楽章の月も面白いのですがこの「打ち首」における刃物のように冷たく鋭利な三日月のイメージをチョイス。奇っ怪で、ちょっとキュビズムの絵画を思わせるような作風に一風変わった楽器編成、そしてシュプレヒシュティンメという話すような歌い方のソプラノ。何かに追われているような前半部分と透明で冷たい、これまでの音楽に通じるところのある月光の描写のコントラストにも注目です。
7) ジョージ・クラム 「Night of the Four Moons」 第4楽章「Huye Luna, Luna!」
特殊な歌い方のソプラノ、フルートの活躍、奇っ怪→穏やかなど前の曲とかぶるエレメントはちょこちょこありますが、その表すところの月はちょっと違います。クラムはこの曲をアポロ計画に向けて「月はそっとしておきなよ」というようなメッセージをこめて、ロルカの詩になぞらえて書いたと言われていますが、近いようで遠い、遠いようで近い月を天文学的なエレメントも含めて表現するのがクラムですね。最初の部分の奇怪さにめげず、是非後半まで聞いてみてください。
8) たま 「海にうつる月」
ここからクラシック以外でのチョイス。たまは月に関する楽曲ものすごくいっぱい書いてますね!柳原さんも知久さんも滝本さんも(石川さんは思いつかないんですが)。いろんな月の描写があるなかシンプルに美しい、昔から好きなこの曲を。冷たさも暖かさもある、色んなものが不思議なバランスのなかでそこにとどまっていて、静かにゆらいでいる月の光。歌詞もいいですし、なんといっても間奏のオルガンのソロがはかなくて愛しいです。
9) 聖飢魔II 「怪奇植物」
聖飢魔IIも「真昼の月」(震災後応援の歌として公式トップに歌詞掲載)とか「満月の夜」とか、月をモチーフとした曲はちらほらあるなか満月といったら私はやっぱりこの曲なのです。作詩作曲ダミアン浜田陛下。ダミ様の曲大好きです。方向でいえば先ほどの「月に憑かれたピエロ」のような不気味な月のイメージ、それにもっと「怪しい」&「妖しい」成分を足した感じですね。闇の神秘、植物的な神秘、そして危険、Metamorphosisが生々しいのが素敵です。
10) face to ace 「月華抄」
これは「月がモチーフになっているけど月がメインではない」くくりとして。言及はものすごく少ないけれど詩にも音楽にも確かにそこにある月の光。むしろ月光というのはそういう存在感であるイメージもありますね。その少ない言及の歌詞の中にもやっぱり他の曲の月と共通する優しさ、守るような性質、そっとそこに輝いて照らしている性質があったり。どうしても月の輝く夜に聴きたくなる曲なんです。
月を音楽で表現するときってこうやって曲をリストしてみるとなんとなく共通点が見えてきますね。まず音が全体的に少なかったり、調も比較的♯♭が少ない調が多い・・・かな?(ト長調がちょっと多いかも)それから和音(4度とか響きがオープンになる和音がよく使われる)、和音の移り変わり、そして音のアタックで月の光の性質を表現してみたり。楽器で言うと音色の透明さを求めて弦のハーモニクス(クラム)、クラリネット、アコースティックギターなどが好まれたり。
色々みてみると面白いですね。
明日はできたら鴨ラーメンとジェラート食べに行きたいので(笑)天気もいいはずなのでちょっと遅れたながら月を見たいです。満月じゃなくても晴れてたら綺麗に見えることには変わりないですし、明日もまだそんなには形は変わってない・・・はず。
今日の一曲はお休みです。
昨日はブルームーンでTwitterのTLも盛り上がっていましたが昨日はまた別に盛り上がることがあったのでブルームーンにちなんだエントリーは今日に。
実際月の移り変わりのアプリでみると満月はちょうど日付が変わるときで、今日でもfraction illuminatedは0.99~1.00なのでそんなに変わりなかったり。
ということで今日は「月」にちなんだ曲を10つ紹介します。キーワードto音楽のフォーマットができればよかったんですがちょっと難しいのでフリーフォーマットで。
1) ガブリエル・フォーレ 「マスクとベルガマスク」より「月の光」
フォーレによるオケ・合唱・ソロの歌手のための組曲で、楽章ごとにオケだけだったり合唱が入ったり歌曲になってたりします。この楽章はテノール歌手とオケのための組曲。詩はヴェルレーヌの「艶なる宴」からだそう。
以前も紹介していますがこの曲の月の光は冷たく蒼く神秘的に庭を照らす感じ。幸せの中に存在するもの悲しさと儚さ。フォーレに特徴的なフルートやハープのラインがフランスのfin-de-siecleを象徴する芸術を形作ります。
2) ベンジャミン・ブリテン 「ピーター・グライムズ」より「4つの海の間奏曲」 「月光」
こないだ紹介したばっかりだった!その時書いた通りピーター・グライムズはブリテンによる港町を舞台としたオペラ。オペラの中でオケのみで海の情景を描く間奏曲を抜き出した「4つの海の間奏曲」ですが、特に美しいと思うのがこの「月光」です。穏やかな海の上に黄金に輝く満月、金色を映し揺れる海。水平線と比べて少しずつ動いているのが分かるような。暖かみのある月の光です。
3) クロード・ドビュッシー 「映像」第2集より「廃寺にかかる月」
ドビュッシーだったらベルガマスク組曲の「月の光」は有名なので(ちなみにさっきのフォーレと同題材)こちらをプッシュしたい。ドビュッシーは東洋的な物が好きで、この曲の舞台もどこかしらの東洋の寺。空高くに白く輝く、時の止まったような古い寺と月の風景です。ちょっと「荒城の月」に似た情景がありますね。この曲のガムラン風というか鈴の音のような響きは前述ブリテンにも似たようなサウンドがあるのがまた面白かったり。
4) オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「モリヒバリ」
神秘的な森の夜が舞台のこの曲はあくまでもモリヒバリ、そしてナイチンゲールの鳴き声がメインですが真っ暗な「モリフクロウ」の森の景色とは違って月が輝いています。それは直接的には描かれて居ないのですが曲調でなんとなくわかりますし、あと途中でナイチンゲールの鳴き声のパッセージに「lunaire」=月の、月のようにという言葉が書いてあって、ここでナイチンゲールの鳴き声(聴覚)が月の光(視覚)と一致するようになっています。
5) オットリーノ・レスピーギ 「ローマの松」より「ジャニコロの松」
これも最近言及しましたね。レスピーギの説明によると満月に照らされた松の情景だそうです(そしてここにもナイチンゲールが)。夢のような柔らかさと暖かさで優しく恋人たちや眠る人に注いでいるような感じですね。なんといってもクラリネットの音色の透明さが月光を表現するのに効いていますね。それからピアノやチェレスタの音色も忘れず。
6) アルノルト・シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」 第13楽章「打ち首」
これまでの月のイメージとはがらり変わってこの「月に憑かれたピエロ」の月は狂気の象徴であり、冷たく不気味なもの。どの楽章の月も面白いのですがこの「打ち首」における刃物のように冷たく鋭利な三日月のイメージをチョイス。奇っ怪で、ちょっとキュビズムの絵画を思わせるような作風に一風変わった楽器編成、そしてシュプレヒシュティンメという話すような歌い方のソプラノ。何かに追われているような前半部分と透明で冷たい、これまでの音楽に通じるところのある月光の描写のコントラストにも注目です。
7) ジョージ・クラム 「Night of the Four Moons」 第4楽章「Huye Luna, Luna!」
特殊な歌い方のソプラノ、フルートの活躍、奇っ怪→穏やかなど前の曲とかぶるエレメントはちょこちょこありますが、その表すところの月はちょっと違います。クラムはこの曲をアポロ計画に向けて「月はそっとしておきなよ」というようなメッセージをこめて、ロルカの詩になぞらえて書いたと言われていますが、近いようで遠い、遠いようで近い月を天文学的なエレメントも含めて表現するのがクラムですね。最初の部分の奇怪さにめげず、是非後半まで聞いてみてください。
8) たま 「海にうつる月」
ここからクラシック以外でのチョイス。たまは月に関する楽曲ものすごくいっぱい書いてますね!柳原さんも知久さんも滝本さんも(石川さんは思いつかないんですが)。いろんな月の描写があるなかシンプルに美しい、昔から好きなこの曲を。冷たさも暖かさもある、色んなものが不思議なバランスのなかでそこにとどまっていて、静かにゆらいでいる月の光。歌詞もいいですし、なんといっても間奏のオルガンのソロがはかなくて愛しいです。
9) 聖飢魔II 「怪奇植物」
聖飢魔IIも「真昼の月」(震災後応援の歌として公式トップに歌詞掲載)とか「満月の夜」とか、月をモチーフとした曲はちらほらあるなか満月といったら私はやっぱりこの曲なのです。作詩作曲ダミアン浜田陛下。ダミ様の曲大好きです。方向でいえば先ほどの「月に憑かれたピエロ」のような不気味な月のイメージ、それにもっと「怪しい」&「妖しい」成分を足した感じですね。闇の神秘、植物的な神秘、そして危険、Metamorphosisが生々しいのが素敵です。
10) face to ace 「月華抄」
これは「月がモチーフになっているけど月がメインではない」くくりとして。言及はものすごく少ないけれど詩にも音楽にも確かにそこにある月の光。むしろ月光というのはそういう存在感であるイメージもありますね。その少ない言及の歌詞の中にもやっぱり他の曲の月と共通する優しさ、守るような性質、そっとそこに輝いて照らしている性質があったり。どうしても月の輝く夜に聴きたくなる曲なんです。
月を音楽で表現するときってこうやって曲をリストしてみるとなんとなく共通点が見えてきますね。まず音が全体的に少なかったり、調も比較的♯♭が少ない調が多い・・・かな?(ト長調がちょっと多いかも)それから和音(4度とか響きがオープンになる和音がよく使われる)、和音の移り変わり、そして音のアタックで月の光の性質を表現してみたり。楽器で言うと音色の透明さを求めて弦のハーモニクス(クラム)、クラリネット、アコースティックギターなどが好まれたり。
色々みてみると面白いですね。
明日はできたら鴨ラーメンとジェラート食べに行きたいので(笑)天気もいいはずなのでちょっと遅れたながら月を見たいです。満月じゃなくても晴れてたら綺麗に見えることには変わりないですし、明日もまだそんなには形は変わってない・・・はず。
今日の一曲はお休みです。