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師走らしく、とまではいきませんが動き回ってます。
仕事の合間だったりなんだりに色々、今日もシティで複数用事を済ませたり先週行けなかった分のバレエレッスン行ったり。
ということでmomentumがあるうちに感想書かないとコンサートもたまってしまう!
そういう経緯でまずは月曜の夜のコンサートから。
Plexus 「Perpendicular」
バイオリン:Monica Curro、クラリネット:Philip Arkinstall、ピアノ:Stefan Cassomenos
Clare Strong 「Cloudscape」
John Polglase 三重奏第7番
Katy Abbott 「Aspect of Dreaming 2」
Gerald Cohen 「Variously Blue」
(休憩)
Stefan Cassomenos/Helen Morse「Melodies Francaises」(ナレーション・朗読:Helen Morse)
いつも通り(といっても諸々あって私はだいぶ久しぶりに聴きに行ったのですが)Melbourne Recital CentreのSalonでのコンサートでしたが休憩の存在からわかるようにちょっと長めのコンサートでした。なんでも委嘱して曲を書いてもある際に時間制限の指定はしているのですがそれ通り書いてくれるかどうかはまた別の話らしく。一つ一つの曲の内容がかなり濃い場合も多いので今回は聴いててちょーっと集中力に難がありました。前半後半それぞれ別のコンサートとして余裕あった楽しみ方ができたらよかったんだけどなあ。しょうがない。
ちなみに後半の曲はドビュッシー、ラヴェル、サティ、そしてリリ・ブーランジェの歌曲などを三重奏に編曲した上でその背景や歌詞となった詩をナレーションや朗読として交えて楽しむというちょっと変わった試みのアレンジ作品。曲のチョイスももちろんですがその言葉や歴史背景を絡めたつながりが面白くて引き込まれました。今回の演奏場所はSalonとはいいますがモダンなサロンなのでちょっと家具とか照明とか19世紀末っぽくして雰囲気だして演じても楽しいと思います。(あと図らずもこないだここで書いた声と歌詞と器楽との関係の話に関連してくるフォーマットで色々と思うことありました)
あとコンサート後の飲みで色々と面白い話をしたのですがそれはまた長くなりそうなので割愛。ただ管楽器のタンギングと母国語の発音周りの話についてはまた別に話を展開してもいいかも。覚えてたらいつか。
ちなみに今回のコンサートでPlexusは委嘱した曲数100曲を超えたそうです。つまり私も5年間応援しにコンサートに通ってもう100曲ちかくも初演を聴いたってことでどっちもすごいことです。今のところ再演の機会が少なく色々一期一会ですがそのうちベストセレクション的なアルバムを出してくれないかなあと願っています。来年もまたPlexusを通じて色んな音楽に出会いたい。
そして今日は友人の修士課程の最後の試験でもあるリサイタルがあるので行ってきました。
ピアノ:Gintaute Gataveckaite
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン 創作主題による32の変奏曲 WoO80)
セザール・フランク 前奏曲、コラールとフーガ
(休憩)
ヨハン・セバスチャン・バッハ/フェルッチョ・ブゾーニ シャコンヌ(バイオリンのためのパルティータ第2番BWV1004より)
セルゲイ・ラフマニノフ コレルリの主題による変奏曲
どうですかこのプログラム。複数楽章編成ではないもののそれに準ずるスケールの曲が四つどっかんどっかんと。体力もそうですが集中力も相当でないとこんなプログラムは実現できません。
この友人(ちなみに女の子です)はあえてそういうところにチャレンジしますしメンタル・フィジカル両面でがっつり取り組む曲が得意。そういった意味では自分もちょっと似てるんですがだからといって技巧も体力も精神力も桁違いなんでもう憧れます。
特に後半がすごいんですよね。たぶん普通この2曲を並べて弾くのは弾く方もそうですが聴く方も精神力が必要で。でもパワフルな演奏で圧倒されますし、むしろどっちの曲も長さを感じず最後の変奏にくると終わって欲しくないと感じました。あと結構似たような印象があったこの2曲、並べて聴くと違いが際立ってきてまた面白い。そういう意味でもちょっと貴重でしたね。
これでたぶん今年のコンサート行きは終わりかな?ちょっと途切れた仕事もそろそろ再開できるといいんだけど。今年の残りもまだまだアクティブに過ごしたいですね(当社比)。
今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ/フェルッチョ・ブゾーニ シャコンヌ(バイオリンのためのパルティータ第2番BWV1004より)
バッハのシャコンヌといえば自分のうちには長らく本家バイオリンの録音がなくて、ピアニストシリーズでこのブゾーニ版が収録されてたりブラームスの左手版をどっかで聴いたり、でも何より父が好きなギターのためのセゴヴィア版が一番親しみがあり。
もちろんバイオリン=同時に弾ける音が和音として4つまでの楽器のための曲をピアノやギターのために、それも実際弾いて映えるような曲に仕立てるとなると色々工夫が必要で。もちろん楽器による技巧の違いも考慮してなんとかしなきゃいけなくて。
それでも各版で世界観の違いはありながらできた曲は間違いなく「バッハ」なのがすごいと思います。
今回のリサイタルのプログラムにはこの原曲が他にも前述ブラームスの左手版やメンデルスゾーン、シューマンなどによって編曲されてるながらもブゾーニのような完成度には届かない、みたいなことが書いてありますがそれは作曲家の力量というより楽器と音楽の作風の発展が関係してるんじゃないかと思います。それらがこの曲を包括できるほどに成長し、かつブゾーニというだいぶ特殊な編曲者が現れて全部の要素が揃ってできあがった作品なんじゃないのかな、という気がします。なんとなく。
ブゾーニはブゾーニでまた編曲だけでなく自身の作曲した作品もまた面白そうなんですけどね。ただしなかなか容易には近づけない性質の面白いも入ってますが。いつか縁があれば(大学でそこら辺見てたピアニスト仲間もいたんですけどね-)。
リンクする録音を調べてみたらアリシア・デ・ラローチャの演奏を見つけてしまいました。あの人も私と同じくらいの手の大きさ(小ささ)だと思うんだけどそれでも弾けるのかー。そしてシリアスめの曲がいくつか一緒に収録されてるのがまた興味深い取り合わせ。まさかリサイタル録音なのかなあ・・・(汗)
仕事の合間だったりなんだりに色々、今日もシティで複数用事を済ませたり先週行けなかった分のバレエレッスン行ったり。
ということでmomentumがあるうちに感想書かないとコンサートもたまってしまう!
そういう経緯でまずは月曜の夜のコンサートから。
Plexus 「Perpendicular」
バイオリン:Monica Curro、クラリネット:Philip Arkinstall、ピアノ:Stefan Cassomenos
Clare Strong 「Cloudscape」
John Polglase 三重奏第7番
Katy Abbott 「Aspect of Dreaming 2」
Gerald Cohen 「Variously Blue」
(休憩)
Stefan Cassomenos/Helen Morse「Melodies Francaises」(ナレーション・朗読:Helen Morse)
いつも通り(といっても諸々あって私はだいぶ久しぶりに聴きに行ったのですが)Melbourne Recital CentreのSalonでのコンサートでしたが休憩の存在からわかるようにちょっと長めのコンサートでした。なんでも委嘱して曲を書いてもある際に時間制限の指定はしているのですがそれ通り書いてくれるかどうかはまた別の話らしく。一つ一つの曲の内容がかなり濃い場合も多いので今回は聴いててちょーっと集中力に難がありました。前半後半それぞれ別のコンサートとして余裕あった楽しみ方ができたらよかったんだけどなあ。しょうがない。
ちなみに後半の曲はドビュッシー、ラヴェル、サティ、そしてリリ・ブーランジェの歌曲などを三重奏に編曲した上でその背景や歌詞となった詩をナレーションや朗読として交えて楽しむというちょっと変わった試みのアレンジ作品。曲のチョイスももちろんですがその言葉や歴史背景を絡めたつながりが面白くて引き込まれました。今回の演奏場所はSalonとはいいますがモダンなサロンなのでちょっと家具とか照明とか19世紀末っぽくして雰囲気だして演じても楽しいと思います。(あと図らずもこないだここで書いた声と歌詞と器楽との関係の話に関連してくるフォーマットで色々と思うことありました)
あとコンサート後の飲みで色々と面白い話をしたのですがそれはまた長くなりそうなので割愛。ただ管楽器のタンギングと母国語の発音周りの話についてはまた別に話を展開してもいいかも。覚えてたらいつか。
ちなみに今回のコンサートでPlexusは委嘱した曲数100曲を超えたそうです。つまり私も5年間応援しにコンサートに通ってもう100曲ちかくも初演を聴いたってことでどっちもすごいことです。今のところ再演の機会が少なく色々一期一会ですがそのうちベストセレクション的なアルバムを出してくれないかなあと願っています。来年もまたPlexusを通じて色んな音楽に出会いたい。
そして今日は友人の修士課程の最後の試験でもあるリサイタルがあるので行ってきました。
ピアノ:Gintaute Gataveckaite
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン 創作主題による32の変奏曲 WoO80)
セザール・フランク 前奏曲、コラールとフーガ
(休憩)
ヨハン・セバスチャン・バッハ/フェルッチョ・ブゾーニ シャコンヌ(バイオリンのためのパルティータ第2番BWV1004より)
セルゲイ・ラフマニノフ コレルリの主題による変奏曲
どうですかこのプログラム。複数楽章編成ではないもののそれに準ずるスケールの曲が四つどっかんどっかんと。体力もそうですが集中力も相当でないとこんなプログラムは実現できません。
この友人(ちなみに女の子です)はあえてそういうところにチャレンジしますしメンタル・フィジカル両面でがっつり取り組む曲が得意。そういった意味では自分もちょっと似てるんですがだからといって技巧も体力も精神力も桁違いなんでもう憧れます。
特に後半がすごいんですよね。たぶん普通この2曲を並べて弾くのは弾く方もそうですが聴く方も精神力が必要で。でもパワフルな演奏で圧倒されますし、むしろどっちの曲も長さを感じず最後の変奏にくると終わって欲しくないと感じました。あと結構似たような印象があったこの2曲、並べて聴くと違いが際立ってきてまた面白い。そういう意味でもちょっと貴重でしたね。
これでたぶん今年のコンサート行きは終わりかな?ちょっと途切れた仕事もそろそろ再開できるといいんだけど。今年の残りもまだまだアクティブに過ごしたいですね(当社比)。
今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ/フェルッチョ・ブゾーニ シャコンヌ(バイオリンのためのパルティータ第2番BWV1004より)
バッハのシャコンヌといえば自分のうちには長らく本家バイオリンの録音がなくて、ピアニストシリーズでこのブゾーニ版が収録されてたりブラームスの左手版をどっかで聴いたり、でも何より父が好きなギターのためのセゴヴィア版が一番親しみがあり。
もちろんバイオリン=同時に弾ける音が和音として4つまでの楽器のための曲をピアノやギターのために、それも実際弾いて映えるような曲に仕立てるとなると色々工夫が必要で。もちろん楽器による技巧の違いも考慮してなんとかしなきゃいけなくて。
それでも各版で世界観の違いはありながらできた曲は間違いなく「バッハ」なのがすごいと思います。
今回のリサイタルのプログラムにはこの原曲が他にも前述ブラームスの左手版やメンデルスゾーン、シューマンなどによって編曲されてるながらもブゾーニのような完成度には届かない、みたいなことが書いてありますがそれは作曲家の力量というより楽器と音楽の作風の発展が関係してるんじゃないかと思います。それらがこの曲を包括できるほどに成長し、かつブゾーニというだいぶ特殊な編曲者が現れて全部の要素が揃ってできあがった作品なんじゃないのかな、という気がします。なんとなく。
ブゾーニはブゾーニでまた編曲だけでなく自身の作曲した作品もまた面白そうなんですけどね。ただしなかなか容易には近づけない性質の面白いも入ってますが。いつか縁があれば(大学でそこら辺見てたピアニスト仲間もいたんですけどね-)。
リンクする録音を調べてみたらアリシア・デ・ラローチャの演奏を見つけてしまいました。あの人も私と同じくらいの手の大きさ(小ささ)だと思うんだけどそれでも弾けるのかー。そしてシリアスめの曲がいくつか一緒に収録されてるのがまた興味深い取り合わせ。まさかリサイタル録音なのかなあ・・・(汗)
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暦の上は昨日から夏が始まり、最高気温30度+ここ数年あんまり聞かなかった蝉の声も聴けて(多分発生のサイクルがあるんですよね)よっしゃ夏だー!と思ったのが深夜の激しい雨+クールチェンジを経て今日は南風が冷たい肌寒い日でした。これぞメルボルン。
ただ珍しく日が長い+暖かい気候でオケのコンサートで色々助かりました。
ということで本番感想行きます。
ただ珍しく日が長い+暖かい気候でオケのコンサートで色々助かりました。
ということで本番感想行きます。
Zelman Symphony Orchestra
「End Games」
12月1日(土)午後8時開演
Performing Arts Centre, Camberwell Grammar School
指揮者:Rick Prakhoff
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲第104番「ロンドン」
リヒャルト・シュトラウス 四つの最後の歌(メゾ・ソプラノ:Miriam Gordon-Stewart)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第4番
Camberwell Grammar Schoolはいつもの演奏場所のXavier Collegeに負けず劣らずのお金持ち学校で、こちらもちょっと私にとっては不便な場所にあるのですが立派な施設をオケに貸し出してもらえてありがたい。ここはホールにオルガンとかステンドグラスとかあるし学校の劇・ミュージカルのポスターの作品が名作揃いでいつもうらやましく思います。
そんないい場所での今回のコンサート。
やっぱり粗さはあるのですが(特に単純明快なハイドンで物を言う傾向が)本番で初めてぴしっとする事もありますね。今回の本番を見たり聴いたりして思ったのですがこのオケの場合は単純に「リハーサルだと本番と同じような緊張を持って望んでない」ってのが理由なのかもと思ったり。アマチュアのオケ共通の話なのかな。
私が出番があったシュトラウスもいい出来の演奏でした。普通のリハーサル場所だとソリストがオケの方を向いて歌うのですがサウンドチェック・本番は聴衆の方を向いて歌うので最後の最後で歌が聴けなくてちょっと残念でした。堅実で暖かめなあの歌声はこの曲にぴったりですしそうでなくてもずっと聴いていたい声。
チェレスタのパートは第3楽章に和音10個という小さなパートでしたし使ってる楽器が小さい&古いので聴衆にはどれだけ聞こえたかなあ。実際あんまりチェレスタが聞こえない録音も珍しくないし。でも自分としてはタイミング・音量ともに10個全部ベストに弾けてこれ以上のことはできない演奏をしたと思っています。
そんな小さいパートでも聞こえにくくとも指揮者さんに「信頼できる」と言われるのは何よりの褒め言葉です。今年から新しい指揮者さんになっていろんな(例年よりトリッキーな)レパートリーに挑戦しましたが変わらず頼ってくれるのは本当に嬉しいしありがたいです。
・・・とは言いますがこちらのオケは来年のプログラムに出番が(今の所)全く無い!という衝撃の事実。ただStonnington Symphonyの方でどうしても弾きたい曲含め出番があるようなのでそちらから声がかかることを願ってます。どうしても!弾きたいやつ!
しかし今回のコンサートのプログラムを見ると改めてユースオケで弾いてこなかったジャンルに刺さってますね。ハイドンの交響曲、ブラームス、そして歌曲作品。ユースオケでも素晴らしい曲いっぱい弾いてきてものすごく楽しかったですしあれ以上詰め込めっていっても無理ですし、でももっとやりたかったなあと思うことはたくさんあります。それほどオーケストラのレパートリーって広いってことなんですよね。若いうちこそアグレッシブで大編成で複雑な作品をやるべき、とは思うのですが大人になってもまだまだそういうのやりたいですし。ユースにしろアマチュアオケにしろ色んな機会があるのがほんとこの街は素晴らしいと思います。
さて今年の音楽お仕事は終わり。ソロの方でもそろそろレパートリーチェンジのタイミングでゆるゆると新しいことに取り組み始める予定です。聴くほうのコンサート行きもまだ終わりではないのでまたそちらも感想書くぞー。そして音楽以外もイベントあるぞー。もちろん仕事もまだまだ。ということでまだまだ2018年は終わりません。感想中心になるかもですがなるべく更新していきたいと思います。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 交響曲第4番第4楽章
今回のコンサートのラストの楽章。そんなに短命でもないのに交響曲4つ、というと少なく感じるかもしれませんが有名な話通り第1番に20年以上かけてるのできっとそういうものです。
しかも1番から4番までどれも名曲揃い(個人的な好みはありますが)。特に3番4番はすぱっとした爽快さや思い切った感が聴いててかっこいいイメージ。どちらもスケールが大きいわけじゃないんですけどそれもまたちょうどいい。
ブラームスは一般的にはドイツの伝統的で保守的な、とかベートーヴェンの後を継いだ、みたいなイメージがあると思います。この第4楽章もバッハのシャコンヌにインスピレーションを得ていたり、そもそもシャコンヌという「古い」形式を使ったり、あと曲のspiritとしても強く古き良きドイツ音楽な感じが強い。
ただそれでもブラームスはベートーヴェンともバッハとも全然違う音楽を書いてますし、例えばベートーヴェンやワーグナーみたいに「形式」に真っ向からぶつかって突き破ってくようなアプローチとは違った新しい風を吹かせてるなあ、と3番4番あたりを聴く度に思います。
ただ新しい古い関係なくこの第4楽章のシャコンヌのかっこよさですよ。
20世紀になるとシャコンヌやパッサカリアを途中の楽章・最後の楽章で使う作曲家も多くなりますがそれでもコンサートの〆としてのこの楽章に敵うものは数少ないと思います。
そしてブラームスの作品として見てもこれだけresoluteなかっこよさがある作品もまた珍しいかも。シュトラウスの最後の四つの歌で「作曲家ここまでたどりついてよかったなあ」と思うのと同じくこの最終楽章にも同じ事を思います。ぐるぐる迷うブラームスも好きだけど思い切りのいいブラームスも好き。
そんな色んなブラームスの交響曲を1番から4番まで楽しめる「全部持ってけ!」な録音をリンクしてみました。前回のシュトラウスの時は古い録音は~とか言っちゃいましたが今回は古いがなんだーこちとらベルリンフィルとカラヤンだぞーぐらいの心意気でのチョイスです。初めての人もまずはここからが良いんじゃないかな。
Camberwell Grammar Schoolはいつもの演奏場所のXavier Collegeに負けず劣らずのお金持ち学校で、こちらもちょっと私にとっては不便な場所にあるのですが立派な施設をオケに貸し出してもらえてありがたい。ここはホールにオルガンとかステンドグラスとかあるし学校の劇・ミュージカルのポスターの作品が名作揃いでいつもうらやましく思います。
そんないい場所での今回のコンサート。
やっぱり粗さはあるのですが(特に単純明快なハイドンで物を言う傾向が)本番で初めてぴしっとする事もありますね。今回の本番を見たり聴いたりして思ったのですがこのオケの場合は単純に「リハーサルだと本番と同じような緊張を持って望んでない」ってのが理由なのかもと思ったり。アマチュアのオケ共通の話なのかな。
私が出番があったシュトラウスもいい出来の演奏でした。普通のリハーサル場所だとソリストがオケの方を向いて歌うのですがサウンドチェック・本番は聴衆の方を向いて歌うので最後の最後で歌が聴けなくてちょっと残念でした。堅実で暖かめなあの歌声はこの曲にぴったりですしそうでなくてもずっと聴いていたい声。
チェレスタのパートは第3楽章に和音10個という小さなパートでしたし使ってる楽器が小さい&古いので聴衆にはどれだけ聞こえたかなあ。実際あんまりチェレスタが聞こえない録音も珍しくないし。でも自分としてはタイミング・音量ともに10個全部ベストに弾けてこれ以上のことはできない演奏をしたと思っています。
そんな小さいパートでも聞こえにくくとも指揮者さんに「信頼できる」と言われるのは何よりの褒め言葉です。今年から新しい指揮者さんになっていろんな(例年よりトリッキーな)レパートリーに挑戦しましたが変わらず頼ってくれるのは本当に嬉しいしありがたいです。
・・・とは言いますがこちらのオケは来年のプログラムに出番が(今の所)全く無い!という衝撃の事実。ただStonnington Symphonyの方でどうしても弾きたい曲含め出番があるようなのでそちらから声がかかることを願ってます。どうしても!弾きたいやつ!
しかし今回のコンサートのプログラムを見ると改めてユースオケで弾いてこなかったジャンルに刺さってますね。ハイドンの交響曲、ブラームス、そして歌曲作品。ユースオケでも素晴らしい曲いっぱい弾いてきてものすごく楽しかったですしあれ以上詰め込めっていっても無理ですし、でももっとやりたかったなあと思うことはたくさんあります。それほどオーケストラのレパートリーって広いってことなんですよね。若いうちこそアグレッシブで大編成で複雑な作品をやるべき、とは思うのですが大人になってもまだまだそういうのやりたいですし。ユースにしろアマチュアオケにしろ色んな機会があるのがほんとこの街は素晴らしいと思います。
さて今年の音楽お仕事は終わり。ソロの方でもそろそろレパートリーチェンジのタイミングでゆるゆると新しいことに取り組み始める予定です。聴くほうのコンサート行きもまだ終わりではないのでまたそちらも感想書くぞー。そして音楽以外もイベントあるぞー。もちろん仕事もまだまだ。ということでまだまだ2018年は終わりません。感想中心になるかもですがなるべく更新していきたいと思います。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 交響曲第4番第4楽章
今回のコンサートのラストの楽章。そんなに短命でもないのに交響曲4つ、というと少なく感じるかもしれませんが有名な話通り第1番に20年以上かけてるのできっとそういうものです。
しかも1番から4番までどれも名曲揃い(個人的な好みはありますが)。特に3番4番はすぱっとした爽快さや思い切った感が聴いててかっこいいイメージ。どちらもスケールが大きいわけじゃないんですけどそれもまたちょうどいい。
ブラームスは一般的にはドイツの伝統的で保守的な、とかベートーヴェンの後を継いだ、みたいなイメージがあると思います。この第4楽章もバッハのシャコンヌにインスピレーションを得ていたり、そもそもシャコンヌという「古い」形式を使ったり、あと曲のspiritとしても強く古き良きドイツ音楽な感じが強い。
ただそれでもブラームスはベートーヴェンともバッハとも全然違う音楽を書いてますし、例えばベートーヴェンやワーグナーみたいに「形式」に真っ向からぶつかって突き破ってくようなアプローチとは違った新しい風を吹かせてるなあ、と3番4番あたりを聴く度に思います。
ただ新しい古い関係なくこの第4楽章のシャコンヌのかっこよさですよ。
20世紀になるとシャコンヌやパッサカリアを途中の楽章・最後の楽章で使う作曲家も多くなりますがそれでもコンサートの〆としてのこの楽章に敵うものは数少ないと思います。
そしてブラームスの作品として見てもこれだけresoluteなかっこよさがある作品もまた珍しいかも。シュトラウスの最後の四つの歌で「作曲家ここまでたどりついてよかったなあ」と思うのと同じくこの最終楽章にも同じ事を思います。ぐるぐる迷うブラームスも好きだけど思い切りのいいブラームスも好き。
そんな色んなブラームスの交響曲を1番から4番まで楽しめる「全部持ってけ!」な録音をリンクしてみました。前回のシュトラウスの時は古い録音は~とか言っちゃいましたが今回は古いがなんだーこちとらベルリンフィルとカラヤンだぞーぐらいの心意気でのチョイスです。初めての人もまずはここからが良いんじゃないかな。
さっそくお知らせから。
Zelman Symphony Orchestra
「End Games」
12月1日(土)午後8時開演
Performing Arts Centre, Camberwell Grammar School
指揮者:Rick Prakhoff
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲第104番「ロンドン」
リヒャルト・シュトラウス 四つの最後の歌(メゾ・ソプラノ:Miriam Gordon-Stewart)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第4番
昨日はリハーサルでした。今週末本番ですが明日もリハーサルがあります。今年弾いた他の諸々よりは難易度は低いかなと思われるプログラムですが必要な木曜リハーサル。
特に私が弾いてるシュトラウスはソリストとのリハーサルが昨日と明日だけ。どんなに歌手がうまくてもオケ側もものすごく細やかに対応しなきゃいけない曲なのでバランスとかブレス調整とかしっかり確立しておく必要があります。
それとは全く別に色々歌曲に使われてる詩を調べてて、漢詩って(マーラーの大地の歌以外で)どんな風に使われてるかなーと思ったら出会ってしまったAlec Rothの「Songs in Times of War」。しかもマーラーで使われてない杜甫の詩。しかも前Plexusが弾いた曲で題材になってたやつ以外で結構好きな詩が使われてる。さらにさらに試聴してみたら古き良き、ではないですがイギリスの歌曲のスタイルをベースにした感じでツボなだけでなく(西洋音楽の中では)杜甫の詩と比較的相性がいい。(たとえば李白はマーラーとかシュトラウスが楽しそうですけどね)
それとシュトラウスとこないだのハムレットと総合して思うのはすでに完成している詩や戯曲という言葉の作品が音楽と組み合わせることでまた違う地平線が広がってくることの不思議。
もともと自分があんまり歌を聴いてて歌詞が聞こえにくいってのもあるのですがどんなに詩を読み込んでも感覚的に入ってこないことが楽器パートまで含めて聴いてすっと通じることがどれだけ多いことか。
それは言葉だけじゃ足りない、ということではなく別の入り口から入って違った角度で見れるってことのはずで。何はともあれ同じ作品でも複数回新鮮に楽しめるのはお得な感じです。
逆に楽器パートから歌とか歌詞の役割を見る、という角度だともっともっと複雑な話になってきます。たとえばリストによるシューベルトの歌曲のピアノ編曲だったりワーグナーのオペラのオケのみ版とかで言葉がなくて完成度に欠けるところがあるとは思えないし、そもそも言葉がないというのと声がないというのの違いがどうとか、あとヴォカリーズだったりクラムの作品みたいな「言葉でない楽器的な声の使い方」なんてのもあるし、かなり交絡因子が複雑で自分の頭では分けて考えられないなあ。
でも歌曲って必然的に「出会い」の数が単純に増えるから面白いですね。
まずは作曲家が詩とかの文学作品に出会って、そこから例えばあんまり文学に明るくない私みたいな音楽畑の人が音楽を通してそういう作品に出会って、そこからまた他の歌や詩とかに興味が広がっていく、作品だけでなくて出会うプロセスそれぞれも面白い。
(ただ未だに文学方面の興味が音楽を通した出会いに頼りっきりで例えばスペイン文学なんかはほぼロルカしか知らないことにこないだ気づきました。ちょいと反省です)
今回のコンサートで弾く「眠りにつくとき」(チェレスタ唯一の出番の第3楽章)もヘッセの詩なんですがヘッセは短編小説はあんまりはまらなかったんですよね。でもこの詩は好き。ほんと何があるかわからない。ついでに言えばラヴェルの「夜のガスパール」の元ネタの詩を作ったベルトランは他にどんな作品があるんだろうとか思って調べたら見事に音楽関連・夜ガス関連の話ばっかり出てくるんですよね。何がきっかけで作品や詩人が有名になるかもわからない。
シュトラウスの四つの最後の歌は(チェレスタパートは小さいながらも)ずっと弾きたかった曲で、今週で終わりなのがちょっと名残惜しいです。でも弾く機会があってよかった。来年も良い曲が弾けるといいんだけどこればかりは指をクロスするしかない。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「四つの最後の歌」より最終楽章「夕映えの中で」
Twitterの方でもつぶやいたのですが第3楽章だけ弾いて詩もいいし音楽も美しいしで相当あの楽章に愛着があるんですけど、やっぱりソリスト付きで全部聴くと最終楽章は他と違う何かがある。格別な作品です。
そもそもこれだけ詩の作者がヘッセじゃなくて(アイヒェンドルフの詩)一番最初にこの楽章が書かれたけど最後に配置される(それに作曲家がどれくらい噛んでるかはちょっと不明なのかな?)思い入れとか、先ほどの「出会い」の話の続きですがそういう経緯も含めてこの曲に特別なものを感じます。
オケの使い方もちょっと歌曲の伴奏という表現の範囲を超えてる感があるんですよね。例えばマーラーの歌曲の(ソリストがマイクなしで一人で歌ってるのに)がっつり交響曲並に世界観を書き込むのとはまたちょっと違う、人物がいなくてもしっかりメインとして成り立つ風景画みたいなさりげないけど鮮やかなオケ使い。
この楽章の自分のイメージというか思い入れはもういろんなところで書いたり話したりしてるような気もするので今回はぐっと我慢して割愛。
そういえば前うちのピアノの先生がシュトラウスの最後の4つじゃない別のオケ伴奏の歌曲のピアノ編曲版をアンコールで弾いてたのですがそういうのってどれくらい数&質があるんだろうな。そのうち探したり弾いたりしてみた方がいいのかもしれない。
手持ちの録音はエリザベス・シュワルツコップが歌ってるのですが録音の古さもあってちょっと古い感じに聞こえてしまうのがおすすめする上で悩み。人の声って美しさそのものは時代を超えても不変なところはあるけどやっぱりちょっと昔と今では(楽器以上に)好まれやすい声って変わるのかなあ、と思いつつルネ・フレミングにしてしました。手持ちにするにも今の録音プラスもっと最近の録音が欲しい気持ちがあります。将来的に検討したいところ。
特に私が弾いてるシュトラウスはソリストとのリハーサルが昨日と明日だけ。どんなに歌手がうまくてもオケ側もものすごく細やかに対応しなきゃいけない曲なのでバランスとかブレス調整とかしっかり確立しておく必要があります。
それとは全く別に色々歌曲に使われてる詩を調べてて、漢詩って(マーラーの大地の歌以外で)どんな風に使われてるかなーと思ったら出会ってしまったAlec Rothの「Songs in Times of War」。しかもマーラーで使われてない杜甫の詩。しかも前Plexusが弾いた曲で題材になってたやつ以外で結構好きな詩が使われてる。さらにさらに試聴してみたら古き良き、ではないですがイギリスの歌曲のスタイルをベースにした感じでツボなだけでなく(西洋音楽の中では)杜甫の詩と比較的相性がいい。(たとえば李白はマーラーとかシュトラウスが楽しそうですけどね)
それとシュトラウスとこないだのハムレットと総合して思うのはすでに完成している詩や戯曲という言葉の作品が音楽と組み合わせることでまた違う地平線が広がってくることの不思議。
もともと自分があんまり歌を聴いてて歌詞が聞こえにくいってのもあるのですがどんなに詩を読み込んでも感覚的に入ってこないことが楽器パートまで含めて聴いてすっと通じることがどれだけ多いことか。
それは言葉だけじゃ足りない、ということではなく別の入り口から入って違った角度で見れるってことのはずで。何はともあれ同じ作品でも複数回新鮮に楽しめるのはお得な感じです。
逆に楽器パートから歌とか歌詞の役割を見る、という角度だともっともっと複雑な話になってきます。たとえばリストによるシューベルトの歌曲のピアノ編曲だったりワーグナーのオペラのオケのみ版とかで言葉がなくて完成度に欠けるところがあるとは思えないし、そもそも言葉がないというのと声がないというのの違いがどうとか、あとヴォカリーズだったりクラムの作品みたいな「言葉でない楽器的な声の使い方」なんてのもあるし、かなり交絡因子が複雑で自分の頭では分けて考えられないなあ。
でも歌曲って必然的に「出会い」の数が単純に増えるから面白いですね。
まずは作曲家が詩とかの文学作品に出会って、そこから例えばあんまり文学に明るくない私みたいな音楽畑の人が音楽を通してそういう作品に出会って、そこからまた他の歌や詩とかに興味が広がっていく、作品だけでなくて出会うプロセスそれぞれも面白い。
(ただ未だに文学方面の興味が音楽を通した出会いに頼りっきりで例えばスペイン文学なんかはほぼロルカしか知らないことにこないだ気づきました。ちょいと反省です)
今回のコンサートで弾く「眠りにつくとき」(チェレスタ唯一の出番の第3楽章)もヘッセの詩なんですがヘッセは短編小説はあんまりはまらなかったんですよね。でもこの詩は好き。ほんと何があるかわからない。ついでに言えばラヴェルの「夜のガスパール」の元ネタの詩を作ったベルトランは他にどんな作品があるんだろうとか思って調べたら見事に音楽関連・夜ガス関連の話ばっかり出てくるんですよね。何がきっかけで作品や詩人が有名になるかもわからない。
シュトラウスの四つの最後の歌は(チェレスタパートは小さいながらも)ずっと弾きたかった曲で、今週で終わりなのがちょっと名残惜しいです。でも弾く機会があってよかった。来年も良い曲が弾けるといいんだけどこればかりは指をクロスするしかない。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「四つの最後の歌」より最終楽章「夕映えの中で」
Twitterの方でもつぶやいたのですが第3楽章だけ弾いて詩もいいし音楽も美しいしで相当あの楽章に愛着があるんですけど、やっぱりソリスト付きで全部聴くと最終楽章は他と違う何かがある。格別な作品です。
そもそもこれだけ詩の作者がヘッセじゃなくて(アイヒェンドルフの詩)一番最初にこの楽章が書かれたけど最後に配置される(それに作曲家がどれくらい噛んでるかはちょっと不明なのかな?)思い入れとか、先ほどの「出会い」の話の続きですがそういう経緯も含めてこの曲に特別なものを感じます。
オケの使い方もちょっと歌曲の伴奏という表現の範囲を超えてる感があるんですよね。例えばマーラーの歌曲の(ソリストがマイクなしで一人で歌ってるのに)がっつり交響曲並に世界観を書き込むのとはまたちょっと違う、人物がいなくてもしっかりメインとして成り立つ風景画みたいなさりげないけど鮮やかなオケ使い。
この楽章の自分のイメージというか思い入れはもういろんなところで書いたり話したりしてるような気もするので今回はぐっと我慢して割愛。
そういえば前うちのピアノの先生がシュトラウスの最後の4つじゃない別のオケ伴奏の歌曲のピアノ編曲版をアンコールで弾いてたのですがそういうのってどれくらい数&質があるんだろうな。そのうち探したり弾いたりしてみた方がいいのかもしれない。
手持ちの録音はエリザベス・シュワルツコップが歌ってるのですが録音の古さもあってちょっと古い感じに聞こえてしまうのがおすすめする上で悩み。人の声って美しさそのものは時代を超えても不変なところはあるけどやっぱりちょっと昔と今では(楽器以上に)好まれやすい声って変わるのかなあ、と思いつつルネ・フレミングにしてしました。手持ちにするにも今の録音プラスもっと最近の録音が欲しい気持ちがあります。将来的に検討したいところ。
あらーちょっと書いてないうちにまたコンサート話に。しかも金曜と今日で二つまとめての感想に。なので早速。
金曜の夜はRichmondに恒例の友人のコンサートシリーズに。今回はソロ・デュオ・トリオが楽しめるプログラムでした。
Soiree on the Hill
St. Stephen's Anglican Church, Richmond
ピアノ:Tristan Lee、チェロ:Blair Harris、バイオリン:Francesca Hiew
フランツ・リスト ペトラルカの3つのソネット(「巡礼の年」第2年より)
アルヴォ・ペルト Spiegel im Spiegel
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノソナタ第2番
当初はもちょっと違うプログラムと書いてあったのですが弦楽器奏者2人がAustralian String Quartetで活動していたり(=州外に行ったり含め)していたこともあり以前も弾いたペルトとショスタコが組み入れられました。ただショスタコはかなり長く知ってるし聴く機会も多い曲ですが何度聞いてもその強烈さには慣れないですね。それは素晴らしいことなんですけど。
リストに関しては個人的にこれまでのトリスタンの演奏のベストだと思いました。本人は暗譜がーとか言ってましたがそういうことを言ってるんでないのですよ私は。音そのものだったり音とその向こうにある詩にある感情だったり質感みたいなものを扱うにあたってこんなに繊細に響く演奏は聞いたことないと素直に思いましたね。「巡礼の年」は近々自分も着手するけどハードルが上がるばっかりです(良いことではあるんですけどね)。今度彼がフルで演奏するリサイタルに行けないのがほんと残念(せめてリハーサルの時間がもちょっと後だったらなあ)。
そして今日行って来たのはメル響(というかそのartist in residenceという位置づけのPlexus)とビクトリア国立美術館(NGV)の主催のコンサートイベントでした。
NGV International(別にオーストラリアの美術に特化したNGV Australiaもあります)といえば無料で入れるステンドグラスの天井の中世風の大広間が有名ですが今回はその大広間でそのステンドグラスや飾ってある大きなタペストリーの作品・作者にもトークで言及しながらの演奏でした。(そもそもあれタペストリーだったんだ・・・)芸術作品ができる過程の人と人の協力の話などもあって面白かったです。
MSO at NGV: Plexus & Roger Kemp
バイオリン:Monica Curro、クラリネット:Philip Arkinstall、ピアノ:Stefan Cassomenos
Robert Cossom 「Lux Aeterna」(打楽器:Robert Cossom)
Mary Finsterer 「Julian Suite No.1」より第1楽章「Nobility」
Luke Speed-Hutton (タイトルがプログラムに書いてなかった)(打楽器:Robert Cossom)
ちなみにFinstererは前も演奏された曲、Lux Aeternaは以前演奏されて今回打楽器パートを足した新バージョン、そして最後の曲は全くの初演。そういう意味でも面白いプログラムでした。
今回の演奏場所はいつもPlexusを聴くMelbourne Recital CentreのSalonと同じく横長のスペースですが広さに関してはずっと大きく、音響ももちろん変わってきます。コンサート後でモニカも話してましたがこういう場所だとトリオに打楽器を加えることで音の響きがぐんとよくなるのがほんと面白い。今回使ってた打楽器は銅鑼だったりcrotaleだったり音の余韻を楽しむ楽器が多くてピアノ・バイオリン・クラリネット(と今回なぜかリコーダーも担当)がカバーできない音の響きをううまく補えていたように思えました。
そしてRob Cossomはメル響ではシンバルのスペシャリストですが打楽器のいろんな方面に造詣が深く広く。そういう人が打楽器とそれ以外の楽器のミックスのために音楽を書くってのは非打楽器奏者の作曲家とはかなり視点が違うんだろうなあ。今回は「打楽器を足す」という形になったけどそもそも打楽器の音から音楽を見ているんですよね。なかなか想像がつかないや。
私が弾くコンサートももうすぐですが(お知らせしてないなー)メルボルン全体コンサートシーズンが終わりに近づくこの季節。Plexusはあと1回コンサートがあるそうですがいけるかなー。今年はPlexus分ちょっと少なめでしかも今日は無料イベントだったのでなんか貢献が足りないような気持ちなのです。そしてまだまだ新しい曲に出会いたい。
今日の一曲は久しぶりにお休み。リストとも考えたけどまたこんど改めて。
金曜の夜はRichmondに恒例の友人のコンサートシリーズに。今回はソロ・デュオ・トリオが楽しめるプログラムでした。
Soiree on the Hill
St. Stephen's Anglican Church, Richmond
ピアノ:Tristan Lee、チェロ:Blair Harris、バイオリン:Francesca Hiew
フランツ・リスト ペトラルカの3つのソネット(「巡礼の年」第2年より)
アルヴォ・ペルト Spiegel im Spiegel
ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノソナタ第2番
当初はもちょっと違うプログラムと書いてあったのですが弦楽器奏者2人がAustralian String Quartetで活動していたり(=州外に行ったり含め)していたこともあり以前も弾いたペルトとショスタコが組み入れられました。ただショスタコはかなり長く知ってるし聴く機会も多い曲ですが何度聞いてもその強烈さには慣れないですね。それは素晴らしいことなんですけど。
リストに関しては個人的にこれまでのトリスタンの演奏のベストだと思いました。本人は暗譜がーとか言ってましたがそういうことを言ってるんでないのですよ私は。音そのものだったり音とその向こうにある詩にある感情だったり質感みたいなものを扱うにあたってこんなに繊細に響く演奏は聞いたことないと素直に思いましたね。「巡礼の年」は近々自分も着手するけどハードルが上がるばっかりです(良いことではあるんですけどね)。今度彼がフルで演奏するリサイタルに行けないのがほんと残念(せめてリハーサルの時間がもちょっと後だったらなあ)。
そして今日行って来たのはメル響(というかそのartist in residenceという位置づけのPlexus)とビクトリア国立美術館(NGV)の主催のコンサートイベントでした。
NGV International(別にオーストラリアの美術に特化したNGV Australiaもあります)といえば無料で入れるステンドグラスの天井の中世風の大広間が有名ですが今回はその大広間でそのステンドグラスや飾ってある大きなタペストリーの作品・作者にもトークで言及しながらの演奏でした。(そもそもあれタペストリーだったんだ・・・)芸術作品ができる過程の人と人の協力の話などもあって面白かったです。
MSO at NGV: Plexus & Roger Kemp
バイオリン:Monica Curro、クラリネット:Philip Arkinstall、ピアノ:Stefan Cassomenos
Robert Cossom 「Lux Aeterna」(打楽器:Robert Cossom)
Mary Finsterer 「Julian Suite No.1」より第1楽章「Nobility」
Luke Speed-Hutton (タイトルがプログラムに書いてなかった)(打楽器:Robert Cossom)
ちなみにFinstererは前も演奏された曲、Lux Aeternaは以前演奏されて今回打楽器パートを足した新バージョン、そして最後の曲は全くの初演。そういう意味でも面白いプログラムでした。
今回の演奏場所はいつもPlexusを聴くMelbourne Recital CentreのSalonと同じく横長のスペースですが広さに関してはずっと大きく、音響ももちろん変わってきます。コンサート後でモニカも話してましたがこういう場所だとトリオに打楽器を加えることで音の響きがぐんとよくなるのがほんと面白い。今回使ってた打楽器は銅鑼だったりcrotaleだったり音の余韻を楽しむ楽器が多くてピアノ・バイオリン・クラリネット(と今回なぜかリコーダーも担当)がカバーできない音の響きをううまく補えていたように思えました。
そしてRob Cossomはメル響ではシンバルのスペシャリストですが打楽器のいろんな方面に造詣が深く広く。そういう人が打楽器とそれ以外の楽器のミックスのために音楽を書くってのは非打楽器奏者の作曲家とはかなり視点が違うんだろうなあ。今回は「打楽器を足す」という形になったけどそもそも打楽器の音から音楽を見ているんですよね。なかなか想像がつかないや。
私が弾くコンサートももうすぐですが(お知らせしてないなー)メルボルン全体コンサートシーズンが終わりに近づくこの季節。Plexusはあと1回コンサートがあるそうですがいけるかなー。今年はPlexus分ちょっと少なめでしかも今日は無料イベントだったのでなんか貢献が足りないような気持ちなのです。そしてまだまだ新しい曲に出会いたい。
今日の一曲は久しぶりにお休み。リストとも考えたけどまたこんど改めて。
昨日はシティで事件もあり少しショックを受けてはいましたが電車も通常運転でその後もシティの中を通らずコンサート場所までいけたので何ら予定を変えることなく久しぶりのコンサートに行って来ました。改めて見てみると一時帰国から戻ってきて初コンサート。相当久しぶりだなあ。
今回行ってきたのは国立音楽アカデミー(ANAM)によるBrett Deanの作品をフィーチャーしたコンサートでした。
国立アカデミーといえばサウスメルボルン・タウンホールを拠点に授業、レッスン、一部コンサートなどもそこで完結していますが2週間ほど前にその建物の天井が崩壊したり水漏れがしたり、リサイタルなどの試験を含め学業に多大な影響が出たそうで。今回のコンサートもリハーサル期間が短い上にゲスト含めかなり大きい編成のオケだったのでリハーサル場所を確保するのも苦労だったはず。ただそんな事情は演奏には全然出てませんでした。
コンサートの詳細は以下の通り。
Celebrating Brett Dean
国立音楽アカデミーのオーケストラ
指揮:Brett Dean
Richard Meale 「Clouds Now and Then」
Brett Dean 「From Melodious Lay」(ソプラノ:Lorina Gore、テノール:Topi Lehtipuu)
(休憩)
Lisa Illean 「Land's End」
Georges Lentz 「Jerusalem (after Blake)」
4曲とも作曲家はオーストラリア人(しかもDean以外これまで聞いたことなかった作曲家)、そのうち3人は現在活動中、そしておそらく全曲メルボルン初演という超がつくほどフレッシュなプログラム。Brett Deanというおそらく世界で一番すごい(ものさしはまあそれぞれですが)作曲家が選ぶオーストラリアのオケ作品というのもいいですね。
Mealeの曲はなんと松尾芭蕉の俳句「雲をりをり人をやすめる月見かな」が題材となっています。それを感じ取るかどうかは聴き手次第と思いますがオケが作り出す様々のtextureが月の前を通り過ぎる色々な雲の質感にも通じるものがあるなと私は思いました。打楽器とか金管楽器とかその組み合わせ方がオーストラリアの作曲家ちょこちょこ面白いことしてる印象がありますねー。
Brett Deanの新しい曲を聴くのはソクラテス以来になるのかなあ、ソクラテス再演ももちろんですが新しい作品ももっと聞きたい!と思ってていろんなメルボルンじゃない都市で新作オペラ「ハムレット」上演の話を聞いては転がり回っていたので今回のハムレット題材の「From Melodious Lay」は聴けてほんと嬉しかったです。もう聴いてこの複雑さ、ドラマチックさ、これを望んでいたんだ!という気持ちでいっぱいに。難しいけど爽快さがあるんですよね。あくまでも声楽付きのオケ曲というフォーマットですが円熟したtheatre作品という雰囲気があって素晴らしい。テノールの方の声とあとその歌うパートもブリテンの作品を連想したり、あとソプラノの方の声がちゃんと現代オペラな感じなんだけど可憐さもあってすごいオフィーリア。
Illeanの作品は打って変わってぐっと編成を小さく絞った作品。弦を中心としていろんな楽器の組み合わせや音の繊細なバランスが絶妙な音楽でした。休憩後のトークで後半の作品は「水」のイメージが強いと言及がありましたが固体でもなく気体でもない存在感と流れ方の表現が好き。他の曲が思考の頭をがんがん使う曲だったのですがこの曲はフィーリングで聞くのを大事にしたくなります。
そして今回のフィナーレ「Jerusalem」。面白い曲でした。Deanの曲と肩を並べるくらい、というか同じプログラムである意味正解ですがよく並び立たせたなという。なにより大編成のオケ(ホールの後ろにも打楽器+エレクトロニクスあり)でのパワフルなというか爆発的なサウンドが真っ先に印象的。もっとでかいホールでやった方がよかったかもと思うくらい。でも最初がフーガになってたり複雑なようでシンプルな要素もあったり、なんか明確に響いてくることも多かったり。そしてそんな巨大な世界観から最後「携帯電話を使ったエレクトロニクス」といういわば手のひらにおさまる音楽に変化するというアイディア&結果のエフェクト。ものすごく魅力的な曲だし圧倒されて掴みきれないこともあったのでまたじっくり聞きたいです。
ということでガチなシリアスの曲4つを立て続けに聴いて思考もフル回転でしたが心の方も色々衝撃を受けるコンサートでした。でもなんか知らない曲ばっかり聴く新鮮な感じやっぱりすごく好きです。(今年はPlexusのコンサートあんまり行けてないので・・・)
自分もそういう刺激をちょくちょく受けたいですし、同時にオーストラリアの音楽を支え続けたいと改めて思いました。まずはもっと国内でBrett Deanの音楽を!特にtheatre作品は難しいけどかなり受けが良いんじゃないかと思うので個人的に推したいです。
今日の一曲: Brett Dean 「From Melodious Lay」
(録音はまだない!)
普段はここでは手元に録音がある作品を主に紹介してますがとにかくBrett Deanは録音が出ないので待たずにどんどん紹介せねば。
今年中にシェイクスピアを新しく読む、という目標は「十二夜」読んで達成しましたがまだまだシェイクスピア読みたい!ということでEmilie Autumn「Opheliac」とこの曲経由で次はハムレットになりそうです。
ハムレットはなんかwikipeで調べたらシェイクスピアの戯曲の中で最長だそうですがこの作品に使われてるのは何らかの原典の部分だそうで。(読むときはもちろん全部読む予定)
それでその部分を抜き出してハムレットとオフィーリアの関係に焦点を当てた作品に仕立てた結果色んなものがものすごい濃縮液になった気がするのは私だけでしょうか。
なんかオケが歌い手を伴奏しているという感じが全然なくてむしろ歌い手がオケをまとって歌い手から放出されたオケの音が渦巻いているみたいな。あと戯曲によくある大げさな自己陶酔的な演出がこの作品ではガチリアルな狂気方面にシフトしていて聴いててずっとすごい。たまに忘れるけどハムレットもオフィーリアもどっちも狂ってるんですよね。
作風としてはオケに前のソクラテスと似たような表現が見られたほかブリテンの戦争レクイエムとかそっちに似た感じもあり、でもさらに歌と楽器の表現のオーバーラップが進化してる印象があって面白かったです。オペラ・・・は実際この作品とどれだけ関連してるのかよくわからないのですがそっちも聴いてみたいです。
オーストラリアの音楽ってかなり幅が広くてなかなか単純に説明できないところもありますが、今回のコンサートで思ったのは意外と(=国民性と比較して)「どシリアス」が得意な作曲家多いなと。アメリカやヨーロッパの作曲家にひけをとらないパワフルな作品が生まれてるのはもっと国内でも海外でも知られて欲しいです。
今回行ってきたのは国立音楽アカデミー(ANAM)によるBrett Deanの作品をフィーチャーしたコンサートでした。
国立アカデミーといえばサウスメルボルン・タウンホールを拠点に授業、レッスン、一部コンサートなどもそこで完結していますが2週間ほど前にその建物の天井が崩壊したり水漏れがしたり、リサイタルなどの試験を含め学業に多大な影響が出たそうで。今回のコンサートもリハーサル期間が短い上にゲスト含めかなり大きい編成のオケだったのでリハーサル場所を確保するのも苦労だったはず。ただそんな事情は演奏には全然出てませんでした。
コンサートの詳細は以下の通り。
Celebrating Brett Dean
国立音楽アカデミーのオーケストラ
指揮:Brett Dean
Richard Meale 「Clouds Now and Then」
Brett Dean 「From Melodious Lay」(ソプラノ:Lorina Gore、テノール:Topi Lehtipuu)
(休憩)
Lisa Illean 「Land's End」
Georges Lentz 「Jerusalem (after Blake)」
4曲とも作曲家はオーストラリア人(しかもDean以外これまで聞いたことなかった作曲家)、そのうち3人は現在活動中、そしておそらく全曲メルボルン初演という超がつくほどフレッシュなプログラム。Brett Deanというおそらく世界で一番すごい(ものさしはまあそれぞれですが)作曲家が選ぶオーストラリアのオケ作品というのもいいですね。
Mealeの曲はなんと松尾芭蕉の俳句「雲をりをり人をやすめる月見かな」が題材となっています。それを感じ取るかどうかは聴き手次第と思いますがオケが作り出す様々のtextureが月の前を通り過ぎる色々な雲の質感にも通じるものがあるなと私は思いました。打楽器とか金管楽器とかその組み合わせ方がオーストラリアの作曲家ちょこちょこ面白いことしてる印象がありますねー。
Brett Deanの新しい曲を聴くのはソクラテス以来になるのかなあ、ソクラテス再演ももちろんですが新しい作品ももっと聞きたい!と思ってていろんなメルボルンじゃない都市で新作オペラ「ハムレット」上演の話を聞いては転がり回っていたので今回のハムレット題材の「From Melodious Lay」は聴けてほんと嬉しかったです。もう聴いてこの複雑さ、ドラマチックさ、これを望んでいたんだ!という気持ちでいっぱいに。難しいけど爽快さがあるんですよね。あくまでも声楽付きのオケ曲というフォーマットですが円熟したtheatre作品という雰囲気があって素晴らしい。テノールの方の声とあとその歌うパートもブリテンの作品を連想したり、あとソプラノの方の声がちゃんと現代オペラな感じなんだけど可憐さもあってすごいオフィーリア。
Illeanの作品は打って変わってぐっと編成を小さく絞った作品。弦を中心としていろんな楽器の組み合わせや音の繊細なバランスが絶妙な音楽でした。休憩後のトークで後半の作品は「水」のイメージが強いと言及がありましたが固体でもなく気体でもない存在感と流れ方の表現が好き。他の曲が思考の頭をがんがん使う曲だったのですがこの曲はフィーリングで聞くのを大事にしたくなります。
そして今回のフィナーレ「Jerusalem」。面白い曲でした。Deanの曲と肩を並べるくらい、というか同じプログラムである意味正解ですがよく並び立たせたなという。なにより大編成のオケ(ホールの後ろにも打楽器+エレクトロニクスあり)でのパワフルなというか爆発的なサウンドが真っ先に印象的。もっとでかいホールでやった方がよかったかもと思うくらい。でも最初がフーガになってたり複雑なようでシンプルな要素もあったり、なんか明確に響いてくることも多かったり。そしてそんな巨大な世界観から最後「携帯電話を使ったエレクトロニクス」といういわば手のひらにおさまる音楽に変化するというアイディア&結果のエフェクト。ものすごく魅力的な曲だし圧倒されて掴みきれないこともあったのでまたじっくり聞きたいです。
ということでガチなシリアスの曲4つを立て続けに聴いて思考もフル回転でしたが心の方も色々衝撃を受けるコンサートでした。でもなんか知らない曲ばっかり聴く新鮮な感じやっぱりすごく好きです。(今年はPlexusのコンサートあんまり行けてないので・・・)
自分もそういう刺激をちょくちょく受けたいですし、同時にオーストラリアの音楽を支え続けたいと改めて思いました。まずはもっと国内でBrett Deanの音楽を!特にtheatre作品は難しいけどかなり受けが良いんじゃないかと思うので個人的に推したいです。
今日の一曲: Brett Dean 「From Melodious Lay」
(録音はまだない!)
普段はここでは手元に録音がある作品を主に紹介してますがとにかくBrett Deanは録音が出ないので待たずにどんどん紹介せねば。
今年中にシェイクスピアを新しく読む、という目標は「十二夜」読んで達成しましたがまだまだシェイクスピア読みたい!ということでEmilie Autumn「Opheliac」とこの曲経由で次はハムレットになりそうです。
ハムレットはなんかwikipeで調べたらシェイクスピアの戯曲の中で最長だそうですがこの作品に使われてるのは何らかの原典の部分だそうで。(読むときはもちろん全部読む予定)
それでその部分を抜き出してハムレットとオフィーリアの関係に焦点を当てた作品に仕立てた結果色んなものがものすごい濃縮液になった気がするのは私だけでしょうか。
なんかオケが歌い手を伴奏しているという感じが全然なくてむしろ歌い手がオケをまとって歌い手から放出されたオケの音が渦巻いているみたいな。あと戯曲によくある大げさな自己陶酔的な演出がこの作品ではガチリアルな狂気方面にシフトしていて聴いててずっとすごい。たまに忘れるけどハムレットもオフィーリアもどっちも狂ってるんですよね。
作風としてはオケに前のソクラテスと似たような表現が見られたほかブリテンの戦争レクイエムとかそっちに似た感じもあり、でもさらに歌と楽器の表現のオーバーラップが進化してる印象があって面白かったです。オペラ・・・は実際この作品とどれだけ関連してるのかよくわからないのですがそっちも聴いてみたいです。
オーストラリアの音楽ってかなり幅が広くてなかなか単純に説明できないところもありますが、今回のコンサートで思ったのは意外と(=国民性と比較して)「どシリアス」が得意な作曲家多いなと。アメリカやヨーロッパの作曲家にひけをとらないパワフルな作品が生まれてるのはもっと国内でも海外でも知られて欲しいです。