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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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再びMt. Dandenong方面へ。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

今週はメルボルンはQueen's Birthday連休なので土曜日に学校の友達とMt. Dandenong方面に行ってきました。
このブログでも少なくとも2回は書いてますね、おなじみのSassafrasにてMiss Marple's Tea Roomです。例によって悪天候のSassafrasです。
今回は車でなく電車→バスで長旅。ここに電車の路線図があるのですが待ち合わせしたのが中央近くにあるParliament駅、そこからBelgrave Lineに乗ってUpper Fentree Gullyまで1時間、そこから688番のバス(Croydon行き)で30分、パンケーキ屋が見えたら降りますのボタン。
(別ルート:ParliamentからLilydale Lineに乗ってCroydon、そこから688番のバス逆回り(Upper Ferntree Gully行き)、所要時間はほぼ同じだそうです)
どっちのルートもMiss Marple'sの真ん前に止まります。

今回はお腹を空かせてきたこともあり(そして私も5月に家族と来たばかりだし平日に一人で来れることが分かったので)みんなスコーン以外のものを頼みました。ほとんどこのメニューのSecond Chapter=メインからですね。私はサーモンのオープンサンドイッチでした。Second Chapterの料理はみんなサラダがどっさり乗りますね!すごい!Pastieを頼んだ友達の皿は半分が半月形のPastieで、もう半分がサラダという豪快な様子(笑)日本語でなんていうかわからないsprout的なものがどっさりあったり。
で、それぞれ美味しくいただいた後デザートのVicar's Follyというサンデーをいただきました。サイズも巨大なのですがアイスクリーム、クリーム、チョコレートソース、バタースコッチソースなど他にもたくさん乗ってて甘さがすごい!4人で分けてやっと終わらせましたよ(笑)結構デザート頼んでいる人いるんですがどうやって食べてるんだろうなあ。

で、そこから先ほどと同じ方向に行く688番のバスでOlindaへ。
Olindaでは古き良きスタイルのキャンディ屋さんをのぞいたり。あの、R-18的なセクション馬鹿馬鹿しくていいですね(笑)キャンディーでできてるブラジャー等とか、あんな形こんな形してるグミとかキャンディとか(笑)
それからOlindaはガラス細工・金属細工のアクセサリーやオーナメントなどが売ってるお店があるのですがここいいですよ!オーストラリアの動物を象ったりオーストラリアらしい色彩のものだったり、色々お土産に良いものがそろってます。
それから森の方に歩きに行ったのですが雨が大降りになってきて断念。あそこは下り坂で行きも戻りもしんどいところがありまして。やっぱり歩くならMiss Marpleの近くのところか、車で来るならSherbrooke Forestが一番かな。

そこからまた同じ方向・路線のバスに乗るとMount Dandenong(標高633m)の頂上にある展望台&レストラン・庭園・迷路などを含むSky Highという施設を通ります。ここも雨降りで一面霧だと景色もへったくれもなかったので今回はスルー。
そこからCroydonまでバスに乗って電車へ、という旅でした。

今週末は同じく一緒に学校に行った友達でシドニーに住んでる子がこっちに戻ってきてるのでその子の実家で会ってゆっくり。
初めてMulled wineなるものをいただきました。というか作りました(私は見てるだけが多かったですが・・・)。
赤ワイン(ものすごく安いものでも可)を暖めて、シナモンやクローブなどのスパイスや砂糖、オレンジを入れていただくものなんですが、今回オレンジじゃなくて青リンゴで作りました。結構合いますよ、これはこれで。
それを「30年前(=友達のお姉さんが産まれたとき)から使ってない」という焼き物のゴブレットで飲むとなんだかとってもありがたい(ただしご飯はテイクアウェイのピザ)。熱が逃げにくいんですよね。
暖かいワインとスパイスの風味がとっても良かったです。あったまりました。

ということで今回公共交通機関でもSassafrasにいける、と分かったので今度予期せず平日休みになったときはゆっくり電車とバスに揺られてスコーンでも食べて森の中をゆったり散歩に行こうかと思います。
それから誕生日はどうする、という話になったのでそれもなんとかしなきゃ。日にちは決まったんでPollyでなんとか大学の友達も合わせて小さめの集まりでなんかどうにかできないかな、とか。
仕事の時間、ピアノの時間、人との時間、一人の時間、バランスとれよー自分。


今日の一曲: パウル・ヒンデミット フルートソナタ 第2楽章



ヒンデミットも色々な楽器のために楽器を書いてますが、わりとソナタ系統だと似通った曲が多いな、と思うことはあります。
軽く翔るようなメロディーの速めの楽章だったり、スローで一定のリズムパターンに支えられた楽章だったり、技巧的にトリッキーな、電気が走るような感じの速い楽章だったり。
でも一応その「キャラ付け」の中で各楽器に合うように書かれてるような感があったり。

こないだこの曲を聴いて「お、面白いな」と思ったのです。
というのはフルートって流れるような翔るような、色んな意味で自然な弧を描くようなメロディーを奏でるのが得意なイメージがあるのですが(第1楽章は正にそんな感じ)、この楽章はものすごくStatic、というか動きがスローで直線的な感じで、あんまりフルートが普段弾くようなメロディーじゃないんですよね。たとえばビオラとか金管楽器だったらこういう音の感じ、よく映えるような。

でもそんなちょっとキャラを外れたようなこの曲でフルートの芯の通ったまっすぐな音が聴けるんですよね。
フルートは力強く、そしてピアノはしっかりした繊細さで。
この第2楽章だけで素晴らしい曲かといえばそれはちょっと違うのかもしれないし、ヒンデミットが素晴らしいフルート作曲家かといえばまたそれも違うのかもしれないですが・・・
私がヒンデミットの音楽で好きなところが味わえる、そしてフルートの音をじっくり味わえる曲だと思います。

ヒンデミットは金管ソナタ(トランペットソナタ、ホルンソナタ、アルトホルンソナタ、トロンボーンソナタ、テューバソナタ)が1セットになっているCDがあるのですが(ピアノが全部グレン・グールドでそれくくりなんです・・・そのおかげで解釈がちょっとグールド入ってて微妙な評価なんですが)、木管でもそういう風にヒンデミットのソナタをセット売りしてくれないかなーと思ってます。その楽器を弾かない人からすると便利なんだけどな。
でもフルート曲コレクション、というのにも入ってることが多いので(それもまた便利)、なかなか良いフルートソナタの組み合わせのCDをリンクします。ヒンデミットに加えてプーランク(名曲!)、マルティヌー、プロコフィエフが収録されてるようです。

拍手[1回]

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メル響コンサート「The Planets - A Journey in Music and Film」間奏
前回のエントリーに拍手どうもですー♪

今日はちょっとコンサート場所の段取りをしてました。万事うまくいけば9月22日になりそうです。
とりあえず木曜に場所見にいくことが決まりました。(ちなみに去年友達のデュオコンサートに行った教会なのでいいピアノがあることは分かってます。でも見たり弾いたりしないとね)もろもろ詳細はまた後日。

昨日はメル響のコンサートに行って来ました。ホルストの惑星なんですが今回は大きなスクリーンでNASAからの各惑星の映像も流れる、ということで興味津々で行ってきました。

プログラムはこんな感じ:
指揮者:Alexander Shelly
モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」
(休憩)
ホルスト 「惑星」
(Melbourne Symphony Orchestra Chorusの女声合唱、Chorus Master:Jonathan Grieves-Smith)

モーツァルトは大学のリスニングリストに入ってたこともあって、他にちょこちょこ聴いたり特定のパッセージをオーディションで弾いたりしたことはあって知ってはいる曲ですがあんまり進んで聴くような曲ではないです。
でも同じたまーに聴くにしてもやっぱり録音で聴くよりは生で聞くのがいいですよ。
ちょうどチェロ側の前の方に座ってたのでチェロとコントラバスばっかり見てたのですが何か自分が昔あそこで弾くのを目指してたのを思い出しましたね。いつも通り一糸乱れずのアンサンブルの低音弦なんですがモーツァルトみたいにクリアな音楽だと余計それがなんか輝くというか憧れるというか。いいなあ。

「惑星」ももう何回も何回も聴いてるんですがそれでもやっぱりいい音楽なんですよね。(既になんかマニアになりつつある?なんらかの執着はあるんですよ、明らかに)
ホルストは天才、というかホルストはホルストにしか出来ないことをやってるなあ、というのがものすごく感じられて。
結局映像よりも演奏のほうにかまけてた形になりました(笑)もちろん映像も見ましたよ!見たことあるものないもの色々。火星の地上探査機(っていうのかな?)の映像とか、惑星や衛星の映像、色々あった中で一番のお気に入りは天王星の最後で流れた天王星の本体と輪が同心円状になっていて、向こう遠くに太陽が輝いていて影になる、という映像でした。
もともと外部惑星の天王星・海王星あたりが好きなのですが、自分の持ってる宇宙シミュレーションソフトCelestiaでそういう惑星を見ると太陽までの遠さがものすごく愛しいのですよね。

演奏は何より金星と土星が美しかった!
金星での冒頭のホルンソロとか、途中のチェロソロとか完璧でしたよ!あの難しいひやひやもののソロがああ美しく演奏されるとは行って良かった!自分が知ってる金星の演奏のなかでベスト、またはそれにかなり近いのでは、と思います。
あと土星のトロンボーンのコラールとかフルートのコラールとかハープのデュエットとかもよかったー。なんか土星の演奏の質が高いのはものすごく幸せです。
それから今回もメルボルン・タウンホールでの演奏ということで南半球一大きいパイプオルガンが火星・土星・天王星・海王星で聞けるという贅沢さ。以前も書いてるように小さいパートではあるのですがこのオルガンの存在感だと大事なパートだと実感しますね。

それから今回木星・天王星のテンポが遅め、というか全体的に重めな性格に仕上がってましたね。
ボリュームが増すというか、惑星そのものの「大きさ」を表すような感じ。割とこの2つの楽章は派手に勢いよく、に慣れてるので新鮮でした。
ただしテンポの崩れがちょこちょこっと起きてたのもこの2つの楽章で、奏者にも新鮮な解釈だったのかもしれませんね。

今回映像付きのコンサートということもあって子ども連れもたくさん来てましたね。
私が初めてホルストの「惑星」と出会ったのが小学3年とか4年とかでしたし、あと私がオーストラリアに来る直前(5年生、こっちの1学期)うちの学校では授業で惑星について習ったみたいなのでやっぱりこの曲に出会うのはそれくらいの年齢が多いのか、いいのか。ちょっと考えさせられますね。

あと帰りすれちがった方が金星が好きだった、と聴いたのですがこうやって全部の楽章を通して聴いてメディアでよく使われる木星・火星以外の楽章に改めて出会って好きになるっていいな、と思います。
前も書いてるのですが「惑星」は全体でも50分ほどですし、各楽章も10分を超えるものはなく、さらに7つも対照的な性格の楽章が揃ってるので色々と面白いというか都合がいいというか。
もちろん演奏によって印象は変わると思いますがね。(今回私も金星が際だって美しいと思ったので反響がポジティブなのはちゃんと伝わってる証拠だな、と思います)

それからこの夜は部分月食で、コンサートから出てくると欠けてる、くらいのはずだったのですが行く時からずっと雨で見れず。残念。
明日の金星の太陽面通過も朝だったらきっと曇ってるだろうなあ・・・これも残念、になりそう。


今日の一曲: 「Throw it out the window」

惑星は去年さんざんやったしあんまモーツァルト書くことないんで全く関係ないですがこの歌を。なんのことか、と言われると思いますがこれで。
私が出会ったのは学校時代の(妹の)Song book的な物だったのですが、そういう子どもが集まってキャンプファイヤーとかなんとかで楽しく歌ったり、とかそういうときに歌われる歌なんですよね。

歌の内容、というのは英語圏で子どもに歌ったり教えたりするNursery Rhymesを途中から「Throw it out the window」に変えてしまう、という。(Twitterのハッシュタグによくある「○○に変えると~」みたいなものですね)
私の知ってるバージョンだとNursery Rhymesの部分はゆっくり歌われて、Throw it out the windowの部分はテンポアップするのがまたキャッチー。

これ、すでにNursery Rhymesを知ってる人はいいんですが、私みたいにちょっと大きくなってから英語圏に入った人だとまじめにNursery Rhymeを覚えたり歌ったりしようとすると全部Throw it out the windowになっちゃうんですよね!
変にキャッチーだから一度はまると抜けられない厄介なところも(笑)

でも英語圏の子どもにうけること間違いない(?)ですし楽しい歌です。もう笑いながら歌えます。

拍手[1回]

ドビュッシーの「映像」周り
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

あんまり特定の曲、とか特定の曲集、とかについてエントリーをさくことがここでは割とないんですよね。
もっと一曲にフォーカスして・・・という書き方もしてみたいんですがどうもかなわず。
大きな理由として「今日の一曲」コーナーがあるじゃん、というのもあるのですが、エントリー丸まる一つ書くくらい思い入れがある曲集は逆に言葉として思いを形にするのが難しかったり。
そんなことを思っていたのですが今日ちょっと「これ話したいかも?」という曲集ができたのでそのなんとなくのテンションでまとめてみたいと思います。(例によって「解説」ではないです)

前回のエントリーで昨日ドビュッシーの「映像」第2集の「葉ずえを渡る鐘」を弾き始めた、と書きました。
ピアノに復帰してから「映像」は第1集・第2集どちらも少しずつ弾いてきて。ものすごく情熱的に「弾きたい!」と思う曲じゃないんですけど前々から弾きたい曲でした。

ドビュッシー全体、情熱的に「弾きたい!」と思う作曲家ではないふしがあります、私にとって。恋い焦がれてる程度はラヴェルの方が明らかに強いはず。
でもドビュッシーももちろん好きで、例えば前奏曲集は第1巻から第5~10番、第2巻から第5,10番を弾いてたり割とたくさん、そして楽しんで弾いてきました。とくに第1巻の「沈める寺」は大切な曲として大事にしまってます。

同じドビュッシーだとでも前奏曲集よりも「映像」の方が好きですね。「ベルガマスク組曲」とか「子どもの領分」とか「練習曲集」とか色々ある中自分にとって一番すっとくるのが「映像」第1,2集、みたいな立ち位置。
理由は・・・よく分からないんですよね。例えば前奏曲集のお国巡り的な楽しさもあるけれど、「映像」の方が抽象的なのが惹かれるのかなあ。
あとは色彩も大きいかも。前奏曲集は(特に第1巻)割とはっきりしたような印象だけれど、「映像」はもっと入り組んだ色彩。あと青とか水のイメージとか東洋風な雰囲気とか好みの物が多いかも。

ドビュッシーのピアノのための「映像」はこんな構成になっています:
<第1集>
1. 水に映る影 Reflets dans l'eau
2. ラモー礼賛 Hommage à Rameau
3. 動き Mouvement
<第2集>
1. 葉ずえを渡る鐘 Cloches à travers les feuilles
2. 廃寺にかかる月 Et la lune descend sur le temple qui fut
3. 金色の魚 Poissons d'or

このうち今まで弾いてきたのは第1集の2と3、そして第2集の1(今回)と2。
復帰してから、ということなので先生の推薦とそれから楽譜面(笑)で決めてきました。
なので残っているのは楽譜面が複雑な2曲(笑)

弾いてて今のところ難しかったのは「動き」ですね。とにかくこう、アルペジオ的なテクニカルなあれが苦手で(汗)でも頭で理解するにはものすごくストレート。ハーモニーがですね、ものすごく論理的、しかも単純な論理に基づいて構築されてるのでどの音を弾くか分かりやすいし覚えやすい。暗譜してるのに弾けないというジレンマ!

シンプルだったのは「廃寺にかかる月」。でも音をバランスするタッチの細かさ、空間を作り出す間のとりかたとかはちょっとコツがいりますね。自分のピアノは全般的にドビュッシーに向いてない(音がはっきりくっきりして細いので音をブレンドしづらい)ので他のピアノで色々試してみたいところ。あとガムラン風のテクニックやペンタトニックの現れ方とかシンプルな美しさがいいですね、あの曲は。

最初に弾いたのが「ラモー礼賛」だったかな。この曲を以前紹介したときに書いたんですがとにかく「シャガールのブルー」なんですよね。(フランスのどこだったかな、ステンドグラスの。見に行きたい)ちょっと和音がchunkyなのが少ししんどいのですが、ドビュッシーの「和音がメロディー」という感覚だったり、音と色の深さが本当に喜ばしい曲です。

で、今弾いている「葉ずえを渡る鐘」。「映像」の中でもなかなか渋い色合いの曲ですね。あとタイトルの抽象的なこと半端なし!他の曲(そしてドビュッシー以外)でも見られるピアノを「鐘」・idiophoneのように使うテクニック(?)。音を丸く丸く、流れるようにがこれからの課題かも。

弾いてないうち「水に映る影」(「水の反映」とも訳す)は単独でも有名ですね。なんか自分にとってはこれがドビュッシー!みたいな印象がありますし。あとこれがドビュッシーのピアノ!という印象も。ピアノらしいんですよね、他の曲と比べて。それからやっぱり「水」のイメージが手に触れられるほどのリアルさで。
そして「金色の魚」は日本の漆器の金箔の魚がモチーフだそうで。(うちの先生この「映像」第1,2集とも録音してるので今度日本に行ったら探してきたい)一番テクニックが細かそうなのがこの曲で、同時にものすごく気に入ってる曲でもあるので(一番は決められないですね~)最後に弾くことになると思います。

先ほども書いたようにこの「映像」って第1集、第2集と分かれてるんですが弾き始めて以来別々に考えたことがなくて。
でももしも将来的に人前で演奏するなら別々・・・になりそうですよね。6曲で30分、うーん。
第1集、第2集それぞれの曲集としての性格を一旦考えてみなきゃなあ、とは思ってるんです。
前奏曲集の第1巻、第2巻の間と同じくらいには色彩とか性格に差があるような気がするんですが。
少なくとも質量はどうやら第1集の方が大きそうです。

なんだかんだで復帰以来ドビュッシーもオンオフ続いてて、遠くないうちには曲集がコンプリートになるのが見えてき始めた今現在。もちろんまだまだ弾いてない曲も弾いた曲でちゃんとできてないところもあったりするのですが、「映像」は自分のピアノにおいての大事なレパートリーになりつつあるようです。
ただ最初に書いたようになんというか情熱的に恋してる曲というわけではないのでその実感もちょっと薄かったり・・・勿体ないことですわ(汗)
いずれは人前で弾きたい曲なのでそれまでには実感しないとですね・・・弾くときは他にもラヴェルとかメシアンとか色々フランスのピアノ曲をとりそろえたいとぼんやり思ってます。「水」を中心にするのもいいかも。
こんなことばっかり言ってたら鬼が笑いますが。


今日の一曲: クロード・ドビュッシー 管弦楽のための「映像」より「ジーグ」



ややこしいですが、ドビュッシーはピアノのための「映像」第1集・第2集とはまた別にオーケストラのために「映像」という曲集を書いています。(つまり編曲じゃない、ということです)
その中の第1曲、「ジーグ」。

「ジーグ」というのはイギリスあたりのテンポの速い踊りの名前です。ドビュッシーは前奏曲第1巻第8番「亜麻色の髪の乙女」、第2巻第5番「ヒースの荒野」などスコットランドにちなんだ曲をいくつか残しているのでこの曲もそちらの影響かな。

でもメロディーにスコットランドのスタイルは見られるものの、オーケストラ使いとかハーモニーとかはがっつりフランス・ドビュッシーですね!(チェレスタが入ると途端にフランス風になるのなんかすごいですな)
例えていうならスコットランドの食材を使ってフランス料理を作ったくらいフランス風味が強い。
でも最初の霧を表すような感じは確かにスコットランドを思わせたり・・・するかな。
あと途中で木管楽器のソロが下降するメロディーを吹いたりするとこだったり、あとリズムをくずような部分もスコットランドの味がしますね。

この曲は4管編成と木管が多く、木管楽器がたくさん活躍しますね。オーボエがいっぱいソロを吹くのはバグパイプの再現かな?それから色彩を作り上げるにあたってハープやチェレスタの音色は欠かせないスパイスです♪
最初に聞いたとき全体的に感じられるオーケストラの色も素晴らしいですが、こうやって各楽器にフォーカスしてみるのも面白いですよ。(いつも書いてますね、これ)

リンクする録音はデュトワ!と最初から指揮者指定で検索しました。
このCDは2枚組でドビュッシーのオケ曲がいっぱい詰まっています。私はやっぱり「海」が一番好き。「牧神の午後の前奏曲」も有名ですね。
私もデュトワで聴きたいな・・・・



拍手[1回]

案の定こぼれた話
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

今回は案の定前回書き忘れた話があるので「先生のバースデーコンサート周りの話・続き」ということで。
内容は主にピアニスト同士の会話で面白いものかどうかは微妙ですが・・・

身近に「天才」が居るのはたまにちょっと妬ましいながらも楽しいこともいろいろありますね。
パーティーへ行く途中にピーターがコンクールで弾くべきレパートリー、というのを冗談で話してて。
ショパンの練習曲(どれか忘れた)のゴドフスキー版(ただでさえ難しいショパンの練習曲をさらに難しくしたという恐ろしい曲)をやるのは冗談抜きでやるらしいので、それならすっごい難しい編曲版ばっかり弾いたらいいじゃん、と。
シューベルトの「魔王」のリストによるピアノ版からはじめてバッハのバイオリンのための「シャコンヌ」のブゾーニ版、ワーグナーの「タンホイザー」序曲のリストによるピアノ版、でついでだからベートーヴェンの第9のリストによるピアノ版でしめちゃいなよ・・・とかもう馬鹿馬鹿しいほど難しいプログラム(笑)
もちろん「ありえないだろ!」っていう前提なのですがピーターなら本気になったらできそうでもあるんですよね。

同じくパーティーに行く途中、話はラフマニノフのピアノソナタ第1番のことに。
前から私は好きだけど、ピーターはそうでもなかった曲で、それでも好きになる可能性があるようなことを言っていて。
で、曲の良さを分かってもらうには私が弾くことだよ、という話になり。
まだ私の手で弾けるか(そしてこの曲の魅力を伝えられる程度に弾けるか)わからないし、そもそも40分がっつりだし(ただし20のまなざしとかコンプリートでやるともっと長いのでそこはやっぱり愚痴るところではないのかも)、この曲の良さってぱっとしないところだからそれをどう伝えればいいのか、とか・・・
悩みながらもこう、チャレンジ精神をくすぐられて「そのうちやっぱり自分で弾いてみて形にしなきゃなあ・・・」という思いが芽生えてしまっていて結果諸々地味に困っています(汗)
(ピーターは私がピアノ弾いてるのを聴いたことがなくて楽しみにしてくれてるからなあ・・・うれしいんだけど大丈夫か私)

パーティー会場には顔見知りの大学の先生方も何人か居ました。
ピアノで一番偉い先生もコンサートから来ててびっくり。ちょっと生徒側から見ると色々好ましくないところのある人で、「若い衆」で誰が最初に挨拶にいくかで罰ゲームのようにもめたり(笑)私はその時点ですでにその先生とにっこりpoliteな笑みを交わして挨拶を済ませていたのですが(会話が続く気がしなかったのですよ)。結局もめてる間に相手は帰っちゃったのですが・・・
大学で働いている先輩「若い衆」と違って大学からすっかり離れた私たちもそういう先生達との関係性って変わらないことあるんですよね。「生徒」じゃないからって対等に振る舞えるわけではないみたいです。

先生方サイドでパーティーに結局来なかったのはマイケル。
コンサート場所ではちゃんと場所を聞いていったのに。ピーターに何度も呼ばせたんですが応答なし。
見失う前は私に「自分でそう思えなくてもちゃんと(精神的に)wellだから自信を持って」とありがたい言葉をいただいたのですが。
私もそうですがみんなマイケルとはなかなか会って話す機会が少ない(とにかくつかまらない!)のでちょっと残念。次はいつ会えるかしらん。

先生はなんとコンサートで演奏した奏者たち一人一人にプレゼントを用意していました。綺麗な包み紙に、カードに、プレゼント。いくつかその場で見れたのですが一人一人のために考えて選んだ感のあるチョイスでした。
ピーターは「音律」についての本をもらってました。ピーターは本を普段読まないのですが、先輩で本を普段読まないといってた人も本をもらってて、どうやら「本を読め」とのお達し・・・?(知ってたのかなあ・・・)
デュオで弾いていた後輩はこれはネクタイか?と思ったら靴下でした(笑)
先生のみんな一人一人への心遣いとユーモアが垣間見れたプレゼントでした。

ということで前回のエントリーにあふれた分の記録でした。
前回も書きましたがこういう機会は本当に珍しくて貴重なので、心の中・記憶の中でも大切にしていきたいです。
珍しいは珍しいですが先生についてはは80歳の誕生日も90歳の誕生日もその後もずっとコンサートでみんなとお祝いできたらいいな、と思います。
そして先生にも私が演奏するところを聞いてもらわないと。少なくとも「20のまなざし」コンプリート、そして「鳥のカタログ」コンプリートも・・・
そこは私ががんばるところなので。しっかりします。


今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第2番 第3楽章 「影の踊り」



イザイの無伴奏バイオリンソナタはこの楽器のためのレパートリーの中でも私が特に好きな曲集の一つです。
一番有名で、一番バイオリンの真髄!と思うのは単一楽章の第3番「バラード」ですが、第2番にもものすごく愛着があります。
たしかイザイの無伴奏バイオリンソナタに出会ったのが、どこかのコンサートのアンコールでこの第2番の第1楽章を聞いたときのはず。

この第2番の全楽章「Dies Irae」のメロディーが現れ、それに支配されているというか呪われているような風があるのですが、第3楽章は「Dies Irae」のメロディーをテーマとしたバリエーションの形をとっています。
イザイの無伴奏ソナタといえばかなり技巧的に複雑ですが、これは凝ってはいるものの変奏曲に必要な範囲といいますか、ストレートな感じで素直に心に来ます。

Dies Iraeは一般的に死や最後の審判を連想させるメロディーで、暗いcontextで使われることが多いのですが、この曲ではト長調という明るい音楽のなかで使われているのが面白い。
この楽章の名前が「Danse des Ombres」=「影の踊り」というのですが全体的に暗い影というよりは人が光に当たって出来た影が人と一緒に動く踊り、みたいなイメージになるんですかね。
なんだったか歌でも自分の影法師に対する親しみみたいなのありますけど、日の光の暖かさと同時に影が自分の側にいつも居るあのほっとする感じを思う音楽です。

いつも紹介している曲たちよりももっと全般的な意味で、素直な意味で単純にいい曲です。
他のイザイのソナタと一緒にどうぞ。

拍手[1回]

先生のバースデーコンサート&パーティー
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
昨日は行ってきました私のピアノの先生、Stephen McIntyreのバースデーコンサート。
Melbourne Recital Centreの大きい方のホール、Elizabeth Murdoch Hallで開催されたのですがここは入るのも初めて。面白いホールですよ、ここのリンクのview allから見れるのですが。入るのは2階からなんですが、ホールのドアを閉めてしまうとまるで地中・地下にいるような感覚。
バルコニーは見えなかったのですがお客さんの入りもなかなかよかったようです。

プログラムは結構曲が多いのでこちらから。時系列に追って話します。
今回のコンサートは本来なら先生の70歳の誕生日にサプライズとして企画されたのですが、どこから漏れたのか先生の耳に伝わって、照れくさかったのか自分で主催・企画するとハイジャックしてしまったという経緯らしく(笑)
先生と縁の深いピアニスト達、そしてピアノ以外の音楽家(作曲家含む)が集まって先生の誕生日を祝うコンサートになりました。

最初のブロック(説明のために勝手にブロック分けしました)はシューベルト特集。
ピアノ連弾「人生の嵐」、シューベルトとシューマンの歌曲、シューベルト最後のピアノソナタ、そして有名な「鱒」。
最初の連弾以外では先生がピアノ弾いてました。
先生が一人で弾くのは見たことあるのですが歌曲の伴奏とか室内楽で弾くのは初めて見ました。
鱒についてはプログラムに先生の言葉で「(コントラバスの方とは)釣り教室を開けるくらいたくさん弾いた」そうで(笑)

休憩後の次のブロックは「About a Barcarolle」と名付けられた、先生の誕生日のために先生の好きなショパンの「舟歌」をモチーフにオーストラリアの作曲家達が音楽の寄せ書き(といえばいいのかな)として曲を書いたコレクション。
4者4様の舟歌連想の曲、どれも違った形でショパンのそれとつながってどれも魅力的でしたがとりあえず友人2人の作品について言及。
ピーターの書いた曲は今まで聴いたよりもシンプルというか素直というか、舟歌風伴奏とちょっとオーストラリアっぽいと思おうハーモニー(五度+五度がそうなのかな)。
マイケルの書いた曲はマズルカ風だけどがっつり濃くマイケルフレーバー(笑)彼が自分の曲を楽譜を見ながら弾いてるのを初めてみたいのですがなんだか「そうか、あの音楽は楽譜に物理的に書いてあるのか」と別の方向で驚きました。
で、このブロックは元のショパンの「舟歌」でしめ。

次のブロックは主にコメディーブロックと言いますか。
フルート、オーボエとピアノ(先生弾き)のトリオはかわいらしい小品。
そして次からコメディーショーの始まり。
ロッシーニの「猫の二重奏」では2人の歌手が茶目っ気&演技たっぷりに猫を演じ観客を沸かせ(ガチ猫→ガチ歌の間がコンマ数秒とかすごい(笑))、伴奏してるピアニストがオチを決めたり。
その次は1台のピアノに2人→3人→4人と一曲ずつピアニストが増えていくちょっとコミカルなプログラム。それも割と背の高い男性&女性が一つのピアノにぎゅうぎゅう詰めという大変な状態(笑)

そして最後には友達のピアノデュオによるラフマニノフ、そして2台ピアノ・4人ピアニストによるサン=サーンスの「死の舞踏」でエキサイティングにフィニッシュ。

がっつりクオリティの高い音楽を深く味わいながら、先生と周りの音楽家達のつながりを感じさせながら、結構エンターテインメント的なところもあってものすごく楽しかったです。
コンサートの終わりにはfoyerで先生がお客さんみんなに挨拶して回ってて。もう知ってる人いっぱいいて私もいろんなところで挨拶したりなんだり。先生のために、先生の誕生日を祝うためにこんなに人が集まって先生は幸せ者だな、としみじみ。

私は本来だったらここでお開きなのですが、後で先生の誕生日パーティーがあって、奏者とか招待客はパートナーだったりなんだったりプラスワン連れてきていいらしい、ということなのでプラスワンがいないピーターの好意に甘えて連れてってもらいました。
(1)パートナーでもないし(2)そもそもあの子は男の子が好きなのに、申し出て連れてっていただいて本当にありがたいのです。

ということでシティからそう遠くないとある方の家でパーティーに行って来ました。
といっても先生が70歳ということは先生と親しい人と、私たち生徒世代と親しい人というのは違うわけで。わりと生徒世代(主にコンサートでの奏者)でかたまって話してることが多かったです。(ピーターとはほぼずっと一緒だった(笑)人見知り同士なので)
美味しいワインと軽食(ただし北京ダックもあった!すごい!)をいただきながら音楽事情だったりそうでないことだったり色々話してました。
前も何回か言及しているようにうちの先生の生徒って二足のわらじというか、ピアノ・音楽以外でも力を入れてることがあったり、そしてなんかこう、一歩引いたクールな?とはちょっと違うかもしれないのですが共通の雰囲気・姿勢があるような気がするんですよね。

で、「若い衆」の中でも私と同期、といえば若い方で。たまに他から見て先生の生徒達が「ファミリー」扱いされることがあるのですが、そう考えるとピーターが末の弟になるなあ、とか思ったり。(ただし私よりも先に先生に習ってるので実は兄弟子だったりするんです)
彼は私と4歳違いで、共通の友達ってこないだまで少なかったのですがこのコンサートを通じてピーターも私と同期のピアニスト達と仲良くなっていて、それがなんだかものすごく嬉しかったです。

パーティー会場だった家には猫が2匹居たのですが人が多くてちと迷惑そうでしたね。若い衆から(特にピーター)猫と友達になろうとしてかまう人も出てくるし(笑)
ピーターが猫をかまうのは見てて大変ほほえましかったです(笑)
(そして結局かまわない人の方に猫が行く、というのはお約束)

今回同門の友達に会って「コンサートやろうと思ってる」と言ったらみんな「絶対行くよ」と言ってくれて、その応援が本当に心強かったです。
先生の誕生日にこうやってみんなが集まったのもそうですが、こうやって私を応援してくれる友達の存在を感じて思うのはピアニストはステージとか練習では一人だけれど、決して独りではないんだな、ということ。
素晴らしい先生と、素晴らしい仲間と一緒に音楽の世界(端っこですが)に居ることができて、本当に嬉しいし光栄です。

結局さんざん友達としゃべって酔っ払って帰ったのですが、なんだか大きな、ではないながらも奇跡のような一日でしたね。良い意味でとっても非日常な感じ。
こんな日はそんなに頻繁にないと思うので思い出を大事にしていきたいです。

(なんだか書き忘れたことがいろいろあるようなのですが思い出したらまた後日に・・・)


今日の一曲: フランツ・シューベルト ピアノソナタ D960 第1楽章



今回のコンサートで先生がソロで弾いた曲です。
シューベルトの最後のピアノソナタにしておそらく一番ピアニストに愛されているピアノソナタ。
私も前々からシューベルトのピアノソナタが弾きたいな、と思ってるのですがやっぱりこれが好きすぎて、偉大すぎて他のを弾く気になかなかなれないのが正直なところ。かといっていきなりこの曲を弾くのも以前のエントリーで書いた「いきなり晩年の音楽を弾く」問題とか、「シューベルトの晩年の不思議な枯れてる感じ」のあれとか、今弾くのはどうも自分が未熟なような気がするんです。どうしてもとっておきたい。

この第1楽章の穏やかなメロディーと自由に移り変わるハーモニーはまるで広い空をのんびり見上げているようで。
実際最初の方で音楽が一旦止まったときに左手に聞こえるのは遠雷だそうですね。
なにか悟ったような平安さ、すがすがしさは聴いていてものすごく幸せになります。派手な幸せでなく、果てしなく穏やかな幸せ。
先生が弾くとものすごい柔らかいタッチで、メロディーが本当にのびのびとして。(よくレッスンでもっとメロディーを際立たせなさいと言われるのですが今回の演奏で聴かされましたね!)こういう風な心と感性を持つよう歳を重ねたいなあ、と思うのです。

コンサートの最初に弾かれた同じシューベルトの「人生の嵐」も旅路的なところがあるのですが、この曲も歩んでいくようなところがあって。ただあちらは波瀾万丈の旅、こちらはゆっくり自分の足で杖をついて気ままに進む旅。
「冬の旅」もありますし「さすらい人」という曲も書いてますし、シューベルトの音楽って心をここではないどこかに連れてってくれるようなところがあるんですね。

先生のシューベルトのCDは残念ながらないみたいなのですが、世界のピアニストの中でもシューベルトといえばやっぱりブレンデル。後期の他のピアノソナタも(やっぱりこれには敵わないとはいっても)素晴らしい作品なので一緒にどうぞ。

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