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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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気分転換など
前回のエントリーに拍手どうもです!

先生のバースデーコンサート、いよいよ明日です!
色んな音楽(主にシューベルト)を聴いて、色んな人と会って先生の誕生日を祝うのが楽しみ。
なのでコンサートだけでなくあとで飲み会みたいのもあるかな、とちょっと期待。きっと寒くて雨降りなんであったかいところでどこか・・・(笑)

そんななか今日もちょろっとロケハン。
教会なんかは今はほとんどどこでもホームページを持ってて写真が見れたりメールで連絡がとれたりできるのですが、どうもそのホームページが例えば「church melbourne」とかいうキーワードで検索してもgoogle mapに連動してでてきたりとかしなかったり、普通のgoogle検索でもイエローページみたいなディレクトリのページが先に出てきたり、どうも不便。
なのでMelwayの索引の「places of worship」のセクションを一つずつ見て該当する地域の教会を一つ一つ検索して。
で、ホームページまでたどり着いてもコンサートを開いてるかどうか、規模はどれくらいか、ピアノなどの設備があるかどうかというのがぱっと見つけられなかったりするので(教会の中の写真を調べてピアノが見つかることも)また大変。
でもいいですね、最近は写真が一杯載ってるホームページもあって、建物の中やステンドグラス、パイプオルガンなどの写真も見られて。古い教会も新しい教会もほんとに惚れ惚れするような建物がたくさんあります。素敵だな~

それから今日はちょっとこれから数週間どんな曲を気分転換に弾くかさらってみたり。
今基礎みたいなものをカバーするような目的でモンポウの「歌と踊り」第5,6番をちょっと弾いてるのと、あとニシコウライウグイスもキープして。(反面嬰ニ短調のバッハと最近あんまり弾かなくなってたプロコフィエフはまたの機会に、とさよならに)
やっぱりカバレフスキーは(特にこの期間では)外せない。去年弾かなかったものをいくつか。
あと数ヶ月前に見つけたシマノフスキの初期の練習曲(Op.4-3)もやってみようかな、と。
それから前から何回も弾いているラフマニノフの練習曲「音の絵」op.39-4。

できればあとは(この期間では習得できない曲の)初見をちょこちょこ混ぜたり、あとフォーレを一曲試してみたいですね。前回の今日の一曲を選んだ前後からちょっと気になってて、というかやっぱりやらなくちゃと思って。
フォーレなんですがね、やっぱりどうしても晩期のを選びたくなってしまう。どんな作曲家でも晩年の作品が好きで、時代的にも、そして自分の弾く他のフランス音楽との相性を考えても晩年の作品を弾いた方がいいのかなあ、とは思うのですが・・・
でも音楽って人間そのものと同じで良いこと悪いこと・続けたもの捨てたもの全部ひっくるめて若いときから積み重ねてきた経験とか色々があってこそ晩年のそれがあると思うんですよ。
それもあって、そして自分がまだ若いのもあってなんかこう気持ち的に最初の作品をすっとばしていきなり晩年の作品を弾いちゃう、というのはどうもためらわれるのです。

それを考慮していろいろフォーレを聴いてみても「これだ!」とぱっと捕まれるものはないんですよね。それはシューベルトも一緒で(ピアノソナタの初期~中期の楽譜を借りてきているのですが・・・)。
弾くレパートリーを広げるってなかなか大変。その多くが自分の音楽的な偏食によるものなのですが・・・

いろいろ広げたい方向はありますが、是非ともフランスの方でもちょっと広げられれば、と思ってはいるんです。フォーレ方向なり、プーランク方向なり、はたまたブーレーズ方向なり。
というのも今企画してるコンサートが上手くいったら、次はフランス音楽を中心のプログラムを!と思っているので(鬼が大笑いしそうですが・・・何事も今回のを乗り越えてからですね!)。
ドビュッシー、ラヴェル、メシアンだけじゃちょっと・・・と思うので。今日前弾いた曲とかをさらってたらどうやら水関連の曲が多くなりそう。

弾きたいものがたくさんある!という焦燥感に常に追われているような気がするのですが、今日その一部が理解できたような気がします。
要するに過去に弾いた曲がすっかり弾けなくなっているかもしれない、という自分への不信感だったようで。
実際今日ドビュッシーなりラヴェルなり色々弾いてみて「意外とちゃんと弾けるな!」とものすごく驚いて同時に安心したのですよね。もっと自分が習得した曲をmaintainできる能力を信じてやれよ!と自分で思いますもん。
そりゃあ前弾いたときにちゃんと弾けてなかったとこは今も弾けませんし、細かいところは指が上手く回らなかったりするとこもありますが、大まかな流れ、和音進行、手や指の動きやタッチなどは案外覚えてますし、そんな何ヶ月もかけて再習得しなくちゃいけないものでは全然ないんだ、と。
そこをちゃんと踏まえて自分は今なにを弾くべきか、ちゃんと考えていかないとと思います。

とにかくこの数週間リフレッシュして、ここ数ヶ月弾いてきた曲で得るものとは違うものを得て、場所決めて、集中して演奏の準備をしなくちゃですね。(暗譜のことあんまり考えてないんですが大丈夫かな・・・)
企画のほうはまあ腰が重かったりするところもあるのですが弾くサイドに関してはいつも楽しんでいられるようちょこちょこ配慮したりなんだりして。

とりあえず明日は祝うぞー!(笑)
先生と友達と楽しい時間が過ごせますように。


今日の一曲: face to ace 「SMILE」



借りた・買ったコレクションラストです。(思いの外かかったなあ)
この曲は日本で注文したミニアルバム「風と貝がら」からの一曲。このCDは夏に関わる、夏を連想させる曲が6曲入ったアルバムです。
「SMILE」は毎週楽しみに聴いているface to aceのお二人がパーソナリティーのFM軽井沢の番組「碓氷峠音楽堂本舗」のエンディングで流れるので一部ながら毎週1回は(再聴するのでたいてい週2回)聴いています。
(ちなみに番組が始まったときの最新アルバムがこれだったからなのかな、オープニング曲「風と貝がら」、第2部の前の挿入曲「CARNAVAL」もこのアルバムからなのです)
暖かいながらも切ないところがあるのがエンディングにぴったり(笑)

その暖かさっていうのがギターの音色だったり、ロ長調というキーだったり、アレンジだったり、あとACEさんの歌声だったり、歌詞だったり、本当に隅々まで暖かいのですね。
歌詞といえば私は耳だけで歌詞を拾うのがものすごく苦手なのですが、「鬼灯色の風」というのが最初耳に入ってきたときはもうなんとも言えない気持ちになりました!色!色彩!もう!

この曲はACEさん作曲ですが、私にとって歌声とメロディーを楽しむイメージがある曲はジャケットで確認してみるとACEさんの曲が多かったりするのですね(歌い手ですから自然なことなんでしょうけどね)。
これと、あと「Peaks」の方の「月華抄」がその方向では今のところ最高峰だと思います。

そんなこんなでここ数ヶ月毎週複数回聴いているにも関わらず毎回毎回タイトルの通り笑顔になってしまう優しい曲です。(ほんとこういう音楽がピンポイントで欲しくなる、必要なときってありますからねー)

今回私が購入した「Peaks」も「風と貝がら」も、face to aceのmyspaceで何曲か一部を試聴することができるんです。
普段この「今日の一曲」では試聴できる録音を優先的に選んでるのに今回(そしてpeaksの時も)myspaceに試聴がない曲を選んでしまいました(汗)
ということで改めて先ほどのリンク先の曲リストの下にある「See all featured」で7曲試聴できますよ、とここに記しておきます。そしてものすごくおすすめしておきます。
また他の曲も後日紹介していきますね。

拍手[2回]

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「Beethoven and Dvorak」コンサート感想+α
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日は昨日のメル響のコンサートの感想です。
元々新年に予約してなかったコンサートなんですが、マレーシアのオケで首席ホルン奏者やってる大学時代の友達がメル響と弾きに帰って来る(全曲第1奏者でした)、ということで前日にチケットを予約しました。
そして同じ目的で他にも仲良かった友達もそろっていざコンサートに。
プログラムはこんな感じ。

メルボルン交響楽団「Beethoven and Dvorak」
メルボルン・タウンホール
指揮者: Andrew Grams
ブラームス 悲劇的序曲
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:Andreas Haefliger)
(休憩)
ドヴォルザーク 交響曲第7番

今回のコンサートは比較的小編成で、打楽器はティンパニのみ。しかも配置が変わってたのです。弦楽器は向かって左から第1バイオリン、チェロ、ビオラ、第2バイオリン、でコントラバスが第1バイオリンの後ろ(普段とは反対側)、という・・・(そういえばトロンボーンの楽譜立てはいつもあんなに遠かっただろうか。なんかちょっと目が悪いと楽譜が読めなさそうな、ページめくるのにもちょっと苦労しそうな距離でした)
あと座ってるところがバルコニーの最後列で右後ろコーナーだったので全体的に音がこじんまりした、まとまった印象でした。やっぱり差がでますね。
それから全体的にプログラムのつながりが良かったと思います。ブラームスは友達にはちょっと不評だったのですが、ドヴォルザークと似たような性格で、その2つがベートーヴェンと良い感じで対照的になっていて。

ブラームスはやっぱりティンパニがかっこよかった(ドヴォルザークでもそうでしたけど)!
弦もまとまってましたし木管も良かったですし。あと意外とこの曲チューバが入ってるんですよね。さりげない使い方がまた面白いですが(ちなみに今回この曲だけでした、テューバの出演)。

ベートーヴェン、2番はあんまり知らなかったのですが面白い曲ですね。どの楽章でも色彩の変化がユニークで、たまに奇抜で。
第3楽章がとっても魅力的でした。素朴さと田舎っぽさがあるロンド。「皇帝」協奏曲にも似てるんですがあっちはもちょっと洗練されてて華やかな感じ。
ソリストの演奏は第2楽章とかものすごく繊細なところが光っていた中、速いパッセージで粒がそろってなかったり「あれ?」と思うところも。ちょっとだけせっかちな拍の捕まえ方なんかも含めて「人の振り見て我が振り直せ」みたいなものを感じたところもありました。

ドヴォルザークはものすごく好きな曲で楽しみにしていましたが、新鮮な演奏でした。
例えばメロディーの下で刻むリズミカルなパッセージを強調したり、幾重にも流れる線を大事にしたり、指揮者の采配が見事だったと思います。(近くでもっとダイナミックに味わいたかった!)
第4楽章がなかなか果敢(果敢なキャラクターを曲に与える&チャレンジャーだなあ的な印象)なテンポで、結果良かったです。弾く方は(あの上昇アルペジオとか)きっと大変だろうけどぴったりまとまってましたし、リズムも強調されて。ただ最後の最後はもうちょっとねちっこい方が私は好き(父はああいうのが好きそうですが)。
流れといえば私のお気に入りの第3楽章はそれがものすごく綺麗でしたね。主旋律以外も生き生きしてて、リズムもしっかりな中エレガントで。
そして今回私の友達率いるホルンセクションかっこよかったですね!前述リズムを刻むようなパッセージの力強さと正確さだったり、和音を奏でるときの満ち足りた音色だったり。

で、そのホルン友達は大学にいたときも一緒に弾いたりなんだりしてよく音を知ってたのですがこういうオケの中でも彼の音はすぐわかります。第1奏者だからソロの時はもちろん、フルオケの時も(良くも悪くも)目立つ、あの音を開放したときに音の外側が爆発する感じ。
でも繊細なソロのところとか、ものすごく成長したな、と思いました。音が美しくなってる(前そうじゃなかったわけじゃないんですが)。

そして人格に関しては全く大学時代から変わらずですよ(笑)あとでみんなで集まって飲みにいったのですがあの頃と変わらない盛り上がり。
音楽のことだったり、社会のことなどだったり、それからなんといってもくだらないことやもう下品としか言いようがないことで盛り上がってたんと馬鹿笑いできることの幸せさを改めて噛みしめました。
ちなみにマレーシアのオケは「ノリはユースオケのままみたいなところがある」そうで。向こうは物価も安いしそこそこ暮らしやすいようです。

オーストラリアのガイドブックにたまに載ってる「シャウト」というのを久しぶりにやりましたですよ。複数人数で飲んでいて、一人がいっぺんに頼んで全員分おごる→次の人が全員分おごる→etc. というシステムなのですが、3杯飲んでおごる順番が回ってこなかった(汗)(3杯目申し出たんですがいつのまにか次払う人が決まってたという・・・)
それで飲んだ後はStalactitesにケバブを買いに行って(マレーシアには「ほんとの」ケバブはないそうです)。金曜の夜でフットボール終わりはシティも遅くまで賑わってますね。

笑いながら飲むと酔いが回りますね。そういうところも含めてものすごく楽しい夜でした。
とにかく下ネタで笑って過ごした大学の最初の2年間とみんななんら変わることなく。
あまりにも楽しくて月曜日、メル響がこのコンサートの最後の公演をやった後にまた遊ぶ約束しました(笑)おかわりです。楽しみ。

今回平日なら終電になる電車で帰ってきてそのまま2時間もしないうちにパソコンに向かったまま寝落ちてしまったのですが二日酔いはなく、我ながらすごい肝臓です(沈黙してるだけじゃないといいけど・・・)。
が、やっぱり次の日は普通の生活を送っても胃のリズムがいつもどおりじゃなかったり、やっぱり無理はなるべくしないほうがいいなと実感。胃は大切にしましょう。もう2週間ほどで逆流食道炎の薬も一旦止めですし。
月曜日は気をつけます・・・きっと。


今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番 第3楽章



昨日初めて聞いたので短めに。
ベートーヴェンは交響曲とか協奏曲におおまかにこういうキャラクターをした8分の6拍子の楽章をロンド、またはスケルツォとして使うことがちょくちょくあって。
交響曲第7番の第3楽章もそうですし、あとは交響曲第6番「田園」にもあるかな、それから前述ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の最終楽章もあてはまります。

そのなかでも「田舎っぽさ」を一番直に感じるのがこの曲だと思います。
なんでしょうね、皇帝の最終楽章はもっとアルペジオとかのパッセージが多くて華やかなんだけど、この曲の場合どっちかというと踊るような、ステップを踏むようなリズムの強さが素朴さとしてでるのかな。
ベートーヴェンの師でもあったハイドンも(田舎出身だったそうで)こういう英語で言うとrobustな、ちょっとラフなところがあるパワフルさを表現することがあって、それがなんか気持ち良かったり。

今回の演奏のスタイルもあるのかな、「飲めや歌えや」というか「飲めや踊れや」みたいなところがあって好きです(そう考えるとピアノはもちょっとラフなスタンスでもよかったかな)。ピアノパートも結構即興的なキャラクターのソロパッセージとかがあって、とにかく「奔放さ」を感じる曲です。
奔放で、舞踏的で、男性的。

以前からネタにしています24keysvirusでいうとこの協奏曲、そしてこの楽章の調である変ロ長調は「天空」、青空を連想させる調(それが昨日の場合灰色の空的な他の2曲と良いコントラストになってたのです)。
青空の下で農民達が集まってビールにヴルスト(ソーセージ)、まるでOktoberfestみたいな情景を連想します。
その笑いは昨日友達とお酒を囲んで笑い合った感じの笑いにも通じるところがあるかも(男の子中心の集まりでしたし)。
そんな気取らない、楽しい集まりに乾杯!


拍手[0回]

国立アカデミー母の日コンサート 感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

今日は雨が降ったりやんだりメルボルンらしく不安定な寒い気候のなか行って来ましたコンサートに!
ピーター作曲のトランペット協奏曲の初演、ということで楽しみにして昨日一応メッセージしたのですがまさかの「完売みたい」との返事が!(母の日に連れ合って行ってみるケースが多かったり、あと無料のコンサートなのもあったのかな)
最悪なんとかしてみる、と心配をかけちゃったものの実際に行ってみると「一応完売だけど余るだろうから」とあっさり入れてもらえました(笑)
でも確かに入ってるとほぼ満席でした(でも途中で出る率も多かったですね、比較的カジュアルなセッティングのコンサートによくあることですが・・・)
プログラムはこんな感じでした:

ドビュッシー チェロソナタ
De Jager トランペット協奏曲「Private Landscapes」
(休憩)
Hindson ピアノ三重奏
ブラームス ホルン三重奏

セッティングがカジュアルな割には長さも中身もがっつり。
ちなみに作曲家のラインアップは前回行ったアカデミーのコンサートと同じなんですよね(意図してのことかな)。

ドビュッシーはドビュッシーの曲としてもチェロの曲としてもちょっと異色な作品で、あんまりじっくり聴く機会がなかったので生で聴けてよかったです。特に難しそうな最終楽章の演奏が特に良かったと思います。あと第2楽章の大部分を占めるピチカートがかっこよかった!

ピーターのトランペット協奏曲は30分とちょっと長かったのですが(今回のコンサート聴きに来てた私のピアノのの先生も言ってました・・・ただし先生はいろんな曲を長いといいます)、面白い音楽いっぱい詰まってました。
協奏曲、というフォーマットではありましたが楽器編成はトランペット、ピアノ2人(ピーター含む)、クラリネット/バスクラ、チェロ2人、コントラバスと打楽器という編成(結構低音偏りなのが面白い)で、指揮者がいない、という。
楽器同士の絡みが面白いですね。あと曲調もとっても流動的というか自由というか、それでいて構成はしっかりしてたり。不思議なハーモニーや色彩も使うし、楽器使いもなかなかすごい。ソロ楽器であるトランペットはもちろん、鉄琴やコントラバスのソロもものすごくかっこよかった!
最後の「朝」の部分ではまた比較的抽象的ではないスタイルも見れて。(あと「長調の方が好き」というのが納得)
すぐさま親しみを感じるところから出会ったことのないような不思議なものまで全部新鮮でものすごく好きで、聴いてて楽しかったです。

Hindsonのピアノ三重奏(伝統的なピアノ・バイオリン・チェロの編成)もとっても面白い曲でした。前々からその存在は聞いていたものの聴くのは初めまして。
最初の楽章が「Moto Perpetuo」(無窮動)ってのが彼らしいと思いました。前回聴いたLight Musicの最初の楽章と似たところのあるメカニックな面が。
でも演奏・曲共に好きだったのはスローな第2楽章「Repetitions」。パッサカリア的な形式のなかになんというかリズム、テンポのとりかたの自由さみたいなところが。ものすごく余裕があるよう書いてる・弾いてるので。
第3楽章「Epic Diva」はもう一度別のときに聴いてみたい。なんかちょっと納得できなかったのはどの要因からかわからないので。作曲者の説明によると「21世紀のオーストラリアに生きていることの賛歌」(仮訳)で、ポピュラー文化を交えたパロディー的な側面もあるのですが。

そして最後にブラームスのホルン三重奏(ピアノ、バイオリン、ホルン)。ブラームスが母を亡くしたすぐ後に書いた曲で彼の母親への気持ちがものすごく明らかになっている曲なのでちょっと母の日つながり。
私も大学時代に全楽章学ぶ(弾く)機会があった作品で、たくさんの良い思い出がある曲です。
今回の演奏はちょっと好きじゃないところもありましたが、ものすごく良いところもあって。第1楽章はそんなに前のめりじゃないほうがいいかな・・・と思いましたが第3楽章めっちゃパンチがありました。特にバイオリンとホルンの力強い音があの悲壮な楽章をしっかり盛り上げて。
あと私が弾いたときはやらなかったテンポの動かし(ちょこちょこゆっくりにするところがあった)とか、「ああそういう解釈もあるのか」と勉強になりました。

今日はピーターがコンサートの後にリハーサルがあるというので早めに退散してきましたが、次はもう今月末、先生のバースデーコンサートでまた彼の曲を聴くことができるというので会えるのも聴けるのも楽しみ。もうちょっとゆっくりできるといいな、先生ともピーターとも(先生ともちょっとしゃべっただけだった)。
さらに6月の末には国立アカデミーのビオラ祭りみたいなもの(笑)があって、そこでもまたビオラアンサンブルのための作品を発表することになってるらしいので行けたら聴きにいきたいです。


今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ホルン三重奏 第2楽章



買ったもの借りたものetc.コレクション(ノルマ)を一旦中断して今日のコンサートから一曲。
ホルン三重奏はものすごく好きで楽しい曲だけど、同時にちょこちょこした難しさがある曲で。
特にこの第2楽章はピアニストにとって一番難しい楽章なんじゃないかな。特に小さい手には・・・できないわけじゃないんですが、終始余裕を持てないんですよね。軽やかな楽章ではありますがピアニストは大分ばったばたしてますよー(笑)

ブラームスの音楽って重厚なイメージがあるのですがこの第2楽章はスケルツォということを考慮してもものすごく軽快で明るくて、色がくるくる変わる気ままさもあって。
でもこの軽快なのの間をピアノはオクターブでずっと弾いてたりとか変なスパンのアルペジオ弾いてたりいきなり#5つになったりとか地味ーに難しいのだが(ぶつぶつ)

飛んで跳ねて翔ける(バイオリン・ホルンのみ)スケルツォセクションとは対照的な中間部(トリオセクション)。
ちょっとシューベルトを思い出させるような影があって伸びる、歌い上げるメロディー。(ただしピアノパートはここも地味に難しい・・・なぜだ)

ピアノ、バイオリンとホルンってこの前にも後にもあんまり作品がでてない珍しい楽器編成ですが(リゲティは書いてます)、この作品を聴くとなんかしっくり来るのですよね。どれもなかなか器用なことができる楽器ですし(ホルンがんばれ!)、あとは「いかにホルンがあらゆる楽器と溶け合う音を持ってるか」という話になってしまうんですが(笑)

リンクした録音はアシュケナージ、パールマン、タックウェルの演奏。
ホルンのバリー・タックウェルはオーストラリアの方で。ホルン友達の知り合いであるのですが私もお話させていただいたり通訳のようなものをやったりあとこの曲をチュートリアルしてもらったこともあります。
演奏ももちろん最高峰です、ぜひご試聴あれ~♪

拍手[1回]

年齢と作曲に関してつらつら
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日は無事永住ビザのためのメディカルチェックを済ませてきました。結構早めに終わりましたし分かってる部分はみんなOKなので問題ないはず。
なんかX線撮影の機械が冷たくない!と思ったのですがさすがに前回(最初にビザ申請したとき)もそうだったはずだよなあ。その前の学生ビザの時撮ってたら冷たい鉄の板みたいなやつだったかも・・・?うーん。曖昧な記憶。

前回のエントリーの「今日の一曲」でシューベルトの歌曲集「冬の旅」を紹介しましたが、あの後「それにしても30歳でああいう『枯れた』感じの音楽書くって凄いけどなんか悲しいなあ」と考えてて。
(思えば私も数年経ったら30歳ですがな)
彼の場合は、というか彼に限らずですが重い病気を患って心持ちだったり物の見方が急激に変わったりして、結果作風が影響されることはよくあることで。モーツァルトとかリストもそうですし、文学・絵画の方でもいっぱいいるはず。

作曲家の生涯を追いながら作風の変化をたどっていくのもやっぱり面白いです(この話以前にもしたと思います、済みません)。
普段仕事や移動なんかでipodを完全シャッフルで聞いていると一日の間にショスタコの初期の曲と晩期の曲どっちも回ってきたり、なんてことはよくありますが。
ショスタコは面白いですね。今日も久しぶりに交響曲第1番のスローな第3楽章を聞いて、結構matureでものすごく完成しているなあ、と思うと同時に後の作品のスロー楽章と比べるとやっぱりちょっと足りない、とは言わないでも違うところがあるなあ、と思ったり。
同じショスタコで比べるならこの交響曲第1番第3楽章と、それから第5番の第3楽章とか第11番の第3楽章とかと並べて聞いてみると面白いですよ。

去年の誕生日に「自分が好きな作曲家は自分と同い年のときにどんなものを書いていたか」ということをここで書きたくてちょこちょこ調べてたのですがまだ決定打な作品がでてなかったり、ここから上がってく途中の初期の作品、みたいなものがあったり。
(前回マイケルと会ったときに「自分にできることは今の若い作曲家の背中を押してあげることだ」みたいなことを言ってたのですがそれが本当に大切ですよね。多くの作曲家はまだまだこれからなんですから)
まあこれくらい若いときは演奏家としてのほうが有名だったりアクティブだったりすることもあるのかな、今も昔も。

以前から何回も言ってることですが私はほとんどの作曲家の「晩年の作品」が好きです。
(前回それを言った時からクラムが仲間入りしましたからね・・・まだ存命の作曲家ですがもうかなりお年を召していますから今はもう晩年にしっかり入ってると思います。失礼に聞こえたらいけないので補足。)
決して年の積み重ねが作風を磨き上げる、そういった完璧を求めているというわけではないのですが、独特の漂う空気というか渋みというか味というかが好きでたまらないのですよ。

初期のような初々しさとフレッシュさのある作品を晩年に書くことが至難の業、というのと同じくらい晩期の独特の渋みを若いうちに出すのも難しく。だからこそシューベルトの「冬の旅」は自分の中で妙にひっかかるところがある、異色の作品なのかな、と思います。
(そういえば同じ路線で、face to aceの「Scuderia vintage」を聞いて「こういう曲・詩は若い人にはなかなか書けないよなー」と思ってもいたのでした)

音楽や絵だとなんとなく自分にとってはそういう変化がわかりやすいのですが文だとどうなんでしょ。ちょっと文学作品でそういう読み方をしたことがないんで実感がないのですが・・・
作曲をあんまり表現形態として視野に入れてない自分なのですが、創作文には年齢による変化は現れるのかな。どう現れるのかな。(作曲をしたところで自分の作品をそういう風に客観的に見れる自信はないですが文でもそこは同じかな・・・)

そういえば今週末の日曜日にまたアカデミーでピーターの作曲した作品(トランペット協奏曲だったはず)を聴きに行くのですが彼もまたこれからどんどん昇っていく作曲家の一人であり。
いつまで、どこまで彼と友達でいて作曲した曲を間近で聞ける機会があるかわからないけれど年を重ねて成長していく彼の音楽を追っていければなあ、と願っています。
自分や自分の身近な人(同年代)となると40歳、50歳とかそれ以上になったときのことなんか想像もつかないですけどね!でも楽しみな気持ちが心のどこかにあります。

さて、仕事も再始動したことですし秋冬に負けずがんばっていかないとですね。

あ、こちらにも記録したいことがもう一つ。
某ラジオ番組(某本舗)でお便り読んでいただきました!(送ってたんです)
やっと冷静になって聞き返すことができて改めて噛みしめております、色々(笑)たいしたことは書けてないんですが何よりも笑っていただけて嬉しい。
またネタを探しにいかないと(物理的に「行く」とは限りませんが・・・)。


今日の一曲: 聖飢魔II 「アダムの林檎」



妹購入のCD2枚からまず1曲。一応これも前回の今日の一曲とか今日の本文とかとつながってるチョイスですよ。
妹が今回購入したのは「地獄より愛をこめて」という大教典(アルバム)ですが、今私の手元にあるだけで4つの大教典に収録されてますしさらに英語版もありますし、ミサ(ライブ)のパフォーマンス(後述)もありDVDでもよく入っている初期からの定番曲、聖飢魔IIを代表する曲の一つになるんじゃないかと思います。(あとデーモン閣下作詞の歌詞が悪魔らしいから、ってのもあるのかな)

この「地獄より愛をこめて」、ジェイル大橋代官(大橋隆志さん)の曲が多くを占めています。改めて計算してみると発布が1986年だから大橋さん21歳!少なくともこのアダムの林檎とかFire After Fire(この大教典には入ってませんが)は10代のときに書かれていると聞いているのですがホント凄いを通り越してます・・・(ここですよ、前述つながってるの)
この大教典の代官の曲だと「Aphrodite」とか「魔界舞曲」とか「秘密の花園」も大好き。

CDをリンクしたもののやっぱりこの曲は映像で見るのが一番だと思います。演奏のパフォーマンスのダイナミックさとか、ギターの音色をがっつり味わうためというのもあるけれど、なんか動きと「赤い色」が見たくなるんですよね。コードとか音色とか、感覚を一致させたい欲求。
Fire After Fireとは違う形で現れる「炎」がやっぱりありますね(シャッフルでシューマンの「ウィーンの謝肉祭」の「間奏曲」の次に聴いたことがあるのですがどっちも不思議と似た「炎」を感じるんですよ)。この炎はジェイル代官のギターのスタイルからくるものなのかな。

あとはこの曲のフリから演奏までのパフォーマンスがね、恒例といいますか。
閣下が林檎(必ずしも後述の品種ではない(笑))を手にして「青森県南部地方及び岩手県で呼ばれる紅玉の別名」のくだりだったり、演奏中に閣下が歌いながらステージを回って各構成員に林檎をかじらせてまわったり(たまにかじりすぎてコーラスが歌えなくなったり後ろでずっともぐもぐしてたり)。生で見られなかったことが残念ですがDVDでアップで見るのも楽しいです。
なので本当はDVDで見るのがおすすめです(笑)でもジェイル代官の曲(をいろいろ楽しめるのはやっぱりこのCDですね♪(妹もおすすめしてるはず)
ちなみに全曲試聴可だそうです~

拍手[1回]

キーワードto音楽:自分が「難しい」と思う曲
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日はちょっとピアノを練習しながら「こんなキーワードto音楽やったら面白いかな(自分が)」と思っていたのを一つ。

ピアノでいろいろ「難しい」曲ってありますが(自分が弾いてるのを含めて!)単純に「難しい」という言葉で片付けられないなあ、と練習しながら思ったのです。
例えば自分が弾いてる曲、弾きたい曲について大学でピアニスト仲間や先生と話すときどういう言葉でどういう説明をするか、とかちょっと思い返したりなんだりして。
それを元に自分にとって「難しい」曲(弾いたもの、弾いたことないものごっちゃで)を種類?別にまとめてみました。

Hard: 単純に一般的に「難しい」というとこの言葉になりますね。どちらかというとメンタル面よりも演奏面・実行面での難しさが当てはまるかな。私のイメージだと高校生のとき弾いていたシューマンの「謝肉祭」で最後まで弾けなかった「パガニーニ」とか「再会」とか最終楽章とか・・・とにかくどこが、というあれでもなく単に難しかった(手の小ささもありますが)。

Difficult: 「難しい」という言葉を英語で表すときにHardとともによく使われる言葉ですね。実行面だけでなく音楽の複雑さも含めるような意味合いがあるような。私がDifficultと形容する曲はスクリャービンの練習曲op.42-5が筆頭かな。技巧の込み入った感じ、それを弾くだけでなく必要な箇所を際立たせる難しさはこの言葉に合うような感じがします。

Complex: 直訳すると「複雑な」となりますね。つまり曲の複雑さ、そしてそれを頭で理解してひもとく難しさを指す言葉ですね。現代音楽でよくこの言葉を感じる曲に出会いますね、例えばリゲティの練習曲とか。でも必ずしも音が多い曲じゃないですね。フーガはこのカテゴリに入りやすい気も。

Tricky: がっつり難しいわけでもなく、ものすごく複雑なわけでもなく、でも弾くには容易でないなにかがある、そんな曲を表すときに使います(日常でもよく使いますね)。今弾いてるプロコフィエフ(ピアノソナタ第2番第4楽章)を始めプロコフィエフの曲によくある難しさで、指が楽に回らない感じがそこここにあるんですよね。あとメシアンの「鳥のカタログ」も私にはこういう難しさを感じます。

Tough: これも「難しい」という意味の言葉です。ステーキが固いのを「Tough」というように、立ち向かってみたものの一筋縄じゃいかないぞ、壁にぶちあたったぞ、という感じの難しさ。なんとかちょっとずつかみ砕いて腰を据えて取り組まなければならないみたいな。私にとってのToughはメシアンの20のまなざしから第10楽章「喜びの聖霊のまなざし」ですね。大学の最終年に挑戦してから今もまだかみ砕けてない。

Finger-twisting: 実際にこういうフレーズがあるかどうかは分かりませんが、ピアニスト仲間内で使ったら確実に意味は正確に伝わります。まるで指が絡まる、ねじれるような技巧を伴う曲といえばショパンの練習曲op.25-6、リストの超絶技巧練習曲第5番「鬼火」などがありますね(どれも弾いたことないです)。ものすごく細かい速い、普段絶対しないような5本の指の動きがとてつもなく難しい。

Incomprehensive: この言葉は「理解不能」、つまり完全にメンタル面に絞った難しさです。現代音楽、その中でも前衛的な音楽を形容することが多い言葉ですね。私にとってのincomprehensiveはなんといってもシュトックハウゼンのKlaviermusik IX。以前のメシアン・コンクールの課題曲の一つとしてあったのですが未だに分からない、理解できない!(でもincomprehensiveは必ずしも「不可能」ではないですからいつか!)

Challenging: 難しいけれど乗り越えられる、挑んでやろうじゃないかという感じのニュアンスがあるような言葉。他の「難しい」よりももっと前向きかな・・・?私が思うChallengingな曲といえばラヴェルの「鏡」の「道化師の朝の歌」かなあ。本当に難しい曲だけれど「できない」とは思わず楽しく挑戦できたので。

Nerve-wracking: 一般的には「非常に神経に障る、いらいらさせる」という意味なのですが、演奏においてものすごく怖い、というか難しい、というかそういう意味で使うことがある言葉です。練習で弾けるようになっても舞台で弾くのはまた別物、別の難しさがあります。私は弾いていないのですがピアニスト仲間のなかでこのカテゴリとして有名なのがショパンの練習曲op.10-1です。弾くときはたいてい最初に弾くこの曲は本番においていきなりの難関になることがしばしば。

Impossible: 難しいというか「弾けない!」というカテゴリですね。今現在は不可能、今後ずっと不可能、2パターンありますね。手の小ささだったり技巧の未熟さだったりで無理!と割り切るのもたまには必要で大事なこと。ベートーヴェンの「Waldstein」ソナタ(第21番)の後ろのほうのオクターブ連続とか、はなっから普通に演奏できるように書かれてないリゲティの練習曲第14番「無限柱」とか、手の届かない存在です(笑)

他にも「暗譜の難しさ」とか「体力的な難しさ」とかいろいろあって、奏者一人一人にとって難しさのツボって違いますのでここで全部はカバーできません、さすがに(汗)
奏者としての自分の強いところ、弱いところがこれからどう変わっていくか、果たして変わるのかわからないですが少なくとも苦手意識は、そして実際の苦手も少しでも減っていけばなあ・・・と。克服できますかねえ(苦笑)


今日の一曲: フランツ・シューベルト 「冬の旅」より「烏(からす)」



これは母に買ったCDから。シューベルトは多くの歌曲(600曲以上!31歳までしか生きてないのに!)を残しましたが、これは晩年の作品です。
同じくらい有名な「美しき水車小屋の娘」(詩は同じヴィルヘルム・ミュラー作)なら大学の授業で聴いたことはあったのですが「冬の旅」はこれで改めて初めまして。

あらすじでいえば「美しき~」は出来事というか展開が悲劇的なのですが、「冬の旅」は主人公の心持ちの暗さがものすごくて、このペシミズムが味わい深いながらもなんかちょっとオーバーで笑っちゃうようなところがあり・・・とりあえずwikipediaで見てみてくださいな(笑)音楽にするとものすごく良いんですけどね。私は「冬の旅」の方が好き。なんたって景色が多様ですから(旅なので)。
それにしても31歳で亡くなっているのにこの「冬の旅」の「晩年的なテイスト」、不思議です。

この「烏」は伴奏の授業でちょっと弾いたことがありました。哀愁漂う冷ややかな曲調は冬の灰色の空そのもの。
ピアノの分散和音は頭上に円を描いて飛び交うカラスたちを表し、途中で歌のパートの方にもカラスの鳴き声をまねたような音型が現れたり。
(歌曲でよくある表現法ですね。シンプルだけれどとっても効果高いです)

景色と温度と心持ちとひっくるめてこれだけシンプルで短い曲で表現されているのを感じるとやっぱりシューベルトはいいな、歌曲の王様だなあと思うのです。

そうそう、「冬の旅」といえば「菩提樹」という歌曲が入ってることでも有名ですね。こちらもものすごく好きな曲なのでそのうち。

リンクしたのは母に買ったものと同じコンビの演奏。Fischer-Dieskauの歌声も素晴らしいですが、ブレンデルはシューベルトで有名なピアニストなのでやっぱりここはこだわりたいですね。ちょうど試聴もありますし(ちなみにこのCDでは題名は「烏」でなく「鴉」表記になってますね)。

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