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前回のエントリーに拍手ありがとうございました!
行って来ましたユースオケのコンサート、そしてクラムのコンサート。
2つもあるので(そして今日の一曲もやりたいので)なるべく簡潔にまとめますね。
まずはユースオケのコンサート。
行って来ましたユースオケのコンサート、そしてクラムのコンサート。
2つもあるので(そして今日の一曲もやりたいので)なるべく簡潔にまとめますね。
まずはユースオケのコンサート。
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
本番の演奏は最初のリハーサルからはもちろん大きく成長しましたが、最後のサウンドチェックからもさらにまだ1レベル上の良い演奏になりました。やっぱり本番でこそでる力というものはありますね。(そしてホールの音響がリハーサル場所よりも大幅に良いのも励みになってますし)
コダーイは上出来。楽しく弾けましたし素晴らしい演奏になりました。
ショスタコはちょこちょこ崩れたところもありましたし、リハーサルではなかったミスもありましたし。
サウンドチェックの時指揮者さんが「たまたまのミスは今のうちに起こしておいた方がいい、と言いましたがもっとリハーサルでミスを重ねる機会が必要だったのかな、と思います。同時にこの複雑な曲を理解して浸透させる時間と努力も必要でしたし、そうやってリハーサルを重ねてこの曲の精神(凶暴さを筆頭に)をフルに表現する余裕を持てるようにするのが必要だったかな。その「余裕」がコダーイとショスタコの今回の演奏の差だったかな。
でもショスタコでも本番に発揮された力は凄かったです。特に曲が盛り上がる箇所でうまく乗ったときに音楽が一つになってふくれあがる感じとか、時に素晴らしいものがありました。もっと安定すればさらに良いものができるポテンシャルもあったと思います。
私は、というと実は今回初めてメル響所有のチェレスタを弾かせてもらいました!今まで弾いてたポンコツ楽器たちよりもずっと素直に音がでますししっかりした音がでて、タッチも音量調節もいいですし、なんといってもペダルを(脚を組まずに)普通に踏める。
ただ今日初めてその楽器を触るのでサウンドチェックは音量の調節に費やし、そしてショスタコでの音色は本番でもうまく決まりませんでした。(はっきりした音がでやすいのでもっと暗めの音色にしたかったんですがさすがにこの短期間ではかなわず)
でもやっぱり今回のプログラムじゃ勿体なかったですねー良い楽器も(笑)それでも本当に良い経験でした。持って帰ってきたかったですねー(笑)また弾く機会があるといいな。
今回のコンサートでは周りのメンバーはみんな年下でオケ経験が少ない中、ハープやピアノの奏者にちょっとおせっかいを焼いたりしたくなったながらもうまくそういうところで気が回らなかったり。
逆にツィンバロムのソリストの方は大学時代からお世話になっているメル響の打楽器奏者さんなのですが(プロフィールによるとやっぱりシンバルが専門みたいです)、目上の音楽家の方となかなかうまくお話できなかったり。せっかくプロの方とお仕事してる貴重な機会なのになあ。
そういうところで今後の目標がちらほら(笑)
そしてコンサートが終わったあとはあんまり面識はなくても演奏がよかったと思ったメンバーに挨拶したりしてから今度は聴く方のコンサートにMelbourne Recital CentreのSalonへ。どういう形でも2連チャンはもしかしたら初めてかも?
こちらのコンサートはメル響とMelbourne Recital Centreが主催している(イベントはMRC外でも行われています)Metropolisという現代音楽フェスティバルの一環として行われているうちの一つのコンサートです。
演奏したのはCircuit Duoというピアノデュオで、2人とも知り合いのピアニストです。今回2人がクラムを弾くということで聴きに行ったのですが2人とも以前にクラムの作品を演奏してたりします。
プログラムはこんな感じ:
Lowell Liebermann 「3つの子守歌」
ジョージ・クラム マクロコスモス第4巻「天体の力学」
ジョン・アダムズ 「Hallelujah Junction」
どれも存命中の作曲家による結構新しい作品です。(最初の曲と最後の曲は2台ピアノ、クラムは連弾+ページめくりの人が弾く部分も)
クラムは特殊奏法が多かったり割と不協和音的な音もいっぱいでてくるのですが、他の2曲はとっても聞きやすい曲。Liebermannの曲は夜の魅力が本当に美しかったですし(2001年作曲の曲ですがピアノデュオのレパートリーとしてもっと広まればいいな)、アダムスは明るい、ミニマルミュージックの特徴が濃い曲調のなかに思考のRoad tripに出たような感じがまた面白い。リズムと良い構成といいキャラクターといい弾いてて楽しそう!
「天体の力学」は見ててその特殊奏法などに関する2人+1人の奏者のものすごく細かく複雑な連携とか、見てて本当にはらはらしましたね!弾いてみたいけど難しそう!クラムの音楽の中でもトップクラスじゃないかと言われてました。コンサート中の曲の紹介でもありましたけどチームワークというレベルよりも「お互いの信頼の堅さ」が試されるようです。
ちょっと疲れてはいましたが行って良かったです。楽しいコンサートでした。あとアダムズの「Hallelujah Junction」が作曲家がカリフォルニアの田舎を車で走っててふと見つけた道路標識を見て「これは曲ができていない題名だ」と思ったのが作曲の経緯だと知ってなんだか親近感わきました(笑)そういう感覚に似たものはちょこちょこあって、気持ちいいですもの(笑)あの曲はまたどこかで出会いたいですね。
明日から両親がメルボルンに来て仕事もピアノもちょっとお休み。
寒かったり雨が降ったりしそうですが遊びにいくのに支障がでないといいな。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第4楽章「警鐘」
今日までがんばってきたショスタコのフィナーレを。
この「警鐘」というのは以前から私はショスタコーヴィチのソヴィエト政府に対する警鐘(民の声を聴かず権力を振りかざして同じ轍を踏まないよう)、と解釈していましたがそれはどうやら「裏の本音」的な方で、表面的には「血の日曜日事件がこれから1917年のロシア革命に発展するぞ」という帝政に対する警鐘らしいですね。
第4楽章はオープニングからショスタコ得意のミリタリーマーチ。きびきびとしたリズムが力強いです。
そしてショスタコ得意といえば全オケを凌駕するピッコロの鋭い高音だったり、オケ全員が弾いてる間ホルン軍団が別のカウンターメロディーを吹いてたり(聞こえるかな?)、同じショスタコの第5番と似たような特徴がちらほらありますね。
そしてこれまたショスタコの音楽でよくある「異口同音に民衆が叫ぶ」ユニゾンの部分からいきなり静かになったところがこの楽章一番の聞き所。第1楽章から繰り返される静かな弦のテーマの上に長い長いコールアングレのソロが奏でられます。
一部では「最も美しい音色の楽器」と言われるコールアングレが、比較的淡々と悲しげなメロディー(交響曲の他の部分でも出てきた革命歌です)を奏でる、まるで時間が止まったような、ずっと聴いていたいような、貴重な時です。本当に美しい。弾き手もこれが吹けるのは本当に幸せだろうなあ~
そしてそれを断ち切る低音の和音から始まる最後のセクションも大好きです。バスクラのあの暗い渋いSinisterな音色からどんどん加わる楽器、そしてホルンの合唱から盛り上がって「警鐘」を表す鐘を伴い怒濤のラストまで突っ走る。激しく、そして不穏でominousなままエンディングを迎えるのがものすごく気持ちいいです。
この交響曲を通じて打楽器は大活躍ですがそれは最後の最後までそうですね。鐘の音の一番低い「ド」の快感ったらないですし(とくにtubular bellでなくすり鉢状の鐘だと余計)、最後の最後でバスドラムが入ってくるのも格好いい!
最後まで気を抜かず聴いてくださいね!
この第4楽章のコールアングレソロから最後まで、最初のティーンセクションにての入院のときに好きな曲を持ち寄るセッションで患者仲間さんたちに聴かせたことがあるんです。当時初めてこの曲が好きになったのもあるのですが(こればっかり聴いてた!)、ヘヴィメタルとかハードロックとかそういう音楽が好きな子が多かったのであえてこの最後の2つのセクションを選んだのでした。結構良い反応でしたよ。
本番の演奏は最初のリハーサルからはもちろん大きく成長しましたが、最後のサウンドチェックからもさらにまだ1レベル上の良い演奏になりました。やっぱり本番でこそでる力というものはありますね。(そしてホールの音響がリハーサル場所よりも大幅に良いのも励みになってますし)
コダーイは上出来。楽しく弾けましたし素晴らしい演奏になりました。
ショスタコはちょこちょこ崩れたところもありましたし、リハーサルではなかったミスもありましたし。
サウンドチェックの時指揮者さんが「たまたまのミスは今のうちに起こしておいた方がいい、と言いましたがもっとリハーサルでミスを重ねる機会が必要だったのかな、と思います。同時にこの複雑な曲を理解して浸透させる時間と努力も必要でしたし、そうやってリハーサルを重ねてこの曲の精神(凶暴さを筆頭に)をフルに表現する余裕を持てるようにするのが必要だったかな。その「余裕」がコダーイとショスタコの今回の演奏の差だったかな。
でもショスタコでも本番に発揮された力は凄かったです。特に曲が盛り上がる箇所でうまく乗ったときに音楽が一つになってふくれあがる感じとか、時に素晴らしいものがありました。もっと安定すればさらに良いものができるポテンシャルもあったと思います。
私は、というと実は今回初めてメル響所有のチェレスタを弾かせてもらいました!今まで弾いてたポンコツ楽器たちよりもずっと素直に音がでますししっかりした音がでて、タッチも音量調節もいいですし、なんといってもペダルを(脚を組まずに)普通に踏める。
ただ今日初めてその楽器を触るのでサウンドチェックは音量の調節に費やし、そしてショスタコでの音色は本番でもうまく決まりませんでした。(はっきりした音がでやすいのでもっと暗めの音色にしたかったんですがさすがにこの短期間ではかなわず)
でもやっぱり今回のプログラムじゃ勿体なかったですねー良い楽器も(笑)それでも本当に良い経験でした。持って帰ってきたかったですねー(笑)また弾く機会があるといいな。
今回のコンサートでは周りのメンバーはみんな年下でオケ経験が少ない中、ハープやピアノの奏者にちょっとおせっかいを焼いたりしたくなったながらもうまくそういうところで気が回らなかったり。
逆にツィンバロムのソリストの方は大学時代からお世話になっているメル響の打楽器奏者さんなのですが(プロフィールによるとやっぱりシンバルが専門みたいです)、目上の音楽家の方となかなかうまくお話できなかったり。せっかくプロの方とお仕事してる貴重な機会なのになあ。
そういうところで今後の目標がちらほら(笑)
そしてコンサートが終わったあとはあんまり面識はなくても演奏がよかったと思ったメンバーに挨拶したりしてから今度は聴く方のコンサートにMelbourne Recital CentreのSalonへ。どういう形でも2連チャンはもしかしたら初めてかも?
こちらのコンサートはメル響とMelbourne Recital Centreが主催している(イベントはMRC外でも行われています)Metropolisという現代音楽フェスティバルの一環として行われているうちの一つのコンサートです。
演奏したのはCircuit Duoというピアノデュオで、2人とも知り合いのピアニストです。今回2人がクラムを弾くということで聴きに行ったのですが2人とも以前にクラムの作品を演奏してたりします。
プログラムはこんな感じ:
Lowell Liebermann 「3つの子守歌」
ジョージ・クラム マクロコスモス第4巻「天体の力学」
ジョン・アダムズ 「Hallelujah Junction」
どれも存命中の作曲家による結構新しい作品です。(最初の曲と最後の曲は2台ピアノ、クラムは連弾+ページめくりの人が弾く部分も)
クラムは特殊奏法が多かったり割と不協和音的な音もいっぱいでてくるのですが、他の2曲はとっても聞きやすい曲。Liebermannの曲は夜の魅力が本当に美しかったですし(2001年作曲の曲ですがピアノデュオのレパートリーとしてもっと広まればいいな)、アダムスは明るい、ミニマルミュージックの特徴が濃い曲調のなかに思考のRoad tripに出たような感じがまた面白い。リズムと良い構成といいキャラクターといい弾いてて楽しそう!
「天体の力学」は見ててその特殊奏法などに関する2人+1人の奏者のものすごく細かく複雑な連携とか、見てて本当にはらはらしましたね!弾いてみたいけど難しそう!クラムの音楽の中でもトップクラスじゃないかと言われてました。コンサート中の曲の紹介でもありましたけどチームワークというレベルよりも「お互いの信頼の堅さ」が試されるようです。
ちょっと疲れてはいましたが行って良かったです。楽しいコンサートでした。あとアダムズの「Hallelujah Junction」が作曲家がカリフォルニアの田舎を車で走っててふと見つけた道路標識を見て「これは曲ができていない題名だ」と思ったのが作曲の経緯だと知ってなんだか親近感わきました(笑)そういう感覚に似たものはちょこちょこあって、気持ちいいですもの(笑)あの曲はまたどこかで出会いたいですね。
明日から両親がメルボルンに来て仕事もピアノもちょっとお休み。
寒かったり雨が降ったりしそうですが遊びにいくのに支障がでないといいな。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第4楽章「警鐘」
今日までがんばってきたショスタコのフィナーレを。
この「警鐘」というのは以前から私はショスタコーヴィチのソヴィエト政府に対する警鐘(民の声を聴かず権力を振りかざして同じ轍を踏まないよう)、と解釈していましたがそれはどうやら「裏の本音」的な方で、表面的には「血の日曜日事件がこれから1917年のロシア革命に発展するぞ」という帝政に対する警鐘らしいですね。
第4楽章はオープニングからショスタコ得意のミリタリーマーチ。きびきびとしたリズムが力強いです。
そしてショスタコ得意といえば全オケを凌駕するピッコロの鋭い高音だったり、オケ全員が弾いてる間ホルン軍団が別のカウンターメロディーを吹いてたり(聞こえるかな?)、同じショスタコの第5番と似たような特徴がちらほらありますね。
そしてこれまたショスタコの音楽でよくある「異口同音に民衆が叫ぶ」ユニゾンの部分からいきなり静かになったところがこの楽章一番の聞き所。第1楽章から繰り返される静かな弦のテーマの上に長い長いコールアングレのソロが奏でられます。
一部では「最も美しい音色の楽器」と言われるコールアングレが、比較的淡々と悲しげなメロディー(交響曲の他の部分でも出てきた革命歌です)を奏でる、まるで時間が止まったような、ずっと聴いていたいような、貴重な時です。本当に美しい。弾き手もこれが吹けるのは本当に幸せだろうなあ~
そしてそれを断ち切る低音の和音から始まる最後のセクションも大好きです。バスクラのあの暗い渋いSinisterな音色からどんどん加わる楽器、そしてホルンの合唱から盛り上がって「警鐘」を表す鐘を伴い怒濤のラストまで突っ走る。激しく、そして不穏でominousなままエンディングを迎えるのがものすごく気持ちいいです。
この交響曲を通じて打楽器は大活躍ですがそれは最後の最後までそうですね。鐘の音の一番低い「ド」の快感ったらないですし(とくにtubular bellでなくすり鉢状の鐘だと余計)、最後の最後でバスドラムが入ってくるのも格好いい!
最後まで気を抜かず聴いてくださいね!
この第4楽章のコールアングレソロから最後まで、最初のティーンセクションにての入院のときに好きな曲を持ち寄るセッションで患者仲間さんたちに聴かせたことがあるんです。当時初めてこの曲が好きになったのもあるのですが(こればっかり聴いてた!)、ヘヴィメタルとかハードロックとかそういう音楽が好きな子が多かったのであえてこの最後の2つのセクションを選んだのでした。結構良い反応でしたよ。
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前回のエントリーに拍手どうもです!
昨日の夜と今日の午後リハーサルで明日はサウンドチェック(日本ではゲネプロですね)と本番。
コンサートはこんな感じになる予定です。
昨日の夜と今日の午後リハーサルで明日はサウンドチェック(日本ではゲネプロですね)と本番。
コンサートはこんな感じになる予定です。
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
コダーイは大分安定しましたがショスタコはまだちょこちょこ心配なところが。
「できる」というのと「いつやっても、ぱっとやってもできる」というのは1レベル違いますからね。それが演奏では安定感の大事な一部だと思います。
大幅なメンバーチェンジ後の一年の最初のコンサートで、今のメンバーの経験で、指揮者は常任でなくゲストとしてで、このリハーサル期間でこの難しい大曲に挑むのは確かに困難を極めたと思います。
ここまでまとまったのもすごいけれど、きっと明日には余裕を持って弾くことはできないかな。この曲が持っているすさまじいエネルギーを最大限に引き出すことはできないかもしれない。
でも(ほぼ傍観者に近いポジションから見て)明日はなんとかなると信じてます。
でもショスタコの11番は本当に思い入れが大きいのでやきもきしたり、思い残しみたいなものもあったり。
思ってみればトゥーランガリラのリハーサルの後はあのメシアン特有の高揚を振り払うのに必死で、ダフニスとクロエのリハーサルの後は何をバランスとろうと思ったのかある意味正反対らしい聖飢魔IIの音楽を求めてて。
でも今年のショスタコのリハーサルの後はむしろ同じ曲を帰りに聴きたくなってたり、今日は聖飢魔IIの「恐怖のレストラン」を聴きたくなったりと同じ系統(精神)の音楽を求めているようなんですよね。
それはだからリハーサルに期待していて得られない、足りない感覚があるということで。それが何かは聴きたくなった音楽が雄弁に語ってると思います。
さっきも書きましたが明日はちゃんといいコンサートになると思います。
でも何よりもこのシーズンが私より若いメンバーたちにとってオケでの洗礼や糧となって、これからの成長につなげられれば、と思っています。
そしてそれぞれの楽器を続けて行く中でこの曲にまた出会ったとき今回の経験が助けとなるよう、そしてさらに上の演奏を実現できるよう願っています。
リハーサルでひたすら待ってる間に奏者側・指揮者側、こんな風にしたらどうかな、とかいろいろお節介をひたすら頭の中で考えたりなんだりしていたのですが・・・
本当にチェレスタは今回オケ全体に対してほとんど影響ないですからね。自分が弾く事によってハープのパートを助けてあげる、ということさえできない。チェロだったら後ろからでもちょっとテンポを引っ張ったりとかできるもんなんですが。
オケの心構えとか、若い人に送りたい助言とか色々あるんですが、いつか文章としてまとめられたらな、と思います。
あんま偉そうなこととか言いたくないですし説教するのもしんどいのですが。
でも様々なオケで過ごしてきたこの15年近く?で経験と知識から積み重ねてきたものって自分にとっては貴重なものですし、他人にとってもなにかあるかもしれませんし。
そのために今回のこのコンサートにまつわる諸々を私も大事にしていきたいと思います。
それでは明日、行って来ます。
それからコンサートの後にすぐ近くのMelbourne Recital Centreで6時から知り合いのピアニスト2人がクラムの「天体の力学」を弾くそうなのでそっちも行きたいと思ってます(コンサート情報は英語ですがこちら)。ほぼ確実に行く。
月曜日から両親が遊びに来るのでどっちのコンサートも明日ちょろっとでも感想書けたらいいなあ。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第2楽章「1月9日」
実はこの交響曲かなり前の紹介も合わせると全楽章カバーしてるのですがやっぱりこのコンサートの要なので。なので明日は書けたら第4楽章の予定。
リハーサルが少なかったのでコダーイもちょっとしか紹介できてないよー・・・(これから忘れないようにしないと)
以前書いた通りこの交響曲は1905年に起こった血の日曜日事件の虐殺を題材にしているのですが、第2楽章は実際の虐殺の描写です。(ちなみに題名の「1月9日」はロシア旧暦です)
苦しい生活をしている人々が徐々に集まって、行列が波になり、ツァーリの宮殿に嘆願に向かう様子、そして彼らが宮殿の前で止まり、そして銃を向けられ倒れる様子。
ビビッドでわかりやすい描写なので聴いてもらえれば説明する必要はあんまりないと思います。
ショスタコーヴィチはなによりもユニゾン、オクターブの使い方がものすごくパワフル。
もともとユニゾンやオクターブで複数の楽器の音を重ねると共鳴で音が増幅するのですが、ショスタコーヴィチはそれをさらに高みに持ってくような気がします。
例えばこの第2楽章でも色んな楽器が同じメロディーを一緒に奏でてるところがありますが、そこで音を溶け合わせるよう楽器の組み合わせなどを選ぶのではなく、違う音をどんどん重ねてまさに「異口同音」の状態にしてるような節があります。
たくさんの人の、老若男女の様々な声が同じことを求め、願い、叫んでいるその様子は本当にショスタコの作品の真髄と言えると思います。ショスタコーヴィチの心の叫び、そしてソヴィエトの民の叫び。
この第2楽章は決して短くはありませんが(割と長いです)、ショスタコの音楽の、交響曲の、そしてロシア史の大切なところがぎゅっと詰まっています。
そして言い忘れそうになりましたがとにかく打楽器が格好いい!
ほぼソリストであるティンパニはもちろん、虐殺の幕を開けるスネアドラム、そしてその後に全部の打楽器が全軍行進する様は(リハーサル場所では耳が痛いですが)本当に圧巻です。
リンクした演奏はムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィル。あるかな?と思って調べたらありましたね。どのつくほどホームグラウンドなので間違いないと思います。私も欲しいなあ、MP3アルバムとして購入してしまおうか。(本当はCDも欲しい)あとジャケットもそれらしくていいですね。
コダーイは大分安定しましたがショスタコはまだちょこちょこ心配なところが。
「できる」というのと「いつやっても、ぱっとやってもできる」というのは1レベル違いますからね。それが演奏では安定感の大事な一部だと思います。
大幅なメンバーチェンジ後の一年の最初のコンサートで、今のメンバーの経験で、指揮者は常任でなくゲストとしてで、このリハーサル期間でこの難しい大曲に挑むのは確かに困難を極めたと思います。
ここまでまとまったのもすごいけれど、きっと明日には余裕を持って弾くことはできないかな。この曲が持っているすさまじいエネルギーを最大限に引き出すことはできないかもしれない。
でも(ほぼ傍観者に近いポジションから見て)明日はなんとかなると信じてます。
でもショスタコの11番は本当に思い入れが大きいのでやきもきしたり、思い残しみたいなものもあったり。
思ってみればトゥーランガリラのリハーサルの後はあのメシアン特有の高揚を振り払うのに必死で、ダフニスとクロエのリハーサルの後は何をバランスとろうと思ったのかある意味正反対らしい聖飢魔IIの音楽を求めてて。
でも今年のショスタコのリハーサルの後はむしろ同じ曲を帰りに聴きたくなってたり、今日は聖飢魔IIの「恐怖のレストラン」を聴きたくなったりと同じ系統(精神)の音楽を求めているようなんですよね。
それはだからリハーサルに期待していて得られない、足りない感覚があるということで。それが何かは聴きたくなった音楽が雄弁に語ってると思います。
さっきも書きましたが明日はちゃんといいコンサートになると思います。
でも何よりもこのシーズンが私より若いメンバーたちにとってオケでの洗礼や糧となって、これからの成長につなげられれば、と思っています。
そしてそれぞれの楽器を続けて行く中でこの曲にまた出会ったとき今回の経験が助けとなるよう、そしてさらに上の演奏を実現できるよう願っています。
リハーサルでひたすら待ってる間に奏者側・指揮者側、こんな風にしたらどうかな、とかいろいろお節介をひたすら頭の中で考えたりなんだりしていたのですが・・・
本当にチェレスタは今回オケ全体に対してほとんど影響ないですからね。自分が弾く事によってハープのパートを助けてあげる、ということさえできない。チェロだったら後ろからでもちょっとテンポを引っ張ったりとかできるもんなんですが。
オケの心構えとか、若い人に送りたい助言とか色々あるんですが、いつか文章としてまとめられたらな、と思います。
あんま偉そうなこととか言いたくないですし説教するのもしんどいのですが。
でも様々なオケで過ごしてきたこの15年近く?で経験と知識から積み重ねてきたものって自分にとっては貴重なものですし、他人にとってもなにかあるかもしれませんし。
そのために今回のこのコンサートにまつわる諸々を私も大事にしていきたいと思います。
それでは明日、行って来ます。
それからコンサートの後にすぐ近くのMelbourne Recital Centreで6時から知り合いのピアニスト2人がクラムの「天体の力学」を弾くそうなのでそっちも行きたいと思ってます(コンサート情報は英語ですがこちら)。ほぼ確実に行く。
月曜日から両親が遊びに来るのでどっちのコンサートも明日ちょろっとでも感想書けたらいいなあ。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第2楽章「1月9日」
実はこの交響曲かなり前の紹介も合わせると全楽章カバーしてるのですがやっぱりこのコンサートの要なので。なので明日は書けたら第4楽章の予定。
リハーサルが少なかったのでコダーイもちょっとしか紹介できてないよー・・・(これから忘れないようにしないと)
以前書いた通りこの交響曲は1905年に起こった血の日曜日事件の虐殺を題材にしているのですが、第2楽章は実際の虐殺の描写です。(ちなみに題名の「1月9日」はロシア旧暦です)
苦しい生活をしている人々が徐々に集まって、行列が波になり、ツァーリの宮殿に嘆願に向かう様子、そして彼らが宮殿の前で止まり、そして銃を向けられ倒れる様子。
ビビッドでわかりやすい描写なので聴いてもらえれば説明する必要はあんまりないと思います。
ショスタコーヴィチはなによりもユニゾン、オクターブの使い方がものすごくパワフル。
もともとユニゾンやオクターブで複数の楽器の音を重ねると共鳴で音が増幅するのですが、ショスタコーヴィチはそれをさらに高みに持ってくような気がします。
例えばこの第2楽章でも色んな楽器が同じメロディーを一緒に奏でてるところがありますが、そこで音を溶け合わせるよう楽器の組み合わせなどを選ぶのではなく、違う音をどんどん重ねてまさに「異口同音」の状態にしてるような節があります。
たくさんの人の、老若男女の様々な声が同じことを求め、願い、叫んでいるその様子は本当にショスタコの作品の真髄と言えると思います。ショスタコーヴィチの心の叫び、そしてソヴィエトの民の叫び。
この第2楽章は決して短くはありませんが(割と長いです)、ショスタコの音楽の、交響曲の、そしてロシア史の大切なところがぎゅっと詰まっています。
そして言い忘れそうになりましたがとにかく打楽器が格好いい!
ほぼソリストであるティンパニはもちろん、虐殺の幕を開けるスネアドラム、そしてその後に全部の打楽器が全軍行進する様は(リハーサル場所では耳が痛いですが)本当に圧巻です。
リンクした演奏はムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィル。あるかな?と思って調べたらありましたね。どのつくほどホームグラウンドなので間違いないと思います。私も欲しいなあ、MP3アルバムとして購入してしまおうか。(本当はCDも欲しい)あとジャケットもそれらしくていいですね。
前回のエントリーに拍手ありがとです~
昨日はユースオケでショスタコのリハーサルだったのですが結局午前も午後も居なくちゃいけませんでした。
途中数時間空いたんでシティでランチしたり、公園のベンチでうとうとしたり。
あ、そうでしたね、コンサートのお知らせ。
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
ということで昨日の時点で本番までもうあと1週間、なんですがやっぱりショスタコの方はまだまだ懸念がたくさん。
いっちょまえに「若いオケメンバーたち」に言いたいこといろいろあるのですが、何よりも「ちゃんと録音を聴こうよ」、と。
シンフォニーは長いんで最低でも一番難しい第2楽章だけでも。
ショスタコに関しては実際弾く音は難しいのですが、自分のパートの音を弾けるようになるのと同じくらい全体の流れを知って自分のパートがどうその中で動いているか、というのを理解するの大切だし有用なことなんだよ、ということですね。
そこがやっぱりオケで弾く事、オケの音楽を弾く事の醍醐味だと思いますし(同時にそれがオケに特異的なスキルでもあると思います)。そうすることで自分がどこで弾くか、とか誰と音を合わせるか、とか見えてきて色々楽になりますし。
話し始めると説教がましくなっちゃうんでこれ以上は言わないでおきますが・・・
前も書いたようにユースオケのメンバーの年齢層、経験値ともにぐっと平均が下がったのももちろんあります。
今回のプログラムは特に初めてリーダーを務めるメンバーにはなかなか難しいです(ショスタコ11番でのコールアングレ奏者、ビオラのリーダー、トランペットのリーダーなど本当にがんばってます)。
そしてやっぱり奏者としての腕とオケで問われるスキルにおける「腕」はまた別で。
私が最初にユースオケで弾き始めたのが2001年、もちろんそれ以前にもサマーキャンプや学校のオケでも弾いてるのですが、ずっとそうやってオケでチェロだったりピアノ、チェレスタを弾いてきた年月の中で誰に直接教えられたでもなくオケでの演奏で学び、積み重ねた知識やスキルがいろいろあるんだな、と改めて思いました。
本当にパートのどこにキュー書き入れればいいか、とかそういうちょこちょこしたオケスキルは自信ありますよー。
そして日は変わって今日、久しぶりのピアノのレッスンでした。
一時帰国のお土産まだ渡してなかったくらい久しぶり(汗)
今回はラヴェルの「クープランの墓」から「フーガ」、ヴィラ=ロボスの「ブラジルのバッハ」第4番第2楽章、そしてスクリャービンの「炎に向かって」。
概ね良い評価をいただたいて安心しました(そんなに不安だったわけでもないですが)。あと先生は初めましてだったこのヴィラ=ロボスが好感触で。私が先生が知らない曲をいきなりレッスンに持ってくるのは今に始まったことじゃないのですが(笑)、先生がそういう曲を好きになってもらえるのは嬉しいです。(先日書きました「おすすめした音楽を好きって言ってもらえるうれしさ」ですね)
聴く音楽・弾く音楽とも先生の好みと私の好みと重なってるところが結構あったりするのですが(というかうちの母と先生の好みはかなり似ていると思います。どっちも私の好みのうちの「趣味の良い」部分が主で)。
今回弾いたスクリャービンの「炎に向かって」も先生は20年前によく弾いてたそうです。他にもスクリャービンだったら中期のソナタとか色々弾いてたり。私は先生がスクリャービンを弾いてるのは聴いた事ないんですよねえ。
これからスクリャービンの中期・後期の作品をもっと弾いて行きたいと思っていますが、同時に「炎に向かって」は長期的に、自分のコアレパートリーの「炎代表」として大切にしていきたいと思います。
今を含めて4月5月は仕事がそんなに忙しくない時期なようなので5月にもう一回レッスンしてもらえたらな、と思ってます。
2つのバッハと、もう一つのブラジルのバッハ(第3楽章)。
先生も5月末はバースデーコンサートの色々できっと忙しくなるのでそれまでに。
バースデーコンサートも楽しみです。あまりにも奏者が多くてどんな集まり・コンサートになるか今のところ想像もつかないですが。
さて、明日の分も仕事が来てないのですがしっかりちゃんと寝起きしなきゃ。家の掃除も両親が来る前に。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第3楽章 「永遠の記憶」
こっちもちゃんと紹介しなくちゃ、ということで第3楽章。
まずはこの交響曲について概要。
この交響曲は1905年に起こった「血の日曜日」事件を題材として書かれています。(ちなみにショスタコは1906年生まれ)
生活の困難さを訴えにツァーリの宮殿に集まった民衆を軍隊が虐殺した、という事件で、共産党がツァーリの帝政を覆したロシア革命のさきがけ、みたいに扱われることもあります(社会主義の革命の定義というか、そういうものに当てはめると確かにそういうポジションですね)。
その「血の日曜日」の虐殺の物語を語るにあたってショスタコーヴィチはこの曲のあらゆるところで革命歌のメロディーを引用したり使用したりいじったりモチーフとしたりしてるのです。それもかなり細かいスケールで(ショスタコ自身が書いたメロディーってあるのかな・・・)。
実際の虐殺の様子は第2楽章で描写されています。第3楽章は死者を思い、弔う楽章。
虐殺の後の静寂から現れるチェロとコントラバスのピチカート、そしてそれに乗せて静かな歌が流れてきます。
この「同士は倒れぬ」という美しい革命歌のメロディーを歌っているのはビオラたち!
ピチカートの音だけをバックにものすごーく長ーいビオラのセクションソロが続くのが本当に美しくて涙を誘います。
ビオラの1人のソロでなくセクションソロならきっとこのメロディーが私の中での最高のビオラソロだと思います。
葬送行進曲のようなセクションからクライマックスまでの流れはショスタコの「映画音楽作曲家」としての一面がもろに現れますね。
悲痛で、でも豊かなオケの音はプロコフィエフのロミジュリやラフマニノフに劣らないロマンチックさがあります。
前このブログで書いてると思うんですがショスタコーヴィチの交響曲とか大規模作品はソヴィエト政府の目を気にして、というかソヴィエト政府の目的のために書いていた作品が多くあって。
この第11番もソヴィエト政府がその「革命の第一歩」みたいなことを記念というか、そういうことでショスタコに作曲を依頼したと思うのですよ。
だからあのビオラのソロで涙するのもクライマックスで胸が熱くなるのも、ソヴィエトのお偉いさんが狙った効果であり、ショスタコがその意図に合わせてそうしたものだっていえばきっとそうで、それはものすごく癪なんですが・・・
でもショスタコーヴィチが自分が生まれた1年前に起こったその事件に心を痛めていたのは確かで、犠牲になった人々を忘れてはならないと強く思っているのがこの第3楽章に現れていて。
そして第4楽章「警鐘」の存在からも分かるようにこの交響曲はただソヴィエトのお偉いさんの思う「革命の成功」をたたえるものではなく、共産党政府にも同じ轍を踏まないよう警告・批判する意味もあったり。
もちろん音楽それだけでも素晴らしいものですが、歴史・社会背景とのつながりもまた深く、そしてわかりやすい作品です(何回も書いてますがこれが私のショスタコ&ソヴィエト史の入り口でしたからねー)。
でもとにかく強調したいのは!ビオラたちのソロを聴いてください!
メル響の録音があって試聴もあるのでリンクしました。(ただしこの第3楽章は抜き出されてる箇所が悪いな・・・)
私が最近気に入ってるジャズ組曲第1番も入ってます~「ワルツ」が特に格好いいですのでそちらも試聴強くおすすめです!
昨日はユースオケでショスタコのリハーサルだったのですが結局午前も午後も居なくちゃいけませんでした。
途中数時間空いたんでシティでランチしたり、公園のベンチでうとうとしたり。
あ、そうでしたね、コンサートのお知らせ。
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
ということで昨日の時点で本番までもうあと1週間、なんですがやっぱりショスタコの方はまだまだ懸念がたくさん。
いっちょまえに「若いオケメンバーたち」に言いたいこといろいろあるのですが、何よりも「ちゃんと録音を聴こうよ」、と。
シンフォニーは長いんで最低でも一番難しい第2楽章だけでも。
ショスタコに関しては実際弾く音は難しいのですが、自分のパートの音を弾けるようになるのと同じくらい全体の流れを知って自分のパートがどうその中で動いているか、というのを理解するの大切だし有用なことなんだよ、ということですね。
そこがやっぱりオケで弾く事、オケの音楽を弾く事の醍醐味だと思いますし(同時にそれがオケに特異的なスキルでもあると思います)。そうすることで自分がどこで弾くか、とか誰と音を合わせるか、とか見えてきて色々楽になりますし。
話し始めると説教がましくなっちゃうんでこれ以上は言わないでおきますが・・・
前も書いたようにユースオケのメンバーの年齢層、経験値ともにぐっと平均が下がったのももちろんあります。
今回のプログラムは特に初めてリーダーを務めるメンバーにはなかなか難しいです(ショスタコ11番でのコールアングレ奏者、ビオラのリーダー、トランペットのリーダーなど本当にがんばってます)。
そしてやっぱり奏者としての腕とオケで問われるスキルにおける「腕」はまた別で。
私が最初にユースオケで弾き始めたのが2001年、もちろんそれ以前にもサマーキャンプや学校のオケでも弾いてるのですが、ずっとそうやってオケでチェロだったりピアノ、チェレスタを弾いてきた年月の中で誰に直接教えられたでもなくオケでの演奏で学び、積み重ねた知識やスキルがいろいろあるんだな、と改めて思いました。
本当にパートのどこにキュー書き入れればいいか、とかそういうちょこちょこしたオケスキルは自信ありますよー。
そして日は変わって今日、久しぶりのピアノのレッスンでした。
一時帰国のお土産まだ渡してなかったくらい久しぶり(汗)
今回はラヴェルの「クープランの墓」から「フーガ」、ヴィラ=ロボスの「ブラジルのバッハ」第4番第2楽章、そしてスクリャービンの「炎に向かって」。
概ね良い評価をいただたいて安心しました(そんなに不安だったわけでもないですが)。あと先生は初めましてだったこのヴィラ=ロボスが好感触で。私が先生が知らない曲をいきなりレッスンに持ってくるのは今に始まったことじゃないのですが(笑)、先生がそういう曲を好きになってもらえるのは嬉しいです。(先日書きました「おすすめした音楽を好きって言ってもらえるうれしさ」ですね)
聴く音楽・弾く音楽とも先生の好みと私の好みと重なってるところが結構あったりするのですが(というかうちの母と先生の好みはかなり似ていると思います。どっちも私の好みのうちの「趣味の良い」部分が主で)。
今回弾いたスクリャービンの「炎に向かって」も先生は20年前によく弾いてたそうです。他にもスクリャービンだったら中期のソナタとか色々弾いてたり。私は先生がスクリャービンを弾いてるのは聴いた事ないんですよねえ。
これからスクリャービンの中期・後期の作品をもっと弾いて行きたいと思っていますが、同時に「炎に向かって」は長期的に、自分のコアレパートリーの「炎代表」として大切にしていきたいと思います。
今を含めて4月5月は仕事がそんなに忙しくない時期なようなので5月にもう一回レッスンしてもらえたらな、と思ってます。
2つのバッハと、もう一つのブラジルのバッハ(第3楽章)。
先生も5月末はバースデーコンサートの色々できっと忙しくなるのでそれまでに。
バースデーコンサートも楽しみです。あまりにも奏者が多くてどんな集まり・コンサートになるか今のところ想像もつかないですが。
さて、明日の分も仕事が来てないのですがしっかりちゃんと寝起きしなきゃ。家の掃除も両親が来る前に。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第3楽章 「永遠の記憶」
こっちもちゃんと紹介しなくちゃ、ということで第3楽章。
まずはこの交響曲について概要。
この交響曲は1905年に起こった「血の日曜日」事件を題材として書かれています。(ちなみにショスタコは1906年生まれ)
生活の困難さを訴えにツァーリの宮殿に集まった民衆を軍隊が虐殺した、という事件で、共産党がツァーリの帝政を覆したロシア革命のさきがけ、みたいに扱われることもあります(社会主義の革命の定義というか、そういうものに当てはめると確かにそういうポジションですね)。
その「血の日曜日」の虐殺の物語を語るにあたってショスタコーヴィチはこの曲のあらゆるところで革命歌のメロディーを引用したり使用したりいじったりモチーフとしたりしてるのです。それもかなり細かいスケールで(ショスタコ自身が書いたメロディーってあるのかな・・・)。
実際の虐殺の様子は第2楽章で描写されています。第3楽章は死者を思い、弔う楽章。
虐殺の後の静寂から現れるチェロとコントラバスのピチカート、そしてそれに乗せて静かな歌が流れてきます。
この「同士は倒れぬ」という美しい革命歌のメロディーを歌っているのはビオラたち!
ピチカートの音だけをバックにものすごーく長ーいビオラのセクションソロが続くのが本当に美しくて涙を誘います。
ビオラの1人のソロでなくセクションソロならきっとこのメロディーが私の中での最高のビオラソロだと思います。
葬送行進曲のようなセクションからクライマックスまでの流れはショスタコの「映画音楽作曲家」としての一面がもろに現れますね。
悲痛で、でも豊かなオケの音はプロコフィエフのロミジュリやラフマニノフに劣らないロマンチックさがあります。
前このブログで書いてると思うんですがショスタコーヴィチの交響曲とか大規模作品はソヴィエト政府の目を気にして、というかソヴィエト政府の目的のために書いていた作品が多くあって。
この第11番もソヴィエト政府がその「革命の第一歩」みたいなことを記念というか、そういうことでショスタコに作曲を依頼したと思うのですよ。
だからあのビオラのソロで涙するのもクライマックスで胸が熱くなるのも、ソヴィエトのお偉いさんが狙った効果であり、ショスタコがその意図に合わせてそうしたものだっていえばきっとそうで、それはものすごく癪なんですが・・・
でもショスタコーヴィチが自分が生まれた1年前に起こったその事件に心を痛めていたのは確かで、犠牲になった人々を忘れてはならないと強く思っているのがこの第3楽章に現れていて。
そして第4楽章「警鐘」の存在からも分かるようにこの交響曲はただソヴィエトのお偉いさんの思う「革命の成功」をたたえるものではなく、共産党政府にも同じ轍を踏まないよう警告・批判する意味もあったり。
もちろん音楽それだけでも素晴らしいものですが、歴史・社会背景とのつながりもまた深く、そしてわかりやすい作品です(何回も書いてますがこれが私のショスタコ&ソヴィエト史の入り口でしたからねー)。
でもとにかく強調したいのは!ビオラたちのソロを聴いてください!
メル響の録音があって試聴もあるのでリンクしました。(ただしこの第3楽章は抜き出されてる箇所が悪いな・・・)
私が最近気に入ってるジャズ組曲第1番も入ってます~「ワルツ」が特に格好いいですのでそちらも試聴強くおすすめです!
前回のエントリーに拍手どうもです~
ちょっと不調などありながら仕事もスロー目、でもピアノはしっかり続けています。
明日やっとお医者さんに食道の相談に行けるので少しでも身体感覚が楽になるといいんですが・・・
精神も身体(胃・食道・気道)もそんなにおおごとではないながらもちょこちょこ気になる不調があるのが最近の悩みですがなんとかなるといいなあ。
以前から書いてることですが、私の今の音楽においての好み、というのは幼少の頃から周りにあった、両親それぞれの好みの音楽に影響されることが大きくて。
弾く音楽についてはフランス音楽などやはり母の好みに近いのですが、聴く音楽、特にここ数年において新しく広がった「好き」の範囲は父の好みが多いように思えます。
もちろん長い間一緒に過ごしてきて、音楽のことを色々話したりしてきたので音楽を両親に勧めたり、 CDを選んであげたりとかそういうことにはあまり困らないですし、基本薦めたものは好評です。
大学在学中に現代音楽にはまったりちょっとマイナーなピアノ音楽を探しだすようになったりして両親が知らない音楽をどんどん掘り出したりなどで、逆に私が影響源になることも多くなり。
こないだ碓氷峠音楽堂本舗の第150回、ACEさんと岸部眞明さんのアコースティックライブの回で岸部さんの曲を聴いて。私も父のアコースティックギターの音を聴いて育ったため親しみも感じましたしものすごく好きだと思ったので影響源の父にちょっと勧めてみたんですよ。
それを先日父がやっと聴いてくれて、いたく気に入ったようで。「渋い」と言ってました(笑)(私の好みを表す上でよく使われる単語ですなあ・・・)しかもこんどまた2人で名古屋でライブやるんだよ、といったら「出張あったら行くかもしれないけど新幹線なくなっちゃうかもなあ」と言うほどに乗り気で。
(そんな事したら私より父がACEさん見に・聴きにいっちゃうじゃないか、それもアコースティックでずるい、と私が思ったのは言うまでもないですね(汗)きっとそこまで都合が合うとは思わないですが。そしてそれでも私もそそのかすのをやめませんが。)
なんでしょね、自分の演奏をよかったよ、って言ってもらうのと同じくらい自分が薦めた音楽を好きって言ってもらえるのは嬉しいです。
前からも色々音楽を選ぶことについて話はしてるんで繰り返しになったらごめんなさいなんですが、選ぶときには曲の事を考えるだけでなく、場合によってはプレゼンの仕方(曲を流すときとか場とかバックグラウンド情報の話し方とか)を考えることもありますし、でもいつも何よりも相手の「人」のこと、心の事を真剣に考えることが大切だと思ってて、それをいつも心がけるようにしているので。
日頃ここの「今日の一曲」や本文で、そしてTwitterや創作を通じていろんな曲にちょっとずつ違った形で言及していますが(今よく聞くフレーズでいえば「ステマじゃない」ってやつですね)、それでみんなが私の好きなものを好きになってもらえるなんてことは全然思っちゃいないのですが、それでもなんらかのきっかけになれば、「どっかで聞いた」と記憶の隅に残ってもらえれば、と思うのです。
あんまり期待はしていないけど、でも反響があるとものすごく嬉しい。
不特定多数、不特定目的に「自分がいいと思うもの」を発信していくのもいいけれど、両親に頼まれたり頼まれなかったりして音楽を勧めるときみたいに特定の人に、特定のシチュエーションに向けて集中的に考えて心を込めるのも好きです。そしてそういう薦めるのをもっとやりたいと思いますし、もっとそのスキルを磨きたいと思います。
試しにご依頼お待ちしております。
リアル、そしてインターネットから色々影響を受ける側として積極的にアンテナを広げるのも大事ですが、発信したいものを持ってる、発信する側としては(音楽に限らず)考えることがたくさんあるなあ、と常々思います。
それぞれの発信のしかたは考え方もスキルも違いますし、どれにおいてもまだまだ未熟なので・・・
発信、の一つの形態として「両親が車で運転中車でかけてみる」という方法もあるのですが(ただし車の中で聞こえない弱音がメインだと使えない戦略)、こんど両親が遊びに来たときにこないだ父と母それぞれに買ったCDと、あと日本で注文したface to aceのアルバム2枚、各々どんな反響があるか楽しみです。
(peaksは渋くていいと思うんだがどうでしょ)
今日の一曲: エンリケ・グラナドス 「ゴヤの美女」
今日の諸々の流れでギター曲を一つ。
スペイン音楽独特の闇と完全には明るくない光のコントラストが特徴的で、そしてそこここに「艶」がある素敵な曲です。
なんか「絵画的」ですよね。スペイン版「見返り美人」みたいなイメージのある曲です。
あと弾いてる奏者の姿と合わせても絵になるといいますか。
とにかく余計なものなく要点をびしっと鮮やかな絵で(闇を背景に)描写してくれるシンプルさと深さが良いです。
あとアドリブでのリズムの崩し方とか、弾き手のセンスが光りますし生で聞くのも毎回楽しみになりますね♪
さりげない溜めとか、 CDで聞いていても息づかいまで近い距離で伝わるような感覚がものすごく親密で。
ギターソロ特有の味わいですよね♪
私が持ってる録音は父のコレクションからまとめて持ってきたのでJulian Breamの演奏とJohn Williamsの録音2つがあります。比べて聞いてみるとスタイルがかなり違いますねー!
はっきりくっきり、強気な美女のBream、そして憂いを含んだソフトで甘めのWilliams。
どちらもギターの小品集のCDに他の素敵なギター曲と一緒に入ってますが、お好みに合わせてどうぞ(笑)
もちろんどっちも聞いて比べてみるのも良いです。
ちょっと不調などありながら仕事もスロー目、でもピアノはしっかり続けています。
明日やっとお医者さんに食道の相談に行けるので少しでも身体感覚が楽になるといいんですが・・・
精神も身体(胃・食道・気道)もそんなにおおごとではないながらもちょこちょこ気になる不調があるのが最近の悩みですがなんとかなるといいなあ。
以前から書いてることですが、私の今の音楽においての好み、というのは幼少の頃から周りにあった、両親それぞれの好みの音楽に影響されることが大きくて。
弾く音楽についてはフランス音楽などやはり母の好みに近いのですが、聴く音楽、特にここ数年において新しく広がった「好き」の範囲は父の好みが多いように思えます。
もちろん長い間一緒に過ごしてきて、音楽のことを色々話したりしてきたので音楽を両親に勧めたり、 CDを選んであげたりとかそういうことにはあまり困らないですし、基本薦めたものは好評です。
大学在学中に現代音楽にはまったりちょっとマイナーなピアノ音楽を探しだすようになったりして両親が知らない音楽をどんどん掘り出したりなどで、逆に私が影響源になることも多くなり。
こないだ碓氷峠音楽堂本舗の第150回、ACEさんと岸部眞明さんのアコースティックライブの回で岸部さんの曲を聴いて。私も父のアコースティックギターの音を聴いて育ったため親しみも感じましたしものすごく好きだと思ったので影響源の父にちょっと勧めてみたんですよ。
それを先日父がやっと聴いてくれて、いたく気に入ったようで。「渋い」と言ってました(笑)(私の好みを表す上でよく使われる単語ですなあ・・・)しかもこんどまた2人で名古屋でライブやるんだよ、といったら「出張あったら行くかもしれないけど新幹線なくなっちゃうかもなあ」と言うほどに乗り気で。
(そんな事したら私より父がACEさん見に・聴きにいっちゃうじゃないか、それもアコースティックでずるい、と私が思ったのは言うまでもないですね(汗)きっとそこまで都合が合うとは思わないですが。そしてそれでも私もそそのかすのをやめませんが。)
なんでしょね、自分の演奏をよかったよ、って言ってもらうのと同じくらい自分が薦めた音楽を好きって言ってもらえるのは嬉しいです。
前からも色々音楽を選ぶことについて話はしてるんで繰り返しになったらごめんなさいなんですが、選ぶときには曲の事を考えるだけでなく、場合によってはプレゼンの仕方(曲を流すときとか場とかバックグラウンド情報の話し方とか)を考えることもありますし、でもいつも何よりも相手の「人」のこと、心の事を真剣に考えることが大切だと思ってて、それをいつも心がけるようにしているので。
日頃ここの「今日の一曲」や本文で、そしてTwitterや創作を通じていろんな曲にちょっとずつ違った形で言及していますが(今よく聞くフレーズでいえば「ステマじゃない」ってやつですね)、それでみんなが私の好きなものを好きになってもらえるなんてことは全然思っちゃいないのですが、それでもなんらかのきっかけになれば、「どっかで聞いた」と記憶の隅に残ってもらえれば、と思うのです。
あんまり期待はしていないけど、でも反響があるとものすごく嬉しい。
不特定多数、不特定目的に「自分がいいと思うもの」を発信していくのもいいけれど、両親に頼まれたり頼まれなかったりして音楽を勧めるときみたいに特定の人に、特定のシチュエーションに向けて集中的に考えて心を込めるのも好きです。そしてそういう薦めるのをもっとやりたいと思いますし、もっとそのスキルを磨きたいと思います。
試しにご依頼お待ちしております。
リアル、そしてインターネットから色々影響を受ける側として積極的にアンテナを広げるのも大事ですが、発信したいものを持ってる、発信する側としては(音楽に限らず)考えることがたくさんあるなあ、と常々思います。
それぞれの発信のしかたは考え方もスキルも違いますし、どれにおいてもまだまだ未熟なので・・・
発信、の一つの形態として「両親が車で運転中車でかけてみる」という方法もあるのですが(ただし車の中で聞こえない弱音がメインだと使えない戦略)、こんど両親が遊びに来たときにこないだ父と母それぞれに買ったCDと、あと日本で注文したface to aceのアルバム2枚、各々どんな反響があるか楽しみです。
(peaksは渋くていいと思うんだがどうでしょ)
今日の一曲: エンリケ・グラナドス 「ゴヤの美女」
今日の諸々の流れでギター曲を一つ。
スペイン音楽独特の闇と完全には明るくない光のコントラストが特徴的で、そしてそこここに「艶」がある素敵な曲です。
なんか「絵画的」ですよね。スペイン版「見返り美人」みたいなイメージのある曲です。
あと弾いてる奏者の姿と合わせても絵になるといいますか。
とにかく余計なものなく要点をびしっと鮮やかな絵で(闇を背景に)描写してくれるシンプルさと深さが良いです。
あとアドリブでのリズムの崩し方とか、弾き手のセンスが光りますし生で聞くのも毎回楽しみになりますね♪
さりげない溜めとか、 CDで聞いていても息づかいまで近い距離で伝わるような感覚がものすごく親密で。
ギターソロ特有の味わいですよね♪
私が持ってる録音は父のコレクションからまとめて持ってきたのでJulian Breamの演奏とJohn Williamsの録音2つがあります。比べて聞いてみるとスタイルがかなり違いますねー!
はっきりくっきり、強気な美女のBream、そして憂いを含んだソフトで甘めのWilliams。
どちらもギターの小品集のCDに他の素敵なギター曲と一緒に入ってますが、お好みに合わせてどうぞ(笑)
もちろんどっちも聞いて比べてみるのも良いです。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今回はそろそろ締めといきましょうか、ということで楽器と性格のラスト、ピアノについての話です。
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
ただバイオリンの時に書いたように「弾いてる人口と楽器に出会う機会が桁外れに多いのと、それから本人の意思以外のきっかけで始めることが多い」ことからステレオタイプ化するには向いてない、というかなにやっても過度にgeneralizedになってしまうのですよね。
でもやっぱり他の楽器と同じく、ピアノをある程度続けられる、というのにはある程度性格の向き不向きや、楽器と向き合い続けることにより生じる性格の変化も多少なりともあると思うんです。(全くない、というのはあると思えないんですよね)
ピアノは基本一人の楽器です。そのレパートリーも演奏形態もソロがかなり大きな部分を占め、ステージに立つときにも練習においても無伴奏・独りであることが圧倒的に多く。
しかも練習量がダントツで多いので独りでいる時間が本当に多いです。大学だとピアニストはいっつも練習室にこもってる、といわれるのですが間違ってませんよそのイメージ(汗)
で、独りだから全部自分で負わなくちゃいけないわけです。一つの曲の音を全部弾かなくちゃいけないし、独りで音楽を創り上げることが求められる。(室内楽でもピアノが弾く音は他の楽器全てを足したよりも多いですし、割と音楽的な解釈とかアンサンブルを仕切るとかでもピアノが負う責任は大きいです)
それを踏まえて傾向みたいなものを観察する、となると・・・ピアニストはわりと自立した性格、といえるかな。
例えば女の子でボーイフレンドにべたべたで頼りっきり、というピアノの子はかなり少ない気がするんですよね。
それから基本スタンスとしては自分は自分、他人は他人、と割り切れるタイプかな。数々の巨匠や自分の周りの奏者から影響を受けても自分の音楽を作る事に対する態度ははっきりしている印象があります。
あとは技巧などに求める「完璧さ」だったり他の楽器よりも多い練習量と関連して「努力」、「忍耐」、それからそうやって音楽を詰めていく過程でピアノで特に求められる「分析する頭脳」とか・・・?
室内楽や歌曲、伴奏などにおいてピアニストの弾く楽譜には自分の弾く音だけでなく他の人が弾くパートも記されています。つまり指揮者と同じく音楽の全体像を常に把握している、ということで。
なので、といいますかピアニストは仕切り役、ツッコミ役に回ることが多いのと、それから何でも自分でやったほうが安心するというか、すくなくとも何が起こってるか自分で一通り知ってないと不安になるようなところがあるのでは、と。
ツッコミ役、ということに関しては音楽の全体像を把握しながらこれまでに書いてきたように色々キャラの強い楽器をまとめたり、引き立てたり、生かしたり全体の流れをコントロールしたり、そういうところがやっぱりあるんじゃなかと思うんですよね。
少なくとも音楽的には独りでやっていけるし、一人のほうが楽だったり一人の方が好きだったり、そんなピアニストの中では私は若干寂しがりやな方なのかもしれない、と常々思っています。
もちろん自分がオーケストラの音楽と主に親しんで、オーケストラで長く時間を過ごしてその楽しさを味わってきた、というのもありますが私がオーケストラやそれにまつわるいろんなものを求めるのは寂しがり屋だから、というのもあるのかなあ、と。
現実の世界でも脳内で複数のオケを動かして遊ぶときも、いつだってオーケストラでこの「楽器と性格」シリーズで紹介した様々な楽器と、それを弾く様々なキャラクターの奏者たちと一緒に、オケの内部にいて楽しみたい、という思いがあって。
ピアニスト、チェレスタ奏者としてオケの端っこから、そして様々な楽器を弾く奏者となってその世界の中にいたいのです。
ずっとこのシリーズで、そしてブログの諸々他の部分で紹介してきたように奏者はみんな大小様々な材料とサイズと形と弾き方の楽器と出会い、性格や体格、他の要因によって続けたり続けなかったりして、奏者として生き残りながら楽器を弾くことで性格がそれに合わせて影響され。
そしてオーケストラというのはそんな全く違うキャラの奏者たちが一同に数十人も集まる場所で。
みんな違うバックグラウンドで、みんな違う音で、音楽に関するこだわりや重要とするポイントも違ったり、一つの曲の解釈もみんな違う、けれどみんなが一つの音楽を一緒に、美しく、最高のものにするという一つの目的のために奏でるところで。
まるで社会の縮図といっても良いほど様々な人間と思惑が集まるところだけれど、多くの場合争うことなく(たまにありますが!)ハーモニーを奏でて。
一つの音楽を奏でるからといって個々を消して集団になるわけでもなく、個々の奏者の音が何よりも生きる集団であるオーケストラ。
やっぱ面白いんですよね。オーケストラの曲、演奏をなんとなく聴くだけでも、その曲や音楽だけにフォーカスして聞くだけでも味わえない魅力があると思うんです。
このシリーズがオケの楽器の音、得意不得意、働きや役割、歴史もちょっと、そして楽器と奏者のキャラクターなどについて少しでも親しみをもってもらうために役立っていたらいいな、と思います。
ということで「楽器と性格」シリーズは終わりですがブログの更新はこれからも続けていきますし、オーケストラやその楽器、奏者などの話はこれからも止まらないと思いますよ-(笑)
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲
パガニーニ・ラプソディーとかラフパガとか愛称のあるラフマニノフの楽曲の中でもかなり有名で広く愛されている曲です。
ラフマニノフは4つピアノ協奏曲を書いていますが、これも同じくピアノがソリストでオーケストラ伴奏、という協奏曲のフォーマットをとっているため5つめのコンチェルト扱いされることが多いです。
パガニーニの主題、というのはいつものあれです。ブラームスやリストや他にたくさんの作曲家が主題としてバリエーションを書いた同じメロディーです。
言い忘れましたがこの曲は狂詩曲=ラプソディーですがフォーマットとしては変奏曲=バリエーションとなっています。24つの変奏曲ですが、主題が様々な形に変容してだんだんと見つけにくくなるので(メロディーが残ってるとも限らない)それを追っかけてみるのも楽しいですよ。
でもこの曲は主題を超えて第18変奏曲のあのロマンチックなメロディーが有名ですね。このメロディーは元の主題のメロディーを上下逆さまにしたものですがラフマニノフのハリウッド的ロマンチシズム全開!ですね。
(私はその後の変奏曲のロシアっぽさがなにげに好きだったり。あと前半でもいくつか良いのがありますねー)
上記メロディーの美しさ、ラフマニノフが得意としている(と私は思う)テーマいじり、楽器使いなど色々素晴らしいところはありますが、変奏を重ねていく中での音楽の展開、というのが特にわくわくする曲です。(普通の協奏曲とかと比べて格段に曲調が変わるペースも速いですし、意表を突いたりするのも上手いんですよ)
だからこそ第18変奏曲だけでなくて全曲聴いて欲しい!とここで強く主張したいです。20分だったらこの時代の普通のピアノ協奏曲よりも短いですし!
ラフマニノフ本人が弾いてる演奏もあるのですが、彼の演奏も素晴らしいものながらなんといってもオケの色彩の鮮やかなのをベストなクオリティで味わってもらいたい!という思い・・・だったのですがどれがベストか分からないのでとりあえず持ってる録音をリンクしました。(ラフマニノフの演奏はこちら)
こんなこと言うのもあれですが、割と巷でポピュラーな某ピアニストの演奏(名前はあえて出しませんが)は全体的に避ける方向で。あんまり派手でパワフルでオーバーなのは苦手なのです。
今回はそろそろ締めといきましょうか、ということで楽器と性格のラスト、ピアノについての話です。
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
ただバイオリンの時に書いたように「弾いてる人口と楽器に出会う機会が桁外れに多いのと、それから本人の意思以外のきっかけで始めることが多い」ことからステレオタイプ化するには向いてない、というかなにやっても過度にgeneralizedになってしまうのですよね。
でもやっぱり他の楽器と同じく、ピアノをある程度続けられる、というのにはある程度性格の向き不向きや、楽器と向き合い続けることにより生じる性格の変化も多少なりともあると思うんです。(全くない、というのはあると思えないんですよね)
ピアノは基本一人の楽器です。そのレパートリーも演奏形態もソロがかなり大きな部分を占め、ステージに立つときにも練習においても無伴奏・独りであることが圧倒的に多く。
しかも練習量がダントツで多いので独りでいる時間が本当に多いです。大学だとピアニストはいっつも練習室にこもってる、といわれるのですが間違ってませんよそのイメージ(汗)
で、独りだから全部自分で負わなくちゃいけないわけです。一つの曲の音を全部弾かなくちゃいけないし、独りで音楽を創り上げることが求められる。(室内楽でもピアノが弾く音は他の楽器全てを足したよりも多いですし、割と音楽的な解釈とかアンサンブルを仕切るとかでもピアノが負う責任は大きいです)
それを踏まえて傾向みたいなものを観察する、となると・・・ピアニストはわりと自立した性格、といえるかな。
例えば女の子でボーイフレンドにべたべたで頼りっきり、というピアノの子はかなり少ない気がするんですよね。
それから基本スタンスとしては自分は自分、他人は他人、と割り切れるタイプかな。数々の巨匠や自分の周りの奏者から影響を受けても自分の音楽を作る事に対する態度ははっきりしている印象があります。
あとは技巧などに求める「完璧さ」だったり他の楽器よりも多い練習量と関連して「努力」、「忍耐」、それからそうやって音楽を詰めていく過程でピアノで特に求められる「分析する頭脳」とか・・・?
室内楽や歌曲、伴奏などにおいてピアニストの弾く楽譜には自分の弾く音だけでなく他の人が弾くパートも記されています。つまり指揮者と同じく音楽の全体像を常に把握している、ということで。
なので、といいますかピアニストは仕切り役、ツッコミ役に回ることが多いのと、それから何でも自分でやったほうが安心するというか、すくなくとも何が起こってるか自分で一通り知ってないと不安になるようなところがあるのでは、と。
ツッコミ役、ということに関しては音楽の全体像を把握しながらこれまでに書いてきたように色々キャラの強い楽器をまとめたり、引き立てたり、生かしたり全体の流れをコントロールしたり、そういうところがやっぱりあるんじゃなかと思うんですよね。
少なくとも音楽的には独りでやっていけるし、一人のほうが楽だったり一人の方が好きだったり、そんなピアニストの中では私は若干寂しがりやな方なのかもしれない、と常々思っています。
もちろん自分がオーケストラの音楽と主に親しんで、オーケストラで長く時間を過ごしてその楽しさを味わってきた、というのもありますが私がオーケストラやそれにまつわるいろんなものを求めるのは寂しがり屋だから、というのもあるのかなあ、と。
現実の世界でも脳内で複数のオケを動かして遊ぶときも、いつだってオーケストラでこの「楽器と性格」シリーズで紹介した様々な楽器と、それを弾く様々なキャラクターの奏者たちと一緒に、オケの内部にいて楽しみたい、という思いがあって。
ピアニスト、チェレスタ奏者としてオケの端っこから、そして様々な楽器を弾く奏者となってその世界の中にいたいのです。
ずっとこのシリーズで、そしてブログの諸々他の部分で紹介してきたように奏者はみんな大小様々な材料とサイズと形と弾き方の楽器と出会い、性格や体格、他の要因によって続けたり続けなかったりして、奏者として生き残りながら楽器を弾くことで性格がそれに合わせて影響され。
そしてオーケストラというのはそんな全く違うキャラの奏者たちが一同に数十人も集まる場所で。
みんな違うバックグラウンドで、みんな違う音で、音楽に関するこだわりや重要とするポイントも違ったり、一つの曲の解釈もみんな違う、けれどみんなが一つの音楽を一緒に、美しく、最高のものにするという一つの目的のために奏でるところで。
まるで社会の縮図といっても良いほど様々な人間と思惑が集まるところだけれど、多くの場合争うことなく(たまにありますが!)ハーモニーを奏でて。
一つの音楽を奏でるからといって個々を消して集団になるわけでもなく、個々の奏者の音が何よりも生きる集団であるオーケストラ。
やっぱ面白いんですよね。オーケストラの曲、演奏をなんとなく聴くだけでも、その曲や音楽だけにフォーカスして聞くだけでも味わえない魅力があると思うんです。
このシリーズがオケの楽器の音、得意不得意、働きや役割、歴史もちょっと、そして楽器と奏者のキャラクターなどについて少しでも親しみをもってもらうために役立っていたらいいな、と思います。
ということで「楽器と性格」シリーズは終わりですがブログの更新はこれからも続けていきますし、オーケストラやその楽器、奏者などの話はこれからも止まらないと思いますよ-(笑)
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲
パガニーニ・ラプソディーとかラフパガとか愛称のあるラフマニノフの楽曲の中でもかなり有名で広く愛されている曲です。
ラフマニノフは4つピアノ協奏曲を書いていますが、これも同じくピアノがソリストでオーケストラ伴奏、という協奏曲のフォーマットをとっているため5つめのコンチェルト扱いされることが多いです。
パガニーニの主題、というのはいつものあれです。ブラームスやリストや他にたくさんの作曲家が主題としてバリエーションを書いた同じメロディーです。
言い忘れましたがこの曲は狂詩曲=ラプソディーですがフォーマットとしては変奏曲=バリエーションとなっています。24つの変奏曲ですが、主題が様々な形に変容してだんだんと見つけにくくなるので(メロディーが残ってるとも限らない)それを追っかけてみるのも楽しいですよ。
でもこの曲は主題を超えて第18変奏曲のあのロマンチックなメロディーが有名ですね。このメロディーは元の主題のメロディーを上下逆さまにしたものですがラフマニノフのハリウッド的ロマンチシズム全開!ですね。
(私はその後の変奏曲のロシアっぽさがなにげに好きだったり。あと前半でもいくつか良いのがありますねー)
上記メロディーの美しさ、ラフマニノフが得意としている(と私は思う)テーマいじり、楽器使いなど色々素晴らしいところはありますが、変奏を重ねていく中での音楽の展開、というのが特にわくわくする曲です。(普通の協奏曲とかと比べて格段に曲調が変わるペースも速いですし、意表を突いたりするのも上手いんですよ)
だからこそ第18変奏曲だけでなくて全曲聴いて欲しい!とここで強く主張したいです。20分だったらこの時代の普通のピアノ協奏曲よりも短いですし!
ラフマニノフ本人が弾いてる演奏もあるのですが、彼の演奏も素晴らしいものながらなんといってもオケの色彩の鮮やかなのをベストなクオリティで味わってもらいたい!という思い・・・だったのですがどれがベストか分からないのでとりあえず持ってる録音をリンクしました。(ラフマニノフの演奏はこちら)
こんなこと言うのもあれですが、割と巷でポピュラーな某ピアニストの演奏(名前はあえて出しませんが)は全体的に避ける方向で。あんまり派手でパワフルでオーバーなのは苦手なのです。