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前のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日はお出かけしてきました。
戦利品のアルケミーゴシックElementary Crux Angelicus(メシアンと海王星をイメージしますね!)をつけて、同じく戦利品のRekorderligサイダー(シードル)の洋梨味を飲みながら更新です。
そもそもお出かけの主な目的はなんでこのタイミングに?という買い物ではなくて、トゥーランガリラの彼とランチだったのです。
向こうはアカデミーでミーティングやらリハーサルやらあるなかで昼頃に数時間があく、という感じなので今回はサウスメルボルンあたりでまったりと。
国立アカデミーからほど近いChimmy'sというカフェでお昼。甘い物がおいしそうだったのですが今回は何も食べずにお昼なのでキッシュをいただきました。なんでもアカデミーで在学~伴奏のお仕事をしているうち(5年)に彼は相当通ってるところらしく、スタッフにすっかり顔知られてました(笑)
そしてやっぱりピアノの話に。
私としゃべると大抵20世紀~の音楽が圧倒的に多くなりますね(笑)
カフェではショスタコのことを結構話しましたね。前奏曲とフーガ周りを主に。調のこととか話したり、今弾いてるバッハの話、嬰ニ短調とかのキーの話だったり。
クラムの音楽の話で以前紹介しました「新神話主義」の話だったり、そこから派生して心理学の話だったり。なかなか色々説明できないで居ることが多いのですが、相手が割とそこは寛容で気長に優しく聞いてくれてるのが伝わってるのでフラストレーションをそんなに感じないな、と思うのですよね。
食べ終わった後は南下してAlbert Parkに。
MSACというスポーツセンターや、Orchestra Victoriaの本拠、公立の女子進学校MacRobertson's Schoolがあったり、ゴルフコースがあったり、そして4月にはF1レースの舞台ともなる公園で。真ん中にある湖には黒鳥などの水鳥が住んでいます。(それから病院にも近いので私もちょこちょこ行ったことあります)
そこをぐるっと回る歩道を途中までゆっくり歩いて、そして戻って(歩くには結構なサイズの湖なんですよ)。
もちろん歩いている間も音楽の話に。
こないだ演奏に戻ったら、と勧められたんだ、と言ったら後押しされちゃいましたねー。
私の演奏が聴きたい、演奏するなら行くよ、と言われるのはやっぱり嬉しいです。私もやっぱり彼と知り合ってしばらくするのですが私がどう弾くか(弾く、には解釈や感性なども含まれます)、どんな実力か、というのを知ってもらってないのはなんだか微妙な感じですし。実力では全然追いつけませんが、少なくとも同じグラウンドに立ちたい、ということですかね。
あとはメシアン周りで話がやっぱり弾みました(笑)
こないだ「鳥のカタログ全部人前で弾いたら」(もちろん今じゃないですが!)と言われた話から、数年前メシアンイヤーの時にトゥーランガリラの彼が国立アカデミーで他のピアニストと手分けして20のまなざしを弾いたときの話になり。
第12番(全能の言葉)を3人同時に弾いた(!)という話だったり、あれはハードロックだよね、という話だったり(そう言われるとまたそのうち弾きたくなるじゃないか!)。
あとは彼も共感覚保持者みたいです。私は「おそらく」なんですが、そういうところも似てるのかな、と(他にも今日の会話から「これも一緒か!」と似たところいくつか見つかってたり)。
そしてまたクラム。
Eine Kleine Mitternachtmusikを彼はちょうどこないだパースで演奏してきたのですが、愛着が湧いて好きになった、特殊奏法に関して敷居が低くなった、という話だったり(私も特殊奏法したいなー久しいですよ本当に)、あと「天体の力学」っていい曲だよなーとか。
メシアンもクラムももっと弾かれれば良いのに、と思うのは二人同じ気持ちで。なかなかね、難しいんですけどね。それを私たちも少しずつでも負ってかなくちゃいけないですし、喜んで負いたいですが。
そのパースでの演奏のコンサート(Perth Internaltional Arts Festivalのアメリカ音楽特集のコンサートだったそうで)が今日帰ってきたらABCラジオでやってたので夕飯作りながら少し聴きました。Eine Kleine~は抜粋で、コンサートのプログラムの中に分散されてるのですが彼が弾いてるうち第2楽章は聴けました。
なんでも中庭で屋外、星空の下で弾いたらしく、ものすごーくうらやましいです。
そのコンサートでは去年9.11同時多発テロの10周年として作曲され、こちらでもすでにクロノスカルテットが弾いたりしているスティーヴ・ライヒの「WTC 9/11」が演奏されていました。料理してる間で全部は聴けなかったのですが、実際の音声なども入ったパワフルな作品でした。むしろ初めて聞いたのが生だったらものすごくしんどかったかも!
弦楽器ってこういう恐怖や緊張などの感覚の表現がものすごーく正確で、リアルですね。心構えはある程度できたのでまた改めてちゃんと聴いてみたいです。
なんだかランチ食べて散歩して、とゆるやかながら自然にすっと時間が流れて、あっというまのようでもありました。
毎回言ってることですが、とにかく心地良くて自然なんですよ、彼と一緒にいて。
コミュニケーションのストレスを感じることもなければ変に意識しすぎることもなく。黙ってても話していても空気はそのまま自然に流れていて。
いつも会えるのは限られた時間だけどこうやってずっと居れるなあ、と私側では思うんです。
それはきっと話が合ったり、好みだったりおそらく感性のようなものの似たところがあったり、そういうこともあるんだろうけど、毎回言葉で表現しようとするとしどろもどろになってしまう、とにかく心地良い雰囲気があるんです。
向こうも私と居て楽しいようなので、それは素直に喜んで感謝していいんだよね、と。
Albert ParkはこれからF1に向けて騒がしくなると思いますがまたああいうゆったりしたところで一緒にゆったりしたいです。
彼も今年は作曲した作品の初演だったり、そして演奏の方も積極的にやるような予定らしいですが、声をかけたら会ってくれるみたいなのでお言葉に甘えようと思います(笑)
そして私もピアノに今まで以上に精を出さなきゃいけませんね。誰に対してもそうですが、彼には特にベストを聴いてもらいたい。(プログラムに食いつき良かったですしねーやっぱり好みが似てるっぽい)
がんばらなきゃ。自分のために、その他諸々のために。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Eine Kleine Mitternachtmusic」 第7楽章 「Blues in the Night」
今日聴けなかったあと一つの楽章が確か第7楽章だったはず(昼聴いたことをちゃんと覚えてたら・・・)
タイトルにあるようにブルース風に書かれたこの曲。実はテンポが書いてあるところに「"At sixes and sevens"」と書かれています。
このフレーズの意味は「混乱して」という意味があるのですが、私はこの楽章をなんとなーく「酔っ払って意識がもうろうとした状態」と解釈してるんです。もう第7楽章、夜もだいぶふけてますからね(笑)
(ちなみにwikipedia英語版で調べてみたら中国では似たような意味で7と8を使った言葉があるそうです)
そして数字遊びが好きなクラム、もしや・・・と思って楽譜を見たら曲の中に6拍子の小節と7拍子の小節が混在している!
うまい!というよりも脱力しましたね(笑)これもう音楽における「オヤジギャグ」の類じゃないですか・・・
先ほどこの楽章を酔っ払った状態と解釈している、と書きましたが一応ぼんやりとはしていますが根拠はあります。
ブルース風に崩したリズムのけだるさだったり、以前弾いたこれまたブルース風のカバレフスキーの前奏曲(第23番、ヘ長調)のような半音で上下するラインの揺れる感じだったり、定まらない拍子だったり。
それからメロディーの描く形の不安定さがまたそれっぽくて。
で、それっぽく弾くと良い味がでるんですよね(笑)どんどん崩して、どんどんけだるげに動かして。そうするとぴったりなんですよ。(酩酊という状態にならない私が言うのもなんですが・・・今現在まだRekorderlig飲んでますが)
今日話してたのはEine Kleine~は弾く側にとっては特殊奏法が多すぎず、でも基本のテクニックはある程度カバーしてるから特殊奏法はこの曲集から入るのもありかもね、ということと。
それからこの曲で現れるちょっと変わった特殊奏法のことも話しました。なにやら片手でハーモニクスを押さえてその同じ手の親指で弦をこする、というものらしく。ハーモニクスはどの弦楽器でも特性上ぴったり正確な位置を押さえないと響かないのですが、その反面この「弦をこする」ときにハーモニクスがぴったり合うとすっごいいい音がするらしいです。この曲もピアノはアンプ付きなのですが、アンプはこういう大音量が望めない特殊効果の味方につきますね!
この曲集を通じて考えるときっと主人公は一人で、周りに幻影とかが立ち替わり入れ替わり現れる感じなのかな、と思われますが、この楽章を聴くとそれがはっきり分かりますね。間違いなく一人飲みの雰囲気です(爆)
ということで特に都会での寂しい夜の一人飲みのお供にこの楽章、そしてこの曲全体をおすすめします♪
ウィスキーですかね?ウィスキーのロックっぽくないですか?(笑)
今日はお出かけしてきました。
戦利品のアルケミーゴシックElementary Crux Angelicus(メシアンと海王星をイメージしますね!)をつけて、同じく戦利品のRekorderligサイダー(シードル)の洋梨味を飲みながら更新です。
そもそもお出かけの主な目的はなんでこのタイミングに?という買い物ではなくて、トゥーランガリラの彼とランチだったのです。
向こうはアカデミーでミーティングやらリハーサルやらあるなかで昼頃に数時間があく、という感じなので今回はサウスメルボルンあたりでまったりと。
国立アカデミーからほど近いChimmy'sというカフェでお昼。甘い物がおいしそうだったのですが今回は何も食べずにお昼なのでキッシュをいただきました。なんでもアカデミーで在学~伴奏のお仕事をしているうち(5年)に彼は相当通ってるところらしく、スタッフにすっかり顔知られてました(笑)
そしてやっぱりピアノの話に。
私としゃべると大抵20世紀~の音楽が圧倒的に多くなりますね(笑)
カフェではショスタコのことを結構話しましたね。前奏曲とフーガ周りを主に。調のこととか話したり、今弾いてるバッハの話、嬰ニ短調とかのキーの話だったり。
クラムの音楽の話で以前紹介しました「新神話主義」の話だったり、そこから派生して心理学の話だったり。なかなか色々説明できないで居ることが多いのですが、相手が割とそこは寛容で気長に優しく聞いてくれてるのが伝わってるのでフラストレーションをそんなに感じないな、と思うのですよね。
食べ終わった後は南下してAlbert Parkに。
MSACというスポーツセンターや、Orchestra Victoriaの本拠、公立の女子進学校MacRobertson's Schoolがあったり、ゴルフコースがあったり、そして4月にはF1レースの舞台ともなる公園で。真ん中にある湖には黒鳥などの水鳥が住んでいます。(それから病院にも近いので私もちょこちょこ行ったことあります)
そこをぐるっと回る歩道を途中までゆっくり歩いて、そして戻って(歩くには結構なサイズの湖なんですよ)。
もちろん歩いている間も音楽の話に。
こないだ演奏に戻ったら、と勧められたんだ、と言ったら後押しされちゃいましたねー。
私の演奏が聴きたい、演奏するなら行くよ、と言われるのはやっぱり嬉しいです。私もやっぱり彼と知り合ってしばらくするのですが私がどう弾くか(弾く、には解釈や感性なども含まれます)、どんな実力か、というのを知ってもらってないのはなんだか微妙な感じですし。実力では全然追いつけませんが、少なくとも同じグラウンドに立ちたい、ということですかね。
あとはメシアン周りで話がやっぱり弾みました(笑)
こないだ「鳥のカタログ全部人前で弾いたら」(もちろん今じゃないですが!)と言われた話から、数年前メシアンイヤーの時にトゥーランガリラの彼が国立アカデミーで他のピアニストと手分けして20のまなざしを弾いたときの話になり。
第12番(全能の言葉)を3人同時に弾いた(!)という話だったり、あれはハードロックだよね、という話だったり(そう言われるとまたそのうち弾きたくなるじゃないか!)。
あとは彼も共感覚保持者みたいです。私は「おそらく」なんですが、そういうところも似てるのかな、と(他にも今日の会話から「これも一緒か!」と似たところいくつか見つかってたり)。
そしてまたクラム。
Eine Kleine Mitternachtmusikを彼はちょうどこないだパースで演奏してきたのですが、愛着が湧いて好きになった、特殊奏法に関して敷居が低くなった、という話だったり(私も特殊奏法したいなー久しいですよ本当に)、あと「天体の力学」っていい曲だよなーとか。
メシアンもクラムももっと弾かれれば良いのに、と思うのは二人同じ気持ちで。なかなかね、難しいんですけどね。それを私たちも少しずつでも負ってかなくちゃいけないですし、喜んで負いたいですが。
そのパースでの演奏のコンサート(Perth Internaltional Arts Festivalのアメリカ音楽特集のコンサートだったそうで)が今日帰ってきたらABCラジオでやってたので夕飯作りながら少し聴きました。Eine Kleine~は抜粋で、コンサートのプログラムの中に分散されてるのですが彼が弾いてるうち第2楽章は聴けました。
なんでも中庭で屋外、星空の下で弾いたらしく、ものすごーくうらやましいです。
そのコンサートでは去年9.11同時多発テロの10周年として作曲され、こちらでもすでにクロノスカルテットが弾いたりしているスティーヴ・ライヒの「WTC 9/11」が演奏されていました。料理してる間で全部は聴けなかったのですが、実際の音声なども入ったパワフルな作品でした。むしろ初めて聞いたのが生だったらものすごくしんどかったかも!
弦楽器ってこういう恐怖や緊張などの感覚の表現がものすごーく正確で、リアルですね。心構えはある程度できたのでまた改めてちゃんと聴いてみたいです。
なんだかランチ食べて散歩して、とゆるやかながら自然にすっと時間が流れて、あっというまのようでもありました。
毎回言ってることですが、とにかく心地良くて自然なんですよ、彼と一緒にいて。
コミュニケーションのストレスを感じることもなければ変に意識しすぎることもなく。黙ってても話していても空気はそのまま自然に流れていて。
いつも会えるのは限られた時間だけどこうやってずっと居れるなあ、と私側では思うんです。
それはきっと話が合ったり、好みだったりおそらく感性のようなものの似たところがあったり、そういうこともあるんだろうけど、毎回言葉で表現しようとするとしどろもどろになってしまう、とにかく心地良い雰囲気があるんです。
向こうも私と居て楽しいようなので、それは素直に喜んで感謝していいんだよね、と。
Albert ParkはこれからF1に向けて騒がしくなると思いますがまたああいうゆったりしたところで一緒にゆったりしたいです。
彼も今年は作曲した作品の初演だったり、そして演奏の方も積極的にやるような予定らしいですが、声をかけたら会ってくれるみたいなのでお言葉に甘えようと思います(笑)
そして私もピアノに今まで以上に精を出さなきゃいけませんね。誰に対してもそうですが、彼には特にベストを聴いてもらいたい。(プログラムに食いつき良かったですしねーやっぱり好みが似てるっぽい)
がんばらなきゃ。自分のために、その他諸々のために。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Eine Kleine Mitternachtmusic」 第7楽章 「Blues in the Night」
今日聴けなかったあと一つの楽章が確か第7楽章だったはず(昼聴いたことをちゃんと覚えてたら・・・)
タイトルにあるようにブルース風に書かれたこの曲。実はテンポが書いてあるところに「"At sixes and sevens"」と書かれています。
このフレーズの意味は「混乱して」という意味があるのですが、私はこの楽章をなんとなーく「酔っ払って意識がもうろうとした状態」と解釈してるんです。もう第7楽章、夜もだいぶふけてますからね(笑)
(ちなみにwikipedia英語版で調べてみたら中国では似たような意味で7と8を使った言葉があるそうです)
そして数字遊びが好きなクラム、もしや・・・と思って楽譜を見たら曲の中に6拍子の小節と7拍子の小節が混在している!
うまい!というよりも脱力しましたね(笑)これもう音楽における「オヤジギャグ」の類じゃないですか・・・
先ほどこの楽章を酔っ払った状態と解釈している、と書きましたが一応ぼんやりとはしていますが根拠はあります。
ブルース風に崩したリズムのけだるさだったり、以前弾いたこれまたブルース風のカバレフスキーの前奏曲(第23番、ヘ長調)のような半音で上下するラインの揺れる感じだったり、定まらない拍子だったり。
それからメロディーの描く形の不安定さがまたそれっぽくて。
で、それっぽく弾くと良い味がでるんですよね(笑)どんどん崩して、どんどんけだるげに動かして。そうするとぴったりなんですよ。(酩酊という状態にならない私が言うのもなんですが・・・今現在まだRekorderlig飲んでますが)
今日話してたのはEine Kleine~は弾く側にとっては特殊奏法が多すぎず、でも基本のテクニックはある程度カバーしてるから特殊奏法はこの曲集から入るのもありかもね、ということと。
それからこの曲で現れるちょっと変わった特殊奏法のことも話しました。なにやら片手でハーモニクスを押さえてその同じ手の親指で弦をこする、というものらしく。ハーモニクスはどの弦楽器でも特性上ぴったり正確な位置を押さえないと響かないのですが、その反面この「弦をこする」ときにハーモニクスがぴったり合うとすっごいいい音がするらしいです。この曲もピアノはアンプ付きなのですが、アンプはこういう大音量が望めない特殊効果の味方につきますね!
この曲集を通じて考えるときっと主人公は一人で、周りに幻影とかが立ち替わり入れ替わり現れる感じなのかな、と思われますが、この楽章を聴くとそれがはっきり分かりますね。間違いなく一人飲みの雰囲気です(爆)
ということで特に都会での寂しい夜の一人飲みのお供にこの楽章、そしてこの曲全体をおすすめします♪
ウィスキーですかね?ウィスキーのロックっぽくないですか?(笑)
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前回のエントリーに拍手どうもです!
最近ちょっとだんだん練習レパートリー改編期に入りつつあり。
そのなかでもプーランクの即興曲第3番はものすごく壁にぶち当たった感じでものすごく悔しい感じでギブアップ。
このころころ変わる気質に頭がついてけず集中力が散漫になってしまうのはもっとプーランクを弾き重ねないと慣れないものなのか・・・
嫌いになった訳じゃないのでまたの機会に再チャレンジしたいです。
そしてその他諸々ある中、ふと気づいてみれば去年の春頃?に始めたプロコフィエフのピアノソナタ第2番も最終楽章。1番好きな楽章ですがかなりトリッキーなタランテラ。
目標としては毒いっぱいパワフルに、毒を楽しんで弾けるようになれれば良いかな。独特のユーモアが鋭く突き刺さるのでちょろっとどこかで弾けたらいいな、とか思ってるんですが。
でもプロコフィエフの音楽って私にとっては習得するのも弾くのも聴くのも好きながら人前で弾くとなるとどうも気が引けてしまう感じがあって。
不協和音的なところもありながら曲の組み立て、音の連なりはものすごくロジカルなので問題は暗譜ではないんですよね。
きっと一番キーとなってるのは「自分はプロコフィエフを弾くときに余裕を感じたことがほとんどない」ということかと。
ピアノにおいての技巧のレベル(プロコフィエフの技巧はまたちょっと特殊なとこありますが)もそうですし、ちょっと体力に関するところもあったりするのですが、それだけでなく弾いてて色々余裕を感じられない。
楽しいんだけどどこか心地良さを感じることができない。(そもそも心地良さというのとはちょっと違うのかも)
練習してるのと演奏してるのでは緊張なども相まって身体的に、肉体的に余裕がいつもよりなくなるものなのですが、プロコフィエフの音楽はそこのところが厳しくなりやすいのかもしれませんね。
プロコフィエフは同じ時代・国で生きた、そしてそれにより似たようなテイストを持った音楽を書いたショスタコーヴィチを比較対象にされることが多いですね。なので今回ここでもショスタコと比べるようにしてちょっと話ます。
どちらもソヴィエトの偉大な作曲家で、交響曲などの大ジャンルからもっと小規模の曲までいろいろな音楽を書いています。
この2人の作曲家の違いを説明すると、「ショスタコはうつに似ていて、プロコフィエフは強迫性障害に似ている」というところですかね。つまりショスタコは(ロジカルな組み立てはあるものの)ものすごく感情面の表れが強くて、プロコフィエフは強迫行動を思わせるような執拗さ、そしてものすごい完璧さ、理論の裏付けなどが特徴的。別の言い方だと「ショスタコーヴィチの音楽はこちらをまっすぐ見てくるのが怖いけれど、プロコフィエフはこっちを見もせずにのめりこんでるのが怖い」。
↑は全部あくまでも私の印象・考え・解釈ですがね。
ピアノにおいての立ち位置を考えるとショスタコよりはプロコフィエフの方がよく弾かれてますし、メジャーな曲を書いている印象はありますね。
9つのソナタだったり5つの協奏曲、あとは練習曲など小さな曲まで。ショスタコは24の前奏曲とフーガがあるけどソナタは2つだけだったり、そんなにがっつりピアノ!という感じではないというか。
私はまだ日本にいてピアノを習ってた頃使ってた曲の教則本、というか曲集がソヴィエト音楽中心で、だからショスタコとかプロコフィエフの音楽もちょこちょこ弾いてて。
プロコフィエフの「タランテラ」はそんな中でも印象に残っています。当時からタランテラ好き・ニ短調好きだったので(笑)
あと我が家にPerformaなんとか、というマックのパソコンが来たときについてきた「ピーターと狼」のインタラクティブプログラムでも親しんでましたね。ただピーターと狼がプロコフィエフの作曲だとは当時あんまり思ってなかったかも。
でもそこからプロコフィエフとの接点ってのは結構飛び飛びだったりするような・・・(少なくともショスタコだともっと持続的に愛して、持続的に濃くつきあってる感がありますね)
こっちに来てメル響のコンサートに行ってプロコフィエフの交響曲第3番「炎の天使」を聴いたのは強烈に印象に残ってます。ストーリーのおもしろさ、作曲法とエフェクトの興味深さ、何もかもががつんとくる曲で。
ちなみにあらすじはこちら。このオペラが元となった交響曲で、特に以前紹介した第3楽章のスケルツォなどリアルを超越したようなビビッドである意味えぐい表現に満ちています。
ユースオケだとプロコフィエフは「キージェ中尉」とピアノ協奏曲第2番、そして「ロミオとジュリエット」をやったのみかな。(もっと最近だともちょっとがんがんいっぱい弾いてたのかもしれないけど・・・)
ピアノ協奏曲第2番はこのブログで何回か話に出しているように自分にとってものすごく特別な曲。
本当は交響曲とかも弾きたかったんだけどなあ。第5番は生で聴いてますが。
で、ピアノになると大学以降はop.12の小品のうち5つ、悪魔的暗示、そして今やっているピアノソナタ第2番。
少なさはプロコフィエフが割と大きめの手のために曲を書くこともちょこちょこある、ということも関係していますが・・・それでもなんだか「あれ、これだけ?」な感じですねえ。
悪魔的暗示は大学の最終リサイタル試験で弾いてます。小品もちょっと弾いてるのかな。
にしても何となく経験不足なのかもしれません、演奏に関しては。
先ほど書きましたようにプロコフィエフはピアノのために素晴らしいレパートリーをどんと残してて。
例えばピアノソナタの第6,7,8番は第二次世界大戦の頃に書かれたため「戦争ソナタ」と呼ばれています。大学でも6,7あたり弾いてる人何人かいましたね。
私は戦争ソナタはもうちょっとピアノの技量を磨いて、あと歳を重ねて、30過ぎてからかなあ(笑)
今第2番やってるのがものすごく性に合っててもっと磨いて自分の物にしてみたいですし、同時に第3番(単一楽章)もチャレンジしてみたい。
第6,7番あたりも好きだけれど、まずそこを堅めてもっと好きになってからかな。
そしてできればピアノソナタ、ピアノ協奏曲、できれば小品もリヒテルの演奏で録音をそろえたいですね。
彼の演奏のパワフルさだったり、がっつりピアニズム(がっつり=王道といった意味であり「がっつりしたスタイル」という意味でもあり)、そしてソヴィエトなスタイルとプロコフィエフのトリッキーなテクニックをしっかりものにしてしまう技巧はやっぱりすごい。プロコフィエフはいつだって彼の演奏で聴きたい。
私は女性で体も小さくてソヴィエトに生きることはなかったけれどリヒテルの演奏から学んで身につけたいものいっぱいで。
ショスタコについて書いたとき話しましたが私はソヴィエトとその歴史にものすごくい思い入れがあって、ピアノを弾くにしてもソヴィエトらしくソヴィエト音楽を弾きたい、再現しながら自分の思いの丈を表現したい、と思っています。
そのためにはやっぱりピアノソナタ第2番、悪魔的暗示、それから小品いくつかをしっかり基盤として固めなくちゃいけないかな。パワーと技巧とソヴィエトテイストと、そしてもう少し余裕。
できれば将来的にソナタ第2番は人前でやったほうがいいし、やりたいですし、やれるようになりたい。
またショスタコと比べちゃってあれですが、これまでショスタコと積み重ねたものに負けないくらいの心持ちでプロコフィエフの音楽ともつきあっていきたいですね。
今日の一曲 セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第4楽章
ブラームスの得意がワルツと子守歌ならプロコフィエフの得意はマーチとタランテラ(単純化しすぎ?)。
一時代前のチャイコフスキーの頃から寒いロシアの作曲家はイタリアの様々な物にあこがれていたようで、その中でも「タランテラ」という舞曲のフォーマットは主にロシア界隈で作曲された物が有名です。
それはソヴィエト時代も続いて、割と「最終楽章がロンドでタランテラ風」というのはちょこちょこ見られるような気がします。その中でもやっぱりこの曲の存在感はしっかりありますねー。
小さい頃弾いたタランテラと(調も一緒ですが)色々似たところありますよ。
プロコフィエフの音楽全般における最大の、そして他ではなかなか見られない特徴、というのがメロディーにおいてやたらと音が飛ぶ、ということ。歌うメロディーだと普通は1オクターブくらいに音域を基本押さえなさい、と言われることもありますが、プロコフィエフのメロディーは1オクターブ音が飛んで、そこからまた同じくらい音が飛んで、などかなりアクロバットな物が多いです。子の曲でも思うんですが弾いてて一苦労。
なにかどこか狂ったような壊れたような、悪夢のサーカスのようなこの楽章のハイライトは中間部。
ものすごーくゆがんだ形でこの楽章で出てきたメロディーの断片が立ち替わり入れ替わり現れる中、執拗に繰り返される「ドのシャープ」。
元々音階において7番目の音は8番目(=1番目)の音、主音に行きたがる引力みたいのがあって。
ドレミファソラシド、だとシ→ドの引力が強いのですが、この曲のニ短調だとド♯→レに行きたがるんですね。
さらにド♯はこのセクションのハーモニーに含まれてない事が多く、突然入って来るとびっくり、だけじゃなく不協和音的な不快感を与えるわけです。
他が全部めまぐるしく狂っててどこにいくか分からないところにこれ(ド♯)で、とにかく聴衆を「早くここから出してくれ!」な状態にしたところでド♯→レの流れ+最初のテーマに戻るところの満足感やプロコフィエフの音楽心理学の勝利ですよ(笑)
とにかく聴いてみてください。プロコフィエフの先ほど書きました「強迫性障害的な」感じが垣間見れるかと思います。
そうするとやっぱり私としてはこの「ド♯」繰り返しの部分がものすごく狂ってる、ド♯がものすごくぶしつけに弾かれてる演奏が好ましい、ということで(笑)
リンクしたCDは私が前購入したやつですが、曲のラインアップが興味深いこと、リヒテルの20世紀音楽の演奏が非常に面白いこと、そして生演奏の粗さもあるながら(それはそれで面白い)この曲の勢い、パワーに圧倒される物凄い録音です。
鬼気迫る恐怖感&毒々しさがもうたまらない!
(こんな風の10分の1でも弾けたらなあ・・・と思うんだけどなあ。)
最近ちょっとだんだん練習レパートリー改編期に入りつつあり。
そのなかでもプーランクの即興曲第3番はものすごく壁にぶち当たった感じでものすごく悔しい感じでギブアップ。
このころころ変わる気質に頭がついてけず集中力が散漫になってしまうのはもっとプーランクを弾き重ねないと慣れないものなのか・・・
嫌いになった訳じゃないのでまたの機会に再チャレンジしたいです。
そしてその他諸々ある中、ふと気づいてみれば去年の春頃?に始めたプロコフィエフのピアノソナタ第2番も最終楽章。1番好きな楽章ですがかなりトリッキーなタランテラ。
目標としては毒いっぱいパワフルに、毒を楽しんで弾けるようになれれば良いかな。独特のユーモアが鋭く突き刺さるのでちょろっとどこかで弾けたらいいな、とか思ってるんですが。
でもプロコフィエフの音楽って私にとっては習得するのも弾くのも聴くのも好きながら人前で弾くとなるとどうも気が引けてしまう感じがあって。
不協和音的なところもありながら曲の組み立て、音の連なりはものすごくロジカルなので問題は暗譜ではないんですよね。
きっと一番キーとなってるのは「自分はプロコフィエフを弾くときに余裕を感じたことがほとんどない」ということかと。
ピアノにおいての技巧のレベル(プロコフィエフの技巧はまたちょっと特殊なとこありますが)もそうですし、ちょっと体力に関するところもあったりするのですが、それだけでなく弾いてて色々余裕を感じられない。
楽しいんだけどどこか心地良さを感じることができない。(そもそも心地良さというのとはちょっと違うのかも)
練習してるのと演奏してるのでは緊張なども相まって身体的に、肉体的に余裕がいつもよりなくなるものなのですが、プロコフィエフの音楽はそこのところが厳しくなりやすいのかもしれませんね。
プロコフィエフは同じ時代・国で生きた、そしてそれにより似たようなテイストを持った音楽を書いたショスタコーヴィチを比較対象にされることが多いですね。なので今回ここでもショスタコと比べるようにしてちょっと話ます。
どちらもソヴィエトの偉大な作曲家で、交響曲などの大ジャンルからもっと小規模の曲までいろいろな音楽を書いています。
この2人の作曲家の違いを説明すると、「ショスタコはうつに似ていて、プロコフィエフは強迫性障害に似ている」というところですかね。つまりショスタコは(ロジカルな組み立てはあるものの)ものすごく感情面の表れが強くて、プロコフィエフは強迫行動を思わせるような執拗さ、そしてものすごい完璧さ、理論の裏付けなどが特徴的。別の言い方だと「ショスタコーヴィチの音楽はこちらをまっすぐ見てくるのが怖いけれど、プロコフィエフはこっちを見もせずにのめりこんでるのが怖い」。
↑は全部あくまでも私の印象・考え・解釈ですがね。
ピアノにおいての立ち位置を考えるとショスタコよりはプロコフィエフの方がよく弾かれてますし、メジャーな曲を書いている印象はありますね。
9つのソナタだったり5つの協奏曲、あとは練習曲など小さな曲まで。ショスタコは24の前奏曲とフーガがあるけどソナタは2つだけだったり、そんなにがっつりピアノ!という感じではないというか。
私はまだ日本にいてピアノを習ってた頃使ってた曲の教則本、というか曲集がソヴィエト音楽中心で、だからショスタコとかプロコフィエフの音楽もちょこちょこ弾いてて。
プロコフィエフの「タランテラ」はそんな中でも印象に残っています。当時からタランテラ好き・ニ短調好きだったので(笑)
あと我が家にPerformaなんとか、というマックのパソコンが来たときについてきた「ピーターと狼」のインタラクティブプログラムでも親しんでましたね。ただピーターと狼がプロコフィエフの作曲だとは当時あんまり思ってなかったかも。
でもそこからプロコフィエフとの接点ってのは結構飛び飛びだったりするような・・・(少なくともショスタコだともっと持続的に愛して、持続的に濃くつきあってる感がありますね)
こっちに来てメル響のコンサートに行ってプロコフィエフの交響曲第3番「炎の天使」を聴いたのは強烈に印象に残ってます。ストーリーのおもしろさ、作曲法とエフェクトの興味深さ、何もかもががつんとくる曲で。
ちなみにあらすじはこちら。このオペラが元となった交響曲で、特に以前紹介した第3楽章のスケルツォなどリアルを超越したようなビビッドである意味えぐい表現に満ちています。
ユースオケだとプロコフィエフは「キージェ中尉」とピアノ協奏曲第2番、そして「ロミオとジュリエット」をやったのみかな。(もっと最近だともちょっとがんがんいっぱい弾いてたのかもしれないけど・・・)
ピアノ協奏曲第2番はこのブログで何回か話に出しているように自分にとってものすごく特別な曲。
本当は交響曲とかも弾きたかったんだけどなあ。第5番は生で聴いてますが。
で、ピアノになると大学以降はop.12の小品のうち5つ、悪魔的暗示、そして今やっているピアノソナタ第2番。
少なさはプロコフィエフが割と大きめの手のために曲を書くこともちょこちょこある、ということも関係していますが・・・それでもなんだか「あれ、これだけ?」な感じですねえ。
悪魔的暗示は大学の最終リサイタル試験で弾いてます。小品もちょっと弾いてるのかな。
にしても何となく経験不足なのかもしれません、演奏に関しては。
先ほど書きましたようにプロコフィエフはピアノのために素晴らしいレパートリーをどんと残してて。
例えばピアノソナタの第6,7,8番は第二次世界大戦の頃に書かれたため「戦争ソナタ」と呼ばれています。大学でも6,7あたり弾いてる人何人かいましたね。
私は戦争ソナタはもうちょっとピアノの技量を磨いて、あと歳を重ねて、30過ぎてからかなあ(笑)
今第2番やってるのがものすごく性に合っててもっと磨いて自分の物にしてみたいですし、同時に第3番(単一楽章)もチャレンジしてみたい。
第6,7番あたりも好きだけれど、まずそこを堅めてもっと好きになってからかな。
そしてできればピアノソナタ、ピアノ協奏曲、できれば小品もリヒテルの演奏で録音をそろえたいですね。
彼の演奏のパワフルさだったり、がっつりピアニズム(がっつり=王道といった意味であり「がっつりしたスタイル」という意味でもあり)、そしてソヴィエトなスタイルとプロコフィエフのトリッキーなテクニックをしっかりものにしてしまう技巧はやっぱりすごい。プロコフィエフはいつだって彼の演奏で聴きたい。
私は女性で体も小さくてソヴィエトに生きることはなかったけれどリヒテルの演奏から学んで身につけたいものいっぱいで。
ショスタコについて書いたとき話しましたが私はソヴィエトとその歴史にものすごくい思い入れがあって、ピアノを弾くにしてもソヴィエトらしくソヴィエト音楽を弾きたい、再現しながら自分の思いの丈を表現したい、と思っています。
そのためにはやっぱりピアノソナタ第2番、悪魔的暗示、それから小品いくつかをしっかり基盤として固めなくちゃいけないかな。パワーと技巧とソヴィエトテイストと、そしてもう少し余裕。
できれば将来的にソナタ第2番は人前でやったほうがいいし、やりたいですし、やれるようになりたい。
またショスタコと比べちゃってあれですが、これまでショスタコと積み重ねたものに負けないくらいの心持ちでプロコフィエフの音楽ともつきあっていきたいですね。
今日の一曲 セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第4楽章
ブラームスの得意がワルツと子守歌ならプロコフィエフの得意はマーチとタランテラ(単純化しすぎ?)。
一時代前のチャイコフスキーの頃から寒いロシアの作曲家はイタリアの様々な物にあこがれていたようで、その中でも「タランテラ」という舞曲のフォーマットは主にロシア界隈で作曲された物が有名です。
それはソヴィエト時代も続いて、割と「最終楽章がロンドでタランテラ風」というのはちょこちょこ見られるような気がします。その中でもやっぱりこの曲の存在感はしっかりありますねー。
小さい頃弾いたタランテラと(調も一緒ですが)色々似たところありますよ。
プロコフィエフの音楽全般における最大の、そして他ではなかなか見られない特徴、というのがメロディーにおいてやたらと音が飛ぶ、ということ。歌うメロディーだと普通は1オクターブくらいに音域を基本押さえなさい、と言われることもありますが、プロコフィエフのメロディーは1オクターブ音が飛んで、そこからまた同じくらい音が飛んで、などかなりアクロバットな物が多いです。子の曲でも思うんですが弾いてて一苦労。
なにかどこか狂ったような壊れたような、悪夢のサーカスのようなこの楽章のハイライトは中間部。
ものすごーくゆがんだ形でこの楽章で出てきたメロディーの断片が立ち替わり入れ替わり現れる中、執拗に繰り返される「ドのシャープ」。
元々音階において7番目の音は8番目(=1番目)の音、主音に行きたがる引力みたいのがあって。
ドレミファソラシド、だとシ→ドの引力が強いのですが、この曲のニ短調だとド♯→レに行きたがるんですね。
さらにド♯はこのセクションのハーモニーに含まれてない事が多く、突然入って来るとびっくり、だけじゃなく不協和音的な不快感を与えるわけです。
他が全部めまぐるしく狂っててどこにいくか分からないところにこれ(ド♯)で、とにかく聴衆を「早くここから出してくれ!」な状態にしたところでド♯→レの流れ+最初のテーマに戻るところの満足感やプロコフィエフの音楽心理学の勝利ですよ(笑)
とにかく聴いてみてください。プロコフィエフの先ほど書きました「強迫性障害的な」感じが垣間見れるかと思います。
そうするとやっぱり私としてはこの「ド♯」繰り返しの部分がものすごく狂ってる、ド♯がものすごくぶしつけに弾かれてる演奏が好ましい、ということで(笑)
リンクしたCDは私が前購入したやつですが、曲のラインアップが興味深いこと、リヒテルの20世紀音楽の演奏が非常に面白いこと、そして生演奏の粗さもあるながら(それはそれで面白い)この曲の勢い、パワーに圧倒される物凄い録音です。
鬼気迫る恐怖感&毒々しさがもうたまらない!
(こんな風の10分の1でも弾けたらなあ・・・と思うんだけどなあ。)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
最近頭を占めてるのがほとんどピアノと仕事と某本舗(中部地区を中心としたフードバトルのまっただ中)と、あとは突発的に一人でしか盛り上がれないような何か(小ネタにもならない)が来ては去って来ては去って、という状態で。
書き物はもちろんですが小ネタもやりたいし絵も描きたいし、意欲だけがだいぶ空回りしております。
そんな中一昨日の夜、祖父から届いたDVDに入ってた年末の特番「頭脳王」を観てまして。
なかなかハイレベルな問題ぞろいながら妹と共にできるところは一旦DVDを止めたりもしながら妹とちょっと書き出してみたり。(Eで始まる10文字以上の英単語は面白かったですね~2人比べると)
残念ながら妹は天文学はさっぱりなので一等星を書く問題は一人でやりました。後でチェックしたら21個しかないんですよね。10個くらいは書けたかな。
で、リストを見てみるとなかなか南半球の星として親しみふが深いものも多いですね。
みなみじゅうじ座から2つ、その隣にあるケンタウルス座の通称Pointersと呼ばれる2つの星もそうですし、カノープスは全天で2番目に明るい星ですし。
日本では授業とかだと習わない(母談)これらの星をいくつカバーできるか、というのが勝負の分かれどころなのかしら(他の問題、確かローマ皇帝をリストする問題で「教科書で習わない部分をどこまで出せるか」的なことを言ってたので一等星の問題もそうなのかな、と)。
もともと星座のいろいろが北半球で決められたのと、あと天文学でいう南半球には明るい星・星座の数(そして目立つ星座の数も)が少ないのもあってちょっとつまらないなーみたいなところはありますが。
でもエアーズロックに行ったときとかは南十字を始め南の星空を観るツアーもありますしね。
ちなみにメルボルンで見えないな、という星座にはこんなものがあります:(全部じゃないとは思いますが)
こぐま座、おおぐま座、りゅう座、はくちょう座、こと座?、わし座?、カシオペア座・・・くらいかな。
南半球に来て観光対象になる星座といえば南十字星(みなみじゅうじ座)とカノープス(りゅうこつ座)でしょうか。
後者は先ほども書きましたが全天で2番目に明るい星で(日本でも見えますが割と低めの位置で見えて赤っぽく見えるらしいですね)。中国では南極老人といって長寿の星、と言われているらしいです。エアーズロックに行ったとき「見ると寿命が延びる」と聞いたのはそれですかね。今調べたらメルボルンでは沈まないらしいですのでありがたみはそこまではないですが(笑)
みなみじゅうじ座は国旗にものっててサザンクロスという名でも有名です(銀河鉄道の夜!)。メルボルンでは地平線近くまで降りることはあっても確か沈むことはないはず。かならずといっていいほど南の方角にあるのでだいたいで良いときは方角を知るのにも使えます。
ニュージーランドの国旗にもサザンクロスはついていますが、あっちの国旗は星が赤く、星が4つ。メインの「十字」の部分だけが表されています。
オーストラリアの国旗は白い星で「みなみじゅうじ座」全体、つまり十字プラスその間にある少し暗い星で5つの星が記されています。(旗の左側の七つの角を持つ星は天文学的なあれではないようです)
先ほどみなみじゅうじ座には2つ一等星があると書きましたが、オーストラリアの国旗で見ると一番下の星(Acrux/alpha crucis)と向かって左側の星(Bacrux/beta crucis、別名ミモザ)が一等星です。
良くツアーでも話されることですがみなみじゅうじ座の近く(っていうほどでもないかな?)にはああいう十字型に見える星がもう一つあって、それがちょっとまぎらわしかったりするのです。Wikipediaにも記事ができてたり(笑)
確実にみなみじゅうじ座を見つけるにはまずPointersを見つけるべし、ということで。
先ほども書きましたがPointersというのはケンタウルス座の一等星2つ。南の方角に並んでひときわ明るい星が二つ並んでいるのですぐ分かる・・・はず。それが見えればもうみなみじゅうじ座は視界に入る・・・はず。
誰にでも確実に見つかる、とは言いませんが・・・
でもしょっちゅう見て練習してたら数年もしないうちに10秒でサザンクロス見つけられるようになりました(笑)ただし地平線に近いときは無理です。
後はおおむね北半球と同じ星座が見えるはず。
日本で言うところの夏の大三角形(ベガ・デネブ・アルタイル)は見えませんがさそり座とかは見えますし、冬のあのオリオン座とかそっちらへんは同じですし。
ただみんな逆立ちしてますよ~オリオン座が一番わかりやすいですが(あとお月様も逆立ちですしね)。
市街地でも普通に星は見えますけど、やっぱりただっぴろい何にもないところ(オーストラリアの国土の大半)とか田舎で満天の星空を見たいところ。銀河鉄道の夜であった石炭袋も見えるのかな。
エアーズロックは回りになんにもない(笑)ですし空気もきれいですから夜のツアーはものすごくおすすめです。
今住んでるところはちょっとアパートが多かったりしてなかなか星見にはいいロケーションじゃないのですが、ちょっとした目標としてアルファード、レグルス、フォーマルハウト、アルデバランあたり見て分かるようになったらいいなあーとか思ってます。
そしてたまーにははくちょう座のアルビレオとか見てみたいですね。日本に行ったらちょっとは余裕できるかしら。
とにかくメルボルンに来た際はサザンクロスに関しては任せてください!(ほんとかー?)
今日の一曲: エドワード・エルガー 「雪」
(amazonで見つからなかったためHyperionのサイトから。良い曲なのに見つからないよ!)
ちょっとぶりになっちゃったかな?合唱曲から一つ。
私が通ってた学校の合唱部がそれはそれはレベル高かったときに作ったCDに入ってた曲です。(女子校なので女声合唱です)
本当に合唱が強かったんですよ。コンクール出たり、この頃在学してた生徒で今も声楽プロでやってる人も居ますし。当時はオケも強かったなあ、とか思い出したり。
合唱曲・歌曲でピアノやオルガン、オケなどの伴奏の他に楽器が活躍する曲って割とあるんですよね。例えばウォーロックの「シャクシギ」ではフルート+コール・アングレ+弦楽四重奏の伴奏だったり、ブラームスのアルト・ラプソディーではビオラが活躍したり。
このエルガーの「雪」ではバイオリン2人が合唱+ピアノ伴奏に加わります。結構合唱と全く独立した動きをしていることが多くて、ものすごーく不思議なテクスチャになります。まるで合唱団の周りに雪を降らせているような。
2人のバイオリニストの音が絡み合ったり離れたり、奏でる親密なアンサンブルはそれだけ集中して聞いてても最高に美しいです。
エルガーはチェロ協奏曲や弦楽セレナード、エニグマ変奏曲の一部などでホ短調・ト長調の1個シャープ調が得意な印象がありますが、「雪」はこの2つの調を行き来する曲です。どちらもものすごく明るいとかものすごく暗いとか、そういう調ではないのですが、そのさりげない明暗の細やかな変化がなんとも美しいです。
そして雪とはいえどもどちらかというと冬よりは秋の終わりのような空気の温度と感覚、これもまたエルガーの音楽の特性といいますか。
そして今ちょっとこの曲の歌詞を調べてたのですが歌詞を書いたのが「C. Alice Elgar」、つまり(エニグマ変奏曲にも出てくるエルガーの奥さんだったんですね!
彼女が作家であること、そしてエルガーの歌曲の歌詞をいくつか手がけてるのは知ってたんですが。
かかあ天下という話は良く聞きますが、同時に夫婦仲睦まじいとも聞いてますし、こういう夫婦関係も、そういう愛の結晶も良いな~と思いますね。ちょっとうらやましい(笑)
それがなくてもすごーく美しい曲です。「雪」は作品番号がop.26-1、とあって曲集としてどうやら同じ楽器編成でまだ曲があるらしいので機会があったら出会いたいと思います。楽しみ。
最近頭を占めてるのがほとんどピアノと仕事と某本舗(中部地区を中心としたフードバトルのまっただ中)と、あとは突発的に一人でしか盛り上がれないような何か(小ネタにもならない)が来ては去って来ては去って、という状態で。
書き物はもちろんですが小ネタもやりたいし絵も描きたいし、意欲だけがだいぶ空回りしております。
そんな中一昨日の夜、祖父から届いたDVDに入ってた年末の特番「頭脳王」を観てまして。
なかなかハイレベルな問題ぞろいながら妹と共にできるところは一旦DVDを止めたりもしながら妹とちょっと書き出してみたり。(Eで始まる10文字以上の英単語は面白かったですね~2人比べると)
残念ながら妹は天文学はさっぱりなので一等星を書く問題は一人でやりました。後でチェックしたら21個しかないんですよね。10個くらいは書けたかな。
で、リストを見てみるとなかなか南半球の星として親しみふが深いものも多いですね。
みなみじゅうじ座から2つ、その隣にあるケンタウルス座の通称Pointersと呼ばれる2つの星もそうですし、カノープスは全天で2番目に明るい星ですし。
日本では授業とかだと習わない(母談)これらの星をいくつカバーできるか、というのが勝負の分かれどころなのかしら(他の問題、確かローマ皇帝をリストする問題で「教科書で習わない部分をどこまで出せるか」的なことを言ってたので一等星の問題もそうなのかな、と)。
もともと星座のいろいろが北半球で決められたのと、あと天文学でいう南半球には明るい星・星座の数(そして目立つ星座の数も)が少ないのもあってちょっとつまらないなーみたいなところはありますが。
でもエアーズロックに行ったときとかは南十字を始め南の星空を観るツアーもありますしね。
ちなみにメルボルンで見えないな、という星座にはこんなものがあります:(全部じゃないとは思いますが)
こぐま座、おおぐま座、りゅう座、はくちょう座、こと座?、わし座?、カシオペア座・・・くらいかな。
南半球に来て観光対象になる星座といえば南十字星(みなみじゅうじ座)とカノープス(りゅうこつ座)でしょうか。
後者は先ほども書きましたが全天で2番目に明るい星で(日本でも見えますが割と低めの位置で見えて赤っぽく見えるらしいですね)。中国では南極老人といって長寿の星、と言われているらしいです。エアーズロックに行ったとき「見ると寿命が延びる」と聞いたのはそれですかね。今調べたらメルボルンでは沈まないらしいですのでありがたみはそこまではないですが(笑)
みなみじゅうじ座は国旗にものっててサザンクロスという名でも有名です(銀河鉄道の夜!)。メルボルンでは地平線近くまで降りることはあっても確か沈むことはないはず。かならずといっていいほど南の方角にあるのでだいたいで良いときは方角を知るのにも使えます。
ニュージーランドの国旗にもサザンクロスはついていますが、あっちの国旗は星が赤く、星が4つ。メインの「十字」の部分だけが表されています。
オーストラリアの国旗は白い星で「みなみじゅうじ座」全体、つまり十字プラスその間にある少し暗い星で5つの星が記されています。(旗の左側の七つの角を持つ星は天文学的なあれではないようです)
先ほどみなみじゅうじ座には2つ一等星があると書きましたが、オーストラリアの国旗で見ると一番下の星(Acrux/alpha crucis)と向かって左側の星(Bacrux/beta crucis、別名ミモザ)が一等星です。
良くツアーでも話されることですがみなみじゅうじ座の近く(っていうほどでもないかな?)にはああいう十字型に見える星がもう一つあって、それがちょっとまぎらわしかったりするのです。Wikipediaにも記事ができてたり(笑)
確実にみなみじゅうじ座を見つけるにはまずPointersを見つけるべし、ということで。
先ほども書きましたがPointersというのはケンタウルス座の一等星2つ。南の方角に並んでひときわ明るい星が二つ並んでいるのですぐ分かる・・・はず。それが見えればもうみなみじゅうじ座は視界に入る・・・はず。
誰にでも確実に見つかる、とは言いませんが・・・
でもしょっちゅう見て練習してたら数年もしないうちに10秒でサザンクロス見つけられるようになりました(笑)ただし地平線に近いときは無理です。
後はおおむね北半球と同じ星座が見えるはず。
日本で言うところの夏の大三角形(ベガ・デネブ・アルタイル)は見えませんがさそり座とかは見えますし、冬のあのオリオン座とかそっちらへんは同じですし。
ただみんな逆立ちしてますよ~オリオン座が一番わかりやすいですが(あとお月様も逆立ちですしね)。
市街地でも普通に星は見えますけど、やっぱりただっぴろい何にもないところ(オーストラリアの国土の大半)とか田舎で満天の星空を見たいところ。銀河鉄道の夜であった石炭袋も見えるのかな。
エアーズロックは回りになんにもない(笑)ですし空気もきれいですから夜のツアーはものすごくおすすめです。
今住んでるところはちょっとアパートが多かったりしてなかなか星見にはいいロケーションじゃないのですが、ちょっとした目標としてアルファード、レグルス、フォーマルハウト、アルデバランあたり見て分かるようになったらいいなあーとか思ってます。
そしてたまーにははくちょう座のアルビレオとか見てみたいですね。日本に行ったらちょっとは余裕できるかしら。
とにかくメルボルンに来た際はサザンクロスに関しては任せてください!(ほんとかー?)
今日の一曲: エドワード・エルガー 「雪」
(amazonで見つからなかったためHyperionのサイトから。良い曲なのに見つからないよ!)
ちょっとぶりになっちゃったかな?合唱曲から一つ。
私が通ってた学校の合唱部がそれはそれはレベル高かったときに作ったCDに入ってた曲です。(女子校なので女声合唱です)
本当に合唱が強かったんですよ。コンクール出たり、この頃在学してた生徒で今も声楽プロでやってる人も居ますし。当時はオケも強かったなあ、とか思い出したり。
合唱曲・歌曲でピアノやオルガン、オケなどの伴奏の他に楽器が活躍する曲って割とあるんですよね。例えばウォーロックの「シャクシギ」ではフルート+コール・アングレ+弦楽四重奏の伴奏だったり、ブラームスのアルト・ラプソディーではビオラが活躍したり。
このエルガーの「雪」ではバイオリン2人が合唱+ピアノ伴奏に加わります。結構合唱と全く独立した動きをしていることが多くて、ものすごーく不思議なテクスチャになります。まるで合唱団の周りに雪を降らせているような。
2人のバイオリニストの音が絡み合ったり離れたり、奏でる親密なアンサンブルはそれだけ集中して聞いてても最高に美しいです。
エルガーはチェロ協奏曲や弦楽セレナード、エニグマ変奏曲の一部などでホ短調・ト長調の1個シャープ調が得意な印象がありますが、「雪」はこの2つの調を行き来する曲です。どちらもものすごく明るいとかものすごく暗いとか、そういう調ではないのですが、そのさりげない明暗の細やかな変化がなんとも美しいです。
そして雪とはいえどもどちらかというと冬よりは秋の終わりのような空気の温度と感覚、これもまたエルガーの音楽の特性といいますか。
そして今ちょっとこの曲の歌詞を調べてたのですが歌詞を書いたのが「C. Alice Elgar」、つまり(エニグマ変奏曲にも出てくるエルガーの奥さんだったんですね!
彼女が作家であること、そしてエルガーの歌曲の歌詞をいくつか手がけてるのは知ってたんですが。
かかあ天下という話は良く聞きますが、同時に夫婦仲睦まじいとも聞いてますし、こういう夫婦関係も、そういう愛の結晶も良いな~と思いますね。ちょっとうらやましい(笑)
それがなくてもすごーく美しい曲です。「雪」は作品番号がop.26-1、とあって曲集としてどうやら同じ楽器編成でまだ曲があるらしいので機会があったら出会いたいと思います。楽しみ。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
そして前回の更新からちょっとたってしまってた間に訪問ありがとうございました~
検索キーワードを見てまた「ここに来て探してたものに少しでも近いものが見つかったかしら」と心配になったり。
探してたものに限らずここでなにかしらん見つかったらいいなあ・・・と常日頃思っていますが。
昨日は去年友達の誕生日で知り合った年下(まだ大学在学中です)の日本人の男の子とちょっと夜ご飯に行ってきました。諸都合であんまりゆっくりはできなかったのですがチャイナタウンでちょっと日本食を。おいしいところだったので今後また行きたいかも。
まだ知り合ったばっかりでどういう感じでどういう話をしたらいいか、楽しいか、というのはまだ模索中。こちらで日本人の友達ができるのはずいぶん久しぶりで(しかも大学でこっちにきた留学生でなく高校もこちらで行っている、オーストラリア歴が長くて自分と経歴が似ているのでなおさら)。
楽しかったので今度はお酒でも~と誘った私は単なる酒好きです(笑)
なんとか仕事もスケジュール通り行きそうで、だんだん他のことも考えられるようになってきました。
とりあえずはこないだの続きというか、演奏するなら何が弾けるか、何を弾くか、何を表現したいか。
今のところ1st draftととして曲のリストがこんな感じに。
ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律第2巻第8番 嬰ニ短調
または
ヨハン・セバスチャン・バッハ トッカータ ホ短調
アレクサンドル・スクリャービン 炎に向かって
エイトル・ヴィラ=ロボス ブラジルのバッハ 第4番第2楽章
オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より
第5番 「子に注ぐ子のまなざし」
第7番 「十字架のまなざし」
第14番 「天使のまなざし」
第11番 「聖母の最初の聖体拝受」
バッハがですねえ・・・まだ平均律の方を弾いてみないことには分からないかな。トッカータは演奏経験あるのでいざとなったら選べますがとりあえず平均律の方を試してみたい。ヴィジョンができるかどうか、そこにかかってます。
そして全体の順番も固まってないです。メシアンは後半に上記の順番でやることはほぼ決定なんですが。
全部キリスト教だったりそうでなかったり、違う性質の信仰、というかどっちかというと神秘性をはらんだ曲なんですが、わりとそのぼんやりとしたつながりしかなくて。
これをどうやって形作っていくか、どういう世界(時間・空間的どっちも)を表現していくか、それが自分にとって要かな。
(でもそうやって「順番」で形作れる可能性がある、というのがね。その「プログラム全体のデザイン」の力を信じているんです)
ヴィラ=ロボスは第2楽章だけ。全部、または複数楽章やるとブラジル色に染まるか残りのプログラムと比べて浮くか、なので。バッハから「ブラジルのバッハ」へ、というつながりもありますがこのコラール楽章のオープニングがちょっとメシアンの「子に注ぐ~」に似てるところがあるので。これを利用しない手はない、と思いまして。
ここら辺から考えていくと「光」の使い方がプログラム組のヒントになるような感じも。先ほども書きましたがそれは空間的な話じゃなくて、時間的にも考えなくちゃいけないところで。
そんなこんなで色々考えてます。
なるべく早く確信を持って安心したいですからねー。
仕事もまだまだ気は抜けないですが、友達と会ったり遊びに行ったりする約束もつけちゃってますしぼちぼち暮らしていきたいです。結構ストレスに早くに音を上げちゃう方ですのでちょっと我慢も覚えないとですね。
こちらの方も、そして書き物の方もなんとか余裕ができれば。あと本読むのとか。アルケミーゴシックもそろそろ買いに行きたい(そしてネットで新作がでるのが楽しみ)ですし。
あとは願わくはもうちょっと夏らしく夏を過ごさせてくれ!メルボルン天候!
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「くるみ割り人形」より「アラビアの踊り(コーヒー)」
偉大な曲は結構割と派手な音楽、壮大な音楽というイメージがありますが、でも小さいスケールの音楽だって劣っているわけじゃないんですよね。
西洋でいう「ジャパニーズ・ミニチュア」というか、小さくて細部までものすごく精巧にできていて、完璧な働きを見せる、そういう曲の代名詞といえるのがこのチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。
ストーリーも、キャラクターも、感情も、オケもなにもかもこじんまりしている「くるみ割り人形」ですが、取るに足らないなんてことは全然ありません。そのディテールの凝りようを見始めるともう驚くこといっぱい!
この「アラビアの踊り」もシンプルながらものすごい魅力にあふれてて。
まずベースラインのリズム!レガートとスタッカートを組み合わせただけでこんな粋なベースラインができるものか、というさりげないサポートライン。
そしてメロディーを吹く2本のクラリネットの音のベルベットのごときなめらかさ、シルクのごときしなやかさ。
ミュート付きの弦楽器のこれまた暖かくソフトなアンサンブル。
後ほどその上に入って来るオーボエの(ちょっと感情抑えめの)カウンターメロディーの息の長くエキゾチックなこと。
ちょっと聴き気づかないですが、細かいとこまでパーフェクトに設計されてプロデュースされた音なんですよね。
ちなみにバレエではこの踊りは比較的年上のダンサーが3人、1人女性と2人男性(上半身裸)で踊ることが多いような気がしますが実際のところどうなんでしょう、他のフォーマットはあるのかしら。
やっぱり「お菓子」とはいってもコーヒーはまた大人のたしなみ、というのが曲の雰囲気にも踊りにも現れているところも面白いですね。
そして前回の更新からちょっとたってしまってた間に訪問ありがとうございました~
検索キーワードを見てまた「ここに来て探してたものに少しでも近いものが見つかったかしら」と心配になったり。
探してたものに限らずここでなにかしらん見つかったらいいなあ・・・と常日頃思っていますが。
昨日は去年友達の誕生日で知り合った年下(まだ大学在学中です)の日本人の男の子とちょっと夜ご飯に行ってきました。諸都合であんまりゆっくりはできなかったのですがチャイナタウンでちょっと日本食を。おいしいところだったので今後また行きたいかも。
まだ知り合ったばっかりでどういう感じでどういう話をしたらいいか、楽しいか、というのはまだ模索中。こちらで日本人の友達ができるのはずいぶん久しぶりで(しかも大学でこっちにきた留学生でなく高校もこちらで行っている、オーストラリア歴が長くて自分と経歴が似ているのでなおさら)。
楽しかったので今度はお酒でも~と誘った私は単なる酒好きです(笑)
なんとか仕事もスケジュール通り行きそうで、だんだん他のことも考えられるようになってきました。
とりあえずはこないだの続きというか、演奏するなら何が弾けるか、何を弾くか、何を表現したいか。
今のところ1st draftととして曲のリストがこんな感じに。
ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律第2巻第8番 嬰ニ短調
または
ヨハン・セバスチャン・バッハ トッカータ ホ短調
アレクサンドル・スクリャービン 炎に向かって
エイトル・ヴィラ=ロボス ブラジルのバッハ 第4番第2楽章
オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より
第5番 「子に注ぐ子のまなざし」
第7番 「十字架のまなざし」
第14番 「天使のまなざし」
第11番 「聖母の最初の聖体拝受」
バッハがですねえ・・・まだ平均律の方を弾いてみないことには分からないかな。トッカータは演奏経験あるのでいざとなったら選べますがとりあえず平均律の方を試してみたい。ヴィジョンができるかどうか、そこにかかってます。
そして全体の順番も固まってないです。メシアンは後半に上記の順番でやることはほぼ決定なんですが。
全部キリスト教だったりそうでなかったり、違う性質の信仰、というかどっちかというと神秘性をはらんだ曲なんですが、わりとそのぼんやりとしたつながりしかなくて。
これをどうやって形作っていくか、どういう世界(時間・空間的どっちも)を表現していくか、それが自分にとって要かな。
(でもそうやって「順番」で形作れる可能性がある、というのがね。その「プログラム全体のデザイン」の力を信じているんです)
ヴィラ=ロボスは第2楽章だけ。全部、または複数楽章やるとブラジル色に染まるか残りのプログラムと比べて浮くか、なので。バッハから「ブラジルのバッハ」へ、というつながりもありますがこのコラール楽章のオープニングがちょっとメシアンの「子に注ぐ~」に似てるところがあるので。これを利用しない手はない、と思いまして。
ここら辺から考えていくと「光」の使い方がプログラム組のヒントになるような感じも。先ほども書きましたがそれは空間的な話じゃなくて、時間的にも考えなくちゃいけないところで。
そんなこんなで色々考えてます。
なるべく早く確信を持って安心したいですからねー。
仕事もまだまだ気は抜けないですが、友達と会ったり遊びに行ったりする約束もつけちゃってますしぼちぼち暮らしていきたいです。結構ストレスに早くに音を上げちゃう方ですのでちょっと我慢も覚えないとですね。
こちらの方も、そして書き物の方もなんとか余裕ができれば。あと本読むのとか。アルケミーゴシックもそろそろ買いに行きたい(そしてネットで新作がでるのが楽しみ)ですし。
あとは願わくはもうちょっと夏らしく夏を過ごさせてくれ!メルボルン天候!
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「くるみ割り人形」より「アラビアの踊り(コーヒー)」
偉大な曲は結構割と派手な音楽、壮大な音楽というイメージがありますが、でも小さいスケールの音楽だって劣っているわけじゃないんですよね。
西洋でいう「ジャパニーズ・ミニチュア」というか、小さくて細部までものすごく精巧にできていて、完璧な働きを見せる、そういう曲の代名詞といえるのがこのチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。
ストーリーも、キャラクターも、感情も、オケもなにもかもこじんまりしている「くるみ割り人形」ですが、取るに足らないなんてことは全然ありません。そのディテールの凝りようを見始めるともう驚くこといっぱい!
この「アラビアの踊り」もシンプルながらものすごい魅力にあふれてて。
まずベースラインのリズム!レガートとスタッカートを組み合わせただけでこんな粋なベースラインができるものか、というさりげないサポートライン。
そしてメロディーを吹く2本のクラリネットの音のベルベットのごときなめらかさ、シルクのごときしなやかさ。
ミュート付きの弦楽器のこれまた暖かくソフトなアンサンブル。
後ほどその上に入って来るオーボエの(ちょっと感情抑えめの)カウンターメロディーの息の長くエキゾチックなこと。
ちょっと聴き気づかないですが、細かいとこまでパーフェクトに設計されてプロデュースされた音なんですよね。
ちなみにバレエではこの踊りは比較的年上のダンサーが3人、1人女性と2人男性(上半身裸)で踊ることが多いような気がしますが実際のところどうなんでしょう、他のフォーマットはあるのかしら。
やっぱり「お菓子」とはいってもコーヒーはまた大人のたしなみ、というのが曲の雰囲気にも踊りにも現れているところも面白いですね。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日も引き続きあのことが頭の大部分を占めています。大事なことだからじっくり悩みたい。
練習も増やさなくちゃいけないですし、今まで以上にもっと心と気を入れるようメンタル面も整えなくちゃいけないですし、いろいろやることはたくさん。
もうちょっと自分のなかで決意を固めたい。
もしも演奏をするとしたら、とプログラムを組むことを考えるとやっぱりスクリャービン「炎に向かって」はやりたいと思ってます。でもやっぱりプログラムのコアとなるのはメシアンじゃないと。
自分のホームグラウンドであり、自分の強みであり。
その中でも有力候補として曲集「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」がどっしり存在感を発揮しています。
私が初めて出会い、弾いたメシアンは「20のまなざし」で。それが20歳くらいの時で以来メシアンの音楽の中で(そしておそらく今まで弾いたどんな曲集と比べても)最も長く、濃いつきあいをしてきた曲集です。
今のところノータッチなのは第6,13,20楽章のみ。第10,15楽章もまだまだマスターしたとは到底言いがたい状態なので、実質20の内15つの楽章を弾いてきました。
(そのうちの多くは在学中に授業などで人前で弾いた経験も多く、そういう意味でも鳥カタよりも演奏復帰には向いてます)
大小いろいろなまなざしがあって、弾き手によってだいぶテンポが変わるのですが、とりあえず全曲弾くとCD二枚になるくらいの長さです。「鳥のカタログ」よりは短いですが、それでもなかなかの質量で。
20のまなざしは鳥のカタログと比較するとよりPianisticな印象がありますね。より伝統的なピアノ曲に近い、というか。まあ鳥のカタログは鳥としての表現だから当たり前といっちゃあ当たり前ではありますが・・・
なんだかんだでメシアンの基本、というか一番親しまれているメシアンの作品で、やっぱりメシアンを聴くなら、メシアンの音楽に出会うなら入り口は「20のまなざし」が良いと思います。
比較的聞きやすいですし、美しい音楽いっぱいですし、それからメシアンの世界観というか表現というか、音楽言語や信仰につい割とわかりやすいかな、と思うのですよね。
あと20のまなざしについて面白いのは、プログラムに組むのに柔軟性が高いこと。鳥のカタログだとなかなかちょっと難しいのですよね。
20のまなざしは曲集を通じて共通のテーマを使ったりしてるので、いくつか相性がいい曲を合わせたり、コンセプトでまとめたりしやすいのですよね。(曲の長さで選ぶことも可能ですし)
例えば:
2楽章(星のまなざし)+7楽章(十字架のまなざし)だったら共通テーマつながり+キリストの「誕生」と「死」の象徴、とか。
1楽章(父のまなざし)+5楽章(子に注ぐ子のまなざし)+10楽章(喜びの聖霊のまなざし)で三位一体とか。
4楽章(聖母のまなざし)+9楽章(時のまなざし)+11楽章(聖母の最初の聖体拝受)で聖母マリアつながりとか。
色々メシアンの信仰のに沿ってみたり、あとはピアノ曲としての組み合わせを考えてみたり、自分で解釈してコンセプトを創ってみたり。
私が得意としていた、というか在学時代にこの曲集のライフワークとしていたのは:
第17楽章(沈黙のまなざし)+第18楽章(恐るべき塗油のまなざし)+第19楽章(我眠る、されど我が心は目覚め)の3曲。
がっつり15~20分くらいするかな。(3曲続けてコンサートクラスで弾かせてくれたのはびっくり。)
「20のまなざし」のなかでもかなり抽象的なまなざしの組み合わせで。私は神の神秘・神の破壊・神の愛という「新たな三位一体」と考えてて(神秘・破壊・愛は他の楽章でもテーマとなってますが、この3つの楽章はその中でも抽象的な表現が特徴)。これらだけ切り出すと直接的なキリスト教信仰もかなり神秘主義的な方向になるんですよね。
もともと番号が続いてるのは合わせやすい、というのがあるのと、第18楽章がちょっと対称的なつくりになってたり、あとは3曲ともかなり対照的なスタイルでうまくバランスがとれている、というか。不思議な安定感があって好きなんです。
その3曲を在学中にがっつり弾いて、それからもいくつか新しくまなざしを弾いてきましたが、やっぱりこの「新たな三位一体」に対しての思い入れが強いんですよね。
自分がピアノにおいてやりたい「世界観を作り出す」というのを実現するには本当に向いてると思いますし、弾いててものすごく充実感がありますし(一つずつでも3つでも)。
3つ合わせればソナタを一つ弾くに等しいくらいの質量ですし、他弾く曲を選ぶ際にある程度柔軟性が残ります。
だからやっぱり弾きたいなーと思ってるんですけど数年あいてるしさてどうかなーとか思ったり。
もちょっと最近弾いた、またはもうちょっと小さめのまなざしにしたほうが良いんじゃないかな?とか。(14楽章の天使のまなざしとか7楽章の十字架のまなざしとか結構良い線いってましたし)
新しいコンセプトをくむのもいいんじゃない、とか、はたまた鳥のカタログでプログラムを組んでもおもしろいんじゃないか、とか。
でもこうやって悩めるのはこれまで数年メシアンにおいてレパートリーを広げながら基盤を固めてきたのがあるからで、そしてメシアンの音楽に対して本当に深い愛を持ってるからで。
なんかものすごく贅沢で幸せな悩みを抱えてるな、と思います(笑)
そもそも演奏に戻ることにもまだ迷いがありますが、でもメシアンの音楽はきっと自分の力になってくれる、とう信じています。運命の恋人のようなものですからね。あとは自分の努力と決意ですね。
今日はなんだかちょっとぐだぐだになりましたが(もともと20のまなざしの紹介として機能するとは思ってなかったですが・・・)メシアンの音楽と自分との間にある様々はまた別の日に話したいと思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第9楽章 「時のまなざし」
いやあー20のまなざし、あんまり取り扱わないんですでにどれを扱ったか全く覚えてないんですよね!
でもこれはまだ扱ってないだろう、という確信。なぜならあんまり書くことがないから。
20のまなざしを弾き始めたときは主に5分以下の小さめの楽章を中心に弾いていました。みんながそうするのかといえばそうではないようなんですが、自分はメシアンの音楽に慣れるために小さいところから始めよう、と決めてて(割と早いうちに「いずれは全部弾くんだから急がず行こう、いいのを後でとっておこう」と思ってたのもありますが)。
小さい曲はそれだけで音楽的に成立するのは難しいですし、それだけで弾いてて・聴いてて音楽的に満足するのは難しいですが、それでもこの曲集のキーコンセプトを握っている場合が多いです。
先ほどあった第2,7楽章しかり、この第9楽章しかり。
「時のまなざし」。メシアンはなにかと「時間の動き」を音楽に表すことが多く、そのときには似たようなテクニックを使うことがあります。リズムカノン、というのですが、ちょっと説明が難しいので説明は省きます(汗)
とにかく楽器が数パートに分かれてサイクルっぽく弾いてるのです。
この「時のまなざし」でも最初のセクションとリズムカノンが交互に出てきます。
サイクル、ぐるぐるまわるカノン、というのはメシアンにとってはまさに「永遠の時」の表現で。
リズミックな最初のテーマとリズムカノン、2種類のリズムが表すのはきっと「人間の時間」と「神の時間」。(これはトゥーランガリラなどでも似たような傾向があると思います)
キリストはどちらも司るんですよね、きっと。でも人間の(=聖母マリアの)胎内に生まれ人間となることで人間の時を歩むようになる。(だからさっきの「聖母マリアのくくり」に入れたんですがちょっとわかりにくい・・・)
でもキリストに限らず妊娠している状態ってそういう神秘もありますよね。母体に流れる時間と、胎内の子供に流れる時間。そして母体の住む世界と胎内の子供をつつむ世界。
まるで彫刻のようにかたどられた、抽象的な時間の描写。
先ほどの「新たな三位一体」のくくりであれば間違いなく「神の神秘」に入る楽章で、トゥーランガリラの「トゥーランガリラ」楽章と同じくこのくくりの曲ってちょっと取っつきにくい印象がありますが・・・
でもメシアンの「神秘」の描写、「時」の表現、そして「リズムの作曲家」と自ら称するそのユニークなリズムの世界とふれあって、少しでもわかってもらえたらなあ、と思います。
今日も引き続きあのことが頭の大部分を占めています。大事なことだからじっくり悩みたい。
練習も増やさなくちゃいけないですし、今まで以上にもっと心と気を入れるようメンタル面も整えなくちゃいけないですし、いろいろやることはたくさん。
もうちょっと自分のなかで決意を固めたい。
もしも演奏をするとしたら、とプログラムを組むことを考えるとやっぱりスクリャービン「炎に向かって」はやりたいと思ってます。でもやっぱりプログラムのコアとなるのはメシアンじゃないと。
自分のホームグラウンドであり、自分の強みであり。
その中でも有力候補として曲集「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」がどっしり存在感を発揮しています。
私が初めて出会い、弾いたメシアンは「20のまなざし」で。それが20歳くらいの時で以来メシアンの音楽の中で(そしておそらく今まで弾いたどんな曲集と比べても)最も長く、濃いつきあいをしてきた曲集です。
今のところノータッチなのは第6,13,20楽章のみ。第10,15楽章もまだまだマスターしたとは到底言いがたい状態なので、実質20の内15つの楽章を弾いてきました。
(そのうちの多くは在学中に授業などで人前で弾いた経験も多く、そういう意味でも鳥カタよりも演奏復帰には向いてます)
大小いろいろなまなざしがあって、弾き手によってだいぶテンポが変わるのですが、とりあえず全曲弾くとCD二枚になるくらいの長さです。「鳥のカタログ」よりは短いですが、それでもなかなかの質量で。
20のまなざしは鳥のカタログと比較するとよりPianisticな印象がありますね。より伝統的なピアノ曲に近い、というか。まあ鳥のカタログは鳥としての表現だから当たり前といっちゃあ当たり前ではありますが・・・
なんだかんだでメシアンの基本、というか一番親しまれているメシアンの作品で、やっぱりメシアンを聴くなら、メシアンの音楽に出会うなら入り口は「20のまなざし」が良いと思います。
比較的聞きやすいですし、美しい音楽いっぱいですし、それからメシアンの世界観というか表現というか、音楽言語や信仰につい割とわかりやすいかな、と思うのですよね。
あと20のまなざしについて面白いのは、プログラムに組むのに柔軟性が高いこと。鳥のカタログだとなかなかちょっと難しいのですよね。
20のまなざしは曲集を通じて共通のテーマを使ったりしてるので、いくつか相性がいい曲を合わせたり、コンセプトでまとめたりしやすいのですよね。(曲の長さで選ぶことも可能ですし)
例えば:
2楽章(星のまなざし)+7楽章(十字架のまなざし)だったら共通テーマつながり+キリストの「誕生」と「死」の象徴、とか。
1楽章(父のまなざし)+5楽章(子に注ぐ子のまなざし)+10楽章(喜びの聖霊のまなざし)で三位一体とか。
4楽章(聖母のまなざし)+9楽章(時のまなざし)+11楽章(聖母の最初の聖体拝受)で聖母マリアつながりとか。
色々メシアンの信仰のに沿ってみたり、あとはピアノ曲としての組み合わせを考えてみたり、自分で解釈してコンセプトを創ってみたり。
私が得意としていた、というか在学時代にこの曲集のライフワークとしていたのは:
第17楽章(沈黙のまなざし)+第18楽章(恐るべき塗油のまなざし)+第19楽章(我眠る、されど我が心は目覚め)の3曲。
がっつり15~20分くらいするかな。(3曲続けてコンサートクラスで弾かせてくれたのはびっくり。)
「20のまなざし」のなかでもかなり抽象的なまなざしの組み合わせで。私は神の神秘・神の破壊・神の愛という「新たな三位一体」と考えてて(神秘・破壊・愛は他の楽章でもテーマとなってますが、この3つの楽章はその中でも抽象的な表現が特徴)。これらだけ切り出すと直接的なキリスト教信仰もかなり神秘主義的な方向になるんですよね。
もともと番号が続いてるのは合わせやすい、というのがあるのと、第18楽章がちょっと対称的なつくりになってたり、あとは3曲ともかなり対照的なスタイルでうまくバランスがとれている、というか。不思議な安定感があって好きなんです。
その3曲を在学中にがっつり弾いて、それからもいくつか新しくまなざしを弾いてきましたが、やっぱりこの「新たな三位一体」に対しての思い入れが強いんですよね。
自分がピアノにおいてやりたい「世界観を作り出す」というのを実現するには本当に向いてると思いますし、弾いててものすごく充実感がありますし(一つずつでも3つでも)。
3つ合わせればソナタを一つ弾くに等しいくらいの質量ですし、他弾く曲を選ぶ際にある程度柔軟性が残ります。
だからやっぱり弾きたいなーと思ってるんですけど数年あいてるしさてどうかなーとか思ったり。
もちょっと最近弾いた、またはもうちょっと小さめのまなざしにしたほうが良いんじゃないかな?とか。(14楽章の天使のまなざしとか7楽章の十字架のまなざしとか結構良い線いってましたし)
新しいコンセプトをくむのもいいんじゃない、とか、はたまた鳥のカタログでプログラムを組んでもおもしろいんじゃないか、とか。
でもこうやって悩めるのはこれまで数年メシアンにおいてレパートリーを広げながら基盤を固めてきたのがあるからで、そしてメシアンの音楽に対して本当に深い愛を持ってるからで。
なんかものすごく贅沢で幸せな悩みを抱えてるな、と思います(笑)
そもそも演奏に戻ることにもまだ迷いがありますが、でもメシアンの音楽はきっと自分の力になってくれる、とう信じています。運命の恋人のようなものですからね。あとは自分の努力と決意ですね。
今日はなんだかちょっとぐだぐだになりましたが(もともと20のまなざしの紹介として機能するとは思ってなかったですが・・・)メシアンの音楽と自分との間にある様々はまた別の日に話したいと思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第9楽章 「時のまなざし」
いやあー20のまなざし、あんまり取り扱わないんですでにどれを扱ったか全く覚えてないんですよね!
でもこれはまだ扱ってないだろう、という確信。なぜならあんまり書くことがないから。
20のまなざしを弾き始めたときは主に5分以下の小さめの楽章を中心に弾いていました。みんながそうするのかといえばそうではないようなんですが、自分はメシアンの音楽に慣れるために小さいところから始めよう、と決めてて(割と早いうちに「いずれは全部弾くんだから急がず行こう、いいのを後でとっておこう」と思ってたのもありますが)。
小さい曲はそれだけで音楽的に成立するのは難しいですし、それだけで弾いてて・聴いてて音楽的に満足するのは難しいですが、それでもこの曲集のキーコンセプトを握っている場合が多いです。
先ほどあった第2,7楽章しかり、この第9楽章しかり。
「時のまなざし」。メシアンはなにかと「時間の動き」を音楽に表すことが多く、そのときには似たようなテクニックを使うことがあります。リズムカノン、というのですが、ちょっと説明が難しいので説明は省きます(汗)
とにかく楽器が数パートに分かれてサイクルっぽく弾いてるのです。
この「時のまなざし」でも最初のセクションとリズムカノンが交互に出てきます。
サイクル、ぐるぐるまわるカノン、というのはメシアンにとってはまさに「永遠の時」の表現で。
リズミックな最初のテーマとリズムカノン、2種類のリズムが表すのはきっと「人間の時間」と「神の時間」。(これはトゥーランガリラなどでも似たような傾向があると思います)
キリストはどちらも司るんですよね、きっと。でも人間の(=聖母マリアの)胎内に生まれ人間となることで人間の時を歩むようになる。(だからさっきの「聖母マリアのくくり」に入れたんですがちょっとわかりにくい・・・)
でもキリストに限らず妊娠している状態ってそういう神秘もありますよね。母体に流れる時間と、胎内の子供に流れる時間。そして母体の住む世界と胎内の子供をつつむ世界。
まるで彫刻のようにかたどられた、抽象的な時間の描写。
先ほどの「新たな三位一体」のくくりであれば間違いなく「神の神秘」に入る楽章で、トゥーランガリラの「トゥーランガリラ」楽章と同じくこのくくりの曲ってちょっと取っつきにくい印象がありますが・・・
でもメシアンの「神秘」の描写、「時」の表現、そして「リズムの作曲家」と自ら称するそのユニークなリズムの世界とふれあって、少しでもわかってもらえたらなあ、と思います。