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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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ピアノの表現の幅を探索してみる
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
最近こういう事にちょっとアクティブな探索をしてて、クリエイティブな方向にわりとテンションが高いのですがどうやら軽躁ではないようです。気をつけていろいろ探っていきたいと思います。

ということで今日のエントリーもそれにつながってるような方向性で。
アイディアのきっかけはデーモン閣下の昔(1990年)のソロアルバム「好色萬声男(こうしょくよろずごえおとこ)」について読んでたことで。(ちなみに名義は小暮伝衛門、だそう)
いつも通りWikipediaが詳しいし分かりやすいのですが、様々なジャンルの音楽を歌う、だけでなく、そういういう話をちょっと超えて伝統音楽だったり、漢詩だったり、他の形でも取り入れたりの表現の一環として閣下が歌い上げていく、というアルバムで。Girls Rock(これはこれでまた面白い)は妹が2枚持ってるんですけど、「好色萬声男」もものすごく聴いてみたい!

で、そこで思ったのは「声でそれだけの表現の幅を追求するならピアノでももっとやってみるべきだよな」、ということで。
ピアノは一度に弾ける音の数も多いですし、音域も広く、スタミナの制限も一部の楽器ほど厳しくはなく、一人で完全に成り立つ楽器であり、とにかく「表現の幅が広い」ということが当たり前になっている楽器で。それをちょっと弾き手も聴き手も(ただし最近の作曲家はこの通りではない!)当たり前に思いすぎてるところがあるような気がして。
それなら、自分がピアノの「本当の」キャパシティ、魅力、ピアノができることを知ってもらいたい、と思うならどのような曲を選ぶか、というのを考えてみました。とりあえず「選ぶ」方で。他のことについてはまた後ほど。
例によって選んでたら20世紀ばっかりになったので20世紀に絞りました(実質的に「絞って」はいないですが)。あとなるべくピアノ独奏曲を選びました。
もちろんここでいくつか曲を選んだだけではピアノの表現の幅の全ては網羅できないのですが、まずはとっかかり、的な勢いで。

1) ラフマニノフ 前奏曲ニ長調
「歌うピアノ」としてセレクト。声と違ってピアノはそのメカニズムから鍵を弾いたあとは音量は下がるばかり、つまり音を同音量で伸ばしたりクレッシェンドをかけたりすることができないのですが、この曲でのメロディーはあたかも歌われているような豊かな伸びようを見せます。

2) リゲティ 練習曲第9番「めまい」
この曲の特徴は「液体的なピアノ」。ハンマーで弦を叩く楽器にもかかわらずまるで液体のように流れるような下降音形。なかなかこういう曲はないんですよね。書く方もそうなんですが、弾く方のタッチもこのエフェクトを極めるにはめちゃくちゃ難しいんですよ、いわずもがなですが。

3) グラナドス 「ゴイェスカス」より「愛と死」
ピアノは他の楽器から「機械的な楽器」と言われることもありますがこれでもか、というほど人の感情を繊細に、ダイナミックに反映できるんだ!という「感情的なピアノ」。愛の炎、焦り、死別の悲しみ、絶望、孤独、などなど、十も百も移り変わる人の心模様をしっかり隅々まで表現します。

4) プロコフィエフ トッカータ
上記の「機械的なピアノ」だったらきっとこの曲かな。感情を挟む余地がない、ものすごく冷徹な感じで音の動きは容赦なく、ひたすら続いていく。人の指で奏でる、というよりは本当に打つ・叩く感覚がすごいのです。「人間が弾くにはちとトリッキーじゃないか」とも思われるパッセージも機械のようにきびきびと。

5) ラヴェル 「鏡」より「蛾」
この曲を選んだキーワードは「気まぐれなピアノ」。繊細さ、という感覚の種類もいろいろありますが、どんなに気持ちが変わろうともその気持ちにぴったり添って、変化する気持ちをすぐに正確に捉える、という意味での「繊細な表現」が比較的に容易にできるのがピアノという楽器。飛んだり止まったり、夢見がちだったり。

6) カバレフスキー 前奏曲第16番
ピアノは聴き手から見えるところはほとんど木でできていますが、その中の弦やフレームなどかなり大きな部分は金属製。ソヴィエトの作曲家はその歴史文化によるものかこの「金属のピアノ」のサウンドを得意としています。例えばロマン派のピアノのぬくもりとは全く別の処にある重くて冷たく硬い音。

7) モンポウ 「内なる印象」 第1楽章
ピアノにおいて「技巧」を披露するとなると一般的に音は多くなりますが、そういう華麗さ、派手さ、音の数をがっつり削っても、それでもピアノの美しさは残っている、「シンプルなピアノ」を表す一曲。短い、小さい曲ですが、そこには本当にpreciousなものが秘められている。

8) バルトーク ピアノ協奏曲第1番 第3楽章
20世紀になると(オケでの活躍も増えたからか)割とピアノを「打楽器」として用いる傾向が強まった気がします。メシアンにしろ、クラムにしろ、ショスタコにしろ。でもその源はやっぱりバルトーク、ということで実際オケと、打楽器と並べてその「打楽器としてのピアノ」のサウンドの役割を味わってもらいたいとこの曲を。

9) シマノフスキ 「メトープ」より「セイレーンの島」
ピアノはその機動力、音域、メカニズムやタッチからたまに本当に音に羽根が生えたような、人間の手をちょっと離れたような動きと音をする事が可能で。自由に、軽やかに、そしておおらかに空を賭けたり、空中でホバリングしたり、静かに舞い降りたり・・・「翼を持ったピアノ」になれるんだなあ、とこの曲を以前弾いて思いました。

10) スクリャービン 練習曲 op.42-5
平凡な曲ではないけれど、特に抜きん出てるようなこともない・・・と思われる曲ですが、本当は「複雑なピアノ」という特徴を反映してると思います。翔けながらうねりながら溺れ沈み、エクスタシーと究極の苦痛を同時に表し、強くも脆く、ものすごく奥深い世界がこの短い曲には現れてて、そういうところが本当に好き。

11) Vine バガテル第5番 「Threnody for all the innocent victims」
ピアノという楽器は図体がでかいです(笑)が、本当に繊細な表現も可能です。それこそ触ったら壊れてしまいそうな「はかないピアノ」。この曲を弾いたときはキーを押すのではなく撫でるようなタッチで弾いて、ペダルをの響きも使って。表現の幅はこの時代にこっち方向にもさらに広がっています。

12) メシアン 「アーメンの幻影」より第1楽章「創造のアーメン」
音域の広さと豊かな余韻(音が持続しない、というのはポイントだと思う)で創り出す「宇宙的なピアノ」のサウンド。今回はピアノ2台の曲ですが、その2つのピアノで無限の時間、無限の空間とその中に宇宙が生まれる、そのエネルギーができる、というのはやっぱすごいと思いますよ。

・・・そして「表現の幅」といえばちょっと分類に困った13曲目の言及が必要だと思うんですよ。クラムのマクロコスモス第2巻の第10楽章「Voices from Corona Borealis」。曲のスケールとしては小さいですが、特殊奏法を駆使して(それしか使わない。あと口笛)ピアノ1台で創り上げてるとは思えない不思議な世界、孤独の空間を表現するのがユニークで、ピアノによる表現という意味ではものすごく特別な位置にあると思います。


ということで出してみました。
結構自分で弾いた曲なんかも出てきて、今後また弾いた時にこういうところを目指すべきなんだな、という開眼もあり。で、やってみると先ほど書いたようにいろいろ網羅できてないんでこれからパート2以降でまた試みてみたいと思います。

「ピアノの表現の幅にチャレンジする」というコンセプトは演奏のプログラムを組む際にも参考にしたいと思ってます。弾くときはなるべく曲集単位で選びたいですしもうちょっと一貫性や共通エレメントがないとまとまりがなくなりますが・・・
今回曲を選ぶに当たって「表現がユニークな曲を選んでコンセプトをくっつける」か「表現のカテゴリを選んでそこから代表曲を選ぶか」というのはものすごく悩んだところで、次回曲を選ぶにしても、将来このコンセプトで演奏プログラムを組むにしてもいろいろ検討しなくちゃいけないところだとなあ、と。

表現の幅にチャレンジするような曲は(「ピアノらしい」ピアノのレパートリーよりも)好きな傾向にあると思います。例えばここでは選びませんでしたが「鳥のカタログ」なんかも「ピアノでピアノ以外の物をリアルに表現する」音楽ですしね。やっぱり「幅を広げる」、ピアノでどれだけのことができるか、というのは自分がもっと追求すべきことだと思いますし、だからこそ「ピアノらしいサウンド」を外れた曲をこれからもがんがん弾いていきたいです。
自分の中にある世界をもっともっと広げながら、表現する方法も広げて。少なくともいまそういうことに目が向いてるんでとことん追求していきたいと思います。


今日の一曲はお休みです。うまく紹介にはなってないのですがこんなに曲をお勧めしてしまったので。


拍手[1回]

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音楽と表現についての話。
前のエントリーに拍手どうもです~

仕事に練習に大分忙しいです。あとちょこちょこ身の回りのこともやったりで。今日は3時半くらいの時点で疲労時計がすでに7時半くらいをさしてましたねえ・・・
そんなこんなで少しずつブログのネタもメモってはいるのですが考えが詰められずで事実上のネタ切れとなっております。

こないだ「現在のレパートリー」エントリーを書きましたが、なんとかバルトークからプーランクに移行。
プーランクは15の即興曲から5つ選んで弾くことに。なるべくキャラクターが違うやつを選んでます。一つはシューベルト献呈の華やかなワルツだったり、一つはエディット・ピアフ献呈のシャンソン風の(頭一つ抜きん出て)美しい一曲、それからこれまたちょっとシャンソン風&フルートソナタのスロー楽章風のだったり、それからあとちょっとひねた鋭さを持ち合わせたの2つ。
プーランクのひねくれというかいじらしさは良く思うのですがたまの知久さんの音楽に見られるものにものすごく似てて。「きみしかいない」とか「電車かもしれない」とか、歌詞だったり息づかいだったり(楽器パートを含む)、あとハーモニーもちょっと似てるかな。なんとか参考にして取り入れたりしてみたいですね。

今は自分の弾いてる曲に他ジャンル(主に音楽で、ですが音楽に限らず)で感じたこと学んだことを積極的に取り入れたい傾向があって。たまだったりクレズマーだったり聖飢魔IIだったり。はっきりとは言葉で表現するのは難しいんですが、ちょこちょこいろいろ意識して実験してます。
自分の表現の幅を広げたい、というのももちろんありますが、基本手に入れたら使いたいタイプなのもあり。

最近思ったんですが自分は五感でも、それ以外の感覚でもとにかく「体感する」ことが何よりも喜ばしく感じて(それが自分の中に入ってくる感覚でも表現して出て行く感覚でも)。
そして色んな感覚をおもちゃとか宝のように自分の中に大切に、いつでも感じられるように、そして表現に使えるように収集するのが常で。
もちろん感覚にジャンルは関係ないですし(感覚の種類間でも無意識に・意識的に翻訳がありますしね)、だから本当に今ありとあらゆるものを自分の中に取り入れて感じたい、(音楽などを通じて)表現したいお年頃なんです。

ちょうど今日仕事ではちょっと骨の折れる英和翻訳を終わらせたところで。
時間かかるんですよね~英語の文を読むのは日本語を読むよりも若干遅いですし、日本語の文を書くのはちょっと苦労しますし。
そういえば前回一時帰国したときに翻訳が速い、というお言葉をにコーディネーターさんからいただいたのですが、それ以来自分が翻訳するときにどういうプロセスが働いているのか意識的に考えてみたのですが・・・
簡単にいうと音楽を演奏するときとプロセス自体はそう変わらないと思います。
目の前にある文を読んで自分の中に取り込んで、「自分の物として」から、(あたかも自分のオリジナルとして発しているように)もう一つの言語でアウトプットする。
言語→言語だと割とそれが速くできる。(もともと読むのは速いですし)自分の中で読むだけで意味はすぐ分かるのですぐ「自分のものになる」。
音楽だともうちょっと時間がかかる。言葉でないからですが(笑)

でもそうやって音楽に時間をかけるのはやっぱり大好きです。
作曲家や曲の意図を分かろうとして、音楽からなにを感じるか、何を連想するか、そこからどんな音楽を、世界を創るか、自分の中のコレクションから何を使うか、どう繋げるか、音をどう動かすか、とにかく何をどうしようかと考えたり実験したり、感覚を探ったりするのが本当に楽しくて。
だからこないだから弾いてるあのプロコフィエフの「分からない、なじまない」プロセスも今ものすごく楽しいです(笑)

今日久しぶりに「音楽と心」のノートブックにちょろっとメモしたんですが、音楽は作曲家・演奏家の見解を演奏家・聴き手に押しつけるものでなく、発信する側が受信する側の中に感覚を「沸き起こす」ものなんですよね。
割と私は普段からちと押しつけがましい傾向があるので自分への戒めとしても書いたんですが(汗)
でもそういう「感覚が沸き起こる」のが好きで、自分が聴き手に「沸き起こす」ができたらすごいな、と思うし。もっとこれからいろいろ考えていきたいな、と考えてます。
(そういえば新神話主義の色々もこの「沸き起こる」プロセスだったり、沸き起こすものについていろいろ関連した見解があるな、と思ってこんどまた復習せねばと思っています。)

音楽に携わるにあたって「ピアノを弾く」とか「音を弾く」ということに捕らわれることなく音楽の表現、ジャンルを超えた音楽、音楽を超えた世界の表現を考えたり探索できることは素晴らしいと思います。環境によっては私の場合そこまで考えられる余裕がなくなるだろうな、というのも分かってるので今は家で一人でピアノ弾いてるだけですがのびのびこうやって色々できるのは幸せなんだろうな、と思います。少なくとも一部は。
大学みたいに他の音楽家の影響が少ない環境ですがいろいろ刺激と影響と工夫とアイディアと表現を飽きなく求め続けたいです。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第2楽章



この交響曲、どの楽章をすでに扱ったか思い出せないのですが、Brett Deanの曲はさすがに一回聴いたあとこんなに時間がたっちゃあ紹介できないのでなんとかこの曲に。
第2楽章もこのシンフォニーでのハイライトではないんですが、だからこそちょっとフォローしとかないと、と思いまして。
とにかくまず強調したいのは:ショスタコの5番は各楽章も全体としても素晴らしい曲で、時代を表す音楽(前のエントリー参照)としても、純粋に音楽としてもものすごく魅力的で、個々の楽器もオケとしての音もいいですし、是非是非全曲、そして一度だけでなく何度もよく聴いて欲しい曲だと思っています。

さて第2楽章。3拍子の舞踏、大体ワルツのようなリズムの比較的短い曲です。
ワルツというのは優雅なイメージですが、この曲は冒頭の低音弦のエントリーからものすごく足踏みが重い!ここからすでにショスタコの強烈な皮肉毒舌キャラクターが始まってるわけですね。
とにかくGrandなところは大げさに、そして品がない、ぶしつけなワルツなんです。

この曲の魅力というのがやっぱりその品のない、ぶしつけで、卑しいところだと思うんです。さらにはそれがいわゆるカリカチュアとして、その対象となっている人物だったり(人物とは限りませんが)に悪意を持っておもいっきりこきおろしていることがはっきりと分かる、その対象がものっそ嫌なやつなんだな、というのが分かって一緒に嘲笑できる、そういうところだと思います。
(この場合はおそらくソヴィエト政府のお偉いさん方がその対象なんでしょうね)
言葉での皮肉を伴った冗談、というのもたまに上手く伝わらないときがありますが、それをより分かりやすく、効果的に音楽でやってしまう、それが伝わってしまう(少なくとも伝えたくない人以外には(笑))のはやっぱりショスタコの表現力のすごさですね。

実際のところどうやって(楽器使い)そうやって皮肉なテイストをだしているかについて一部を書くことはできるのですが、今回はなるべくそういうところにはフォーカスせず、聴いて全体的に感じ取ってもらいたいと思います。理屈で分からなくともちょっとにやりとしてしまう、そんなところが数々ありますので。

でも活躍している楽器についてこれは言っておかないと気が済まない。中間部~後半でファゴット(2本)+コントラファゴットだけでしばらく弾いてるところがあるのですが、ファゴットもコントラファゴットも普段はあんまり目立たないため是非この大活躍に耳を傾けて欲しいです。メル響の演奏だとコントラファゴットの代わりにコントラフォルテを使うので生演奏でホールの後ろに座っても最低音がくっきり聞こえるのですが、ステレオで聴く場合はちょっと音量を上げていただけるとこれらの楽器の頑張りが聞こえると思います。
頑張れファゴット!頑張れコントラファゴット!

リンクした演奏は実際に私が持っているCDで、本場ソヴィエトの演奏&ショスタコと親交のが深く彼の作品を多く振ったムラヴィンスキーの指揮によるもので。作品の真髄をある意味がっちりとらえてるな、と思う演奏です。第1楽章から第4楽章までなによりも「らしい」演奏、という印象。ちょっとトランペットのスタイルが「?」となるところもありますが素晴らしい録音なのでお勧めですよ~

拍手[1回]

メル響「Shostakovich 5」感想
一つ前のエントリーに拍手ありがとうございます♪
クリスマス絵、大晦日ストーリーの作業が終わり、月曜朝納品の仕事も終わり。
今はピクニックに持ってくものに悩みながら、Kris Kringleのプレゼントに悩んでいます。
私がプレゼントをあげることになってる子は友達の友達で、今まで何回か会ってます(こないだの金曜日も合わせて)。運動障害を持ってる子なのでどんな物だったら使ってもらえるかな、と悩んでます。
Kris Klingleは以前も書きましたが匿名なので日本ぽいものとかルピシアのお茶とかは選べないんですよね~

さて、こないだの木曜日のコンサートの感想へ。
プログラムはこんな感じでした:

指揮者:Jonathan Nott
Brett Dean 「The Lost Art of Letter Writing」(バイオリン:Frank Peter Zimmermann)
(休憩)
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

最初の曲は今年生誕50周年をオーストラリア中で祝われている作曲家Brett Deanの作品。今回コンサートに来てステージ上で曲の解説もしました。
 「The Lost Art of Letter Writing」はバイオリン協奏曲の形式をとっていて、4つの楽章それぞれが19世紀後半に著名人、主に芸術家によってしたためられた手紙をモチーフとしています。
楽章と関連する著名人はこんな感じ:
1. ハンブルク、1854年(ヨハネス・ブラームス)
2. ハーグ、1882(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)
3. ウィーン、1886(フーゴ・ヴォルフ)
4. ジェリルデリーの手紙、1879(ネッド・ケリー)
作曲者によるとソロのバイオリンは手紙の送り主と受け取り主の間を行ったり来たりしながら、音楽はその手紙に込められた思いや思考などを表現する、ということらしいです。
ブラームスの恩師の妻であるクララ・シューマンに対する秘めた思いだったり、ゴッホやヴォルフの内なる狂気の徴候に対する自覚の告白のようなものだったり、オーストラリア代表ネッド・ケリーの自分や仲間・家族の潔白を主張する強い思い、そういうものが強烈にあふれた音楽でした。

今年はBrett Deanの様々な作品に出会う機会があったのですが、この曲も他の作品に負けず劣らずの複雑さで、一回聴いただけでなんとも言えない感じはあるのですが、好きな曲であることは確かです。バイオリン協奏曲というジャンルの中で(一回聴いただけでも)すでに自分の中のランキングのなかで上位に食い込んでますし、もっと知りたい、もっと聴きたい!という思いが強いです。

印象としては例えばベルクのような「現代のバイオリン協奏曲」という色が強いですね。美しいメロディーと技巧中心、というよりはメインはソロバイオリンながらも「音楽全体」としての世界の表現が主、といいますか。
楽器編成ですぐ目立ったのはマリンバが3台あること!そのマリンバの奏者達が他の打楽器もいくつか担当していたり、かなり複雑かつ充実した打楽器パートでした。
そしてBrett Deanの作品で好きな低音木管!バスクラもコントラフォルテも大活躍、ぶいぶい言ってましたよ~(笑)
第1楽章で突然ブラームス風の音楽がぶわっと沸き起こった箇所のインパクトもすごかったですが、なんといっても私が心惹かれたのは第3楽章と第4楽章。第3楽章で打楽器やフルートが創り出す不思議な空間と色彩だったり、第4楽章でのオケ、そしてソロバイオリンの強烈さだったり。第4楽章はリズムがなんというかオージーだと思いました。リズムのパターンが、というよりはリズムの強さが、といえばいいのでしょうか。

今回コンサート会場には上記の手紙のうちヴォルフの物を除く3つのファクシミリが展示されていました。
この 「The Lost Art of Letter Writing」という題は「失われた「手紙を書くこと」の芸術」と訳することができますが、手紙を自分の手で書くことで思いを伝えることの「芸術」が今の世で失われつつあることへの懸念だったり、残念に思うことを表現した曲で。
結局見て読めるのはネッド・ケリーの手紙なのですが、こうやって昔の人が残した手紙を見るとそれが芸術であり、なにか本当に大事な思いが込められていることが分かります。ブラームスの流れるような筆跡と行間を広くとる傾向だったり、ゴッホの細かい字でびっしり書かれている、挿絵入りの手紙だったり。
ネッド・ケリーの手紙は本当にびっくりしました。オーストラリアではものすごく有名な、盗賊だったり義賊だったりした、無法者でブッシュレンジャーという人物なのですが、ものすごーくきれいな字を書くんですよ。経歴を調べてみると良いところの家を出てるわけじゃなくて(そもそもそれで権力にたてついたりしてたのですが)、だからこそこんなに綺麗な字でしっかりした文で自分の思いをしたためる、というのはものすごく心に来る物がありました。もっとネッド・ケリーについて知らなきゃ、と(汗)とりあえず基礎知識はこちらのwikipediaで。

後半のショスタコーヴィチ 交響曲第5番は逆にものすごく馴染みのある曲です。小さい頃から、おそらく生まれる前から聞いている曲。
今回こうやって生で聞いて(そこまで珍しい機会ではないのですが)改めて両親がこういう素晴らしい音楽で、玄人にも愛されるすごい音楽で育ててくれたことに感謝の思いを強く抱きました。この曲が本当に愛しいですし、何度でも聴きたい・弾きたいと思いますし、いつでも自分にとって一番のホームグラウンドであることが本当によかった、と思えて。

曲についてちょっと簡単に。ショスタコーヴィチはソヴィエト時代、しかもスターリンの時代を生きた作曲家なのですが作曲家人生のある時期に政府から作風などについて批判を受けて、ものすごい窮地に陥ったことがあります。それはもう自分だったり周りの人だったりが監視だったり命の危険にさらされたり、かなり厳しい状況にあって。そんな時に政府への「返答」として書いたのがこの交響曲第5番なんです。政府好みの前衛的でない、聴きやすい音楽に仕立てながら、音楽に全く疎い役人達に分からないように皮肉もたっぷり盛り込んで、しかもそういう背景抜きでもがっつり音楽としてのクオリティが高い作品を書いた、というわけです。

ショスタコーヴィチは理不尽な権力への反抗の象徴みたいなところもありますし、そういう「芸術を見る目がないお役人には分からない」ような繊細な、ただし強烈な「本音の表現」を見事にやってのけるすばらしい表現者で。音楽スタイルが好き、曲が好き、時代背景も好き、という以外にそういうところでも本当に尊敬している作曲家です。

そんな強烈な曲だから、演奏も平凡なものではすませられません。今回のメル響の演奏はやっぱりパワフルで、本当に聴いていて満足でした。
(ちなみに創作のオケいくつかに弾かせてる曲で、割と「あ、あの人が弾いてるとこ」とか言って脳内忙しくなるのですが、それでもこの曲そのままを自分として楽しむ余裕もあって、なんだかそんな自分にほっとしました)

今回やっぱりメル響の弦セクションの強さが光りましたね。バイオリンからコントラバスまでエネルギッシュ!コントラバスは本当にかっこよかったですよー。第1楽章とか、あと第3楽章(第3楽章はチェロやオーボエもすごかった。もともととってもpreciousな音楽ですが、演奏も今回なんだか貴重でしたね)。
第2楽章は本当に皮肉の色が強くて、「ショスタコこれじゃ政府にばれるんじゃないか、怒られるんじゃないか」と思われるほど痛烈で、痛快なキャラクターでした。そしてこの楽章はファゴット+コントラフォルテ隊がめっちゃ活躍してましたね~
ショスタコお得意(というかソヴィエト音楽お得意)の木琴の音もものすごく印象強かったです。そしてトランペットの格好良さ、ホルンセクションの頼りがい・安定といったら気持ちいいのなんのって(笑)

そういえば第4楽章の最後でティンパニが2つずつ同じ音に調音してあることに初めて気づきました。(ラ・ラ・レ・レ、と調音して音をダブルで叩く、という)道理でパワフルなわけだ!そして改めて見ると格好いい!メル響はティンパニは女性奏者だから余計に!
(そういえば第4楽章ってかなりテンポ変化あるんですが、意外なテンポのチョイスがいくつかあって、決して「違うなあ」と思わず「こういうのもアリかな」と思えたのが面白かったです)

ということでDeanでは新しい世界を見つけ、ショスタコではがっつり自分の軸をとりもどした、という本当に充実なコンサートでした。もう一回聴きたくなる演奏・プログラムでしたね~
今年のメル響シーズン(自分にとっては)最後のコンサートとしては本当にこれ以上の物はない!という。

すっかり長くなってしまったので今日の一曲は今回もお休みにして、次回このコンサートのプログラムから選んで紹介しようかな、と思ってます。

拍手[1回]

レパートリー改編期カオス?
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
101~200位がそのうち発表されるということで悶え待ちです(笑)

こないだの先生の「2月までレッスンできない」発言にへなへな、となりながら、レッスンに持ってこうと思った曲をこれ以上フィードバック無しに続けるのは色々無理があったので、そろそろ時期かなと思ってレパートリーの改編をすることにしました。
それが思ったよりも大きなchange overになってしまって(笑)今のレパートリーはこんな感じ:

1) メシアン 鳥のカタログ 「ヒメコウテンシ」(継続)
2) ラヴェル 「クープランの墓」より「トッカータ」
3) クラム 「Eine Kleine Mitternachtmusik」より第4~6楽章
4) プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第3楽章
5) バルトーク 「戸外にて」より「夜の音楽」(近々新しい曲に移行予定)
6) ヴィラ=ロボス 「ブラジルのバッハ」第4番 第2楽章

すっかり夏っぽくなりましたね!まるで衣替え(笑)
ラヴェルとプロコフィエフは同じ曲集で別の楽章へ、というわけで。「クープランの墓」はこれで最後の楽章にして一番難しい楽章。ラヴェルのお得意なmoto perpetuo的な曲で。なんていっても速い、音が多い、そして思ったより長い。技巧の難しさもとってもラヴェルらしい。
でも今までラヴェルの音楽で「難しい」ものはいろいろありましたが、手になじまないものは1つを除いて(「鏡」から「洋上の小舟」)なかったので、あんまり悲観はしてません。こないだまでやってたフーガが自分の心になじんだので是非とも「クープランの墓」をコンプリートしたいと思っています。

プロコフィエフのピアノソナタ第2番、これもまた自分に「よっぽどのことがない限り全楽章やる」と自分と約束していて。
今やってる第3楽章がいくら聞いてもなじまないのが懸念であらかじめそうやって釘を刺しといたわけなんですが。
技巧的には難しくはないですし、プロコフィエフらしく論理的に音が並んでるのでさらうにも苦にはならないですが、どうも音楽的にしっくり来ない。
イメージが掴みにくい、というか・・・色彩がまずなんかこう黄土色みたいなインカゴールドみたいなのがベースに色んな色が混じったみたいなのもあって。エレメントで言えばものすごく強く「地」を感じるのですが、同時に常に流れるような音形が続いて「水」のようでもあり。溶岩みたいな「固体の流体が動いている」感覚は今自分にとってとってもforeignです。

バルトークに続いてなにをやろうかな・・・と今悩んでます。一番最初に考えたのはおなじ「戸外にて」の第2楽章「舟歌」かなあー・・・と思ってたんですが。
ただこの曲、↑のプロコフィエフとめっちゃ相性が悪い!プロコフィエフの第3楽章のあのだらだら流れる流体的な不安定な感じがこの曲にもあって。これ2つとも同時に弾く必要あるか?という感じが強いんです。(どっちも習う・慣れるに従って変わるとは思いますが、ちょっと時間ずらした方がよさそう・・・)
なので軽い、速く習得できる、安定した、例えばプーランクの即興曲いくつかとか、そういう曲にした方が良いのかな、と思いつつあります。
あとはスペイン系を強化したいのですがグラナドスの「ゴイェスカス」はどうかなーと・・・各楽章ががっつりしてるのと、全楽章やりたくないかもなー・・・という気持ちがあり、まだちょっと吟味中。

クラムは未だにイメージがはっきりとはつかめないまま先に進んで行っている暗中模索の日々です。
でも今日始めました第6楽章「Golliwog Revisited」はイメージもつかみやすいですし(まあパロディですからね)、楽しいですし。なんとかとっかかりになればなあ。
あんまり音が難しくないから最悪イメージがかたまらないまま全楽章習得してしまうかもしれない、という懸念がどうしてもぬぐえない・・・

そして今回初めましてのヴィラ=ロボス。第1楽章を初見数回でなんとか手の内に納め、改めて第2楽章から始め。スタイルとか音楽言語みたいなものは今まで弾いてきた音楽とかなり違うところはあって、音楽としての印象は違う!新鮮!というのが大きいのですが、実際のところハーモニーもシンプルで、音楽表現もものすごーく素直で、さらに幼少の頃から親しんできた音楽とあって難なくしっくり来て自分のものになっていく感覚です。きっと人前で演奏したいような曲。
でもこの毛色の独特さで例えば将来的にこの曲をプログラムに組むとしたらちょっと難しい。そのためにスペイン系だったり新大陸系統(アメリカ、アルゼンチンなど)を充実させたほうがいいのかなあ、とは思ってはいます。

いろいろ弾きたいものはたくさんあるんですよね。
プロコフィエフはピアノソナタ第2番が終わったら第3番やりたいですし、ドビュッシーやカバレフスキーもやりのこし多数。バッハやショスタコにも戻りたいですし、ラフマニノフは練習曲やソナタ第1番にしっかり目付けてたり。
スクリャービンもまたやりたいです。「炎に向かって」が本当に自分にぴったり合った、演奏したい、というのもあってそのうち再度弾きたいですし。あと「黒ミサ」ソナタも同じような路線でトライしたい。
シマノフスキも「メトープ」に再度トライ+マズルカを弾いてみたいですし。
あとは20世紀前半ドイツオーストリアの、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、ヒンデミット、コルンゴルトとか、そっちともお会いしたいですし。
20世紀より前だったらさっきのバッハに加えてこないだの友達のコンサートで聞いたモーツァルトの幻想曲や、シューベルトのソナタとか。
他にもブリテン、ヒナステラ、クセナキス、シュニトケなどなど弾きたいものはエンドレス。

これからどれだけこなしていけるか、全く見通しがたっていないんですが(笑)なんとか弾いていきたいです。


今日の一曲: バルトーク・ベーラ 「戸外にて」より「舟歌」



今弾くか弾かないかは分かりませんが、そのうちきっと弾こうと思ってる曲です。
「舟歌」といっても例えばショパンとかフォーレとか、ああいうヴェネツィアのゴンドリエの歌をイメージするとちょっと違うかな。どっちかというと鼻歌?(笑)
バルトークはハンガリーの農民の歌を曲に起こしたり、そういう素朴な生活を愛したのでこの「戸外にて」の各楽章の情景もきっと華やかではなくシンプルな生活の一コマなのではないか、と。

不安定に特定の調を示さずアップダウンするアルペジオ、そして常に変わる拍子。
ちょっと淀んではいるけれど流れている水のようで。不安定さと色彩の薄暗さがちょっと不気味だけれど、どこか不思議なすがすがしさもあると思います。
不安定+常に変拍子、といえばリゲティの音楽でもこういうのありますね(リゲティに似てる、と思ったのですが同じハンガリー出身でリゲティの方が後に生まれてるので逆じゃないか)。

先ほどプロコフィエフの第3楽章もそうだと書きましたがとにかく不安定、どこに音楽が向かってるか分からないままゆっくりと、でもしっかりと流れていくこの感覚は(私が今そうであるように)慣れないとちょっと気持ち悪い、というか抵抗がある方もいるかと思います。
ただ曲集セットで聞くとそうでないんじゃないかなーある程度安定とバランスがとれるんじゃないかなーとも思います。それはこれから弾き手としてなんとかしていかないといけませんね(笑)

拍手[1回]

完成!オーストラリアABC放送局「Classic 100 20th Century Countdown」(所感)
ここ数日大いに盛り上がっておりましたABCの「Classic 100 20th Century Countdown」、アデレード交響楽団による演奏で昨夜無事完了いたしました。
最終的な順位のまとめはこちらに。
昨日演奏されたトップ5位をこちらにものせます。

5位 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
4位 ヴォーン=ウィリアムス 揚げひばり
3位 ガーシュイン ラプソディー・イン・ブルー
2位 ホルスト 惑星
1位 エルガー チェロ協奏曲

5曲中4曲(そして6位も)がソリストを伴った協奏曲タイプの曲、という結果に。
やっぱり20位周りからだんだんポピュラー路線に傾いてきて、音楽友達の間では大分物足りないor納得いかないという声が上がっていましたが、確かにでも「一般に広く愛されている曲」が集まった感じですね。

それにしてもヴォーン=ウィリアムス。
「グリーンスリーブス」が84位、そして大分飛んで「タリス幻想曲」が12位、そして「揚げひばり」が4位、というのはものすごく意外でした。「揚げひばり」ってそんなにポピュラーなの!?という。あとグリーンスリーブスの順位の低さも意外っちゃあ意外ですね。
順位が「本当?」といえばレスピーギの「古風なアリアと舞曲」(53位)が「ローマの松」(64位)よりも上だったことも。

他に意外なことといえばアランフェス協奏曲が6位に来たことがまずあります。日本みたいに学校の授業で扱うわけでもないですし、演奏頻度・メディアで取り上げられる頻度ともに高くないですし。
20位以内にペルトの「Spiegel Im Spiegel」、グレツキの「悲歌のシンフォニー」と東欧ミニマルミュージックが食い込んだのは大健闘だと思います。これらもどっちかというと「ポピュラー系統」ではありますが。

以前書きましたがオーストラリアの曲に票が入ったのは素晴らしいことだと思います。100曲中オーストラリアの作曲家によるものは8曲。最高位はWestlakeの「南極組曲」で29位でした。(聞き逃した!)
オリンピックみたいに国別でまとめてくださった方がいたのですが、最終結果はこーんな感じ:
イギリス19、ロシア17、アメリカ13、フランス10、オーストラリア8、オーストリア7、イタリア6、フィンランド5、ドイツ5,エストニア2,そしてアルゼンチン・ブラジル・カナダ・チェコ/ハンガリー・ポーランド・スロヴァキア(かな?)・スペインが各1曲ずつだそうです。
フィンランドなんかは全部シベリウスで持ってますからね、ちなみに。

作曲家別にまとめた人は居ないみたいですが上記シベリウス、マーラー、ブリテン、ラフマニノフ、プロコフィエフ、エルガーあたりは登場頻度が多かったかな。
ちなみにストラヴィンスキーは所謂3大バレエしかランクインしなかった様子。順位は下からペトルーシカ(47位)、火の鳥(35位)、春の祭典(9位)でした。兵士の物語とかプルチネッラ、バイオリン協奏曲などが入らないとはまた厳しい世界です(笑)
マーラーは1900年以降の曲はほとんど出尽くしましたね。交響曲4,5,6,8,9番、そして大地の歌。20世紀の音楽となるとちょっと(特に音楽畑の人は)躊躇するかな、と思ったのですがしっかり票を集めております。
その反面バルトークは一番メジャーな「管弦楽のための協奏曲」だけがランクインという、これもちょっと意外な結果に。他の曲では票が割れてしまったのか・・・
あとラフマニノフは所謂「ハリウッド系」(=アメリカでヒットした曲。そうでない曲はどっちかというと無名なんですよね)の曲ばっかりがランクイン。仕方がないけど残念だなー。

私が投票した10曲のうち、エントリーしたのは3曲。トゥーランガリラ(81位)、マーラー6番(73位)、そしてブリテンの戦争レクイエム(59位)でした。
あと色々な「セレクト5」を以下に箇条書きします。

ランキングに入ったけど特にもっと上位に入って欲しかった曲: ラヴェル「ダフニスとクロエ」(83位)、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」(81位)、ラフマニノフ交響曲第2番(44位)、ショスタコーヴィチ交響曲第5番(31位)、ストラヴィンスキー「春の祭典」(9位)

ランキングに入ったけどもっと頻出して欲しかった作曲家: バルトーク、ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフ(ごっそりピアノ協奏曲とか抜けてたので)、シェーンベルク

今回のカウントダウンで出会って良かった曲: ヴィラ=ロボス「ブラジルのバッハ第5番」(84位)、グラス「アクエンアテン」(82位)、ブリテン「キャロルの祭典」(79位)、スカルソープ「カカドゥ」(51位)、エドワーズ「Dawn Mantras」(49位)

正直もっと下でも良かったんじゃないか、という曲: ガーシュイン「ラプソディー・イン・ブルー」(2位)、プッチーニ「蝶々夫人」(17位)、プッチーニ「トスカ」(28位)、コープランド「Fanfare for the Common Man」(32位)、マーラー4番(61位)。

CD買うぞ!(または借りるぞ!)と思った曲(6曲): エルガーバイオリン協奏曲(93位)、バーバーバイオリン協奏曲(79位)、ブリテン「キャロルの祭典」(79位)、スカルソープ「カカドゥ」(51位)、ラヴェル弦楽四重奏曲(37位)、シベリウスバイオリン協奏曲(23位)

カウントダウン的にはエルガーのチェロ協奏曲が1位、というのは盛り下がるところがありますねえ、やっぱり。多くの人から深く愛されているのは確かにそうなんですが。
友達調べだとこのカウントダウンにランクインした100曲の内1950年以降に作曲されたのはわずか20曲のみ。一般投票だということを考えると比較的ましな割合ではあるかもしれませんが。
社会歴史的にも音楽史的にも本当に物事がめまぐるしく変わり、進化したり失われたり迷走したりした「激動の100年間」(from「20世紀狂詩曲」by聖飢魔II)で、この世紀の世相だったり、性質を反映するような曲があんまり選ばれなかったのは確かに残念なことだと思います。
前も書いてますがそういう時代とのつながりも含めて私は20世紀の音楽、というものが好きなので・・・

このカウントダウンを振り返って、20世紀に活躍した(が今回1曲もランクインしなかった)作曲家、エドガール・ヴァレーズのこの言葉がどんなに正しいか、というのを痛感しました。
「芸術家は時代を先取りしているという風に言われるが、実際は大多数の人間が自分が住んでいる時代に大きく遅れている。」

結果はまあ議論を呼ぶようなものですが、カウントダウン企画だったり投票だったりは本当に楽しかったしわくわくしたのでまた来年も年末にやって欲しいですね~
できたらクラムの音楽と出会えるようなランキングを・・・・?(笑)


今日の一曲: エドワード・エルガー チェロ協奏曲 第1楽章



第1位に輝いたこの曲。
イギリス語圏ではよく知られ、そして愛され。チェロを弾く人が(少なくとも一時期は)愛し、そして避けて通ることができないといってもいいほど高校生辺りでよく弾かれる曲です。
おそらく世界で初めて大々的に有名になった女流チェリストであるジャクリーヌ・デュ・プレの演奏が有名ですね。彼女(とそのお姉さん)を題材にした映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」(原題:Hilary and Jackie)でも有名ですね。
(ちなみに今回19位にランクインしたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番もオーストラリアのピアニスト、デイヴィド・ヘルフゴットを題材にしたオーストラリア映画「シャイン」の効果もきっとあるんじゃないかな)

イギリス音楽のいいところがやっぱり詰まってると思います、この曲は。
ノスタルジーだったり、不思議な暗さだったり、美しいメロディーだったり。
それをチェロで聞くこの贅沢さ!チェロは本当に心の底から、腹の底から、大地の力を受けて歌い上げますね。
切なさと芯の強さが同居した素晴らしく感情的で(ちょっぴりセンチメンタルな)この川の流れな様なメロディーがとにかく美しい。

オープニングもまたインパクトがあります。
チェロの4つの弦をフルに使った4音の和音の連なり。パワフルで、弓が弦をとらえるがつっという音が快感で、楽器の響きが豊かで。

先ほど「少なくとも一時期は」と書いた通り、バイオリニストにとってブルッフの協奏曲がそうであるようにこの曲もまたチェリストに愛され、そして卒業されてしまう傾向にあります。
でもそれでもたまに戻ってくると素晴らしい曲ですし、高校で初めて弾いた後何年も経って改めて大人になって戻ってくるとまた別の魅力が出てくる、違う見方ができる、そういう人の人生につながる深みもまたあったりで。

是非是非ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏で。カップリングされている(同じ英国の)ディーリアスの協奏曲も素敵な曲ですよ。

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