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今日は100%唐突なトピックです。
特に自分の生活、および思考、出来事などとは関係なく、いかなる前後関係も存在しないと考えられます(笑)
きっと仕事とピアノと明日のバースデーディナーの準備に忙しくて疲れてしまったんでしょうか・・・
ちょっと改めてまとめてみたいとおもったんですよね。大学のオケでマネージャーをやってたときの生活の一部を。
創作のため、ということでも特にないようなのですが・・・(すでに組み込まれているため)
唐突感はまったくぬぐえませんがとりあえずメモに近いまとめとして~
大学のオケのコンサートは大抵木曜日の夜にあります。
サウンドチェック(ゲネプロ)は午後で。(こないだそうだったんですが朝リハーサル、夜コンサートだと特にマネージャーの場合は間の時間ずっと落ち着かないんでこの方が楽なスケジュールです~)
朝はコンサートクラスという、その名の通りステージ上で弾いたり、他の生徒の演奏を聴いたりする授業。聴くよりも弾く方が好きなのでマネージャーやってる間もコンサートクラスでは演奏することが多かったです。なので午前中はオケのことは一旦忘れて演奏モード。
オケマネージャー活動が始まるのはランチ後。電車でコンサート場所に向かって2時半くらいに到着。
到着すると昨日の夜トラックに積まれて運ばれた機材・楽器などが既に到着しています。
(昨夜:リハーサルが終わった後、トラックにのせるものをステージ裏に集めるとトラックが来て運んでくれるんです。主に打楽器、あとコントラバスやチューバものせられるので運んで欲しい場合は任せられます)
もうこの時点で打楽器奏者が来てない場合すぐやってきて各々自分たちの楽器の準備を始めます。マネージャーは椅子を並べたりしてステージの準備。
グランドピアノとか指揮者の台とかは重いんで力持ちの男子が来るまで放置(怪我しかねないですからね)。
そうこうしているうちにオケのメンバーや指揮者、その他スタッフが来ます。サウンドチェックは4時半なのですが金管奏者なんかは早めに来てウォームアップしたり適当に吹いたりしてますし。もちろん遅れる人もいます。(メルボルンなんで電車も遅れますし。あと駐車場が見つからない!というケースも)
4時半から6時半、リハーサルの間は照明が眩しいだったりコンサートの終わりで渡す花束はちゃんととどいてるかどうかなどあれやこれや走り回り。そして6時半にリハーサルが終わってもマネージャーの仕事は終わりません。可及的速やかにメンバーを送り出してピアノなどの調律のためホールを静かにして。
チェックするところ一まわりチェックしてからオケメンバーと夕飯へ。
でも結局メンバーよりは早く戻らなくちゃいけません。開演8時だと7時からまたちょろちょろと・・・
フロントの様子を見たり、ステージの様子を見たり。オケの待期してる部屋をちょっと片付けたり。
実際は全て予定通り行っていればこの時点であんまりすることはないんですよね。
なので結局そわそわうろうろぐるぐると歩き回るオケマネージャー(笑)
コンサートが始まる○分前、のお知らせもマネージャーの仕事。オケに、ソリストに、指揮者に報せに行く間どっかでなんか尋ねられたり話が弾んだりしちゃうこともしばしば。
通常30分前、10分前、そして5分前(とっと並びやがれ!の合図)にお知らせを行うので結局ぐるぐる歩いてばかりいます。
8時になってオケをステージに送り出し、不具合がないことを確認したところでちょっとだけ一息付けます。(最初の曲は短くて曲の変わり目にメンバーチェンジあったり、次の曲でソリストでたりそのソリストに花束渡したりするので「ちょっとだけ」)
休憩時間もステージのレイアウトチェンジだったり先ほどの「○分前コール」があるので結局休めません(笑)
休憩が終わってオケを送り出してシンフォニー的な曲が始まってやっと休憩です。だれも居ないウォームアップルームでウォームアップルームのお茶とかコーヒーとかを片付けて倒れ込んでしばし感傷に浸ります。(そのカーペットの上で管楽器が唾抜きしてたのは百も承知です・・・)
感傷に浸りながらも片付けのことはもちろん考えなきゃいけませんし。
やっぱり一番大変なのはコンサート後の片付けだと思います。(この時点でもう10時半過ぎてます)
要は午後にやったことの全く逆なんですが(椅子など片付けて、トラックに乗せて大学に戻す打楽器などをまたまとめて、などなど)なんせみんな疲れてますし。
みんな先に飲み屋に行ってしまって、というのもなにか心を急かすものがあり(笑)
でも全てが終わってがらんとしたホールというのも独特の空気があって風情がありますが・・・
でもとにかく片付けが終わったらなるべく早く飲み屋にGO!ですよ(笑)
すっかりもうみんな飲んでるので(指揮者もすでに到着している)とりあえず入るなりお酒を頼むと同時にみんなに挨拶始め。
そのまま終電まで飲んだり話したりします。(人によってはその後もまだシティに行って食べたりするみたいです・・・あれは真似できませんね)
あんまり長い時間はいれないんですけどコンサート後の打ち上げって本当に楽しい思い出が多いので・・・結果良いのかな、と思います。へとへとですし。次の日も練習とか場合によっては授業もありますし。
・・・と、こんな感じです。
まとめてみてやっぱり「どうして書いたんだろうな~」と思いますが・・・もうこういう経験からも遠ざかるばかりですからね。(奏者としてコンサートに関わることはあるでしょうが・・・)
なので今書かないともしかしたらこれからずっと書かないかなとも思うので・・・
ブログに何を書くか、にかならず考えがなきゃいけないわけではないのですが、なんだか腑に落ちないまま今日の更新は終わりです。
今日の一曲: ジョージ・クラム スペイン歌曲集I 「アルハンブラの幽霊達」より第2楽章「6本の弦」
Naxosでの録音(試聴も可)
まだこの曲集ノータッチでしたね。こないだ(といっても随分前になりましたが)買ったCDに収録されていた曲です。
まずは曲集のタイトルが格好いいのですが(笑)
この曲集は2009年に書かれた、クラムの最新作の一つで。そしてここしばらくロルカの詩から離れてたクラムがロルカに回帰した、何か特別なところがありそうな曲集でもあります。
(クラムも随分お年を召してますがスペイン歌曲集「I」と名付けてますのでこれからも書く気満々なんでしょうね♪)
そしてこの「6本の弦」。もちろんギターのことです。
バリトンの歌声、打楽器、そしてちゃんとギターも現れます。ビブラフォーンのソフトに広がる余韻だったり、ギターの悲しげで暗い音色だったり・・・
歌詞に使われてるロルカの詩「6本の弦」には蜘蛛(タランチュラ)が網を張る様子が描かれてますが、ギターの上下するアルペジオはまるで闇に光る蜘蛛の巣のようです。
そしてこの曲では本当に「余韻」を楽しむ空間と時間が与えられているのが本当にいいです。耳をいやでも澄ませる、あらゆる感覚を研ぎ澄ませる(でもとてもリラックスした感じで)、そんなような音楽です。
特に自分の生活、および思考、出来事などとは関係なく、いかなる前後関係も存在しないと考えられます(笑)
きっと仕事とピアノと明日のバースデーディナーの準備に忙しくて疲れてしまったんでしょうか・・・
ちょっと改めてまとめてみたいとおもったんですよね。大学のオケでマネージャーをやってたときの生活の一部を。
創作のため、ということでも特にないようなのですが・・・(すでに組み込まれているため)
唐突感はまったくぬぐえませんがとりあえずメモに近いまとめとして~
大学のオケのコンサートは大抵木曜日の夜にあります。
サウンドチェック(ゲネプロ)は午後で。(こないだそうだったんですが朝リハーサル、夜コンサートだと特にマネージャーの場合は間の時間ずっと落ち着かないんでこの方が楽なスケジュールです~)
朝はコンサートクラスという、その名の通りステージ上で弾いたり、他の生徒の演奏を聴いたりする授業。聴くよりも弾く方が好きなのでマネージャーやってる間もコンサートクラスでは演奏することが多かったです。なので午前中はオケのことは一旦忘れて演奏モード。
オケマネージャー活動が始まるのはランチ後。電車でコンサート場所に向かって2時半くらいに到着。
到着すると昨日の夜トラックに積まれて運ばれた機材・楽器などが既に到着しています。
(昨夜:リハーサルが終わった後、トラックにのせるものをステージ裏に集めるとトラックが来て運んでくれるんです。主に打楽器、あとコントラバスやチューバものせられるので運んで欲しい場合は任せられます)
もうこの時点で打楽器奏者が来てない場合すぐやってきて各々自分たちの楽器の準備を始めます。マネージャーは椅子を並べたりしてステージの準備。
グランドピアノとか指揮者の台とかは重いんで力持ちの男子が来るまで放置(怪我しかねないですからね)。
そうこうしているうちにオケのメンバーや指揮者、その他スタッフが来ます。サウンドチェックは4時半なのですが金管奏者なんかは早めに来てウォームアップしたり適当に吹いたりしてますし。もちろん遅れる人もいます。(メルボルンなんで電車も遅れますし。あと駐車場が見つからない!というケースも)
4時半から6時半、リハーサルの間は照明が眩しいだったりコンサートの終わりで渡す花束はちゃんととどいてるかどうかなどあれやこれや走り回り。そして6時半にリハーサルが終わってもマネージャーの仕事は終わりません。可及的速やかにメンバーを送り出してピアノなどの調律のためホールを静かにして。
チェックするところ一まわりチェックしてからオケメンバーと夕飯へ。
でも結局メンバーよりは早く戻らなくちゃいけません。開演8時だと7時からまたちょろちょろと・・・
フロントの様子を見たり、ステージの様子を見たり。オケの待期してる部屋をちょっと片付けたり。
実際は全て予定通り行っていればこの時点であんまりすることはないんですよね。
なので結局そわそわうろうろぐるぐると歩き回るオケマネージャー(笑)
コンサートが始まる○分前、のお知らせもマネージャーの仕事。オケに、ソリストに、指揮者に報せに行く間どっかでなんか尋ねられたり話が弾んだりしちゃうこともしばしば。
通常30分前、10分前、そして5分前(とっと並びやがれ!の合図)にお知らせを行うので結局ぐるぐる歩いてばかりいます。
8時になってオケをステージに送り出し、不具合がないことを確認したところでちょっとだけ一息付けます。(最初の曲は短くて曲の変わり目にメンバーチェンジあったり、次の曲でソリストでたりそのソリストに花束渡したりするので「ちょっとだけ」)
休憩時間もステージのレイアウトチェンジだったり先ほどの「○分前コール」があるので結局休めません(笑)
休憩が終わってオケを送り出してシンフォニー的な曲が始まってやっと休憩です。だれも居ないウォームアップルームでウォームアップルームのお茶とかコーヒーとかを片付けて倒れ込んでしばし感傷に浸ります。(そのカーペットの上で管楽器が唾抜きしてたのは百も承知です・・・)
感傷に浸りながらも片付けのことはもちろん考えなきゃいけませんし。
やっぱり一番大変なのはコンサート後の片付けだと思います。(この時点でもう10時半過ぎてます)
要は午後にやったことの全く逆なんですが(椅子など片付けて、トラックに乗せて大学に戻す打楽器などをまたまとめて、などなど)なんせみんな疲れてますし。
みんな先に飲み屋に行ってしまって、というのもなにか心を急かすものがあり(笑)
でも全てが終わってがらんとしたホールというのも独特の空気があって風情がありますが・・・
でもとにかく片付けが終わったらなるべく早く飲み屋にGO!ですよ(笑)
すっかりもうみんな飲んでるので(指揮者もすでに到着している)とりあえず入るなりお酒を頼むと同時にみんなに挨拶始め。
そのまま終電まで飲んだり話したりします。(人によってはその後もまだシティに行って食べたりするみたいです・・・あれは真似できませんね)
あんまり長い時間はいれないんですけどコンサート後の打ち上げって本当に楽しい思い出が多いので・・・結果良いのかな、と思います。へとへとですし。次の日も練習とか場合によっては授業もありますし。
・・・と、こんな感じです。
まとめてみてやっぱり「どうして書いたんだろうな~」と思いますが・・・もうこういう経験からも遠ざかるばかりですからね。(奏者としてコンサートに関わることはあるでしょうが・・・)
なので今書かないともしかしたらこれからずっと書かないかなとも思うので・・・
ブログに何を書くか、にかならず考えがなきゃいけないわけではないのですが、なんだか腑に落ちないまま今日の更新は終わりです。
今日の一曲: ジョージ・クラム スペイン歌曲集I 「アルハンブラの幽霊達」より第2楽章「6本の弦」
Naxosでの録音(試聴も可)
まだこの曲集ノータッチでしたね。こないだ(といっても随分前になりましたが)買ったCDに収録されていた曲です。
まずは曲集のタイトルが格好いいのですが(笑)
この曲集は2009年に書かれた、クラムの最新作の一つで。そしてここしばらくロルカの詩から離れてたクラムがロルカに回帰した、何か特別なところがありそうな曲集でもあります。
(クラムも随分お年を召してますがスペイン歌曲集「I」と名付けてますのでこれからも書く気満々なんでしょうね♪)
そしてこの「6本の弦」。もちろんギターのことです。
バリトンの歌声、打楽器、そしてちゃんとギターも現れます。ビブラフォーンのソフトに広がる余韻だったり、ギターの悲しげで暗い音色だったり・・・
歌詞に使われてるロルカの詩「6本の弦」には蜘蛛(タランチュラ)が網を張る様子が描かれてますが、ギターの上下するアルペジオはまるで闇に光る蜘蛛の巣のようです。
そしてこの曲では本当に「余韻」を楽しむ空間と時間が与えられているのが本当にいいです。耳をいやでも澄ませる、あらゆる感覚を研ぎ澄ませる(でもとてもリラックスした感じで)、そんなような音楽です。
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仕事依頼・納品のサイクルが大分速いこの頃。
なんとかバースデーディナーの準備は・・・できるかな。家の掃除しないと(汗)
夜はブログ書いたり創作の書き物やったり、が基本なのですが昨日からさらに忙しくなるようなことをやり始めました。
それはQuotebook作り。詩だったり名言だったり迷言、歌詞だったり自分の好きなものをノートに書き写すコレクションで。これで3代目あたりになります。
数年に一回新しく作り直さないと、人というのは常に変化しているためQuotebookの内容が自分の心、思考、価値観などとずれてくるため・・・そろそろやろうかな、と思ってたので始めました。
内容は英語のquotesサイトなどで見つけてくるため中身はほとんど英語。英語・日本語のバランスだったりぱっと見た目、中身の作為的なランダムさなど考えて並べてます。
そんな中人名で検索することも多いため、好きな作曲家の名言も割と入れてます。
今日はそれらの中から「音楽」についてのお気に入り5つをちょっと紹介したいと思います。
英語で見つけたのが多いので英語で書いて、それで自分による和訳を載せます~
「Music is the space between notes.」
(音楽は音と音のあいだの間である。)
クロード・ドビュッシー
私にとっての座右の銘といえるかも知れない言葉です。せっかちな奏者である自分に対しての諫めの言葉でもありますが、音と音の間の時間、空間、そして響きを感じる音楽を本当に愛していて、そういう表現を目指しているので。同時にジャンルかまわず音楽を創る・聴く人に求めるというかもっと意識して欲しいな、と思ってることでも。
ドビュッシー自身の音楽だけでなく、メシアン、バルトーク、スクリャービン、クラムなど20世紀の音楽の魅力、そしてさらに本質を正確に突いていると思います。
「Music is enough for a lifetime, but a lifetime is not enough for music.」
(音楽は一生を満たすに十分だが一生は音楽を満たすには足りない。)
セルゲイ・ラフマニノフ
プロになる・ならないに関わらず音楽を愛せば一生愛せるもの、そして涸れることない幸せの泉を得た、という確信が得られるのですが、同時に一生の間全てを賭けて音楽を追いかけ愛してもその全部を知ることはないし、もっともっとと追い続けたい気持ちは募るばかり。
音楽を愛する人の幸せ、そして覚悟にもにた心得を教えてくれる言葉です。
「Perhaps of all the most basic elements of music, rhythm most directly affects our central nervous system.」
(あるいは音楽の最も基本な構成要素の中でリズムが最も直接的に我々の中枢神経系に影響を与えるのかも知れない。)
ジョージ・クラム
クラムの名言はいろいろあるのですが主に翻訳の腕の限界でこれをセレクトしました。
でもこの言葉を聞いて正直「よっしゃ!ありがとう!誰かがちゃんと説明してくれてる!」と喜びました。特にバルトーク、メシアンやクラムの音楽を聴いたりしてなんとなく感じてたことで密かに「違うのかな-」と思ってたことなので・・・
自転車の乗り方みたいな「身体の記憶」に近いんですよね、リズムって。
あとはその、神経学的な証明というか説明が欲しいところです。
「People who make music together cannot be enemies, at least while the music lasts.」
(音楽を共に奏でる者達は敵同士ではあり得ない・・・少なくとも音楽が鳴っている間は。)
パウル・ヒンデミット
これも自分にとって座右の銘的なポジションである言葉です。少なくともオケ関係でストーリーを書く際にこの言葉を意識してること結構あります。
そして自分が音楽って不思議だなあ、素晴らしいなあ、と思う事の一つです。なんだ自分はオケにいることがこんなに好きで、心地良く思えるんだろうと考えたとき少なくともその一部はこの言葉に表されているようなことがあるのも確かです。
音楽を共に奏でるとそこにユートピアというか「理想の社会」ができるんだ、もっと先に行くと世界の全ての人が音楽を共に奏でることを学ぶことで世界平和が訪れるんじゃないか、なんていうことまで思っちゃいます。
「It is cruel, you know, that music should be so beautiful. It has the beauty of loneliness and of pain: of strength and freedom. The beauty of disappointment and never-satisfied love. The cruel beauty of nature, and everlasting beauty of monotony.」
(音楽がこれまで美しいということはなんと残酷なことなのだろうか。音楽は孤独や痛みの美しさを持ち、そして力と自由の美しさを有していながら、落胆、そして叶わぬ恋の美しさも持ち合わせ、自然の残酷さに見られる美、そして不変が孕む永遠の美しさをも持っている。)
ベンジャミン・ブリテン
翻訳が難しかったですがちょっと無理しちゃいました。音楽はポジティブな事の美しさを表現するだけではなくネガティブな事の美しさも表現するという(以前読んだ論文に「どうして人間はネガティブな感情を孕んだ音楽を楽しむことができるのか?」というのがありましたが正にそれですね)。
ブリテンらしいなあ、というかイギリスの作曲家らしいな、と思いますね。切ない美しさ、心を刺すような痛みの快感というのの表現が本当に「美しい」んですよねー。
ネガティブなものも「美しさ」に変えてしまう音楽は素晴らしいものと同時にまた恐ろしいものでもある、というのが伝わってくる言葉です。
やっぱり自分で翻訳というのは(一応仕事は翻訳者ですが!)難しいですね。
また今度「音楽家じゃない人の音楽に関する名言」とか「芸術全般に関する名言」とかいろいろやってみたいと思ってます。その際はどうかお付き合いください~
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「金星」
どうやらコンサートまであと1ヶ月のようです。
今回のquoteではホルストは登場しませんでしたが、上に紹介しましたもののうちドビュッシーとブリテンの言葉に通じるものがありますね。
金星は「平和をもたらす者」。(天文学的に正反対なのはいいっこなしで。)
ホルンのソロから始まり、とても柔らかい、のびのびした・・・純粋に「美しい」音楽です。
不思議な浮遊感が特徴的ですが、これは変ホ長調で書かれていながらその主和音がほとんど現れない、ということにあります。
主和音(ハ長調でいうドミソ)はその調にとってホームベースなので、主和音に戻ってくると「ああ戻ってきた」という安定感があるのですが「金星」では主和音に落ち着くことなく浮遊した状態で進んでいくばかりか移調しちゃったりします。
でも後半で主和音にしばし帰って来た時は本当に落ち着きます。(聴いてきっとわかる・・・かな)
実は曲の終わりも主和音で終わった感がないのですが、それはチェレスタが主和音でない音を最後の最後で弾いてるから。(見せ場っていったらそうなのかなあ・・・トゥーランガリラの時もそうでしたが一人で最後の音弾くって結構テンパります)
人間らしい感情は持ってるんだけどこういうエンディングの存在でどこか天国的な、そんな性質があります。
あと途中のバイオリンソロが物凄く好きで。
(結構難しいはず、あれ。ちょこちょこあるチェロソロも難しかったりするんですよー)
飾らないところが魅力でちょうどよい切なさ、というか。他の部分とちょっと違う色で、もちょっと儚く。
それから私としてはハープの音に耳を傾けて欲しいです。
ハープと言えば割と高い音のソロばかりが知られていますが低音の深みは他のどんな楽器にも真似できず。
金星以外でもホルストはハープの低音を(聞こえるときもそうでないときも)ユニークなサポートとして使っているのがなんだか嬉しいです。
止まってるような流れているような、満たされたような浮遊しているような、ただただ美しい曲です。
なんとかバースデーディナーの準備は・・・できるかな。家の掃除しないと(汗)
夜はブログ書いたり創作の書き物やったり、が基本なのですが昨日からさらに忙しくなるようなことをやり始めました。
それはQuotebook作り。詩だったり名言だったり迷言、歌詞だったり自分の好きなものをノートに書き写すコレクションで。これで3代目あたりになります。
数年に一回新しく作り直さないと、人というのは常に変化しているためQuotebookの内容が自分の心、思考、価値観などとずれてくるため・・・そろそろやろうかな、と思ってたので始めました。
内容は英語のquotesサイトなどで見つけてくるため中身はほとんど英語。英語・日本語のバランスだったりぱっと見た目、中身の作為的なランダムさなど考えて並べてます。
そんな中人名で検索することも多いため、好きな作曲家の名言も割と入れてます。
今日はそれらの中から「音楽」についてのお気に入り5つをちょっと紹介したいと思います。
英語で見つけたのが多いので英語で書いて、それで自分による和訳を載せます~
「Music is the space between notes.」
(音楽は音と音のあいだの間である。)
クロード・ドビュッシー
私にとっての座右の銘といえるかも知れない言葉です。せっかちな奏者である自分に対しての諫めの言葉でもありますが、音と音の間の時間、空間、そして響きを感じる音楽を本当に愛していて、そういう表現を目指しているので。同時にジャンルかまわず音楽を創る・聴く人に求めるというかもっと意識して欲しいな、と思ってることでも。
ドビュッシー自身の音楽だけでなく、メシアン、バルトーク、スクリャービン、クラムなど20世紀の音楽の魅力、そしてさらに本質を正確に突いていると思います。
「Music is enough for a lifetime, but a lifetime is not enough for music.」
(音楽は一生を満たすに十分だが一生は音楽を満たすには足りない。)
セルゲイ・ラフマニノフ
プロになる・ならないに関わらず音楽を愛せば一生愛せるもの、そして涸れることない幸せの泉を得た、という確信が得られるのですが、同時に一生の間全てを賭けて音楽を追いかけ愛してもその全部を知ることはないし、もっともっとと追い続けたい気持ちは募るばかり。
音楽を愛する人の幸せ、そして覚悟にもにた心得を教えてくれる言葉です。
「Perhaps of all the most basic elements of music, rhythm most directly affects our central nervous system.」
(あるいは音楽の最も基本な構成要素の中でリズムが最も直接的に我々の中枢神経系に影響を与えるのかも知れない。)
ジョージ・クラム
クラムの名言はいろいろあるのですが主に翻訳の腕の限界でこれをセレクトしました。
でもこの言葉を聞いて正直「よっしゃ!ありがとう!誰かがちゃんと説明してくれてる!」と喜びました。特にバルトーク、メシアンやクラムの音楽を聴いたりしてなんとなく感じてたことで密かに「違うのかな-」と思ってたことなので・・・
自転車の乗り方みたいな「身体の記憶」に近いんですよね、リズムって。
あとはその、神経学的な証明というか説明が欲しいところです。
「People who make music together cannot be enemies, at least while the music lasts.」
(音楽を共に奏でる者達は敵同士ではあり得ない・・・少なくとも音楽が鳴っている間は。)
パウル・ヒンデミット
これも自分にとって座右の銘的なポジションである言葉です。少なくともオケ関係でストーリーを書く際にこの言葉を意識してること結構あります。
そして自分が音楽って不思議だなあ、素晴らしいなあ、と思う事の一つです。なんだ自分はオケにいることがこんなに好きで、心地良く思えるんだろうと考えたとき少なくともその一部はこの言葉に表されているようなことがあるのも確かです。
音楽を共に奏でるとそこにユートピアというか「理想の社会」ができるんだ、もっと先に行くと世界の全ての人が音楽を共に奏でることを学ぶことで世界平和が訪れるんじゃないか、なんていうことまで思っちゃいます。
「It is cruel, you know, that music should be so beautiful. It has the beauty of loneliness and of pain: of strength and freedom. The beauty of disappointment and never-satisfied love. The cruel beauty of nature, and everlasting beauty of monotony.」
(音楽がこれまで美しいということはなんと残酷なことなのだろうか。音楽は孤独や痛みの美しさを持ち、そして力と自由の美しさを有していながら、落胆、そして叶わぬ恋の美しさも持ち合わせ、自然の残酷さに見られる美、そして不変が孕む永遠の美しさをも持っている。)
ベンジャミン・ブリテン
翻訳が難しかったですがちょっと無理しちゃいました。音楽はポジティブな事の美しさを表現するだけではなくネガティブな事の美しさも表現するという(以前読んだ論文に「どうして人間はネガティブな感情を孕んだ音楽を楽しむことができるのか?」というのがありましたが正にそれですね)。
ブリテンらしいなあ、というかイギリスの作曲家らしいな、と思いますね。切ない美しさ、心を刺すような痛みの快感というのの表現が本当に「美しい」んですよねー。
ネガティブなものも「美しさ」に変えてしまう音楽は素晴らしいものと同時にまた恐ろしいものでもある、というのが伝わってくる言葉です。
やっぱり自分で翻訳というのは(一応仕事は翻訳者ですが!)難しいですね。
また今度「音楽家じゃない人の音楽に関する名言」とか「芸術全般に関する名言」とかいろいろやってみたいと思ってます。その際はどうかお付き合いください~
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「金星」
どうやらコンサートまであと1ヶ月のようです。
今回のquoteではホルストは登場しませんでしたが、上に紹介しましたもののうちドビュッシーとブリテンの言葉に通じるものがありますね。
金星は「平和をもたらす者」。(天文学的に正反対なのはいいっこなしで。)
ホルンのソロから始まり、とても柔らかい、のびのびした・・・純粋に「美しい」音楽です。
不思議な浮遊感が特徴的ですが、これは変ホ長調で書かれていながらその主和音がほとんど現れない、ということにあります。
主和音(ハ長調でいうドミソ)はその調にとってホームベースなので、主和音に戻ってくると「ああ戻ってきた」という安定感があるのですが「金星」では主和音に落ち着くことなく浮遊した状態で進んでいくばかりか移調しちゃったりします。
でも後半で主和音にしばし帰って来た時は本当に落ち着きます。(聴いてきっとわかる・・・かな)
実は曲の終わりも主和音で終わった感がないのですが、それはチェレスタが主和音でない音を最後の最後で弾いてるから。(見せ場っていったらそうなのかなあ・・・トゥーランガリラの時もそうでしたが一人で最後の音弾くって結構テンパります)
人間らしい感情は持ってるんだけどこういうエンディングの存在でどこか天国的な、そんな性質があります。
あと途中のバイオリンソロが物凄く好きで。
(結構難しいはず、あれ。ちょこちょこあるチェロソロも難しかったりするんですよー)
飾らないところが魅力でちょうどよい切なさ、というか。他の部分とちょっと違う色で、もちょっと儚く。
それから私としてはハープの音に耳を傾けて欲しいです。
ハープと言えば割と高い音のソロばかりが知られていますが低音の深みは他のどんな楽器にも真似できず。
金星以外でもホルストはハープの低音を(聞こえるときもそうでないときも)ユニークなサポートとして使っているのがなんだか嬉しいです。
止まってるような流れているような、満たされたような浮遊しているような、ただただ美しい曲です。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
チェロが終わってとりあえず峠超えた、という感じですね>楽器と性格
今日Melbourne Youth MusicのFacebookページをチェックしたら明日からリハーサルシーズンが再開するらしいです。
私は8月の中旬から2週間ほどリハーサルに出るのでまだまだですが、ちょっとテンション上がりますね。
ちゃんと自分のパート練習してますよ~チェレスタでどうなるかはもちろん分かりませんが。
今回はゲスト指揮者のKristian Winther(私が大学在学のころはバイオリニストとして活躍してました)を迎えてのイギリス音楽プログラム。
ヴォーン=ウィリアムスの「揚げひばり」と「トマス・タリスの主題による幻想曲」(通称タリス・ファンタジー)、そしてホルストの「惑星」。
ヴォーン=ウィリアムスはどちらも主に弦楽器が活躍します(揚げひばりは少数管楽器・打楽器入ってますがタリス・ファンタジーは弦オンリー)。
オーストラリアではイギリス音楽を聴く機会が多く、中学・高校のオケでもイギリス音楽を弾く事が結構あるのでみんな(そして特に弦楽器奏者には)なじみ深いプログラムです。
(そして前回と比べるとおおむね楽ではないかと)
前にも書いてますが、「惑星」は2003年?にユースオケで弾いています。
一つのコンサートシーズンで2公演、チェロ・チェレスタどちらでの演奏も経験しています。
座ってる位置は2つの楽器で全く逆なので音の聞こえ方も全く違った覚えが。
チェレスタは弾いてない楽章もあるのでゆっくり聴いて自分の中で色々分析もできるときがあって。
ユースオケで演奏する前からも「惑星」は私にとってなじみ深い曲です。
いろんな意味で「始まり」となった曲で・・・
何回かもうこのブログにも書いてると思いますが小学4年生、日本最後の年に私は天文学、主に太陽系あたりにはまってました。(というのも銀河までいくと結構でっかい数字とか物理のいろいろとかでてきて割とその年齢だと実感しにくいことも多いので・・・)
そんなある夜両親が「夕飯のときに音楽を流そう」ということでかけたのが「惑星」の「木星」。それが私が「惑星」、そしてクラシック音楽に興味を持ったきっかけで。
(ちょうど年齢的にも周りの世界を自発的に捉え始める時期ですよね)
さらにこのときどの楽章をかけようか、という話になって母が「火星とかはご飯の時には向かないから木星にしよう」と言ったのが私が「時、場所、人、心にあった音楽」を考えるきっかけになっているんです。
そして「惑星」は日頃からクラシックをあまり知らない人に勧めるCDナンバー1としてお勧めしています。
(詳しくはこのエントリー参照)
理由を簡単にまとめるとまず聴きやすいこと、それからどの楽章も違う魅力を持っていること(英語でいうところのSomething for everyoneですね)、それぞれの楽章の長さがちょうどいいこと、楽器の魅力がいっぱいでてるところ、時と共に好みが変わるにつれていろんな楽章の魅力が見えてくること、そしてどんなに音楽に詳しくなっても常に新しい発見があること。
新しい発見に関してはこないだも新しい発見しました(笑)
今まで「惑星」については楽器使いを主に見てきたので、15年ほどたった今やっとハーモニーだったり音程、スケールなどについていろいろ見えてくるんです(笑)
そして新しいなにかを見つける度新しい世界が広がって、背筋がぞくぞくして。ホルストってすげえな~と毎回思います。
「惑星」全般に関してホルストすげえな~と思う事が一つあります。
それは曲のほとんどにイギリス臭がないこと。
大抵イギリスの音楽って独特の弦のサウンド、ノスタルジー、透明さがあって聴けばすぐ分かりますしヴォーン=ウィリアムスに関しては「どの曲も一緒」と思われてる節があったりで(笑)
でも「惑星」を聴いてこの作曲家がイギリス人だ、ということは木星のあの有名な中間部までわからないと思います。海王星なんかはドビュッシーにちょっと似てたりもしますが個々の楽章、そして全体(前述箇所を除く)を聴いてこの曲を書いたのが「どこの人」か、というのはなかなか分かりづらい気がしますね。
どの国のスタイルにもぴったりおさまらない感じ。私だけでしょうか。
「惑星」の各楽章についてもいろいろ話したいことはあるのですがどうまとめていいか思案中。(ちょっとTwitterの方でも気まぐれ方針で試してはいますが・・・)
以前いくつか「今日の一曲」で扱ったけど基本「惑星」は紹介けちる傾向にあるなあ・・・とブログの過去ログをさらってみたら見事にけちってました(笑)木星と火星だけ検索で引っかかり。
なので一度リセットして、トゥーランガリラの時と同じく(まだ終わってないですが、第1,7楽章)1ヶ月ちょっと後のコンサートに向けてこれから改めてちょこちょこ紹介していきたいなと思います。
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「水星」
おそらく一番知られていないであろう楽章からスタート。こないだちょっとTwitterで話したんで。
ホルストの「惑星」。
時代的にはもう科学の時代は始まってるかと思われますがこの曲集の題材はあくまでも天文学ではありません。どっちかというと占星術だったり、神話だったり、そっち方面で。
それは各楽章につけられた副題からも見て取れると思います。水星は「Winged Messenger(翼を持った使者)」。水星=Mercuryの元になったローマ神話のメルクリウス、そしてそのまた元になったギリシャ神話のヘルメス。そして翼を持った使者といえばキリスト教の天使が連想されますね。
天使の翼はその思考・行動の速さを表すといいますが、「水星」のテンポの速さも同じく頭の回転の速さを表しているようです。
とにかく速いです!前回のコンサートの後パブに行った時、「トゥーランガリラが終わって一安心だね」という話をしてたら後輩のオーボエ奏者が「でも水星を合わせるのも難しい」と言ってましたが確かにオケをまとめることに関してはこの楽章、恐ろしく大変なんです。
それはテンポの速さ、断片的なパートのかけあい、繊細さなどなど・・・いろいろ理由があります。
前回弾いたときも綿密にリハーサルした記憶が一番強いです。しんどかったです。
「水星」は(速くてわかりにくいですが)ヘルメスが知恵と悪知恵どちらも司るよう、そして天使が男性でも女性でもあるようにたくさんの二面性からできています。♯と♭、管楽器と弦楽器、音階とアルペジオ、8分の6拍子と4分の3拍子、対応する2つのメロディー、上に向かう音型と下に向かう音型・・・などなど。
そして中間部の翔るような、回るようなメロディーの爽快さ!上昇気流にのったように面白いように昇っていく、その青さが本当に愛しいですね~
そんな水星の魅力がイマイチつたわってないのかな~というのはやっぱり速くていろいろ把握しきれないからなんですかね・・・実際にスコアを見て「なるほど~」と分析しないとなかなか。聴くだけじゃ無理ですし弾いてても無理。それこそ天使・ヘルメスくらいの頭の回転が必要。(誰得かといえば結局ホルスト得なんだろうな~)
そして弾き手も割とこの曲で苦労するので弾き手票もなかなか望めないですからね。
ホルストのcraftの全て把握し切れなくてもそれでも不思議でユニークな魅力を持った曲です。空と風を感じてみてください♪
チェロが終わってとりあえず峠超えた、という感じですね>楽器と性格
今日Melbourne Youth MusicのFacebookページをチェックしたら明日からリハーサルシーズンが再開するらしいです。
私は8月の中旬から2週間ほどリハーサルに出るのでまだまだですが、ちょっとテンション上がりますね。
ちゃんと自分のパート練習してますよ~チェレスタでどうなるかはもちろん分かりませんが。
今回はゲスト指揮者のKristian Winther(私が大学在学のころはバイオリニストとして活躍してました)を迎えてのイギリス音楽プログラム。
ヴォーン=ウィリアムスの「揚げひばり」と「トマス・タリスの主題による幻想曲」(通称タリス・ファンタジー)、そしてホルストの「惑星」。
ヴォーン=ウィリアムスはどちらも主に弦楽器が活躍します(揚げひばりは少数管楽器・打楽器入ってますがタリス・ファンタジーは弦オンリー)。
オーストラリアではイギリス音楽を聴く機会が多く、中学・高校のオケでもイギリス音楽を弾く事が結構あるのでみんな(そして特に弦楽器奏者には)なじみ深いプログラムです。
(そして前回と比べるとおおむね楽ではないかと)
前にも書いてますが、「惑星」は2003年?にユースオケで弾いています。
一つのコンサートシーズンで2公演、チェロ・チェレスタどちらでの演奏も経験しています。
座ってる位置は2つの楽器で全く逆なので音の聞こえ方も全く違った覚えが。
チェレスタは弾いてない楽章もあるのでゆっくり聴いて自分の中で色々分析もできるときがあって。
ユースオケで演奏する前からも「惑星」は私にとってなじみ深い曲です。
いろんな意味で「始まり」となった曲で・・・
何回かもうこのブログにも書いてると思いますが小学4年生、日本最後の年に私は天文学、主に太陽系あたりにはまってました。(というのも銀河までいくと結構でっかい数字とか物理のいろいろとかでてきて割とその年齢だと実感しにくいことも多いので・・・)
そんなある夜両親が「夕飯のときに音楽を流そう」ということでかけたのが「惑星」の「木星」。それが私が「惑星」、そしてクラシック音楽に興味を持ったきっかけで。
(ちょうど年齢的にも周りの世界を自発的に捉え始める時期ですよね)
さらにこのときどの楽章をかけようか、という話になって母が「火星とかはご飯の時には向かないから木星にしよう」と言ったのが私が「時、場所、人、心にあった音楽」を考えるきっかけになっているんです。
そして「惑星」は日頃からクラシックをあまり知らない人に勧めるCDナンバー1としてお勧めしています。
(詳しくはこのエントリー参照)
理由を簡単にまとめるとまず聴きやすいこと、それからどの楽章も違う魅力を持っていること(英語でいうところのSomething for everyoneですね)、それぞれの楽章の長さがちょうどいいこと、楽器の魅力がいっぱいでてるところ、時と共に好みが変わるにつれていろんな楽章の魅力が見えてくること、そしてどんなに音楽に詳しくなっても常に新しい発見があること。
新しい発見に関してはこないだも新しい発見しました(笑)
今まで「惑星」については楽器使いを主に見てきたので、15年ほどたった今やっとハーモニーだったり音程、スケールなどについていろいろ見えてくるんです(笑)
そして新しいなにかを見つける度新しい世界が広がって、背筋がぞくぞくして。ホルストってすげえな~と毎回思います。
「惑星」全般に関してホルストすげえな~と思う事が一つあります。
それは曲のほとんどにイギリス臭がないこと。
大抵イギリスの音楽って独特の弦のサウンド、ノスタルジー、透明さがあって聴けばすぐ分かりますしヴォーン=ウィリアムスに関しては「どの曲も一緒」と思われてる節があったりで(笑)
でも「惑星」を聴いてこの作曲家がイギリス人だ、ということは木星のあの有名な中間部までわからないと思います。海王星なんかはドビュッシーにちょっと似てたりもしますが個々の楽章、そして全体(前述箇所を除く)を聴いてこの曲を書いたのが「どこの人」か、というのはなかなか分かりづらい気がしますね。
どの国のスタイルにもぴったりおさまらない感じ。私だけでしょうか。
「惑星」の各楽章についてもいろいろ話したいことはあるのですがどうまとめていいか思案中。(ちょっとTwitterの方でも気まぐれ方針で試してはいますが・・・)
以前いくつか「今日の一曲」で扱ったけど基本「惑星」は紹介けちる傾向にあるなあ・・・とブログの過去ログをさらってみたら見事にけちってました(笑)木星と火星だけ検索で引っかかり。
なので一度リセットして、トゥーランガリラの時と同じく(まだ終わってないですが、第1,7楽章)1ヶ月ちょっと後のコンサートに向けてこれから改めてちょこちょこ紹介していきたいなと思います。
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「水星」
おそらく一番知られていないであろう楽章からスタート。こないだちょっとTwitterで話したんで。
ホルストの「惑星」。
時代的にはもう科学の時代は始まってるかと思われますがこの曲集の題材はあくまでも天文学ではありません。どっちかというと占星術だったり、神話だったり、そっち方面で。
それは各楽章につけられた副題からも見て取れると思います。水星は「Winged Messenger(翼を持った使者)」。水星=Mercuryの元になったローマ神話のメルクリウス、そしてそのまた元になったギリシャ神話のヘルメス。そして翼を持った使者といえばキリスト教の天使が連想されますね。
天使の翼はその思考・行動の速さを表すといいますが、「水星」のテンポの速さも同じく頭の回転の速さを表しているようです。
とにかく速いです!前回のコンサートの後パブに行った時、「トゥーランガリラが終わって一安心だね」という話をしてたら後輩のオーボエ奏者が「でも水星を合わせるのも難しい」と言ってましたが確かにオケをまとめることに関してはこの楽章、恐ろしく大変なんです。
それはテンポの速さ、断片的なパートのかけあい、繊細さなどなど・・・いろいろ理由があります。
前回弾いたときも綿密にリハーサルした記憶が一番強いです。しんどかったです。
「水星」は(速くてわかりにくいですが)ヘルメスが知恵と悪知恵どちらも司るよう、そして天使が男性でも女性でもあるようにたくさんの二面性からできています。♯と♭、管楽器と弦楽器、音階とアルペジオ、8分の6拍子と4分の3拍子、対応する2つのメロディー、上に向かう音型と下に向かう音型・・・などなど。
そして中間部の翔るような、回るようなメロディーの爽快さ!上昇気流にのったように面白いように昇っていく、その青さが本当に愛しいですね~
そんな水星の魅力がイマイチつたわってないのかな~というのはやっぱり速くていろいろ把握しきれないからなんですかね・・・実際にスコアを見て「なるほど~」と分析しないとなかなか。聴くだけじゃ無理ですし弾いてても無理。それこそ天使・ヘルメスくらいの頭の回転が必要。(誰得かといえば結局ホルスト得なんだろうな~)
そして弾き手も割とこの曲で苦労するので弾き手票もなかなか望めないですからね。
ホルストのcraftの全て把握し切れなくてもそれでも不思議でユニークな魅力を持った曲です。空と風を感じてみてください♪
大分間が開いてしまったのでそろそろ、と。
身内(いわば身内、ですが)評価は両極端寄りになりやすいので気をつけながらいきます~
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
チェロ、というのはオケで使われる楽器のなかで比較的自立した、というか自己完結、というか音楽的に自給自足できてる楽器だと思います。
音域は低音から高音まで広く、弦楽器みんなでそうですが4本あるため4音の和音までなら弾けますし。
モーツァルト、ハイドンの時代には例えば弦楽四重奏でいやいやベースラインを担当することが多かったですがただのベースラインだけでなくメロディー、カウンターメロディー、伴奏と幅広い役を演じることが可能で、機動力、表現力、音の深さなど多々な特徴を持っている楽器です。
チェロを弾く際は楽器に付いているスパイクを床に刺して、広げた足の間に楽器を構えるユニークなスタイルです。チェロを弾くときは女性を抱くように、と言われるそのフォーム。音の性質もこのスタイルも男性的な性質、として包容力を連想させますね。
他のほとんど楽器と違って立って弾く事が不可能な楽器ではあります。(頑固さの連想?)そして奏者の前後左右にかなりスペースが要ることも特徴的。オケマネージャーとしてステージのセットアップすると分かるんですが、他の楽器と比べて大分椅子の間の間隔が広いんです。(例えばトロンボーンは前後のスペースが必要ですが座るのは本当にお互い近くてもいいようです。)
チェロを弾いてる人になぜチェロを弾き始めたか、と尋ねると「音が美しいと思ったから」というパターンが結構多いです。例えばピアノやバイオリンのように「習わされた」パターンではなく自分で選んで進む道、という自覚が強いのでしょうか。
そして音の美しさ重視は(もちろんどの楽器にもありますが)必ずしも高級志向ではなくともクオリティを激しく重視する傾向も。
チェロだけのアンサンブル(8人、12人など)というのがよくありますがチェロ奏者同士の結束はなかなか強いと思います。
ただホルン達のような仲良し集まりではなく、お互いの実力を評価し合い認め尊敬するライバル関係、そして個人主義な人々の集まり。かなり実力主義だと思います。そして馴れ合いとは無縁な印象。
全般的にはあんまり社交的な人達ではないんです。そんなに外向的・社交的ではないですし、広い浅い関係は得意でなく、なかなか他人に心を許せず、あと他人から傲慢にうつる場合も少なくなく。
なので友人関係は少なく、濃く。一旦チェリストの尊敬、そして信頼を得ることができるとものすごく義に厚い・・・という印象があります。
実際以前「一度チェリストになったら一生チェリスト」と私も言葉をいただいてますし(このエントリー参照)
バッハが6つの無伴奏組曲を書いてチェロのキャパシティを披露してからベートーヴェンとそのちょっと後くらいまで、チェロの能力が作曲家達に比較的過小評価されていた時期、というのがありました。
(ハイドンが協奏曲書いたりしてますが、例えばオケや弦楽四重奏などのアンサンブルで、の話です)
だからチェリストはみくびられるのが嫌い、というかプライドが高い印象があるように見受けられます。
自分のことは自分が一番知っている、という自負だったり、自分の道は自分で選びとことん極める、という・・・
(要するに我が強いんですが、そんなチェリスト同士やっていけるのはお互い妥協できないということを尊重しているからではないかと推測・・・)
自分に(そして他人に)厳しい、向上心の強いタイプです。
チェロのレパートリーの大きさはわりと広く、アンサンブル・オケでもいいパートもらえることがロマン派以降多くなりました。
ぎりぎりピアニストみたいに自分の好きに選べるくらいの大きさかな。
でもチェリストは結構「本当に良いと思ったもの」ばかり弾く傾向にあるのでわりとコンサートなどで聴かれるレパートリーはぐっと狭まる傾向にあります。20世紀の作品は比較的好かれない(後述)のでほったらかしな部分も若干あります。
だからチェリストって好みだったり興味は大分広いんだけど、本当に好き!というものはごくごく少なく。(そして本当に嫌い!というものも少ないですがその嫌いの度合い半端ないです)
広いスキルと視野を持ち合わせてもいるんですが一度思い込んだりロックオンしたりはまったりすると周りが見えなくなる暗い視野が狭くなる傾向も。
チェリストって頭の回転が速いと言うよりは熟考型で、いろんな分野の知識動員して考え理論的に表現するタイプ・・・と思いきや理性の強さをしばしば感情の強さが超えてしまうほどの感情的な性質。
喧嘩なんかしようものならかなりの感情レベルを伴った理論攻め(注:その「個人なりの」理論)で、先ほど書きましたようなプライドの強さなどなどから自分が納得いくまで引き下がらないようなことになるような・・・
(一応大学在学中色んな楽器の人と友達でしたが私を含めたチェロ奏者には喧嘩的なものが多いような気がしますよ・・・)
その感情中心な性格が関係しているのかなかなか20世紀音楽とか前衛音楽にはチェロ奏者はとっつきづらいようです。弾いてて自分が満足するようなレパートリーというとやっぱり感情豊かなロマン派になるのか・・・
悪く言えば頑固で我が強く、気に入らないことがあると居ても立ってもいられないような性質にも関わらず、チェリストがリーダー的なポジションに進んでおさまることはあまりないです。
自分以外の人間に責任はもてない、ということもありますがあんまり権力的なものを好かない、というのもあるんでしょうか。チェロセクションにおいてのリーダーはセクションをまとめるポジションというよりはベストプレーヤーとしての印象が強いように思われます。
ちなみにその足を広げて弾くスタイルからか体力的なものかチェロは昔は主に男性が弾く楽器した。でも今は結構女流チェリスト多いですね。(ジャクリーヌ・デュ・プレは偉大な先駆者です♪)
女性のチェリストには頭が良くて男勝りな、でも凛とした女性らしさを備えた美人が多い印象があります(私は別です、念のため・・・)。
強いですよ~チェロの女性(笑)
ということでチェロの楽器と性格エントリーでした。
まだまだ語り残したみたいなところがある気がしないでもないですがまたいつか。
そして次回(いつになるかわかりませんが)紹介する、チェロのお隣さんでもあるビオラとの対照も是非お楽しみに。
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク チェロ協奏曲 第1楽章
チェロ奏者に「チェロのレパートリーの王様は何?」と聴いたらまあ百発百中この曲をあげるでしょう。
(同様に一番偉大なチェリストは?と尋ねたら十中八九ロストロポーヴィチと帰ってくるのではないかと)
全てのチェロ奏者が目指す、チェロ音楽の王道中の王道・・・といったら大袈裟に聞こえますが案外そんなに誇張もしてないんです。
ドヴォルザークはピアノ協奏曲もバイオリン協奏曲も書いてますがドヴォルザークのコンチェルト、つまりドボコンといったらこのチェロ協奏曲を指す、それだけ偉大な曲なんです。
(私はバイオリン協奏曲もものすごく好きですが)
この曲はチェロという楽器の魅力の全てを本当に最大限に引き出す、チェリストが弾くには本当に最高な曲ですが聴く側にとってもとっても素晴らしい曲。
チェロの音色に惚れられる、もありますが注目すべきは協奏曲を通して本当にシンフォニーのように贅沢で豊かなオケの音楽。この第1楽章のエンディング近く一帯なんかドヴォルザーク自身の交響曲よりもSymphonicです(私の印象ですが)。
豊かな感情、凛とした尊厳、甘いロマンスに磨き上げられた技巧。
そしてドヴォルザークの音楽に共通する懐かしさだったり、ほどよい土臭さだったり。
色んな意味で「最高峰」のクオリティの音楽です。
先ほどチェリストが激しくクオリティ重視と書きましたがそんなチェリストがこぞって愛し敬う曲ですから。
(こんなにハードルあげてもまだびくともしない曲です)
彼らの評価にだまされたと思って一度聴いていただきたい曲です。
(元チェリストとして盛大に推薦します♪)
身内(いわば身内、ですが)評価は両極端寄りになりやすいので気をつけながらいきます~
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
チェロ、というのはオケで使われる楽器のなかで比較的自立した、というか自己完結、というか音楽的に自給自足できてる楽器だと思います。
音域は低音から高音まで広く、弦楽器みんなでそうですが4本あるため4音の和音までなら弾けますし。
モーツァルト、ハイドンの時代には例えば弦楽四重奏でいやいやベースラインを担当することが多かったですがただのベースラインだけでなくメロディー、カウンターメロディー、伴奏と幅広い役を演じることが可能で、機動力、表現力、音の深さなど多々な特徴を持っている楽器です。
チェロを弾く際は楽器に付いているスパイクを床に刺して、広げた足の間に楽器を構えるユニークなスタイルです。チェロを弾くときは女性を抱くように、と言われるそのフォーム。音の性質もこのスタイルも男性的な性質、として包容力を連想させますね。
他のほとんど楽器と違って立って弾く事が不可能な楽器ではあります。(頑固さの連想?)そして奏者の前後左右にかなりスペースが要ることも特徴的。オケマネージャーとしてステージのセットアップすると分かるんですが、他の楽器と比べて大分椅子の間の間隔が広いんです。(例えばトロンボーンは前後のスペースが必要ですが座るのは本当にお互い近くてもいいようです。)
チェロを弾いてる人になぜチェロを弾き始めたか、と尋ねると「音が美しいと思ったから」というパターンが結構多いです。例えばピアノやバイオリンのように「習わされた」パターンではなく自分で選んで進む道、という自覚が強いのでしょうか。
そして音の美しさ重視は(もちろんどの楽器にもありますが)必ずしも高級志向ではなくともクオリティを激しく重視する傾向も。
チェロだけのアンサンブル(8人、12人など)というのがよくありますがチェロ奏者同士の結束はなかなか強いと思います。
ただホルン達のような仲良し集まりではなく、お互いの実力を評価し合い認め尊敬するライバル関係、そして個人主義な人々の集まり。かなり実力主義だと思います。そして馴れ合いとは無縁な印象。
全般的にはあんまり社交的な人達ではないんです。そんなに外向的・社交的ではないですし、広い浅い関係は得意でなく、なかなか他人に心を許せず、あと他人から傲慢にうつる場合も少なくなく。
なので友人関係は少なく、濃く。一旦チェリストの尊敬、そして信頼を得ることができるとものすごく義に厚い・・・という印象があります。
実際以前「一度チェリストになったら一生チェリスト」と私も言葉をいただいてますし(このエントリー参照)
バッハが6つの無伴奏組曲を書いてチェロのキャパシティを披露してからベートーヴェンとそのちょっと後くらいまで、チェロの能力が作曲家達に比較的過小評価されていた時期、というのがありました。
(ハイドンが協奏曲書いたりしてますが、例えばオケや弦楽四重奏などのアンサンブルで、の話です)
だからチェリストはみくびられるのが嫌い、というかプライドが高い印象があるように見受けられます。
自分のことは自分が一番知っている、という自負だったり、自分の道は自分で選びとことん極める、という・・・
(要するに我が強いんですが、そんなチェリスト同士やっていけるのはお互い妥協できないということを尊重しているからではないかと推測・・・)
自分に(そして他人に)厳しい、向上心の強いタイプです。
チェロのレパートリーの大きさはわりと広く、アンサンブル・オケでもいいパートもらえることがロマン派以降多くなりました。
ぎりぎりピアニストみたいに自分の好きに選べるくらいの大きさかな。
でもチェリストは結構「本当に良いと思ったもの」ばかり弾く傾向にあるのでわりとコンサートなどで聴かれるレパートリーはぐっと狭まる傾向にあります。20世紀の作品は比較的好かれない(後述)のでほったらかしな部分も若干あります。
だからチェリストって好みだったり興味は大分広いんだけど、本当に好き!というものはごくごく少なく。(そして本当に嫌い!というものも少ないですがその嫌いの度合い半端ないです)
広いスキルと視野を持ち合わせてもいるんですが一度思い込んだりロックオンしたりはまったりすると周りが見えなくなる暗い視野が狭くなる傾向も。
チェリストって頭の回転が速いと言うよりは熟考型で、いろんな分野の知識動員して考え理論的に表現するタイプ・・・と思いきや理性の強さをしばしば感情の強さが超えてしまうほどの感情的な性質。
喧嘩なんかしようものならかなりの感情レベルを伴った理論攻め(注:その「個人なりの」理論)で、先ほど書きましたようなプライドの強さなどなどから自分が納得いくまで引き下がらないようなことになるような・・・
(一応大学在学中色んな楽器の人と友達でしたが私を含めたチェロ奏者には喧嘩的なものが多いような気がしますよ・・・)
その感情中心な性格が関係しているのかなかなか20世紀音楽とか前衛音楽にはチェロ奏者はとっつきづらいようです。弾いてて自分が満足するようなレパートリーというとやっぱり感情豊かなロマン派になるのか・・・
悪く言えば頑固で我が強く、気に入らないことがあると居ても立ってもいられないような性質にも関わらず、チェリストがリーダー的なポジションに進んでおさまることはあまりないです。
自分以外の人間に責任はもてない、ということもありますがあんまり権力的なものを好かない、というのもあるんでしょうか。チェロセクションにおいてのリーダーはセクションをまとめるポジションというよりはベストプレーヤーとしての印象が強いように思われます。
ちなみにその足を広げて弾くスタイルからか体力的なものかチェロは昔は主に男性が弾く楽器した。でも今は結構女流チェリスト多いですね。(ジャクリーヌ・デュ・プレは偉大な先駆者です♪)
女性のチェリストには頭が良くて男勝りな、でも凛とした女性らしさを備えた美人が多い印象があります(私は別です、念のため・・・)。
強いですよ~チェロの女性(笑)
ということでチェロの楽器と性格エントリーでした。
まだまだ語り残したみたいなところがある気がしないでもないですがまたいつか。
そして次回(いつになるかわかりませんが)紹介する、チェロのお隣さんでもあるビオラとの対照も是非お楽しみに。
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク チェロ協奏曲 第1楽章
チェロ奏者に「チェロのレパートリーの王様は何?」と聴いたらまあ百発百中この曲をあげるでしょう。
(同様に一番偉大なチェリストは?と尋ねたら十中八九ロストロポーヴィチと帰ってくるのではないかと)
全てのチェロ奏者が目指す、チェロ音楽の王道中の王道・・・といったら大袈裟に聞こえますが案外そんなに誇張もしてないんです。
ドヴォルザークはピアノ協奏曲もバイオリン協奏曲も書いてますがドヴォルザークのコンチェルト、つまりドボコンといったらこのチェロ協奏曲を指す、それだけ偉大な曲なんです。
(私はバイオリン協奏曲もものすごく好きですが)
この曲はチェロという楽器の魅力の全てを本当に最大限に引き出す、チェリストが弾くには本当に最高な曲ですが聴く側にとってもとっても素晴らしい曲。
チェロの音色に惚れられる、もありますが注目すべきは協奏曲を通して本当にシンフォニーのように贅沢で豊かなオケの音楽。この第1楽章のエンディング近く一帯なんかドヴォルザーク自身の交響曲よりもSymphonicです(私の印象ですが)。
豊かな感情、凛とした尊厳、甘いロマンスに磨き上げられた技巧。
そしてドヴォルザークの音楽に共通する懐かしさだったり、ほどよい土臭さだったり。
色んな意味で「最高峰」のクオリティの音楽です。
先ほどチェリストが激しくクオリティ重視と書きましたがそんなチェリストがこぞって愛し敬う曲ですから。
(こんなにハードルあげてもまだびくともしない曲です)
彼らの評価にだまされたと思って一度聴いていただきたい曲です。
(元チェリストとして盛大に推薦します♪)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
最近メンタルヘルス関係なんだか減ってて(読んでる方は分からないのですが)書く方としてはちょっと寂しいんですよね・・・
そして楽器と性格チェロ編もそろそろかなー・・・と思ってるのですがちょっとまだ踏み切れず。
で、今日は色々「なんだか数ステップすっとばしてね?」と思ったことについて。
いろいろトゥーランガリラ弾いてる間ずっとユースオケでの活動についてつぶやいたりブログに書いたりしてきましたがそもそもメルボルンにおいてのユースオケの活動、位置づけ、そして私のユースオケとの繋がりの歴史だったり、そういうことをまったく紹介せずいろいろ話を進めてしまったな・・・と気づいたので今回改めて書きたいな、と思います。
そもそも私の言うところのユースオケ、つまりメルボルン・ユース・オーケストラ(Melbourne Youth Orchestra、略称MYO)はMelbourne Youth Music(略称MYM)という団体の主催するアンサンブルの一つです。
Melbourne Youth Musicのホームページ(今後のコンサート予定などあります)はこちら、そしてFacebook(こないだのコンサートの写真あり)はこちら。
MYMはメルボルン(都市部に限らず?)の子供~若い人(年齢としては8歳くらい~25歳くらい)のために
弦楽アンサンブルだったり、吹奏楽、オーケストラ、ビッグバンドなど様々な種類・レベルのアンサンブルプログラムを提供しています。
これらのプログラムは学校の1年と同じシーズンに渡って行われていて(毎週土曜日の朝or午後にリハーサル、学校が休みだとリハーサルも休み)、その間にいくつかコンサートを行います。
さらに夏期アンサンブルプログラムもやってて、1日リハーサル(日帰り)を2週間?行ったあとコンサートで演奏する、というもので。
大抵学校の紹介などでこのサマーキャンプに参加して、楽しかったらレギュラープログラムに入る、という流れでしょうか(私はそうだったのです)。
入れるアンサンブルに関しては年齢の他に音楽の試験AMEBのグレードで目安が決められてて、上の方のアンサンブルだと毎年の始めにオーディションを受けることが必要になります。
私は学校のオケで弾いてたのがきっかけでサマーキャンプを紹介され・・・1999年のサマーキャンプに初めてチェロで参加して、2000年のサマーキャンプでトップのオケで弾いたのがきっかけで(ショスタコ11番の第2楽章、それからオーストラリアの曲を弾きました)レギュラープログラムにオーディションすることに決めました。
2000年はPercy Grainger Youth Orchestraという2軍のオケで弾いてて、2001年からはトップのMYOに入りました。
一応2004年ごろ?チェロではもうおしまい、ということにしたのですが(年の終わりに次の年続けるかどうか意思表明しなきゃいけないので)・・・2003年頃からピアノ・チェレスタパートもあるときは弾かせてもらってたのでチェロで脱退した後もそれらのパートがあるときはちょこちょこ呼ばれています。正確に言うと大学卒業後のブランクがあって、そしてやっとトゥーランガリラで復帰した・・・という経緯です。
MYOはメルボルンから有望な若い音楽家達(15~25歳くらい)が集まるただ一つのトップ学生オケなため、コンクールなどはやらず・・・というかもともとコンクール的なものはないですね(バンドだとフェスティバルとかコンクールとか全国規模ででてるのかな?私は入ったことないので分からないんですが)。
ライバルが居るとすればそれは大学のオケであり、プロのオケ・・・と私は勝手に思ってます。
(メンバーは多少かぶりますが)
大抵年に4回コンサートをやって。たまにVIC州の田舎の方や別の州に演奏旅行にいったりもします。2001年にはタスマニアに演奏旅行に行きました。あのときはオーストラリアの各州の首都からユースオケが集まるイベントもありました。
トゥーランガリラの時も書きましたがMYOというのはかなりレベルの高いオケです。
毎年メンバーがある程度は替わりますので少しレベルに変動はありますし、数年毎にどのセクションが強いか、というのは変わりますが良い演奏をするのには変わりありません。
特に管楽器奏者とか、そして弦楽器の前の方の奏者とかわりと学校のオケで腕を持てあましている?ようなメンバーがもっと良い・難しい曲を弾きたい、もっといい奏者と弾きたいという意図で集まるところですので・・・
ユースオケで一緒だった面々、というのは大学で音楽の道に一緒に進むor再会する人が本当に多いです。
つまりはもう10代後半から音楽をやりたい、と決めている人のためのオーケストラ、ともとれますね。
弾くレパートリーも本格的です。
ライトミュージックのコンサートを除いてはプロオケにひけをとらないようながっつり難しい、かつ本当に偉大な音楽を弾かせてもらえます。
私がユースオケに居る間弾いた曲のうち主要なものを一部:
ストラヴィンスキー「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」、マーラー交響曲第1,5番、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」、ピアノ協奏曲第2番、ラフマニノフ交響曲第2,3番、ピアノ協奏曲第2,3番、ホルスト「惑星」、ベルリオーズ「幻想交響曲」、ドビュッシー「海」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、「キージェ中尉」、チャイコフスキー交響曲第5番、「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、レスピーギ「ローマの松」、ショスタコーヴィチ交響曲第5,9番、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」・・・などなど。まだまだあります。
(実は私のユースオケでのチェロ弾き生活はストラヴィンスキーの「火の鳥」に始まり「春の祭典」に終わってます)
トゥーランガリラの時みたいに一見この集団には(演奏経験などを考慮して)難しい!と思われる、様々な楽器に様々な試練を与えるようなガチの曲をいつも弾くわけです。
それは若い人達に(これから音楽を続けてもそうでなくとも)本当に良い音楽と触れあい、それを良い奏者と弾き、そしてその壁に立ち向かう機会を与えてくれます。
こないだメル響のコンサートでユースオケ以来のチェロ友達が演奏してたのであとでちょっと挨拶したのですが、彼も「ユースオケでバルトークをやってよかった、ちゃんとあれ以来覚えてて今回本当に楽だった」と話していました。
ユースオケは若い音楽家がプロの道へ巣立っていく助けをする場所でもありますが、同時に今ユースオケの裏方・事務は私の先輩・友達の世代によって支えられています。(指揮してる友達もいます)必ずしも演奏ではなくとも音楽作りに関わり続けることができるような場所を作ってくれてもいるのです。
ちなみにAustralian Youth Orchestraというのもあります。
これはオーストラリア中のトップの若い奏者達が集まって数週間ワークショップやリハーサル、コンサートをやるというものです。(演奏以外にも音楽事務のプロジェクトなどもあるみたいです)
私は2度ピアノでオーディションしましたが受からず。(オケピアノの世界も全国規模だと競争ありますね!)
でもオーストラリア中の有望な若い音楽家達といっぱい交流する素晴らしい機会だと聴いていますし、メルボルンの国立アカデミーに進学した場合はそこで再会、ということもあるようで。
オーストラリアは(もちろんこれだけではありませんが)本当に音楽家を育てる温床が素晴らしいと思います。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲版より「終曲」
先ほど書きましたが、私がユースオケ(MYO)に入って最初のコンサートでやった「火の鳥」。
小さい頃から両親が好きな曲なので弾けて本当に嬉しかったです!
木管金管に比べれば全然かもしれませんが、チェロのパートもなかなか難しいんですよ。
こないだカバレフスキーの前奏曲でこのフィナーレのメロディー(最初のホルンのソロ)が引用されている、でももしかしたら引用と言うよりはどっちも同じロシア民謡を引用している、ということかもしれない、という話をしました。
このメロディーがロシア民謡かどうか実際のところは知らないのですがこれにしろペトルーシュカにしろロシアの様々な作品に使われている「ロシアのメロディー」というのには共通点があります。
ロシアのメロディーって素朴で、割と音5~6つしか使わない、ちょっと回るようなメロディーなんですよね。
この「火の鳥」のフィナーレのメロディーも正にそれで(ピアノで試してみると片手で弾けますよ~)
火の鳥とイワン王子が魔王カッチェイを倒し、石だった兵士達も人間にもどり姫君達も解放され・・・
そして朝が訪れる、そういう場面です。
この曲は本当に希望に満ちています。ちょっと映画音楽っぽいところや繰り返しが多いところもありながら独特の色彩で世界を満たし。
でもどこかこう、派手だけど落ち着いたところがある、オープンで心が本当に満たされるエンディングです。
自分が被災支援コンサートをオケでやるならこの曲で絶対しめたい!と思う曲でもあります。
昨日も「夜明け」の曲でしたが、夜明けだったり黄昏だったり、色彩と光どちらも時と共に変わっていくのを「視覚を使わず」表現する音楽、そして作曲家の表現ってすごいな、と思います。
最近メンタルヘルス関係なんだか減ってて(読んでる方は分からないのですが)書く方としてはちょっと寂しいんですよね・・・
そして楽器と性格チェロ編もそろそろかなー・・・と思ってるのですがちょっとまだ踏み切れず。
で、今日は色々「なんだか数ステップすっとばしてね?」と思ったことについて。
いろいろトゥーランガリラ弾いてる間ずっとユースオケでの活動についてつぶやいたりブログに書いたりしてきましたがそもそもメルボルンにおいてのユースオケの活動、位置づけ、そして私のユースオケとの繋がりの歴史だったり、そういうことをまったく紹介せずいろいろ話を進めてしまったな・・・と気づいたので今回改めて書きたいな、と思います。
そもそも私の言うところのユースオケ、つまりメルボルン・ユース・オーケストラ(Melbourne Youth Orchestra、略称MYO)はMelbourne Youth Music(略称MYM)という団体の主催するアンサンブルの一つです。
Melbourne Youth Musicのホームページ(今後のコンサート予定などあります)はこちら、そしてFacebook(こないだのコンサートの写真あり)はこちら。
MYMはメルボルン(都市部に限らず?)の子供~若い人(年齢としては8歳くらい~25歳くらい)のために
弦楽アンサンブルだったり、吹奏楽、オーケストラ、ビッグバンドなど様々な種類・レベルのアンサンブルプログラムを提供しています。
これらのプログラムは学校の1年と同じシーズンに渡って行われていて(毎週土曜日の朝or午後にリハーサル、学校が休みだとリハーサルも休み)、その間にいくつかコンサートを行います。
さらに夏期アンサンブルプログラムもやってて、1日リハーサル(日帰り)を2週間?行ったあとコンサートで演奏する、というもので。
大抵学校の紹介などでこのサマーキャンプに参加して、楽しかったらレギュラープログラムに入る、という流れでしょうか(私はそうだったのです)。
入れるアンサンブルに関しては年齢の他に音楽の試験AMEBのグレードで目安が決められてて、上の方のアンサンブルだと毎年の始めにオーディションを受けることが必要になります。
私は学校のオケで弾いてたのがきっかけでサマーキャンプを紹介され・・・1999年のサマーキャンプに初めてチェロで参加して、2000年のサマーキャンプでトップのオケで弾いたのがきっかけで(ショスタコ11番の第2楽章、それからオーストラリアの曲を弾きました)レギュラープログラムにオーディションすることに決めました。
2000年はPercy Grainger Youth Orchestraという2軍のオケで弾いてて、2001年からはトップのMYOに入りました。
一応2004年ごろ?チェロではもうおしまい、ということにしたのですが(年の終わりに次の年続けるかどうか意思表明しなきゃいけないので)・・・2003年頃からピアノ・チェレスタパートもあるときは弾かせてもらってたのでチェロで脱退した後もそれらのパートがあるときはちょこちょこ呼ばれています。正確に言うと大学卒業後のブランクがあって、そしてやっとトゥーランガリラで復帰した・・・という経緯です。
MYOはメルボルンから有望な若い音楽家達(15~25歳くらい)が集まるただ一つのトップ学生オケなため、コンクールなどはやらず・・・というかもともとコンクール的なものはないですね(バンドだとフェスティバルとかコンクールとか全国規模ででてるのかな?私は入ったことないので分からないんですが)。
ライバルが居るとすればそれは大学のオケであり、プロのオケ・・・と私は勝手に思ってます。
(メンバーは多少かぶりますが)
大抵年に4回コンサートをやって。たまにVIC州の田舎の方や別の州に演奏旅行にいったりもします。2001年にはタスマニアに演奏旅行に行きました。あのときはオーストラリアの各州の首都からユースオケが集まるイベントもありました。
トゥーランガリラの時も書きましたがMYOというのはかなりレベルの高いオケです。
毎年メンバーがある程度は替わりますので少しレベルに変動はありますし、数年毎にどのセクションが強いか、というのは変わりますが良い演奏をするのには変わりありません。
特に管楽器奏者とか、そして弦楽器の前の方の奏者とかわりと学校のオケで腕を持てあましている?ようなメンバーがもっと良い・難しい曲を弾きたい、もっといい奏者と弾きたいという意図で集まるところですので・・・
ユースオケで一緒だった面々、というのは大学で音楽の道に一緒に進むor再会する人が本当に多いです。
つまりはもう10代後半から音楽をやりたい、と決めている人のためのオーケストラ、ともとれますね。
弾くレパートリーも本格的です。
ライトミュージックのコンサートを除いてはプロオケにひけをとらないようながっつり難しい、かつ本当に偉大な音楽を弾かせてもらえます。
私がユースオケに居る間弾いた曲のうち主要なものを一部:
ストラヴィンスキー「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」、マーラー交響曲第1,5番、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」、ピアノ協奏曲第2番、ラフマニノフ交響曲第2,3番、ピアノ協奏曲第2,3番、ホルスト「惑星」、ベルリオーズ「幻想交響曲」、ドビュッシー「海」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、「キージェ中尉」、チャイコフスキー交響曲第5番、「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、レスピーギ「ローマの松」、ショスタコーヴィチ交響曲第5,9番、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」・・・などなど。まだまだあります。
(実は私のユースオケでのチェロ弾き生活はストラヴィンスキーの「火の鳥」に始まり「春の祭典」に終わってます)
トゥーランガリラの時みたいに一見この集団には(演奏経験などを考慮して)難しい!と思われる、様々な楽器に様々な試練を与えるようなガチの曲をいつも弾くわけです。
それは若い人達に(これから音楽を続けてもそうでなくとも)本当に良い音楽と触れあい、それを良い奏者と弾き、そしてその壁に立ち向かう機会を与えてくれます。
こないだメル響のコンサートでユースオケ以来のチェロ友達が演奏してたのであとでちょっと挨拶したのですが、彼も「ユースオケでバルトークをやってよかった、ちゃんとあれ以来覚えてて今回本当に楽だった」と話していました。
ユースオケは若い音楽家がプロの道へ巣立っていく助けをする場所でもありますが、同時に今ユースオケの裏方・事務は私の先輩・友達の世代によって支えられています。(指揮してる友達もいます)必ずしも演奏ではなくとも音楽作りに関わり続けることができるような場所を作ってくれてもいるのです。
ちなみにAustralian Youth Orchestraというのもあります。
これはオーストラリア中のトップの若い奏者達が集まって数週間ワークショップやリハーサル、コンサートをやるというものです。(演奏以外にも音楽事務のプロジェクトなどもあるみたいです)
私は2度ピアノでオーディションしましたが受からず。(オケピアノの世界も全国規模だと競争ありますね!)
でもオーストラリア中の有望な若い音楽家達といっぱい交流する素晴らしい機会だと聴いていますし、メルボルンの国立アカデミーに進学した場合はそこで再会、ということもあるようで。
オーストラリアは(もちろんこれだけではありませんが)本当に音楽家を育てる温床が素晴らしいと思います。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲版より「終曲」
先ほど書きましたが、私がユースオケ(MYO)に入って最初のコンサートでやった「火の鳥」。
小さい頃から両親が好きな曲なので弾けて本当に嬉しかったです!
木管金管に比べれば全然かもしれませんが、チェロのパートもなかなか難しいんですよ。
こないだカバレフスキーの前奏曲でこのフィナーレのメロディー(最初のホルンのソロ)が引用されている、でももしかしたら引用と言うよりはどっちも同じロシア民謡を引用している、ということかもしれない、という話をしました。
このメロディーがロシア民謡かどうか実際のところは知らないのですがこれにしろペトルーシュカにしろロシアの様々な作品に使われている「ロシアのメロディー」というのには共通点があります。
ロシアのメロディーって素朴で、割と音5~6つしか使わない、ちょっと回るようなメロディーなんですよね。
この「火の鳥」のフィナーレのメロディーも正にそれで(ピアノで試してみると片手で弾けますよ~)
火の鳥とイワン王子が魔王カッチェイを倒し、石だった兵士達も人間にもどり姫君達も解放され・・・
そして朝が訪れる、そういう場面です。
この曲は本当に希望に満ちています。ちょっと映画音楽っぽいところや繰り返しが多いところもありながら独特の色彩で世界を満たし。
でもどこかこう、派手だけど落ち着いたところがある、オープンで心が本当に満たされるエンディングです。
自分が被災支援コンサートをオケでやるならこの曲で絶対しめたい!と思う曲でもあります。
昨日も「夜明け」の曲でしたが、夜明けだったり黄昏だったり、色彩と光どちらも時と共に変わっていくのを「視覚を使わず」表現する音楽、そして作曲家の表現ってすごいな、と思います。
