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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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チェレスタ弾き、やってます。
今日も仕事→ピアノ→仕事のサンドイッチ。
一旦はまると勢いが付いてのめり込む性質がたまにちらほらと。良いことです。

トゥーランガリラのパートもやっと安心感を覚えるようになりました。
自分のパート、そして自分のパートと周りのオケの絡みだったり、音楽全体のとらえかただったり。
トゥーランガリラの各楽章ってどれも例えば同じメシアンの「20のまなざし」だと最大級の第6楽章、第10楽章とかそっちに似てるんですよね。がっつり。
チェレスタパートとはいえやはり周りの音楽を把握してなくちゃいけないのは変わりないので(メシアン慣れしてても)大変です。

トゥーランガリラのチェレスタパートってなんとなく異色な感じがします。
(3年チェレスタ弾いてないギャップももちろん考慮してですが・・・)
まずは弾く頻度が多いことがそうで。
そしてそれと関連してるんですが、不思議なパートだな、と。

チェレスタのパートって普通は鉄琴ともハープともピアノともヴィブラフォーンとも違う音色を生かしたソロがどこかにある前提で書かれてるんですよね。
もともとチャイコフスキーがくるみ割り人形の「金平糖の精の踊り」でソロを弾かせるために引っ張りだした楽器ですし。
でもトゥーランガリラの場合はほとんど鉄琴orピアノとかぶってますし、意味があるんだかないんだか(おそらく聞こえない)分からない伴奏ともいえないようなパートが延々と続き。
こないだ「一般的にチェレスタのパートはpとかppとか書いてあっても無視してmfで弾く」と書いた覚えがあるのですが、トゥーランガリラだとちょっとそこ自信ないんですよね。全オケが弾いてるところとかは遠慮なしに弾いちゃっていいんだろうけど、鉄琴とかピアノとのソロっぽいところでお互い聞こえてるかどうか分からなくてどう音量をバランスしたらいいんだろう、と本当に悩みます。結果やっぱりchicken outして聞こえてないのかも。

チェレスタとは(弾いてない期間が多いにしても)長い付き合いです。
一生チェレスタだけ弾いていけるとは思いませんが(笑)馬の合う楽器です。
前述「金平糖の精」で有名になり、なにかときんきらきん♪ではないですが音が「可愛い」イメージがある、そしてそれ以上のものは期待されていないであろう楽器。でもそれだけじゃあ私は好きになれないですよ。やっぱりバルトーク以降の闇のなかで妖しく不安定にきらめく「闇のチェレスタ」あってこそです。

チェレスタは教えてくれる人がいないものですから、リハーサルの場でいろいろ実験したりしていろいろ学んで来ました。(とても直感的に身体で覚えたようなものなので実際自分が何をまなんだか説明するのも難しいですし他人に教えようとしたらできなさそうですが・・・)
やっぱりピアノと似て非なるものです。チェレスタの方ができることの幅はもちろん少ないですが、決してそればかりではなく。
例えばチェレスタを弾いてるとペダルの使い方は大分違いますし(ぼかしエフェクトを期待されることが多いのと音量の関係でペダルを使う機会は多いです。テクニックもいろいろ違います)、キータッチも全然違いますし。
(割とジェスチャーが大きくなるような気がします)
ピアノでピアノ音楽を弾くのと、ピアノでチェレスタパートを練習するのと、チェレスタでチェレスタパートを弾くのは違うなあ、と思います。
チェレスタの前に座った途端条件反射で、というよりはチェレスタを弾く感覚とチェレスタの音をフィードバックとして自然と適応していく、という感じ。

チェレスタに関してはちょっとプライドみたいなものもあって。
大学で1年先輩の友達で、メル響やユースオケなどの裏方に関わってる人がいるんですけど、その人に在学中「メルボルンで一番のチェレスタ奏者」と評されたことがありまして・・・
それを本当に糧にしてるんです、ずっと。弾かない時期から戻ってきた今もまだ。そうでありたいですもの。
チェレスタが好きで、本当に自分のエリアと思ってますから。

本当に好きなんですよ。チェレスタを弾いてると楽器を、そして一音一音を本当に大事にするような気がするんです。
楽器自体に癖があって、あと古い楽器使ってるとトーンが均一じゃなかったりして、一つ一つの音の癖を分かってないとちゃんと響かなかったりとか。
あと音のアタックからその余韻まで、どうやったらこのちょっと見くびられている楽器の音に気づいてもらって、驚いてもらって、チェレスタの魅力を知ってもらえるか・・・それをこの手でどうやってやってみせるかということに燃えるんですよね。
チェレスタを本当に美しく響かせて、その表現の幅とポテンシャルを音楽をもって証明したいという思いに関しては負けません。
(だからこそメル響でも弾きたい!)

ここでチェレスタ弾いた曲をリストしてみようかとも思ったんですが思ったよりは長かったので別の機会に。
実はユースオケ、次のコンサートはホルストの「惑星」があるんでチェレスタのパート、狙ってます(笑)
これも一回弾いてるんですが何回でも弾きたいです!海王星海王星!(笑)

これからピアニストでももちろんいたいけれどチェレスタ奏者でももちろんいたい。
なのでリハーサル数(=チェレスタに触れられる機会)は少ないですがとりあえずまずはトゥーランガリラを頑張ります!


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」 第2楽章「愛の歌 I」



チェレスタが聞こえる楽章は既にほとんど出し尽くしてしまった!というコンサートに向けてのトゥーランガリラ紹介ラッシュのたたり(汗)
ということで少ーしだけチェレスタが聞こえるこの楽章で。(後半ちょっとだけです~)

ものすごくざっくり音楽を分けるとその源は「歌」と「踊り」に分けられる、と思っています(まあ外れてはいないと思います。ただものすごくざっくりしてるだけで)
ただ「愛の歌」というわりにはこの曲、「踊り」のエレメントが大分強い気がしますねえ。

愛にもいろいろありますが、この楽章の愛はとても歓喜に満ちて、どこか片思いというか初々しいところがあって。(繰り返しになりますが、カルミナ・ブラーナに似てるんですよ!)
胸の高鳴りというか、うれしさで跳ね回るような。イレギュラーなリズムにアップダウンの激しいメロディー(弦楽器奏者はさぞ大変だろうな!)。

で、ちょこちょこ「歌」っぽいセクションをはさむんですが、弦+オンド・マルトノの息の長ーい、ちょっと不思議な音色が割と感情抑えめだけどそれが美しく。

様々なテンポ、様々な性格のセクションがありますがどれもとっても生き生きしてます。
それはやっぱりメシアン独特のリズムの生命力がありますし、途中でホルン軍団(意外と4人だけなんですよね)の頑張り&パワフルさも聞けて。

途中で割と速めの、休まる気配のない「子守歌」もあります。これをどう解釈したらいいのか迷うところですが「愛の歌」とあるくらいですから恋い焦がれて眠れない、愛の夢を見たい・・・という見方もできそうですね。
メシアンのいう「愛」は男女の愛に限らないのですが・・・
でも音楽の全て=世界の全ての命が愛に満ちている、生き生きして動いている、という感じはあります。

そういうと他の楽章と一緒のこと言ってるじゃないか、どう違うんだ!という話になりますが・・・
この「愛の歌 I」に関してはなにか透明感があるような気がします。風のような、若いなにかが。
例えばこないだの第8楽章のような激しさはないような気がします。(第2楽章ですしね、盛り上がりはこれから、ということでしょうか)

下手なりのトゥーランガリラ紹介、今度また続きます~

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頼れる?力持ち楽器 (楽器と性格:コントラバス)
やたらと頭が忙しいここ数日。
仕事だったりピアノだったりもあるけれどもうちょっと落ち着いてもらわないことには落ち着いて考え事もできないなあ・・・
でもいろいろできてるだけで十分調子がいいということで、ちょっと久しぶりの楽器と性格いってみようと思います。

弦楽器のなかで一番大きく、音の低い楽器、コントラバス。
ジャズやクレズマーなどでもウッドベースとして使われ、活躍していますね。
楽器はもちろん木でできていて・・・弾く姿勢、つまり楽器を立てたら2m弱と大変大きな楽器ですが(高さでは一番かな?)、胴は空洞になっているためそんなに重くは無いです。
高校の時友達が(フルサイズの楽器ではなかったのですが)コントラバスを弾いててそれを借りて弾いてみたり、オケマネージャーの頃ちょっと運ぶことがあったりもしたのですが、長時間じゃなかったら私でも運べます。

その巨大なサイズのため、他の弦楽器とは違うところがちらほら。
まずオケのステージに備え付けの椅子ではなく、バーにあるような(笑)スツールを持ち歩き、それに座ります(ジャズでは立って弾く人が多いようですがクラシックでも何人かいます。ただ曲が長く弾かないときも多いので座るものがあるほうが楽かも)。
そして弓の持ち方も(これも個人差ありますが)ちょっと違って。他の弦楽器は手のひらが下に来るように、弓と水平に左右に動かすようにするのですが、コントラバスは手のひらを左向きにして持ちます(絵がないとダメですね(汗))。これは弓が太く重いため力をいれやすいようにするため、ということらしいです。
それから調弦も違います。他の弦楽器は4本の弦の音程が5度離れているのですが、コントラバスは4度離れています。(割とギターに近かったり)これは音域が低いため弦の上の音と音の間隔が広く、次の弦が早く来ないと不便なため・・・(説明下手でごめんなさい)
調弦に使う楽器上部(構えたとき)のペグにも違いが。他の弦楽器は木製のペグ+テイルピースの小さなねじで微調整なのですが、コントラバスはテイルピースに容易に手が届かないこともあり(理由は他にもあります)ペグの代わりにギアでまくネジがよく使われています。

弦楽器の音量は楽器の大きさと弦の張力、そして奏者の力のいれやすさで決まります。コントラバスは図体は大きいのですが弦の張力が弱いのと奏者が力をいれにくいのもあり、そんなに音量は大きくないです。
あと低音だとやはり音が通りにくかったり、独特のハスキーボイス的な音色もその聞こえにくさに貢献してると思います。(ちなみにスリムクラブの真栄田さんの声はコントラバスの音色に似てると思います(笑))
オケにおいての人数も他の弦楽器よりも少なめだったり・・・

でもコントラバスがいるといないでは大分音が違うんですよ。
特にロマン派以降の音楽でがんがん動いてくれるとごうごうというような音が聞こえるのは勿論、時には地響きのような音まで聞こえます。
普通のコントラバスよりも低い音を弾けるように5弦またはエクステンション付きのコントラバス、というのも用いられるのですがその超低音の響き(音、ではもはやない?)の腹に直で来ることといったら凄いです!

もともとコントラバスはチェロと一緒のパートを(1オクターブ下で)弾く事が多かったのですが、ロマン派の時代になるとチェロも、そしてコントラバスもベースラインにこだわらず自由に動くようになり。
チェロを弾く身としてはそうやって存分に、自在に動き回っている間下でコントラバスが支えてくれてると有り難いですし、そしてなんとなく安心できるところがあり。
テューバやファゴットなど他にも低音楽器がいる中、やはりオケを下から支えるという印象が強いのはコントラバスですね(人数のこともありますね)。

そんなコントラバスの奏者はもちろん頼りがいがある!・・・というわけではどうもないような(むにゃむにゃ)
私が観察していろいろ考えを巡らせた印象ではコントラバス奏者、男女でちょっと傾向が違うように思えます。

私がユースオケに入った最初の年、コントラバスセクションは6人中5人が女の子でした。
これがなんとも頼もしい!結構さっぱりとしてて、みんな美人で、元気が良く。もちろん奏者としてもやり手で。
音楽畑でない私の友達が言うにはコントラバス(またはジャズのべース)を弾いてる女の子はがたいがしっかりしていたり、楽器のイメージもあり男っぽく見られることを嫌い、結果お洒落な子が多い、という観察結果を教えてくれました。確かにそれはあるかもですね。
(やはりある程度身体が大きくて、力持ちで体力がある人じゃないとコントラバスは弾けない・続かないですからね・・・女性でももちろん)
それじゃあ男性は?というと実は今まで関わってきたオケのなかで遅刻常習犯、といえばコントラバスの男子が多いのです(3人いました)。

女性も男性も、コントラバスの性格として共通しているのは「細かいことは気にしない」というのがあると思います。
楽器が大きく、身体の大きな筋肉を演奏に用いるためコントラバスは速いパッセージ、細かいパッセージを比較的苦手としています。ちゃんとそれを作曲家側も分かってて、チェロのパートと似ているけど若干音が省略してあったり、というパートを書くことも珍しくありません。
それに加えてコントラバスは先ほども書きましたようにハスキートーンで低音、細かいところが聞こえない音色をしていて、さらに団体演奏のため、突き詰めて完璧にする必要性が低い・・・と言えます。
なのでうじうじしない、細かいところは気にしない性質がよく見られるのでは?と。(これで遅刻も大分説明がつく・・・かな?)

コントラバスは本当にあの80人とかのオーケストラという集団を、音楽を背負っている・・・本当に大きな役割を静かに担っていると思います。でも結構みんな気楽な人達で、責任感に押しつぶされるような人種ではなく。
ただコントラバスにとっては大きな楽器(+椅子)を運ぶことも、メロディーがもらえなくてひたすらベースラインを担当することも、オケを下から支えるのも本当に「当たり前」にしていることなのではないか、と・・・
気が良く、快く引き受けてくれるコントラバスはオケの優しい力持ちですね、きっと。

そして、コントラバスは(先ほども書きましたが)決して器用な楽器ではありません。
その「不器用さ」を逆に買って、マーラー(交響曲第1番)やプロコフィエフ(キージェ中尉)などわざと高音(コントラバスにとって!)でソロ、メロディーを弾かせる場合もあります。最近のオケは上手くてわりと綺麗に弾いちゃう、と聞きましたが・・・
依頼を受けたら快く引き受け、そして頼られたら(目立つようなソロとか)とにかく頑張っちゃう(頑張る、というよりは)、というような特徴がこういったソロには見られるような気がします。

そうそう、本文と関係ないんで書かなかったんですが、コントラバスは実はオケの他の弦楽器とちょっと形が違うんですよ。よく見るとネックと胴体の繋がるところ、チェロなどはひょうたん型になってるのですが、コントラバスはなで肩っぽい形になっています。ちょっとしたトリビアとして、次回コントラバスに出会ったら見てみて下さい。

いつになるか分かりませんが次回はチェロですね・・・なるべく長くならないようにしたいです(汗)


今日の一曲: ジョージ・クラム Madrigals 第4巻 第3楽章 「¡La muerte me está mirando desde las torres de Córdoba!」



結構すぐ戻ってきましたクラムのマドリガル。最近はまって、そしてコントラバスかっこいい!と思った一曲です。
ちなみにタイトルは「死はコルドバの塔から私を見ている!」というような意味です。ロルカの詩は結構スペインの地方名を使うのですが今のところスペインの地方文化が分からず、そういうところも勉強したほうがいいかな、と・・・
でも「コルドバ」と「死」のコンビは結構色んなロルカの詩で一緒に現れてます。うーん、やっぱり地方文化知った方がいいかも・・・

Madrigals 第4巻はソプラノ歌手にフルート(ピッコロ、アルトフルート持ち替え)、ハープ、コントラバス、打楽器(1人)という編成で。
この第3楽章では打楽器・ハープのリズムセクションはわりと断片的なパートで、アルトフルートやソプラノも出たり消えたり、でもコントラバスは終始ドローンと呼ばれる連続的な音を奏でています。
ざっくり言えば音を伸ばしているだけ、でもそれがものすごーく味があるんです。

まずはその音色。ものすごく深くて、ハスキーなトーンがものすごくEarthyで。乾いた大地の深さと堅さを感じます。
さらにこのドローン、途中でピッチがうなるように上下するのですが、なんと、弓で弾きながら上のギア付きペグで音程を変える・・・という。今、荒技と言おうとしたのですが実際チューニングのとき普通にそうしてるんですから珍しいこと何にもないですね(汗)でもエフェクトとしては本当に不思議で、身体と心のいろんなところをぐんと刺激する・・・まるで目の前がゆがむようなユニークな体験です。

ちなみにコントラバスのパート以外だと、曲の中程でのソプラノの「¡desde las torres de Córdoba!」のシャウトがぐっと来ますね!力の入りようとか、勢いとか、なんとなくこう、告げている、Ultimatumな感じが。なかなかこういう歌い手のパートって聞けないような気がします。

こうやって単体で紹介しましたがMadrigals 第4巻全体、そしてMadrigal 全巻通して一番最後にこの曲を迎えるというのもまた別の感じ方、意味合いがあります。
是非是非合わせてどうぞ。

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トゥーランガリラ初リハーサルの一日
今日は珍しく(?)朝から出かけました。
まずはシティでブランチ。以前見つけたCentre Placeのカフェ「ロルカ」に(大きなテーブルの相席で)席があったのでフレンチトースト(with梨のコンポート)を注文。
フレンチトーストなのになぜかスペインの名前が付いてる事情はよく分からないのですが、ブリオーシュで作ったフレンチトーストは香ばしくて上品な感じがしました。量的にもちょうど良くて。
周りを見るとなにやらパンを添えた黒い平たい鍋にトマトソースだったりグリーンピースが入ってたりする料理を頼んでたようでそちらも興味津々(出るときにメニューを見てみたらなんとかFlamencaとかいうやつだったかも?)。
しょっぱい料理は今後ランチに(または金曜日だけ夕方もやってるのでパエリヤとかTapasとかも食べてみたいです!)。

この時点で12時前。まだ1時間も潰す時間がある!ということでシティをぶらぶら。
Collins Streetから伸びるアーケードを行ったり来たり。
ここ数年リピートで使ってるBody ShopのBody butterをまず購入。
あんまり乾燥肌じゃないのでフルーツ/フローラル系統が良いかな、と思うのですが、でもナッツ系の方が香りが落ち着いてるのでBrazil Nutsにしました。(ココナッツがちょうど良いはずなのですが一緒に住んでる妹が香りが嫌いなので・・・)

あとThe Metropolitan Museum of Arts Storeを見たり、以前財布を買ったBraun Buffelを見たり。そのあとはBlock ArcadeとRoyal Arcadeを抜けて。
(Block Arcadeのなんだかクラシックなティーハウスのディスプレイのケーキが美味しそうだった!クリームのたっぷりはさまってるLamington、そして明らかに美味しそうなトッピングのパブロバ、タルトなどなど・・・結構通りがかりに見とれてる人いました)

そして郵便局に寄った後はカフェなどがあるらしいけど未だ行ったことがないHardware Laneを見物。
そのままMcKillop Streetに繋がるのでHaunted Bookshopにも寄りました。
オカルト、ファンタジー、ゴシックなど小さいながらも深く濃い品揃えのHaunted BookshopはAlchemy Gothicのアクセサリーもたくさん取り扱ってるのでじっくり物色。そのうち購入したいな、と真剣に思ってます。
(一番充実してるのはでもタロットですね。カタログみたいのがあって、本当に種類が多いんです!)
いつもラジオのクラシックチャンネルが店内では流れてるんですが、今日はメシアンのコンセール・ア・キャトルが流れてました!(笑)

そしてその後リハーサルへ。
オケで弾くのは3年ぶり、最後がユースオケでレスピーギの「ローマの松」のピアノパートだったためチェレスタはもっと長いこと弾いてません。
自分のパートのエントリーとか、練習したところはできるんですが、オケにおいての耳の澄まし方、指揮者とのコミュニケーション、勘や感覚など今日のリハーサル(トゥーランガリラは前半だけでした)だけではまだちょっと自信のないところも。

前半だけ、ということでなるべく多くの楽章をリハーサルする方針で・・・一番(ピアノとチェレスタにとって)難しい第5,第10楽章、そして個人的に安心感が早いとこ欲しい第6楽章は結局やらなかったです(汗)
やったのは第1,2,3,4,7,8楽章。もちろんやって良かったですし、自信はつきましたがこれからユースオケは(学校が休みになるので)2週間リハーサルがないため先ほどの懸念楽章をやらないのはどうしても心配・・・

オケの配置としてはピアノがオケの前に、そして私はホルンの後ろ隣(?)に陣取ってます。
(ちなみにホルンは後ろ向きに音をだして、本来なら何回かバウンドしたあとの音が聴衆に入るため私のポジションにいると荒削りのまま聞こえます。音量としてはチェレスタが盾になってるので大丈夫なのですがいつもと違った不思議な音が聞こえます)
ピアノとチェレスタは同じ時に同じパートを(たまに2人だけで!)弾いたりもしてるのですが、弱音のデュエットが多くてこちらはピアノの音が聞こえないし、向こうはチェレスタの音全般聞こえないし、でどうするかなーという状態です。
チェレスタはもともと音の小さな楽器(特に古い楽器は)。基本pとかppとか書いてあってもそこそこ大事なパートなら無視してmfくらいで弾くのがちょうど良い、と経験から知ってるのですがその感覚も久しぶりで、そしてこの曲の複雑で繊細かつパワフルな性質からなかなか掴めないですね。

ピアノよりももっとパートがかぶってるのは鉄琴。大学のオケからの知り合いがわりと近くで弾いています。
打楽器はなんと11人体制!(後期ロマン~20世紀前半だったら多いスタンダードが5人体制のはず)
まだ全員はそろってなくてビブラフォーンとか銅鑼が聞けてないのが残念なのですが近いうち全員そろうそう。
もちろん11人いるので楽器の種類も多い!普段使われてるティンパニやシンバル、バスドラムだけでなくマラカス、ウッドブロック、鉄琴、ビブラフォーン、鐘(tubular bell)などなど。
楽器が多いだけでなく、従来のオケと比べて打楽器が演奏する頻度が圧倒的に多くかけもちが少ないのも人数が増える理由でしょうね。

今後オンド・マルトノの奏者と楽器がこちらに来たらピアノ、チェレスタ、オンド・マルトノ、そして打楽器で追加のリハーサルをするそうです。11人の打楽器奏者とスケジュールの都合を付けようとマネージャーさんが奔走してくれてるみたいで。
実現するといいなあ、と願ってます。リハーサルは多いに越したことはないですし、この楽器の組み合わせである意味曲を支えているようなものだと思うので(笑)案外音楽が成り立ってしまうのではないかな~と思ったり。
メシアンは色彩、鳥の歌、いろいろな音楽の要素で知られていますが彼自身は自分は「リズムの作曲家」だと言っていたそうです。
それがこのオケのリズムセクションに強く表れているのではないでしょうか。

トゥーランガリラ交響曲。この曲の魅力だったり、この曲に自分が感じるものを言葉で表現するとどうしてもぐるぐるして詰まってしまうのですが・・・
トゥーランガリラの意味は本当にたくさんのことを含めています。時、リズム、愛、恋、命、死、作用、演奏などなど・・・つまりはこの世界を回すもの、と私は解釈しています。
時の刻み、季節の移り変わり、愛などの本能(性愛を含む)、天体の動き、歌、鼓動、生と死のサイクル・・・

トゥーランガリラは世界そのもので、でも普通に生きている私たちの周りの世界よりもずっと鮮やかで生き生きとしていて。
それはこの曲が表す人間、自然、季節、天体、命、時・・・一つ一つが、そして全てが一つとなって強烈に「生きて」いることを表現しているからだと思います。
小さいものから大きなものまで、全てが発している生命エネルギーが音楽となっていて。それぞれ違ったリズムとサイクルで生きて動いているからこの曲はたくさんの違うリズムと色彩が組み合わさってる、ということなんだと思います。
それが全部合わさって、増幅されて物凄いエネルギーになって。メシアンの音楽全般「喜び」の濃縮された強烈なエネルギーが放射状でなく壁のように直撃するため「怒り」にも似た感覚に映るんですよね。

こうやって2つ段落を書いてみて結構書けたな、と思う反面これじゃあまだまだ表面の話に過ぎないな、とも感じます。
でも言葉にならない感覚で感じていて、理解していて・・・
7月の演奏までに(リハーサルは限られてますが)もっと深めていけたらな、と思います。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 第8楽章 「愛の敷衍」



えーっと、日本語の題はWikipediaからコピペしました。「敷衍」がなにか分からないのですが、フランス語の「Développement d'Amour」は分かるのでそれで理解しています。
指揮者Fabianがこの楽章を「一番難しい楽章」と称していましたが、ピアノとチェレスタに限ってはこの楽章は一番難しくはないかな・・・
でも難しいのは確かです。オケ総動員、速いセクションのめまぐるしさ、1小節ごとに変わったりもするテンポや拍子、リズムと楽器使いの複雑さ、そして奏者と指揮者のスタミナ、集中力・・・
全て難しい!

メシアンは敬虔なクリスチャン、そしてカトリック信者として知られています。
ただ彼の信仰はかならずしもキリスト教、カトリック宗派のものとは一致していません。
音楽的に(特にこの曲インドや東洋の影響を濃く受けていますが信仰に関してもアニミズムに近い、自然崇拝だったり、汎神論に近い考え方も持っていたと聞いてます。
それを考えると「20のまなざし」「アーメンの幻影」を見る目も変わりますし、「鳥のカタログ」という曲集の存在ももっと明らかになりますし、何よりもこのトゥーランガリラ交響曲に関して多く説明がつきます。

先ほど「愛などの本能」のところで「性愛を含む」と書きましたが、なんとなくこの第8楽章にそれを感じる様な気がします。
性の交わりというのは命を生み出す(唯一の)行為だ、という「生と死のサイクル」の一部として、というのと・・・
あとやはりインド神話における性愛にも繋がるような気がします、イメージ的に。
スピリチュアルな愛と肉体の愛、どちらもが極みに届いて一つになった、そんな感じ・・・

メシアンの音楽はそういう本能だったり精神だったりに繋がることもありますが、それを本当にメカニカルに創り上げている、というか・・・
実際世界ってそういう風にできてるんだな、と感じます。
そのメカニズムから神秘なんだな、と。

神秘的で、神話的で、ダイナミックで、究極の命そのもののような、でも同時にものすごく複雑なこの楽章をどう勧めればいいか、本当に見当もつかないのですが・・・
メカニズムのことは後にしてとりあえずこの曲の盛り上がり方、そして高みに上りつめて、クライマックスのそのおおらかで強烈な性格、そしてなによりもそこからだんだん降りてくるところの他では味わえない感覚を楽しんでもらえたら、と思います。

(あら、リンクしたCDでは「愛の展開」と訳されていますね。先ほどの敷衍も調べてみましたがどっちも・・・どうなのかなあ、と。フランス語にそれほど精通しているわけではないのですが音楽の性質からして良い言葉があるといいな、と思ってます。)

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楽器に惚れた・惚れ直した瞬間
6月ですね!
今年のダリカレンダー、6月は「欲望の謎、母よ、母よ、母よ」。来月が特に好きな絵なので楽しみです。
ということでメルボルンも暦の上は冬です。
今年の5月は新聞によるとここ40年で一番寒い5月だったそうです。
今日は特に「うーん」と困ることいろいろ。メシアンの天使のまなざしの最後のところが弾く度に記憶がスリップしてダメダメになったり。
そろそろコントラバスの楽器と性格やりたいんだけどまとまらない・・・のでもうちょっとお待ちを。
一番楽しみにしてるのは私でしょうけどね~

ということで今日はあんまり考えなくとも直感で書いていけるトピックを。

音楽を聴いたり、弾いたり、授業で習ったり、周りの人が弾いたり・・・
そんなこんなで無意識に、そして意識していろんな楽器とその音とずっと触れあってきました。
もちろん自分の弾くピアノやチェロ、オーボエ、それから家族や親しい友達が弾く楽器は親しくなるし、知識も増え。
特に大学で色んな楽器を弾く友達ができて、そしてオケのマネージャーをやるときに「みんなが必要なものにもっときづけるように」といろんな楽器の人と話し、触れあい、共感したり楽器独特の問題やあるある、独特の楽しみや喜びを自分でも理解して感じることができるよう、いろいろ努力した経験もあります。
ホルン奏者はこんなところが難しい、とかこんなところが楽しい、ということを知ってるとこちらも楽しみになったりはらはらしたりでちょっとでも弾き手と共に楽しめる、楽しみが倍になる、そう信じて。

そして何気なく聞いてきた曲でもそうやって意識するとたまに特定の楽器の魅力が飛び出るようになる時があるんですよね。
例えば「え、ここって実は結構難しい!?」と思うところだったり、こんなところでこんなに縁の下でがんばってるんだーというところだったり。
そして知ってる曲、知ってるパッセージでも改めて耳を傾けて見ると思わず美しかったり。
今日はそうやってオケの楽器と触れあって来た中で特定の楽器に惚れたり、惚れ直したりした瞬間をまとめてみます。
気づけば本当に魅力的なのでどの曲も本当にお勧めです!
この楽器のベストが聞きたい!というときに是非是非お勧めです。猛プッシュ。

<弦楽器の部>
バイオリンって弾く人が多くて、いろんなアンサンブルに入ってて、オケでもほとんど常時弾いてるため「ありふれた楽器」というイメージが強いかと思われます。ある意味当たり前になっていたそんなバイオリンに私が改めて惚れた、それがイザイの6つの無伴奏ソナタでした。
特に第3番(単一楽章)を聞いてるとなんとなく真髄、みたいなのを感じるんですよね。技巧と感情、繊細さと強靱さ、そしてそれ以上のものたくさん!

ビオラはもう小さなレパートリーの中で好きなものいっぱいですが、惚れた!というかこれは他の楽器には真似できないな、と思ったのがヒンデミットのソナタop.11-4。(彼は他にもたくさんビオラソナタ書いてますよ~)一番聞きやすい曲ではありますが、バイオリンにもチェロにもないもので満ちてます。バリエーションの中でちょっとどきっとするんですよね、ちょっと意外な一面も見えたりして。

チェロはもう長年深く濃く付き合ってて、でも驚きはあります。例えばこないだ今日の一曲で紹介しましたクラムのBlack AngelsのGod-musicでのチェロの響きは(アンプで増幅してることを考慮しても)本当に別世界というか。おおらかで、とことん突き詰める感じが同じだけどどこか違う。それが何かは今でも分からないのですが正体の分からない「ギャップ萌え」にやられているのです(笑)

コントラバスはジャズ関連ではいつも驚かせられ、どきどきしっぱなしなのですが、クラシックでがつんと来たのは随分最近。クラムのSongs, Drones and Refrains of Death、そしてMadrigalsに見られるドローンの響き、意外なフットワークの軽さと音色・技巧の広さ、そして自由に動きながらも支えている姿。
音色の美しさよりも「この楽器こんなこともできるんだ」という驚きも結構ツボなのです。

<木管の部>
フルートもなんとなくこう、美しいのが当たり前みたいな印象を持っちゃいやすい楽器だと思います。牧神の午後でも本当の意味で惚れることができなかった私が落ちたのはホルストの「惑星」の「土星」。最初の伴奏といい、中間部のアンサンブルといい、なにをしたらこんな世界がフルートで作れるんだ!?という驚きいっぱい。目立たないパートなんですが、だからこその凄さってあるんですよね。

オーボエ・・・も元々の楽器の性質もあって見切った感が・・・(もごもご)なのですが、やはりメシアンの「コンセール・ア・キャトル」の第2楽章のオーボエソロはいいなあ、と思います。メシアンの最後の曲なのですが、「もっと前にやって欲しかった!」というコラボレーションです。メシアンのあの天国の色彩をこんなまでに表現してくれるのか、と。

クラリネットに惚れた曲は2つまで絞って選べなかったので2つ。シューベルトの「未完成」交響曲(第7番)の第2楽章、そしてショスタコーヴィチの交響曲第9番の第2楽章。どちらもものすごーく息が長くてただただ楽器の音の透明さに毎回舌を巻くような。必ずしも感情豊か、というものではないのですがむしろそういう冷淡なほうを欲してるときってありますし、心の求めるところとぴたっと合ったときにがっつり落ちますね(笑)

ファゴットははっきりいって一目惚れタイプではないと思います。なかなかファゴットを集中して聞く機会、というのも少ないですしね・・・でも最初に惚れたのはストラヴィンスキーの「火の鳥」の「子守歌」でした。こんなにセンターで輝けるものなのか、というか。「馬子にも衣装」みたいな感じがあります(でも元の馬子の魅力も失わず)。
ストラヴィンスキーは他にもファゴットが活躍する曲いっぱいありますのでそこらでじっくり愛を深めていくのがお勧め。

<金管の部>

ホルンは常に惚れっぱなしです(笑)とにかくマーラーを聴く度にホルンに惚れるという法則があります、私の中では。傾向としては1人のソロより軍団突撃。交響曲第3番の冒頭とか、第6番の第2楽章とか。第5番の第3楽章の中程なんかもたまらない!純粋に「かっこいい!」という性質の惚れ、それに加えてホルンの楽しいツボに共感してエクスタシーを感じる若干特殊な「好き」のようです。

トランペットもまた「誰でも知ってる」感がありますし、好き嫌い分かれるところあると思います。だからこそギャップの萌の方が、ね(笑)真っ直ぐで勇ましくて、のイメージと大分違うロマンチックで控えめなレスピーギの「ローマの松」の第2楽章のオフステージソロなんか生で聴くとメロメロですし(笑)・・・あとギャップでやられたと言えば何回か話に出ているリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の戦いのシーンにおいて珍しく悪役を演じてるトランペットの格好良さはまさにそれですね。

トロンボーンもフルートと同じく「土星」にやられました(最初の方のコラール)。・・・と書いたところで思い出したのですが、それ以前にブラームスのドイツ・レクイエムの最終楽章(第7楽章?)の途中で出てくるめっちゃ高音のトロンボーンのソロ+コラールで悶えてたことを思い出しました。
金管全体、特にトロンボーンは音が大きくて開けっぴろげなイメージなのにあんなに!あんなにも甘い丸い音が出るなんて!とびっくりしたもんです。

テューバに本当に心打たれた瞬間は、というと・・・やはりムソルグスキー「展覧会の絵」の「ビドロ」でしょうか。あの曲も長いこと知ってたのですが、実際に吹いてるのを(練習ながら)見て「あ、これは凄いな」といろいろ身に染みました。音の美しさもそうなんですが苦労が伝わってきて、そこにじわっと来ます。

<その他の部>

打楽器は箇条書きします~
ティンパニ: ブラームス 「ドイツレクイエム」第2楽章
スネアドラム: ショスタコーヴィチ 交響曲第11番第2楽章
トライアングル: リスト ピアノ協奏曲第1番第3楽章
バスドラム: ブリテン 戦争レクイエム Libera Me
ビブラフォーン: Sculthorpe Sun Music III
クロタール: クラム マクロコスモス第3巻「夏の夜の音楽」 第5楽章「星屑の音楽」
銅鑼: ストラヴィンスキー 「春の祭典」 大地の踊り

ハープに恋に落ちたのはメル響のハープ奏者の方と初めて共演して、隣に座ったバルトークのバイオリン協奏曲第2番。第1楽章の一番冒頭のあのシンプルな和音の連続を間近で聴いて鷲づかみにされました。聴衆として聞く方でもああいう曲の始まり方は釘付けになると思います(おそらくそれを狙ってるのではないかと、作曲家側も)

チェレスタに恋に落ちたのがいつだったか、というのはもう覚えていません。聴くよりは弾く方に惹かれていると思うので・・・でもやはりあこがれのソロがレスピーギの「鳥たち」の「カッコウ」で。まあよくも使ってくれました、と(弾いてないのに)感謝の気持ちいっぱいです。これをいつか弾けたら・・・

そして最後になりましたがピアノ。
オケにおいてピアノが最高に格好いい!と思うのはいつもショスタコーヴィチの交響曲第1番(第2,4楽章)、そして第5番(第1楽章)です。ピアノは木でできているけど同時に金属のパーツも多く、そしてなんといっても真っ黒(+ちょっと白)の楽器なんだ!という。ショスタコのピアノ音楽大体そうですが、ピアノの冷酷でパワフルな面にどきっとします。


人間に関しては?ですが音楽に関しては自分本当に惚れっぽいな、と自覚してます。
でもこれまでとは思いませんでした(爆)
どんな楽器にも魅力があって、いつも新しい発見があって。それは曲でも、演奏でも同じで。
だから本当に発見と恋の宝庫です、音楽は(人間もそう変わらないのかも知れませんが)。
どんどん新しい曲、楽器、演奏と出会ってその魅力を少しでも「今日の一曲」などで伝えていけたらな、と思います。
(ん?ということは「今日の一曲」はのろけのコーナーなのか?)

そんな今日の一曲、今日はお休みです。

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レクチャー「新しい音楽理論と脳」 感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!

今日は少し調子が上向きというか、慣れてきたというか。少しエネルギーが使える感じです。
仕事が今ちょっと静かなのが心配ですがやはりフリーランスだとこういうこともある、ということで・・・
何はともあれ明日はユースオケでトゥーランガリラ交響曲の初リハーサル。今日もじっくりCDに合わせてパート練習しました。仕事がないので(汗)朝ちょっと早めに出てシティでブランチするかな・・・

さて、昨日はレクチャーに行ってきました。いろいろ書きたいことはあるのですが、今回はレクチャーの内容について、に限ります。それ以外のことは別エントリーで。
こないだまとめられなかった前回のレクチャーとトピックが似てるな、と思ったら前回のレクチャーの人のPhDのSupervisorとして同席してた方で、実際にプレゼンされた研究が今回のレクチャーで使われてたり。
今回のレクチャーを行ったそのAssociate Professor Neil McLachlanという方、なんとBirrarung MarrにあるFederation Bellを設計した人でもあるそうです(何の事やらでごめんなさい、これがその別エントリーの内容の一つなのでまた後日・・・)

レクチャーのイントロの部分で以前ここで紹介した音楽と脳、可塑性についての2冊の本「Musicophilia」、そして「Brain that Changes Itself」について言及がありました。まだまだ研究のエリアとして発展途上だからスタンダードな本というとやっぱり限られてくるんでしょうかね。
(言及がなかった「This is your brain on music」、今度読みたいです)
音楽に関して神経可塑性のコンセプトは個人の音楽修得、そして音楽文化の発達においてもとても重要なものだ、という話もあり。

まずは音楽理論の歴史について話がありました。
私もあんまり得意なエリアじゃなくて(一応音楽科卒業で音楽やる人ですが(汗))、始めると長くなるので手短に・・・(説明も下手なので詳しくは別のところで読んでください(汗))
西洋音楽における音程の歴史はやはりピタゴラスまで遡るようで。(レクチャーで言及がありましたが、その前に中国でもピタゴラスと同じようなやり方で「音を決める」ことは行われてました。歴史の古さから需要も早かったということですね)
ピタゴラスの音程、その音の基準を決めるプロセスは幾何学的で。その当時は音楽は宗教、数学、幾何学と深い結びつきがあり。さらにそのギリシャ音楽は単旋律だったためハーモニーを考慮しない音程の決め方だったそうです。
同時に複数の音を奏でることを考慮した音の決め方は8世紀のアラビアで開発され、ヨーロッパの宗教声楽で応用され。Roughness Theoryといって複数の音を弾いた時に聞こえることのある「beating」を最小限にとどめること、そして完全五度の音程をベースにして音程を決めるシステムでした。
そして鍵盤楽器という複雑な旋律、ハーモニーなどを扱う、容易に音程を調節できない楽器が台頭したことで(Roughness theoryを元にしたシステムは弾くキーによって音程を微妙に調節しないとbeatingが生じるので)1オクターブを12等分した(12という数字は先ほど省きましたがもともとピタゴラスの理論に基づいてます)平均律のシステムを開発し、用い、標準化して今に至る・・・ということです。

ここで、前回のレクチャーでもあった「協和音」のコンセプトの歴史の話に。
耳に心地良いのが協和音、そうでないのが不協和音という簡単な話でもなく・・・
先ほどのRoughness theoryに基づいた、周波数が近い音に生じる「beating」の有無で協和音・不協和音を分ける説、そうではなく複数の音に共通する周波数すうの共鳴により分ける説、などありますが・・・
今回注目されていたのは「協和音・不協和音は聞く人がその和音を聞くことに慣れてるかそうでないか、ということで決まる」という説。
(あと協和音・不協和音はその和音がおかれる環境に左右される、という説も面白いですね)

つまりは音の認識は音の物理的特徴でなく脳の働きに頼るところが多い、ということで。
音を脳が認識する際、聴覚を司る神経の場所で認識しているのか(ただしそれにしては認識に必要とされる情報が複雑すぎる)音の周波数などを経時的に分析しているのか(ただし本能的な「戦うか逃げるか」の判断をするには必ずしも速くはない)、という説がある中で、今有力とされているのは「脳の長期記憶のなかに音の種類の情報がテンプレートとして保存してあり、それと照合することで音を認識する」という説です。
このレクチャーを行った方はそれをさらに展開して既に聞いたことのある音はテンプレート照合、聞いたことが無いと判断した場合は周波数などを分析して認識(そして保存)する、という脳内プロセスのモデルを提唱していました。

これらの協和音、そして音の認識についての説で分かることは音楽、そして音の認識は人間の音と音楽に関する経験の積み重ねにより蓄積、発展していくものだということが分かります。
そしてこのテンプレートはとても特異的、正確なものなので特定のテンプレートがよく使われるとそれに対する感度というか認識の正確さがアップしますが、使われないテンプレートは発達しない、または衰えてしまいます。
なので西洋音楽を聴いている私たちは他の文化の音楽テンプレート、例えばガムラン音楽での音程の聞きわけに関しては弱い、ということが起こり。
特定の音楽テンプレートに対して親しみが高いほど音程の認識も正確になり、和音を「不協和音」だと感じるの度合いも低くなる。
つまり耳慣れない音楽ほど不快だと感じる度合いが高い、ということになります。

音楽理論、音楽の認識に関する研究はこれまで西洋音楽を中心に回っていたのですがこのテンプレートの説により西洋音楽と他の音楽が対等に扱われるようになった、といってもいいと思います。
西洋音楽においての音楽理論でのフォーカス分野は幾何学→数学→神経心理学→神経科学と移り変わってきましたが、例えば別の文化の民族音楽を数学的に分析することは(西洋音楽と違って必ずしも数学をルーツとしていないため)非合理的ということになり。心理学、神経科学という「音側」でなく「人間側」の要素を取り込んだことで多文化に対応するようなシステムになってきてるんですね。

そしてここでもうひとつ大事なこと。
音と音楽の認識は経験の積み重ねによるもの、ということは「音楽の脳」は先天的なものでなく訓練によって身につくもの、ということになります。
特定の文化において積極的に音楽に参加することにより脳は音楽に対して発達する。(そして参加しないことは退化に繋がる)親しみが高まれば音楽に対する感度も良くなる。
そして音楽はその複雑な性質から聴覚をフルに使い、さらにその認識をサポートするために長期記憶内のテンプレートも動員し。つまり聴覚に挑戦する活動であるわけです。
音楽のテンプレートを広げ、様々な音楽を楽しめるようにするためには様々なテンプレート(西洋音楽に限らず!)に触れて、最初は不快に感じても脳が慣れるようにすることが大切、ということで。
(あとテンプレートを広げることは音程の認識の正確さを高めることにもなる、という話も出ました。手作りの、音色、音程がいろいろあるガムランを弾く奏者は西洋音楽の音楽家よりも音程認識のスコアが高かったそうです)
(あとも一つ。そんな複雑な刺激である音楽に対するexposureが多いとそれに飽きたらずさらに新しい刺激を求め、新しいテンプレートを探すようになるとか。耳が肥える、というやつでしょうか。それで複雑な現代音楽が生まれた、とも言われています)

親しみと音楽の聞こえ方に感しての話は「現代音楽を親しみが低い人に勧める」ことに関する考えに本当にhelpfulだと思いました。
そして持論の「子どもには(そして年齢問わず)ジャンル構わず色んな音楽を聴かせるべき」というのの裏付けがまた一つ増えて。
どんな音楽でも本当に「慣れ」なのでとっつきづらくとも、音の洪水に圧倒されるようでも(これが複雑な.特にオケ音楽が敬遠されやすい理由だとか)一回であきらめないで相手を知ってみることが大切だと改めて思います。

私も最初はメシアン嫌いでしたし。
メシアンを弾き始めて2回ほど、そしてクラムの音楽と向き合い始めてまた2回ほど自分の「聞こえ方」が変わった、そう感じた時期がありました。
それでテンプレートが広がったのか、いつのまにかいろんな現代音楽、民族音楽などに心を許しやすくなって、とっつきやすくなって。
かならずしもすぐできるものではないですが、その変化が起こると本当に世界が変わります。
メシアンの色彩が見えるようになった時、クラムの宇宙が感じられるようになったとき・・・その感覚は言葉ではとても言い表すことができません。

だから私はこれからも「聴いて下さい」と言い続けます。老若男女、いろんな人に向けていろんな音楽を(主に自分の守備範囲になりますが・・・)、お勧めスキルを磨き勉強しながらお勧めしていきたいとおもいます。


なんだか所々わかりにくい説明ですみません。結局大事なのは最後の1/4くらいでしたね・・・(汗)
長くなってしまったので今日の一曲は今回お休みです。



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