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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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5月24日 国立音楽アカデミーでのMichael Kieran Harveyコンサート感想
今日レクチャーハンティング(?)をしていたら明日音楽心理学関連のレクチャーがあることが判明。
トピックとしては前回行った(でも感想をまとめなかった)レクチャーで扱われてた音の認識に関する話があるので、今度こそは勉強してまとめられるよう!と思ってます。

さて、昨日は国立アカデミーのピアノ関連ミニシリーズ(コンサートだけでなくセミナーなどもあるようです)の一部としてマイケルがコンサートで弾きました。
プログラム的にちょっと悩んでたのですがマイケルがこないだ話せなかったからコンサートで会おう、とチケットを取ってくれたので二つ返事で行ってきました。
今回はマイケルのリサイタル、ということでなく打楽器のEugene Ughettiとの共演曲もありました。
プログラムはこんな感じ:
Humphrey Searle ピアノソナタ
ベートーヴェン ピアノソナタ第29番「Hammerklavier」
Michael Kieran Harvey & Eugene Ughetti 「Homage to Liszt」
全曲切れ目なく演奏されました。ここはやっぱ奏者のこだわりですかね。

なんというか、ピアノをフィーチャーする週間だけにピアノの演奏、その楽器の壮大さだったりピアノが織りなす世界だったり、そういうものに焦点を当てているプログラムですね。
プログラムの説明などは今回マイケル自身が書いていて、ちょっと読んだだけでマイケルのぶっ飛んだ考えがいろいろ出てきたのでちょっと今の状態だと気圧されるため未だにちゃんとは読んでません(汗)
そのことを交えてまた後ほど。

ちなみにSearleはセリー音楽のイギリス人作曲家だったそうですが、彼がもっとも有名なのはリストに関する研究、そしてなによりもリストの音楽のカタログの作成だそうで。
なんとなくこう、リストのスピリットがあるような(マイケルの演奏かもしれませんが)。ピアノらしさというか、楽器に密着した感じがありました。

もともとベートーヴェンのハンマークラヴィーアはあんまり愛着がないというか、外向的でピアノっぽいというかVirtuosicというか、弾く側重視みたいなところがどうも苦手意識を感じてしまうのか・・・
あとマイケルとこの曲の相性ってどうなのかなあ、と思うところもあったりで。
今回の演奏、正直(本人も認めちゃっていますが)疑問に思う事、ちょっとこれはどうなんだろう、軽すぎやしないか、と不満に感じることありましたが、プログラムにありました彼の21世紀的なこの曲の解釈だったり、彼の世界が垣間見えたり、という意味では好きでした。あと技巧をひけらかすところでなく静まりかえった部分の繊細さはやっぱり光るんですよ。

そして最後の奏者2人により共同で(オンラインでのコミュニケーションにより!)作曲されたリストへのオマージュ。面白かったですね。
ピアノパートは所々にリストの曲からと思われるパッセージがでてきたり、そして打楽器とのかけあい。
ドラムキットを中心としたパーカッション、どうしてリストと?という印象がある方も多いと思いますがリストの爆発的な生命エネルギーを表現するには割と意外ながらも向いてるのではないかとこの曲を聴いて思いましたよ。
マイケルは以前にAddictというピアノとシンセサイザーを使った曲を書いているのですが、今回のピアノとパーカッションの組み合わせはそれに似たようなところがありました。
この曲の演奏を聴いてマイケルはやっぱり自分の作曲で特別輝いたな、という印象を持ちましたが、それよりもマイケルはなんらかの形でリストの精神(というか血的なもの)を身体と心に先天的にそなえてるんじゃないか、という印象が強かったですね。実際本場ハンガリーのリスト・アカデミーにいたこともあるのですが、それ以上に。

マイケルは本当に先ほどの言葉そのままになりますが爆発的な生命エネルギーを秘めていて。で、ピアノにおける技巧と表現力、頭の回転と知識、独特の感覚、全部合わせてああいう奇怪な解釈とバイタリティに溢れた、かなりめまぐるしい演奏をするんですよね。
頭の回転に表現する技量が追いついてるからああいう速い演奏になるのかな(笑)彼独特の世界があるんですよね。同じ感覚、知識を持ってない私みたいな凡人にはなかなか共感しづらいところもあるのですが、でも好きなんですよ。好き嫌いは分かれるのですが。

私の先生スティーブンも来てたのですがお友達(?)と一緒にいたのであんまり話せず。(残念極まりないなあ)
そしてコンサート後はマイケルたちとちょっと近くの静まりかえった小さなバーでちょっとだけ飲み物をご一緒しました。というかマイケルが奢ってくれました。
国立音楽アカデミーの最寄り、徒歩2分(笑)にあるButterfly Club。ちょっとアヤシイ感じのライティングとまるで民家のような部屋の連なり、そして所狭しと飾られてる飾り物・・・
でも平日とあって人がいなくて静かでいい感じでした。暖炉の前に椅子持ち寄って。私だと一人とか同い年の友達とだとあんまり入りづらい雰囲気なのですが、こういう体験もできて良かったです。これはこれで味わい深い♪
(ちなみにキャバレーのショーをやるときとか週末はけっこう入るみたいですね。週末のコンサートのときに賑わってたのを見たことがあります。)

コンサートが終わっても話はちょこちょこ音楽周り。
メルボルンの音楽重鎮の人間関係ちょいゴシップだったり、あと今こちらでやってる某オペラプロダクションに着いて。なんだかものすごく悪い、という話だったのですが。
見てみないとそりゃあ評価はできませんが、要するに話としてはそのオペラに限らず「ポピュラー(=陳腐)なものを低クオリティで提供することの悪」についての懸念の話になり。
演奏・プロダクションのクオリティはもちろんですが、クラシックに限らずポピュラーで当たり障りないような曲ばっかり並べても人々に音楽を好きになってもらうことはできない、という話だったり。プログラムは多少知られていないものでも本当にいい音楽を本当にいい演奏で届けることの大切さについて熱く語ってましたね、年配陣プロ軍団(笑)

でも全体としてはそういうとこメルボルンの音楽シーンはちゃんとしてると思いますよ。室内楽でもオケでもリサイタルでも、レパートリー的に大抵新しい発見は聴く度にありますし、ポピュラー系統はライトミュージック音楽専門のコンサートに限ってますし、いつもプログラムを見る度に好き嫌い別として凝ってるなあ、良い曲揃いだな、と思いますし。
リサイタルを組むときも、マイケルのリサイタルだったり(今回もね!)とくにPiano Landmarksではそれ全体、そしてその中の各コンサート、各奏者のプログラムの選曲全てにコンセプトだったり意味があったりで。私も本当にそういうプログラム組みに憧れるんですよね。
聴衆に音楽を好きになってもらうにはどうするか、そして聴衆の「音楽の体験」について本当に考えさせられる話でした。(そして同時にメルボルンの音楽家の捉え方というか真剣に考えてるってことが分かってやっぱり安心します。)

ゆっくりマイケルと話す時間はなかったですし、次いつメルボルンに来るかわからないって言ってましたが全体的に本当に楽しかったです。やっぱり彼の演奏はいつ聴いてもにやりとします。

明日は先ほども書きましたがレクチャーです。感想まとめられますように・・・


今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 無伴奏チェロ組曲第1番 「Bordone」



今回のコンサートとほぼ繋がりはない今日の曲のチョイス。
実はクラムの音楽のことを考えているときにDrone(ドローン、単音・重音の(伝統的には持続的で動かない)ベースライン)について考えてて。
それで民族音楽においてのドローン、分かりやすいところだとこちらでもよく生で聞けるバグパイプやDidjeridooもそうですし、あとそこから調べてインドのタンブーラ、そして日本の薩摩琵琶もそうだと知って。
で、薩摩琵琶が下の2本の弦を開放弦のドローン(非連続音)として使う、という話を聞いて、そして実際に音を聞いてこれはブリテンの無伴奏チェロのあれじゃないか!とひらめいて調べてみたらこの楽章の名前Bordoneがラテン語圏(?)でドローンのことを指すこと、そしてロルカの詩でも同じBourdonという言葉が使われてることを知り。

でも実際そう思って聴いてみるとブリテン日本の影響受けてるんじゃないか?という感は本当に強いですね!
薩摩琵琶の雰囲気だったり、インドのタンブーラにも似ていて。
持続的ではなく、たまにピチカートとして現れ、響くドローン。持続的ではないから広がる響き・空間があるんですよね。

無伴奏のチェロ組曲といえばもちろんバッハのものが有名です(このブログでも以前紹介しましたね、またいつかやりたいです)。が、もちろんチェロのための無伴奏のレパートリーはそれに限りません。
コダーイの無伴奏ソナタ(これも以前紹介した覚えが)もかっこいいですし、このブリテンの無伴奏組曲も独特の世界を確立しています。
バッハの無伴奏組曲は音で空間を満たすような、Richnessというか満足さ、暖かさ、fullnessがあるのですが、ブリテンの無伴奏組曲は全く逆とも言える効果があります。
一人でちゃんと音楽は完全に成り立っている、そこに完璧さはあるけれど同時に独りであることの孤独、そしてその「1人」の周りの無限大の空間のからっぽさみたいなものも同時にあって。
そしてやっぱりブリテンの「闇」の性質はいいです。ドライだけど深い。

そういうところもひっくるめてこの曲は盲目の琵琶法師の語りみたいだな、と思います。
独りの語りですよね。独特の世界と観点と表現で。語りの間聴き手がしんと静まることで目の見えない語り手の周りに果てしなく広がる闇も。

やっぱブリテン東洋に影響受けてるのかなー。(再び)
(そしてブリテンのこの3つの組曲、まだまだ勉強&聴き不足。もっと親しんで身につけたいです)

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鬱状態のときに聞きたくなる音楽の傾向など
レクチャー・セミナーハンティング(笑)にいくつかメンタルヘルスに関連する団体のニュースレターをメール購読してるのですが、そのうちの一つにオーストラリア政府・VIC州政府の予算案に関する話が掲載されていました。
州政府はこれからの3~4年の取り組みとして5850万ドル(約50億円)をメンタルヘルス関連の研究、精神疾患の患者さんのためのリハビリ等の施設、コミュニティベースのメンタルヘルス施設・サービス、そして若い人のメンタルヘルスの用途に使うと好評。
国の政府は重症の精神疾患を患う人のためのケアの拡大、ケア提供・アクセスの改善、メンタルヘルスのプライマリケア、そして若い人や子どもの精神疾患予防・早期介入プログラムなどに15億ドル(約1290億円)を投入するとのこと。
お金が出たところで問題が解決するわけではないですが、これでメルボルン、そしてオーストラリアのメンタルヘルスケアがより良い物になるよう願っています。
(ちょっと気になるのは都市部から離れた地域、さらに原住民のメンタルヘルスケアについてこのニュースレターに書いてなかったこと。まあ予算案に含まれてないってことはまずあり得ないので書かれてないだけだと思いますが)

最近鬱状態になってipodのランダム再生で曲をくるくる飛ばしたり変えたりすることが多くなりました。
心地が落ち着きにくい、というかこれじゃないなあ、とかこれは聞きたくないかも、とか・・・不快までとはいきませんがちょっとでも「心地悪い」と感じる閾値が下がったように感じます。
もちろんちゃんとそれには理由もあり。
鬱状態になると身体・心にいろんな変化が起きますが、音楽を聴くという行為に影響があるものをいくつか挙げるとこんな感じになります。(あくまでも私個人の例です)
1) 気分の落ち込み(とそれに伴う「明るい」ものに対する過敏)
2) 脳の処理能力の低下(前頭葉の機能低下の一つ。人との会話を追うのはもちろん、本を読むのもままならない)
3) 自分の感情を適切に認識、処理、発散する能力の低下(これも前頭葉の機能低下の一つ)
4) エネルギーの低下(にともなう活動の低下)
5) 落ち着きがなくなる(↑のようになにもできない状態だけれど、なにもせずにいることもできない。集中力、さらに我慢できるレベルが低下する)

鬱状態で1)、3)、4)が重なるとわりと自分が「中途半端な状態」にいるような感じになるんですよね。
落ちるところまで落ちていない、という感覚もありますし、感情が発散されずに自分の手のちょっと届かないところでゆっくりと渦巻いている感じで。
下手な例えになりますが、庭の土の中に蛇が冬眠している、という感じでしょうか。掘り起こすにはちょっと深い。でもそこに確かに居ることは変わらない。
だから自分で望んでいる対処法としてはその感情から逃げたいとか、その感情がないといいなあ、ということではなくその感情にアクセスして、がっつり感じてから自分の手で発散したい、という欲求の方がずっと強いです。
ただ感情にアクセス、そして分析できる処理能力もなく、表現・発散できるエネルギーや集中力もない。

だからなるべくここの問題に対して音楽を使いたいですね・・・ただもっともそういう表現、発散を促す曲を自然に選んでしまうような気がします。自分がその時聴きたい曲っていうのは自分の状態、そして自分の欲求を本当に明確に反映していると思います。

こういう状態の時避けたい、というか避けてしまうのはこんな曲。
1) 明るい、派手、外向的な曲(気圧される、といいますか、光過敏症みたいなものです)
2) ポピュラーな曲(斜に構えてしまうので(汗))
3) 長い曲(集中力が続かない、飽きる)
4) 複雑な曲、特に感情contentが少ない曲(心というより頭に負担が大きい)

そして逆にこういうとき自然と惹かれる、選ぶ曲はこんな特徴が。
1) 暗い派手さを持っているパワフルな曲(自分で感情の細々したところが認識できないので自分の感情と音楽の感情が必ずしも完全一致しなくてもいいようです。とにかく発散!というか)
2) リズムが強い、パンチがある曲(リズムは前頭葉よりも脳の「原始的な部分」に働きかける、といろいろなところで聴いていますが、それが理由でしょうか。)
3) 感情が割とぎっしり詰まった曲(自分の中にあるけれどアクセスできない感情に手が届くようになるための刺激、ということかな。外と内が繋がって発散になるような気がします)
4) 重厚というか低音が強い曲(不快に感じる閾値が低くなるため、きんきんしていると普段は思わなくてもこういう状態の時は耳につきやすいようです)

耳から入ってくる言語を処理する能力が弱まっているため器楽・声楽は関係ないようです。
そして一般的に感度はリズム>ハーモニー>音色>メロディー>歌詞の順で良い・・・とあくまでも印象ですが。

やっぱりこういうときにショスタコーヴィチの音楽はぴったりですね。先ほどの特徴にもよく当てはまります。
あとはバルトークなどハンガリー勢も良いですし、ブラームスもフィットが良いです。
やはりどれもがっつり系。
鬱状態になって好みが若干変わったりもしますが、基本好きな曲は好き、という傾向はおおまかにみれば変わりないですしね。
実際にどの曲、とかはまだ根気と集中力と観察が不足していて全然まとまってないのですが。
なのでこれからゆるーく観察を続けてみようと思います。

5月24日捕捉: このエントリーで書いたのはちょっと騒がしい系統ばっかりに見られてしまいそうですが、もちろん心を穏やかにする、自分の中の不安、落ち着きない気持ちを穏やかにして望まない静寂をfillする静かめの音楽も聴きますし、有用だと思います。こちらもまたそのうち考えてまとめてみたいですね。

明日はマイケルのコンサートが国立アカデミーであるのでブログ更新はお休みです。
今日テレビでゴチ見ててサンドライトマトとかモッツァレラチーズとか美味しそうだったので5時半くらいに着くように行ってサウスメルボルンでピッツァを食べたいです!(7時開演だとこんなに早く食べなきゃ!でも病院ではこれくらいの時間でした(笑))
ということで次回は感想レポで・・・hopefully。


今日の一曲: ジョージ・クラム Madrigals 第1巻 第1楽章「Verte Desnuda Es Recordar La Tierra」



先ほど書きましたが今日のこのトピックにあった特定の曲、というのはまだ固まってないのでちょっとIcebreakerが長いこと欲しかったエリアから。
クラムの音楽はちょこちょこ紹介してて全体的に出し惜しみたいのですが、でもMadrigalsは4巻×3曲=12曲あるのにまだ完全なるノータッチ!ということで今回紹介します。

Madrigalsはソプラノ歌手と少人数の楽器アンサンブルで演奏される曲。
使われている楽器は4巻全て違います。フルートが入ったり、打楽器が入ったり、コントラバス、ハープなども。
第1巻はソプラノ歌手、ビブラフォーン、そしてコントラバス。

Madrigalsの歌詞はどれもロルカの詩からとられています。
この楽章の題の訳は「あなたを裸で見ることは大地を思い出すこと」となります。
即座に連想するのは「母なる大地」というコンセプト。
ロルカの詩の一部だけでなく「意味のない音節」も多く使われているこの音楽ですが、ソプラノ歌手が歌うこれらがあたかも大地、自然の言葉のようで。
そして「大地」の言葉にコントラバスって良いですね!ビブラフォーンの不思議な響きもいいですがやっぱりコントラバスのあのかすれた深い音色を聴くとどこか落ち着くものがありますよ。
クラムのコントラバスの使い方、私はとっても好きです。

今回Madrigals初紹介ということで第1巻第1楽章から始めてみましたが、今自分にとって発展途上のこの曲集で愛着を着実に育てつつあるのでまた日を改めて、もっと自分の中に根付かせてから他の楽章も取り扱いたいです♪

ちなみにリンクしたCD、曲の取り合わせも奏者の顔ぶれもピカイチですね。買っちゃおうかしら、今度。
(Jan DeGaetaniの歌、Zizi Muellerのフルートのコンビ聴きたい!)

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クラムの世界へのはじめの一歩・・・?
ぐだぐだ状態ですが訪問ありがとうございます~
メルボルンでのツタンカーメン展についての検索ワードが急増しているみたいで。
まだまだ急がなくてもしばらくやってますができるなら学校が休みでない時期に行くほうがいいかもですね。
必見の展示たくさんですよ~♪
(感想エントリーはこちらです)

結構長いことずーっとぐるぐる悩んでたことを今日はちょっとfinalizeしない形でまとめてみようと思います。
ずっと悩んでたこと、それは・・・もっとジョージ・クラムの音楽を聴いて欲しい、その魅力を広めたい!と思っているのですが、迷いなく「これがお勧め!」といえる曲が自分の中で固まらず。
1つに絞らずカテゴリ分けしてみるかな・・・といろいろやってみてもなかなか納得がいかず。
・・・ということでカテゴリ分けみたいな感じで何曲か出していきたいと思います。
たまに個別楽章の話が出ますが、基本「曲集を最初から最後まで聴く」ことを強くお勧めします。
(クラムの音楽は曲集が完全な形で一つの世界となってるのと、あとたとえ最初の楽章がとっつきにくくても途中でとても美しい楽章が入ったりしてるので)

まずピアニストにクラムを勧めるなら?と考えてみました。
クラムがピアノでどんな音の世界を創り上げるか、といったらやはりマクロコスモス第1巻(そして第2巻)がいいかなあ、と思います。私がクラムの音楽に入ったときはここから、ということもあり。特殊奏法の奇怪な音だけでなく、響きの特別さとか、表現方法とか。ピアノ1つだけどピアノ以上になるんですよね。
第1巻だと特に第1楽章「Primeval Sounds」(原始の音)での自然のエネルギー、原始の光景を感じたり。
第2楽章「Proteus」(プロテウス)の特殊奏法をほとんどといって使わない中での独特のキャラクターも最初の頃から心をぐっとつかみました。
あとは第11,12楽章などで見られる無限の空間と音の繊細さとかも本当に特別で。
曲集通してたくさんの体験ができます。
マクロコスモスに関しては特殊奏法やタイトル、楽譜面などから敬遠することなくまず耳を傾けてほしいです。

クラムはたくさんの声楽曲を書いています。でもクラムの声楽曲の演奏を生で聴いたことがないです。
現代音楽全体、全体的に敬遠されがちですが、特に声楽の人の現代音楽の演奏を聴く機会は大学などでも少なく。(注:あくまでも私が知っている限りです)
声楽をやっている人にクラムの音楽を勧めるなら、ダントツで「Ancient Voices of Children」(子どもの古の声)ですね。この曲においての歌い手(ソプラノ・ボーイソプラノ)の表現と技巧の幅、楽器との絡み合い、そして歌の創り上げる世界、どれをとっても本当に素晴らしく。
(何回も書いてますが、この曲を聴くならJan DeGaetaniがソプラノパートを歌っている録音を強くお勧めします!)
女性の声でなく男性の声がいい、という方は「Songs, Drones and Refrains of Death」(死の歌、ドローンとリフレイン)のバリトンの歌声で曲の性格こそ違えどAncient Voicesに劣らないクラムの「歌声」の世界の広がりが味わえます。

バッハに代表されるバロック時代からワーグナー、ブラームスなどの後期ロマン派、そして20世紀前半のドビュッシー、サティ、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフなど、いわゆる「クラシック音楽」に耳が慣れているとクラムの音楽にでてくる奇怪なサウンドは耳がびっくりしたり、生理的に受け付けなかったり、ファーストインパクトで好きになれなくなって心と頭が閉じてしまう、という場合が多いのを経験から知っています。
そういう場合があるということを踏まえてクラシック好きにクラムの音楽を楽しんで欲しい、と考えると何が良いか。悩んだ結果「Vox Balaenae」(鯨の声)がいいかな、という結論にたどり着きました。
Vox Balaenaeではあんまり特殊奏法だったり、不快に感じるような不協和音が少なく、アンプで増幅されているとはいえ割とクラシカルなサウンドで。
それから特殊奏法が比較的さりげなく使ってあるので「ああ、こういう音もあるんだ」とショックを与えることなく広げられるかな、と。ここから徐々に慣れて広げて・・・という魂胆で。
最初のフルートの声を吹き込みながらの演奏の違和感にめげず、最後の美しいコーダまで聴いて欲しいと思います。

それならそういうバックグラウンドが少ない、クラシックのことをあまり知らない、クラシック音楽・音楽とはこういうものだという先入観が比較的ない人だと?と考えてみました。
クラムの音楽の奇怪な面には比較的耐性があると想定、するとあまり驚かせすぎないで、でも驚きを楽しんでほしい。
となるとマクロコスモス第3巻「Music for a Summer Evening」(夏の夜の音楽)をプッシュしてみたいです。
美しいところもあり、不可解なところもあり。ピアノ2台と各種打楽器で作られる音の幅の広さにより「この音は何の音?」(どの楽器の音か、そしてどんなものを表しているのか)という楽しみもあります。さらに音が作り出す不思議な世界を体感できます。とにかくクラムの音楽の魅力が本当に詰まっていますし、とにかく音楽として本当に「良い」ものだと信じています。
聴くならやはりタイトル通り夏の暑い夜がベストですよ~

・・・と、ここまで書いてみて、あれも話に出てないし、あれも挙げていないし、という曲がどうしてもどうしても気になって。
例えばもしかしたらクラムの曲の中で一番有名かも知れない「Black Angels」四重奏曲。なぜここまででてこなかったか、というとオープニングが初めて聴く人にとってはちょっとびっくりというか「騒音的」に聞こえるかなあ・・・ということで。でも例えば第3部の最初のGod-Musicとか、チェロがこれほど美しいものか!とチェリストでも驚くような一品だったり。
そして「Lux Aeterna」も忘れてないんですよ!インドのシタールの音とかリコーダー、バスフルートとか普段聞けない楽器とソプラノのアンサンブルとか、東西音楽の融合とか、独特の暖かみとか。全てが愛しく。
それからピアノ曲では「A Little Suite for Christmas」だったり、「Eine Kleine Mitternachtmusik」も。わりと聞きやすくクラムの音楽の繊細さと闇がどっちも聞ける曲で(でもどうしてもクラムという作曲家を代表してもらうならマクロコスモスを先に前に出したくなっちゃうんですよね~)
クラムの闇、といえば「Apparition」(幽霊)もいいなあ。奇妙なようでスタンダードなところもある歌曲。

・・・という調子で挙げてくとなかなか終わりがないんです!だからこのトピックは難しいんですが・・・
でも少しは絞ることができたかな、と思います。(もちろんクラムはもっとたくさんたくさん曲を書いてます。そして存命なのでまだ書いてます。クラムの公式サイトにリスト等完全ではないようですが情報掲載されています~(英語))
今日挙げた曲はどれも私がクラムの音楽の魅力をめいっぱい表す、素晴らしい音楽だと強く思ってる曲ばかりです。どれくらいCDが手に入りやすいか分からないのですが、1つといわず何曲か聴いて欲しいと思っています。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」より「God-Music」



今回はベストなクラムを惜しみなく、ということで宝刀を出しました。
先ほども言及がありました、Black AngelsのGod-Music。
Black Angelsは曲が面白いだけでなく、その構成もまた面白いです。数字的な意味があったり、対照的になっていたり。特に「13」と「7」の数字が大切だとか。(例えばこの曲集は13つの楽章で成り立ってます)
で、宗教的というよりは神話的なテーマがあったりして。
いつかちゃんと説明したいです(汗)

Black Angelsには対照的な存在としてDevil-MusicとGod-Musicがあります。
Devil-Musicはバイオリンのソロが主役で、God-Musicはチェロのソロが主役です。
そしてこのチェロのソロが本当に美しいのです!
チェロの包容力豊かな音で、ちょっとヘブライ風のメロディーを奏でて。

さらにもう一つ。
チェロを伴奏しているのは四重奏の他のメンバーなのですが、各々の楽器でなく、なんと水を入れたグラスの縁を擦って音をだすグラスハーモニカを演奏するんです。
この音がまた良い!グラスハーモニカの音ってちょっと遅れて音量がふくれる様になってるのですが、その「遅れ」エフェクトが不思議な浮遊感を生み出します。

全知全能の存在というよりは限りなく「神秘」そのものに近いような。
曲はヘブライ風とはいえそちらの神様を表しているというという風に片付けることはできない、そしてこの曲の光を単に「天国的」と表現することはできない、不思議な美しさをたたえている曲です。

(前回「Black Angels」を紹介したときはBrodsky Quartetの演奏をリンクしたのでこんどはKronos Quartetです)

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All instrumental sounds great and small
こんばんは。
すっかり冬らしいメルボルンです。暖かい飲み物が手放せません。
こないだシティの中国茶やさんで買った桂花烏龍茶を今飲んでいます。ほんのり金木犀の香り。高いやつ(あと2段階ほどありました)はもっと香りがいいのかしら。それとも茶葉の問題かな?
ちょっと微妙に不調が続いていて、わりと自分の考えをまとめるのが難しい状態で。
そこで演奏や音楽の作曲家への忠実さについて昨日書こうとしたらなんだかまとまらない上になんだかデジャヴのような、何書いても前このブログで絶対書いてるような気がして。
結局断念して、昨日は更新しませんでした。そのうち仕切り直しできればと思います。

こないだヴィラ=ロボスのギター協奏曲を「今日の一曲」で紹介したとき、ロドリーゴのアランフェス協奏曲を生で聴いたときのことを書きました。
アコースティックギターは大分音量が小さいのでオケもかなり小規模、金管も打楽器もほとんど使わず、それに加えてギターもマイク・暗譜で増幅して。
きっと演奏する側もかなりデリケートに、と心がけているんだなあ、ということを思いました。

それぞれの楽器には音量の限界が弱音・強音どっちもあります。
そして最近思ったのですがいわゆるマイナーな、知名度の低い楽器には音が小さいものが若干多いような・・・と。オケというセッティングでも聞こえにくい上にソロレパートリーも少ない、となるとやはり音のイメージを覚えてもらいにくいんだなあ、と思います。
例えばビオラだったり、ファゴット、コントラバスも。

音が大きい楽器は何だろう、という話を大学でいろんな人とちょこちょこしたことがありまして。
仲が良い金管軍団の話によると全体的に音の大きい金管楽器のなかでもトロンボーンが音が大きいそうで。
基本音が高くて、音の吹き出し口(ベル)が大きいと音量が大きい傾向にあるのですが(なので音の低いテューバ、ベルが小さいトランペットよりもトロンボーンの方が音が大きい、ということに)、じゃあホルンは?というとホルンは音を後ろに向けて出し、反射・吸収を経て聴き手の耳に届くため音量はトロンボーンほどはない、ということらしいです。

弦楽器において音量は楽器の大きさ、そして弦の張力が関係しているみたいです。
だからビオラ・コントラバスよりもバイオリン・チェロの方が音が大きい。でもやっぱりそれでも管楽器には負けるのでオーケストラでは束になります。そして管楽器よりも弦楽器が前にいる理由の一つでもあると思います。
弦楽器でいつもすごいな、と思うのは束になってても弱音はちゃんと綺麗に小さくでること。例えば曲の終わりで弦だけ長く伸ばしたままずっと消え入るようなエンディングって本当に効果的で、本当に美しいですもの。(オケの腕にももちろん寄りますが!)

あとは音量のでかさだったら「打楽器の本気」も相当ですね。リハーサルにはできるだけ打楽器の前に座ってる人は防音スタンドを使いますしね・・・シンバルだったり、スネアドラムだったり、ティンパニだったり・・・耳にとっての凶器だらけです(笑)
ただ打楽器は持続した音でなく短い音なのが救い、とは・・・言えるでしょうか。

木管楽器においてはやはりピッコロ(そしてフルートの高音)がめだって危険です。決してピッコロの右側に陣取ってはいけませんよー(笑)なんてったって鋭い音、本当に・・・痛いです(涙)

そして忘れちゃいけません、ピアノの音のでかさ。
プロコフィエフの協奏曲第2番、第1楽章のカデンツァの終わり~、そして第3番第3楽章のフィナーレ。どちらも大きめのオケ、フル出動の手加減なしの音量、でもピアノもがっつり聞こえます。
もちろん楽器の大きさ、そしていっぺんにだせる音の多さ(つまり共鳴の大きさ)もありますがオケの80人くらいいるのと同じくらいの音量を1人でだせるってのはなんだかこう、優越感。

大きな音を出すのもいいですが、やはり大きな音より小さな音を出す方がスキルがいるし難しいです。
そして小さい音を出して裏方に回ることができる楽器こそが幅広い役割で活躍できる楽器でもあるような印象があります。
例えばクラリネット。メロディー、伴奏、カウンターメロディー、バスクラも合わせると安定的なベースラインまでできちゃいます。
それは複数人のアンサンブルにおいて前にでるときはしっかり前に出て、そうでないときはちゃんとサポートに回って他の楽器を支える、ということができるからこそなんですよね。(このことに関してはバイオリンとか弦楽器もそうです)

音量も音質もいろいろな楽器が集まるオケが成り立ってるのはみんなが自分の楽器を弾くだけでなく、周りの音を聴いてそれに反応することも大事で。
もちろんその時その時聴いて欲しい楽器の音が聞こえるように作曲家も音楽を書いていますが。
弾き手が同時に聴き手だから、良い音楽を創りたい、と同時に良い音楽を聞きたい、他の人の良いソロが聴きたい、という思いもあって。

だいぶぐだぐだになってしまいました。
なんとか文を書く能力を取り戻したいと思います。


今日の一曲・・・もお休みです。
うーん、いかんなあ・・・

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雨の日に・・・キーワードto音楽
メルボルンは今日も雨でした。
明日も雨だそうです。
不調のサインがちょこちょこいくつか・・・音楽を欲しなかったり書き物が進まなかったり、ご飯を作るのがおっくうだとか、一つ一つはなんでもないような事が積み重なりつつある・・・
ということで今回は冬と雨から逃げて苦手感を大きくするのではなく雨をなるべく楽しもう、というような大まかな趣旨で今回のキーワードto音楽、雨特集です。
(雨の言葉はこちらのページのリストからお借りしました)


霖雨: プロコフィエフ 10の小品op.12より「ガヴォット」
りんう=「何日も降り続く雨」という意味だそうです。続いているという感じよりはこの曲は「止まない」という雰囲気。じめじめ、冷たく、ちょっぴり憂鬱、なんだかいやだなーという。屋内で暇を持てあましている、または傘の下でいつものように動き回れずにいる雰囲気です。

夕立: ブリテン 「ピーター・グライムス」の「4つの海の間奏曲」より「嵐」
夕立ってとにかく激しく降って後味の切れがいい。なんというかとても「イギリスらしい」この湿度。向こうだと夏でもこの曲くらいの温度なんでしょうか。決して暑くはないんですよね。プラスこの曲の暗さが本当にいきなりやってくる嵐の雲みたいで。降るならこれだけやってさっと晴れてくれるのが一番気持ちいい!

涙雨: リスト ピアノ協奏曲第1番 第3楽章
ほんのわずかに降る雨、という意味での涙雨。とにかくこの曲においての雨粒ってまあるいけど少ないですね。
空は確かに暗いけれどオージーなら傘を差さなくて良いくらい、でも楽しめるくらいに降っているというイメージがあります。この曲に関しては雨粒ピアノだけでなくトライアングルの音とビオラのソロにも是非耳を傾けて下さい♪

陰雨: ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第1楽章
霖雨と同じく長雨ですが、これは陰気さを強調しています。虐殺があったあの地に、死者が眠る土の上に降り注ぐ雨。未だ無念は晴れず、そこを訪れる人も深い悲しみを抱え、死者も天もまた泣いているような・・・あらゆる悲しみと重みが集まったような雨です。

雨台風: マーラー 交響曲第5番 第2楽章
さあ、暴れてもらいましょう。この楽章は台風のあらゆる要素を含んでいますが雨の比重は特に大きいです。激しい雨、風、不穏な静けさ、台風の目の青空の輝かしさ、そして雨が去るときの忘れ形見の虹と雫・・・最高ですね。本当にマーラーはスケールがでっかいのです。

霧雨: アデズ 「Asyla」 第3楽章
霧雨、粒が細くとも雨の全体的の量は必ずしも少ないわけではないです。この曲における音の聞こえ方だったり光の感じ方はまるで霧のようになった大雨を通したようなものなのでは?というイメージからここにチョイスしました。とても透明ながら一種の激しさがあり、独特の光の色彩が本当に喜ばしい一曲です。

村時雨: ラヴェル ソナチネ 第1楽章
村時雨はなんだか降ったり止んだりどっちなんだよ!というような雨のことらしいです。それにはころころ曲調が変わって動いたり止まったり、のこの曲がふさわしいですね。前のアデズのように「光」もそれっぽい。様々な雲の厚さや雨を通して色や強さが変わる太陽光が本当にこの曲で感じられます。

狐の嫁入り: ドビュッシー 映像第1集 「動き」
雨が降りながら晴れる「狐の嫁入り」はメルボルンでは結構の頻度で起こります。なんでしょう、雲の動きが速いからでしょうか。青空とどしゃぶりの雨粒の輝き、雲の動きといえばこの曲を私は思います。本当にきらきらしていて、全体のハ長調と中間部の減和音+全音階の組み合わせによる明暗・色彩のコントラストが爽快です。

風雨: ドヴォルザーク 交響曲第7番 第3楽章
私のなかではやっぱり雨と言えばこの曲です。台風ほどではないけれど「大変」と思うくらいの風を伴った雨。雨の中で舞うような、翔るような。暗さも激しさももちろんあるけれどそれをものともせず、めいっぱい楽しむパワフルさ。「風雨になる」、そんな感覚です。

雨霽: ブラームス ドイツ・レクイエム 第2楽章
うせい=雨が晴れること、だそうです。前半は先ほどの「陰雨」よりも暗く悲しい、死の雰囲気を伴った雨。そしてそれが晴れてなによりもすがすがしく明るく青い空に晴れるこの曲は本当に美しいです!ブラームスの色んな面を持ち合わせてるみたいで。


実は意識的にのけた曲がありまして。ラヴェルのピアノ三重奏は全4楽章(あくまで個人的なイメージですが)雨にまつわる印象を持ってて、すでに各楽章でショートストーリーを書いているのでなんとなく別にしとこうかな、と。
あと結構特性がかぶる曲が多くてやむなく外した曲も多かったです。雨に合う音楽は今日リストした他にもたくさんあるのでまた別の機会に・・・

(今日の一曲はお休みです~)


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