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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「Neo-Mythologism in Music」感想
昨日は統合失調症のレクチャーに行ったあとちょっと心の調子が悪くて休んでました(汗)
家に入ってから楽になったのでおそらく秋の涼しさが影響したのかも・・・
メルボルンも冷夏に早く涼しくなって・・・これからの季節、ちょっと心配ですが少しは慣れる・・・はず。
レクチャーの感想はhopefully次回に。

そして本題に入る前にもう一つ。
The Australian紙の記事(この記事、そしてここの読者の声)で「オーストラリアで日本の被災者を一時的に受け入れたらどうか」という声が上がっていて本当に、本当に!心打たれました。
これがオーストラリアのでっかい包容力だ!と。オーストラリアでよかったと涙しそうになりました。
ちなみにまだ提案段階で、海外避難は日本では検討されてないだろうし需要も微妙だと思いますが申し出があっただけでも本当によかったと思います。


Victoria Adamenko著「Neo-Mythologism in Music - From Scriabin and Schoenberg to Schnittke and Crumb」。
読み終わりました。でも随分時間がかかったんでうまく身についていません。なのでなんとか感想頑張ります。

20世紀において音楽は決まった流派がなく、みんながそれぞれの難しいことをやってた、ちょっとカオスな印象がある方も多いと思います。
でも実はこの多様性のなかに見えない繋がり、共通する源があって、時代の流れをちゃんと作っている・・・ということをこの本では考察しています。
キーワードはNeo-mythologism=新神話主義。

この本でいう「神話」とは古の神話のことではなく、その流れを見えない形で汲んでいる、なかなか形にして説明することは難しいコンセプトなのですが・・・
大まかに言うと「リアリズム」が対象を直接的に表現するのに対して「神話主義」というのは広義に言えば何か別の表現を通して表現すること。(音楽のモチーフでキャラクターを表したり、オーウェルの「動物農場」で動物たちの物語を通じてロシア革命の顛末を語ったり、など)
もちょっと詳しく言うと、ある物と別の物に新しく意味の繋がりが生まれ、抽象的・スピリチュアルなものに「意味の繋がり」が生まれることによってそれを感じ取ることができる、そして意味を繋げ感じ取る行為・・・
うーん、難しいんでまた定義は今度にしてください!

あと20世紀の神話は例えばユングの深層心理につながってたり、科学を取り入れたり、様々な文化の要素を取り入れるのが特徴的。そうやって個人個人の中に独自の「神話」を創り上げて、それぞれの表現者が独自の方法で表現していく、と。

宗教が社会をささえる時代に終わりを告げ、「個」の意識の時代になった20世紀に私たちの心の柱になっているものはなんなんだろう、という事にも繋がっていますし、20世紀以来のファンタジー、SF文学、ゲーム、映画などを分析してみるとその根底にこの時代に生まれた20世紀の新しい「神話」的な特徴があったりするのです。
私の好きな物で言うと手塚治虫「火の鳥」、萩尾望都「スター・レッド」、Sacrifice, Ancient Domains of Mystery、Earthseaシリーズ、封神演義、そして自分の創作など・・・
本の中で語られているのはほとんど音楽のことなのですが、思考を広げてみると自分の周りの色んな事が神話主義で説明がつくようになってきます。
ニーチェは「神は死んだ」といったけれど、別の形で「何か」が存在しているんだなあ、と思います。

きっと私と同じくこの本を読んで感じる人はいないかもわかりませんが、私にとっては自分の生涯で読んだ本のなかで確固たる、ダントツのNo. 1を誇っています。
もともとこの本を手にとったのはクラムの音楽についての論文で引用されていたことがきっかけで、クラムの音楽について知りたくて読んだのですが、その目的だけでなく10倍ものことが自分の中で明らかになった気がします。

自分は無神論者だ、と認識して久しいですが、それでも宗教とは違う何らかの「信仰」みたいなものがあるような気がしてきたことへの説明だったり・・・
自分が自分の創作で何を望むか、そしてそのコンセプトなどを磨くにはどうしたらいいか、ということの答えの一部だったり・・・
あとファンタジーなどで設定にリアリティがでるのはどういう時か、とか芸術においての多文化の共存、とか。

心を突いたコンセプトとしては・・・
1)数字がユニバーサルな言語・シンボルであること(確かに!と思いました)
2)宇宙とか時空・空間とか「完全な円」あたりの話が説明しにくいんですがたまに鳥肌が立つような話になったり。
3)二つの対照的なエレメントの存在(光と闇、神と悪魔など)、そして仲介させる存在
4)クラムの音楽などで見られる「意味のない音節」の意味など
などなど。イマイチ身についてないんでまた別の機会に・・・

ちなみに、本のタイトルに出ているスクリャービン(独自の神秘主義を作った)、シェーンベルク(数字に関して迷信的だった)、シュニトケ(詳しくは知らず)、クラム(自身この本で言う神話的な影響を認めている)の他にもいろんな作曲家の話、曲の考察があります。
ワーグナーやストラヴィンスキーなどすぐになるほど、と思うのもあればヒンデミットやシュトックハウゼンのように「予想だにしなかった!でも言われてみるとそうかも!」と思う作曲家もいて。ちょっと見る目が変わりましたね。
シュトックハウゼンとかシュニトケは聴いてみたことはあってもなかなか理解・アプローチしづらく思えたのですが、この本を読んでもっと勉強してみよう、という気になりました。
この本に書いてあることを例えばクラムの音楽の誤解を解く(?)、もっと知ってもらえるような入門書・・・的なものを書くときに含めると彼の音楽の心がもっと分かると思います。

とにかくこの本を読んで20世紀音楽を見る目が変わると思います。この本でカバーされてる考察はなかなかこれまで形にされてこなかったので(音楽に限らず)・・・
私は音楽だけでなく、さまざまなフィクション作品、自分の創作、そしてある意味自分だったり、自分の周りの世界ががらっと変わったような気がしました。

とりあえずまだファーストインパクトで勉強すること、自分の心と知識に取り込むことがいっぱいあって上手く説明できませんが・・・
「神話的」なエレメントを持った作品は日本にも多数溢れているので読んでみると面白いかも、と思います。
(音楽の知識がないとやっぱ難しそうですが・・・)

とにかく買う!なんとしてでもこの本は手元において熟読・そしてクラムの勉強、創作に使いたい!

いろいろ自分の中だけで納得したり盛り上がっててすみません~(汗)


今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「春の祭典」より「春のきざし(乙女達の踊り)」



「新神話主義」と一口にいってもそのアプローチの仕方は人それぞれ。
クラムはシンボル的なテイストが強く、スクリャービンはそれを神秘・宗教のように捉え・・・
そしてストラヴィンスキーはわりと儀式的かつ数学的?メカニカルなアプローチをしていると思います。
かれの音楽における「神話」はモチーフの展開の仕方だったり組み立て方など構成要素に多く見られます。

新神話主義で面白いのが、その研究の中心がロシアだと言うこと。
もちろん当時ソヴィエトでは共産主義の一環として宗教が弾圧されていたため他の逃げ道を見つけ表現する必要があったこともあります。
さらに、ピョートル1世の欧化政策以前の「元のロシア」の文化が再発見され始めたのも20世紀だと言われています。これもまた既にある宗教から外れて別の信仰やspiritualityを見つけるきっかけになったかしら。

このブログでこの「春の祭典」の初演の騒動については何回か書いてるはずなのでそこはちょっと割愛。

「春の祭典」は欧化以前のロシアの奥地の春の生け贄の儀式をモチーフとしています。
それを表すため西洋の音楽で見られたことのないテクニックなどをたくさんたくさん使って(振り付けもそうですが)。
そしてその雰囲気は大変エキゾチックで、自然との繋がりも感じられ(さっき書かなかったですがこれも神話性の特徴)、さらに「儀式的な」雰囲気があります。

そして新神話主義とされる音楽でよくある傾向なのですが一見カオスでも実はものすごく綿密に計算してあります。
さらにメロディーというよりは本当に短いモチーフ(素数的、といいたいですね)を繰り返したり展開したり。これもこの曲で見られます。(さらにその短いモチーフのいろんな種類をいろんな楽器で重ねたり)
その繰り返しのぐるぐるした感じが儀式的・呪文的なのかな、と思います。

うーん、やっぱりこの楽章だけ抽出して、というのは難しいのですがこの「繰り返しによる儀式的雰囲気」が一番分かりやすいので選びました。
ぜひ耳を傾けてください。そして「春の祭典」バレエ全曲も。
(ブーレーズの指揮の試聴有りリンクにしました~)

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レッスンなどなど。
昨日Victoria Adamenko著「Neo-mythologism in Music(音楽における新神話主義)」をやっと読み終わりました。
あまりにも読むのが遅すぎたのもありちゃんと身についてないのですが感想は是非まとめたいと思います。できたら明日。

今日はレッスンの日でした。
ここ何回かは大学だったのですが今日は先生の家で。
といっても先生の家は大学付属の寮にあるおうち。
Ormond Collegeといって音楽科の建物から徒歩5分の、緑に溢れ古い建物がヨーロピアンな寮です。
レッスンだったり他のいろいろだったり今まで何度も来たことありますが随分と久しぶり。
先生のうちは3つグランドピアノがあったり本と楽譜がたくさんあるのですがこじんまりしています。

心配してるかなーと思ったのですがやっぱりこちらのニュースで日本の状況を聞いて「家族は向こうにいるのか」と聞いてきました。
そして日本で起こっている災害に関して本当に心を痛めていました。
先生ってリアクションというか感情がなかなか読めない人なんですけど、今日はなんだか話していていろいろ感じ取った手ごたえがありました。根拠は皆無ですが(汗)
でももう知り合って7年ですから。
先生と話してたりレッスンしてると本当にあっという間に時が過ぎてって。もっと先生とお話したいんですが。

レッスン自体はわりとみっちり・・・?
ベートーヴェンで本当にテクニカルな部分にかなり時間かけました!
なんというか基礎がどこかちょっと崩れ気味・・・
シマノフスキのもやもやは結局解決せずでしたがもうちょっと粘ってみようかな・・・と。
先生もシマノフスキ好きみたいですし、なんかお褒めの言葉みたいなものももらったみたいな感じなんで・・・

大学在学中からだれも弾かないような曲をひっぱりだして弾いてますが、先生は興味持ってくれることが多いです。
結構その「発掘力」を先生は好いてくれてるみたいです。
今日先生が「なにかと難しい曲を見つけてくるけど結構弾きこなしてるね」と言ってくれて。
先生が割と難易度に関しては安全パイにいく傾向が多いのでそう思うのかなーとも思いますが・・・
私自身が結構曲に「恋に落ちたら多少の困難も顧みない」タイプなので。
技巧が追いつかなくても熱意でなんとかしちゃおうとするんでうしょね、音楽に関しては。
なぜなら曲を好きになって弾くと選んだ時からその時その曲で表現したい何か、他の曲じゃだめな何かがあって、アウトプットしたい、しないと!というのもありまして。
若いからせっかちでいろいろやりたいことがあるんです。
・・・でも忘れず基礎のテクニックも少しは磨きたいと思います。

今日はなんだか変でしたね、なんとなく自分の中が。
楽譜とCDを一部返しに音楽図書館にいったのですが全く食指が動かないんですよ。
録音無しでスコアだけ見ててももどかしいなあ、と思いながらクラムのStar-ChildとMadrigals第1・2巻のスコアを借りて。

で、のちほどCD屋に行ったとき先生のCDを注文するついでになんとなーくクラムのCDを買ってしまいました。
なんとなーくの出費ってもやもやするんですよね。ちょうどスコアを借りたMadrigals収録で、Eine Kleine Mitternachtmusikも初めて聴けて嬉しいんですが。
でもCD屋とHaunted Bookshopでは食指動きっぱなしでした(笑)

明日からまた仕事、そして今弾いてる曲をさらに磨かなければ。
あんまり外に出ないんでたまに出ると一日出かけたままでくたくただけど、今日は良い日でした。

オーストラリアの救助隊も宮城で被曝しながら頑張っています。
募金はしたけど節電はこちらはもちろん関係なく、今は遠くからただ託すことしかできない。
そんなときにこの国から日本を助けようと救助隊が行っているのは本当に心強いです。
母国で震災があったニュージーランドの救助隊と手を組んで頑張っているということなので(向こうはこういった状況についてオーストラリアより良く知っているので)南の大地から応援しています。

そんな中、音楽のお勧めを探すのを続けながら、自分の演奏を投入できればなあ・・・と願っています。
果たして適切かどうか、現実的かどうか分からないので自信が持てないのですが・・・
素人なりに検討中です。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「Ancient Voice of Children」より「Todas las tardes en Granada, todas las tardes se muere un niño」



もうこの曲で3楽章目、でも今だからこそお勧めしたい曲なので投入。
ちなみに今日買ったCDよりもAncient Voicesは以前から紹介しているCD(ソプラノがJan DeGaetaniのもの。ジャケットの蝶が目印)の方が強い、クラムらしい演奏です。是非。

クラムがあるハーモニー、あるメロディーの形を使うのにはみんな理由があります。
この曲は珍しくシンプルな三和音をdroneのように伸ばす伴奏、そしてソプラノの暖かくfuzzyな声で奏でられるメロディーもまたフラットなもので。
本当にシンプルな曲。

そしてなんといっても!トイピアノの存在が本当にheartbreaking。
バッハの曲の引用を奏でるその音の古いオルゴールのようなはかなさ・・・
ここでこういう使い方したら落ちること間違いなし。
いつもそうですがクラムの引用音楽の使い方、そしてその効果って逐一だと思います。
(このことに関しては今度このブログにエントリーを書きたいですね)

この曲を聴くとクラムが「時間」をどう捉えているか、そしてどう操っているかが体感できると思います。
そしてこの曲で時間が止まっている間に何かが落ちていく、その何とも言えない感覚。
タイトルの訳が歌詞にもなっている「毎日午後にグラナダで、毎日午後に子供が死ぬ」というロルカの詩なんですけど(ロルカの詩もお勧め!できればスペイン語併記版で。完全版が見つからないので2冊買いたい・・・)、この日が傾いていく、終わっていく「午後」と「死」のイメージが重なって。
この曲を聴きながら延々と日が沈んでいく西の空を見ていたい。
言葉では表現できない、その感覚を感じていたいと心から思います。


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音楽に関わる「演出」~クラムから学びつつあること~
メシアンと共感覚のエントリーに拍手ありがとうございます!
またメシアンも、共感覚も将来またいろいろ書きたいですね。

今日はまだちょっとぼんやりしているところが多いトピックですがお試しとして。

ここ最近大学に行ってはクラムのスコアを借りてます。
そろそろ録音とスコアどっちもそろってる曲が無くなってきたのが悩みですが・・・

クラムのスコアは見ていて、呼んでいて本当に面白いです。
ぐるっと丸い楽譜とか、様々なファンタジックなタイトルとか、特殊奏法、ハーモニー、音楽的エレメント・・・
色んなレベルでどんどんはまっていく。
聴きたくなるし、弾きたくなるし、どんどん分析して、いろんなエレメント追っかけたくなって。

そんなクラムの音楽、特にスコアからいろいろ考えさせられるものの中で「音楽に関わる演出」についていろいろ追求していきたい気持ちがあります。
まだまだ考えも全然まとまってないのですが・・・

クラムの音楽の中でも特に「Vox Balaenae」「Lux Aeterna」についてなのですが・・・
作曲家による前書きに音楽の演奏以外について指示が書いてあります。
Lux Aeternaにおいては踊りを演奏に取り入れることについての記述があります。(振り付けとかではなく、東洋風の音楽の部分でだけ踊って、西洋風の音楽の部分では止まる、という指示です)
そして両方とも奏者は仮面をつけること、そして照明についての指示があります(Lux Aeternaは赤、Vox Balaenaeは青)。

仮面をつけること・・・というの意味。
演奏の場には音楽を奏でる「奏者」がいるものなのですが、その「奏者」、人間の存在を消すということ。
もちろん音楽の中に奏者は存在していますが、つまりなるべく演奏空間に音楽だけがあるようにする、ということで・・・
同時に奏者の存在も「音楽を通じてのみ」感じてくれ、ということでもあり。

例えば特に女性、そして歌う人はコンサートで着るものに気を遣います。
弾く曲のイメージだったり、他の理由だったり。
同じクラムの演奏でも、ピアノクラスで私の知り合いのピアニストがマクロコスモス第1巻を弾いた時はクラム自身の象徴である「Phantom Gondelier」(幽霊船頭、第5楽章)に扮して演奏したり。
自分の存在を消すための装い、というとまた話がちょっと違いますが・・・
でもどちらにしても「奏者としての自分をどう演出するか」ということを深く考えるきっかけになっています。

照明については視覚的な面での演出、視覚的な刺激による聴覚的刺激を高めること・・・
私は何よりも「空間の創出」として考えたいですね。
音楽を聴かせる、だけでなく音楽が響き、聴衆を包む空間を創ること。
ピアノを弾くだけだったらピアノと奏者だけに目がいってしまう。でも照明を使ったらもっと広い範囲に色が広がるため、もっと感覚が広くとれると思うんですよね。
コンサート場の雰囲気ってなにかと緊張しがちなので(弾く方・聴く方どっちも)そこも変えられるかも、という思惑もあったり。

Lux Aeternaでの踊りの取り入れに関してですが、これまでにもコンサートにナレーションやスクリーンの映像を取り入れたパフォーマンスはいくつか見ています。
ぱっと思い出せるだけだとバルトークの「中国の不思議な役人」(映像)、バッハの無伴奏チェロ組曲(踊り)、マイケルの「48 fugues for Frank」(静止映像:visual poetry)、そしてマイケル演奏のメシアン「鳥のカタログ」(Peter Cundallによるナレーションあり)。
どれも効果的なプレゼンテーションであり、もちろん音楽の内容をより深く理解するための助けになり。
人間あんまり聴覚が視覚などに先立つことは少ない(うさぎさんとは違って)のと、あと聴覚的な情報は本当に時間と共に素早く去ってしまうため他の感覚でそれを補うという意味もあると思います。
だから元々の音楽を高めるために他の形態の表現を取り入れることも面白いし有用だし、考慮してみるべきなんだな、と思います。

あとはクラムの音楽に関してもうひとつ・・・
私はとりあえずピアノ、と弾ける楽器が限られているため、クラムの音楽でピアノを使っていないものはもちろん演奏できません。
でもクラムの音楽でもっと表現したい!と思いますし、もっと自分の楽器より広くクラムの音楽に携われないものか、という思いが強くて。
弾けないからってクラムが「できない」とは思いたくない、あきらめの悪い性格がありまして・・・
だから演奏外のところでなんとかクラムの音楽の演奏に携われないものか、と考えたときに「音楽に関わる演出」がやっぱり入って来ますね。

ということでちょっとこれから考えてみる点をラフにリスト。
1)奏者としての自分の演出。音楽の一部になる(登場人物に扮する)、存在を消す、などなど・・・
2)空間の創出。照明、音響(クラムの場合は特に)など。聴衆にどんな気持ちで、どんな空間につつまれて音楽を聴いてもらいたいか、どんな感覚に訴えかけるか。
3)音楽以外の表現形態の取り入れ、コラボ。どんな形態と、どうやって。
4)音楽において奏者じゃない身でどう演出的に関わるか。

文からも大分分かると思いますがずいぶんとまだあやふやなのですが・・・
他にも追っかけたいことたくさんあるなかなんとかして突き止めて行きたいです。


今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ 無伴奏チェロ組曲第5番 ガヴォット



ちょっと珍しい方向から。
この曲を初めて聴いたのがテレビで見たヨーヨー・マの演奏で、そのとき踊りを取り入れてたのが印象深くて。

バッハはチェロのために6つ無伴奏の組曲を書いています。(ただ第6組曲は贋作という説も)
どれもがチェロの技巧、そして豊かな音楽性を引き出す素晴らしい音楽として世界中のチェロ奏者にとって愛され、よく弾かれています。
チェロのさまざまなステージにおいて避けては通れない道。
(ちなみにビオラ、ホルン、テノールサキソフォン、コントラバスなど多くの中低音楽器のために編曲されています・・・がやっぱりチェロが一番!)
バッハはチェリストでないのによくこんな音楽がかけるなあ、やっぱ「神」に近い存在だなあ、と思います。

私もチェロを弾いてる間はよく弾いてました。とくに最初の入院でチェロを持ち込んでもらったときはいろんな組曲からちょろちょろ弾いてました。
その中でも第5組曲はお気に入り。なによりもハ短調という調が昔から好きで。
この組曲はハ短調とチェロの音色の暗い深い闇を存分に味わえて本当に心が満たされる感じがいいですね。
渋い赤ワインといっしょにいただきたい。

今回ガヴォットをなぜ選んだかというと、今日ちょっと聴いて「お」と思うところがありまして。
黒い闇の中で華麗に、軽々と舞う華奢なダンサーをイメージした、ような・・・
まるで天女の羽衣を纏っているような、西洋風でもありながら東洋風でもある、聖なるものでも俗なものでもあるような不思議な踊り。
そして男性とも女性ともつかない若い踊り手。
なんでしょう、擬人化するまでもなくきっとそれがこの曲の私なりのイメージなんだと思います。

とっても感覚的なあれで、気分とかにもよるのですが、なんだか本当に心にすっと来た一曲でした。
また弾きたいな。

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Happy birthday to Ravel!
只今キッチンの引き出しが美味しいお茶で溢れてます。
Madame FlavourのWhite tea with RoseとGreen, Jasmine and Pearだったり、LupiciaのMelon OolongやUluruだったり、Liptonの Large LeafシリーズからAlps(私は飲まないのですが)、MediterraneanとMoroccoだったり。
他にもいつものTwinings Lady Greyとか緑茶とか定番ハーブティーもあったり。全くカオスです。

今日3月7日はモーリス・ラヴェル(1875~1937)の誕生日。
(メル響のTwitterから流れてきました)
私にとって(特にピアニストとして)大切な作曲家で、母だったり先生や先生の先生にも大事な作曲家。
同じフランス印象派とくくられてはいるもののドビュッシーとは大分毛色が違うスタイルで透明で理系な感じが特徴的。

時代を考えると決して「短命」とはいえないですが晩年の病気の影響があったり、彼自身の完璧主義的な作風というか性格の影響もあったりで比較的作品数としては少ないようです。
昔先生がラヴェルのピアノ作品(1人で弾けるもの)全てを演奏するリサイタルをやったらしいのですが(注:この時点ではまだ「グロテスクなセレナード」は発見されてませんでした)、話によると2時間半強ぐらいのリサイタルだったようです。こういうのはかなり珍しいと言えるでしょう。
(もちろん他にもオケ曲、歌曲、室内楽、協奏曲、連弾、ピアノ2台のための曲もありますが、それでも全部合わせても少ない方です)
ただほとんどといって「ハズレ」がない、ある意味完璧とも言えるような素晴らしい曲ばかりです。

クラムやメシアンへの愛を叫んでもなかなかラヴェルへの愛を叫ぶのが少ない傾向にある私ですが、決してその愛が程度に劣ってるわけではありません。
ラヴェルの音楽の存在だったり、ラヴェルの音楽と自分との結びつきがあまりにも自然で透明なもので、叫ぶまでもない、というか叫ぶようなことがない、と・・・

そもそも母が「死せる王女のためのパヴァーヌ」(オケ版)が好きで、昔からよく聞いていて。
そしてVCEの音楽のリサイタルプログラムで20世紀音楽が2ついる、ということで初めてラヴェルを弾く事になり。「クープランの墓」から「フォルラーヌ」を弾きました。(ちなみにもう一つはショスタコの前奏曲でした)
最初はタッチだったり、音のバランスだったりでなかなかうまくいかなかったのですがいつのまにか弾くにも馴染んできて。

以来弾いてきたラヴェルの曲はこんな感じ:
死せる王女のためのパヴァーヌ (ピアノ、オケ)
古風なメヌエット(ピアノ)
前奏曲
クープランの墓から前奏曲、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット
鏡 全曲(ただし「洋上の小舟」は途中でギブしてます)
ソナチネ
ボレロ
マ・メール・ロワ(ピアノ連弾、オケ)

うーん、まだまだだなあ(苦笑)
大学入学してからピアノを弾いている間はほとんどノンストップでラヴェル弾いてるんですよね。(もちろん何回か戻ってきてる曲もあるので・・・)
いつか「新しいラヴェルの曲」がなくなっちゃうのが怖いんですがどうしても弾いてなくちゃ気が済まない、というか。

ラヴェルの音楽の魅力・・・といえばいろいろあります。
きらきらして透明な色彩、まるで精密機械のような隅々にわたる完璧さ、スペインのエキゾチックな雰囲気と情熱、そしてフランス独特のスタイル。
ちなみにラヴェルの母はスペイン文化の強いバスク地方の人で、父はスイス人で仕事は機械関係・・・最強のコンビネーションですよ(笑)どちらの影響もはっきりラヴェルの音楽に出てますからね。

音楽の透明な感じも心に優しく、ものすごく冷静に客観的に心をセットしてくれるような感じがあって、そこも本当に大切に感じています。

そして自分にとってラヴェルが馴染みやすいのは音楽的なスタイルだったり、題材になるイメージのチョイス(特に「鏡」。このブログなどでも使う蛾=Noctuelleという言葉はこの「鏡」の中の一曲から来ています)だったりだけではなく、「ピアノを弾く」ということの中でも親しみを覚えることが多かったりします。
ラヴェルは比較的小柄な人だったらしく、手も小さめだったようで・・・小さい手ならではの細かい動きや、二つの手が重なるような弾き方だったりがたくさんあり、それが私の手にもフィットしていて弾いてて心地良いです。
さらにラヴェルのテクニックはショパンやリストなどとは違う、他のどんな作曲家の練習曲などで磨くような技巧とも違うもので。いわゆる「ガラパゴス」に近いのかしら。譜面で見るとそんなに特異なような風には見えないんですけど弾いてみるとトリッキー。
なんだかほどよいチャレンジなんですよ。

あとラヴェルはその指の動きの細かさから私に撮って疲れると真っ先に弾き方に影響がでる作曲家でもあります。「お、もう疲れてきてるか、あんまり自分を責めたり無理したりしない方がいいかも」と教えてくれるので・・・私のコンディションをお見通し、というかそれとなく伝えてくれる、というかさりげなくいたわってくれる、というか。

ラヴェルの名手になりたい、といえばなりたいですが自信がなくて(笑)
(でもラヴェルはうまく弾けないとものすごく悔しく感じます)
一緒に居るのが自然、だからこそこのまま末永くラヴェルの音楽と付き合って行きたいです。


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「鏡」より「鐘の谷」



今日練習の最後にちょっとラヴェルを(一日の仕事や練習でぼろぼろになってましたが)弾いたうち、最後に弾いた曲です。
「鏡」はどの楽章も心から大好きですが、ある意味特別な場所を占めているのがこの最終楽章。

この曲は本当に様々な鐘の音が音楽の大部分を占めていて。
ピアノでその様々な音色や距離を表現し、「空間を創る」曲です。
この「距離」が曲者で、ピアノで表現することが本当に難しく。
でも「創る」プロセスが本当に楽しく、自分がその空間にいることが本当に心地良く。

霧のかかった静かな朝か、それとも空が紫に、赤に染まる夕方か・・・
いずれにしろ独特の静けさと時の止まったような感覚がいとおしいです。

鐘の音はピュアトーンでなく様々な倍音が同時に鳴り、和音のように聞こえるのが特徴です。
その倍音のバランスは鐘の大きさ、材質、形、古さなどで変わり、個々の鐘によって音色は大きく変わります。
それが不思議で、そしてたまらなく魅力的で。
この曲でもそうやって様々な鐘の音をピアノで再現しています。

今日は暮れつつあるメルボルンの晩夏の夕方の雰囲気をイメージして、というか閉じ込めて弾いてました。
昨日、今日は本当に(やっと季節らしく)暖かくて。これからそれもまた失われるのですが。
そして私にとっての「ラヴェルのベストシーズン」も終わり。淋しいものです。


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休みの週末と現代音楽
今日は久しぶりに暖かかったのでシティをぶらぶらしてきました。
主に大手本屋さん。BordersにDymocksにReader's Feast。
以前「モノ書きピアニストはお尻が痛い」で話が出ていたエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」を目当てにポーの作品集を10ドルで買いました。詩も入ってて日本語でしか持ってなかったのでほくほくです。
そしてついでに見つけたボードレールの「悪の華」も10ドルだったのでなぜか買ってしまいました。

一番欲しかったロルカの詩集とアポリネールの詩集「Alcools」はどこでも見つからず。
Bordersでオンラインで注文しようと思います。(きっとロルカは2冊買うことになると思います)
前はそうでもなかったんですけど最近は原語が英語以外の詩集は原語と英語訳とどっちも載せてることが多いんですかね?今日見たり調べたりした限りで多いな、と思ったので。
ロルカはスペイン語のままクラムの音楽に使われてるのでスペイン語が併記してあるとものすごく助かるので嬉しいですね。
(他の歌曲に関しても同じですが)

本屋は欲しいものだらけで本当に困りますね~ロシア革命が舞台の小説とか、中学の時英語の課題でリサーチしたBataviaの難破についての本とか・・・あとアイルランドの詩集、ポーランドの詩集、他にもたくさん。

他にもMetropolitan Arts Museum Shopや、Spellbookというオカルト系のお店も見てきました。
いつも贔屓にしているThomas' Musicというクラシック専門CD屋さん(現代音楽もかなり充実、民族音楽やDVDもあります)、そして前々から覗いてみたかったオカルト・ファンタジー専門の本屋さんHaunted Bookshopは今日は開いてなかったのでまた今度ぶらりと行きたいですね。

そんなこんなで納期に余裕が出たため今週末は仕事はおやすみ、今日はピアノもおやすみしました。
たまにはこういう週末もあったほうがいいですし、他にもいろいろ小さいこと済ませられましたし、やっぱり暖かい日は外に出ないとなのですが・・・練習しないと心が痛みます。
明日からは仕事もピアノも本腰入れて頑張らなきゃ!

そして時間はかかっていますがVictoria Adamenkoの「音楽における新神話主義」の本も読み進めています。
共感度の高さと中身のエキサイティングさで読む度にものすごくテンションが上がってある意味大変(笑)
音楽における思想だったり作曲技法だったり、学ぶものは本当に多くて。今まで読んだ本で自分にとってのベストなのですが・・・
(感想は全部読んでからにします、その時にまたお願いします)

さらに何よりも「もっと○○の音楽が知りたい!」と触発されています。
スクリャービンだったり、シェーンベルクだったり・・・そしてシュトックハウゼン!
シュトックハウゼンの作品はメシアンコンクールで一部出ていた「Klavierstuck」シリーズと、一緒に入ってたMikrophonie I & IIくらいしか知らなくて、メシアンの生徒といえども随分毛色が違うなあという印象があったり、音楽史の授業でもトータルセリーのブーレーズと同じくくりにされてるもんだからリアリストなのか、という印象があって・・・
(ともかく20世紀音楽に関しては音楽史の授業はミスリードだらけでしたね。クラムの扱いなんか特にそうでしたが)
この本で繰り返しシュトックハウゼンの「Licht」の分析やその解釈、背景にある思想や思いなどの話がいっぱい出てきて、本当に彼の音楽を見直したいな、と思っています。

そしてシュニトケの話も出てくるんですよね-・・・
ショスタコーヴィチの後継者を名乗り、ソヴィエトの作曲家として活動したということで随分前からお知り合いになりたいと思ってた作曲家なんですが、かなり多作な人でどこから手をつけて良いか分からず今ある分からレパートリーが全然広がらなくて。
でもこの本をきっかけに興味を持てる特定の曲が見つかるといいな、と思ってます。

20~21世紀専門、とは言いますが知らないことは本当にたくさん。
新神話主義を軸にして音楽のレパートリーや他の色々を広げていければいいな、と思ってます。
(そして新神話主義はファンタジー系統のリサーチも繋げてかないと♪)


今日の一曲: クロード・ドビュッシー 前奏曲集第2巻より第10番「カノープ」



今日の経験の様々な細々としたことに繋がってる気がするので選びました(笑)

フランス人、というかフランスの音楽は外国が大好き!という印象が強いです。
スペインが舞台の音楽で有名な曲(カルメンなど)の多くはフランス人が書いてますし、他にもイタリア、アフリカ、東洋風など他の文化を題材にしたり取り入れたりすることが本当に多いです。
(新しいもの、エキゾチックなもの好きなのと、音楽における国のアイデンティティが確立するのが比較的遅かった、という要因があります)

ドビュッシーも様々な文化や国を題材にしています。この「カノープ」はその中でもエジプトを題材としています。
エジプトを題材とした作品は以前紹介しましたサン=サーンスの「サムソンとデリラ」だったり、ヴェルディの「アイーダ」がありますが、この曲はかなり性格が違います。
まず「サムソンとデリラ」を紹介したときに言及しました「エジプトらしい曲を書くテキストブックで書いた様な」特徴はなく。
どの曲も「エジプトらしさ」を捉えようと、表現しようとしていることは共通しているのですが・・・

「カノープ」とはエジプトでミイラとともに埋葬された副葬品の一つ。
ミイラを作る時に人体(または動物の体)から抜いた内臓を各々しまうための壷のことです。
古代エジプトで信じられていた生死についての信仰だったり、それにまつわす神秘的な儀式をこの曲は表現しようとしています。

そして現代においてカノープは「古代からの出土品」であり。
先ほどの他の2曲が「リアルタイムの古代エジプト」を表しているのと対照的に、カノープは遠い遠い過去に思いを馳せる、時の長さと栄枯盛衰を感じる曲なのです。
(新神話主義と照らし合わせるとまたちょっと通じるところがあったり)

何にしてもクラシック音楽において本物のエジプト音楽に忠実、というものはあるのかどうか分かりません。
ただこういった「雰囲気を捉える」音楽で実際にそういう気分になって、神秘的で不思議な、「今ここ」から本当に遠いものを感じることができる、というのは本当に音楽って不思議だなあと思います。(文でも絵画でもなかなか難しいことだと思いますよ)


ミケランジェリは実は第1巻しか持ってないのですが、贔屓100%で(先生の先生ですから(笑))この録音をチョイス。「映像」も収録されているのでいつか手に入れたいCDです。


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