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仕事の締め切りが厳しい!
それでも今日は大学の図書館に行ってきました。CDを返さなきゃ行けなかったので・・・
そして代わりにCDと楽譜借りてきました。CDはショスタコの交響曲第8番(ショルティ指揮、シカゴ交響楽団)。
楽譜は:
メシアンの「鳥のカタログ」第5巻(ヒメコウテンシ、ヨーロッパウグイス)
ヴィラ=ロボスのピアノ曲集(ブラジルのバッハ第4番めあてですがかなり面白そうな曲ばかり!)
バルトークの「中国の不思議な役人」(なぜかミニスコア)
クラムの「Vox Balaenae(鯨の声)」
クラムの「Ancient Voices of Children」
です。最後のクラムの楽譜はA3よりも2周りくらい大きい巨大な楽譜。(でももっと大きいのもある!)
リビングの自分のスペースは大分散らかってます。
本題はちょっと前から自分が気になってた疑問についてです。
ロシアの作曲家、ラフマニノフ。(ソヴィエト時代にも生きてるのですが、革命の際にアメリカに亡命してビバリー・ヒルズで亡くなっているので・・・)
ラフマニノフはピアニストとしても間違いなく巨匠ですが、作曲家としても本当に凄い人で。
自分が弾きこなすピアノのための曲はもちろん、室内楽(ピアノ三重奏)、オケ、合唱などどれも高い水準で素晴らしい曲を残しています。
ショパンなどピアノのために良い曲を書いてもオケに関しては苦手・・・など作曲家も得意苦手があるのが普通と言えますが、ラフマニノフはどの分野でもほぼ非の打ち所のないとも言える音楽を書いてます。
そのなかで例えばフィギュアスケートで使われた前奏曲だったり、ピアノ協奏曲第2番など華やかでポピュラーな曲はたくさんあります。
でももちろんそういった曲だけでなく、特に晩期に向けてはなかなか渋い曲もあり。
そしてその音楽はそのロマンチックな性格から後期ロマン派とくくられることもありますが、よくよく見ると(聴くと)結構20世紀っぽい性質もたくさん持ち合わせていて。
で、私が前々から思ってたのはどっちかというと「渋い」、表に出ない側のラフマニノフの音楽にはニ短調で書かれてるものが割合的に多くない?ということで・・・
ピアノ協奏曲第3番は割とよく知られているニ短調の曲ですが、自分が知ってて思いつく限り他にはこんなニ短調の曲があります:
ピアノソナタ第1番
交響曲第1番
前奏曲ニ短調(前奏曲は全調ありますが、ニ短調は割と目立たない方)
練習曲音の絵 op.33の番号無しのうちの1つ、op.39-8
ピアノ三重奏曲第2番
前奏曲(遺作)
なかなか聴く頻度の低い曲ばかりで。
これはなんでなんだろう、とかねてから思ってます(自分がこれらの曲を好きから余計に。特に練習曲やピアノソナタ第1番はものすごい好きです)
なぜか、という理由についてはまだまだ結論は出ていません。
ただやっぱりニ短調という調が少しでも関係してそうだな、と思います。
以前ここで書きました24keysvirusにおけるニ短調の性質は「鋼鉄の鉤爪」、「冷酷非情、運命、災害。とてつもなく巨大な力のコントロール」と私は表現しています。
内に激しい思いを秘め、それを力とする調ですが、同時にものすごく冷たく、冷徹を超える、全ての人間的な感情を超えた厳しさがある調。
さらにこの調はショスタコーヴィチが好んで使った(印象がある)調で、プロコフィエフも結構使ってるようにも思えます。
つまり「ロシア」(あるいはソヴィエト)という国の音楽の性質の一面を濃く表している調なのかな、と思います。
ラフマニノフのポピュラーな曲に見られる華やかさ、ロマンチックさは映画音楽に通じるところもかなりあり、ロシアの音楽のクオリティを引き継ぎながらアメリカ、そしてアメリカを通じて世界に受けいれられる音楽であった、とも言えると思います。
ただこの「ニ短調」特有の性質がラフマニノフの音楽と合わさるとそういった華やかさなどを暗い重い雲が覆うように・・・
いわば「ロシアへの回帰」みたいな、西では比較的受け入れがたいような特性を帯びてくるんだと思います。
(でもこれだけ使ってるんだからきっとラフマニノフもニ短調だったりその性質が好きなような気がするんですよね~)
あくまでも仮説ですし、他にもいろいろ関わってる要因はあると思われますが・・・
少なくとも自分がこれらの曲に惹かれる理由としてはものすごく納得がいくような気がします。
今年の冬はロシア音楽重点レパートリーなのでラフマニノフも楽しみです~
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39-8
私がラフマニノフの練習曲のなかで特別に思っているものの一つです。
いろんな意味でラフマニノフらしくないんじゃないかなあ。
どっちかというとものすごくフランス風!
ラフマニノフのピアニストとしての超絶技巧などは無いのですが、ギリ練習曲感はありますよ。
(ただショパンやリストと違って「どんな技巧を練習するための曲か」というのはラフマニノフはあんまり特定されないですよね)
この曲を一言で表すと「河」です。断然。
本当に流れていく、水のような音型。ロマンチックだけど派手なところが一つもなく、ものすごくささやかで慎ましく。
聴くにもすっと入って来ますし弾くにも音楽に身を任せると自然と流れていく心地よさが良い。
ハーモニーが面白くて。
普通の三和音(ドミソ、ラドミなど)から長調・短調を区別する真ん中の音を抜いたopen 5thをロシア音楽では多用して独特の冷たさを作り出しますが、そのOpen 5thとロシア音楽ではあまり使われない短7和音(レファラドなど)の7度使いが混ざり合って清涼感、そしてグレートーンの色彩が生まれて。
ロシアっぽいけどフランスっぽい、その正体はきっとこの不思議なハーモニーだと思います。
ちょっと専門的な話をあろうことかふわっと話してしまいましたがこの曲の流れ、そして色彩は本当に大切なものだと思います。
ラフマニノフには、そして音楽にはこんな美しさもあるんだ、ということをこの曲を通じて知って欲しいです。イチオシの一曲です♪
それでも今日は大学の図書館に行ってきました。CDを返さなきゃ行けなかったので・・・
そして代わりにCDと楽譜借りてきました。CDはショスタコの交響曲第8番(ショルティ指揮、シカゴ交響楽団)。
楽譜は:
メシアンの「鳥のカタログ」第5巻(ヒメコウテンシ、ヨーロッパウグイス)
ヴィラ=ロボスのピアノ曲集(ブラジルのバッハ第4番めあてですがかなり面白そうな曲ばかり!)
バルトークの「中国の不思議な役人」(なぜかミニスコア)
クラムの「Vox Balaenae(鯨の声)」
クラムの「Ancient Voices of Children」
です。最後のクラムの楽譜はA3よりも2周りくらい大きい巨大な楽譜。(でももっと大きいのもある!)
リビングの自分のスペースは大分散らかってます。
本題はちょっと前から自分が気になってた疑問についてです。
ロシアの作曲家、ラフマニノフ。(ソヴィエト時代にも生きてるのですが、革命の際にアメリカに亡命してビバリー・ヒルズで亡くなっているので・・・)
ラフマニノフはピアニストとしても間違いなく巨匠ですが、作曲家としても本当に凄い人で。
自分が弾きこなすピアノのための曲はもちろん、室内楽(ピアノ三重奏)、オケ、合唱などどれも高い水準で素晴らしい曲を残しています。
ショパンなどピアノのために良い曲を書いてもオケに関しては苦手・・・など作曲家も得意苦手があるのが普通と言えますが、ラフマニノフはどの分野でもほぼ非の打ち所のないとも言える音楽を書いてます。
そのなかで例えばフィギュアスケートで使われた前奏曲だったり、ピアノ協奏曲第2番など華やかでポピュラーな曲はたくさんあります。
でももちろんそういった曲だけでなく、特に晩期に向けてはなかなか渋い曲もあり。
そしてその音楽はそのロマンチックな性格から後期ロマン派とくくられることもありますが、よくよく見ると(聴くと)結構20世紀っぽい性質もたくさん持ち合わせていて。
で、私が前々から思ってたのはどっちかというと「渋い」、表に出ない側のラフマニノフの音楽にはニ短調で書かれてるものが割合的に多くない?ということで・・・
ピアノ協奏曲第3番は割とよく知られているニ短調の曲ですが、自分が知ってて思いつく限り他にはこんなニ短調の曲があります:
ピアノソナタ第1番
交響曲第1番
前奏曲ニ短調(前奏曲は全調ありますが、ニ短調は割と目立たない方)
練習曲音の絵 op.33の番号無しのうちの1つ、op.39-8
ピアノ三重奏曲第2番
前奏曲(遺作)
なかなか聴く頻度の低い曲ばかりで。
これはなんでなんだろう、とかねてから思ってます(自分がこれらの曲を好きから余計に。特に練習曲やピアノソナタ第1番はものすごい好きです)
なぜか、という理由についてはまだまだ結論は出ていません。
ただやっぱりニ短調という調が少しでも関係してそうだな、と思います。
以前ここで書きました24keysvirusにおけるニ短調の性質は「鋼鉄の鉤爪」、「冷酷非情、運命、災害。とてつもなく巨大な力のコントロール」と私は表現しています。
内に激しい思いを秘め、それを力とする調ですが、同時にものすごく冷たく、冷徹を超える、全ての人間的な感情を超えた厳しさがある調。
さらにこの調はショスタコーヴィチが好んで使った(印象がある)調で、プロコフィエフも結構使ってるようにも思えます。
つまり「ロシア」(あるいはソヴィエト)という国の音楽の性質の一面を濃く表している調なのかな、と思います。
ラフマニノフのポピュラーな曲に見られる華やかさ、ロマンチックさは映画音楽に通じるところもかなりあり、ロシアの音楽のクオリティを引き継ぎながらアメリカ、そしてアメリカを通じて世界に受けいれられる音楽であった、とも言えると思います。
ただこの「ニ短調」特有の性質がラフマニノフの音楽と合わさるとそういった華やかさなどを暗い重い雲が覆うように・・・
いわば「ロシアへの回帰」みたいな、西では比較的受け入れがたいような特性を帯びてくるんだと思います。
(でもこれだけ使ってるんだからきっとラフマニノフもニ短調だったりその性質が好きなような気がするんですよね~)
あくまでも仮説ですし、他にもいろいろ関わってる要因はあると思われますが・・・
少なくとも自分がこれらの曲に惹かれる理由としてはものすごく納得がいくような気がします。
今年の冬はロシア音楽重点レパートリーなのでラフマニノフも楽しみです~
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39-8
私がラフマニノフの練習曲のなかで特別に思っているものの一つです。
いろんな意味でラフマニノフらしくないんじゃないかなあ。
どっちかというとものすごくフランス風!
ラフマニノフのピアニストとしての超絶技巧などは無いのですが、ギリ練習曲感はありますよ。
(ただショパンやリストと違って「どんな技巧を練習するための曲か」というのはラフマニノフはあんまり特定されないですよね)
この曲を一言で表すと「河」です。断然。
本当に流れていく、水のような音型。ロマンチックだけど派手なところが一つもなく、ものすごくささやかで慎ましく。
聴くにもすっと入って来ますし弾くにも音楽に身を任せると自然と流れていく心地よさが良い。
ハーモニーが面白くて。
普通の三和音(ドミソ、ラドミなど)から長調・短調を区別する真ん中の音を抜いたopen 5thをロシア音楽では多用して独特の冷たさを作り出しますが、そのOpen 5thとロシア音楽ではあまり使われない短7和音(レファラドなど)の7度使いが混ざり合って清涼感、そしてグレートーンの色彩が生まれて。
ロシアっぽいけどフランスっぽい、その正体はきっとこの不思議なハーモニーだと思います。
ちょっと専門的な話をあろうことかふわっと話してしまいましたがこの曲の流れ、そして色彩は本当に大切なものだと思います。
ラフマニノフには、そして音楽にはこんな美しさもあるんだ、ということをこの曲を通じて知って欲しいです。イチオシの一曲です♪
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さきほどTwitter経由でオーストラリアの若い指揮者Benjamin Northeyがメル響の副指揮者に任命されたとのニュースが入ってきました!
Benは大学のオケ時代にマネージャーとして1コンサート分ものすごくお世話になって。マネージャーの仕事の一つとして(わりと楽な仕事として)コンサートでソリストだったり指揮者に花束を渡す役割があるのですが、彼に花束を渡すときにまあ挨拶代わりみたいに頬に軽くキスされて・・・私はとくに何とも思ってなかったのですがあとで打ち上げで友達に「どうだった?」とつっこまれまくったのがものすごく思い出に残っていて(リハーサルとかでもよくしてもらって、指揮も本当に見事なものなのですがあらためて意識してしまうと、ねえ)・・・
とにかくこういうポジションにつくにはかなり若い例なんじゃないかと思います。
きっと今度の土曜日のSidney Myerでのコンサートを指揮することになってるのでそこでも発表されるんじゃないかな。今年はメインシリーズのコンサートを受け持っていないようですがきっと来年は露出が多くなるはず!と思っています。
おめでたいし、嬉しいですねえ♪
本題へ・・・
大学時代、ホルンを吹いてる友達と「ショスタコーヴィチはチェロとホルンどっちが好きか」という実にとるにたらない議論を繰り広げた経験がありまして。
とるにたりないとはいいましたがやっぱり作曲家も人間ですし、色んな楽器に書いてても好みや贔屓はあるもので・・・
何か(例えばオケで)曲を弾いていて「作曲家に自分の楽器が愛されてる」感覚を感じるとやっぱりなにか嬉しい、くすぐったいものがあって・・・
「好きでしょ-」と気づくとなんだかへへへ、当たっただろと笑いたくなったり。
なので今日はそこらへんをまとめてみることにしました。
(ちなみにヒンデミットとビオラ、ショパンとピアノのように作曲家がメイン楽器として演奏していたものは除きます)
1)ショスタコーヴィチ
私はチェリストですのでもちろん「ショスタコーヴィチはチェロをめちゃくちゃ愛していた」と力説するのです。
それはチェロソナタ、チェロ協奏曲というチェロが主役の曲においてどれだけ楽器を輝かせ、奏者に弾き甲斐を感じさせるパートを書くか、ということだけでなくオケ曲や室内楽の作品でも本当に愛されてる感が強いのです。
例えば全ての室内楽のなかでおそらくチェロにとって最難関と思われるショスタコのピアノトリオ第2番第1楽章だったり、以前紹介しました交響曲第14番第4楽章(「自殺」)、そしてピアノ五重奏曲のオープニングなど。
実はショスタコーヴィチは稀代のチェロの巨匠ロストロポーヴィチと親交が深く、彼の演奏に触発されたり、チェロのための書き方についておそらくアドバイスを受けていたのではないかと思われます。最高のチェリストのバックアップがあったからこそ、弾き手にとってもしっくりきて弾きごたえのあるパートが書けたのではないかと。
2)プロコフィエフ
これは今のところ誰にも聞いてないのですが私は個人的にプロコフィエフはクラリネットがものすごく好きだった!と思っています。
なんとなくこう、交響曲第5番の各楽章だったり、ヘブライの主題による序曲(室内楽版はピアノ五重奏+クラリネットという編成)だったり、ピアノ協奏曲第3番、ロミオとジュリエットの「少女ジュリエット」などを聞いてると目立たないながらもかなり贔屓しているように思われます。
少なくともソロの頻度は意外なほど多い。楽器の主張がそんなに強くないのもあって飛び出るような印象はないですが。
同じ時代に同じくソヴィエトの作曲家として活躍したショスタコーヴィチと比べるとプロコフィエフはどっちかというとドライな音楽を書きます。ショスタコは断然ねちっこい。さらにプロコフィエフの書くメロディーは平気で1オクターブ飛んだりとかなり音の高低が激しく、音域が広いクラリネットは「向いている」のではないかと思われます。
そしてプロコフィエフは金管で中音域、というときはホルンよりもトロンボーンを好んで使う傾向があるようです(ショスタコーヴィチは逆でホルン派です)。
3) マーラー
マーラーはバイオリンからハープ、打楽器まで誰にとっても弾き甲斐のある音楽、そしてオケ全体にとって素晴らしい音楽を書きます。が、彼のホルンの使い方は本当に特別なものがあります。
交響曲で8本とか10本とかホルンを使っちゃうあたりこの「集団の力」に力を注いでるところもあり。そして交響曲第3楽章の冒頭の独擅場、第5番の第3楽章のソロ&掛け合い、第6番のスケルツォでダークに押して押していくところ・・・彼がこの楽器をどれだけ愛していたかは(プロコフィエフのときと違って)いろんな曲に明確に現れています。
でもやっぱり極めつきは交響曲第1番の一番最後でしょう。以前からおそらく何回か書いてるのですがホルンセクションが全員起立する!というのは「見てくれ!彼らを!」といった思いがあるような気がして。
ちなみに同世代のリヒャルト・シュトラウスもホルン好き。2つの協奏曲を書いたり、「英雄の生涯」では英雄の役に任命したり、その他オペラなどでも大活躍。(シュトラウスはお父さんがホルン奏者だった・・・んだったかしら。)
4)チャイコフスキー
チャイコフスキーは例えば交響曲第4番の第2楽章や「白鳥の湖」を聞いてるとオーボエ好きなんだなあ、と思うのですが、晩年になってたとえば「くるみ割り人形」などを聞いてると「この時代はクラリネット贔屓?」と思うときがあります。
基本的に作曲家の音楽って晩年になってくるとどんどん透明度を増していく傾向があると思うのですが、その変化が求める楽器の音に現れている例だと思います。
5)ストラヴィンスキー
ストラヴィンスキーが好きだったと思う楽器はファゴットだと思います。
3大バレエを始め様々な曲で(かならずしもいつも前には出ないのですが)活躍している楽器です。
ストラヴィンスキーの「好き」はどちらかというと「お前は本当はできる子だ」と信じて活躍の場をあたえポテンシャルを実際の力に育てていったような印象があります。なのでストラヴィンスキーのファゴットパートは弾き甲斐もありながら他の作曲家のものにくらべて若干ハードなパートであると思います。
・・・ここまで「好き」について書きましたがもちろん「嫌い」もありまして。
モーツァルトはフルートが嫌いだったそう。ちゃんと事情があって、彼の時代のフルートは今あるような能力も、安定さも、音の良さも全然備えていなかったそうで・・・
もし彼が今のフルートを聞いたらその評価を考え直すか?というのは分かりませんがね。やっぱりなんにせよ音も好き嫌いがありますし。
ちなみに好みとはもしかしたらちょっとだけ違うのかも知れませんが、複数の作曲家にみられる傾向で「晩年(特に最晩年)にビオラを重用し始める」というものがあります。
バルトークの未完成の最後の作品はビオラ協奏曲、ショスタコが最後に書いた曲はビオラソナタ、ブラームスも晩年に書いたクラリネットソナタをビオラソナタに編曲していますし、あと武満もちょっとそのような傾向があったり。
不思議なものですね。ビオラが死を招く楽器なのか、人生の終わりにビオラの音に惹かれ求めてしまうのか、それとも熟すこと、老いることでビオラのよさがわかってくるのか、はたまたやっとこの段階でビオラの作曲に手が回ったか。
ちなみに私は結構ビオラを贔屓にしてますが年をとったらどうなるのかしら(笑)
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ チェロソナタ 第1楽章
おそらく唯一私がチェロパートもピアノパートも弾いた事があるチェロ曲です。
本当は私のチェロのレベルじゃなかなか弾けないような曲なんですが無理を通して弾いてました。
私はソヴィエト連邦にいたこともないし、ロシアにさえ行ったこともなく・・・
しかもこの曲を始めたときはショスタコという作曲家の背景についてそんなには詳しくなかったのでソヴィエトがどういう国か、というのはあんまり知りませんでした。
ただこの曲を初めて聴いた時からソヴィエトという国の風景だったり、温度や雰囲気などが不思議と頭に浮かんで、感じられて・・・(だいたいどの楽章でも)
曲に惹かれたのと同じくらい、その独特な雰囲気がもう10年ほども心を鷲づかみにしています。
ショスタコーヴィチと言えばテレビやなんかで使われるのは交響曲第5番の最終楽章だったり、祝典序曲だったり、かなりスケールが大きくてなによりも勢いがある曲が多いですが、それを知ってこの曲を聴くとなんだか不思議な気持ちになります。
ためらいだったり、立ち止まりだったり、等身大の音楽であり、同時に割と後ろ向きの音楽でもあり。
そして心がひんやりとする。
雪の降る日にあたりがしんと静まったように、風も吹かず、たった一人で、あんまり生きた心地がしないような、恐怖を感じる二歩手前の不自然な静寂。
それがこの曲の例えて言うなら「バックグラウンド」で。主にピアノパートはそういう感じがします。
でもチェロというのは厳しくもどこか熱いところがある楽器で、この曲においての熱情っていうのは本当にチェリストの心の内側から燃えるもので。・・・そういうところも好きです。
途中で現れる翼の生えたようなメロディーの力強さ、そしてはかなさはピカイチ。
でもやっぱり凄いと思うのは再現部~最後まで。
ピアノの遠くからbleakに、恐ろしく忍び寄る闇の足音にチェロの完全に無表情なメロディー(冒頭と同じもの)。
なるべく遅く弾いた方がいいのだけれど、気をつけないとテンポが上がってしまうのはきっと「怖い」から。
そしてピアノの最低音域の暗いメタリックな音が腹にぞっとくる。
普段はあまり意識しないのですがどうやら私はこの曲を思っているより愛しているようです。この今の心の中の気持ちを表現できたらなあ!
Benは大学のオケ時代にマネージャーとして1コンサート分ものすごくお世話になって。マネージャーの仕事の一つとして(わりと楽な仕事として)コンサートでソリストだったり指揮者に花束を渡す役割があるのですが、彼に花束を渡すときにまあ挨拶代わりみたいに頬に軽くキスされて・・・私はとくに何とも思ってなかったのですがあとで打ち上げで友達に「どうだった?」とつっこまれまくったのがものすごく思い出に残っていて(リハーサルとかでもよくしてもらって、指揮も本当に見事なものなのですがあらためて意識してしまうと、ねえ)・・・
とにかくこういうポジションにつくにはかなり若い例なんじゃないかと思います。
きっと今度の土曜日のSidney Myerでのコンサートを指揮することになってるのでそこでも発表されるんじゃないかな。今年はメインシリーズのコンサートを受け持っていないようですがきっと来年は露出が多くなるはず!と思っています。
おめでたいし、嬉しいですねえ♪
本題へ・・・
大学時代、ホルンを吹いてる友達と「ショスタコーヴィチはチェロとホルンどっちが好きか」という実にとるにたらない議論を繰り広げた経験がありまして。
とるにたりないとはいいましたがやっぱり作曲家も人間ですし、色んな楽器に書いてても好みや贔屓はあるもので・・・
何か(例えばオケで)曲を弾いていて「作曲家に自分の楽器が愛されてる」感覚を感じるとやっぱりなにか嬉しい、くすぐったいものがあって・・・
「好きでしょ-」と気づくとなんだかへへへ、当たっただろと笑いたくなったり。
なので今日はそこらへんをまとめてみることにしました。
(ちなみにヒンデミットとビオラ、ショパンとピアノのように作曲家がメイン楽器として演奏していたものは除きます)
1)ショスタコーヴィチ
私はチェリストですのでもちろん「ショスタコーヴィチはチェロをめちゃくちゃ愛していた」と力説するのです。
それはチェロソナタ、チェロ協奏曲というチェロが主役の曲においてどれだけ楽器を輝かせ、奏者に弾き甲斐を感じさせるパートを書くか、ということだけでなくオケ曲や室内楽の作品でも本当に愛されてる感が強いのです。
例えば全ての室内楽のなかでおそらくチェロにとって最難関と思われるショスタコのピアノトリオ第2番第1楽章だったり、以前紹介しました交響曲第14番第4楽章(「自殺」)、そしてピアノ五重奏曲のオープニングなど。
実はショスタコーヴィチは稀代のチェロの巨匠ロストロポーヴィチと親交が深く、彼の演奏に触発されたり、チェロのための書き方についておそらくアドバイスを受けていたのではないかと思われます。最高のチェリストのバックアップがあったからこそ、弾き手にとってもしっくりきて弾きごたえのあるパートが書けたのではないかと。
2)プロコフィエフ
これは今のところ誰にも聞いてないのですが私は個人的にプロコフィエフはクラリネットがものすごく好きだった!と思っています。
なんとなくこう、交響曲第5番の各楽章だったり、ヘブライの主題による序曲(室内楽版はピアノ五重奏+クラリネットという編成)だったり、ピアノ協奏曲第3番、ロミオとジュリエットの「少女ジュリエット」などを聞いてると目立たないながらもかなり贔屓しているように思われます。
少なくともソロの頻度は意外なほど多い。楽器の主張がそんなに強くないのもあって飛び出るような印象はないですが。
同じ時代に同じくソヴィエトの作曲家として活躍したショスタコーヴィチと比べるとプロコフィエフはどっちかというとドライな音楽を書きます。ショスタコは断然ねちっこい。さらにプロコフィエフの書くメロディーは平気で1オクターブ飛んだりとかなり音の高低が激しく、音域が広いクラリネットは「向いている」のではないかと思われます。
そしてプロコフィエフは金管で中音域、というときはホルンよりもトロンボーンを好んで使う傾向があるようです(ショスタコーヴィチは逆でホルン派です)。
3) マーラー
マーラーはバイオリンからハープ、打楽器まで誰にとっても弾き甲斐のある音楽、そしてオケ全体にとって素晴らしい音楽を書きます。が、彼のホルンの使い方は本当に特別なものがあります。
交響曲で8本とか10本とかホルンを使っちゃうあたりこの「集団の力」に力を注いでるところもあり。そして交響曲第3楽章の冒頭の独擅場、第5番の第3楽章のソロ&掛け合い、第6番のスケルツォでダークに押して押していくところ・・・彼がこの楽器をどれだけ愛していたかは(プロコフィエフのときと違って)いろんな曲に明確に現れています。
でもやっぱり極めつきは交響曲第1番の一番最後でしょう。以前からおそらく何回か書いてるのですがホルンセクションが全員起立する!というのは「見てくれ!彼らを!」といった思いがあるような気がして。
ちなみに同世代のリヒャルト・シュトラウスもホルン好き。2つの協奏曲を書いたり、「英雄の生涯」では英雄の役に任命したり、その他オペラなどでも大活躍。(シュトラウスはお父さんがホルン奏者だった・・・んだったかしら。)
4)チャイコフスキー
チャイコフスキーは例えば交響曲第4番の第2楽章や「白鳥の湖」を聞いてるとオーボエ好きなんだなあ、と思うのですが、晩年になってたとえば「くるみ割り人形」などを聞いてると「この時代はクラリネット贔屓?」と思うときがあります。
基本的に作曲家の音楽って晩年になってくるとどんどん透明度を増していく傾向があると思うのですが、その変化が求める楽器の音に現れている例だと思います。
5)ストラヴィンスキー
ストラヴィンスキーが好きだったと思う楽器はファゴットだと思います。
3大バレエを始め様々な曲で(かならずしもいつも前には出ないのですが)活躍している楽器です。
ストラヴィンスキーの「好き」はどちらかというと「お前は本当はできる子だ」と信じて活躍の場をあたえポテンシャルを実際の力に育てていったような印象があります。なのでストラヴィンスキーのファゴットパートは弾き甲斐もありながら他の作曲家のものにくらべて若干ハードなパートであると思います。
・・・ここまで「好き」について書きましたがもちろん「嫌い」もありまして。
モーツァルトはフルートが嫌いだったそう。ちゃんと事情があって、彼の時代のフルートは今あるような能力も、安定さも、音の良さも全然備えていなかったそうで・・・
もし彼が今のフルートを聞いたらその評価を考え直すか?というのは分かりませんがね。やっぱりなんにせよ音も好き嫌いがありますし。
ちなみに好みとはもしかしたらちょっとだけ違うのかも知れませんが、複数の作曲家にみられる傾向で「晩年(特に最晩年)にビオラを重用し始める」というものがあります。
バルトークの未完成の最後の作品はビオラ協奏曲、ショスタコが最後に書いた曲はビオラソナタ、ブラームスも晩年に書いたクラリネットソナタをビオラソナタに編曲していますし、あと武満もちょっとそのような傾向があったり。
不思議なものですね。ビオラが死を招く楽器なのか、人生の終わりにビオラの音に惹かれ求めてしまうのか、それとも熟すこと、老いることでビオラのよさがわかってくるのか、はたまたやっとこの段階でビオラの作曲に手が回ったか。
ちなみに私は結構ビオラを贔屓にしてますが年をとったらどうなるのかしら(笑)
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ チェロソナタ 第1楽章
おそらく唯一私がチェロパートもピアノパートも弾いた事があるチェロ曲です。
本当は私のチェロのレベルじゃなかなか弾けないような曲なんですが無理を通して弾いてました。
私はソヴィエト連邦にいたこともないし、ロシアにさえ行ったこともなく・・・
しかもこの曲を始めたときはショスタコという作曲家の背景についてそんなには詳しくなかったのでソヴィエトがどういう国か、というのはあんまり知りませんでした。
ただこの曲を初めて聴いた時からソヴィエトという国の風景だったり、温度や雰囲気などが不思議と頭に浮かんで、感じられて・・・(だいたいどの楽章でも)
曲に惹かれたのと同じくらい、その独特な雰囲気がもう10年ほども心を鷲づかみにしています。
ショスタコーヴィチと言えばテレビやなんかで使われるのは交響曲第5番の最終楽章だったり、祝典序曲だったり、かなりスケールが大きくてなによりも勢いがある曲が多いですが、それを知ってこの曲を聴くとなんだか不思議な気持ちになります。
ためらいだったり、立ち止まりだったり、等身大の音楽であり、同時に割と後ろ向きの音楽でもあり。
そして心がひんやりとする。
雪の降る日にあたりがしんと静まったように、風も吹かず、たった一人で、あんまり生きた心地がしないような、恐怖を感じる二歩手前の不自然な静寂。
それがこの曲の例えて言うなら「バックグラウンド」で。主にピアノパートはそういう感じがします。
でもチェロというのは厳しくもどこか熱いところがある楽器で、この曲においての熱情っていうのは本当にチェリストの心の内側から燃えるもので。・・・そういうところも好きです。
途中で現れる翼の生えたようなメロディーの力強さ、そしてはかなさはピカイチ。
でもやっぱり凄いと思うのは再現部~最後まで。
ピアノの遠くからbleakに、恐ろしく忍び寄る闇の足音にチェロの完全に無表情なメロディー(冒頭と同じもの)。
なるべく遅く弾いた方がいいのだけれど、気をつけないとテンポが上がってしまうのはきっと「怖い」から。
そしてピアノの最低音域の暗いメタリックな音が腹にぞっとくる。
普段はあまり意識しないのですがどうやら私はこの曲を思っているより愛しているようです。この今の心の中の気持ちを表現できたらなあ!
引き続き気張ってます。
今日のピアノ練習はなんだか思うようにいかず。単なる練習不足、ということで・・・
なのでこの案件が終わったら「できるときに練習」でなく「なるべく毎日練習」モードに切り替えたいと思います。
仕事の開始時間を早くして、仕事の時間もなるべく減らさず、でもピアノの時間を潜り込ませて。
もちろん仕事や他の都合によりたまに練習しないはあると思いますが。
毎回ブログの冒頭も(毎日ツイッターも)頑張ってる自慢ばっかりになってますが・・・
頑張ることは当たり前のことのようですが、幾度も「頑張れない」経験をしてきたのでどうしても嬉しくて。
(・・・で思い出したのですが冬になったらこれを維持することができるか自信がないなあ)
ようするにお調子者なんですよ(汗)
でも調子に乗ってあんまり突っ走らないようにしたいと思います。
本題その1。
こないだのコンサートでマーラーの5番、第4楽章を聴いているとき(というかいつもあの曲を聴くとそうなんですが)思ったんですが、「あんな曲を書いてくれる恋人がいたら幸せだよなあ」、と。
この楽章は以前「今日の一曲」でも取り扱ったのですがマーラーが結婚ほやほやの時に妻アルマに向けて書いたラブレター的な曲だと言われてまして。
曲に詰まってる愛といったらトップクラスですし、その愛もそうですが表現の仕方が上手い以上に上手かったり、音楽の才能とか感性とか含めても物凄く惹かれる「タイプ」です。
(ただ結婚の際に「これからは僕の作品を君の作品と見てほしい」と当時作曲もしていたアルマに言ったらしいですが(後に作曲再開していい、ということにしていますが)これが自分だったらなかなか快く承諾はできないよなあ・・・)
こないだ思うところがあってブリテンとピアーズの関係についてちょっと調べてまして。
以前もピアーズがブリテンにとってミューズであったことなどをこのエントリー(作曲家の「ミューズ」についての話)で話しているのですが、もっと調べるといろいろでてくるんですよね。
同性愛のカップルだということを隠さず、仕事では一緒に旅したり、ブリテンは曲を書きピアーズはそれを歌い。
この話とは直接関係ないのですがブリテンは爵位、ピアーズはナイトの称号を王室からいただいてますし、ブリテンが先に亡くなったときは(関係が公になってるにもかかわらず)英国女王からお悔やみの手紙がピアーズに来てますし、二人隣同士ののお墓に入ってますし。
ブリテンとピアーズ、そしてこれもまたこのブログでよく話に上がりますメシアンとロリオ女史のようにお互いの進む道だったり才能だったりを尊重して、お互いを高め合う関係に一番憧れます。異性であろうが同性であろうが、それが音楽であろうが他の分野であろうが。
(母に1回以上「もしも結婚するなら相手の人はやっぱり音楽らへんわかり合える人じゃないといけないんじゃない」と言われては居ますが」)
ただ自分にとってミューズのような存在が現れる、というのは憧れますが自分が誰かのミューズになる、というのはなかなか想像しがたいですね。
むしろこっぱずかしい気がしないでもないです(汗)でも私が弾くために(そして私の好みや手の大きさに合わせて)曲をかいてもらえるとしたら素直にものすごく嬉しいです。
追っかけられるよりも追っかけるほうでして、特に音楽・創作に関しては自分の道をどんどん進む傾向がありますし・・・
何を言ってるのかよく分からなくなってきましたのでここら辺で。
今日の一曲: アラム・ハチャトゥリアン バイオリン協奏曲 第1楽章
バイオリン協奏曲のレパートリーの中では誰もが通る道、といっても過言じゃないでしょう、この曲。
(少なくともメルボルンでは若いバイオリニストはみんなこれとブルッフの協奏曲を弾いてますね。ちなみにチェロだとエルガーがそれに相当します)
名曲かといえば必ずそうとも言い切れないのですが、先述ブルッフと同じく自分のなかでここ数年で株が上がってる曲です。
ロシア~ソヴィエトの音楽って独特の「冷たさ」と「熱さ」の共存があって。
そして妙な厳しさがあって、ソヴィエトの時代になるとむしろどこかで拒絶しているようにも感じるキャラクターがある、という印象です。
ハチャトゥリアンもそんなソヴィエトの音楽の性格を濃く備えていて・・・
大体ソヴィエトの音楽はショスタコ似かプロコフィエフ似に分かれるんですけど、彼はプロコ寄りです。
(以前紹介しました甥のカレンはショスタコ寄り)
でも現在のアルメニア出身という、西アジア的ないろいろがプロコフィエフとはかなり違います。その傾向はこの曲だったら第2主題のメロディーや雰囲気の不思議な甘さ、エキゾチックでスパイシーな香りに現れています。
そしてハチャトゥリアンが強いのは(バイオリン協奏曲だというのは百も承知ですが)木管楽器。
この楽章の途中で2小節とかぱっと木管だけになったりする部分があって、めちゃめちゃ輝くんですよね~
もちろんバイオリンのパートもそのハチャトゥリアンの音楽の様々な側面をあますことなく表現していて。
その表現の幅の広さと豊かさはバイオリンならではだと思います。
この曲もオススメですが、同じハチャトゥリアンだったらバレエ「スパルタクス」の「アダージョ」が一番良いです!弾いたことがあるのですが録音をもってないのでまた別の機会に・・・
今日のピアノ練習はなんだか思うようにいかず。単なる練習不足、ということで・・・
なのでこの案件が終わったら「できるときに練習」でなく「なるべく毎日練習」モードに切り替えたいと思います。
仕事の開始時間を早くして、仕事の時間もなるべく減らさず、でもピアノの時間を潜り込ませて。
もちろん仕事や他の都合によりたまに練習しないはあると思いますが。
毎回ブログの冒頭も(毎日ツイッターも)頑張ってる自慢ばっかりになってますが・・・
頑張ることは当たり前のことのようですが、幾度も「頑張れない」経験をしてきたのでどうしても嬉しくて。
(・・・で思い出したのですが冬になったらこれを維持することができるか自信がないなあ)
ようするにお調子者なんですよ(汗)
でも調子に乗ってあんまり突っ走らないようにしたいと思います。
本題その1。
こないだのコンサートでマーラーの5番、第4楽章を聴いているとき(というかいつもあの曲を聴くとそうなんですが)思ったんですが、「あんな曲を書いてくれる恋人がいたら幸せだよなあ」、と。
この楽章は以前「今日の一曲」でも取り扱ったのですがマーラーが結婚ほやほやの時に妻アルマに向けて書いたラブレター的な曲だと言われてまして。
曲に詰まってる愛といったらトップクラスですし、その愛もそうですが表現の仕方が上手い以上に上手かったり、音楽の才能とか感性とか含めても物凄く惹かれる「タイプ」です。
(ただ結婚の際に「これからは僕の作品を君の作品と見てほしい」と当時作曲もしていたアルマに言ったらしいですが(後に作曲再開していい、ということにしていますが)これが自分だったらなかなか快く承諾はできないよなあ・・・)
こないだ思うところがあってブリテンとピアーズの関係についてちょっと調べてまして。
以前もピアーズがブリテンにとってミューズであったことなどをこのエントリー(作曲家の「ミューズ」についての話)で話しているのですが、もっと調べるといろいろでてくるんですよね。
同性愛のカップルだということを隠さず、仕事では一緒に旅したり、ブリテンは曲を書きピアーズはそれを歌い。
この話とは直接関係ないのですがブリテンは爵位、ピアーズはナイトの称号を王室からいただいてますし、ブリテンが先に亡くなったときは(関係が公になってるにもかかわらず)英国女王からお悔やみの手紙がピアーズに来てますし、二人隣同士ののお墓に入ってますし。
ブリテンとピアーズ、そしてこれもまたこのブログでよく話に上がりますメシアンとロリオ女史のようにお互いの進む道だったり才能だったりを尊重して、お互いを高め合う関係に一番憧れます。異性であろうが同性であろうが、それが音楽であろうが他の分野であろうが。
(母に1回以上「もしも結婚するなら相手の人はやっぱり音楽らへんわかり合える人じゃないといけないんじゃない」と言われては居ますが」)
ただ自分にとってミューズのような存在が現れる、というのは憧れますが自分が誰かのミューズになる、というのはなかなか想像しがたいですね。
むしろこっぱずかしい気がしないでもないです(汗)でも私が弾くために(そして私の好みや手の大きさに合わせて)曲をかいてもらえるとしたら素直にものすごく嬉しいです。
追っかけられるよりも追っかけるほうでして、特に音楽・創作に関しては自分の道をどんどん進む傾向がありますし・・・
何を言ってるのかよく分からなくなってきましたのでここら辺で。
今日の一曲: アラム・ハチャトゥリアン バイオリン協奏曲 第1楽章
バイオリン協奏曲のレパートリーの中では誰もが通る道、といっても過言じゃないでしょう、この曲。
(少なくともメルボルンでは若いバイオリニストはみんなこれとブルッフの協奏曲を弾いてますね。ちなみにチェロだとエルガーがそれに相当します)
名曲かといえば必ずそうとも言い切れないのですが、先述ブルッフと同じく自分のなかでここ数年で株が上がってる曲です。
ロシア~ソヴィエトの音楽って独特の「冷たさ」と「熱さ」の共存があって。
そして妙な厳しさがあって、ソヴィエトの時代になるとむしろどこかで拒絶しているようにも感じるキャラクターがある、という印象です。
ハチャトゥリアンもそんなソヴィエトの音楽の性格を濃く備えていて・・・
大体ソヴィエトの音楽はショスタコ似かプロコフィエフ似に分かれるんですけど、彼はプロコ寄りです。
(以前紹介しました甥のカレンはショスタコ寄り)
でも現在のアルメニア出身という、西アジア的ないろいろがプロコフィエフとはかなり違います。その傾向はこの曲だったら第2主題のメロディーや雰囲気の不思議な甘さ、エキゾチックでスパイシーな香りに現れています。
そしてハチャトゥリアンが強いのは(バイオリン協奏曲だというのは百も承知ですが)木管楽器。
この楽章の途中で2小節とかぱっと木管だけになったりする部分があって、めちゃめちゃ輝くんですよね~
もちろんバイオリンのパートもそのハチャトゥリアンの音楽の様々な側面をあますことなく表現していて。
その表現の幅の広さと豊かさはバイオリンならではだと思います。
この曲もオススメですが、同じハチャトゥリアンだったらバレエ「スパルタクス」の「アダージョ」が一番良いです!弾いたことがあるのですが録音をもってないのでまた別の機会に・・・
なによりもまず・・・
今日でこのブログ「une Noctuelle Obscure et Fouillis d'Arcs-en-Ciel」が1周年を迎えました!
めでたいです♪いつも訪れてくれている皆様、ありがとうございます。そして検索で見つけてくれている皆様、なんらかの助けになれていれば幸いです。
ますますのご愛顧をお願いいたします。やたらと長い名前のブログでエントリーも長いですがブログ自体も長く続くことを願っています。
数日前Twitterでwirevisionのこんな記事が流れてきました。
「融合」と創造性:複数の世界を生かす人々
まずこの記事の最初の写真に衝撃を受けて、それが「何か」に衝撃をうけて、そして記事の内容に物凄く感銘を受けました!
私が目指していることを物凄く後押ししてくれている、そして自分の目指すところを示してくれたように感じて。
二つの全く違ったエリアを融合する。
例えば音楽だったら同じ芸術エリアではなく科学など、ということですね。
メルボルン大学を始めオーストラリアの大学でではCombined Degrees/Double Degreesといって二つのコース・学科を同時に薦めることが可能で・・・
私は入学当初はBachelor of Music/Artsで、Artsでは心理学をとっていました。ちなみに心理学はArts, Science, Economicsなどのコースでとることができます。(ただし2年生でかなり忙しくなったためMusic一本にしました。)
Music/Arts人口は結構多くて、外国語などをとる人がほとんどです。Music/Creative Artsの組み合わせもいましたし。
文系だけでなく、Music/Engineering(工学)もCombined degreeとして可能ですし、友達の一人はMusicとScienceどっちもやりたい!と自分からコース構成を提案してオーダーメイドコースを両立させてしまったケースもあります。
もちろん大学で勉強していなくても音楽家でめちゃくちゃ科学に強い人もいますし。
あと音楽オタクになると題材になった作品とか時代背景とかにまでどっぷりはまって文学、美術、歴史に強くなったり、あと音響系の物理の知識は必須に近かったりします。
音楽は結構色んな学問の分野に触手を伸ばしている、色んな分野へ扉が繋がってる、と思います。
これまでも書いてきましたが私が融合させたいのは音楽と心理学・メンタルヘルス・精神医学方面。
もちろん一方通行でなく、音楽を心理学関係に生かしたり、心理学関係を音楽に生かしたり、どっちもできるようになりたいです。
人間関係もそうですが、二つ違うものが存在することで、それぞれのものを今まで以上に高めることができることの幸せは本当に凄いことですからね。
(そういえばこの記事には「2つのバックグラウンドを生かす」話も出ていますね。オーストラリアに住む日本生まれの人、ということで私もそれに当てはまりますね・・・まさに今の仕事は二つを融合しているといえる部分もあります)
こないだ行ったレクチャーのエントリーで、メルボルン大学でCentre of Music, Mind and Wellbeingという音楽科と心理学の提携研究機関が設立された、と書きましたが、ゲストスピーカーの方もグラーツ大学で「Multdisciplinary Music」という学科で研究をしている方で。
つまりは音楽という分野を超えて他の学問にまたがった音楽関係の研究をする学科だそうです。
大学に在学中はあんまり意識してませんでしたし、今メンタルヘルスの道を目指すにも「心理学」のコースをやりたいと思ってるんですけど、自分のニーズや興味に合った勉強の場が世界中には色々あると改めて気づくととりあえずお金を自分でなんとかしなちゃいけないのはもちろんですが、視野を広くとっていきたいな、と思います。
で、やっぱりそういう「場」があることに気づくと、そして思い出すと心がはやります。
早く自分の夢に近づきたい、音楽サイドも心理学サイドももっと勉強したい!と思うのですが・・・
今はゆっくり、できることをやっていきたいと思います。
(週末は仕事ですが明日はピアノをやろう!)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Lux Aeterna」
Tower Records Onlineの録音(試聴有り)
クラムの音楽はばんばん出すとストックが心配になるのですが今日はやっぱりこれのインパクトがダントツでした!
今日は仕事の朝の部3時間クラムばっかり聴いてて(笑)まだスコア見ながら聴いてないので細かいところはあれですが、なんとか今の自分のこの曲への気持ちを。
Lux Aeterna for Five Masked Musicians。
ソプラノ歌手、バスフルート(とソプラノリコーダー持ち替え!)、シタール(インドの弦楽器)、そして2人の打楽器奏者によるアンサンブル曲。
タイトルにあるように5人の奏者は仮面をつけて演奏。これは視覚的な「人間的なエレメント」をなるべく最小限にとどめるため(音楽を純粋な形で・・・ということでしょう)。
前書きを見ると他にも指示が書いてあります。
例えば照明の使用だったり、小道具(ろうそく)の使用だったり、あとダンサーによる踊りを取り入れても良い、とも書いてあります。これはどっかで映像がないか興味湧きますし、実際に「生で演奏やりたい!」と思います(弾ける楽器ないですが・・・)
実際の曲なんですが、本当に不思議な曲で。
ものすごくオリエンタルな雰囲気で、でも同時に西洋的でもあり。
そして楽器が入ってくる度に優しめに度肝を抜かれるんですよ。
シタールがこのアンサンブルで弾いてる!ということの不思議さ、バスフルートの音の人肌の暖かさと豊かさ、そしてソプラノリコーダーがこんなにもまろやかなのか!という驚き。
クラムについての本で、クラム自身によるこの曲にまつわる話があって。
彼は「音楽の未来」について語っているインタビューがあるのですが、彼は今の時代いろんな国のさまざまな音楽にアクセスできるようになって、音楽がお互いに影響し合っていつか全ての音楽は同じところに向かっているのではないか、というようなことを話しています。
それがどうやらこのLux Aeternaの潜在的なコンセプトであるらしく。
この言葉を踏まえるとこのLux Aeternaの曲調ってものすごくしっくり来ますね。
これまでも西の音楽と東の音楽を融合する(または一部借りて帰化させる)試みはたくさんありましたが、Lux Aeternaはとっても融合のスタイルがユニークだと思います。
そしてクラムの音楽としてもちょっとユニークなスタイル・・・のような。
なんか音楽の流れがより自然で、ダークな面もありながら優しい光もあり・・・全てが「自然」なんです。
もっともっとこの曲を身に近く、愛して自分の解釈を構築して、そして心に大事にしまっておけるようにしたいです。
勉強・精進あるのみ♪
今日でこのブログ「une Noctuelle Obscure et Fouillis d'Arcs-en-Ciel」が1周年を迎えました!
めでたいです♪いつも訪れてくれている皆様、ありがとうございます。そして検索で見つけてくれている皆様、なんらかの助けになれていれば幸いです。
ますますのご愛顧をお願いいたします。やたらと長い名前のブログでエントリーも長いですがブログ自体も長く続くことを願っています。
数日前Twitterでwirevisionのこんな記事が流れてきました。
「融合」と創造性:複数の世界を生かす人々
まずこの記事の最初の写真に衝撃を受けて、それが「何か」に衝撃をうけて、そして記事の内容に物凄く感銘を受けました!
私が目指していることを物凄く後押ししてくれている、そして自分の目指すところを示してくれたように感じて。
二つの全く違ったエリアを融合する。
例えば音楽だったら同じ芸術エリアではなく科学など、ということですね。
メルボルン大学を始めオーストラリアの大学でではCombined Degrees/Double Degreesといって二つのコース・学科を同時に薦めることが可能で・・・
私は入学当初はBachelor of Music/Artsで、Artsでは心理学をとっていました。ちなみに心理学はArts, Science, Economicsなどのコースでとることができます。(ただし2年生でかなり忙しくなったためMusic一本にしました。)
Music/Arts人口は結構多くて、外国語などをとる人がほとんどです。Music/Creative Artsの組み合わせもいましたし。
文系だけでなく、Music/Engineering(工学)もCombined degreeとして可能ですし、友達の一人はMusicとScienceどっちもやりたい!と自分からコース構成を提案してオーダーメイドコースを両立させてしまったケースもあります。
もちろん大学で勉強していなくても音楽家でめちゃくちゃ科学に強い人もいますし。
あと音楽オタクになると題材になった作品とか時代背景とかにまでどっぷりはまって文学、美術、歴史に強くなったり、あと音響系の物理の知識は必須に近かったりします。
音楽は結構色んな学問の分野に触手を伸ばしている、色んな分野へ扉が繋がってる、と思います。
これまでも書いてきましたが私が融合させたいのは音楽と心理学・メンタルヘルス・精神医学方面。
もちろん一方通行でなく、音楽を心理学関係に生かしたり、心理学関係を音楽に生かしたり、どっちもできるようになりたいです。
人間関係もそうですが、二つ違うものが存在することで、それぞれのものを今まで以上に高めることができることの幸せは本当に凄いことですからね。
(そういえばこの記事には「2つのバックグラウンドを生かす」話も出ていますね。オーストラリアに住む日本生まれの人、ということで私もそれに当てはまりますね・・・まさに今の仕事は二つを融合しているといえる部分もあります)
こないだ行ったレクチャーのエントリーで、メルボルン大学でCentre of Music, Mind and Wellbeingという音楽科と心理学の提携研究機関が設立された、と書きましたが、ゲストスピーカーの方もグラーツ大学で「Multdisciplinary Music」という学科で研究をしている方で。
つまりは音楽という分野を超えて他の学問にまたがった音楽関係の研究をする学科だそうです。
大学に在学中はあんまり意識してませんでしたし、今メンタルヘルスの道を目指すにも「心理学」のコースをやりたいと思ってるんですけど、自分のニーズや興味に合った勉強の場が世界中には色々あると改めて気づくととりあえずお金を自分でなんとかしなちゃいけないのはもちろんですが、視野を広くとっていきたいな、と思います。
で、やっぱりそういう「場」があることに気づくと、そして思い出すと心がはやります。
早く自分の夢に近づきたい、音楽サイドも心理学サイドももっと勉強したい!と思うのですが・・・
今はゆっくり、できることをやっていきたいと思います。
(週末は仕事ですが明日はピアノをやろう!)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Lux Aeterna」
Tower Records Onlineの録音(試聴有り)
クラムの音楽はばんばん出すとストックが心配になるのですが今日はやっぱりこれのインパクトがダントツでした!
今日は仕事の朝の部3時間クラムばっかり聴いてて(笑)まだスコア見ながら聴いてないので細かいところはあれですが、なんとか今の自分のこの曲への気持ちを。
Lux Aeterna for Five Masked Musicians。
ソプラノ歌手、バスフルート(とソプラノリコーダー持ち替え!)、シタール(インドの弦楽器)、そして2人の打楽器奏者によるアンサンブル曲。
タイトルにあるように5人の奏者は仮面をつけて演奏。これは視覚的な「人間的なエレメント」をなるべく最小限にとどめるため(音楽を純粋な形で・・・ということでしょう)。
前書きを見ると他にも指示が書いてあります。
例えば照明の使用だったり、小道具(ろうそく)の使用だったり、あとダンサーによる踊りを取り入れても良い、とも書いてあります。これはどっかで映像がないか興味湧きますし、実際に「生で演奏やりたい!」と思います(弾ける楽器ないですが・・・)
実際の曲なんですが、本当に不思議な曲で。
ものすごくオリエンタルな雰囲気で、でも同時に西洋的でもあり。
そして楽器が入ってくる度に優しめに度肝を抜かれるんですよ。
シタールがこのアンサンブルで弾いてる!ということの不思議さ、バスフルートの音の人肌の暖かさと豊かさ、そしてソプラノリコーダーがこんなにもまろやかなのか!という驚き。
クラムについての本で、クラム自身によるこの曲にまつわる話があって。
彼は「音楽の未来」について語っているインタビューがあるのですが、彼は今の時代いろんな国のさまざまな音楽にアクセスできるようになって、音楽がお互いに影響し合っていつか全ての音楽は同じところに向かっているのではないか、というようなことを話しています。
それがどうやらこのLux Aeternaの潜在的なコンセプトであるらしく。
この言葉を踏まえるとこのLux Aeternaの曲調ってものすごくしっくり来ますね。
これまでも西の音楽と東の音楽を融合する(または一部借りて帰化させる)試みはたくさんありましたが、Lux Aeternaはとっても融合のスタイルがユニークだと思います。
そしてクラムの音楽としてもちょっとユニークなスタイル・・・のような。
なんか音楽の流れがより自然で、ダークな面もありながら優しい光もあり・・・全てが「自然」なんです。
もっともっとこの曲を身に近く、愛して自分の解釈を構築して、そして心に大事にしまっておけるようにしたいです。
勉強・精進あるのみ♪
今仕事が一時的にてんてこ舞い!仕事自体というかadministrativeなてんやわんやなのでゆっくりTodoを組めば大丈夫だとは思うのですが・・・(iphoneのアプリに感謝です)
ちょっと文がせわしなくなったらすみません(汗)
昨日はコンサートに友達と行ってきました!私にとって今年初コンサートで、確かメル響も今年初コンサートのはず。
2月上旬のコンサートは毎年Sidney Myer Bowlという屋外ロケーションでの無料コンサート(4つのコンサートからなるミニシリーズです)。1万人収容ということになってるんですが、前のほうはコンサートの観覧席になっていて、その後ろは丘をそのまま使ったピクニックエリアになっています。そしてコンサートホールよりも遠くに聴衆が広がるのでアンプ・スピーカー完備。
そちらではみんなシートや折りたたみ椅子を持ち寄って、ワインや食べ物を楽しみながらコンサートが聞けます。
ちなみにこのミニコンサートシリーズはSidney Myer Bowlが名づけられた元のSidney Myerという人によって実現された年一の無料コンサートが元になっていて、52年の歴史があるそうで。
さらにこのSidney Myer Bowlがある土地はもともと先住民のKoori族の土地だったそうで、コンサート前のナレーションでそれを認識するのがしきたり(?)となっているようです。
一応7時開演、ということで5時ぐらいに待ち合わせ、ということにしたのですが5時ちょっと前に着いたら結構すでに人が入ってて(まだピアノのチューニングしてる段階なのに)。場所取りをしているうちに仲間が集まって、チーズやワインやTurkish breadで長いこと楽しんでいました。
周りは家族連れだったり(小さい子供は丘にころころ遊ばせとけるので)、老夫婦、友達でわらわら集まってる人たちもいれば若いカップルもいて。コンサートが始まるころには席も丘も人でいっぱい!
このミニコンサートシリーズ4つのうち今日を含めた最初の3つはメル響の首席客演指揮者である尾高忠明さん(コンサート前のナレーションでMr OtakaでなくOtaka-sanと呼ばれていました)が指揮しています。
プログラムは:
モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 (ソリスト:Clemens Leskeというオーストラリアのピアニストです)
マーラー 交響曲第5番
でした。
モーツァルトの第1楽章、第2楽章はものすごく有名な曲ですね。
上品で、でもメリハリがものすごくあって、エネルギーがぎゅっと丸く詰まっている、遊び心もちゃんとある演奏でした。第1楽章のカデンツァは奏者が作ったものだったかな?モーツァルトのコンチェルトだったらベートーヴェンが作ったカデンツァが有名ですがベートーヴェンっぽくなかったので。
第3楽章のロンドは横のほうで丘を転がりまわってる子供たちの遊ぶ姿がものすごくフィット(笑)
いろんな曲のロンドにそういう性格がありますよね、モーツァルトって。
マーラー5番をこういったカジュアルなコンサート(それもアンプつき)でやる、というのはなかなか新鮮な試みながら、同時になかなか難しいと思います。(ただこういう場で普段よりもいろいろな人にこの交響曲の中の名曲を聞いてもらえる、というのはうれしいですね)
なんていっても1時間強もある交響曲、しかもそれぞれの楽章(そして特に第3楽章!)が長いですし、かなりシリアスな雰囲気なので聴衆をひきつけておくのがものすごく難しい。
それを考慮してか尾高さんはこの交響曲を軽め、速めにセットしてました。ただちょっとやっぱりオケのアンサンブル的には裏目にでてたところもありました(結構みんな弾いてる曲なのでこっちモードに調整するのは難しいと思います)。
それにしても金管の元気なこと!トランペットとホルン、それぞれのリーダーがさまざまな場面で活躍しますがたまらなくしびれましたね!よく知ってる曲ですが「こここんなにトランペットが前にでてるとこだった?」と新鮮な驚きもありました。
そして第4楽章のハープ!アンプで増幅されているのがこんなところで思わぬ魅力を生み出すんですよ。
メル響のハープ奏者の方とは何回か隣で弾かせていただいてるのですが、その距離でも聞こえなかったたくさんの余韻がスピーカーを通じてものすごい伝わって来て。ものすごく贅沢な気持ちでした。またご一緒させていただきたいです。
そして尾高さんのこの曲の解釈で一番光った!と思ったのは第3楽章の迷路の中のスローなウィンナーワルツのセクション。すごいセンス!と思って心わしづかみにされました。ものすごくウィーン風で、どこか心地よくてでもどこか非現実的で・・・マーラー5番じっくりバージョンのときに改めて味わいたいです。
そしてかなり遠いながらもオケ観察も楽しませていただきました。ホルンのベルアップが結構な頻度ででていたり、他にも楽器を弾いたり指揮者に注目を集めたり、ページをめくったりとオケに入ってる間は何気ないことでも本当に愛しいのと好奇心と自分の創作の糧にしたいので見てしまいます。
演奏ももちろんですがそういう意味でもまたオケに戻りたいな、と思います。
それにしても楽しかったですね。たまにはピクニックしながらいい演奏を聴くのも良いです♪
マーラーの5番は前も書きましたがディープな音楽オタク友達の調査では「偉大な交響曲」として票を集めていましたし、そして私にとっては初めて全楽章弾いた交響曲です。
そしてふと思ったんですが自分は音楽環境的には(小さいときに聴いたり、ユースオケで弾いたり)贅沢なものを与えられて育ったな、と。
ストラヴィンスキー、レスピーギ、マーラーやベルリオーズの楽器による色彩、バルトークのリズム、ショスタコーヴィチのパワー、本当に一級品ばかり。
父と母、そしてメルボルンの音楽環境には本当に感謝しています。
残念ながら残りの無料コンサートにはいけそうにないのですが、本シリーズのチケットを早く予約したいです。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第3楽章
マーラー5番をユースオケで弾いてからもうはや11年になろうとしています。
ユースオケはリハーサルが多いのでみっちりやりましたし、その後何回も聴いている曲で・・・
でもこの第3楽章だけはまだ心にぴったり来ていないような気がします。
マーラーのスケルツォについてはこのブログで交響曲第2番、第6番、第7番と扱っているようなのですが、このスケルツォはなんだか違う。
それ以前にまず交響曲っていうのは通常一番最初、または一番最後の楽章が長いのですが、この交響曲の場合シリアスな楽章の間の軽い息抜き的な役割のはずのスケルツォが一番長かったりするんですよね(もちろん録音にもよるかもしれませんが・・)。
それだけですでに奇怪。
そしてもっと奇怪なのはこの曲の構成。ころころとどんどん景色が変わっていって、すぐ元いたところから似てもつかない土地にいたり。まるで走馬灯を普通スピードにした?うーん、たとえが悪いかな。
本当に先の見えない、長い長いミステリーツアー。しかもこの世の旅ではなく、どこかsurrealで非合理な(もちろん意図してのこと)長い夢のよう。
なので最初聞いたときはむしろ不安になるくらい。
でもそんな中で輝くのが地に足がついたホルンの音。ホルンはこの楽章では本当に主人公。
私がこの楽章で好きなのが4人のホルンがまるで呼び合うように音を重ねる部分。ホルンの威力、というものがびっくりするほど伝わって。
本当に不思議な曲なのはその迷路のような、snakes and laddersな旅だけではなく、この曲により沸き起こる感情。
それは先の見えない不安だったり、戸惑いだったり、反面ホルンの音からの明るさだったり、誇らしさだったり希望だったり・・・同時に夢で見たような、どこか遠い過去においてきたような不思議な懐かしさや恋しさもあったり・・・
音楽も割と複雑ですが、感じられるものもいろんな感情が混ざり合っていて、本当に複雑。
自分がこの曲を自分の一部と思えるくらい近く感じられることがこれからあるのかは分かりませんが、なんにしてもいつだって唯一無二の旅に連れてってくれる、不思議で愛しい曲です。
長いからといって敬遠せずに、まずはホルンの音色を楽しみに聞いて欲しい一曲です♪
ちょっと文がせわしなくなったらすみません(汗)
昨日はコンサートに友達と行ってきました!私にとって今年初コンサートで、確かメル響も今年初コンサートのはず。
2月上旬のコンサートは毎年Sidney Myer Bowlという屋外ロケーションでの無料コンサート(4つのコンサートからなるミニシリーズです)。1万人収容ということになってるんですが、前のほうはコンサートの観覧席になっていて、その後ろは丘をそのまま使ったピクニックエリアになっています。そしてコンサートホールよりも遠くに聴衆が広がるのでアンプ・スピーカー完備。
そちらではみんなシートや折りたたみ椅子を持ち寄って、ワインや食べ物を楽しみながらコンサートが聞けます。
ちなみにこのミニコンサートシリーズはSidney Myer Bowlが名づけられた元のSidney Myerという人によって実現された年一の無料コンサートが元になっていて、52年の歴史があるそうで。
さらにこのSidney Myer Bowlがある土地はもともと先住民のKoori族の土地だったそうで、コンサート前のナレーションでそれを認識するのがしきたり(?)となっているようです。
一応7時開演、ということで5時ぐらいに待ち合わせ、ということにしたのですが5時ちょっと前に着いたら結構すでに人が入ってて(まだピアノのチューニングしてる段階なのに)。場所取りをしているうちに仲間が集まって、チーズやワインやTurkish breadで長いこと楽しんでいました。
周りは家族連れだったり(小さい子供は丘にころころ遊ばせとけるので)、老夫婦、友達でわらわら集まってる人たちもいれば若いカップルもいて。コンサートが始まるころには席も丘も人でいっぱい!
このミニコンサートシリーズ4つのうち今日を含めた最初の3つはメル響の首席客演指揮者である尾高忠明さん(コンサート前のナレーションでMr OtakaでなくOtaka-sanと呼ばれていました)が指揮しています。
プログラムは:
モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 (ソリスト:Clemens Leskeというオーストラリアのピアニストです)
マーラー 交響曲第5番
でした。
モーツァルトの第1楽章、第2楽章はものすごく有名な曲ですね。
上品で、でもメリハリがものすごくあって、エネルギーがぎゅっと丸く詰まっている、遊び心もちゃんとある演奏でした。第1楽章のカデンツァは奏者が作ったものだったかな?モーツァルトのコンチェルトだったらベートーヴェンが作ったカデンツァが有名ですがベートーヴェンっぽくなかったので。
第3楽章のロンドは横のほうで丘を転がりまわってる子供たちの遊ぶ姿がものすごくフィット(笑)
いろんな曲のロンドにそういう性格がありますよね、モーツァルトって。
マーラー5番をこういったカジュアルなコンサート(それもアンプつき)でやる、というのはなかなか新鮮な試みながら、同時になかなか難しいと思います。(ただこういう場で普段よりもいろいろな人にこの交響曲の中の名曲を聞いてもらえる、というのはうれしいですね)
なんていっても1時間強もある交響曲、しかもそれぞれの楽章(そして特に第3楽章!)が長いですし、かなりシリアスな雰囲気なので聴衆をひきつけておくのがものすごく難しい。
それを考慮してか尾高さんはこの交響曲を軽め、速めにセットしてました。ただちょっとやっぱりオケのアンサンブル的には裏目にでてたところもありました(結構みんな弾いてる曲なのでこっちモードに調整するのは難しいと思います)。
それにしても金管の元気なこと!トランペットとホルン、それぞれのリーダーがさまざまな場面で活躍しますがたまらなくしびれましたね!よく知ってる曲ですが「こここんなにトランペットが前にでてるとこだった?」と新鮮な驚きもありました。
そして第4楽章のハープ!アンプで増幅されているのがこんなところで思わぬ魅力を生み出すんですよ。
メル響のハープ奏者の方とは何回か隣で弾かせていただいてるのですが、その距離でも聞こえなかったたくさんの余韻がスピーカーを通じてものすごい伝わって来て。ものすごく贅沢な気持ちでした。またご一緒させていただきたいです。
そして尾高さんのこの曲の解釈で一番光った!と思ったのは第3楽章の迷路の中のスローなウィンナーワルツのセクション。すごいセンス!と思って心わしづかみにされました。ものすごくウィーン風で、どこか心地よくてでもどこか非現実的で・・・マーラー5番じっくりバージョンのときに改めて味わいたいです。
そしてかなり遠いながらもオケ観察も楽しませていただきました。ホルンのベルアップが結構な頻度ででていたり、他にも楽器を弾いたり指揮者に注目を集めたり、ページをめくったりとオケに入ってる間は何気ないことでも本当に愛しいのと好奇心と自分の創作の糧にしたいので見てしまいます。
演奏ももちろんですがそういう意味でもまたオケに戻りたいな、と思います。
それにしても楽しかったですね。たまにはピクニックしながらいい演奏を聴くのも良いです♪
マーラーの5番は前も書きましたがディープな音楽オタク友達の調査では「偉大な交響曲」として票を集めていましたし、そして私にとっては初めて全楽章弾いた交響曲です。
そしてふと思ったんですが自分は音楽環境的には(小さいときに聴いたり、ユースオケで弾いたり)贅沢なものを与えられて育ったな、と。
ストラヴィンスキー、レスピーギ、マーラーやベルリオーズの楽器による色彩、バルトークのリズム、ショスタコーヴィチのパワー、本当に一級品ばかり。
父と母、そしてメルボルンの音楽環境には本当に感謝しています。
残念ながら残りの無料コンサートにはいけそうにないのですが、本シリーズのチケットを早く予約したいです。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第3楽章
マーラー5番をユースオケで弾いてからもうはや11年になろうとしています。
ユースオケはリハーサルが多いのでみっちりやりましたし、その後何回も聴いている曲で・・・
でもこの第3楽章だけはまだ心にぴったり来ていないような気がします。
マーラーのスケルツォについてはこのブログで交響曲第2番、第6番、第7番と扱っているようなのですが、このスケルツォはなんだか違う。
それ以前にまず交響曲っていうのは通常一番最初、または一番最後の楽章が長いのですが、この交響曲の場合シリアスな楽章の間の軽い息抜き的な役割のはずのスケルツォが一番長かったりするんですよね(もちろん録音にもよるかもしれませんが・・)。
それだけですでに奇怪。
そしてもっと奇怪なのはこの曲の構成。ころころとどんどん景色が変わっていって、すぐ元いたところから似てもつかない土地にいたり。まるで走馬灯を普通スピードにした?うーん、たとえが悪いかな。
本当に先の見えない、長い長いミステリーツアー。しかもこの世の旅ではなく、どこかsurrealで非合理な(もちろん意図してのこと)長い夢のよう。
なので最初聞いたときはむしろ不安になるくらい。
でもそんな中で輝くのが地に足がついたホルンの音。ホルンはこの楽章では本当に主人公。
私がこの楽章で好きなのが4人のホルンがまるで呼び合うように音を重ねる部分。ホルンの威力、というものがびっくりするほど伝わって。
本当に不思議な曲なのはその迷路のような、snakes and laddersな旅だけではなく、この曲により沸き起こる感情。
それは先の見えない不安だったり、戸惑いだったり、反面ホルンの音からの明るさだったり、誇らしさだったり希望だったり・・・同時に夢で見たような、どこか遠い過去においてきたような不思議な懐かしさや恋しさもあったり・・・
音楽も割と複雑ですが、感じられるものもいろんな感情が混ざり合っていて、本当に複雑。
自分がこの曲を自分の一部と思えるくらい近く感じられることがこれからあるのかは分かりませんが、なんにしてもいつだって唯一無二の旅に連れてってくれる、不思議で愛しい曲です。
長いからといって敬遠せずに、まずはホルンの音色を楽しみに聞いて欲しい一曲です♪
