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先ほどブログ書き終わり近くで全部消えました!
痛恨のミス!
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
オーボエの話をしたいんですよ。
一応2年ちょっと吹いてた経験があります。学校で5年生はトランペット・クラリネット・オーボエ・打楽器をローテーションで試して、6年生で一つ決めて一年続ける、というプログラムがありまして。中学校でもちょっと吹奏楽やってました。ただビギナーなので市販のリードをそのまま使ってました(詳しいことは後ほど)。
結局チェロとピアノがあってちゃんとレッスンはできなかったこと、そして口内炎体質がしんどかったのでやまることになったのですが・・・
オーボエというのはギネスブックに載るほど難しい楽器で。
音を出すのにちょっとコツが要るのと、あと美しい音を出すのがものすごく難しいのです。
あと身体的にもしんどい楽器で・・・二つのリードを合わせたマウスピースに息を吹き込むのですが、リードは幅5mmほど、隙間は1mmほどという無茶も甚だしいほど小さい隙間に息を吹き込むので口の中に空気が余った状態になるし、かなりの圧がかかります。
オーボエを吹く人は禿げる、というのもそういうところから来てるのかしら。
そもそもオーボエの前身となった楽器はものすごく古くて、古代ギリシャの葦笛がそれではないかと言われています。アテナが作って吹いていたところを他の女神が見て、ふくれっつらをからかったという神話がありますからオーボエに近そうですね。
(ちなみにそのあとアテナは葦笛を捨てて拾った人が災いに見舞われるように呪いをかけたらしいですよ(汗))
オーボエは本当に感情が凝縮した、濃くて豊かな音を出します。
例えばチャイコフスキーの「白鳥の湖」ではバレエの最初から最後までオーボエが出ずっぱり!
オーボエのソロはスポットライト独り占め、独擅場みたいなセッティングが多いです。一人芝居は得意なので。
独特の音色と独特の感性や表現は「芸術家」!という感じがします。(そして同時に理論的よりは感情的な性質が多いと思います)
逆にこれまでも言ったようにオーボエの苦手分野はたくさんあります。
音域が狭かったり、強弱の「弱」が狭いため伴奏が苦手だったり、音色の独特さのため他の楽器との協調が比較的苦手だったり、20世紀のレパートリーであんまり重宝されてなかったり・・・
だからこそ得意分野のソロでものすごく全力投球でいきますし、上記コンプレックスに触れられるのはあんまり好きでない、という特徴が見られます。
主張は強い楽器です。音量もそうですし,ソロの表れ方もそうですし(みんながどいてくれる)、音色の感情の強さもあり。オケの木管セクション、そして木管五重奏では仕切り役に回ることが多いです。
そしてオケのチューニングにオーボエが基準として使われることを忘れてはいけません。理由はもちろん音程が一番安定しているから、なのですが要するに「みんなが合わせてくれることが普通」という楽器なのです。なかなか道を譲ることが難しい。
(ただ主張が強いからといって大胆ではなく、むしろ小心者に近いはず・・・)
オーボエは難しく、美しく奏でるのが難しい楽器だからこそ、奏者はまじめで一途で努力家、というイメージがあります。
自分の進む道に物凄くこだわって、強い向上心で楽器のmasteryを目指す、その集中したintensityは他の楽器とはちょっと別の世界にあるような気もします。
さらにオーボエではリードが物凄く重要で・・・市販のリードを自分で削って自分に合うように、美しい音色を出すように作り替えていくのです。その作業が本当に細かくて、ちょっとしたミスが音色に大きく響くこともあるそうで・・・オーボエ奏者になるにはそうとうな神経質さ、完璧主義、そしてなによりも「職人気質」を通り越してしまいそうなこだわりがつきものといえるでしょう。
そしてちょっと穿った解釈になりますが苦しい、難しいのを逆に楽しんでいる、そして難しいのを克服していく自分が好きというMっ気+ナルシスト気質もちょっぴりあるのでは、と。
そして「ムキになる」というのもオーボエという楽器から連想する特徴でしょうか。その吹くときの体制(優雅なフルート、飄々としたクラリネット、とぼけたようなファゴットと比べるとかなりテンションが違います)や顔、そしてソロにかける意気込みの度合いなど全力投球=ムキになる、というつながりがあるような。
でもムキにならないと吹けないし、上手くならない楽器だと思います。
なかなか強烈なキャラクターで、オケの中で独特な色彩を放っているオーボエ。
私が影響を受けている茂木大輔さんの楽器人間学関連の様々な本では彼がオーボエ奏者であることもあり、結構オーボエの話が出ています。そちらもものすごくオススメです!
今日の一曲: Ross Edwards 「Ulpirra」
Australian Music Centreの試聴・録音
20世紀以降オーボエは比較的重用されないようになってきた傾向があるようですが、オーストラリアではDiana Dohertyという素晴らしいオーボエ奏者の存在もあり、いろいろなオーボエのための曲が書かれているようです。
この曲は実はオーボエのための、ではなくフルートなりアルトサックスなりソプラノリコーダーなり、とにかく高音の木管楽器(無伴奏)のために書かれている曲。
(試聴のページではアルトサックス版が聴けます)
ただこの曲の魅力はオーボエの音色だとレベルアップするので個人的にはオーボエをプッシュ。
またいつものエドワーズ節・・・といいますか。
くるくる変わる変拍子に跳ねるようなリズム、踊るようなフレーズ。
他の曲と似てるのは分かっててもやっぱり魅力的で、わくわくで、オーストラリアを感じる曲調。
このリズムだったりフレージングの良さを高めるのがオーボエの凝縮された、メリハリのある音だと思っています。
オーボエで聴いてるとクラムの「古の子供の声」にものすごく通じるものを感じます。乾いた大地、古代の踊りや儀式の雰囲気、エキゾチックな風・・・
そしてこの曲で一番楽しみにしてるのが一番最後のところ。
奏者が楽器を持ったまま腕を上に力強く伸ばして、シャウトとともに足を踏みならす。
これもまた古のいろいろを思わせて、どこかくすぐったい(同じくシャウトが入ってる曲を弾く身としてはちょっと恥ずかしいだろうな~という気持ちもあるのかも)。
短い曲ながらも可愛い+土臭い不思議な魅力のある音楽です。
痛恨のミス!
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
オーボエの話をしたいんですよ。
一応2年ちょっと吹いてた経験があります。学校で5年生はトランペット・クラリネット・オーボエ・打楽器をローテーションで試して、6年生で一つ決めて一年続ける、というプログラムがありまして。中学校でもちょっと吹奏楽やってました。ただビギナーなので市販のリードをそのまま使ってました(詳しいことは後ほど)。
結局チェロとピアノがあってちゃんとレッスンはできなかったこと、そして口内炎体質がしんどかったのでやまることになったのですが・・・
オーボエというのはギネスブックに載るほど難しい楽器で。
音を出すのにちょっとコツが要るのと、あと美しい音を出すのがものすごく難しいのです。
あと身体的にもしんどい楽器で・・・二つのリードを合わせたマウスピースに息を吹き込むのですが、リードは幅5mmほど、隙間は1mmほどという無茶も甚だしいほど小さい隙間に息を吹き込むので口の中に空気が余った状態になるし、かなりの圧がかかります。
オーボエを吹く人は禿げる、というのもそういうところから来てるのかしら。
そもそもオーボエの前身となった楽器はものすごく古くて、古代ギリシャの葦笛がそれではないかと言われています。アテナが作って吹いていたところを他の女神が見て、ふくれっつらをからかったという神話がありますからオーボエに近そうですね。
(ちなみにそのあとアテナは葦笛を捨てて拾った人が災いに見舞われるように呪いをかけたらしいですよ(汗))
オーボエは本当に感情が凝縮した、濃くて豊かな音を出します。
例えばチャイコフスキーの「白鳥の湖」ではバレエの最初から最後までオーボエが出ずっぱり!
オーボエのソロはスポットライト独り占め、独擅場みたいなセッティングが多いです。一人芝居は得意なので。
独特の音色と独特の感性や表現は「芸術家」!という感じがします。(そして同時に理論的よりは感情的な性質が多いと思います)
逆にこれまでも言ったようにオーボエの苦手分野はたくさんあります。
音域が狭かったり、強弱の「弱」が狭いため伴奏が苦手だったり、音色の独特さのため他の楽器との協調が比較的苦手だったり、20世紀のレパートリーであんまり重宝されてなかったり・・・
だからこそ得意分野のソロでものすごく全力投球でいきますし、上記コンプレックスに触れられるのはあんまり好きでない、という特徴が見られます。
主張は強い楽器です。音量もそうですし,ソロの表れ方もそうですし(みんながどいてくれる)、音色の感情の強さもあり。オケの木管セクション、そして木管五重奏では仕切り役に回ることが多いです。
そしてオケのチューニングにオーボエが基準として使われることを忘れてはいけません。理由はもちろん音程が一番安定しているから、なのですが要するに「みんなが合わせてくれることが普通」という楽器なのです。なかなか道を譲ることが難しい。
(ただ主張が強いからといって大胆ではなく、むしろ小心者に近いはず・・・)
オーボエは難しく、美しく奏でるのが難しい楽器だからこそ、奏者はまじめで一途で努力家、というイメージがあります。
自分の進む道に物凄くこだわって、強い向上心で楽器のmasteryを目指す、その集中したintensityは他の楽器とはちょっと別の世界にあるような気もします。
さらにオーボエではリードが物凄く重要で・・・市販のリードを自分で削って自分に合うように、美しい音色を出すように作り替えていくのです。その作業が本当に細かくて、ちょっとしたミスが音色に大きく響くこともあるそうで・・・オーボエ奏者になるにはそうとうな神経質さ、完璧主義、そしてなによりも「職人気質」を通り越してしまいそうなこだわりがつきものといえるでしょう。
そしてちょっと穿った解釈になりますが苦しい、難しいのを逆に楽しんでいる、そして難しいのを克服していく自分が好きというMっ気+ナルシスト気質もちょっぴりあるのでは、と。
そして「ムキになる」というのもオーボエという楽器から連想する特徴でしょうか。その吹くときの体制(優雅なフルート、飄々としたクラリネット、とぼけたようなファゴットと比べるとかなりテンションが違います)や顔、そしてソロにかける意気込みの度合いなど全力投球=ムキになる、というつながりがあるような。
でもムキにならないと吹けないし、上手くならない楽器だと思います。
なかなか強烈なキャラクターで、オケの中で独特な色彩を放っているオーボエ。
私が影響を受けている茂木大輔さんの楽器人間学関連の様々な本では彼がオーボエ奏者であることもあり、結構オーボエの話が出ています。そちらもものすごくオススメです!
今日の一曲: Ross Edwards 「Ulpirra」
Australian Music Centreの試聴・録音
20世紀以降オーボエは比較的重用されないようになってきた傾向があるようですが、オーストラリアではDiana Dohertyという素晴らしいオーボエ奏者の存在もあり、いろいろなオーボエのための曲が書かれているようです。
この曲は実はオーボエのための、ではなくフルートなりアルトサックスなりソプラノリコーダーなり、とにかく高音の木管楽器(無伴奏)のために書かれている曲。
(試聴のページではアルトサックス版が聴けます)
ただこの曲の魅力はオーボエの音色だとレベルアップするので個人的にはオーボエをプッシュ。
またいつものエドワーズ節・・・といいますか。
くるくる変わる変拍子に跳ねるようなリズム、踊るようなフレーズ。
他の曲と似てるのは分かっててもやっぱり魅力的で、わくわくで、オーストラリアを感じる曲調。
このリズムだったりフレージングの良さを高めるのがオーボエの凝縮された、メリハリのある音だと思っています。
オーボエで聴いてるとクラムの「古の子供の声」にものすごく通じるものを感じます。乾いた大地、古代の踊りや儀式の雰囲気、エキゾチックな風・・・
そしてこの曲で一番楽しみにしてるのが一番最後のところ。
奏者が楽器を持ったまま腕を上に力強く伸ばして、シャウトとともに足を踏みならす。
これもまた古のいろいろを思わせて、どこかくすぐったい(同じくシャウトが入ってる曲を弾く身としてはちょっと恥ずかしいだろうな~という気持ちもあるのかも)。
短い曲ながらも可愛い+土臭い不思議な魅力のある音楽です。
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本題に入る前にちょっとopen-ended questionを。
今日の一曲: アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第9番「黒ミサ」
今日もちょっとご無沙汰の曲。そのうち弾くかも、と思うからそれまでにしよう、という流れでご無沙汰に・・・?
「黒ミサ」。名前ほどおどろおどろしくないですし、実は噂されているほど難しくなかった覚えがあります(初見でしたが)。
スクリャービンが神秘主義に傾倒していたことは有名ですが、何にしても厳密に調べて原理などに従う人ではなくて、なんとなーく雰囲気と自分の曲解で、主に自分の言いたいことを表現する人なのであんまり中世の黒ミサをイメージしない方が良いと思われます。
スクリャービンは変な人で。
最初はショパンっぽい曲を書いて、だんだんどっか道を外れて自分の不可解な世界に入っていっちゃった人。
共感覚があったとも言われていますが、そうではないと言われたり。でも弾くとスクリーンに色が映るピアノを発明したり、嗅覚もいれてみよう、とか言い出したり。
格言関係で彼の言葉をしらべてみると「自分は神だ!」とか延々と言ってるのが引っかかったり、いろんなところがぶっとんだ人です。
音楽史的にも影響され・影響しの系図で位置が難しい人。
だから割とスクリャービンの中~後期の作品はなじみにくい感じがします。独特すぎて。スクリャービン専門、というピアニストも極めて少ないです(ホロヴィッツしかぱっと浮かびません)。
でも好きな曲もたくさんあります。この黒ミサもその一つで。
わりとおとなしめ・・・というかロマン派の流れも引いている、ピアノ曲だなあ、という感じも強いですし。
多少ミステリアスで神秘的で、ちょっと背徳的な雰囲気はあります。不思議な暗さと、不思議な熱情と。
必ずしも最初から一目惚れ、とは行かないですがある意味魅力的な曲ですよ。
音楽を演奏しているとき、音楽を聴いているとき・・・あなたが感じている感情は誰のものでしょうかねえ?
(作曲家or演奏家or聞いている場合聴き手、もちろん混合しているのが前提ですが・・・)
2月2日の夕方にメルボルン大学で開かれた公開レクチャーに行ってきました。
Australian Music Psychology Society、そして去年メルボルン大学の音楽科と心理学科の提携研究施設として設立されたCentre of Music, Mind and Wellbeingによるレクチャーで、音楽と心についてのレクチャーシリーズの第1弾だったそうです。
Centre of Music, Mind~に関してはいろいろあるのですがまた別の機会に。
ゲストスピーカーはオーストリアのグラーツ大学で音楽以外の分野にまたがる音楽の研究をしているRichard Parncuttさん。音楽だけでなく、物理学の人でもあって、そこからまた心理学に足を伸ばして研究をしているそうで。
(ちなみにグラーツ大学はメルボルン大学の音楽科と交換留学プログラムを組んでいるので学費は余計に払わず留学できる・・・ということで私の友達も何人か向こうに行ったことがあります)
(ちなみにグラーツ大学はメルボルン大学の音楽科と交換留学プログラムを組んでいるので学費は余計に払わず留学できる・・・ということで私の友達も何人か向こうに行ったことがあります)
今回のレクチャーのトピックは「音楽の起源についての説」で、生物学だったり進化、発達学など広い範囲にわたる話でした。
まずは音楽と言語に共通するエレメント、相違するエレメントを検討することで「音楽」といったものはどういったものか定義して、音楽の起源についてちょっと一般的な基本情報を出して・・・
それからどんな説が「良い説」なのか、という前置きをちょっとした上で今唱えられている「音楽の起源」についての諸説を評価、比較していくという構成でした。
まず前半の「音楽と言語」についての感想。
音楽と言語の共通点としてどちらも「意識的に意図して行う行動」ということが挙げられていたのですが、その中で音楽は人の感情を操作することができるけれどわざわざお金を払ってまで自分の感情を操作されに行くってのも考えてみるとコミカルな行動だね、という話があったのがなんとなくツボでした。たしかに冷静に考えてみるとおかしい(笑)
そして言葉は主に日常的な題材や感情を表現する方法で、音楽は非日常を表現する方法、という話が面白いです。
いつもこのブログで曲の良さを表現するのが難しいのが自分の力不足じゃなくてちょっと安心したのももちろんありますが(!)、以前のチェロの先生が言ってました(そして私が座右の銘に近い感じで大事にしている)「音楽家としての一番の仕事は聴き手が今日行ったことがないところに連れて行くところだ」という言葉と繋がることがあってあらためて音楽による表現に対する思いが強まりました。
後半の音楽の源の話は主に今はダーウィンによる「異性を惹きつける目的の行動」が有力な説となっているけれど、スピーカーとしては「Motherese(赤ちゃん言葉)」に一つの源があるのではないか、という説をプッシュしていました。
他のたくさんの説と同じく(トピックの性質からして仕方がないことなのですが)結構曖昧なところはあるのですが・・・
まず人間の脳の発達と共に早く生まれる必要があり、子供の保護のためより繊細な母子コミュニケーションが必要になった結果生まれたのが赤ちゃん言葉、という話から始まって赤ちゃん言葉と音楽の共通点(メロディー的なエレメント、感情の凝縮、言葉でなく声のトーンや込められた感情などでのコミュニケーション)だったり、ちょっと詳しくは聴けなかったのですが音楽の儀式的な性質とも繋がりがあるそうで。
そしてその一連の流れの中で「乳児はどれくらい音楽のエレメントを脳で処理できるのか」という話がありまして。メロディーの形、相対的なリズム・音程、調性やリズムの変化なども生まれつき分かるそうで。
(乳児はちなみに親の話す言語と同じレベルで他の言語も脳内処理できるそうなので、本当にすごいんですよ)
だったら本当に民族音楽なりバロックなりロマン派なり現代音楽なり色々な種類の音楽を聴かせて育てた方がいいんじゃないか、と自分の持論をぼんやり。
あ、そしてモーツァルト効果の話がちょろっと出ました。「効果は実証されていない」とのニュースを初めて読んだときオーストリアの大学での研究により・・・と読んだのですが、同じくオーストリアの大学からの今回のスピーカーも「効果はどの試験でも実証されていない」と言ってました。やっぱりこう、赤ちゃんと音楽の話が出ると話にのぼるトピックですね。
先ほど言いましたようにトピックの曖昧さもあってちょっとすっきりしない部分もありましたが、赤ちゃん言葉と音楽の繋がりについてはまだ認められていない説だからこそこれからの研究によって何が分かるか楽しみです。
そして言葉は主に日常的な題材や感情を表現する方法で、音楽は非日常を表現する方法、という話が面白いです。
いつもこのブログで曲の良さを表現するのが難しいのが自分の力不足じゃなくてちょっと安心したのももちろんありますが(!)、以前のチェロの先生が言ってました(そして私が座右の銘に近い感じで大事にしている)「音楽家としての一番の仕事は聴き手が今日行ったことがないところに連れて行くところだ」という言葉と繋がることがあってあらためて音楽による表現に対する思いが強まりました。
後半の音楽の源の話は主に今はダーウィンによる「異性を惹きつける目的の行動」が有力な説となっているけれど、スピーカーとしては「Motherese(赤ちゃん言葉)」に一つの源があるのではないか、という説をプッシュしていました。
他のたくさんの説と同じく(トピックの性質からして仕方がないことなのですが)結構曖昧なところはあるのですが・・・
まず人間の脳の発達と共に早く生まれる必要があり、子供の保護のためより繊細な母子コミュニケーションが必要になった結果生まれたのが赤ちゃん言葉、という話から始まって赤ちゃん言葉と音楽の共通点(メロディー的なエレメント、感情の凝縮、言葉でなく声のトーンや込められた感情などでのコミュニケーション)だったり、ちょっと詳しくは聴けなかったのですが音楽の儀式的な性質とも繋がりがあるそうで。
そしてその一連の流れの中で「乳児はどれくらい音楽のエレメントを脳で処理できるのか」という話がありまして。メロディーの形、相対的なリズム・音程、調性やリズムの変化なども生まれつき分かるそうで。
(乳児はちなみに親の話す言語と同じレベルで他の言語も脳内処理できるそうなので、本当にすごいんですよ)
だったら本当に民族音楽なりバロックなりロマン派なり現代音楽なり色々な種類の音楽を聴かせて育てた方がいいんじゃないか、と自分の持論をぼんやり。
あ、そしてモーツァルト効果の話がちょろっと出ました。「効果は実証されていない」とのニュースを初めて読んだときオーストリアの大学での研究により・・・と読んだのですが、同じくオーストリアの大学からの今回のスピーカーも「効果はどの試験でも実証されていない」と言ってました。やっぱりこう、赤ちゃんと音楽の話が出ると話にのぼるトピックですね。
先ほど言いましたようにトピックの曖昧さもあってちょっとすっきりしない部分もありましたが、赤ちゃん言葉と音楽の繋がりについてはまだ認められていない説だからこそこれからの研究によって何が分かるか楽しみです。
今日の一曲: アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第9番「黒ミサ」
今日もちょっとご無沙汰の曲。そのうち弾くかも、と思うからそれまでにしよう、という流れでご無沙汰に・・・?
「黒ミサ」。名前ほどおどろおどろしくないですし、実は噂されているほど難しくなかった覚えがあります(初見でしたが)。
スクリャービンが神秘主義に傾倒していたことは有名ですが、何にしても厳密に調べて原理などに従う人ではなくて、なんとなーく雰囲気と自分の曲解で、主に自分の言いたいことを表現する人なのであんまり中世の黒ミサをイメージしない方が良いと思われます。
スクリャービンは変な人で。
最初はショパンっぽい曲を書いて、だんだんどっか道を外れて自分の不可解な世界に入っていっちゃった人。
共感覚があったとも言われていますが、そうではないと言われたり。でも弾くとスクリーンに色が映るピアノを発明したり、嗅覚もいれてみよう、とか言い出したり。
格言関係で彼の言葉をしらべてみると「自分は神だ!」とか延々と言ってるのが引っかかったり、いろんなところがぶっとんだ人です。
音楽史的にも影響され・影響しの系図で位置が難しい人。
だから割とスクリャービンの中~後期の作品はなじみにくい感じがします。独特すぎて。スクリャービン専門、というピアニストも極めて少ないです(ホロヴィッツしかぱっと浮かびません)。
でも好きな曲もたくさんあります。この黒ミサもその一つで。
わりとおとなしめ・・・というかロマン派の流れも引いている、ピアノ曲だなあ、という感じも強いですし。
多少ミステリアスで神秘的で、ちょっと背徳的な雰囲気はあります。不思議な暗さと、不思議な熱情と。
必ずしも最初から一目惚れ、とは行かないですがある意味魅力的な曲ですよ。
先ほどメル響のオーディション担当の方にカジュアルプレイヤーのオーディションのための履歴書を送付しました。
最初のチェレスタ有りコンサートが3月なのでオーディション受けれることを指をクロスして願っています!
そうはいってもちょっと練習が上手くいかないんですよね。
気持ちがはやったり、思考がぐるぐるしたり、慌ただしくなったりで、集中力も散漫としますし、弾くテンポも若干上がってしまったり。
微妙にいそがしいのもありますが、暑さで気持ちが引き上げられているのもあって・・・
結構音楽に打ちこむのはできる方だと思ってたんですけど、自分が思ったより弱いことが分かってかなり悔しいです。(もちろん練習室と家のリビングでは環境による気の入りようのレベルは違いますが・・・)
よくプレイするゲームにADOMというローグライクスタイルのRPGがあるのですが、その中に出てくるDrakelingという種族に似てるんですよね、私の精神と気候の関係は。
Drakelingは簡単に言えばトカゲ人間で、冷血動物の性質が入ってるため暖かいところでは代謝と共にスピードが上がり、さらに暑すぎるとそれが裏目に出てダメージを受ける、という性質を持ち、逆に寒いところではスピードが下がって動きが鈍くなる、という・・・
病気としての双極性は薬である程度コントロールしてるので、私自身も色々な精神状態でもピアノが弾けて、練習できるよう状態を整えなきゃな、と思います。
自分が思うには、自分には何よりも音楽が効くと思うので練習する曲の順番を変えて最初に気持ちを落ち着けるようはかってみたり、心を落ち着けるような曲を増やしてみたりという対策などをとりながらピアノ精神を鍛え直してみたいと思います。
そして今日は音楽と心についてのレクチャーに行ってきました。
感想はまた後ほど。今回は話が進むのがかなり早かったのでメモの解読に苦戦するかも?
トピックは「音楽の起源」に関する様々な説についてでした。音楽と心、というよりは音楽中心なのですが、言語だったり、発達学だったり、いろんな学問の分野の話を取り入れた研究で。
ものすごく色々なことが曖昧で、すっきりしないこと、ちょっと弱いかな、と思う説や理論もあったのですが、とっても面白かったです。
スピーカーの人はオーストリアのグラーツ大学(メルボルン大学と交換プログラムを結んでいる大学なので、何人か友達も向こうに留学しています)からのゲストだったのですが、向こうでは「Interdisciplinary Music Studies」というような、音楽を他の学問の分野(心理学など)と交え研究するコースらしく。
そしてメルボルン大学にも音楽科と心理学科の提携研究体制ができたらしくて・・・
私が物凄く興味深い、もしかしたら目指したいエリアが勉強できる道が見えてきて、さらに気持ちがエキサイトしております。これから色々道を探ってみたいです。
今日の一曲: パウル・ヒンデミット トランペットソナタ 第3楽章(最終楽章)
ヒンデミットはまだあんまり紹介できてませんね~好きな作曲家ではあるのですが、知ってる曲に随分と偏りがあって(汗)
でも本当に彼は色んなジャンルの曲を書き、色んな楽器のために曲を書いています。
とくにソナタに関しては彼自身が弾いたビオラのためにたくさん、ピアノやオルガンにも3つずつ、そしてオーケストラの様々な楽器(ハープを含む)だったり、アルトホルン/アルトサクソフォンだったり、実にいろいろな楽器のために書いているんです。
それもどの楽器のソナタもなかなかのクオリティ。特にレパートリーが小さめの楽器だとヒンデミットのソナタはよく弾かれます。
そのなかでも金管楽器のためのソナタ群は手堅いですね。
そしてさらにその中でのトランペットソナタの手堅いことといったら。
第1楽章のオープニングからぐっと来ます。
実はこのソナタ、自分で楽章の分け方が分かっていなくて・・・
今日紹介の「第3楽章」というのはTrauermusikとその後のセクションを合わせて第3楽章としてカウントしています。
Trauermusik=葬送音楽(以前同じヒンデミットで同名のビオラ+弦楽の曲を紹介しました)。
そしてその死の雰囲気をキャリーオーバーして次のセクション。副題は「Alle Menschen müßen sterben」。
ドイツ語で「全ての人は死ななければならない」という意味です。バッハのコラールの題で、歌詞はこちらに掲載されています。(それにしてもドイツ語だと独特の雰囲気、荘厳な何かがあって怖いですね。いきなりこれが楽譜に書いてあったら怖いですよ。)
こう、クラシックなというか典型的な、死と死神の静寂、時が止まったような、冷ややかで恐ろしいコラールです。
ただトランペットは管楽器ですので、もちろん息の長さには限りがあります。
本当に「時が止まった」ように、ピアニストの感覚でこの曲に「正しい」テンポを選ぶとおそらくトランペット奏者に「遅すぎる!」と怒られるのでは、と思います。
「全ての人は死ななければならない」どころかまずトランペット奏者が死んでしまうのでお気をつけを。
ヒンデミットについては新古典風だったり、ちょっと実験エレメントをはさんでたり、ドイツ風だったりイギリス風だったり、当時のナチ政党だったり、活動した国々との関係もいろいろあったらしく、未だに自分の中ではさまざまな意味で立ち位置がしっくりこない印象があるのです。
でもこのトランペットソナタの最終楽章を聴くとなんとなーく、ですがヒンデミットの生きた時代(戦間、第二次世界大戦、ナチス政権下)だったり、土地(ドイツ、イギリス両方)だったりがこの死のイメージに感じられる気がします。
1回弾いてみたいなあ~ヒンデミットのトランペットソナタ。
いや、もっとヒンデミット自体弾きたいです。ピアノ音楽も、他の楽器のソナタのピアノパートも、その他にも。
最初のチェレスタ有りコンサートが3月なのでオーディション受けれることを指をクロスして願っています!
そうはいってもちょっと練習が上手くいかないんですよね。
気持ちがはやったり、思考がぐるぐるしたり、慌ただしくなったりで、集中力も散漫としますし、弾くテンポも若干上がってしまったり。
微妙にいそがしいのもありますが、暑さで気持ちが引き上げられているのもあって・・・
結構音楽に打ちこむのはできる方だと思ってたんですけど、自分が思ったより弱いことが分かってかなり悔しいです。(もちろん練習室と家のリビングでは環境による気の入りようのレベルは違いますが・・・)
よくプレイするゲームにADOMというローグライクスタイルのRPGがあるのですが、その中に出てくるDrakelingという種族に似てるんですよね、私の精神と気候の関係は。
Drakelingは簡単に言えばトカゲ人間で、冷血動物の性質が入ってるため暖かいところでは代謝と共にスピードが上がり、さらに暑すぎるとそれが裏目に出てダメージを受ける、という性質を持ち、逆に寒いところではスピードが下がって動きが鈍くなる、という・・・
病気としての双極性は薬である程度コントロールしてるので、私自身も色々な精神状態でもピアノが弾けて、練習できるよう状態を整えなきゃな、と思います。
自分が思うには、自分には何よりも音楽が効くと思うので練習する曲の順番を変えて最初に気持ちを落ち着けるようはかってみたり、心を落ち着けるような曲を増やしてみたりという対策などをとりながらピアノ精神を鍛え直してみたいと思います。
そして今日は音楽と心についてのレクチャーに行ってきました。
感想はまた後ほど。今回は話が進むのがかなり早かったのでメモの解読に苦戦するかも?
トピックは「音楽の起源」に関する様々な説についてでした。音楽と心、というよりは音楽中心なのですが、言語だったり、発達学だったり、いろんな学問の分野の話を取り入れた研究で。
ものすごく色々なことが曖昧で、すっきりしないこと、ちょっと弱いかな、と思う説や理論もあったのですが、とっても面白かったです。
スピーカーの人はオーストリアのグラーツ大学(メルボルン大学と交換プログラムを結んでいる大学なので、何人か友達も向こうに留学しています)からのゲストだったのですが、向こうでは「Interdisciplinary Music Studies」というような、音楽を他の学問の分野(心理学など)と交え研究するコースらしく。
そしてメルボルン大学にも音楽科と心理学科の提携研究体制ができたらしくて・・・
私が物凄く興味深い、もしかしたら目指したいエリアが勉強できる道が見えてきて、さらに気持ちがエキサイトしております。これから色々道を探ってみたいです。
今日の一曲: パウル・ヒンデミット トランペットソナタ 第3楽章(最終楽章)
ヒンデミットはまだあんまり紹介できてませんね~好きな作曲家ではあるのですが、知ってる曲に随分と偏りがあって(汗)
でも本当に彼は色んなジャンルの曲を書き、色んな楽器のために曲を書いています。
とくにソナタに関しては彼自身が弾いたビオラのためにたくさん、ピアノやオルガンにも3つずつ、そしてオーケストラの様々な楽器(ハープを含む)だったり、アルトホルン/アルトサクソフォンだったり、実にいろいろな楽器のために書いているんです。
それもどの楽器のソナタもなかなかのクオリティ。特にレパートリーが小さめの楽器だとヒンデミットのソナタはよく弾かれます。
そのなかでも金管楽器のためのソナタ群は手堅いですね。
そしてさらにその中でのトランペットソナタの手堅いことといったら。
第1楽章のオープニングからぐっと来ます。
実はこのソナタ、自分で楽章の分け方が分かっていなくて・・・
今日紹介の「第3楽章」というのはTrauermusikとその後のセクションを合わせて第3楽章としてカウントしています。
Trauermusik=葬送音楽(以前同じヒンデミットで同名のビオラ+弦楽の曲を紹介しました)。
そしてその死の雰囲気をキャリーオーバーして次のセクション。副題は「Alle Menschen müßen sterben」。
ドイツ語で「全ての人は死ななければならない」という意味です。バッハのコラールの題で、歌詞はこちらに掲載されています。(それにしてもドイツ語だと独特の雰囲気、荘厳な何かがあって怖いですね。いきなりこれが楽譜に書いてあったら怖いですよ。)
こう、クラシックなというか典型的な、死と死神の静寂、時が止まったような、冷ややかで恐ろしいコラールです。
ただトランペットは管楽器ですので、もちろん息の長さには限りがあります。
本当に「時が止まった」ように、ピアニストの感覚でこの曲に「正しい」テンポを選ぶとおそらくトランペット奏者に「遅すぎる!」と怒られるのでは、と思います。
「全ての人は死ななければならない」どころかまずトランペット奏者が死んでしまうのでお気をつけを。
ヒンデミットについては新古典風だったり、ちょっと実験エレメントをはさんでたり、ドイツ風だったりイギリス風だったり、当時のナチ政党だったり、活動した国々との関係もいろいろあったらしく、未だに自分の中ではさまざまな意味で立ち位置がしっくりこない印象があるのです。
でもこのトランペットソナタの最終楽章を聴くとなんとなーく、ですがヒンデミットの生きた時代(戦間、第二次世界大戦、ナチス政権下)だったり、土地(ドイツ、イギリス両方)だったりがこの死のイメージに感じられる気がします。
1回弾いてみたいなあ~ヒンデミットのトランペットソナタ。
いや、もっとヒンデミット自体弾きたいです。ピアノ音楽も、他の楽器のソナタのピアノパートも、その他にも。
今日もメルボルンは暑かった!
楽しむつもりでしたがちょっと体調的にしんどいときもあり、あらためていろいろ気をつけなきゃ、と思う事になりました。
大学の図書館ではクラムのCDとスコア、それからマーラー1番、ショスタコーヴィチ14番、プロコフィエフのピアノソナタ2番を借りてきました。
でもプロコフィエフは今弾くかなあ・・・どっちかというと今レパートリーにメシアンが欠けてるので(!)ヒメコウテンシあたりをもう一回借りてもよかったかも。
でもどのみちCDが1週間しか借りれないのできっと近いうちにまた図書館は行くので気にしない、と。
前々から思ってたんですけど、「楽しいこと」」だったり「リラックスできること」を羅列するとき「音楽を聴くこと」または「楽器を弾くこと」って割と高い割合で入っている印象があります。あくまでも印象ですが。
たとえば病院でもらったりする不安だったりリラクゼーションなどについてのinfo sheetだと心を落ち着かせるために本を読むとかスポーツをする、趣味に時間を費やしてみるかのアクティビティのなかに上記音楽関係のことが出てくる・・・ような気がします。
やっぱりこう、音楽を聴くことがいろんな人にとって快い経験であって、そしてさらに音楽というものが今の時代とっても広くaccessibleなものなんだなあ、とぼんやりですが実感。
当たり前のことのようですが、いろいろ自分のしたいことに関しては念頭に置かなくちゃいけないものだと思います。
そして最近またぼんやりと思い出したこと。
結構ピアノ贔屓、というかピアノ極上主義でかなりsnobで偏見もあるのですが面白いことも言う、大学のピアノの一番偉い先生がピアノクラスで言ってたことの一つとして「ピアニストは長生きする」という持論があって。
まずそれが寿命の長生きなのか、それとも長いこと現役でいるということなのか、というのかまず分かりませんし、他の楽器と比べて、一般人口と比べてどうなのか、という疑問もあるのですが(これはどっちかというと医薬翻訳の職業柄やっぱり気になりますね)。
確かにこう、ホロヴィッツのことを思ったり、ロリオ女史や他に何人かのピアニストの事を思ったりするとそうかもな~という感じもしますし、あんまりピアニストが引退・隠居という話も聞かないですし(病気・怪我を除くと結構少ない印象があるなあ)。
あとやっぱりピアノは脳にとって最も複雑なタスクだという説もありますし、新しい曲を覚え続ければ脳の刺激もredundantにならないってのも分かりますし。
この仮説、一応仮賛成というスタンスをとってみてます。データ求む!
あと音楽に関する言葉って面白いなあ、と。
Performanceというのは性能だったり功績だったり主に何かをした「結果」を表す言葉で・・・音楽やその他「演じる」芸術でももちろんPerformanceは演奏だったり本番だったり、ここまで積み上げてきた結果のことを指すのですが、同時にその演奏だったりを行う「行為・過程」についてのことを指したりもするのが面白いなあ、と。
ついでながらめちゃくちゃ基本的な話になりますが音楽家にとってWork=Playですからね。
このWork=Playの要素もあるせいか、音楽家はいつまでも若くいれる、みたいな印象があります。
そりゃあ老いと死は全ての人に訪れますが、Youngというか、Immatureの方で・・・精神年齢が低くて許される職種、みたいな感じです。
あくまでも私の理想であり、印象であり、願望でもあるのですが、それが脳内オケで目指している・心がけていることでもあります。
ラフマニノフが言った言葉なのですが「音楽は一生を満たすには十分だが、一生の長さは音楽を満たすには足りない」、という言葉が好きで。
いくら探検しても終わりはなく、飽き足りなく。私も引退することなくずっと一生を音楽で満たせたらいいなあ、と。
ぼんやりといろいろ書きましたが、明日は音楽と心についての公開レクチャーの日。しっかり学んで来たいです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス ピアノ四重奏曲 第3楽章
こんなに暑いのにドイツ音楽・・・と自分でも思うのですが、そろそろ出しときたいと思ってました。
この曲については今度ブラームスの話をするときにちょっと触れたいな、と思うのですが・・・
そもそもリヒャルト・シュトラウスとは。
彼はドイツの後期ロマン派を代表する急進派とも言える作曲家の一人で、オーケストラ伴奏の歌だとか、オペラとか、そして何よりも交響詩の分野で輝いた人です。
その言葉通り、輝くという言葉がふさわしい音楽で。ロマン派の先進派で前に前に進む、派手できらびやかな、見事な楽器使いと曲調。
でも決して浅くはなく、本当に力が奮い立つような音楽です。
彼の曲は若い人(特に彼が好んで素晴らしい弾きごたえのパートを書いたホルン奏者!)に人気があります。
ただ私はちょっと彼のその輝きだったり、ちょっとエゴが見え隠れする自信だったりがわりと苦手な傾向があり・・・
サロメとかアルペン交響曲とかティルとかはその感じが少ないので好きですが、英雄の生涯だったり、ホルン協奏曲(2つ)だったり、苦手としている曲は多くあります。
でも!そんなシュトラウスにも若く自分の道がまだ見つかってない時期があったわけで。
このピアノ四重奏もそんな曲の一つで、彼がまだ20歳(1884年)のときに書かれています。
その作風は意外や意外、ドイツロマン派ではかなり保守派のブラームスに近いものです。
(この話についてはブラームスの話で後日・・・)
実際ブラームスのピアノ四重奏曲第3番(1875年完成)やフォーレのピアノ四重奏曲(1880年あたり)と同じ調(ハ短調)で、色々類似点は見られます。
その中で第3楽章は至る所で「若いなあ!」と思いっぱなし。
ちょっとありきたりなようなエレメントもある、ストレートでちょっと初心なロマンス。
でもその初々しさだったり、不完全さが逆にものすごく愛しくて、あんまり批判的な目でみなければとってもsweetな曲だと思います。
この曲はリヒャルト・シュトラウスの有名所、彼の真骨頂の作品を知っている人に特にオススメです。
勿論知らない人にとっても物凄く素敵な曲ですが、やっぱり彼の真骨頂を知って、この曲も知るとより面白いと思います。
ちなみにリンクしたCDにはマーラーのピアノ四重奏曲も入ってますが、奇しくも同時代の作曲家による、共に若年の作品。
別の日にこの曲も扱いたいですが、こちらも今回の曲とは違った意味でなかなかの曲者ですよ。
楽しむつもりでしたがちょっと体調的にしんどいときもあり、あらためていろいろ気をつけなきゃ、と思う事になりました。
大学の図書館ではクラムのCDとスコア、それからマーラー1番、ショスタコーヴィチ14番、プロコフィエフのピアノソナタ2番を借りてきました。
でもプロコフィエフは今弾くかなあ・・・どっちかというと今レパートリーにメシアンが欠けてるので(!)ヒメコウテンシあたりをもう一回借りてもよかったかも。
でもどのみちCDが1週間しか借りれないのできっと近いうちにまた図書館は行くので気にしない、と。
前々から思ってたんですけど、「楽しいこと」」だったり「リラックスできること」を羅列するとき「音楽を聴くこと」または「楽器を弾くこと」って割と高い割合で入っている印象があります。あくまでも印象ですが。
たとえば病院でもらったりする不安だったりリラクゼーションなどについてのinfo sheetだと心を落ち着かせるために本を読むとかスポーツをする、趣味に時間を費やしてみるかのアクティビティのなかに上記音楽関係のことが出てくる・・・ような気がします。
やっぱりこう、音楽を聴くことがいろんな人にとって快い経験であって、そしてさらに音楽というものが今の時代とっても広くaccessibleなものなんだなあ、とぼんやりですが実感。
当たり前のことのようですが、いろいろ自分のしたいことに関しては念頭に置かなくちゃいけないものだと思います。
そして最近またぼんやりと思い出したこと。
結構ピアノ贔屓、というかピアノ極上主義でかなりsnobで偏見もあるのですが面白いことも言う、大学のピアノの一番偉い先生がピアノクラスで言ってたことの一つとして「ピアニストは長生きする」という持論があって。
まずそれが寿命の長生きなのか、それとも長いこと現役でいるということなのか、というのかまず分かりませんし、他の楽器と比べて、一般人口と比べてどうなのか、という疑問もあるのですが(これはどっちかというと医薬翻訳の職業柄やっぱり気になりますね)。
確かにこう、ホロヴィッツのことを思ったり、ロリオ女史や他に何人かのピアニストの事を思ったりするとそうかもな~という感じもしますし、あんまりピアニストが引退・隠居という話も聞かないですし(病気・怪我を除くと結構少ない印象があるなあ)。
あとやっぱりピアノは脳にとって最も複雑なタスクだという説もありますし、新しい曲を覚え続ければ脳の刺激もredundantにならないってのも分かりますし。
この仮説、一応仮賛成というスタンスをとってみてます。データ求む!
あと音楽に関する言葉って面白いなあ、と。
Performanceというのは性能だったり功績だったり主に何かをした「結果」を表す言葉で・・・音楽やその他「演じる」芸術でももちろんPerformanceは演奏だったり本番だったり、ここまで積み上げてきた結果のことを指すのですが、同時にその演奏だったりを行う「行為・過程」についてのことを指したりもするのが面白いなあ、と。
ついでながらめちゃくちゃ基本的な話になりますが音楽家にとってWork=Playですからね。
このWork=Playの要素もあるせいか、音楽家はいつまでも若くいれる、みたいな印象があります。
そりゃあ老いと死は全ての人に訪れますが、Youngというか、Immatureの方で・・・精神年齢が低くて許される職種、みたいな感じです。
あくまでも私の理想であり、印象であり、願望でもあるのですが、それが脳内オケで目指している・心がけていることでもあります。
ラフマニノフが言った言葉なのですが「音楽は一生を満たすには十分だが、一生の長さは音楽を満たすには足りない」、という言葉が好きで。
いくら探検しても終わりはなく、飽き足りなく。私も引退することなくずっと一生を音楽で満たせたらいいなあ、と。
ぼんやりといろいろ書きましたが、明日は音楽と心についての公開レクチャーの日。しっかり学んで来たいです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス ピアノ四重奏曲 第3楽章
こんなに暑いのにドイツ音楽・・・と自分でも思うのですが、そろそろ出しときたいと思ってました。
この曲については今度ブラームスの話をするときにちょっと触れたいな、と思うのですが・・・
そもそもリヒャルト・シュトラウスとは。
彼はドイツの後期ロマン派を代表する急進派とも言える作曲家の一人で、オーケストラ伴奏の歌だとか、オペラとか、そして何よりも交響詩の分野で輝いた人です。
その言葉通り、輝くという言葉がふさわしい音楽で。ロマン派の先進派で前に前に進む、派手できらびやかな、見事な楽器使いと曲調。
でも決して浅くはなく、本当に力が奮い立つような音楽です。
彼の曲は若い人(特に彼が好んで素晴らしい弾きごたえのパートを書いたホルン奏者!)に人気があります。
ただ私はちょっと彼のその輝きだったり、ちょっとエゴが見え隠れする自信だったりがわりと苦手な傾向があり・・・
サロメとかアルペン交響曲とかティルとかはその感じが少ないので好きですが、英雄の生涯だったり、ホルン協奏曲(2つ)だったり、苦手としている曲は多くあります。
でも!そんなシュトラウスにも若く自分の道がまだ見つかってない時期があったわけで。
このピアノ四重奏もそんな曲の一つで、彼がまだ20歳(1884年)のときに書かれています。
その作風は意外や意外、ドイツロマン派ではかなり保守派のブラームスに近いものです。
(この話についてはブラームスの話で後日・・・)
実際ブラームスのピアノ四重奏曲第3番(1875年完成)やフォーレのピアノ四重奏曲(1880年あたり)と同じ調(ハ短調)で、色々類似点は見られます。
その中で第3楽章は至る所で「若いなあ!」と思いっぱなし。
ちょっとありきたりなようなエレメントもある、ストレートでちょっと初心なロマンス。
でもその初々しさだったり、不完全さが逆にものすごく愛しくて、あんまり批判的な目でみなければとってもsweetな曲だと思います。
この曲はリヒャルト・シュトラウスの有名所、彼の真骨頂の作品を知っている人に特にオススメです。
勿論知らない人にとっても物凄く素敵な曲ですが、やっぱり彼の真骨頂を知って、この曲も知るとより面白いと思います。
ちなみにリンクしたCDにはマーラーのピアノ四重奏曲も入ってますが、奇しくも同時代の作曲家による、共に若年の作品。
別の日にこの曲も扱いたいですが、こちらも今回の曲とは違った意味でなかなかの曲者ですよ。
昨夜からヤドカリさんが一匹脱皮を始めていました。
裸で転がって、ほとんどといいほど動かなくて・・・動いてはいるようなのですが、早いところ殻に戻っていただきたいです。
ちょっと地理的?レイアウト的な問題で隔離はできないのですが他の子はちょっかいだしてないように見受けます・・・が、念のため他の子をちょっとだけ外に出して元気に遊ばせて疲れさせてから水槽に戻す、という人間の子供のような作戦をとってます。
今日ちょっと書いてみたかったのは「自分の人生を変えた曲」のこと。
大げさなようですが、逆に新しい曲に出会うたびに自分の心も、思考も、人生も変わっていると思います。
そのなかから特にこれは大きかった!と思うものを紹介。
1) ショスタコーヴィチ 交響曲第11番
部分的ながら初めて弾いた交響曲です。そして初めてショスタコーヴィチの音楽の闇の素晴らしさ、そしてオケで弾く事の楽しさ、オケのパワーを感じた曲でもあります。
ユースオケのサマーキャンプでのことだったのですが、この曲を弾いたのがきっかけでメインのユースオケ(毎週土曜日、一年中)にオーディションすることに踏み切りました。
同時に自分が音楽の背景だったり、作曲家のことだったりに興味を持ち始めたきっかけの曲です。
ショスタコーヴィチの他の曲に興味を広げたのはもちろん、この曲の題材となっている1905年の「血の日曜日」の虐殺のことからショスタコーヴィチの人生、彼とソヴィエト政府との関係、そしてそこからロシア革命やソヴィエト史に興味を持つようになったり。
音楽のメッセージ性だったり、作曲家の思いを知り、汲むことを覚え始めた曲です。
2) マーラー 交響曲第5番
以前も紹介しました、初めてフルで弾いた交響曲です。
そしてこれも以前書いたのですが、本当に辛いときに弾いたことから、その後数年聴かなかった曲です。
つまりは初めてそれだけ心で濃く感じることができた、桁外れに共感できた曲でもあります。
ユースオケに入って2つめのコンサート、ようやく環境にも慣れてきて、周りの音を聞くように、音楽的に・人的に何が起こっているのかに目と耳をよく向けるようになりました。(間接的に脳内オケのはじまりになってるかも?)
音楽と別のところでもかなりいろいろなことが変動していたのでその影響ももちろんあります。
3) 武満徹 「遮られない休息」
20世紀音楽デビューではないのですが、私が「現代音楽」の世界にはまることになった直接のきっかけの曲。
これも前書いた話だとは思いますが、先生が「日本の曲も弾いたら」といって、ほとんど手探りでこの曲を選んで。そこからメシアンやらヒンデミットやらクラムやら広がってしまったのです。
本当に小さな曲ですが、今の私の源を作った曲だと言えると思います。
あれ、もちょっと大事にしなきゃ。そのうちまた弾かなきゃ。
4) クラム 「マクロコスモス第2巻」より第12番 「Agnus Dei」
他の3曲と違ってはっきりと「変わった」と思う曲ではないですが、今振り返ってみて自分に大きな影響を与えていると思う曲です。
説明するのもちょっと難しいのですが、この曲に透明なアクアマリンでできた大きなprayer-wheelを感じたときから、その色と透明さがじわじわと自分に浸透してきて、満たされた結果マクロコスモス第2巻を弾く事になった・・・ような気がします。
最近はあまり図書館でCDを借りたり、CDを買ったりする機会が(少なくとも大学にいたころよりは)減ってしまって、なかなか前みたいに新しい曲に毎週出会える、ということはないんですが・・・
(自分のipodのなかでもかなりまだ知らない・よく知らない曲はあるんですが)
もっともっと自分の中のレパートリーを広げていきたいと思います。
新しい友達を作ると同様(人によってはそれ以上)に素晴らしいことですし、音楽は自分にとって力になりますし、単純にもっともっと知りたいですから。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 第4楽章
先ほどのショスタコです~
弾いたのは第2楽章ですが、もちろん他の楽章も好きです。特にこの蛾苦笑は入院中に良く聴いて、さらに良くチェロで一人弾いていました。
第1楽章が虐殺の前、第2楽章が虐殺の描写、第3楽章が犠牲者への弔い、そしてこの第4楽章はきっと強いまなざしで前を向きます。
副題は「警鐘」、この虐殺を繰り返すまい、と革命後のソヴィエト政府に訴えかける曲です。
他の楽章と同じく様々な革命歌をモチーフに使い、一番有名な交響曲第5番の第4楽章にもよく似た調子で曲が進みます。
なんといっても凄いのは最後の4分。
しんと静まったところでコール・アングレが一人で革命歌「1月9日」を歌い上げるあの美しさ(本当になにも特別なことしなくても美しいんですよね、コール・アングレのソロ!天性の歌い手ですよ)、それから続く、バスクラから広がって行く暗いざわざわ、そして「警鐘」のベル。
鐘っていいですよね~いっぱい倍音がきこえて複雑な音色になるのはもちろんですが、種類(チューブ状、すり鉢状)による差、個体差もかなり大きいので録音ごとに印象ががらっと変わるので初めての演奏を聴くときはいつも楽しみです。
特に一番低い音はいつまでも耳に残ります。
ショスタコーヴィチは本当にこの曲で厳しい、そして真っ直ぐな目を当時の政府に向けているのが感じられます。彼の思いはたまにプロパガンダのため偽られ、たまに巧妙に隠されるのですが、そんななかでもなんというか、自分の住んでいる「国」がなんとかなってくれたら、という思いが見えるような気がします。
裸で転がって、ほとんどといいほど動かなくて・・・動いてはいるようなのですが、早いところ殻に戻っていただきたいです。
ちょっと地理的?レイアウト的な問題で隔離はできないのですが他の子はちょっかいだしてないように見受けます・・・が、念のため他の子をちょっとだけ外に出して元気に遊ばせて疲れさせてから水槽に戻す、という人間の子供のような作戦をとってます。
今日ちょっと書いてみたかったのは「自分の人生を変えた曲」のこと。
大げさなようですが、逆に新しい曲に出会うたびに自分の心も、思考も、人生も変わっていると思います。
そのなかから特にこれは大きかった!と思うものを紹介。
1) ショスタコーヴィチ 交響曲第11番
部分的ながら初めて弾いた交響曲です。そして初めてショスタコーヴィチの音楽の闇の素晴らしさ、そしてオケで弾く事の楽しさ、オケのパワーを感じた曲でもあります。
ユースオケのサマーキャンプでのことだったのですが、この曲を弾いたのがきっかけでメインのユースオケ(毎週土曜日、一年中)にオーディションすることに踏み切りました。
同時に自分が音楽の背景だったり、作曲家のことだったりに興味を持ち始めたきっかけの曲です。
ショスタコーヴィチの他の曲に興味を広げたのはもちろん、この曲の題材となっている1905年の「血の日曜日」の虐殺のことからショスタコーヴィチの人生、彼とソヴィエト政府との関係、そしてそこからロシア革命やソヴィエト史に興味を持つようになったり。
音楽のメッセージ性だったり、作曲家の思いを知り、汲むことを覚え始めた曲です。
2) マーラー 交響曲第5番
以前も紹介しました、初めてフルで弾いた交響曲です。
そしてこれも以前書いたのですが、本当に辛いときに弾いたことから、その後数年聴かなかった曲です。
つまりは初めてそれだけ心で濃く感じることができた、桁外れに共感できた曲でもあります。
ユースオケに入って2つめのコンサート、ようやく環境にも慣れてきて、周りの音を聞くように、音楽的に・人的に何が起こっているのかに目と耳をよく向けるようになりました。(間接的に脳内オケのはじまりになってるかも?)
音楽と別のところでもかなりいろいろなことが変動していたのでその影響ももちろんあります。
3) 武満徹 「遮られない休息」
20世紀音楽デビューではないのですが、私が「現代音楽」の世界にはまることになった直接のきっかけの曲。
これも前書いた話だとは思いますが、先生が「日本の曲も弾いたら」といって、ほとんど手探りでこの曲を選んで。そこからメシアンやらヒンデミットやらクラムやら広がってしまったのです。
本当に小さな曲ですが、今の私の源を作った曲だと言えると思います。
あれ、もちょっと大事にしなきゃ。そのうちまた弾かなきゃ。
4) クラム 「マクロコスモス第2巻」より第12番 「Agnus Dei」
他の3曲と違ってはっきりと「変わった」と思う曲ではないですが、今振り返ってみて自分に大きな影響を与えていると思う曲です。
説明するのもちょっと難しいのですが、この曲に透明なアクアマリンでできた大きなprayer-wheelを感じたときから、その色と透明さがじわじわと自分に浸透してきて、満たされた結果マクロコスモス第2巻を弾く事になった・・・ような気がします。
最近はあまり図書館でCDを借りたり、CDを買ったりする機会が(少なくとも大学にいたころよりは)減ってしまって、なかなか前みたいに新しい曲に毎週出会える、ということはないんですが・・・
(自分のipodのなかでもかなりまだ知らない・よく知らない曲はあるんですが)
もっともっと自分の中のレパートリーを広げていきたいと思います。
新しい友達を作ると同様(人によってはそれ以上)に素晴らしいことですし、音楽は自分にとって力になりますし、単純にもっともっと知りたいですから。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 第4楽章
先ほどのショスタコです~
弾いたのは第2楽章ですが、もちろん他の楽章も好きです。特にこの蛾苦笑は入院中に良く聴いて、さらに良くチェロで一人弾いていました。
第1楽章が虐殺の前、第2楽章が虐殺の描写、第3楽章が犠牲者への弔い、そしてこの第4楽章はきっと強いまなざしで前を向きます。
副題は「警鐘」、この虐殺を繰り返すまい、と革命後のソヴィエト政府に訴えかける曲です。
他の楽章と同じく様々な革命歌をモチーフに使い、一番有名な交響曲第5番の第4楽章にもよく似た調子で曲が進みます。
なんといっても凄いのは最後の4分。
しんと静まったところでコール・アングレが一人で革命歌「1月9日」を歌い上げるあの美しさ(本当になにも特別なことしなくても美しいんですよね、コール・アングレのソロ!天性の歌い手ですよ)、それから続く、バスクラから広がって行く暗いざわざわ、そして「警鐘」のベル。
鐘っていいですよね~いっぱい倍音がきこえて複雑な音色になるのはもちろんですが、種類(チューブ状、すり鉢状)による差、個体差もかなり大きいので録音ごとに印象ががらっと変わるので初めての演奏を聴くときはいつも楽しみです。
特に一番低い音はいつまでも耳に残ります。
ショスタコーヴィチは本当にこの曲で厳しい、そして真っ直ぐな目を当時の政府に向けているのが感じられます。彼の思いはたまにプロパガンダのため偽られ、たまに巧妙に隠されるのですが、そんななかでもなんというか、自分の住んでいる「国」がなんとかなってくれたら、という思いが見えるような気がします。
