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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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レクイエムについて思うこといろいろ
家で働いているせいか外に出る頻度が少なく、外に出るとまとめて(自分基準ですが)お金を使う傾向にある気がします。
だいたい必需!という感じのものではなくてあるといいなあ、欲しいなあというものばかりで。
チェロの修理代の返済があるので押さえてはいるんですが・・・(汗)

それはおいといて本題に。
鎮魂曲、レクイエムというジャンルはクラシック音楽のなかでわりと存在感が大きい音楽ではないかと思います。
しかも交響曲、協奏曲ほど形式がはっきり決まってるわけでもなく(ただこの2つのジャンルもそんなにがっちり形式にはまってるわけでもないですが)、色んな作曲家が色んな形で「レクイエム」を表現しているのが面白いです。

レクイエムには大きくわけて2つの目的があると思います。
一つは死者の魂が安らかであることを祈るもの。(キリスト教の一部の宗派では一時的に煉獄にいなくちゃいけない魂は、生きているものが死者のために祈りを捧げることでその期間を縮めることができる、という話もあります)
そしてこの目的よりもおそらく大きな目的として、遺された者が目の前の死と向き合って折り合いをつけていくための儀式、というものがあると思います。
あ、それから生と死を前にして、それを通じて宗教的な信仰を植え付ける、強める、という意味合いもあると思います。

もともとがカトリックのミサにおける儀式&音楽なため、伝統的なレクイエムの歌詞はラテン語で書かれていて、カトリックの雰囲気がものすごく強いですね(Dies Irae=怒りの日での最後の審判の描写など)。
20世紀より前のレクイエムが「合唱付き」という編成なのもやはり賛美歌などが信仰の儀式の一部として組み込まれているキリスト教(特にカトリック)らしい、といいますか。

以前「呼吸を同じくすることで共感する度合いを上げる」という話をちょろっとしたかと思いますが(私のチェロの先生の受け売りです)、ある人の死に際して集まり、共に嘆く人々が共に歌うということでその悲しみを共有する、という働きがあるのではないかと思います。

さらに、レクイエムの音楽はたいてい多くの楽章から成り立っていますがその全部が必ずしも慰め、癒すものではないということも大切だと思います。
レクイエムという音楽の一連の体験において、遺された人が近しい人の死を現実のものとして受け止め、それに関する悲しみだったり絶望だったり怒りだったり、行き場がない感情を抑えてないものとするのではなくがっつり感じて・・・
これから先、その事実を受け止めて生きていけるようにその何かとタブー感があって押さえてしまう感情を引き出して、「ちゃんと」嘆くことができるようにこのレクイエムの暗く激しい楽章は存在しているんではないかと思います。

レクイエムはまさにその生と死を同時に見つめることのできる、特別なopportunityのための特別な音楽ということもあり、さらに作曲家それぞれに強い思いがあることが多く、独特な存在感を放つ名曲であることが多いと思います。

ここからは私が特に思い入れの強い個々のレクイエムの話になりますが・・・
モーツァルトのレクイエムは自身が当時若くして死の淵にあったこともあって死の恐ろしさがリアルですね。
実際「自分で自分の鎮魂曲を書いている」と自覚していたとまで言われますし、Kyrie Eleison、Rex TremendaeやDies Iraeを聞くとその説がものすごく真実味を帯びてくるのですよね~
私が好きなのはKyrie Eleison、Agnus Dei、それからTuba Mirumです。あれだけ恐恐としている、本当に切羽詰まって死がそこにある息苦しさのなかでよくこのトロンボーンソロが出たな!と素直に思うのです。でもトロンボーンの一番いいところ、透明でおおらかでピュアなサウンドなんですよね。
なんだかこう・・・30代なのにあまりにも突っ走ったからか、病のせいか「晩年」的な雰囲気がある曲なんですよね。もしもこの人長生きしてたらどうなってたんだろう、と余談。

ロマン派あたりの時代においてもレクイエムはカトリック系統、ということが定番だったのですが、それを覆したのがブラームス。宗教改革はもうバッハ以前の時代に起こったのに、ドイツ人の価値観に合うレクイエムが作られていない、という事態を懸念したらしくブラームスは自らドイツ語の聖書から歌詞を選んで、ドイツ語でドイツ人のためのドイツ・レクイエムを書いたのです。よく主張している事なのですが、やっぱり音楽を書いた作曲家の国籍と、歌詞の言語が一致するとより音楽が一体化するのです。
好きなのは第2楽章、第5楽章、第6楽章、第7楽章。第2楽章のティンパニのかっこよさだったり、前半のしたたかな悲しみ・苦しみから青空のように解き放たれた後半(エンディングがまた美しい!)が最初聞いた(=弾いた)ときから好きで。
第5楽章のソプラノソロの楽章はブラームスの母に捧げられていて、その強い思いとブラームスの得意な女性的な、母性的な音楽の美しさがたまらないです。
第6楽章は「不思議なトランペット」を含む、このレクイエムにおけるDies Irae。その嵐のような激しさと「打ち勝つ」ような力強さがカトリックのDies Iraeとひと味違うものがあって。
そして第7楽章、最終楽章の様々な調を経て足が地に着くあの落ち着いた感じ、天国的ながら本当に身近な天国の美しさ・・・

私がこのブラームスのドイツ・レクイエムと絶対的な双璧だと思ってるレクイエムはベルリオーズでも、ヴェルディでもなくもちろん!ブリテンの「戦争レクイエム」です。
この曲については語っても語り尽くせない(先ほどのブラームスも実はそうなんですが)、思い入れが深すぎて自分でも困っています(笑)
この曲は上記レクイエムの目的とはいささか違う面があって・・・以前もいろいろ語っているのですが、戦争の恐ろしさ、その中で失われている命などについて真剣に、ときどき皮肉も交えながら表現している作品です。
過去のこのブログでの「戦争レクイエム」についての話はメル響のコンサートの感想音楽と歌詞として使われている詩の話などにあります。いつかなんとかまとめてみたい。

他にも同じくブリテンによる「Sinfonia da Requiem」(なんとなくずっと聞いてきて、この曲と向き合って解釈をしたことがないことにこないだ気づいたので書くことがない・・・)だったり、あと一回聴いたきりですがオーストラリアのPeter Sculthorpeのレクイエムの存在も心にどっしり残っています。他にもヒンデミットの「葬送音楽」などレクイエムと名のついていないレクイエム的音楽も。
でもWikipediaで探して見るとめちゃくちゃたくさんの作曲家がレクイエム(または類似曲)を書いてるんですよね!(日本語版よりも英語版のリストの方が断然長い!びっくり!)私の好きな作曲家でレクイエムを書いてたことを知らない、レクイエムを知らない作曲家も(主に20世紀以降)いるので、もっとレパートリーを広げないと、と思います。

最後に、先ほど書きそびれたんですが(という風にブログで書くのも変ですが)、20世紀以降合唱を伴わないレクイエム、ラテン語の歌詞を使わないレクイエムが多くなってきたのはやはりキリスト教が価値観の中心でなくなってきている、個人の信条が違うことが当たり前になってきた風潮もあるかと思います。(もちろん例えばバッハの時代と比べて作曲・音楽が宗教から離れてきていることもあり)

レクイエムについては以前ちょっと言及しました「悲嘆の5段階」などにみる死との向き合いかた、そして宗教離れしていく世の中で個人がどう死と向き合っていくのか、死と向き合う上で音楽ができることって何なのか、もっと考えていきたいこといっぱいです。


今日の一曲: ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト 「レクイエム」より「Tuba Mirum」



えーっと、長くなったのでてっとり早く、との魂胆で(汗)
でもものすごく好きなんですよ、この曲。
トロンボーンが底抜けに明るくてうるさいものだと思っている人にはうってつけ!

Tuba mirum = 不思議なトランペット、と訳されます。新約聖書のヨハネの黙示録にある、この世の終わりを告げるトランペットです。
Tubaですがトランペット。でもトロンボーンが弾いてます(ちなみにブラームスのレクイエムではPosaunen=ドイツ語でトロンボーンという言葉が使われ、実際に弾いています。ブリテンの戦争レクイエムでは金管楽器総動員ですが)。

この曲をたった一人で始めるトロンボーンの音色の美しさ!
トロンボーンってぶわーっと吹くだけじゃなくて本当は物凄く甘くて黄金で繊細な音も出るんですよ。バルブ・ピストンでなくてスライド式、つまりは大きい筋肉で動かすのですがそれでもどんなになめらかで自由な音が奏でられることか!
で、その音色がまたバリトン歌手といいデュエットを奏でるんですよね。

トロンボーンはこの頃まだオペラあたりでしかオケの一員じゃなかった、と聞いたことがあるんですよね(交響曲に登場したのは確かベートーヴェンの5番?が最初だったとか?)。トロンボーンは昔も今も集団合奏が基本の中、こういう使い方はもしかしたら斬新ではないのか?と思ってますがどうなんでしょう。

最初の本当に悲しく苦しい、切羽詰まった音楽からは信じられないような、スペースが広い音楽。トロンボーンの音って他の金管楽器と比べてもその「広い」「解き放たれた」感じが強い気がします。

宗教観とかいろいろ語りたいことはありますが、なんせ勉強不足なのとすでに長いもので・・・
モツレク(モーツァルトのレクイエム)ではDies iraeあたりがメジャー所ですがこちらにも耳を傾けていただきたいです。そしてトロンボーンの音(とそのギャップ)に恋に落ちていただきたいです!ぜひ!

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My cello and I
メルボルンのじめじめした天気、そろそろ終わりでしょうか。
ピアノ練習(毎日するようになりました)にはエアコンの除湿モードが欠かせません。なんといっても暑いし、ピアノの響きとかタッチがやっぱり変わってきます。気持ち悪いです。(ただでさえ頼りないピアノなんですが)

そして湿気は私のもう一つの楽器にも敵。
ちょうどこないだ私の前のチェロが戻ってきて、めでたく家には人の数以上に楽器があることに。
そんなに頻繁に弾くというわけでもないのですが、とにかくこの子が帰ってきて嬉しいです。

そもそも私がチェロを始めたのは小6のころ。
オーストラリアに来て1年、ようやく「学校で楽器が習える」というシステムが存在することに気づき。
既にピアノは学校の外で習ってますし、授業でオーボエを習っていたのですが、日本で小学校にいたとき担任の先生がチェロを弾いてたのを聴いて以来音が物凄く好きだったチェロが習いたい、という話になり。

最初はハーフサイズのチェロで始めたんですよ(笑)(といってももちろん半分のサイズ、というわけではないです)。で、小学校のオケにもリクルートされて、そのまま中学校、高校と学校のオケだったり弦楽四重奏などのアンサンブルで弾いたり・・・それからメルボルンのユースオケにもオーディションで入り。
大学でもちょっとだけオケで弾きました。チェロも。
結局レッスン続けてたのは大学2年くらいまでかな?全部で4人の先生に習いました。

うちの学校は女子校で、徒歩5分のところにある兄弟校の男子校とよく合同コンサートしてたんですが、その時に向こうの生徒から「Little cellist」と呼ばれていました。
小さなチェリスト、確かにそれはそうなんですけど、やっぱりあのサイズの楽器をこのサイズ(150cm前後)の私が弾いてる視覚的なインパクトで色々なところで覚えてもらった感があります。
(チェロを弾く男子は背高い人が圧倒的に多いですが、女子だとでも小さめの体型は珍しくないですね)

弾いてる、もそうですが運んでる、もまた目を引く光景らしく。
結構送り迎えも多かったですが、電車移動もたくさんしましたし、徒歩で運んだこともたくさん。
引っさげて歩くこともあれば、ケースについてる車輪で転がしたり。(一番最初のチェロはソフトケースには背負えるようストラップもついていました。ハードケースでもついてるやつありますね)
なんだかでも転がすと振動がちょっと心配なので結局手で引っさげるんですよね。ケースに入ってると10kgしちゃうんですが。
そのおかげかなんだか10年生での握力測定では右36kg左48kgとかいう数値が出ています(ただ機械の正確さは分かりませんが)。
今回チェロを取り戻してきた時、何年もそんな重いもの運んでないので駅から家まで大変な思いをしました。

チェロを飛行機に乗せたこともあります。
ユースオケのタスマニア演奏旅行、学校のオケのイギリス演奏旅行、それから1回だけ日本への一時帰国で。
いろいろ詰め物したり大変です。さすがに席をとるわけにもいかないのでOversize luggage扱いで。
でもひやひやものなので、毎回。

my cello今家に2つチェロがありまして。一つは私がチェロ活動の最後に使っていた7/8サイズのチェロ。そしてもう一つはこないだ取り返したフルサイズのチェロ(写真参照)。
7/8サイズの方はハンドメイドの中国製(需要が低いサイズなので必然的にハンドメイド)で、割と新しい楽器。フルサイズの方はドイツ製の1863年生まれ。もちろんこっちの方が音が良いです。
でもフルサイズだと若干私の手には大きい、ということで買い替えたんです。ただやっぱり一緒に老いるならフルサイズの方だなーと思ったので売り手がつかないうちに取り戻してきたんです。諸々修理してもらって。
修理してもらったらもともと豊かで渋い(ドイツらしい!)この楽器の音がより開いた、というか特に低音がものすごく響くようになりました。

チェロを弾いている間、本当にいろいろな人に出会って、お世話になって。
いろいろ楽しい思い出もあります。チェロでバリケード作ったり、チェロばっかり集まって12の違う調で同時に「メリーさんの羊」を弾いたり。
チェロのコミュニティって必ずしも結束力が強いわけではないですけど(例えばホルンやトロンボーンのように)、お互いへの尊敬などが強いような気がします。
チェロをアクティブに弾くことを止めてからもチェロを弾いてる友達とは本当に仲良くしてもらって、強いコネでいてもらって・・・
私よりもずっとレベルが上のチェロ弾き友達にチェロ弾きだった経験を買われて伴奏を頼まれたり、ちょっと演奏を聴いて意見を欲しいと言われたり、そういうときが本当に嬉しかったです。

仕事にピアノにその他に忙しいですが、たまにはチェロも弾いてあげたいです。
(それにしてもチェロが2つ部屋に置いてあって若干狭くなりました・・・)


今日の一曲: エルネスト・ブロッホ 「シェロモ」



チェリストならばだれもが目指す曲といったらドヴォルザークの協奏曲かと思いますが、私がチェロで一番弾きたかった「協奏曲的な」曲は間違いなくこの曲でした。そして今も変わりません。
「シェロモ」とはヘブライ語でソロモンのこと。旧約聖書にもよくでてくるソロモン王のこと。
そこから分かるようにヘブライ風の曲です。めちゃくちゃヘブライです。
(ブロッホはチェロやビオラのためにヘブライ関係の音楽をいっぱい書いてて嬉しいです♪)

この曲のそのユダヤ風なところも好きですし、中間部の5連符のリズムも好きですし、オーケストラと一体になってる感、でも同時にチェロが自由に羽ばたけるところも好きですし。
技巧的にはほとんど(全部?)単音なのも好きです(笑)double stopping苦手なので。
そしてブロッホが良くユダヤ系のメロディーで使うquarter-toneも好きです。

で、ストーリーでこの曲を使う際にこの曲のスコアを見たのですが、よくよく見ると楽器使いもすごい!
ハープやチェレスタの使い方だったり、コントラバスからコントラファゴットからバスクラから銅鑼から低音の楽器ばっかり重ねて使う部分だったり。
すごいぞブロッホ!と思います(笑)

チェロを弾く人は大抵その音に惚れて始める・続ける人が多いように思えるのですが、その音の美しさはこの曲にあますことなく現れていて。技巧の華やかさでこそドヴォルザークの協奏曲にはかないませんがたまらない魅力があります。

チェロでユダヤ音楽、やっぱり憧れますね-。いつかクレズマーとか弾きたいです。

(ちなみにリンクしたCDにこの曲、ドヴォルザークの協奏曲と共に収録されているブルッフの「コル・ニドレイ」もユダヤ題材の曲です。また後日に。)

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スタイリッシュなニューフェース (楽器と性格:クラリネット)
年をまたいで一発目、楽器と性格の私なり分析エントリーです。
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。

クラリネットというのは実はオケの楽器の中では比較的新参者。
18世紀・・・というとずいぶん前のことに思えますが、フルートや太鼓、ホルン(というかホルンの前駆としての角笛)が神話などにすでに登場していることを考えるとかなり新しいです。
新しいということによって、この楽器はできたときにすでにオーボエなど他の楽器の短所を克服している、という点があります。
音域の広さ、弱音の強さ、音を出すのが比較的楽なこと・・・いろいろあります。
そういう意味ではわりと「苦労知らず」で生まれつきの器用さと才能を備えている楽器であると思います。

クラリネットの機動力はおそらく管楽器一。そのため弦楽器のいない吹奏楽ではバイオリン的な役割を負うことがあります。その場合は人数が多く・・・実際吹奏楽においてのクラリネットの大集団ってどう機能してるか分からないのですが・・・
ただクラリネットは木管楽器のなかだと割と人数が多い同族アンサンブルでうまくやっていける楽器だと思います。バスクラ、Es管などファミリーが多いこと、それから後述性格的要因があるのかな?

全体的にやっぱりクラリネットってスマートなイメージがあります。
先ほどの生まれつきの器用さと才能、センス、それから機動力に合わせて、ルックスも。
しゅっと伸びた黒い木のボディに銀のキー。
それからもちろん音も。楽器の構造上、クラリネットは他の楽器に比べてピュアトーンに近い音がでます。
豊かな音、というのとはちょっと違うけれど、透明な音です。

音と言えば一つ重要なことが。クラリネットは音域が広いのですが、音域によって違う表情を見せます。
低音域はちょっとsinisterな、苦み走った深い音。
クラリネットの唯一の弱点とも言える(技巧的など)わずかな中音域はくぐもったような暗い音。
高音域はひたすらストレートで透明、そして高くなるほど鋭く。

これらの点を考慮して私個人がクラリネットという楽器とその奏者の相互関係において連想する性格要因をまとめてみると・・・
1) 器用、スマート、立ち回りが優雅とはいかなくともとりあえず立ち回る。
2) ひょうひょうとしていて、感情が薄め、こだわりがない。いろいろ自覚がない。
3) ごく自然に(本人も自覚が薄い場合がありますが)いろんな人格を持ち合わせている。
4) 頭の回転は速く、必ずしもおしゃべりではないけれど弁は立つ。
5) 我が強いほうではない。感情に共感するよりは理論で理解する方が得意。

オーボエと比較するのはなんだか申し訳ない気がするのですが(自分がオーボエをやってたので)、オーボエと比較するとわかりやすいと思うので・・・
1) オーボエはがっつり文系・努力の芸術肌。クラリネットは理系・天性のセンスによる芸術肌。
2) オーボエは音が赤ワイン的。クラリネットは白ワイン的。
3) オーボエはこだわり・固執・束縛的。クラリネットはそういうものとはなかなか縁がない。クールで冷ためのイメージ。
もちろん比較しちゃうとわりと評価が極化してしまうのは承知ですが・・・でもこれだけルックスが似ててこれだけ性質が違う楽器も珍しいです。
(ちなみに有名なプロコフィエフの「ピーターと狼」ではオーボエはその音色からアヒル役、クラリネットはそのアタックのソフトさから忍び足の猫役なんですよ♪)

クラリネットは先ほども言いましたがいろんな仲間がいて。オーケストラでよく使われるのは小さいEs管や、J字型のバスクラリネット。バスクラはいいですねー。ルックス的にも銀の部分が多く、音が本当に悪役的な、sinisterな感じが強く。
他にもレアどころだとコントラバスクラリネット(アデズが使ってます)やそれより大きい仲間達はもうすっかり工場の配管状(笑)変なところがモダン化しているクラリネット族。
それからサキソフォンもいわばクラリネットから派生した楽器ですからね。オーケストラのサキソフォンといえば(使われてますよ!案外!)なんだか変わり者というか、クラリネットのセンスをもっと強めて、理系的な論理思考を少なくしたみたいな・・・感じとしてはエキセントリックなフランス人みたいなイメージです。

クラリネットは・・・わりと表面的な性質しか伝ってこないような気がします。
なんだかもっと裏がありそうな(良い意味でも悪い意味でも)、ひょうひょうしてるけどなんだかもっとあるような。
封神演義(漫画版)のキャラでオケを組んでみたとき、結構アブナイ趣味をお持ちの方達がこのセクションに次々と入ったのはなんだか意味がありそう(笑)。

キャラの強い木管楽器セクションの中でひょうひょう、淡々と自分にとって心地良いポジションを確立しているようにも見えるクラリネット。
さきほど書きましたような謎っぽいところと、クールさは私が特に好きなところ。

次回は今日も大分書きましたオーボエになります。・・・一応自分が前に弾いてた楽器なのと、参考にしている本の著者の方がオーボエなので参考資料・自分の意見共に偏ってるのですが、なんとかします。きっと(笑)


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第9番 第2楽章



クラリネットといったらまずアデズ!なのですがなんと昨日アデズの曲を紹介していた・・・
ちなみにアデズの作品で紹介しようとしていたのは「The Origin of the Harp」です。参考までに。

ただしクラリネットのソロ、といったらこの曲が自分の中でトップです。
交響曲全体としては以前も言及したと思いましたがおそらく意図的にとるにたらないように書かれているのですが、このスローな第2楽章だけ格段な深みがあって。

この楽章はもう初っぱなから長い長いクラリネットソロ。
その透明な、息の長いメロディーはどこか氷が張ったような冷たさがたまらない。
クラリネットの音はアデズの音楽やメシアンの「鳥たちの深淵」でもそうですが、たまにぞっとするような、別世界の音になるのです。

そして中間部で弦が入ってくる(厳密的には前にも弾いているのですが)ところの地響きのような不気味な音とか、中間部が最後に戻ってくるところの長和音と短和音が交錯するハーモニーとか、クライマックス的なところでのクラリネットの叫び声のような音とか・・・

スケールとしては他のショスタコの交響曲にかなわないのですが、その腕に抱えられるほどのスケールのなかに果てしない深みと闇、不気味さがあってもうぞくぞくしますね~♪大好きです♪

ちなみに次の第3楽章では明るく機動力の高いクラリネットの姿も見れます。
ショスタコらしい皮肉の効いたスケルツォです。

そしてリンクしたのはMark Wigglesworthの録音。今年も彼はマーラーを振りにメルボルンに来ますが、ショスタコはどうなんだろう?とわくわくしてこれをチョイス&メモ。交響曲第12番もまだお知り合いになれてないのでそっちも興味津々です♪

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大学の図書館より
今日は大学の図書館に行ってきました。(メルボルン大学)
図書館にはいつもお世話になってます。大学在学4年半ずっと音楽図書館で楽譜やCD、本などを借りたり、メインの図書館や医学図書館で本を借りたこともあります。
卒業生は図書館のメンバーシップが半額ですむので、妹が大学卒業して貸し借りを頼めなくなったのを機に先月登録しました。
基本楽譜や本は4週間借りれて、CDは1週間。(授業の教材とされているものだと短くなります)
何回か延長することもできます(授業の教材とされているものなど以外は)。
新たに登録してからCDは借りてません。頻繁に行ける自信がなくて・・・

今日返してきたのは:
クラムのマクロコスモス第1巻、天体の力学(マクロコスモス第4番)、クリスマスのための小組曲
ヴォーン=ウィリアムス 「山の中の湖」(珍しいピアノ曲です)
メシアン 鳥のカタログ第5巻(ヒメコウテンシ、ヨーロッパウグイス)
・・・だったかな。

そして新たに借りてきたのが:
クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」
アデズ 「Darknesse Visible」と「Traced Overhead」
メシアン 前奏曲集
マーラー 交響曲第7番(ミニスコア)

それからクラムの音楽についての曲二冊:
Neo-Mythologism in Music - From Scriabin and Schoenberg to Schnittke and Crumb (Victoria Adamenko)
Profile of a Composer - George Crumb (Edition Peters)
この2冊は購入しちゃいたいほどクラムの音楽を勉強するに当たって必須であり重要ですね~

音楽図書館にはいろんな本、楽譜、CD、レコードなどがあります(そしてないものがあれば無料でオーダーしてそろえてくれます!私も在学中ラフマニノフの交響的舞曲のピアノ連弾版、メシアンの先ほどの前奏曲集とは別の前奏曲、それからクラムのクリスマスのための小組曲をオーダーしてもらいました)。

借りるものもそうでないものも、本当にずーっと見て楽しんでリラックスできる空間なのですが、その中でも私がお気に入りなのがオーバーサイズ楽譜の引き出し。大きな引き出しに、ちょっとカオスに巨大な楽譜が入ってて。私にとっては夢の引き出しです。
上記のリストにあるクラムの音楽はほとんどこの引き出しに入っています。今もちょっと前もあの引き出し一番使ってるの私なんじゃないかなあ(笑)

私が楽譜を持ち運ぶ楽譜バッグ(ピアノ模様がついている、自己宣伝型(笑))はA3サイズの楽譜がちょうど入る大きさなのですが・・・
クラムの楽譜はピアノソロだとA3サイズですが、アンサンブルの楽譜になるとそのバッグにも入りようがないような巨大な楽譜がいっぱいあるんですよ。持ち帰ろうにもこれより大きいバッグはなくそのまま持つしかなくて、今日はちょっとだけですが雨が降っていて諦めました。
クラムは楽譜の工夫とか、ちゃんと音を見て分析したりすることも重要なのでいつか!とは思っているのですが・・・
もちろんいつかは手元にそろえようと思います。いやあ、Edition Petersさんには長くお世話になりそうです(笑)

手元にそろえたいと言えばマーラー7番も。今のところ日本で5番と6番をミニスコアとして購入してるので・・・というか母が好きなのになぜか1番のスコア持ってないじゃん!
メシアンの前奏曲は聞こえるよりも楽譜面が難しそうなので、隙あらば・・・でなく暇があれば楽譜を見ながら聴いたり、初見で弾いてみたりしたいです。この曲集をふくむ「20のまなざし」の前の曲ってちょっと感じがちがうので・・・もちょっと自分の心に近く、お近づきになりたいです。

そしてアデズの楽譜2つ。彼の音楽は去年生で聴く機会もありましたが、ピアノ音楽は好きなのになかなか聴く機会もなく、楽譜面ちょっと複雑なので、一度楽譜を見ながら聴いてお近づきになろう、との試み。
いずれは弾けるようになりたいです。

これからしばらく仕事&あるかどうかもまだ分からないオーディションの準備に忙しくなりそうですが、今日入手したものでちょっとずつでも息抜きできたらいいなあ、と思います。


今日の一曲: トマス・アデズ 「Darknesse Visible」

Amazon.comでの録音

今日借りてきた楽譜の一つです。そして私がアデズの音楽を知るきっかけになった曲でもあります。

以前にも言及しましたように、アデズは割と若めのイギリス人作曲家ですが、バロック以前の音楽を引用したりすることも多い人です。彼の新古典的なスタイルは独特の進化を遂げています(現在進行形)。

この曲もジョン・ダウランドの「In darknesss let me dwell」というリュート伴奏の歌が元になっていて・・・
その音を(ドレミファソラシド)を一音も変えることもなく(減らすことはあっても増やすことはなく)、オクターブをずらしたりして、ばらばらにして組み合わせ直したということらしいです。(説明下手ですね)
で、そうやってばらばらにしてしまったわけなので元の声部・メロディーの流れ方が分からなくなる・・・ということで、それぞれの声部の流れを音符の色を変えて表記することで示す、という、私の知っているうちで唯一カラープリントのレアな楽譜でもあります。

そうやって音楽をばらばらにしてしまうことでなんだか超現実的な雰囲気だったり、音と音の間の無限の空間を感じることができます。
自分でも適格かな、と思う例えは夜空の星座。私たちには例えばオリオン座の3つ星が隣同士に見えても、実際宇宙にいくと星達は物凄く離れているし、一直線にも並んでいない、という・・・
だから音楽の中の「宇宙」に放り込まれた感じなのでしょうか。

そしてこの曲にちりばめられたトレモロ(この震えが曲中ほとんど続いているんです!)だったり、細かいアーティキュレーション(アクセントなど)、強弱の様々なバリエーション。なんとペダルを浮かせてflutterする(ペダルのトリルみたいな感覚でしょうか)テクニックなどもあり、例えばメシアンから始まったトータルセリーや、クラムの特殊奏法と目的など違うところもありますが、どこか通じるところもあると思います。

とりあえずこの曲の不思議さ、繊細さ、その独特の空間は言葉で表すことができません。ぜひぜひ聴いていただきたいです♪

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Si bemol mineur
なんだか今忙しい?という感じでここ数日過ごしています。
なるべくピアノもやりたいなあー・・・

以前24keysvirus企画で調について自分が持っているイメージについていろいろ繰り広げてみました。
その後も1,2度調についての話をしているのですが今日はちょっとその中から1つ、いろいろ書いてみたいと思います。

以前も書きましたが私が一番親和性を感じるのおは変ロ短調です。
♭5つのマイナーキー(マイナーな調、ではなく短調という意味で)。
もともと♯よりは♭の調の方がサウンドがなじみやすい傾向はあります。
その中でも変ロ短調に特に惹かれる理由、というのを24keysvirus以来考えていました。
(ちなみに24keysvirusでは「蛾」のカードです)

そもそも変ロ短調というキーはわりと使用頻度が少ないキーだと思います。
楽器は一般的に(移調楽器ではそれぞれの)ハ長調を基準に作られてるのであんまり♯、♭が増えると技巧的に弾きにくくなるというのがありますし(ただ例外としてピアノはある程度♯や♭があったほうが手の形に合いやすい)。
響きの面でも例えば弦楽器だと弦を押さえるよりは押さえない方が音がよく響きますし、共振も起こりやすいですので・・・変ロ短調で使う音の音階には弦楽器の開放弦に当たる音が少ないのでずいぶんくぐもった響きになり、同じ理由で音程の基準となる音が少ないので音程も取りづらい。
(※ちなみに♭の多い調全般に当てはまる事です)

音楽的に近い他の調と比べて変ロ短調はどういうイメージか、というと・・・
ヘ短調のような情熱のエネルギーもなく、変ホ短調のようにどん底まで沈んでもいなく。
ト短調のようにはっきりした悲しみを示しているわけでもなく、ハ短調やニ短調のような不屈の精神、パワーを持っていなく・・・かといって変イ短調のような透明感もなく。

ものすごい爆発するような暗さも持ち合わせているのですが、そのエネルギーを発散させる、というよりは内破する、内に向いてどんどんぐるぐるするような感じで。
暗い調ではあるけれど、どこか不安定な場所に浮いていて、心地良さと心地悪さが一触即発、紙一重。
色で言えばグレー。様々な色の、濃さの灰色。

基本的に一人でぐだぐだ悩む、というかぐるぐるする作曲家が変ロ短調を使う様な気がします。
まずショパンが筆頭(ただピアノにおいて弾きやすい調、ということもあるかも?)。ブラームスだとop.117の2番の間奏曲が真っ先に浮かびます。ショスタコーヴィチは交響曲第13番(第1楽章)。チャイコフスキーも結構使ってますね。
ポップではアコースティック楽器と楽器の作りがそもそも違うので私の持っているイメージとはどうやら違う感じですが、wikipediaに変ロ短調の主な楽曲のリストがあるのでそちらを参照してください。

そういえば前アップしました私が作曲した曲も変ロ短調でした(意外な盲点)。
「好きな調」だと自分がこうなりたい、とか自分にはないものを求めるところがあるんでしょうけど、「自分に一番近く感じる」調だとやっぱり親近感を感じる、というか自分の内面に近いところがあるんでしょうか。
少なくとも自分が自分をどう見てるか、というのが反映されてるのかもしれません。

ショパンは変イ長調を好んだ、という話は聞いていますが偉大な音楽家、はたまた自分の周りでもあんまり自分の好きな調、自分が心地良い調、というのを話した事がないので・・・
他の人のキー事情はどうなってるか知りたいですね。


今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 間奏曲 op.117-2



なんだか20世紀より前の曲久しぶりな気が・・・(気のせい?)

先ほどちょろっと言及した曲です。大学の最終年に大事に弾きました。
私にとってはまさに!変ロ短調な曲です。
足が地に着かないけれど飛べてもいない不思議な浮遊感だったり、液体でなく流体が流れるようなスローなけだるい動き、闇に沈みきれないグレーな暗さ。
途中で長調がでてきてもなんというか素直に喜べないし。

ブラームスと言えば私はなんとなくがっつりステーキ派、というかchunkyな和音をがっつり楽しむのが好きなんですが・・・こういう流動的で濃くない(でも決してあっさりではない(笑))のも良いですよね。
ブラームスらしいっちゃあらしいですし。ぐずぐずしているところが(ちょっと失礼)。

昔名探偵コナンの漫画で「ねずみ色は動物の名前が入ってるから暖かそう」という感じのくだりがあったのですが、なんだかこの曲でそれを思い出しますね。灰色で、暖かくて、血が通っていて。

なんかちょっと心の気分がすぐれないときに良い曲です。
気分を晴らしてくれたり、解決策を示してくれるような音楽ではないのですが、とことん傍にいてくれて、一緒にぐるぐるしてくれて、そっと支えてくれて、優しく慰めてくれる曲です。

(リンクした録音、試聴があるみたいです。「インテルメッツォ 変ロ短調 Op.117-2 」です。)

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