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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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バレエ・リュスと華のパリ
今日はチェロが帰ってきました。
フルサイズが大きいからといって数年前ちょっと小さいチェロに買い替えたのですが、やっぱり自分のチェロはこっちだ、ということで必要なリストアをして取り戻してきて。もう放しません(笑)私のチェロです、世界に一つの。148歳、まだまだこれからも私よりもずっと長生きして響くことができる楽器なので。
ただリストアに相当お金がかかったのでキャンベラ行きは諦めかな・・・と。バレエ・リュスの衣装展、行きたいんだけどなあ・・・

(以下のバレエ・リュスについてのエントリーの後半には同性愛的な話が出てきます。お嫌いな方、不快に感じる方はご注意を。)

20世紀音楽が好き、20世紀歴史が好き・・・というなかで20世紀初頭のフランスはいろんな方面からわくわくするような時代です。
バロック時代以降、ドイツやオーストリア、イタリアなどの国が音楽の都として栄え。例えばロマン派はドイツの文学から起こったムーブメントで・・・フランスが主流となったり、フランスがお国柄だとかフランスの良さを引き出すような芸術の流れではない、という印象が強いですが・・・
20世紀の初頭になって、熟れすぎたロマン派から時代が変わってやっとフランスが芸術の中心となったのです。印象派などの絵画、様々な音楽、パリ万博から広がったオリエンタリズム、ファッション・・・
それらが花開いたきっかけの一つとして、「バレエ・リュス」の活動があると思います。
(実は大学在学中に自分の弾く音楽にものすごく関係が深いこの時代を「Paris! Berlioz to Ballet Russes」という音楽史の授業で勉強したことがあります。あと「Impressionism to Postmodernism」という音楽スタイルの授業でもちょっとカバーしたかな?)

バレエ・リュスはロシア発祥のバレエ団。パリを中心にして当時活躍し、モダンバレエの基礎を築き、ヨーロッパに向けて発信していました。
ただこのバレエ・リュスは普通イメージするようなバレエ団の役割を大きく超えた、もっと色んな事を成し遂げていた集団です。
バレエ・リュスをまとめていたのはセルゲイ・ディアギレフ。彼は芸術プロデューサーとしてバレエ団をまとめ、さらに多くの若く才気溢れた芸術家達をこのバレエ団を通して世に出し・・・音楽の分野でもストラヴィンスキーを世に出したり、彼の「三大バレエ」(火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典)をはじめとする様々な作曲家の作品の初演を行っていました。
で、こういう場からコネというものもいろいろ生まれるわけですよね。バレエ・リュス関係かどうかは分かりませんが、ストラヴィンスキーの交友関係として同業者のドビュッシー、画家のピカソ、作家のコクトー、そして映画の題材にもなりましたココ・シャネルが知られています。色んな芸術分野の先端のアーティスト達が集まり交流したり、お互いを刺激し合ったり、共同で作業をしたり。
そうそう、ディアギレフに「春の祭典」の曲を始めて発表する際にストラヴィンスキーとピアノ連弾して聞かせたのはドビュッシーだったそうで。

実際バレエ・リュスで、またはその外で他の芸術家達とコラボレーションしたり、作品に触れる機会が多い中でやっぱり芸術家個人の思惑だったり軋轢だったりもあったらしいですが、やっぱりその機会があるということが素晴らしいんだろうな~
芸術家達が集まり花開く場、というこの時代のパリに憧れますし、萌えますね(笑)

ディアギレフは凄い人物だと思います。
多くの芸術家達をまとめ、会社としてバレエ・リュスを運営して、様々な人材を発掘して、世に出して。
色んな人が色んな思惑がある中でそういう場を作って、芸術を花開かせるという共通目的のためにさまざまなスタイル、分野、毛色の芸術家を助けたことについて彼の右に出る人は歴史の中で居ないのではないか、と思います。そしてそれは過大評価ではないと思います。
さらに、彼は大衆にうけるスタイルという安全地帯にとどまるのではなく、当時フランスに育ちつつあった新しい音楽や他の芸術形態の芽を見つけて育て、それをフランスの民衆にぶつける、ということをして成功させた人で・・・
もちろんそういう方針だからこそかなりでこぼこ道もありました。「春の祭典」の初演で、その振り付けと音楽の奇怪さに大騒ぎが起きたこともあります。それでも時代と共に人々がそれらに追いついて、春の祭典は20世紀の名曲の一つ、クラシックの名曲・大曲の一つに数えられています。
経営などを考えるとかなりハイリスクなやりかたではありますが、彼のこういった方針が20世紀フランスを芸術の都としフランスの国民性を芸術の発展に反映し、最先端のアートだけでなく他の芸術をも大きく発展させた・・・それが私がディアギレフを深く尊敬する一番の理由です。今の時代、ポピュラーなものばかりがはこびるクラシック音楽界を思うと余計にあの時代に憧れます。

ディアギレフが世に出した才能溢れる芸術家の中に群を抜いた人物が居ました。
それがヴァーツラフ・ニジンスキー。ウクライナ生まれのダンサーで、若きトップダンサーおよび振付師としてバレエ・リュスで活躍していました。
彼は踊りにより表現することに天才的なうえに、踊り・振り付けにおいて類い希なる感性の持ち主で・・・「天才」という言葉は彼のためにあるのではないか、と私は思ってますね~(そして私が唯一「イケメン」という言葉で形容する人物でもあります。余談ですが)
ただその感性は繊細、独創的でありながら突飛なものでもあり、それに一般の人々がついて行けないものであったようです。ドビュッシー作曲の「牧神の午後の前奏曲」ではその振り付けに自慰行為をはっきり思わせるような動きがあったことにより批判を受けたり、前述「春の祭典」ではヨーロッパ化する前の文化を受け継ぐロシアの奥地の生け贄の儀式を表した振り付けが粗暴で野蛮なものだと批判され・・・

ただディアギレフはそんな彼の才能を愛し、重用していました。
ついでながらディアギレフはニジンスキーと一時期愛人関係にあったのこと。まだニジンスキーがずいぶん若い頃のことで、後にニジンスキーは女性と恋に落ち、結婚をディアギレフに反対され解雇されたことによりその関係は終わったのですが・・・
そこがなんというか、ディアギレフの唯一の弱点だったのかな、と思います。彼の才能を愛してはいたけれど、彼が新しい恋と女性との結婚などにより芸術家としてさらなる成長を遂げることを願ってやれなかった、プロデューサーとして芸術家の彼をサポートしてやることができなかった・・・というのは仕方がないことなのかもしれないけれど、本当に惜しいことだな、と思います。
その後ディアギレフは再びダンサー・振付師としてニジンスキーを呼び戻し、ニジンスキーもそれに応じるのですが、それも短い間で・・・ニジンスキーが統合失調症を発症し仕事ができない状態になり、29歳でそのキャリアを終えることになったので。(ただ彼自身は63歳まで生きています)

私にとってニジンスキーは一番好きな芸術家の一人です。(ディアギレフを尊敬してるのと同じくらい)
彼の演じた「牧神」の画像はGoogleで検索しても出てきますし、彼自身の踊りの映像も、彼の振り付けの映像もそのものはほとんどといっていいほど残っていませんが、振り付けの再現ならYoutubeで動画があります。私がよく観る彼の振り付けの「春の祭典」(初演の騒動を含む再現)はこちら(プレイリスト)。

感性が人並み外れてますもの。静止画でみる存在感も本当に信じられないほどの特別さがあって。溢れる才能、神秘的な存在、自由な感性もそうですが、その波乱の人生と多くの苦しみ、病気による長く続いた悲劇もひっくるめて本当に(別分野ながらも)憧れ、ある意味ものすごく愛しい存在です。

長くなってしまいましたが、まだまだ語り足りないです。(笑)またゆっくり育ててここら辺の芸術の話はしたいですね~
ニジンスキーの生涯を題材にした映画はあるようですが、パリと芸術をディアギレフとその周りを中心として、(ディアギレフとニジンスキーの関係もあり)、ディアギレフ視点で?描いた映画があったらなーと思います。小説でもいいんですけど音楽と踊りがないと、ね。

今回も今日の一曲はおやすみです。長くなってしまったので・・・次回この時代から一曲選びたいと思います。

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明けましておめでとうございます。
ご挨拶の前に・・・
記憶についてのエントリ-、それから大晦日のエントリーに拍手1つずつありがとうございます♪
今年もきっとこんな調子でいきますが宜しくお願いいたします。

めでたく2011年明けました。
皆様明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

今日は昨日の足のまめ、疲れに振り回されゆっくりのお正月。
ピアノはやりました。
ブログ書き終わった後はすこしでも創作にエネルギーをさきたいところです。

今年はメインの創作書き物をないがしろにしないのが目標です(汗)
仕事仕事だと技術文書の文体が染みついてしまうので・・・それに何よりも自分にとっていろんな創作を続けることの大切さ、その中でもストーリープラン&書くことの大切さを今年はもっと感じていきたいです。
ということで今夜はちょっとでも進めるぞー

仕事は年末にありがたい言葉をいただいたので、今年はコンスタントに仕事をもらいながら単価が上がるといいな、と思ってます。
それから1月25日の運転テスト。レッスンお休みしていたので再開しなきゃ。

ピアノに関しては今年一番大切なのがメル響のオーディション。
夏の間・・・というか1月の間に何とかしなくちゃ!というのがあります。
果たしてオーディションを受け付けているのかどうか、チャンスはあるのか。

レパートリーとしても弾きたい曲いっぱい。
夏の間にKoehneのTwilight Rainを弾く、というところから始めて以下の曲を弾きたいなーと思ってます:
メシアンの20のまなざしより「天使のまなざし」、「十字架のまなざし」、「預言者、羊飼いと東方の三博士のまなざし」、他前弾いたものの復習
メシアンの鳥のカタログ「ヒメコウテンシ」、「ニシコウライウグイス」
プロコフィエフ 4つの小品より「悪魔的暗示」をもう一回、それからもしかしたら他のも
プロコフィエフ ピアノソナタ第2番
ラフマニノフ 前奏曲とか練習曲とか
バッハ 平均律第I巻変ロ短調(これは近いうちに)
ラヴェルたくさん
リゲティの練習曲少なくとも一つ
ヴィラ=ロボス ブラジルのバッハ第4番
ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガロ短調など

それからクラムに復帰したいところですな。
冬は去年はブラームスにちょっと力をいてたのですが、今年はがっつりロシア音楽の冬にしたいと思ってます。
あ、あとシュニトケの音楽とお知り合いになりたい。

こうやって見るとたくさんですがまだ1年は始まったばっかり。あとは無理しないようにがんばっていきたいです。
これからの1年でどれくらいこなせるか楽しみです。

心理学・精神医学・メンタルヘルス関係のいろいろはまた次回。

私は一応4日から仕事始め、と決めていますが・・・
みなさんもゆっくりお正月を過ごせることを願っています♪


今日の一曲: カロル・シマノフスキ 「メトープ」より「セイレーンの島」



いまめちゃくちゃ練習で苦戦している曲です(笑)

シマノフスキの、特にメトープの各楽章に感じる女性像ってモローの絵画に通じるものがあると思ってきました。
理論はなく、直感的に。色彩的に。
昨日モロー展で彼のセイレーンの絵を何枚か見ました。ブログにも書いたとおりちょっと人間くさいセイレーンだったんですが、色彩だったり「女性」に感じるなにか、というのは確かに共通するなにかがあるようで。

この曲はセイレーンの歌を縫うようにトレモロやトリルなどに満ちていて(それとも反対?)。まるで羽毛のような、震えるような・・・ものすごく繊細なのに,その下に妖しく渦巻く何かがあって。カリュプソーの時とはまた違う、ダークな感じのセクシーさがたまらない!

それにしてもカリュプソーの時よりも技巧的に難しいです。ハーモニーの複雑さもありますし、曲全体を支配する9度という音程をベースに組み立てられた和音は私の手にはちょっと大きすぎる!ああ恨めしい!
でも自分の手だけでなく存在を実在以上にするのが音楽家の仕事でもありますしね(汗)

決して最初聴いた時からぐっとくるような曲ではないけれど、気がついたら彼女たちの歌声とその姿、色彩に魅了されていた、という、ある意味「らしすぎる」曲。
私もあのハーモニー、トリルやトレモロにすっかり虜になっているのですが・・・果たしてその色気や妖しさ、不思議な存在を表現できるようになるのでしょうか(汗)

弾くよりは聴くほうがずーーーっと簡単なので(実際弾く時にこんなむずかしいの!と思っちゃいました)、ぜひ一度聴いてみるのをおすすめします。

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オケという生き物
ただいま仕事めちゃくちゃ頑張り時です(汗)
今少し納期が押してる大きい仕事が来て、クリスマス前に終わるか終わらないか・・・というところ。
がんばってきちんと仕上げて年末年始はゆったりしたいです。髪が切りたいです(涙)

ピアニストはひとりぼっちでステージに立つことが多く、それが難しくもあり自分にとってはそれがものすごく性に合ってる部分もあるんですけど、やっぱりオーケストラとは離れたくないな、と思います。
小学校6年生のときチェロを始めて学校のオーケストラに編入されてから中学・高校の学校のオケ、ユースオケ、大学のオケ、コミュニティオーケストラなどと関わってきました。
チェロを弾いたり、ピアノやチェレスタを弾いたり、はたまた1回ほど打楽器も弾きましたし(笑)あとマネージャーとしてもオケに携わってきました。
創作でオケを何度も何度も題材にしていたり(只今メインの方でコンマスがぶち切れたのを処理できずにいます(汗))、ネタとしてオケを扱ってるのもまたオケを愛しているから。

オーケストラはいろんな次元で本当に面白い存在だと思います。
80人を超える人数の人達が集まって、それぞれ自分のパートを自分の楽器で弾いて、一つの音楽を創り出すのがオーケストラの機能ですが・・・
指揮者がオーケストラをまとめ、曲全体の解釈も指揮者が決めるんですが、だからといって指揮者は独裁者のような存在ではないんですよね、普通は。
わりと個人の自由がある、というか・・・
弦楽器のボウイング(弓の動かし方。フレージングなどに影響大)は基本各弦楽器セクションにゆだねられますし(一応基準はコンサートマスターの解釈ですが)、木管・金管のソロ、打楽器のパートなんかも基本は奏者の弾き方を指揮者が大きく曲げることは少ないと思います。(個人的な印象ですが)
勿論曲は一つの音楽としてある程度統一性がないといけませんが、それはやっぱり自己判断で周りだったり指揮者に合わせたりなので。

これだけ人がいて、楽器がいて・・・個人の曲の感じ方、表現の仕方持ちがいますし、楽器が変われば利害関係、得意不得意も変わるのに、基本音楽のことでもめることは少ないですね。
もちろん最終決断は何も言わなくとも指揮者に従う暗黙のルールはありますし。
でもオケで弾いている時でテンポだったり音は勿論周りと合わせますが、感じ方・解釈を人に合わせている、妥協しているという風に感じたことは不思議とないですね・・・

オーケストラは音楽を弾くのも楽しいし、人間観察だったり音楽観察?をするのも楽しいです。
特にチェレスタ・ピアノを弾いてると休みだらけなので他のパートが何をしているか、とかオケの音楽をパート毎に耳でひもといてみたりとか、楽器の仕組みをじーっと見てみたり(つば抜きとか、形状とか)。
人と触れあうにも面白いです。(これは特にマネージャーとして)
一番面白いのはコンサート前のウォームアップルームでみんなめいめいのことをしているときだったり、あとは勿論コンサート後の打ち上げ。音楽においての奏者の魅力もそうですが、普通に人間としての魅力も味わえて。

たくさんの人が集まって集団になると一つの集団としてまとまるために妥協したり、内乱が起きたり、はたまた個々の声が埋もれたり、個々と集団のアイデンティティが曖昧になったりしますが・・・
オーケストラっていうのはわりと個人を生かす団体だな、と思います。むしろ個人を生かしてこそそれぞれのオケの性格だったり性質ができて、より音楽を豊かに表現できるんじゃないか、と。一人一人の力を足したものより、オケ全体が作り出せる力はその何倍にもなり得る。

頑張りのレベルだってわりと差がありますし、パートの難易度だってevenではないですし。出る杭を押さえてしまうこともなく、他の人に無理強いすることも(あんまり)なく、いろんな違う人や思い、演奏が集まってオケになるのはもしかしたらある種の「理想の集団」なのかな、と思います。

オケで弾いていると果たして自分は一人の奏者なのか、オケという集団の一部分に過ぎないのか、はたまた指揮者に従っている従者なのか、または作曲者に踊らされている「音楽の一部」なのか・・・
不思議な気持ちになります。きっと全部あてはまることで、だからこそオケが好きなんだと思います。

最後にちょっとだけ関連があるヒンデミットの言葉。
「音楽を共に奏でるものは敵同士になり得ない・・・少なくとも音楽が鳴っている間は。」
とりあえず80人いようが何人いようが、少なくとも音楽が鳴っている間はみんな同じ目的に向けて全力を尽くし、同じ音楽の一部。

来年の目標に向けて、オケ生活に少しでも戻ることができるよう頑張りたいと思います♪


今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ スペイン奇想曲



私の創作のオケストーリーのサマーキャンプにて、コンサートで一番最初に弾かれる曲であります。
やっぱり華やかでテンションが上がって弾くにも楽しくて・・・というのもありますが、このストーリーを書くにあたってオケを紹介する際に目立ったソロとかが色んな楽器に現れるとキャラの紹介にもなるかな~と思ったのもあります。
オーケストラが一つになりながら、個々のプレイヤーの見せ場もたくさんある、個人と集団が魅力的にプレゼンされている、色んな意味で目的にふさわしい曲なのです。

耳を傾けていただきたい楽器の主張をリストします:
第1楽章、第3楽章のバイオリンとクラリネットのかけあい(二つの楽章でパートが入れ替わる形になってます)
第2楽章のホルンのアンサンブル+ソロ、イングリッシュホルンのソロ
第4楽章での金管ファンファーレから、独擅場シリーズ。バイオリン、フルート、クラリネット、ハープ。
第4,5楽章のバイオリンのパートだったり、ハープのパートだったり、ちょっと目立たないところで粋なことをしてます。
それから全楽章通じて打楽器がいかしてます。

リムスキー=コルサコフは本当に楽器使いに間違いがなくて。楽器を使ったり、組み合わせたりして魅力を増幅させたり、このスペイン的な雰囲気(あくまでも外国人から見てのスペインですが)を醸し出すために本当に的確な音色を創り出してくれて。
派手でテンションが高く、きらきら魅力的・・・というのもこの楽器使いあってこそ。弾く方も音楽の内容だけでなくパートが良いからこそ弾いてて楽しいわけです♪

15分は序曲的な扱いだと時間的には長いですが、弾いたり聞いているとあっという間。
まるでお祭りのような華やかさ,楽しさと刹那的な性質がなんとも愛しい、そしてオーケストラがこんなに短い時間で素晴らしく輝く曲です。

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闇を力に。
仕事にピアノに励んでいる毎日です。
クラムの音楽を改めて勉強するために楽譜をコピーして、A3のスケッチブック(というかArt diaryというものらしいです。めちゃくちゃページが多いから自分の目的には大変useful)にコピーした楽譜を切って貼って。
なんとなくイマイチ踏み切れてないのですが(失敗するのが怖い)、がっつり向き合うのが楽しみです♪

前回自分は水に惹かれる、affinityがあるというをしましたが・・・
もう一つ自分が特に近く感じるエレメントがあります。なんとなくいろいろな所から推測できると思いますが、それは「闇」です。
もしかしたらすでに似たようなエントリーを書いてるかも知れません。すみません(汗)

闇属性の曲は基本好きです。
ショスタコーヴィチやマーラーで幼少、さらに思春期を過ごしたのもありますし。
ラフマニノフに出会ってから闇の属性を弾く事、内なる闇をそっちにつぎ込む、表現することに快感を覚え・・・
それがちょうど鬱にかかった時期なので快感と共にやっぱり需要もあり。
表現に関しては闇は昔も今も自分を突き動かす動力の主なものの一つだと思います。

以前も言及しましたマイケルの受け売りですが、誰にでもあるのかもしれない内なる闇を適切な形で表現することの大切さ、というのも大きいです。
鬱になっていろいろあって、やっぱり表現する方法があるのならなるべくそっちに向けないと本当に危ない方向に向いてしまう、というのも痛いどころじゃすまないほど思い知ってますし、自分の中にそれがたまりたまってしまうとどうなるか、というのもたくさん経験しています。闇を音楽により表現する必要性をひしひしと。

なりたくてなったわけではありませんが、鬱状態(とくに重症)に数年なっているとやっぱり調子がいい状態だったり、光的なものが怖いとはいかなくともあまり・・・心地良くなく感じて。
病気の傾向としても調子が悪いと逆に安堵する、ということはよくあるようです(私も今でも、ときどき)。
だからやっぱり闇の音楽に惹かれ、心地良く感じ、どっぷりはまって自分の一部のように感じ、その独特の美をがっつり味わってきたという経緯が私にもあります。

鬱にとってその病気という自分の中にある闇は自分を辛くする、そしてついには自分を殺すかも知れない力で、それとどれだけ戦おうとも勝てる気はせず、自分よりも巨大な力。
同時に強く惹かれ、どうしようもなく自分の一部で、物凄く近しく感じる力。
でもだからこそそれを否定せず乗り越えて、自分の手の中で自由に操り、その力をコントロールできるようになりたい、という気持ちが強いんだと思います。闇が自分におよぼす力を知っているから、その同じ力を自分も使ってみたい、表現・音楽に使いたい欲が強いです。
毒と薬は紙一重、というのはこの病気を患うと痛烈に感じることですしね(汗)

闇と言ってもいろいろありますが、割と自分の中に住んでるのとは毛色が違う闇も取り入れちゃいたい傾向はあります。貪欲、というのでしょうか(笑)闇に惹かれるのは調子が大分回復した今でも一緒ですし、元気があるからこそ表現したいと冷静に思えますし、ちゃんと行動にも移せますし、欲もでるのですね。(調子が悪いと欲はあるけどまとまらない)
自分の闇と違う闇も知りたいし、理解したいし、共感したい。優しさではなく闇に惹かれていたりそういう欲があって他の人の心と触れあいたい、と思うのかも。

芸術は光だけのものじゃない、と思うんです。
音楽や絵画などでの創り手のことを思うと(私の知っている範囲でもゴッホ、ピカソ、マーラー、アポリネール、etc etc...)芸術だからこそ闇を表現できるということがあると思います。
そして芸術だからこそ受け取る(=見る、聞く)側も比較的容易にそういった闇を受け入れる・共有することができる、ということもあって。

心がけとして闇の音楽を弾きたい、心の闇をはき出して力に、形にしたい、と思った時になにか弾けるものがあるということはなんとなく安心します。
私の場合だとブラームスのト短調の狂詩曲、プロコフィエフのアルマンド、スクリャービンの練習曲op.42-5がぱっと浮かびます。好きな曲だったらレパートリーは広いに超したことはないですし、もっといろんな闇を表現、弾けるようになりたいですし、単純に闇に対して貪欲なので。もっとこの力を手にしたい。

必要だから、表現したいから・・・いろいろ理由はありますが、闇を自分の力として、さらに共有することができるように、闇の音楽の世界をしっかり歩きたいです。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 第1楽章



ピアノで表現する闇の極み、といったらきっとこの曲でしょう。
以前「精神破壊系」として破壊的な音楽のエントリーで紹介しました。
そしてこの曲についてはシュミットホフの自殺とプロコフィエフについてのエントリーで詳しく語ってます。是非ご参照ください。
もちろんピアノ協奏曲なのでオケもその果てしない暗さそしてパワーにかなり貢献していますが・・・

この曲はプロコフィエフらしい曲です。
ひねくれていて、クールに振る舞い毒舌をふるうかとおもったらロックオンして深い闇にどっぷり沈んだり、巨大な内破を起こしたり。

協奏曲としては4つの楽章合わせて40分超と巨大ですが、この楽章のすごいところはピアノのソロがオケなしで披露するカデンツァ。楽章の後半をほとんど占める、時間にして5分近くにわたって演奏されるのですが・・・
実際5分というのはピアノ協奏曲のカデンツァとしてはそこまで長くないのかもわかりませんが(あんまりそこは詳しくないです)、長さではなく中身の巨大さ、濃さ、難しさとしてはこのカデンツァに敵うものはない、と思います!

オープニングのメインメロディーの再現から始まって(カデンツァには多いことですね)、だんだん重くなってきて、ほんとうに一人っきりの舞台の上で激しい狂気と苦しみにのたうち回り・・・ここから先の描写は諸事情により割愛しますが。
やりきれない、聴いてても苦しいなかでやっぱりどこか弾くと快感があるのがはっきりありますし。
一音一音がゲリラ豪雨の雨粒のように重く、痛く。

そしてエンディングでオケが入ってくるところがまた格好いいんだ!
この第1楽章を聴く10分強、人生の中でかなり濃い時間になること請け合いです。

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L'Eau...
こないだEarthseaシリーズの再読が終わりました。
昨日感想を書こうとしたのですがどうも本の魅力を伝えることができない気がして諦めたのですが、本当にファンタジー小説として、そしてその枠を超えて素晴らしい本なのでもっと多くの人に読んで欲しいと思っています。

Earthseaの物語の中で、古の時代は人間と竜は一つの生き物だという言い伝えがありました。
その「人」たちは、いつしかお互いに異なるものを求めるようになり、その違いによって竜と人間に分かれた、という・・・
所有すること、得ることを求めた者は人間に、自由と自然を選んだ者は竜に。
人間は四大元素のうち水と地を、竜は火と風を司ることを選んだ、という記述がありました。

私は竜には憧れるけれど「水」という元素はなんとなく手放せないなあーと思います(笑)
もちろん水は生物学のことを考えても人間にとって欠かせないものではありますが・・・
わりと水というエレメントには愛着がありますね。

住む町だったり、日本に行ったときに家族が住んでる町は海にわりと近いところが多かったですし、一人でどこかぶらりと行くときも湖だったり海だったり水があるところに行くことが多いです。
水に入ることは案外少ないですが(汗)

ゲームでも例えば三国志だと地形的に水が多く海にも面している呉で始めるのが落ち着きますし、Sacrificeも本拠地が雪原でクリーチャーも氷を操るStratosの下でプレイすることが多いです。
なんとなくやっぱり使ってると落ち着くエレメント。

もともと火は男性、水は女性と結びつけられることが多いような気がします。
実体はあるけれど形は決まらず、透明だったり鏡となって人を映したり、人の命の源でものすごく身近に扱うものながら同時にものすごく危険なものでもあり・・・
自分が水のどういったところに惹かれているか、正確には分からないのですが。

もしかしたら水は音楽で直接扱われることが一番多いエレメントなのではないか、と思います。
レスピーギの「ローマの噴水」、ドビュッシーの「海」、ドヴォルザーク「ルサルカ」、そして他にも数え切れないほど!
自分の弾いた曲でも:
ドビュッシー「沈める寺」
メシアン「ダイシャクシギ」
ラヴェル「洋上の小舟」
クラム「Rain-Death Variation」
Koehne 「Twilight Rain」
・・・など思いつくだけでも結構あります。イメージが「水」のものも合わせたら(例:ショスタコーヴィチ前奏曲とフーガ変ロ短調)もっとありそう。
結構水を求める気持ちはあります、音楽でも。
特にピアノは水の音を表現しやすいのかもしれませんね。音の粒だったり、素早い動き、変幻自在の音色。

他のエレメントは・・・と言いますと。
「地」がわりと合わないな、というのはなんとなくあります。明確な目的だったり特別な気持ちがないと「地」のイメージを持つ曲は避け気味な傾向が。
風と火はあこがれがあります。竜に憧れるように、その「自由さ」、そして水以上のパワーと気まぐれさ、扱いにくさをある程度コントロールできるようにできればなあ、と思います。
あと、人間は地から創られ、天使は炎から創られたという言われのとおりにメシアンもまた天使を炎と関連づけているので、これからも縁があるエレメントだと思いますので・・・
でも「火の島I」は火がわりとすっと入って来たのでチャンスはまだまだこれからあると信じています。
ただゲームでいうと「火」というエレメントはADOMでは一つの大きな壁になってますのでね、果たして音楽でもその通りなのか・・・

もちろん音楽がみんな四大元素に分けられるわけではありませんし、分けたところで特にどうということはないです(笑)ただやっぱり(いつものキーワードto音楽もそうですが)音楽をいろんな方向からアプローチして感じたい、表現したいですし、ただ単にこうやって考えてみるプロセスも面白いですし。
あとこういうエレメントをプログラムを組むときに考慮してみるのも面白そうですよね。水を中心に展開してみたり、テーマはエレメントでなくとも色んな元素の曲をとりいれてみたらプログラムがなんかバランスとれた感じになるかな、と。

極度乾燥のメルボルンの夏。水分補給も大切ですが、心の水分補給、そして音楽で水に触れることも大事にしたいです♪


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「ヨーロッパウグイス」



鳥のカタログからどうやら3曲目ですか?もちょっと書いてたと思ったんですが・・・
それにしても最近現代音楽続きですね~私の趣味もありますがきっと季節もあるんでしょうね。

ヨーロッパウグイスは葦が茂る涼しげな水辺が舞台。夏にはこういう景色がものすごく欲しくなります。

ヨーロッパウグイス、と名はついていますし、この曲の中でかなり特徴のある鳴き声で存在を表していますが、実質上この曲の主役はカワセミだと思います。
鳴き声こそ短く、歌としては他の鳥に負けますが、メシアンはカワセミが目の前を横切るあの光る青緑色の飛翔までも音楽にしてくれちゃいました♪
聞いたらすぐ分かる、強烈な色彩の和音の連続。本当にカワセミが横切るときに何だか青いものが飛んだけど鳥だったかどうかわからない、その「動く色の印象」を上手くとらえています。
あと曲の最後でぽちゃん、と湖に飛び込むその姿もまた愛しいですね。

風が流れたり、水が静かにたたずんだり、鳥が喜んだり・・・夜になったらきっと蛍が光るんじゃないかと思うくらい清らかで、涼しげで、爽やかな情景。
どこにいったらこんな情景にであえるんだろう、と思います。カワセミに会えなくても、会いたいな・・・って。

年末年始は少しは全部休んで水のあるところにいって涼みたいですね。
潤し、潤し。

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