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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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子供のために音楽を・・・
今日は日本から荷物が来て靴下と(笑)日本の番組のDVD、2011年のスイングロジカルダイアリーが届きました。
来年の手帳があるだけでなんだか安心しますね♪
ポケットがついてるので処方箋とか血液検査の紙とかしまっておけてさらに安心。

唐突ですが、私は「モーツァルト効果」というものを信じたことがありません。
実際ウィーン大学だったかな?の研究でで科学的な証拠があやふやだということがわかりましたし。
そもそもモーツァルトが偉大だとしてもそれほどの効果はあるということが単純に思えなかったのもありますが、もう一つ重大な理由があります。

音楽を聴く、ということは「経験」です。
同じ曲を聴いても感じることは一人一人の聴き手によって違いますから、その経験も一人一人違う。
どんな経験でも人に、人の脳に影響を与えるので一般的に「脳に良い」と言われることよりももっと自分個人の脳を刺激するものはたくさんあるかもしれない、ということで・・・

大人は自分の意志で音楽なりスポーツなりいろいろ試したりして実際に経験して自分で判断することができます。
ただ子供はそうじゃないです。子供の経験の幅を左右するのは大人が子供に提供する環境。
だから「子供には良い音楽を聴かせる」といって音楽の経験の幅を制限してしまうのはどうかな、と良く思います。

そしてその「良い音楽」の定義も、なあ・・・と。
例えばモーツァルトは脳にいいとか上記いろいろで言われていますが、時代的にもあの頃の音楽って貴族のためのもので上品なものに仕上げられていて、楽器の使い方とかハーモニー、強弱も幅が狭くて。そういうのは別に子供にはいらないなあ、と思います。モーツァルトは60歳になっても待ってくれる、というのが持論で。
過去に数年ピアノを子供に教えてた経験からも大人が子供に弾かせたい、聴かせたい音楽は子供が楽しむ音楽でないということが多いと言えます。

一番大切なのは子供が音楽を聴いて楽しんで、そして好奇心を持って、大人からは見えないかもしれないけれどでいろいろな事を学んでいくこと。
例えばいろんな楽器の音、小さい音・大きい音、いろんな色彩(それを意識的に理解できるかはあんまり関係ないと思います)、色んな感情を吹くんだ音楽が良いのかなあ、と。
そして先ほども言いましたように「良い」に限らず色んな音楽を聴かせてみるのが一番だと思います。

うちは父も母もクラシックを始め色んな音楽を普段から聴いていて、特にクラシックはレパートリーが広かったので、色んな曲を聴いて育ちました。
ベルリオーズの幻想交響曲、ショスタコの5番、マーラーの1番、バッハのトッカータとフーガニ短調、ストラヴィンスキーの春の祭典などなど・・・当時聴いたことを断片的にですが結構覚えています。
小さい頃聴いていた音楽は親しみや懐かしさ、そしてまた違う意味で心と結びついている、なんだか特別なものがあります。

子供を持つのはまだまだ先でしょうが、私の場合どんな曲を子供に聞かせたいかな・・・

「春の祭典」についてはファンタジアの恐竜のアニメーションがあるので恐竜好きの子供は食いつきいいんじゃないかと思います。実際私がそうでした(でもそれ以前から知ってましたね)。不協和音だらけで、こんな音を聞かせていいんじゃないか、なんていうのは大人の勝手な決めつけ。子供は「音楽はこういうものだ」という固定観念がないので純粋に音楽を楽しめますし(特に恐竜がいると!)、その固定観念が育つ前に心をオープンに保てるのではないか、と思います。不協和音だらけだって音楽史なかでもっとも素晴らしい音楽であることには変わりないですしね♪

あと「惑星」は本当にオススメです。子供も大人も。
みんな知ってる、一番最初に心を掴むであろう木星から始まって・・・いろんな惑星、色んな音楽に出会って新しい恋をして、今まで普通に聴いていた曲に新しい発見をしたりで一生楽しめます。(そしてどの曲も色んな意味で本当に優れているし、素晴らしい体験ができます)
木星で止まっちゃうのは勿体ないですからね。
やっぱり「懐かしい」という気持ちがあると繰り返し聴きやすくなるので小さいうちにちょっとし種をまいてみたらどうだろう、と思います。

他には普通にピーターと狼とか、動物の謝肉祭とか、展覧会の絵とか。
後は難解な曲を当たり前のように聴かせて、子供が大人になって「やっとわかった」ってなるのも面白そう。
自分にとってはバルトークの管弦楽のための協奏曲がその体験に近いですが。

そしてなんといっても想像力と感情と好奇心が刺激したい。そして世界を広げたい。
なんだろう、どんな曲がいいのかなあ。
もちろん聞かせてるのは大人ですが好きになるかならないかは子供次第なのでね、そこはそこで面白いですが。

・・・こういうプロセスが本当に好きで。
人に音楽を勧める人になりたい、という思いが強くなりますね♪
そのためにはどんな勉強をしてスキルを磨けばいいのかなあ。
音楽のサイドと、心理学(そしてきっとメンタルヘルスも)のサイド。
結局今回は言葉を濁して終わっちゃいましたが精進したいです♪


今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「展覧会の絵」(ラヴェルによるオーケストラ版)より「キエフの大きな門」



私が本当に小さいときに一番好きだったのはハチャトゥリアンの「剣の舞」でしたが多分一番心に残っていたのはこの曲だと思います。
音楽を聴く主な機会が車の中だったため、音量が小さい曲はあんまり記憶に残ってない、というのもありますが・・・

当時はキエフがどこにあって(当時だったらウクライナじゃなくてソヴィエトだよな)、この曲がどんな絵を表しているかなんて想像もつかなかったのですが、コラールのような和音の響き、金管、鐘、そして全ての楽器の輝かしさ、まるでバリエーションのように繰り返され、展開する音楽が本当に印象に残ったのかな、と思います。

元のピアノ版もオーケストラ版と同じ魅力があります。実際この楽章がラヴェルがオーケストラ版を書くことになったきっかけなのでは?と思うほどピアノ版もオーケストラの響きにあふれています。
最後の方は本当に鐘の音が聞こえるんですよ♪ショスタコ、ラフマニノフもそうですがロシアの作曲家は本当に鐘が好きですね。

もしも未来が分かるなら、この曲を年が変わるちょうどに終わるよう大晦日に「展覧会の絵」のコンサートをやりたいです(笑)なんでしょうね、やっぱりヨーロッパの冬、大晦日を思います。
ただその想像のベースはいつだったか家族でクライストチャーチ(ニュージーランド)で迎えた年明けの雰囲気だと思いますが(笑)
ささやか過ぎますかね?でもこの曲で年越しって本当に素敵だと思いますよ♪

・・・この曲のことを考えてるときに限りませんが、ピアノを弾く、弾きたい人だけれど私の想像だったりなんだりはやっぱりオケにあるみたいです。
ピアノだけに縛られず、マイケルのように「音楽家」でいて、オケの色彩と離れずいたいです。

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Happy Birthday, Olivier
1908年12月10日、オリヴィエ・メシアンが生まれた日です。
彼の母親である詩人セシル・ソヴァージュは彼を身ごもっているときからその子供が芸術家になることを予感していたそうで、詩にそのことを著したといわれてますが・・・(まだ見つかっていません!読みたい!)
なんでしょう、女の勘なんですかね。でもメシアンの「20のまなざし」に見られる聖母像に通じるところがあるような。

メシアンが生まれて、彼が愛するものを愛し、表現してくれて本当によかった、と思います。
彼が死んだ後でやっと彼の音楽とちゃんと出会えて、ちょっと遅かったかなあ~と思いますが、それでも出会えて、いっぱい弾けて、これからも弾きたいと思えて本当に、ほんとうに嬉しいです。

当面の目標は30歳までに「20のまなざし」コンプリート。
私もメシアン弾きの一員でいさせてもらいたいです♪


他に書くことはあんまりないんですが・・・
創作のサントラ、作り直したいな~なんて。
もともと未定の部分が多くて、使いたいけどアイディアが半固形なまま蓄積してしまって・・・
プランを始めたころと比べて今の方が断然頭の中のレパートリーも増えてますし。
OneNoteのノートまとめもまっさらに戻しましたし、いろんなごっちゃをひもといて、自分が考えいいようにしたいです。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」より「星達の血の喜悦」



凄く好きで、良く聴く曲なのですが、背景やなんかについてはほとんど知らないのにまあ無茶なチョイスですが・・・
前N響アワーのオープニングで使われてたんですよね~♪

メシアンは地の生き物も好きですが、宇宙の星達も好きみたいで、いろんな曲に星が登場します。
「20のまなざし」はキリストの生誕を知らせた、空にぽつんと輝く孤高の星ですが、オケ曲などに見られるものは、満天にいっぱい、色んな形と色に輝く迫るような近さでたくさん、たくさん輝いています。

オケ的にもこの曲も主役級のピアノ、チェレスタ、メシアンの好きな打楽器もたくさん使ってそのまばゆいばかりのきらきらを表しています。物凄く「近い」んですよね。本当に圧倒される色、光。

そしてひときわ目立つ電子楽器オンド・マルトノ(テルミンにちょっと似てる音ですね)。
メシアンのオーケストレーションについて冷静にじっくり考えて自分の中で消化したことはないのでまだ理解できてはいないのですが、オンド・マルトノの音色は確かにメシアンの色彩の世界の住人だな、という印象はあります。

初めて聞くとものすごく圧倒されてしまうほどの曲なのですが、激しい光と色彩の踊りを浴びるように感じるのはなかなか凄い体験ですよ♪


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タコはタコでもショスタコーヴィチ
最近「表現の自由」について各所で議論が起こっているようですが、そのフレーズを聞くと自分の事や自分の周りのことよりもどうしてもショスタコーヴィチのことを思い出してしまいます。
なので今日はショスタコーヴィチについて。

ショスタコーヴィチ自身のことに移る前にショスタコーヴィチの音楽と私のことを。
ショスタコーヴィチの音楽は生まれる前からおそらく知り親しんできた音楽の一つ。主に祝典序曲、交響曲第5番と第9番は物心つく前から覚えていましたし、オケで弾く事を愛するようになったのも(交響曲第11番)、大学で積極的に友達と交流したり演奏したりするきっかけだったのも(チェロ協奏曲、ビオラソナタ)、オケピアニストとしての頂点だったのも(交響曲第1番)ショスタコーヴィチの音楽。
「ショスタコーヴィチの証言」で彼のことを読むとどうもひねくれて「うーん」なところもあるのですが、彼の音楽は自分のどんなところも信じてさらけだせる、幼なじみの大親友だと思っています。

ドミトリ・ドミトリエーヴィチ・ショスタコーヴィチ。
生まれたのは1906年でまだロシア革命は起こっていませんでしたが、一生のほとんどをソヴィエト連邦という奇妙な国で過ごしました。
わりと若いときから優れたピアニスト、そして作曲家として認められ(交響曲第1番の発表の際には「モーツァルトの再来」とまで言われたそうです)、虚弱な体質のため戦争にかり出されるのを免れ、サイレントムービーに即興でピアノ伴奏をつけるバイトなどをやったりして過ごしていました。

ロシア革命が起こった後、ストラヴィンスキーやラフマニノフなど多くの作曲家、音楽家がロシア、もといソヴィエトを離れたのですが、ショスタコーヴィチはその地を離れませんでした。
もともと、というか詩人プーシキンの時代からロシアには割と表現に制限をかける性質だったり、秘密警察により政府が表現の監視を行うことが根強く残っていて。
特にスターリンがソヴィエトの独裁者となってからは情報操作、それから広い意味での芸術家は本当に表現の自由を奪われた状態だったそうです。

ソヴィエトの芸術家達は例えば政府の機関紙に批判が載ったり、KGBによる告発があったりすると死活問題どころか厳しい監視の対象となったり、粛清・追放(to シベリア)の危険、さらには自身・家族・関係している人々の命を危険にさらすこととなったらしいです。
そんななかショスタコーヴィチもオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の前衛的で難解(そしておそらく題材も原因か?)な曲風でソヴィエト政府(=スターリン)の批判を受け、作曲家として大きなダメージを受けました。

後に彼はその政府への「返答」として交響曲第5番を書き、それが大々的に賛辞を受け彼は立ち直るのですが、ソヴィエト政府のために革命や国家を賞賛するような題材の、しかもスターリン好みの「分かりやすい」音楽を書くのと、彼が本当に表現したいことを書く板挟みに陥ります。

ざっくり分けると、交響曲のような壮大なスケールの曲は政府向けの曲で、弦楽四重奏曲のような小編成の曲は彼と同じような苦しみを抱えている仲間と内輪で正直な思い(政府批判とか)を表現し合うための曲に分けられます。
少し前まではやはりその大きな曲ばかりが見られていてショスタコーヴィチは「共産党の犬」とまで言われていたらしいのですが、実は彼の思いは別のところにありました。
自分の表現ができないことの理不尽さ、そして政府がこの国や人々にしていることへの憤り、KGBの監視の恐怖・・・そういったことはやはり弦楽四重奏曲に現れています。

もちろん、そういうことを分かりやすく表現してしまうのは危ないので(ショスタコは妻子持ちでしたから家族の危険もまたあります)、音楽の中にモチーフ、楽器使い、オーバーな表現などで皮肉を交えたり、音楽家同士で分かるような他の曲からの引用でそういった表現をしたり。
あーだこーだ言ってもスターリンなどは音楽には疎いのでわりとそういう皮肉だったり引用だったりが分からない、というところをついているわけです。

その一番良い例が以前今日の一曲で紹介しました弦楽四重奏曲第8番です。
この曲は彼のイニシャルを元にした「DSCH」(レミ♭ドシ)のモチーフを執拗に繰り返しながら強制収容所でユダヤ人達が自分の墓を掘らされ、その前で踊らされて射殺された際の音楽とも言われるメロディー(第2楽章)、サン=サーンスの「死の舞踏」(第3楽章:リズム+コード進行)、そしてショスタコーヴィチ自身の作品から多くの引用をしています(ことに目立つのは先ほど批判を浴びたといった「マクベス夫人」の引用ですね)。
さらに、第4楽章で繰り返し使われるのがショスタコーヴィチ達が仲間内でKGB人員が来たことを知らせ合うノックの合図が使われています。
真偽のほどはあんまり明らかになっていない逸話なのですが、この四重奏曲をショスタコーヴィチが仲間内で披露したとき、彼の様子とこの曲の内容から彼らはショスタコーヴィチが自殺を企図していることに気づき、慌てて彼を止めたそうです。
全般的な曲調に加え、彼が引用に選んだ曲などを思うと確かにそういう逸話が起こるのは妥当だと私も思います。

ショスタコーヴィチはその後のソヴィエトの変化により多少のアップダウンはあるものも表現の拘束は弱まり、1975年に亡くなるまでに色々な曲を多数残しました。実際の出来事とかはあまり詳しくないのですが(学校でやってない部分だ、というのは言い訳にはなりませんが)、この晩期のショスタコーヴィチの音楽の悟ったような透明さと以前とは違う暗さが本当に好きです。

ショスタコーヴィチの音楽というのは基本反体制で、抑圧された物凄いパワーを持っていて。
あの時代、あの国に生まれてあの表現の制限を受けなければこんな作風になってたかどうか、というのは永遠の疑問ですが・・・
彼の音楽は本当にチェロ奏者に人気があって(ジャンル問わずショスタコはいいチェロパートを書きます)、でももっと大事だと思うのが若い音楽家にとって本当に共感しやすい音楽ということです。

年代的に見ると、例えば団塊の世代あたりの人達はショスタコーヴィチは変な現代音楽、という認識があるのですが(マーラーでさえあんまり・・・な傾向が)、私と同じくらいの年代の人には多大な人気があり、思春期にはまった、と言う人が特に多いです。(すぐ上の世代と比べてもやっぱり差があるような。)
先ほど書きましたショスタコーヴィチの再評価もありますし、やはり若さゆえの反抗的・反体制的な思い、それからショスタコーヴィチの音楽にある深い闇だったり、巨大なパワーだったりに共感したり惹かれるお年頃だったり。
思春期の自分でも理解できなかったり手に負えなかったりする行き場のない感情エネルギーを適切に表現・発散させることもできる音楽なので、若い人はどんどんショスタコーヴィチの音楽を弾いたり聴いたりするべきだと私は信じています。

なので若い人たちにもっとショスタコを!と薦めたいです!


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第4楽章



ショスタコーヴィチの音楽で最もよく知られている作品かと思います。テレビでもかなりの頻度で聞きます。
そして先ほど言及がありましたショスタコーヴィチ復活のきっかけとなった曲でもあります。
確かに分かりやすくパワフルで、派手でエンディングは栄光的・・・一見。

金管が本当に格好良かったり(特にホルンが集まって不協和音を輝かしく奏でたり、後半での息の長ーいホルンソロだったり、最高です)、バイオリンの頑張りを思わず応援しちゃったり、いろいろありますが、今日は長く語ってしまったので一番「面白い」部分だけ。

一見誇らしげで壮大、栄光や勝利を表すような、いかにもスターリン好みのエンディングですが、実はちょっと違った意味合いがあって。
このエンディングは不自然なほどゆったりのテンポで演奏されるように作曲家により指定されていて(バーンスタインは無視してますが)、そのスローなテンポで弾く事によって重々しく、大げさに、冗長に聞こえる、という意図があるらしいです。弦楽器奏者としてはずーっと同じ音をこのテンポでくりかえしてると馬鹿馬鹿しくなってきますもんね(笑)

長いこと誤解されてきたショスタコーヴィチですがこうやって時代背景や音楽的に彼のことを理解して、彼の本音が伝わるようになったのは本当に良いことだと思います。当時のソヴィエトのことって結構最近のことなのに当時の情報操作などにより本当に知れる事が少なくて。ショスタコーヴィチの音楽を通じてその厳しさだったりひしひし感じられていろいろ分かることもありますから・・・
ショスタコーヴィチは音楽史だけでなく世界史全体にとって貢献してるのかもしれませんね。

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キーワードto音楽 夏真っ盛り編
・・・というのはちょっと気が早いですが。
今日は10個に絞れなかったので(ここまで削るのも苦労しました!)10+1=11つの夏の季語から連想する音楽、さっそく行きます。
いつもといっしょで季語は日本ですが季節はオーストラリアのメルボルンを想定しています。

祝融: メシアン 「世の終わりのための四重奏曲」 第6楽章「7つのトランペットのための狂乱の踊り」
祝融(しゅくゆう)とは中国の古代の火の神。火事があった、ということを「祝融に遭った」などという言い方をするとか。とにかく火の神、ということでなんとなくやっぱり火と踊りと神性でこの曲を選択。メシアンのリズムはインドだったりアジアだったりに色んな意味で通じますのでね。

今朝の夏: ラヴェル 「クープランの墓」より「前奏曲」
朝起きて温度と光の感じで「ああ、夏の日だ」と思ってわくわくする気持ち、というチョイスです。
顔を洗う水の冷たさとか、朝日のあの角度とか、まだ涼しい風とか・・・でもこれからきっと暑くなる、そんな約束が感じられます。色彩がきらきらして、まぶしくて。物凄く好きな曲です(夏のうちに取りかかれるといいな!)

夏嵐: ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39 変ホ短調
例えばブリテンの「ピーター・グライムス」やマーラーの5番みたいな壮大さとは別なところにある、急に暗雲がやってきて生暖かい風が吹いて、大粒の雨がやってきて、旋風が起こって・・・そしてあっという間に夏の気温を連れて去っていく・・・みたいな、夏ならではの嵐です。

夕凪ぐ: ヴォーン=ウィリアムス 幻想的五重奏曲 第1楽章
ヴォーン=ウィリアムスは夕方の弦の音が本当に自分の中でイメージ強くて。
そのなかでも「凪ぐ」という感覚、あの静かな時までもが止まりそうな雰囲気、そしてやっと訪れた紫の夜と宵の明星・・・そしてだんだん心地良い、まだ暖かみをもった闇に沈んでいく感じ。

虹の帯: ラヴェル ピアノ三重奏曲 第4楽章
この三重奏曲全体が「雨」のイメージがあって、短編ストーリーを書いたこともあるんですが、メルボルンのざあーっと激しく降った雨の後のあのぶっとい眩しい虹にはこれくらい鮮やかな色と音がなきゃ!ということでこれを選びました。雨に濡れるのも、虹のまぶしさを感じ楽しみにするのも本当に楽しい季節。

砂灼くる: クラム 「子供たちのいにしえの声」より「いにしえの大地の踊り」
例えばウルルのあたりだったりで見られる真っ赤でさらさらの乾いた砂。裸足で踏みしめれば塵のように舞い上がる・・・オーストラリアの音楽ではないけれど、「乾いたオーストラリアの夏」にものすごく通じるものがあります。温度、というよりもなんといってもその乾燥を音楽から感じてしまうところが。

びいどろ: サン=サーンス 「動物の謝肉祭」より「水族館」
いつだったかガラスは固体ではなく流体が動かなくなったもの、と聞いたところからの連想でしょうか。透明さときらりと光るのと、まるで動き出しそうなカラーリング・・・そしてこの鉄琴の音からやっぱりどうしてもガラスを思い出してしまいます。どことなく風鈴を思い出し・・・ませんか?

夕涼み: アデズ 「アルカディアナ」四重奏曲より第1楽章「ヴェネツィアの夜想曲」
アルカディアナの各楽章は「水」または「地」に関連があるようになっていますが、これは水の楽章。ヴェネツィアの運河の情景から夜だったり水に足を浸したりなんだり、星と人里の光がまたたいていたり、ということを想像しました。実際この曲、本当に涼しげで良いです♪

トビウオ; メシアン 前奏曲集より第8番「風に映える影・・・」
空と海の間を飛ぶように移動するトビウオ。そのスピード感だったり、水面の上と下を行き交う姿だったり、その自由感、羽ばたき・・・メシアンが意図しているイメージとは違うことを承知でぴったりだな!と。
躍動感と爽やかさが夏にぴったり。

月下美人: クラム 「幽霊」より第1楽章「The night in silence under many a star」
なんといっても闇と月光を吸い上げて妖しく輝く、というのとあと多肉植物なのでそれなりに奇妙な雰囲気がいいかなあーと。そしたらやっぱりクラムの音楽の内でも闇が深い、そしてメゾソプラノの声が本当に美しく妖しいこの曲がよさそう、ということで。ただ綺麗なだけじゃいけませんからね。

空蝉: クラム 「子供たちのいにしえの声」より「幽霊の踊り」
魂を持った本体は抜けて出ているけれど、抜け殻にも確かに風情があって、そしてなんだか見えないものが残っているような感じ。無機質に近いマラカスなどの打楽器の音と、そしてなによりも音の間の「静寂」から感じられるものが、殻になったセミの抜け殻の割れ目の空虚と少し似ているような・・・?


今日の一曲はお休みです。いろいろ時間かけてしまったので(汗)

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色んな意味でナチュラル?(楽器と性格:ファゴット)
今お金が厳しいのにまた本を買ってしまった流 星姫です。
今日は久しぶり?の楽器と性格シリーズ。今回から木管楽器です。
木管楽器はその名の通り木でできた管楽器ですが、音の出し方や音の質などがそれぞれちがって。
なので楽器それぞれのキャラもかなり違いますし、みんな結構個人プレーな人々です。
木管五重奏といってフルート、オーボエ、クラリネット、ホルン(金管だけどいます)、ファゴット1人ずつのアンサンブルがありますが、みんなめいめいの声でめいめいのことをやっていて、それがなんだか弦楽四重奏のように一つになったのとは違う魅力をかもしだします。

ファゴット、またはバスーンという楽器をご存じでしょうか。
どこに行ってもわりと影の薄い、木管楽器の中でひっそりベースをつとめてる楽器です。
ルックスは木でできた長い筒(ファゴット=木の束という意味があります)に金具がついたようで、ひょろっと伸びた管から息を吹き込み上から音が出るようになっています。楽器の下部は管がUターンするところで木が分厚くなっていて、ずっしり重いです。(楽器が重いためたまに首にストラップをつけてぶら下げて弾くことも)
音の出し方は2つのリードを重ね合わせたマウスピースを用いる、オーボエの弟分みたいな存在です。
音が一番オクターブ下のひっそりヘビーベースであるコントラファゴット(そしてメル響でよく使ってるその改良版のコントラフォルテ)も仲間です。

ファゴットは不思議な楽器で。
ダブルリードなので音を出すのは難しいですし、音量は出ませんし、しかも音が出る口を前にして担ぐとバズーカみたいになるのに人畜無害の楽器ですし(爆)
音域はチェロ、ホルンと同じくらい広いのですが、あんまりそんなに使ってないような・・・

普通木管楽器はオーボエ・フルートはソプラノリコーダーのような、クラリネットはアルトリコーダーのような(もちろん違いはありますが)指使いで、ある音の一つ上の音を出すには一つ指を離すなどパターンが理論的なのですが、ファゴットは途中なんか指使いが変な音域があるそうです。
ちょっと変わっていて、そして非合理なことを気にしない、ちょっと不器用な特徴の暗示。

ファゴットは音楽史の中で長い間ひっそりと暮らしてきました。
バロック・古典派の時代にもあんまりスポットライトは当てられなく、同じ音域担当のチェロがロマン派で急成長したのにもおいてけぼり。
ファゴットのあの間の抜けたような音はロマン派の情熱、感情、緊張感、壮大さとはちょっと違うところにありますからね。

そんなファゴットを私は努力型で神経質な長男オーボエ、天才型で感性が豊かな次男コール・アングレと比べて天然でちいさなことを気にしない、目立たなくてもいいし、不器用で怒られようが笑われようがにこにことのんびり、もくもく自分の仕事をする末っ子に例えるのが好きです。

そして20世紀を迎える前、そして20世紀になってからすぐ、ファゴットがなぜか突然ちやほやされ出します。
リムスキー=コルサコフの「シェヘラザードの」第2楽章、ストラヴィンスキーの「火の鳥」の「子守歌」、ラヴェルの「ボレロ」、オルフの「カルミナ・ブラーナ」の焼かれた白鳥の歌、そしてストラヴィンスキーの「春の祭典」の冒頭。
どれも今までのファゴットのソロ、パートとは違い長く、ファゴットの音色の美しさを引き出しながら楽器の限界を挑戦するもの。(特に春の祭典、聴いて見てください。)
ファゴット自身は多少戸惑いながらそれでも快くその役割を担って今に至ります。(ちなみにこの同じ時代にオーボエの時代が終わり始めてるので長男としてはちょっと悔しいところもありそうですが)

今までも出ました天然でやさしく、ちょっと不器用で引っ込み思案でマイペースな特徴もそうですが、ファゴットという楽器とその奏者にはあんまり前に出たり、先進を追っかけたり見栄をはったりすることがない傾向があると思います。
思って見れば木管楽器の中で実際に木の色が出ているのはファゴットだけ。
木管楽器のパートはソロが多く、その時は目立って、自分の音を聞かせなくちゃいけないし、本当に失敗できないシチュエーションが多いのですが、ファゴットだけはそういう機会が少なくそだってきたせいかありのままの自分で自然体、という印象が強いです。
あと、私の知ってるファゴット奏者の女の子にはヒッピー的な路線のファッションの人が気持ち多い気がします。とにかく周りの人に懸命に合わせたり、とか流行に敏感、というのとはみんな違いますね。

なにはともあれ、オケを、特に木管楽器を和ませる存在ではあります。
その音だけでももう・・・あの独特の音はがんがん攻めるお笑い、というよりも本人も意図しない(楽器も好きであんな音じゃないんですよ(笑))天然なボケとその雰囲気に笑顔になってしまう、という感じ。

実は私の親友も中学・高校と学校でたった一人ファゴットを吹いてました。なので楽器のことも奏者たちのこともわりと身近に知っています。
決して簡単でも安くもない、相当なのんびり加減でゆるーく長く付き合っていくことが必要な楽器なのが祟ってかマイナーな楽器ですが、オケにファゴットが、そしてファゴット奏者がないとやっぱり違うな、と思います。
音量も小さいですが、是非是非オケやアンサンブルで彼らに心を向けてくださいね♪


今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」より「子守歌」



本当は春の祭典を出したかったのですが、ちょっと区分の仕方で迷ってるので・・・

以前紹介しました「火の鳥」。
火の鳥を探しに来た王子イワンが火の鳥を一度捕らえ放したあと、魔王に囚われのお姫様にであって魔王カッチェイに立ち向かうことになり、魔王カッチェイとその手下に苦戦して火の鳥が援護にかけつけ、魔王カッチェイの手下を踊り狂わせたあと子守歌で眠らせ、王子イワンをカッチェイの弱点があるところへ導く・・・という駆け足の物語説明。

とぼけた音で知られるファゴットですが、中高音域のちょっと余裕がなくなったくらいの緊張感のなかで、さすがオーボエの弟といえばいいのか、メランコリーを含んだ感情の豊かさでシリアスも全然行けるんですよ。

火の鳥は本当にバレエ(およびその組曲)を通じて本当にファンタジックな雰囲気にあふれています。
序曲の不気味な森の雰囲気から王女達が金色のリンゴとたわむれるさま(組曲には未収録)、魑魅魍魎の騒ぎ、そしてまるで花火が打ち上がるような華やかなフィナーレ。
ストラヴィンスキーにとってデビュー作とも言える作品で若い頃に書かれた作品ですが、その描写、楽器使い、ハーモニー、メロディー全てが魅力的です。

おとぎ話を題材にした音楽は数ありますが、そのどれもがおとぎ話をおとぎ話以上のものにしてくれます。
オーケストラの魅力、ストラヴィンスキーの魅力、そして今日はなによりもファゴットの本当の魅力を「火の鳥」で味わってみてください♪


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