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今日は天気もかなり大荒れ、調子も運転レッスンもどうも「うーん」だったのですが、やっと今までやってた仕事が終わってめでたく納品。次の仕事も結構量は多めですが頑張ります。
でも仕事を始めるのは明日の午後。午前中はピアノをねじこみます。アドベントもおそらくは明日弾く曲が一番の難関なので・・・
オリヴィエ・メシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」。
メシアンの音楽はここから入って、今も(ここ少し鳥のカタログの方に集中してましたが)長い旅が続いてます。
今まで弾いたのは1,2,3,4,5,8,9,11,12,15,17,18,19楽章・・・ということで13つ。(あれ、12個だと思ったのに。あと10楽章も半分ほど、16番も少しの間弾いてます。)
曲のスケールも長さも難易度も本当にピンからキリまであるので大抵残っているのは難しいのばっかり(笑)
いずれは全部弾きたいと思ってますが。30歳までに全部そろうかどうか、難しいところですね。妥当な目標ではあるかもしれません。
色んな意味でメシアンのスタンダードではないかと思います。宗教観、色彩、ピアノで使う技巧、鳥の声、などなど。自分のこの曲との経緯もありますが「あ、メシアンだ」と一番しっくりきてしまうような気がします。
実際そうはっきりと書いてあるわけではありませんが、イエスの生誕にまつわる曲で。
イエスとその存在・キリスト教にまつわるモチーフだったりアイディアが至るところにちりばめてあります。
例えばイエスの生誕を告げる「星のまなざし」と死を予告する「十字架のまなざし」、聖なる子の懐妊を喜ぶ「聖母の最初の聖体拝受」と不安を表す「聖母のまなざし」。「天使のまなざし」「預言者、羊飼いと東方の三博士のまなざし」のように具体的なキャラクターを表したり「沈黙のまなざし」「交換」のように神秘性などについて間接的に表現したり。
一番好きなのは「沈黙のまなざし」です。抽象的ですが、例えばステンドグラスだったり、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や「十力の金剛石」のような色彩感覚があったり、本当に「色」を様々な次元で楽しめる曲です。
もちろん20つそろってはなかなか弾けないので難曲か組み合わせたりすることもあるのですが17楽章、18楽章、19楽章の抽象的コンビ(ちょっと長いですが)はかなり強力です。
20のまなざし、手元には自分で買ったミシェル・ベロフの録音、それから大学から借りたロリオ女史、ロジェール・ムラーロ、そして親愛なるマイケルの録音が。解釈的にあんまり参考にすることは少ないですけどどれもみんな独特の魅力があってよく聞いています。いつか20つそろって弾けたらなあ。
そしてアドベントの最終週に弾く予定なのがジョージ・クラムの「クリスマスのための小組曲、西暦1979年」。
これもかなりスケールは小さいながらも「20のまなざし」とどこか似た雰囲気があって。神秘性みたいなものの表現だったり、あと具体的に言えば「Nativity Dance」の曲調はメシアンにそっくり。
20世紀の作曲家の実に多くがメシアンの影響をなんらかの形で受けている、ということもありますし、きっとクラムのUniversal Mythology的なコンセプトにメシアンの持つ信仰もある程度共感するというか含まれるんじゃないでしょうか。
この曲も特殊奏法が使われてて、アップライトピアノでは再現できないのが残念。
「The Adoration of the Magi」で使われているような弦をピアノの中で押さえるテクニックが割と容易にできるのもあって好きです。もちろん出てくる音も好き。こんなにピアノの音ってまあるくなるんだーって。
そしてどの楽章も結構手や腕で包みこめるくらいの感覚が愛しいですね。クリスマスの音楽と言えば私は断然チャイコフスキーの「くるみ割り人形」なのですが、あれもまたその共通した、「愛しいミニチュア」感にあふれています。
そういえばこの曲は大学から楽譜を借りて来なきゃいけないのですが・・・忘れないようにしないと。
前回書きました、注文してやっとうちにやってきた曲。まずは親しみの深い方から・・・・
フェデリコ・モンポウの「歌と踊り」第5~8番。
以前今日の一曲で第5番を紹介しましたが、これもまた愛しいミニチュアで、作曲家の故郷カタルーニャ地方の雰囲気・音楽が取り入れられてて。8番はちょっと愛着がないのですが、5,6,7番は素晴らしいです。
ECTを受けに入院した後はこればっかり聞いたり弾いたりしてましたね。
ちょうどアレキシサイミア(失感情症。ただ、感情を失う、というよりは感情を認識・表現できない状態をいう)状態が続いていた時期で、音楽にしてもやっぱり音楽の深みを感じたり、表現できなかったりして・・・
結構ピアノ離れがすすんでいた時でもあったので、技巧的にもわりとシンプルな(でも音楽的に満足がいく)モンポウの音楽は本当にありがたかったです。
モンポウが見た(聴いた)夢から生まれた5番、スペインらしい闇の使い方が魅力的な6番、明るくも切ない第7番、無邪気な悲しみと喜びを感じる第8番・・・
どれもユニークで、素敵な曲ですし、できればこの4曲以外(全部でピアノのためには13つあるはず)も弾きたいです。(特にアイリッシュな雰囲気の9番!)
そして弾くのははじめましてになりますCarl Vineの5つのバガテル。
弾くのは初めましてですが色んなところでよく知っています。
作曲家と強いコネクションがあって、この曲(そして他のVineの曲)を初演しているマイケルの演奏だったり(CDで)、そのマイケルの生徒である私の友人の演奏だったり。
なので今までちょっと彼らの専門分野からは意識的に遠ざかっていましたが、やっぱりオーストラリアの曲も弾きたいしいつかマイケルが作曲した曲も弾きたい!と一念発起。
これもまた小品の詰め合わせなのですがどれもキャラが立っていて。
初見でちょっとだけずつ弾いたときに既にもう手が勝手にそれぞれの曲に全く違ったタッチを使い始めて。
色んな意味で楽しく、そして勉強になりそうな曲です。
良い一歩になりそう。
なんか「最近自分の中で話題の曲」はミニチュアが多いんですね(汗)
弾いてる曲はそんなではないはずなんですが・・・あれ?
なにはともあれピアノが弾きたい!明日の朝が楽しみです!
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19番「我眠る、されど我が心は目覚め」
今どのまなざしにしようかな~と思ってしばし悩んだあげく乱数ジェネレータで出てきたのが19番。
好きな曲だし全然紹介してもいいんですけど・・・よくよく考えてみると言葉で説明むずかしくないかい?という感じが・・・
聴くにはとっても美しいし分かりやすいし(先生の感覚だと遅くて長すぎるみたいですが)、弾くのもわりと簡単な方で。
メシアンの「天国的」な幸せ、そして天国的な時間の流れで心が一杯になって解放される曲です。
この「20のまなざし」は第1楽章の「父のまなざし」で明確に現れる「神の主題」から始まって、そこから第5楽章、第11楽章、第15楽章と・・・バリエーションではないんですがその主題の展開があって。
その延長線上にこの曲は位置していて、「神の主題」の輪郭というか形はもうないんですが、その雰囲気をとどめたままもっと自由に、抽象的に神の愛や神秘性を表現しています。
やっぱり言葉で言うのは難しいんであんまり言うと墓穴を掘るのですが、この曲はどんな媒体で聴いてもあらゆる方向からじわじわきますね。本当にすっぽり包まれる気持ち。
弾いてると逆にあらゆる方向にじわじわ広がっていって、それに自分が包まれるのが心地良く。
聴いてると自分は心地いいけど聴き手はどうなのかなあ、弾いてるほど深さと暖かさを感じてもらえるのかな、とたまに不安になったりします。
なんだか失敗した感はあるのですがやはり音楽は聴いてみるに限るので、とりあえず私の紹介をdisregardしてまずは聴いてみてもらえると嬉しいです。報われます(汗)
でも仕事を始めるのは明日の午後。午前中はピアノをねじこみます。アドベントもおそらくは明日弾く曲が一番の難関なので・・・
オリヴィエ・メシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」。
メシアンの音楽はここから入って、今も(ここ少し鳥のカタログの方に集中してましたが)長い旅が続いてます。
今まで弾いたのは1,2,3,4,5,8,9,11,12,15,17,18,19楽章・・・ということで13つ。(あれ、12個だと思ったのに。あと10楽章も半分ほど、16番も少しの間弾いてます。)
曲のスケールも長さも難易度も本当にピンからキリまであるので大抵残っているのは難しいのばっかり(笑)
いずれは全部弾きたいと思ってますが。30歳までに全部そろうかどうか、難しいところですね。妥当な目標ではあるかもしれません。
色んな意味でメシアンのスタンダードではないかと思います。宗教観、色彩、ピアノで使う技巧、鳥の声、などなど。自分のこの曲との経緯もありますが「あ、メシアンだ」と一番しっくりきてしまうような気がします。
実際そうはっきりと書いてあるわけではありませんが、イエスの生誕にまつわる曲で。
イエスとその存在・キリスト教にまつわるモチーフだったりアイディアが至るところにちりばめてあります。
例えばイエスの生誕を告げる「星のまなざし」と死を予告する「十字架のまなざし」、聖なる子の懐妊を喜ぶ「聖母の最初の聖体拝受」と不安を表す「聖母のまなざし」。「天使のまなざし」「預言者、羊飼いと東方の三博士のまなざし」のように具体的なキャラクターを表したり「沈黙のまなざし」「交換」のように神秘性などについて間接的に表現したり。
一番好きなのは「沈黙のまなざし」です。抽象的ですが、例えばステンドグラスだったり、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や「十力の金剛石」のような色彩感覚があったり、本当に「色」を様々な次元で楽しめる曲です。
もちろん20つそろってはなかなか弾けないので難曲か組み合わせたりすることもあるのですが17楽章、18楽章、19楽章の抽象的コンビ(ちょっと長いですが)はかなり強力です。
20のまなざし、手元には自分で買ったミシェル・ベロフの録音、それから大学から借りたロリオ女史、ロジェール・ムラーロ、そして親愛なるマイケルの録音が。解釈的にあんまり参考にすることは少ないですけどどれもみんな独特の魅力があってよく聞いています。いつか20つそろって弾けたらなあ。
そしてアドベントの最終週に弾く予定なのがジョージ・クラムの「クリスマスのための小組曲、西暦1979年」。
これもかなりスケールは小さいながらも「20のまなざし」とどこか似た雰囲気があって。神秘性みたいなものの表現だったり、あと具体的に言えば「Nativity Dance」の曲調はメシアンにそっくり。
20世紀の作曲家の実に多くがメシアンの影響をなんらかの形で受けている、ということもありますし、きっとクラムのUniversal Mythology的なコンセプトにメシアンの持つ信仰もある程度共感するというか含まれるんじゃないでしょうか。
この曲も特殊奏法が使われてて、アップライトピアノでは再現できないのが残念。
「The Adoration of the Magi」で使われているような弦をピアノの中で押さえるテクニックが割と容易にできるのもあって好きです。もちろん出てくる音も好き。こんなにピアノの音ってまあるくなるんだーって。
そしてどの楽章も結構手や腕で包みこめるくらいの感覚が愛しいですね。クリスマスの音楽と言えば私は断然チャイコフスキーの「くるみ割り人形」なのですが、あれもまたその共通した、「愛しいミニチュア」感にあふれています。
そういえばこの曲は大学から楽譜を借りて来なきゃいけないのですが・・・忘れないようにしないと。
前回書きました、注文してやっとうちにやってきた曲。まずは親しみの深い方から・・・・
フェデリコ・モンポウの「歌と踊り」第5~8番。
以前今日の一曲で第5番を紹介しましたが、これもまた愛しいミニチュアで、作曲家の故郷カタルーニャ地方の雰囲気・音楽が取り入れられてて。8番はちょっと愛着がないのですが、5,6,7番は素晴らしいです。
ECTを受けに入院した後はこればっかり聞いたり弾いたりしてましたね。
ちょうどアレキシサイミア(失感情症。ただ、感情を失う、というよりは感情を認識・表現できない状態をいう)状態が続いていた時期で、音楽にしてもやっぱり音楽の深みを感じたり、表現できなかったりして・・・
結構ピアノ離れがすすんでいた時でもあったので、技巧的にもわりとシンプルな(でも音楽的に満足がいく)モンポウの音楽は本当にありがたかったです。
モンポウが見た(聴いた)夢から生まれた5番、スペインらしい闇の使い方が魅力的な6番、明るくも切ない第7番、無邪気な悲しみと喜びを感じる第8番・・・
どれもユニークで、素敵な曲ですし、できればこの4曲以外(全部でピアノのためには13つあるはず)も弾きたいです。(特にアイリッシュな雰囲気の9番!)
そして弾くのははじめましてになりますCarl Vineの5つのバガテル。
弾くのは初めましてですが色んなところでよく知っています。
作曲家と強いコネクションがあって、この曲(そして他のVineの曲)を初演しているマイケルの演奏だったり(CDで)、そのマイケルの生徒である私の友人の演奏だったり。
なので今までちょっと彼らの専門分野からは意識的に遠ざかっていましたが、やっぱりオーストラリアの曲も弾きたいしいつかマイケルが作曲した曲も弾きたい!と一念発起。
これもまた小品の詰め合わせなのですがどれもキャラが立っていて。
初見でちょっとだけずつ弾いたときに既にもう手が勝手にそれぞれの曲に全く違ったタッチを使い始めて。
色んな意味で楽しく、そして勉強になりそうな曲です。
良い一歩になりそう。
なんか「最近自分の中で話題の曲」はミニチュアが多いんですね(汗)
弾いてる曲はそんなではないはずなんですが・・・あれ?
なにはともあれピアノが弾きたい!明日の朝が楽しみです!
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19番「我眠る、されど我が心は目覚め」
今どのまなざしにしようかな~と思ってしばし悩んだあげく乱数ジェネレータで出てきたのが19番。
好きな曲だし全然紹介してもいいんですけど・・・よくよく考えてみると言葉で説明むずかしくないかい?という感じが・・・
聴くにはとっても美しいし分かりやすいし(先生の感覚だと遅くて長すぎるみたいですが)、弾くのもわりと簡単な方で。
メシアンの「天国的」な幸せ、そして天国的な時間の流れで心が一杯になって解放される曲です。
この「20のまなざし」は第1楽章の「父のまなざし」で明確に現れる「神の主題」から始まって、そこから第5楽章、第11楽章、第15楽章と・・・バリエーションではないんですがその主題の展開があって。
その延長線上にこの曲は位置していて、「神の主題」の輪郭というか形はもうないんですが、その雰囲気をとどめたままもっと自由に、抽象的に神の愛や神秘性を表現しています。
やっぱり言葉で言うのは難しいんであんまり言うと墓穴を掘るのですが、この曲はどんな媒体で聴いてもあらゆる方向からじわじわきますね。本当にすっぽり包まれる気持ち。
弾いてると逆にあらゆる方向にじわじわ広がっていって、それに自分が包まれるのが心地良く。
聴いてると自分は心地いいけど聴き手はどうなのかなあ、弾いてるほど深さと暖かさを感じてもらえるのかな、とたまに不安になったりします。
なんだか失敗した感はあるのですがやはり音楽は聴いてみるに限るので、とりあえず私の紹介をdisregardしてまずは聴いてみてもらえると嬉しいです。報われます(汗)
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仕事が続きます!仕事がもらえることは嬉しいのですがそろそろスイングロジカルTODAYノートのページがなくなってきてるので・・・スイングロジカルダイアリー早く送って欲しいです。
ちょっと前からやりたいと思っていたキーワードto音楽のトピック、一日のうちの時間帯。
やっぱり音楽のなかでもある時間帯にしか聴かない曲ってありますね。
そのなかでも特に「夜」にしか聴かない、というか聴く気になれない曲が多いです(・・・まあ、私の好きな曲の特徴もあるんですが・・・)。
あと朝がちょっと弱いんで(それほど早くから仕事始めてるわけではないんですが)、音楽の力を借りて景気づけしたり。いろいろと意識はしていますが改めてまとめてみたいなーと思いまして・・・
なのでさっそく本題の方へ。
夜明け: リヒャルト・シュトラウス 「アルプス交響曲」 冒頭
この企画にお題の言葉が題名に入っている曲を使うのはなるべく避けて来たんですが、本当にこの曲ほど夜明けを深く鮮明に表している曲はないです!シュトラウスの曲全般あまり好きではないのですが、例外とも言えるこの曲。夜の闇から輝く太陽が山の陰から顔を出すまでの音楽に現れる自然の壮大さは日本の山でもなかなか経験できないものかも?
早朝: グスタフ・マーラー 交響曲第1番第1楽章
これはもう断然のチョイス。朝の霧や露が感じられて、朝の爽やかさだったり喜びだったり、自然と一体の朝を感じさせてくれます。以前も朝の仕事でipodで回ってくると嬉しい曲の一つとして紹介しましたね♪
なんだかマーラーの曲でよくあるんですが「少年視点」なんです、イメージ的に。森に朝が来て、その光景と空気と光だけでなんだかわくわくしてしまう、そんなピュアさがあります。
朝: パウル・ヒンデミット ピアノソナタ第3番第1楽章
ちょっとゆったりめの朝を。イギリス音楽に通じるところが多いヒンデミットの音楽ですが、この牧歌的な、しばし足を止めて草原にねっころがってぼーっとするみたいなゆるーい雰囲気も彼の専門範囲内。
ハーモニーがゆるゆると変わって微妙に明暗するのもなんだか雲が流れて光の度合いが少しずつ変わるようで。
正午・昼: ジョージ・ガーシュウィン 「キューバ序曲」
このチョイスには今のメルボルンの季節もちょっと関係しているかも。この曲には真上から降り注ぐ強い太陽の光が感じられ、そして街が忙しく動き回る人々の活気にあふれていると思います。
ちょろっとなんか食べ物の気配もあって(なぜ?)。
ただやっぱり冬にこれやってたら違う曲を選んでたかな―という感じは残ります。
昼下がり: ウィリアム・ウォルトン 「クラウン・インペリアル」
かなり根拠らしい根拠に欠けるチョイスなのですが・・・イギリス系のマーチ全般午前よりは断然午後、というイメージが。光の具合、というのでしょうか、午後に日が西に傾いていくその移り変わりの方が昇っていく太陽の光よりイギリスのマーチにはふさわしい気がします。もしかしたらイギリス音楽だったりお国柄のノスタルジックなところが関係しているのかしら?
夕方: フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
先ほどのイギリスマーチが傾きつつある太陽の光なら、こちらはもうだんだん空の変わっていく様子。
太陽が沈んでいくと同時に今日という日が去って行ってしまう、そんな寂しさがだんだん冷えていく風とともに感じられる、ちょっぴり切ない曲です。
夕暮れ: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 「ヨブ」 冒頭&終曲
夕暮れにはイギリス音楽、特に弦の音が似合います。ノスタルジックな曲調もそうですが、ハーモニーの移り変わりの魅力を弦楽器の音で引き出しているのもあります。音楽的には最初と最後のキーとかには違いはないのですが、暗くなって星が出て落ち着く、みたいな。この曲ではその薄暗く気まぐれな夕暮れの空の美しさが存分に味わえます。
夜: ヴィトルト・ルトスワフスキ 葬送の音楽
クラムの夜の音楽はほとんど題名に「夜」が入ってるし、あと鳥のカタログの夜の2曲を抜いたとき脳内で飛び出てきたのがこの曲。恐怖も暗さもがっつりの、あらゆる意味での「夜」の音楽です。夜空の暗さ、孤独に輝く星達、自分のちっぽけさ・・・そういうものが弦の響きだけで直撃します。独特の圧迫感もまた聞き所です。
真夜中・丑三つ時: バルトーク・ベーラ 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 第3楽章
この二つの言葉を一緒にしてよかったかは別として・・・バルトークのスローな曲の多くが夜・真夜中・丑三つ時の時間帯にパーフェクトなのですが、悩んだ末この曲をチョイス。静けさだったり、恐怖だったりもそうなのですが、この楽章で活躍するチェレスタの音が夢のような要素を強く与えるので・・・つくづくいい仕事してくれます。
そして番外編。
「よもすがら(終夜)」「ひもすがら(終日又はひねもす)」という言葉でなにかないかなーと思ったのですが、それだけ長い時間の移り変わりを表現しているものは少なく。
ただよもすがらとひもすがらを足すとメシアンの鳥のカタログの「ヨーロッパヨシキリ」にぴったりだ!という事に気づきました。
27分という長い演奏時間で日が昇る前からまた次の夜明け前までの27時間をカバーする、演奏時間以外でもあらゆる意味でスケールが壮大な曲。
同じく一日まるまるを表現しているシュトラウスのアルプス交響曲よりも「時間の流れ」に重きを置いている、という意味でもまさによもすがら、ひもすがらが体験できる曲だと思います。
今日の一曲はお休み。
そして水曜日に行ったメンタルヘルスの公開レクチャーの感想はきっと日曜日にアップしますね♪
ちょっと前からやりたいと思っていたキーワードto音楽のトピック、一日のうちの時間帯。
やっぱり音楽のなかでもある時間帯にしか聴かない曲ってありますね。
そのなかでも特に「夜」にしか聴かない、というか聴く気になれない曲が多いです(・・・まあ、私の好きな曲の特徴もあるんですが・・・)。
あと朝がちょっと弱いんで(それほど早くから仕事始めてるわけではないんですが)、音楽の力を借りて景気づけしたり。いろいろと意識はしていますが改めてまとめてみたいなーと思いまして・・・
なのでさっそく本題の方へ。
夜明け: リヒャルト・シュトラウス 「アルプス交響曲」 冒頭
この企画にお題の言葉が題名に入っている曲を使うのはなるべく避けて来たんですが、本当にこの曲ほど夜明けを深く鮮明に表している曲はないです!シュトラウスの曲全般あまり好きではないのですが、例外とも言えるこの曲。夜の闇から輝く太陽が山の陰から顔を出すまでの音楽に現れる自然の壮大さは日本の山でもなかなか経験できないものかも?
早朝: グスタフ・マーラー 交響曲第1番第1楽章
これはもう断然のチョイス。朝の霧や露が感じられて、朝の爽やかさだったり喜びだったり、自然と一体の朝を感じさせてくれます。以前も朝の仕事でipodで回ってくると嬉しい曲の一つとして紹介しましたね♪
なんだかマーラーの曲でよくあるんですが「少年視点」なんです、イメージ的に。森に朝が来て、その光景と空気と光だけでなんだかわくわくしてしまう、そんなピュアさがあります。
朝: パウル・ヒンデミット ピアノソナタ第3番第1楽章
ちょっとゆったりめの朝を。イギリス音楽に通じるところが多いヒンデミットの音楽ですが、この牧歌的な、しばし足を止めて草原にねっころがってぼーっとするみたいなゆるーい雰囲気も彼の専門範囲内。
ハーモニーがゆるゆると変わって微妙に明暗するのもなんだか雲が流れて光の度合いが少しずつ変わるようで。
正午・昼: ジョージ・ガーシュウィン 「キューバ序曲」
このチョイスには今のメルボルンの季節もちょっと関係しているかも。この曲には真上から降り注ぐ強い太陽の光が感じられ、そして街が忙しく動き回る人々の活気にあふれていると思います。
ちょろっとなんか食べ物の気配もあって(なぜ?)。
ただやっぱり冬にこれやってたら違う曲を選んでたかな―という感じは残ります。
昼下がり: ウィリアム・ウォルトン 「クラウン・インペリアル」
かなり根拠らしい根拠に欠けるチョイスなのですが・・・イギリス系のマーチ全般午前よりは断然午後、というイメージが。光の具合、というのでしょうか、午後に日が西に傾いていくその移り変わりの方が昇っていく太陽の光よりイギリスのマーチにはふさわしい気がします。もしかしたらイギリス音楽だったりお国柄のノスタルジックなところが関係しているのかしら?
夕方: フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
先ほどのイギリスマーチが傾きつつある太陽の光なら、こちらはもうだんだん空の変わっていく様子。
太陽が沈んでいくと同時に今日という日が去って行ってしまう、そんな寂しさがだんだん冷えていく風とともに感じられる、ちょっぴり切ない曲です。
夕暮れ: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 「ヨブ」 冒頭&終曲
夕暮れにはイギリス音楽、特に弦の音が似合います。ノスタルジックな曲調もそうですが、ハーモニーの移り変わりの魅力を弦楽器の音で引き出しているのもあります。音楽的には最初と最後のキーとかには違いはないのですが、暗くなって星が出て落ち着く、みたいな。この曲ではその薄暗く気まぐれな夕暮れの空の美しさが存分に味わえます。
夜: ヴィトルト・ルトスワフスキ 葬送の音楽
クラムの夜の音楽はほとんど題名に「夜」が入ってるし、あと鳥のカタログの夜の2曲を抜いたとき脳内で飛び出てきたのがこの曲。恐怖も暗さもがっつりの、あらゆる意味での「夜」の音楽です。夜空の暗さ、孤独に輝く星達、自分のちっぽけさ・・・そういうものが弦の響きだけで直撃します。独特の圧迫感もまた聞き所です。
真夜中・丑三つ時: バルトーク・ベーラ 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 第3楽章
この二つの言葉を一緒にしてよかったかは別として・・・バルトークのスローな曲の多くが夜・真夜中・丑三つ時の時間帯にパーフェクトなのですが、悩んだ末この曲をチョイス。静けさだったり、恐怖だったりもそうなのですが、この楽章で活躍するチェレスタの音が夢のような要素を強く与えるので・・・つくづくいい仕事してくれます。
そして番外編。
「よもすがら(終夜)」「ひもすがら(終日又はひねもす)」という言葉でなにかないかなーと思ったのですが、それだけ長い時間の移り変わりを表現しているものは少なく。
ただよもすがらとひもすがらを足すとメシアンの鳥のカタログの「ヨーロッパヨシキリ」にぴったりだ!という事に気づきました。
27分という長い演奏時間で日が昇る前からまた次の夜明け前までの27時間をカバーする、演奏時間以外でもあらゆる意味でスケールが壮大な曲。
同じく一日まるまるを表現しているシュトラウスのアルプス交響曲よりも「時間の流れ」に重きを置いている、という意味でもまさによもすがら、ひもすがらが体験できる曲だと思います。
今日の一曲はお休み。
そして水曜日に行ったメンタルヘルスの公開レクチャーの感想はきっと日曜日にアップしますね♪
今日は仕事にお笑い生配信視聴ですっかりくたびれ&ご機嫌です。
では昨日の続きを。
クラムの音楽が自分にとって親しくなった理由の一つに題材のチョイスがあります。
宇宙、天体、神話、ファンタジー、古代、生物、自然、儀式、虫・・・
みんな私のストライクゾーンです(笑)
曲のタイトルが一つの神話だったり宗教、流派だったり文化に捕らわれなく、自由なイメージをはぐくむことができて。それでも例えば科学だったり自然だったり既にある神話だったりに骨組みがあるのでまったく未知の世界でもなく。
実際クラムは彼が題材としたもの全てに知識を持っていたわけではないようです。
例えば話を聞きかじったり、言葉を見つけたり、コンセプトのおおまかなところを知ったり・・・
あとは彼なりのイメージでその周りに肉付けしたというようなことで、要するに妄想力の勝利。
私も割とそういう創作過程をたどることもあるからか、クラムの音楽のところも好きです。
実際非の打ち所なく元の題材により裏打ちされた作品、というのは取っつきづらいというか深く感じるにはその題材を深く知って理解することが必要、という面もあるので・・・
こういう風な構成で聴き手・弾き手の想像力に訴えかける方が親しみやすい、ということもあるのかもしれません。
そうやって想像力・妄想力を「刺激される過程」だったり、クラムの音楽によって自分の世界が形になっていくがものすごく気持ちいいのですが、その過程で子供の頃の空想だったり、どこかで読んだ神話だったり、色んな「もしも」や知識のかけらも蘇って世界の一部になって・・・そういうのがたまらない。自分の心で忘れていたもの、見えなかったものを刺激してくれたり。それもまた良い。
世界を構成するものだけでなく、自分を構成するもの、自分のアイデンティティについてもヒントをくれるような音楽だと思います。
クラムの音楽におそらく一番大きい影響があったのはバルトークの音楽ではないか、と思います。
論文でも対称性だったり構成だったりでの類似点(プラスバルトークの「ミクロコスモス」=小さい宇宙という題を意識しているかのような「マクロコスモス」=大きな宇宙というクラムの音楽のタイトル)が指摘されていましたが、なんといっても「夜の音楽」だったり「虫の音楽」の共通点は大きいと思います。
分析法をあんまり知らないので詳しいことは私からは何ともいえないのですが、感覚的・直感的にもものすごく似たものがあります。
メシアンは鳥、クラムは虫(昆虫に限らず実在/非実在の広い意味でのそういった生き物)。また不思議な形で自然と繋がっているのですね。
他にもクラムの音楽にある「時間を超えた時間」(武満やメシアンの音楽にもありますね)だったり、宇宙の無限に近い距離、天体の見えない動き、闇と無を抱く空間、遠く過ぎ去った過去や自然のうごめきとか、ロマンが一杯です。そこに人間の入る余地はないのかもしれないのですが(実際「鯨の声」などでクラムは人間的なエレメントを消すために奏者に仮面をつけるよう指示したりもしています)、よくよく考えるとものすごく身近なもの。
自分を取り巻く世界の全てを動かすメカニズムだったり、手塚治虫「火の鳥」の「未来編」のコスモゾーンのコンセプトに通じるような私たちの中、細胞のなかにある小宇宙(ミクロコスモス)、そして私たちの外に広がる大宇宙(マクロコスモス)、そういったものの源だったり、エネルギーだったり、動きだったり、メカニズムだったりを感じ、触れ、自分で動かすことができるような気がして。
だからクラムの音楽を演奏する人は私は「魔術師」だと思います。
内なる世界と外の世界を自由に動かし、表現し・・・想像したものを不可思議な形にして。
音楽家として音と心を操るだけでなく、弾く事に「空間を創り出す」というエレメントもありますし、そういった自分の世界をひっくるめて演出することもあり・・・
でもクラムの音楽の性質を考えるとどうしても「魔術師」といってしまいたいですね(笑)
クラムの音楽を多数世に送り出したメゾ・ソプラノ歌手ジャン・デガエタニだったり、クラムを始めプリペアド・ピアノやトイ・ピアノを用いたりもする現代音楽のピアニスト、マーガレット・レン・タンだったり・・・演奏を聴いていると音楽と弾くと言うよりは魔法を使っているという感じです。
私も魔法使いになりたいです。
想像力と妄想力、そしてピアノのでき得ること(特殊奏法をもちろん含め)全て駆使して音楽を弾くだけでなく、自然のメカニズム、空間、時間、色彩などをこの手で動かして自由に操り、表現したいという気持ちでいっぱいで。
なのでまずグランドピアノが欲しいです。中古でもいいので(笑)今のアップライトピアノだと特殊奏法が使えないのと、真ん中のペダルの機能が違うのと・・・あと音質がちょっと(汗)割りと音の粒一つ一つが聞こえて音が薄いため音をブレンドしたり余韻をコントロールするのが難しいのです。
私のピアノについての愚痴は置いておいて。
ジョージ・クラムの音楽は今敬遠されているほどに敬遠されるような音楽ではないと思います。
論理的だけれど想像力を刺激して、遠いようで本当はものすごく身近な世界。
偏見とキワモノ的な見方さえとっぱらえばきっとアプローチしやすい音楽。
もっと評価されてもいいんじゃないかなーと思います。
いつか私が魔術師になって、自分の内なる世界、外の世界の美しさ、そしてクラムの音楽を世に伝えることができるようになることを願って・・・
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第1巻 第11楽章「夢の音楽(愛と死の音楽)」
宣言通り聴きやすい、入門編クラムをチョイス。
時を超えた時、無限の空間・・・そういったクラムの音楽の主要なアイディアがシンプルに、心にしみて感じられる曲です。
使うハーモニーはほとんどロマン派以前の聴きやすいものばかり。
そして特殊奏法をほとんど?全然?使わない曲。
ただ和音の余韻により広がる世界はクラムの音楽以外の何物でもありません。
ドビュッシーが「音楽とは音と音の間の空間である」と言うように、この曲もまた音と音の間に広がる空間、余韻、そして音が消えていく瞬間、様々な音の余韻が絡み合い一つになるafterthoughtこそが音楽。
音が少なくともも色んなものにあふれています。
そして途中で現れる聞き覚えのあるようなメロディーはショパンの「幻想即興曲」からのメロディーの欠片。
夢のようにふっと現れて、ほどけるように無に帰していく・・・
そして原曲とは違ってペダルを踏んだままにしてあるのでそのふわふわした、夢の世界のような音の混ざり合いがまた美しく。
そういった引用の欠片も、きらきらと輝く音の粒も、深く響く和音も。
全て心の琴線に触れるのに、まるで触れ得ないような、不思議な存在感を放っていて。
透明で、触れればほどけそうなその音楽を心全体で受け止めたくなります。
こんな愛しい音楽を埋もれさせとくのは勿体ない!(といってもあんまりメジャーになって騒がれるのもなんですね、ひっそり大事に愛してあげて欲しいです)
クラムの音楽がキワモノだと、特殊奏法で奇抜なことをやっているだけだと決めつける前に素直な心でこの曲を聴いて欲しいです。
奇抜なサウンドも耳と脳の慣れでずいぶん見方が変わってくるんので、クラムを聴く際にはこういった割と聴きやすいものに心を開いて偏見をとっぱらうことをオススメします。
ただ、クラムの音楽がどうとかいうことを差し引いてもささやかに美しい曲なので皆さん是非♪
(今回はDVD版をリンク。いつか手に入れたい一枚です♪)
では昨日の続きを。
クラムの音楽が自分にとって親しくなった理由の一つに題材のチョイスがあります。
宇宙、天体、神話、ファンタジー、古代、生物、自然、儀式、虫・・・
みんな私のストライクゾーンです(笑)
曲のタイトルが一つの神話だったり宗教、流派だったり文化に捕らわれなく、自由なイメージをはぐくむことができて。それでも例えば科学だったり自然だったり既にある神話だったりに骨組みがあるのでまったく未知の世界でもなく。
実際クラムは彼が題材としたもの全てに知識を持っていたわけではないようです。
例えば話を聞きかじったり、言葉を見つけたり、コンセプトのおおまかなところを知ったり・・・
あとは彼なりのイメージでその周りに肉付けしたというようなことで、要するに妄想力の勝利。
私も割とそういう創作過程をたどることもあるからか、クラムの音楽のところも好きです。
実際非の打ち所なく元の題材により裏打ちされた作品、というのは取っつきづらいというか深く感じるにはその題材を深く知って理解することが必要、という面もあるので・・・
こういう風な構成で聴き手・弾き手の想像力に訴えかける方が親しみやすい、ということもあるのかもしれません。
そうやって想像力・妄想力を「刺激される過程」だったり、クラムの音楽によって自分の世界が形になっていくがものすごく気持ちいいのですが、その過程で子供の頃の空想だったり、どこかで読んだ神話だったり、色んな「もしも」や知識のかけらも蘇って世界の一部になって・・・そういうのがたまらない。自分の心で忘れていたもの、見えなかったものを刺激してくれたり。それもまた良い。
世界を構成するものだけでなく、自分を構成するもの、自分のアイデンティティについてもヒントをくれるような音楽だと思います。
クラムの音楽におそらく一番大きい影響があったのはバルトークの音楽ではないか、と思います。
論文でも対称性だったり構成だったりでの類似点(プラスバルトークの「ミクロコスモス」=小さい宇宙という題を意識しているかのような「マクロコスモス」=大きな宇宙というクラムの音楽のタイトル)が指摘されていましたが、なんといっても「夜の音楽」だったり「虫の音楽」の共通点は大きいと思います。
分析法をあんまり知らないので詳しいことは私からは何ともいえないのですが、感覚的・直感的にもものすごく似たものがあります。
メシアンは鳥、クラムは虫(昆虫に限らず実在/非実在の広い意味でのそういった生き物)。また不思議な形で自然と繋がっているのですね。
他にもクラムの音楽にある「時間を超えた時間」(武満やメシアンの音楽にもありますね)だったり、宇宙の無限に近い距離、天体の見えない動き、闇と無を抱く空間、遠く過ぎ去った過去や自然のうごめきとか、ロマンが一杯です。そこに人間の入る余地はないのかもしれないのですが(実際「鯨の声」などでクラムは人間的なエレメントを消すために奏者に仮面をつけるよう指示したりもしています)、よくよく考えるとものすごく身近なもの。
自分を取り巻く世界の全てを動かすメカニズムだったり、手塚治虫「火の鳥」の「未来編」のコスモゾーンのコンセプトに通じるような私たちの中、細胞のなかにある小宇宙(ミクロコスモス)、そして私たちの外に広がる大宇宙(マクロコスモス)、そういったものの源だったり、エネルギーだったり、動きだったり、メカニズムだったりを感じ、触れ、自分で動かすことができるような気がして。
だからクラムの音楽を演奏する人は私は「魔術師」だと思います。
内なる世界と外の世界を自由に動かし、表現し・・・想像したものを不可思議な形にして。
音楽家として音と心を操るだけでなく、弾く事に「空間を創り出す」というエレメントもありますし、そういった自分の世界をひっくるめて演出することもあり・・・
でもクラムの音楽の性質を考えるとどうしても「魔術師」といってしまいたいですね(笑)
クラムの音楽を多数世に送り出したメゾ・ソプラノ歌手ジャン・デガエタニだったり、クラムを始めプリペアド・ピアノやトイ・ピアノを用いたりもする現代音楽のピアニスト、マーガレット・レン・タンだったり・・・演奏を聴いていると音楽と弾くと言うよりは魔法を使っているという感じです。
私も魔法使いになりたいです。
想像力と妄想力、そしてピアノのでき得ること(特殊奏法をもちろん含め)全て駆使して音楽を弾くだけでなく、自然のメカニズム、空間、時間、色彩などをこの手で動かして自由に操り、表現したいという気持ちでいっぱいで。
なのでまずグランドピアノが欲しいです。中古でもいいので(笑)今のアップライトピアノだと特殊奏法が使えないのと、真ん中のペダルの機能が違うのと・・・あと音質がちょっと(汗)割りと音の粒一つ一つが聞こえて音が薄いため音をブレンドしたり余韻をコントロールするのが難しいのです。
私のピアノについての愚痴は置いておいて。
ジョージ・クラムの音楽は今敬遠されているほどに敬遠されるような音楽ではないと思います。
論理的だけれど想像力を刺激して、遠いようで本当はものすごく身近な世界。
偏見とキワモノ的な見方さえとっぱらえばきっとアプローチしやすい音楽。
もっと評価されてもいいんじゃないかなーと思います。
いつか私が魔術師になって、自分の内なる世界、外の世界の美しさ、そしてクラムの音楽を世に伝えることができるようになることを願って・・・
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第1巻 第11楽章「夢の音楽(愛と死の音楽)」
宣言通り聴きやすい、入門編クラムをチョイス。
時を超えた時、無限の空間・・・そういったクラムの音楽の主要なアイディアがシンプルに、心にしみて感じられる曲です。
使うハーモニーはほとんどロマン派以前の聴きやすいものばかり。
そして特殊奏法をほとんど?全然?使わない曲。
ただ和音の余韻により広がる世界はクラムの音楽以外の何物でもありません。
ドビュッシーが「音楽とは音と音の間の空間である」と言うように、この曲もまた音と音の間に広がる空間、余韻、そして音が消えていく瞬間、様々な音の余韻が絡み合い一つになるafterthoughtこそが音楽。
音が少なくともも色んなものにあふれています。
そして途中で現れる聞き覚えのあるようなメロディーはショパンの「幻想即興曲」からのメロディーの欠片。
夢のようにふっと現れて、ほどけるように無に帰していく・・・
そして原曲とは違ってペダルを踏んだままにしてあるのでそのふわふわした、夢の世界のような音の混ざり合いがまた美しく。
そういった引用の欠片も、きらきらと輝く音の粒も、深く響く和音も。
全て心の琴線に触れるのに、まるで触れ得ないような、不思議な存在感を放っていて。
透明で、触れればほどけそうなその音楽を心全体で受け止めたくなります。
こんな愛しい音楽を埋もれさせとくのは勿体ない!(といってもあんまりメジャーになって騒がれるのもなんですね、ひっそり大事に愛してあげて欲しいです)
クラムの音楽がキワモノだと、特殊奏法で奇抜なことをやっているだけだと決めつける前に素直な心でこの曲を聴いて欲しいです。
奇抜なサウンドも耳と脳の慣れでずいぶん見方が変わってくるんので、クラムを聴く際にはこういった割と聴きやすいものに心を開いて偏見をとっぱらうことをオススメします。
ただ、クラムの音楽がどうとかいうことを差し引いてもささやかに美しい曲なので皆さん是非♪
(今回はDVD版をリンク。いつか手に入れたい一枚です♪)
仕事のための勉強、全般的な勉強、そして趣味を兼ねて論文を読んでいます。
広い範囲の勉強には向いていませんし、論文を読むだけでは(論文に使われる言語を勉強する以外には)勉強にはなりませんが、いろいろ面白いトピックで、一点集中型の深い検討だったり、最新の研究などが読めるので楽しいです。
最近ジョージ・クラムの音楽についての興味深い論文を2つ見つけることができて、いろいろ分析のこととか理解できていない部分もありながらも楽しく読みました♪現代音楽の分析、とくにクラムはわりと文献が少ないので貴重ですし、改めて学んだこと、自分の思いを確認したことも多く再読を楽しみにしています。
クラムの音楽を初めて知ったのはとある弦楽四重奏曲についての本で。
現代音楽の四重奏曲の名曲の一つとしてクラムの「ブラック・エンジェルズ」が掲載されていて。
まずはタイトルに惹かれました(笑)
実際にそれを聴いたのは何年か経ってからのことで、初めて聴いた当初はその「不快な音」に気圧されて正直好きになれないこともありましたが・・・
メシアンを好きになった後いろんな音楽に抵抗が少なくなってから改めてクラムに出会い直してからじわじわ心が支配されて、今では自分の演奏、そして自分の人生に不可欠な音楽となっています。
大学の音楽史だったり音楽の流派の授業でも一応クラムのことに言及はあります。
ただモダニズムの一部の「実験音楽」の一部としてわりとキワモノ扱いで、彼の表現・音楽の意図だったり哲学だったりについてはまったく言及がなくて・・・ぱっと聴いた印象も手伝って音楽をやる人(かなりの玄人でも)もそうでない人もちょっとばかり誤解しているかなーという感じがひしひしするのです。
以前私が好きな現代音楽は先進的なものでなく、様々な意味で「古風」なエレメントがあるものが好きだと書いた覚えがあるのですが、特にクラムの音楽はその傾向に当てはまっていると思います。
クラムの作品の様々なタイトルだったり、雰囲気だったりは(今日読んでいた論文にも書いてありますが)なによりも神話的。
どこの神話、とかそういうものではなく、古の自然と不思議、そして世界ができていく過程のメカニクスみたいなものを全般的に、universalに表現したもの。
クラムが「実験音楽」のくくりに入るのは彼が「特殊奏法」を多用する作曲家だから、という理由があります。
例えばフルートに息を吹き入れながら同時に声も吹き入れたり、ピアノ(グランドピアノ)の中の弦をつま弾いたり。声でもメロディーというよりは話すような歌い方をしたり。彼の音楽が不思議なサウンド、不快とされる原因です。
声はまた面白いですね。クラムは「意味のない音節」をよく使いますが、これにはいくつか意味があります。
一つは声を楽器として使っている、ということ。ざっくり言えば子音は音のアタック、母音は音質なので意味がない「言葉」により様々な楽器の音が作れる、ということ。
もう一つは今日読んだ論文にあったものなのですが、この「意味のない音節」によりどの言語でもないエキゾチックな言葉だったり、言葉を覚える前の子供の言語を表したり、ということもあるようです。
様々な技巧だったり特殊奏法をつかった声で、人間ではない存在を表現している、というのもあります。
クラムの表現するものは例えば「鯨の声」では古代の海と時代の移り変わりだったり、「天体の力学」での宇宙の無限に思える距離の中の天体の動き、「夏の夜の音楽」だったら星達の輝き、夜に動き歌い出す不可思議な「虫」たちの命・・・
日常に確かに普通に存在しているけれど私たちが意識しない、または今は見えないけれど何らかの形で残っている(神話的なエレメント)もの。
そういった人間の創ったもの、人間の世界とは別なものを表現するためには特殊奏法などで楽器のポテンシャルを広げ、あらゆる手を尽くして表現し、さらに人間の書いた音楽とは違うサウンドを追求することはごく自然なことだと思います。
クラムの音楽でもう一つ特徴的なのは円だったり、十字架だったり、螺旋の形をした楽譜の表記。
ジョージ・クラム公式ページのトップにもありますがこういう感じなんですが・・・
「こんな形にしても意味ないでしょ?」と言われますが・・・間接的には意味があると思います。
こういう形にするとまずフレーズの長さが形によって決まりますし、今日読んでいた論文によるとクラムはこうやって「シンボル」(マクロコスモス第1,2巻ではこういう変な形の楽譜の楽章は[Symbol]と表記があります)を見せることで聴き手が何を連想して、何を感じるかというのを引き出そうとしている意図もある、ということらしいです。
一見複雑で不可思議なタイトルだったり、特殊奏法などの細かい指示だったり、楽譜にある諸々の書き込みだったりでクラムの音楽はかなり細かく作曲家の意図を伝えようと口うるさい印象があるのですが・・・
実際のところクラムの音楽の演奏は演奏家によっての解釈・演奏の差にかなりばらつきがあります。
つまりクラムの音楽のスタイル、そしてタイトルや書き込みは弾き手に作曲家の感じて表現している世界についての様々なヒントを与え、連想だったり想像により奏者の内なる世界にあるいろんなエレメントの引き金を刺激して奏者に自由な表現を促している、という風にも取れます。
実際自分がクラムを弾いている時は本当に素直に自分のなかの想像力が表現出来る、ものすごい自由を感じます。
覚悟はしていましたが長くなるので次回に続きます。
クラムの音楽の影響、題材・タイトルの例、クラムの音楽の演奏についての諸々を話したいと思います。
もうクラムの音楽は語りきれないほどの思いがあるので・・・なんとかまとめます、次回(笑)
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第5楽章「Ghost-Nocturne, for the Druids of Stonehenge(Night-Music II)」
割とチャレンジなものをご紹介。
クラムは(明日ちょっと言及あるかもですが)夜の音楽マイスターの一人だと思います。
夜の恐怖、神秘、そして人間が見えないものがうごめき出す時間としての夜・・・そういったものを網羅した音楽を創りだすことができる作曲家です。
この曲はかなり「奇妙」な音を用いています。
なんとガラスのコップを弦にそってころころ転がしたり、コップを転がしておいたまま鍵を弾くことでコップがはねて「がしゃん」というような音を出したり、ピアニストが意味のない音節を発したり。
私にとってマクロコスモス第2巻とは世界の終わりの諸過程。(ちなみにマクロコスモス第1巻は世界の始まりから始まってるので対称となっています)
その中でもなかなか解釈が難しい楽章なのですが・・・
この楽章の後に起こる完膚無きまでの破滅を考えると少しだけ分かるような気がします。
自分の解釈のイメージだとストーンヘンジで儀式を行うドルイドたちの前に突然現れる破滅の予言。
なんだか通常ではない精神状態にある彼らが目撃するヴィジョンはこれから世界の破滅が訪れることを示している・・・という感じです。
解釈の過程としては:
コップが跳ねて出る音は確かにびっくりするし突然のものなんですけど、それは今現在ここで起きている悲劇だったり破壊を表すものではない、という風に思います。
むしろそれはその儀式を行うドルイド達の不思議な精神状態、おそらくはトランスで自然と繋がっている状態(なので普通の奏法と特殊奏法が交錯している)状態のものを突然妨げ乱す、あくまでも彼らと自然の繋がりの中で起こっていること。
ただやっぱり不穏だったり不安、恐怖みたいなものはもたらしていて。
その破滅が確実に起こるもので、確実にその時が近づいていることが感じられる気がします。
クラムの音楽には(これも明日言及する気がしますが)本当に想像力が総動員される気がします。
弾き手としても、聴き手としても。
小さい頃から想像の世界を心に住まわせていたからか、やはりこういう音楽の存在は本当に嬉しくて・・・
だからクラムの音楽と離れられない、というのもあるのかも。
明日の一曲もまたクラムの予定ですが、明日はクラム入門に向いている聴きやすい曲を紹介したいと思います。
広い範囲の勉強には向いていませんし、論文を読むだけでは(論文に使われる言語を勉強する以外には)勉強にはなりませんが、いろいろ面白いトピックで、一点集中型の深い検討だったり、最新の研究などが読めるので楽しいです。
最近ジョージ・クラムの音楽についての興味深い論文を2つ見つけることができて、いろいろ分析のこととか理解できていない部分もありながらも楽しく読みました♪現代音楽の分析、とくにクラムはわりと文献が少ないので貴重ですし、改めて学んだこと、自分の思いを確認したことも多く再読を楽しみにしています。
クラムの音楽を初めて知ったのはとある弦楽四重奏曲についての本で。
現代音楽の四重奏曲の名曲の一つとしてクラムの「ブラック・エンジェルズ」が掲載されていて。
まずはタイトルに惹かれました(笑)
実際にそれを聴いたのは何年か経ってからのことで、初めて聴いた当初はその「不快な音」に気圧されて正直好きになれないこともありましたが・・・
メシアンを好きになった後いろんな音楽に抵抗が少なくなってから改めてクラムに出会い直してからじわじわ心が支配されて、今では自分の演奏、そして自分の人生に不可欠な音楽となっています。
大学の音楽史だったり音楽の流派の授業でも一応クラムのことに言及はあります。
ただモダニズムの一部の「実験音楽」の一部としてわりとキワモノ扱いで、彼の表現・音楽の意図だったり哲学だったりについてはまったく言及がなくて・・・ぱっと聴いた印象も手伝って音楽をやる人(かなりの玄人でも)もそうでない人もちょっとばかり誤解しているかなーという感じがひしひしするのです。
以前私が好きな現代音楽は先進的なものでなく、様々な意味で「古風」なエレメントがあるものが好きだと書いた覚えがあるのですが、特にクラムの音楽はその傾向に当てはまっていると思います。
クラムの作品の様々なタイトルだったり、雰囲気だったりは(今日読んでいた論文にも書いてありますが)なによりも神話的。
どこの神話、とかそういうものではなく、古の自然と不思議、そして世界ができていく過程のメカニクスみたいなものを全般的に、universalに表現したもの。
クラムが「実験音楽」のくくりに入るのは彼が「特殊奏法」を多用する作曲家だから、という理由があります。
例えばフルートに息を吹き入れながら同時に声も吹き入れたり、ピアノ(グランドピアノ)の中の弦をつま弾いたり。声でもメロディーというよりは話すような歌い方をしたり。彼の音楽が不思議なサウンド、不快とされる原因です。
声はまた面白いですね。クラムは「意味のない音節」をよく使いますが、これにはいくつか意味があります。
一つは声を楽器として使っている、ということ。ざっくり言えば子音は音のアタック、母音は音質なので意味がない「言葉」により様々な楽器の音が作れる、ということ。
もう一つは今日読んだ論文にあったものなのですが、この「意味のない音節」によりどの言語でもないエキゾチックな言葉だったり、言葉を覚える前の子供の言語を表したり、ということもあるようです。
様々な技巧だったり特殊奏法をつかった声で、人間ではない存在を表現している、というのもあります。
クラムの表現するものは例えば「鯨の声」では古代の海と時代の移り変わりだったり、「天体の力学」での宇宙の無限に思える距離の中の天体の動き、「夏の夜の音楽」だったら星達の輝き、夜に動き歌い出す不可思議な「虫」たちの命・・・
日常に確かに普通に存在しているけれど私たちが意識しない、または今は見えないけれど何らかの形で残っている(神話的なエレメント)もの。
そういった人間の創ったもの、人間の世界とは別なものを表現するためには特殊奏法などで楽器のポテンシャルを広げ、あらゆる手を尽くして表現し、さらに人間の書いた音楽とは違うサウンドを追求することはごく自然なことだと思います。
クラムの音楽でもう一つ特徴的なのは円だったり、十字架だったり、螺旋の形をした楽譜の表記。
ジョージ・クラム公式ページのトップにもありますがこういう感じなんですが・・・
「こんな形にしても意味ないでしょ?」と言われますが・・・間接的には意味があると思います。
こういう形にするとまずフレーズの長さが形によって決まりますし、今日読んでいた論文によるとクラムはこうやって「シンボル」(マクロコスモス第1,2巻ではこういう変な形の楽譜の楽章は[Symbol]と表記があります)を見せることで聴き手が何を連想して、何を感じるかというのを引き出そうとしている意図もある、ということらしいです。
一見複雑で不可思議なタイトルだったり、特殊奏法などの細かい指示だったり、楽譜にある諸々の書き込みだったりでクラムの音楽はかなり細かく作曲家の意図を伝えようと口うるさい印象があるのですが・・・
実際のところクラムの音楽の演奏は演奏家によっての解釈・演奏の差にかなりばらつきがあります。
つまりクラムの音楽のスタイル、そしてタイトルや書き込みは弾き手に作曲家の感じて表現している世界についての様々なヒントを与え、連想だったり想像により奏者の内なる世界にあるいろんなエレメントの引き金を刺激して奏者に自由な表現を促している、という風にも取れます。
実際自分がクラムを弾いている時は本当に素直に自分のなかの想像力が表現出来る、ものすごい自由を感じます。
覚悟はしていましたが長くなるので次回に続きます。
クラムの音楽の影響、題材・タイトルの例、クラムの音楽の演奏についての諸々を話したいと思います。
もうクラムの音楽は語りきれないほどの思いがあるので・・・なんとかまとめます、次回(笑)
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第5楽章「Ghost-Nocturne, for the Druids of Stonehenge(Night-Music II)」
割とチャレンジなものをご紹介。
クラムは(明日ちょっと言及あるかもですが)夜の音楽マイスターの一人だと思います。
夜の恐怖、神秘、そして人間が見えないものがうごめき出す時間としての夜・・・そういったものを網羅した音楽を創りだすことができる作曲家です。
この曲はかなり「奇妙」な音を用いています。
なんとガラスのコップを弦にそってころころ転がしたり、コップを転がしておいたまま鍵を弾くことでコップがはねて「がしゃん」というような音を出したり、ピアニストが意味のない音節を発したり。
私にとってマクロコスモス第2巻とは世界の終わりの諸過程。(ちなみにマクロコスモス第1巻は世界の始まりから始まってるので対称となっています)
その中でもなかなか解釈が難しい楽章なのですが・・・
この楽章の後に起こる完膚無きまでの破滅を考えると少しだけ分かるような気がします。
自分の解釈のイメージだとストーンヘンジで儀式を行うドルイドたちの前に突然現れる破滅の予言。
なんだか通常ではない精神状態にある彼らが目撃するヴィジョンはこれから世界の破滅が訪れることを示している・・・という感じです。
解釈の過程としては:
コップが跳ねて出る音は確かにびっくりするし突然のものなんですけど、それは今現在ここで起きている悲劇だったり破壊を表すものではない、という風に思います。
むしろそれはその儀式を行うドルイド達の不思議な精神状態、おそらくはトランスで自然と繋がっている状態(なので普通の奏法と特殊奏法が交錯している)状態のものを突然妨げ乱す、あくまでも彼らと自然の繋がりの中で起こっていること。
ただやっぱり不穏だったり不安、恐怖みたいなものはもたらしていて。
その破滅が確実に起こるもので、確実にその時が近づいていることが感じられる気がします。
クラムの音楽には(これも明日言及する気がしますが)本当に想像力が総動員される気がします。
弾き手としても、聴き手としても。
小さい頃から想像の世界を心に住まわせていたからか、やはりこういう音楽の存在は本当に嬉しくて・・・
だからクラムの音楽と離れられない、というのもあるのかも。
明日の一曲もまたクラムの予定ですが、明日はクラム入門に向いている聴きやすい曲を紹介したいと思います。
(そろそろ前回から間が開いてしまったので・・・)
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
いきなりあれですが、自分が弾いていなくて縁が深い楽器といったらホルンかビオラだと思います。
まず母がホルンを吹いていたこともありますし、大学に入ってから実に多くのホルン奏者と友達になり、ホルン関係のいろいろ活動に関わったこともあります。
そもそもメルボルンでは(大学の友達調べですが)ホルンとチェロのカップル・夫婦・親子・親友同士というのがどうやらかなり多いらしく(というか私も親子でチェロ&ホルン)。
それには色々理由があるんだろうか、という仮説がでているのですがこのコンビに関してはまた別の日に。
今日はそんな縁の深いホルン奏者達について思い入れを交えながら?綴ってみたいと思います。
ホルンは大体の場合残りの金管楽器とは木管楽器セクションを挟んで反対側に、2人だったり4人だったり8人だったりのセットでいます。
ちなみに金管楽器で吹く頻度が多めなので、曲によっては「アシ」というホルンのリーダーをサポートする役(ソロを吹くときにバテないように、ソロじゃないところをカバーしてくれる)がいる場合があって、そういうときはホルンは5人だったり9人だったりのセットでいます。
なので基本チームワークの人達。和音を合わせたり、メロディーと伴奏を吹いたり、みんな一緒にメロディーを吹いたり・・・とにかく仲が良い。
大学の友達の話ではホルン同士は家族のような間柄なのであんまり付き合うことはない、と言ってますし、母も他の楽器(例えば打楽器、チェロ)と違って「仲良しグループ」みたいなセクションだと言ってます。
飲むときはホルン同士でなんかめっちゃ楽しそうに盛り上がっていることもしばしば。
ただホルンって弦楽器(ブラームス、リゲティのホルン三重奏曲)、木管楽器(木管五重奏)、金管楽器(金管五重奏)などオケだけでなくアンサンブルでかなり幅広い範囲の楽器と絡みがあります(チェロともよくオケでは似たようなパートを担当しています)。
なのでホルンファミリーで盛り上がることは多くても基本気さくではありますし、フレンドリーでオープンに付き合ってくれます・・・というのがきっと大学で短期間にホルンの友達が急増してしまった背景。
ぱーっと大きな音を出したり、目立ったソロを吹いたり、基本楽しいことが好きなホルン奏者。
でも音の調和を重視する楽器ですし、さらに「後打ち」などの伴奏など縁の下の力持ち的な役割に回るのもなかなか好きだったり。
基本ポジティブで、気が良い、自分の楽しみのためも人のためにも動く人達です。
大学でホルン奏者達とホルン奏者の性格について話した事があったのですが、その時結論としてはこんな感じでした:
男性ホルン奏者:気が大きくて自分好き、傲慢とも取れるところがあるけれどさっぱりしててあっけらかんなので気にはならない。基本シンプルな行動・思考パターン。
女性ホルン奏者:しっかりしている姉御系で、強がっているけれど、内面打たれ弱い。素直になれないタイプ・・・みたいな。
楽器自体の特性からの性格の特徴、といえば・・・「直感的だけれど理論的」ということがあると思います。
結構唇に関しては感覚頼りで、音がやたらと外れる楽器なので直感と身体の感覚をを信じてかなくちゃいけないところがあって。
ただホルンというのはベルが後ろ向き、つまり後ろ向きに音が出る(そして様々なところに反射してから聴き手の耳に届く)珍しい楽器で、吹くときは常にタイムラグを考慮して吹いているという計算もあったり。
そして(説明は省かせてもらいますが楽器の歴史のいろいろから)楽譜がかいてあるところから様々なキーに移調して吹かなくちゃいけないので理論的でないとつとまらない、ということも。
他にもホルン奏者は全般的に言えばなんにしても頭で理解できることを好む、理論的かつ合理的な人達が多い気がします(うちの母を含めて)。
ホルン奏者たちと友達でいるってものすごく楽しかったです。ある意味ものすごく普通の人たちという印象もあるのですが、でもみんなものすごくいい人たちで。母のいうところの「とにかく性格がいい」(笑)ということで。
人間的で、素晴らしい類の「人間らしさ」、という印象です。
とにかく飲みに行くときはホルンファミリーとつるむと楽しくて楽しくて。明るい酒が飲めますし、なんでもないことで(下ネタもちょくちょく)ものすごく楽しく盛り上がれますし。
余談ですが創作のオケでホルンセクションは実は全員女の子。ユースオケ時代にホルンが全員女の子だったことがあって、かっこよかったのが由来。結束強いですよ-。ガールズなお集まりで。女の友情。
ホルンにはまだまだ語りきれなかった思い入れがいっぱい。
いろんな形態でなんとか表現していきたい思いでいっぱいです・・・(笑)
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第4楽章
ホルンといったらこれ!と言って聞かない曲です!(私も母も)
やっぱりオケはホルンが元気でないと全体的な元気がでない、というのが一番立証される曲だと思います。
最初の怒濤の嵐みたいなオープニングが好きで、いつも最初ばっかり聞いていますが(オープニングではバイオリンがめっちゃ難しいパートでずーっと続けて弾いてバックグラウンドで頑張ってるので是非是非耳を傾けてあげてください!リハーサルであそこばっかりやってました!)、全体を通して素晴らしいフィナーレです。
前言った覚えがあるのですが、この曲は一人の英雄が剣を持って大きな力に立ち向かっていく、というイメージがものすごく似合う曲です。
マーラーの交響曲は人の強く不屈な心、壮大な自然、そして巨大な見えない力を体感するのに最もふさわしいのではないかと。
嵐のようだったり、ロマンチックだったり、第1楽章でも聞こえた牧歌的な、静かで包容力にあふれた自然だったり・・・その一つ一つにオーケストラの、そして各楽器の素晴らしさが満ちているのですがここでは語り尽くすことは到底無理なので割愛。マーラーは本当にオーケストラ、そして音楽自体を素晴らしく創り上げてくれます。
で、ホルンが一番活躍するのがフィナーレのフィナーレ。
まばゆいばかりの明るい音楽が金管楽器と共に輝くのですが、ここでなんと!9人のホルン奏者が起立して吹くのです!格好いい!
ものすごく元気よく、明るい音をぶっぱなしてくれて(笑)。威風堂々とした姿でみんな嬉々として演奏してます(笑)
ここでホルンが尻込みしちゃあ誰も盛り上がらない。(そんなことがあるのかわからないのですが・・・ここがオケレパートリーのホルンの見せ場ナンバーワンですから)
マーラーの音楽はこの交響曲のみならず全ての作品で、闇の深さと暗さをと苦しさを知って表現できているからこそ「光」の部分がまばゆく輝くんだと思います。それが自分に対しての勝利であれ、大きな力に打ち勝った喜びであれ、本当に聴いてて勇気が湧きますし、力がみなぎりますし、本当に嬉しくて。
そしてホルン奏者達のことを思って、彼らの音にここで耳を傾けるともっと嬉しくなりますね。
彼らがあんなに元気に力強く、楽しんで弾いている姿を見ると本当に幸せな気持ちになります。
ホルン奏者でなくとも彼らの喜びが分かち合えて、ホルンがものすごーく好きになります。
もちろん例の「起立」はCDで味わうことができないので、是非コンサートで第1楽章からこの壮大な旅を味わってみて欲しいです。
マーラーの交響曲のなかでも第1番は最も演奏されているはずなので日本でもきっとどっかでいつかやってるはず・・?
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
いきなりあれですが、自分が弾いていなくて縁が深い楽器といったらホルンかビオラだと思います。
まず母がホルンを吹いていたこともありますし、大学に入ってから実に多くのホルン奏者と友達になり、ホルン関係のいろいろ活動に関わったこともあります。
そもそもメルボルンでは(大学の友達調べですが)ホルンとチェロのカップル・夫婦・親子・親友同士というのがどうやらかなり多いらしく(というか私も親子でチェロ&ホルン)。
それには色々理由があるんだろうか、という仮説がでているのですがこのコンビに関してはまた別の日に。
今日はそんな縁の深いホルン奏者達について思い入れを交えながら?綴ってみたいと思います。
ホルンは大体の場合残りの金管楽器とは木管楽器セクションを挟んで反対側に、2人だったり4人だったり8人だったりのセットでいます。
ちなみに金管楽器で吹く頻度が多めなので、曲によっては「アシ」というホルンのリーダーをサポートする役(ソロを吹くときにバテないように、ソロじゃないところをカバーしてくれる)がいる場合があって、そういうときはホルンは5人だったり9人だったりのセットでいます。
なので基本チームワークの人達。和音を合わせたり、メロディーと伴奏を吹いたり、みんな一緒にメロディーを吹いたり・・・とにかく仲が良い。
大学の友達の話ではホルン同士は家族のような間柄なのであんまり付き合うことはない、と言ってますし、母も他の楽器(例えば打楽器、チェロ)と違って「仲良しグループ」みたいなセクションだと言ってます。
飲むときはホルン同士でなんかめっちゃ楽しそうに盛り上がっていることもしばしば。
ただホルンって弦楽器(ブラームス、リゲティのホルン三重奏曲)、木管楽器(木管五重奏)、金管楽器(金管五重奏)などオケだけでなくアンサンブルでかなり幅広い範囲の楽器と絡みがあります(チェロともよくオケでは似たようなパートを担当しています)。
なのでホルンファミリーで盛り上がることは多くても基本気さくではありますし、フレンドリーでオープンに付き合ってくれます・・・というのがきっと大学で短期間にホルンの友達が急増してしまった背景。
ぱーっと大きな音を出したり、目立ったソロを吹いたり、基本楽しいことが好きなホルン奏者。
でも音の調和を重視する楽器ですし、さらに「後打ち」などの伴奏など縁の下の力持ち的な役割に回るのもなかなか好きだったり。
基本ポジティブで、気が良い、自分の楽しみのためも人のためにも動く人達です。
大学でホルン奏者達とホルン奏者の性格について話した事があったのですが、その時結論としてはこんな感じでした:
男性ホルン奏者:気が大きくて自分好き、傲慢とも取れるところがあるけれどさっぱりしててあっけらかんなので気にはならない。基本シンプルな行動・思考パターン。
女性ホルン奏者:しっかりしている姉御系で、強がっているけれど、内面打たれ弱い。素直になれないタイプ・・・みたいな。
楽器自体の特性からの性格の特徴、といえば・・・「直感的だけれど理論的」ということがあると思います。
結構唇に関しては感覚頼りで、音がやたらと外れる楽器なので直感と身体の感覚をを信じてかなくちゃいけないところがあって。
ただホルンというのはベルが後ろ向き、つまり後ろ向きに音が出る(そして様々なところに反射してから聴き手の耳に届く)珍しい楽器で、吹くときは常にタイムラグを考慮して吹いているという計算もあったり。
そして(説明は省かせてもらいますが楽器の歴史のいろいろから)楽譜がかいてあるところから様々なキーに移調して吹かなくちゃいけないので理論的でないとつとまらない、ということも。
他にもホルン奏者は全般的に言えばなんにしても頭で理解できることを好む、理論的かつ合理的な人達が多い気がします(うちの母を含めて)。
ホルン奏者たちと友達でいるってものすごく楽しかったです。ある意味ものすごく普通の人たちという印象もあるのですが、でもみんなものすごくいい人たちで。母のいうところの「とにかく性格がいい」(笑)ということで。
人間的で、素晴らしい類の「人間らしさ」、という印象です。
とにかく飲みに行くときはホルンファミリーとつるむと楽しくて楽しくて。明るい酒が飲めますし、なんでもないことで(下ネタもちょくちょく)ものすごく楽しく盛り上がれますし。
余談ですが創作のオケでホルンセクションは実は全員女の子。ユースオケ時代にホルンが全員女の子だったことがあって、かっこよかったのが由来。結束強いですよ-。ガールズなお集まりで。女の友情。
ホルンにはまだまだ語りきれなかった思い入れがいっぱい。
いろんな形態でなんとか表現していきたい思いでいっぱいです・・・(笑)
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第4楽章
ホルンといったらこれ!と言って聞かない曲です!(私も母も)
やっぱりオケはホルンが元気でないと全体的な元気がでない、というのが一番立証される曲だと思います。
最初の怒濤の嵐みたいなオープニングが好きで、いつも最初ばっかり聞いていますが(オープニングではバイオリンがめっちゃ難しいパートでずーっと続けて弾いてバックグラウンドで頑張ってるので是非是非耳を傾けてあげてください!リハーサルであそこばっかりやってました!)、全体を通して素晴らしいフィナーレです。
前言った覚えがあるのですが、この曲は一人の英雄が剣を持って大きな力に立ち向かっていく、というイメージがものすごく似合う曲です。
マーラーの交響曲は人の強く不屈な心、壮大な自然、そして巨大な見えない力を体感するのに最もふさわしいのではないかと。
嵐のようだったり、ロマンチックだったり、第1楽章でも聞こえた牧歌的な、静かで包容力にあふれた自然だったり・・・その一つ一つにオーケストラの、そして各楽器の素晴らしさが満ちているのですがここでは語り尽くすことは到底無理なので割愛。マーラーは本当にオーケストラ、そして音楽自体を素晴らしく創り上げてくれます。
で、ホルンが一番活躍するのがフィナーレのフィナーレ。
まばゆいばかりの明るい音楽が金管楽器と共に輝くのですが、ここでなんと!9人のホルン奏者が起立して吹くのです!格好いい!
ものすごく元気よく、明るい音をぶっぱなしてくれて(笑)。威風堂々とした姿でみんな嬉々として演奏してます(笑)
ここでホルンが尻込みしちゃあ誰も盛り上がらない。(そんなことがあるのかわからないのですが・・・ここがオケレパートリーのホルンの見せ場ナンバーワンですから)
マーラーの音楽はこの交響曲のみならず全ての作品で、闇の深さと暗さをと苦しさを知って表現できているからこそ「光」の部分がまばゆく輝くんだと思います。それが自分に対しての勝利であれ、大きな力に打ち勝った喜びであれ、本当に聴いてて勇気が湧きますし、力がみなぎりますし、本当に嬉しくて。
そしてホルン奏者達のことを思って、彼らの音にここで耳を傾けるともっと嬉しくなりますね。
彼らがあんなに元気に力強く、楽しんで弾いている姿を見ると本当に幸せな気持ちになります。
ホルン奏者でなくとも彼らの喜びが分かち合えて、ホルンがものすごーく好きになります。
もちろん例の「起立」はCDで味わうことができないので、是非コンサートで第1楽章からこの壮大な旅を味わってみて欲しいです。
マーラーの交響曲のなかでも第1番は最も演奏されているはずなので日本でもきっとどっかでいつかやってるはず・・?
