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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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記憶の宮殿の話なようなそうでないような・・・
昨日親友から電話がかかってきました。
彼女は今とある精神科の病院で研修をやってて、主にホームレスで統合失調症を患っている患者さんと触れあうことが多いらしいです。
で、彼女は昨日ECT治療の見学をした、ということで電話でそのことについて話しました。
私はここでも何度か書いているようにECT経験者ですが、全身麻酔なのでもちろん麻酔がかかっているとき、例えば筋肉弛緩剤の効き方とか(皮膚の下でむにむにするらしいです)治療後に脳が安静になるまでのことを全く知らないので興味深かったです。昨日は仕事がものすごく忙しかったので(今日はなんとか落ち着きましたが)長くしゃべれなかったのが残念!
親友とならメンタルヘルス当たりのこと1時間以上もしゃべれますし(経験あり!楽しかったです)、最近このブログに書くような精神関係カテゴリのネタもないので、という残念さもあり。
ピアノも毎日体制になりますがなんとかそっちの方にも(勉強までとはいかなくとも)頭をめぐらせたいです。

最近本も論文も読んでなくて。
次はThomas Harrisのハンニバルシリーズで唯一読んでない最初の「Red Dragon」を読む予定でして・・・
で、前々から気になってるレクター先生の記憶術「記憶の宮殿」もフォローアップしたいなあ、と思ってます。

「記憶の宮殿」は他にもいろいろ呼び名がありますが(Wikipedia英語版ではMethod of Lociとあります)、実際にある記憶術で。
宮殿でなくても町でも、とにかく頭のなかに場所をつくって、さまざまな部屋などに記憶を保管して、記憶を呼び出すときにはその記憶の場所へ道とたどるイメージによりその場所を訪れる・・・というなんてまあ下手な説明(汗)
もちょっと勉強してからにすればよかったかな・・・(ぼそっ)
とにかく頭の中で記憶を保管している場所とそれにたどり着くプロセスを視覚的なイメージにすることによって大量の情報を記憶し、それらを取り出すことができるようにする、ということらしいです。
スーパーマーケットに行って、この商品はここにあって、この商品を買いに行って・・・というのをイメージするのに近い・・・とか。

レクター博士に関しては、彼の記憶の宮殿には1000もの部屋があって、思いのままに散歩して求める記憶のある部屋に行ってその記憶を引き出したり楽しんだり(思い出など)することができるという話があります。
もちろん彼はフィクションのキャラクターですが、部屋を思いのままに足して記憶のstorageを増やして行くことができる(たどり着く道さえ覚えていれば!)、ということの例ですね。

使う使わないにかかわらずなんだか面白そうなのでもっと知ってみたいと思います。
結構音楽でも音自体を覚えるよりはそのプロセス(道のり)を覚えるタイプの記憶なので(だから色んな意味でロジカルな理系音楽が身につきやすい?)そういう意味では向いてるかなーと思います。
ただ、私はちょっと視覚的な空間認識が苦手なところがあって・・・地図は好きで得意なんですけど、自分が景色のなかにいるとちょっと弱い。方向感覚はまあまあですが、視覚的な空間認識による記憶は本当に地震が無くて。
そこはどうなんだろうなあ、とちょっと思ったり。

でも似たような事を自分は創作でもしてるんじゃないか、と思います。
なんとなーく。

私の創作の特徴として:
1)時間が経てば経つほど膨れあがる
2)好きな物をなんとか組み込みたくなる
3)コンセプト、シリーズとしての(ストーリーをつなぐ)流れははっきりしているけれど個々のストーリーの話の流れを構築するのは苦手
4)設定が細かい
5)やたらと色んなところを繋げたがる
・・・などがありますが、よくよく考えてみると自分の創作って自分が出会ったり感じたり思いついたりしたことを忘れたくない、なくしたくないと思った事によって成り立ってるような気がして。

一つアイディアがあるだけじゃ忘れてしまう。
だからキャラクターの設定にするなり、環境の設定にするなり、(曲だったらサントラとして設定するなり)他の物と組み合わせて関連性を作ることによってそのアイディアにたどりつく道をつくる。
特にキャラクターとかある程度時間が経つと自分たちで動き出す、「命ある」ものにアイディアを関連づけるとキャラクターが「生きている」間はアイディアも生きる。(そのアイディアを取り入れて動くのでね)
精神医学だったり、第二次世界大戦におけるユダヤ人の状況だったり、もちろん音楽や神話なども、創作の色んなエレメントから繋がる資料や設定として私の頭の中に(性能はそれほどまだ良くないですが)保管してあるんですよね。
(あとキャラクターなどの設定としてあるアイディアを関連づけすると足りない側面を補おうと新しいエリアを調べたり興味を広げたりするのも創作に保管することの醍醐味でもあります)

オケ関係のストーリーは特に自分の記憶に強く結びついていると思います。
自分の弾かない様々な楽器についての独特の事情や特性を友達から聞いてはキャラの行動や創作のオケ生活のネタに組み込んだりして記憶し生かし、自分のこととして共感できるようにするプロセスだったり・・・
あとはスコアをみたり音楽を聴きながら「ここはこの人が弾いてる」「ここはこの人苦戦するだろうな」というイメージをすることで曲自体をより深く知る、というか・・・
スコアを丸暗記はできないけれど自分にとって創作オケを使うのは曲(およびその構成)を記憶するにはものすごく有効な方法であると思います(もっと深く活用してあげたいよ!)。

「記憶の宮殿」を勉強することはそれを似た形で応用することにも繋がって、自分の今なんとなく使ってる記憶術をもっとはっきりさせて強力にすることができるかなあ~と思います。
なんか英語でも日本語でも良い本が見つかるといいな、と思います。


今日の一曲: リゲティ・ジェルジュ ピアノのための練習曲第9番 「Vertigo(目眩)」



リゲティはなんだか久しぶりっぽい気持ちです。

「Vertigo」というのは目眩と訳していますが、特に高いところから下を見下ろしたときに感じる目眩だったり、内耳の病気などでおこる回転性の目眩のことを指すそうです。

昔名古屋の科学館で「無限音階」というのを聞いたことがありまして。
どんどん音が無限に上に登っていくように聞こえるのですが、下からどんどん音が迫っていくことでそう聞こえる、という仕組みです。

この曲はその「無限音階」の下降バージョンに近く、音が本当に途切れなくどんどん下に落ちていくように聞こえる曲です。本当にタイトルにある「高いところから見下ろした」際の逆らいがたい重力と無限の奈落への距離感、そしてそれらに関した恐怖感、ふわっとした感覚をリアルに感じる曲です。

その効果を体感するとリゲティの音楽の書き方が凄いを通り越して恐ろしい!
そのテクニックの機械っぽい(良い意味で!)性質といい、その綿密すぎる仕組みといい人間を超えた何かがあります。

そしてリゲティの書いた事を再現する奏者もまた凄い。
ただのだらだらだらっとした、ぼんやりした音の連なりでなく一つ一つの音の粒が落ちていく様を聞かせるためにも物凄くクリアでevenなレガート(でも繋げすぎないで)のタッチ、そして絶妙なペダルのコントロール(深さ、変えるタイミング、変える程度)が必要です。
簡単な曲が無いリゲティの練習曲のなかでも素晴らしく仕上げることに関してはトップクラスの難易度なのではないかと思います。

リゲティといえばキューブリックの映画の音楽を書いた事でも有名。(2001年宇宙の旅、シャイニング)
彼の音楽だからこういう映画の雰囲気を作り出し強化するにも効果覿面なんだろうな。
観ないと!

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命日、そして誕生日。
今日朝起きたらメル響のツイッターでポーランドの作曲家ヘンリク・グレツキの訃報が入ってました。
グレツキはまだ一番有名な交響曲第3番(悲歌のシンフォニー)、それからいくつか授業で聴いただけであんまり曲の数は知っていませんがポーランドの音楽、ミニマル・ミュージックの作曲家としてものすごく好きで。
彼の音楽がみんな「悲歌のシンフォニー」のような音楽ではないのは承知なのですが、それでも好きで。
まだ出会ったばっかりなのに、という気持ちでいっぱいです。

現代音楽が好き、ということは好きな作曲家はざっくり区切ると1920年~1950年頃までくらいの生まれの人が多くて。現代音楽に限らずともクラシックの演奏家で「巨匠」と呼ばれる人にもそれくらいの歳の人が多く・・・
今まだ生きて活動している、新しい作品を創り出している作曲家が多いのです。

大学在学中にリゲティとロストロポーヴィチが亡くなったときに初めて痛感したのですが、どんなに離れている存在でも、音楽を弾いたり聴いたり好きになったりすることでいつのまにか身近に、親しく感じる様になっていて・・・
なのでそんな音楽家が亡くなると、本当に衝撃を受けます。

モーツァルトやベートーヴェンだと今ある曲が(新しく発見されない限り)全てで、これ以上曲が生まれないことは常識なんですが、リゲティが死んだ時「もう新しい練習曲は書かれないのか」と思うと心にぽっかり穴が開いたようで。

同時にこれから失うであろうものを思うと本当に心苦しいです。特に私の大好きなクラムはここ数年新しい曲を書いていないですし、まだ彼の音楽を大学の外で演奏できていないから・・・
「今」の音楽、生きている人の音楽と触れあうこともできる反面、こんな辛いこともあるんだな、と。

グレツキの音楽のあの美しさがもう生まれないと思うと残念です。
これから彼の音楽をもっと知っていきたいな、という思いもこめて・・・冥福を祈っています。


ヨーロッパとは時差があるので日付が変わって11月13日。
今日は私の創作で一番重要なキャラクターの誕生日(仮)。
(仮)、というのは厳密に言えば誕生日というものがあり得ない(人間とはだいぶ違う)人物なため。

でもこのキャラクターもいろんな形を経てもう10年以上の付き合いになります。
最初のうちは人間だったので誕生日があったのですが。
そして一番最初は今私がHNとして使っている「流 星姫」という名前でした。
そのころと比べるとずいぶんと大きな存在になってしまいましたが・・・自分の一部のようなキャラクターです。

なので今日は彼女にちなんだ、特に彼女がビオラ奏者なので彼女が弾くビオラの曲を仕事中にたくさん聴きました。ビオラ奏者の性格的な特徴とは一見離れたところにあるようなキャラなのですが、でも自分がストーリーのプランニング段階だったりいろんなところで彼女を連想した曲を聴いていると彼女の内面だったり、内なる思いだったりがわかるなーとしみじみ。
なんだかもっと書きたいなあ、初心にもどって彼女ともっと触れあいたいなあ、と思ったり。
(今日は1日雨だったので若干センチメンタルなフィルターがかかってはいたのですが)

あえてあまり詳細は書かずに進めちゃいましたが、果たしていつかここらへんの創作についてのいろいろを公開するかどうかはまだ未定です。
思い入れが強いから公開したい気持ちもあるのですが、同時に思い入れが強いからひっそり自分の中でライフワークとしてしまいたい気持ちもあって。
常にいろいろふくれあがってるからちょっと手に負えてない、というのももちろんあり(汗)

どんな形でも私は自分の創作する世界だったりキャラだったり全てを愛していますし、だから今日のバースデーガール(というとなんだか怒られそうだな・・・)ともうまく一生お付き合いしていきたいと願っています。


今日の一曲: ヘンリク・グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」 第2楽章



グレツキの曲のうち抜群の知名度を誇り、クラシック音楽としては異例のベストセラーになったと言われる交響曲。弦の音、そしてソプラノの息の長い歌声が3つの楽章どれもで素晴らしく、本当に心洗われるような美しい曲です。
今日は創作の話もちょっと出たので(今日のバースデーガールとは別の方面で)私の創作に少し縁のある第2楽章をチョイス。

この交響曲に使われている歌詞は全て「親子」にまつわる悲しみがテーマ。
第2楽章は第2次世界大戦でポーランドのゲシュタポ強制収容所に居た少女が独房の壁に刻んだ祈りの言葉で、彼女の母親に向けて天の聖母に守られているから嘆かないでほしい、といった内容の言葉です。

まるで本当に母の愛に包まれているような、そして少女の純粋な母への思いと信心を表しているような曲。
悲しみももちろんあるのですが、それと同じところに愛だったり光だったりがあって・・・

なんでしょう、この楽章の冒頭から感じる黄金色の色調もきっとあるのでしょうが、そういった悲しみ・愛・信心・光のミックスの仕方にもなんだかメシアンに似たものを感じます。

そして以外にもピアノが使われているところもこの交響曲でツボるところ。この独特のsoundscapeには結構欠かせない存在みたいな印象があります(ハープだけじゃあちょっと違う)。
いつか弾けたらいいな。

ポーランドの文化、そしてなによりも音楽に(もとは創作からなのですが)惹かれていて。
グレツキの音楽、そしてその他のポーランドの音楽、歌曲からの言語などいろいろ知りたいこと、心に親しく感じたいことはたくさん。
これからも広げていけたらなあ、と願っています。

とにかくこの交響曲全体本当に透明で美しく、深く静かに心に響くのでもっとたくさんの人に聴いてもらいたいと思っています。かなりおすすめ!

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創作関係のとりとめない話
最初に:
昨日の「今日の一曲」で「プロテウス」が作曲者クラムの親しい人ではないかと推測しましたが、実はクラムの弟がWilliam、つまりW.R.C.はクラムの弟のことを指しているのではないかという説が今日浮上しました♪
なんですかね、やっぱり音楽ではそういう愛や親しみなどが直感的にでも伝わるものなんですね。(演奏者によって演奏の感じは変わりますが)
なんだかちょっとくすぐったいような、嬉しいような。面白いですね♪


最近なにかと神経が興奮やら、興奮とは行かなくともunsettledになることが多い流 星姫です、こんにちは。
その一つの原因は完了後にまたここで語る予定の「元チェロ奪回作戦」にあり、またはピアノの練習の不安定さにあり、仕事再開ちゃんとしなきゃ、というのにもあり・・・
そして自分の中でまさにファンタジーの聖書(?)とも言うべきUrsula Le Guinの「Earthsea」シリーズ(邦題:ゲド戦記シリーズ)のEarthsea短編集「Tales from Earthsea」を購入し読んでたことにあります♪

Earthseaシリーズは高校時代に親友からメインシリーズ(4つの物語)を貸してもらい後に自分でも購入、そして今年続編の「The Other Wind」を図書館で借りて読んだりと改めてもう一回はまりだしています。ただメインのシリーズも再読したいのに日本の母に貸し出したままで・・・(汗)
あとは今図書館で貸し出し中の「Twelve Quarters of the Wind」に収録されているいくつかの短編を読んだらコンプリートですよ♪

つまり、Earthseaシリーズはこういう構成になっています。
メインシリーズ:
The Wizard of Earthsea, The Tombs of Atuan, The Farthest Shore, Tehanu
・・・プラス、
The Other Wind
Tales from Earthsea
Twelve Quarters of the Wind(一部)
です。

実際このシリーズが世界でどれだけ知名度があるのか分かりませんが、知名度に関係なくファンタジー小説、そしてそのくくりを外しても名作だと思います。
でも今日はまだ感想を書くときではないと思うのでこれ以上深く掘り下げないで起きますが・・・

じゃあなにが話したかったか、というと・・・
このTales of Earthseaの前書きを読んで、創作の方もしっかりしなくちゃな~と思いまして。
実際ざっとしか読んでないのですが(純粋に読者として一回目くらいは創作のなんたらを分析せず楽しみたかったのです)、なんというか・・・創作する人のはしくれとしていろいろ考えさせられました。

Earthseaの小説でなにがすごいっていうかというとその世界のリアルさでしょうか。
文化や宗教、魔法や地理などの設定の細かさとリアルさ、生き生きしているのが他の多くのファンタジー小説から群を抜いているように思えます。
そして時の移り変わり、人の変化などの描写が本当に素晴らしく、「因果関係」のようなもので強く結ばれた感が強いです。
だからメインのストーリーの他に続編やスピンオフを書くとよりその世界観が深まって・・・はい。
さらに最初の短編が1964年に書かれてから最後の物語が2001に書かれたという異様に長い間に渡って書かれたにもかかわらず一貫した世界観で描かれて。そこもまた素晴らしい。

趣味とはいえども私にとって自分の創作はライフワーク。
諸事情から公開するかはまだまだ分かりませんが死ぬまで本気で続けていきたい趣味であります。
15歳の時その種ができたストーリー、「書きたい」と意識したとたんに急激に広がり始めた一連の物語。
今はOMNIA seriesという名のもと一応(?)一連のシリーズをちびちび書き進めていますが、スピンオフやらパロディやらはたまた新しい物語とかもこのシリーズにはいって来たりして。
新しいアイディアは歓迎なのですが、創作の規模が水平に広がることによって世界観などの深さを失いたくない!と強く思っていて。
そういう意味でEarthseaは本当に私の創作心にとっての聖書だと思います。

OMNIA seriesは基本ファンタジー小説が中心で、この世界だったりそうでなかったり色んな時系列・世界を舞台としています。
パラレルワールドでは必ずしもないのですが物語ごとに別の「世界」を扱うものでちゃんとそういった世界を個々のキャラクターとしてとらえ、世界観を深めることは不可欠なのです。
世界は必ずしもお互いから独立していなくて、ある種の因果応報みたいな、バタフライエフェクトみたいな影響があったりするのでそれもまたキャラの関係性と同じく深く追求しなければならなくて。
そこが新しいアイディアを思いつくスピードにまったく追いつかなくて、むしろ一生追いつかないと諦めている感はあるんですが・・・

最近やりたいなーと思ったのは「魔法学校」的なアカデミー的な何かで。
ハリーポッターのように魔法を学習する場ではなく、ちょっと近未来的な時代で、科学中心の時代から科学と魔法の両立の時代に移り変わる工程、といいますか。
魔法の能力開発、メカニズムの解析、文化の開拓、社会への応用など魔法を現代社会に適応していく施設という意味での魔法アカデミーで。ちょっと斬新な感じの現代ファンタジーといいますか、そういうものをリアリティを追求しながらやっていくのを最終的には目指しています。まだ新しいアイディアなのでいつになるかわかりませんが。
他の色んな物語でも扱う「力の使い方」とか個人と社会とかそういうテーマも扱いたいなーと思いながら。

いまの魔法学校のもそうですが、どうもキャラクターが多くなりがちな私の創作。例えばオケを扱うストーリーでは当たり前ですが・・・全部のストーリーではありませんが、登場人物が多いことがちょくちょくあって、キャラデザインはものすごく好きなプロセスなのですが・・・たまにきついっす(笑)
そういった意味でも魔法学校は果たしてちゃんと実現出来るのか心配です。

趣味とはいえ、やっぱり突き詰めていきたい。
創作は音楽と同じく自分を表す物で、自分の経験、影響、感性などが形になる結晶ですから。
・・・とはいえ執筆は最近滞りがち・・・精進しなければ。

ちなみに(さらに誰が聞きたいか本当に分からない話なんですけど)、創作での私の影響は主にEarthseaシリーズと北欧神話だと思います。
どちらも色んなばらばらのストーリーが因果関係などで集まって1つの歴史・物語を作ってる、Epic的な物語としては個々でも一連の物語としてもものすごくしっかりしていて。
尚かつこう・・・王道の西洋・東洋の価値観やスタイル、キャラクターデザインとも離れている独特のフレーバーがあって。(もともと北欧神話みたいなキリスト教布教以前の神話とか物語とか価値観とか面白くて一番興味があります)
いろんなものにとらわれず自分の世界を深く、そして広く突き詰めて行こう、と思わされました。

そしてさらにちなみに。
どうやってこのふくれあがる創作の世界をまとめてるかと言いますと、3つネタ帳を使ってます。
1)持ち歩き用のネタ帳
2)ハードカバーのアナログネタ帳
3)Microsoft OneNoteのデジタルネタ帳
OneNoteはもう本当にお世話になってます!いろんな設定やなんかを物語別でまとめておいたりできるし、メモにも実際の設定のまとめの清書としても入力が簡単で、リンクなんかもつけておけますし。
これが無ければ本当にOMNIA seriesは成り立たないのです(苦笑)

何事も形にしなければ始まらない、表現しなければ生きていけない(?)と思っているので・・・
着々と創作も水面下で?進めていきたいと思います。
さて、表にでることは果たしてあるのか?私の想像の世界?


今日の一曲: Spice Girls "2 become 1"



久しぶりのクラシック以外のエントリー。
なんかちょっと意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが13~4歳のころ私はスパイスガールズのファンでした。
当時はやっぱりファッションの趣味の一致からかPosh Spiceことヴィクトリア・ベッカム(結婚前)が好きで。
映画とかもちゃんと見たんですよ-。ライブビデオも。ビデオ見て踊ったりもしましたよ-。
ちなみに最近はGeri Halliwell (Ginger Spice)とEmma Bunton (Baby Spice)の声が気に入ってます♪

で、Spice Girlsの最初のアルバムに収録されている2 become 1。
率直に言うとまあ歌詞がそのまんまエッチの話なんですが(笑)
それを当時も知ってましたが、まあそれを差し引いてもあんまり若い頃(!)は目立って好きでも嫌いでもない歌でした。
どっちかというと2番目のアルバムSpiceworldで同じく3番目に収録されている似たようなキーのバラードであるToo Muchの方が音楽的にも面白いような、そんな印象でした。

で、最近ipodに入れてからまた聞いてみて・・・あ、思ったよりも良いな~と思ったので今日紹介しちゃったわけです。
なんというのか、えっちいながらもすっきりセクシーで、可愛さもあり。
あとなんというか・・・歌詞の歌い手としてのスタンスみたいなものが面白くて。
Emma Bunton(Baby Spice)の声のあのキュートさに反してなんだかスタンスが「お姉さん」的なんですよね。
しっかりしてるというか、自分の体と心に責任をちゃんともっているというか、選ぶ権利がある女性のスタンスというか、教えてあげる的な雰囲気というか・・・(笑)
そういうの全然嫌いじゃないんですよね(笑)

Spice Girlsはまだ自分の中でじっくり懐メロとしても、普通に音楽としても再評価中。
まだまだ再熱で好きな歌があるのでまたいずれ紹介します・・・かも?


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一世一代、自画自賛
※このエントリーは自画自賛仕様となっております。

今年新しく素敵なノートブックが手に入ったのでQuotebookを作り直そうかともくろんでおります。

QuotebooksQuotebook、とは・・・
自分が気に入った名言、迷言、詩、歌詞などの言葉を書き留めておくノート。
基本ずーっととっておくためのものなのですが、結局作る過程でなんか間違えたりして気に入らないことができたり、価値観が変わったりして数年ごとに作り治しています。

写真は新旧Quotebook.。
右が今までのもの。ノートがひもとじになってるのが特徴です。
左が新しく入手したもの。右側に見える紐状のものは使うことでふくらんだり閉じにくくならないようにノートを閉じるためのもの。
メシアンと言えば鳥、ということもあり前のを買ったのですがやっぱり自分自身は蝶に惹かれますので・・・(正確には蛾が好きなんですが)
今自分の持ち物に合計50匹以上蛾がいます。
主にダリのポスターやアクセサリーなどが中心なので部屋に入ってもわかりにくいですが。

Quotebookを作るとき、欠かせない詩が一つありまして。
2001年、私の長い長い精神不調の中で書きました「The Isle of the Dead」(死の島)という詩で・・・はい、自分で書いた詩を自分で気に入ってます(笑)

一応英語版だけですが(昔やった和訳はひどいので英語で勘弁してください(汗))、こちらにアップしてみました。
アップできるくらい気に入ってるのですよ(笑)

タイトルからも想像できるかとは思いますが、アルノルト・ベックリンの一連の絵画「死の島」、ならびにそれらにインスピレーションを受けたセルゲイ・ラフマニノフの交響詩「死の島」を題材としています。

さらに、当時ものすごく感銘を受けたウィリアム・ダンバーの「Lament for the Makers」という詩にもまた「死の舞踏」的な性格、構成、リズムなどに強い影響を受けています。
Lament for the Makers、好きなんですよね。日本語の訳が見つからないんですけど・・・
死からは誰も、どんなことをしても逃れられない、というようなことがまず謡われ、そして歌い手の回りの人が死んでいったことを一人一人語り・・・
そして「(死が)私のみを生かしておくわけがないだろう」的なフレーズがまた心に切実に来て。
Timor Mortis Conturbat Me(死の恐怖が私を悩ませる)というフレーズの繰り返しがだんだんパラノイアチックになっていってまたそれも心ふるわせて、それはそれは私に大きな影と創作心を与えたものです。
英語版(といってもスコットランド語?なのですが)はこちらです。読解難易度はかなり高めです!

このころから結構詩を書くことが多く、心のうちの表現をするのにメインの媒体としていたのですが、つい最近ぱたっ、と詩を書くのをやめてしまって・・・
その一つの要因としては自分の過去に書いた詩を読み返したとき、この「死の島」よりも自分が好きになれた、それよりも優れてると思えた詩が全く一つもなく。
なんとなくぼんやりと挫折感を感じてしまって、あの詩を超えられないんだなー・・・と思ってしまった結果みたいです。

表現形態はいろいろありますが、どうも自然と遠ざけてたエリアもあります。
その中の一つが作曲。マイケルやPなど作曲を精力的にしていた友達が何人かいたので自然に自分が比較してしまうことを恐れてか遠ざけてしまったジャンル、ということらしく・・・

でもメルボルン大学音楽科では課題でちょっとした曲を書いたり、なんということは授業の一環としてありました。
例えばTechniques 3-2という科目(通常3年生の科目ですが、大学制度のいろいろのあれで実際に3年目でやる人もいれば他の学年でやる人もたくさんいます)なんですが、この科目では20世紀で起こった様々な音楽の流派(実験音楽、ジャズ、etc)の事を学び、実際にそのスタイルで曲を書いたりアレンジしたりするという課題がありました。
いろいろ短時間で習うのでそこらの音楽を専門としてる私にとっては伝わっていないことが多かった感じも否めませんが、楽しかったのは実験音楽・偶然の音楽の課題です・・・が!
ミニマル・ミュージックの課題に自分が書いた曲は自分の唯一の作曲作品ながらなかなかの出来で、むしろ一世一代の芸術だと思います(笑)
(いえ、そこまで素晴らしい代物じゃないんですけど自分はこれ以上の音楽はかけないと思ってるので・・・あくまでもパーソナルベスト、ということです)

ミニマル・ミュージックというのは音楽の全てのエレメント(リズム、メロディー、動き、ハーモニー)などを最小限に抑えた音楽のスタイルで、結果20世紀の音楽のなかではかなり聞きやすい部類に入ります。
主にアメリカとヨーロッパでそのスタイルは2つに別れ、アメリカの流派(スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、ジョン・アダムスなど)ではメカニカルな反復が特徴的で、ヨーロッパの流派(ヘンリク・グレツキ、アルヴォ・ペルトなど、主に非ロシアソヴィエト圏)はスローな動きとスピリチュアルな雰囲気(ソヴィエトは共産主義なので宗教音楽が禁止されていたため、と言われてます)が特徴です。

私の作品、「Grey Angel」(2006)は後者のヨーロッパ流派のスタイルで書かれてます。
ヨーロッパ流派のミニマル・ミュージックはかなり私のツボでして、いまでも愛聴しています。
ちょうど創作活動の方で立ち上げ始めたストーリーのキャラクターを多少イメージしながらプランして。
違う長さの音型(ミニマル・ミュージックは不協和音を避けるので先生のアドバイス通り五音音階で)を3種類ほど用意して、それを反復させながら、1つの音型はベースとして使い、もう二つの音型を決まったパターンによって変化させていく・・・というものなのでメカニズムとしてはものすごくシンプルかつ論理的。しかも聴いてみるとその論理的な部分をあまり感じさせず。

自慢になりますが課題にしては出来が良すぎたのか授業で発表したときちょっとクラスがしん、としました(汗)
後の採点もかなりの高得点。自慢の一曲です♪
ちなみに発表したときはピアノ1台3手(つまり2人演奏)なのですが、実際の理想はチェレスタとオルガンの低音ペダルのアンサンブルでやりたかったです。
楽譜書きソフトにちょうどMIDIアウトプット機能があったので(提出は楽譜でしたが)アップしてみました。(Grey Angel チェレスタ+オルガンペダルver.)
これもアップできるほど好きな作品です。バックアップもかねてipodにピアノバージョン、チェレスタ+オルガンヴァージョンともに入れてあります。

で、なぜ基本お調子者の私がこれに味をしめて作曲に傾かなかったか、というともちろん先ほどの理由もありますが、あくまでもこれは課題として書けたものであって、ミニマル・ミュージックが書けたからといって他のスタイルの音楽が書けるとは限りませんし、ミニマル・ミュージックをこれ以上書きたいとは思えなかったので・・・
たまたま課題と創作の方向性がマッチした結果の、あくまでも「大学の課題」としてのレベルの作曲だったことはものすごく承知なので、これはこれで良い作品だったけどこれ以上は、ということにしました。
その「たまたま」のエレメントが大きいので作曲をしたとしてもそれ以上に良い曲は書けなかったと思いますし。
なので結果この曲は私の中ではマスターピースとして殿堂入り、ということで・・・

それでも今でも詩が書ければなーとか曲が書けたらなーとか思うことはよくあります(笑)
いろんな表現形態でいろんなことがアウトプットできるのは楽しいでしょうし。
でも詩については一生のうちでもう一度くらい詩でアウトプットしたくなる気持ちになるのではないかな~とか思ってます。根拠は全くないのですが。
気が向いたら今までとは全く違う表現形態を試し冒険できるように心はなるべくオープンにしておきたいとおもいます。

百も千もの自画自賛、おつきあいありがとうございました。
実際にリンクをたどって詩や曲を読んで、聴いていただいた方にはその何重にも感謝いたしたいと思います。
最後に一つだけ自画自賛を・・・

今日の一曲は流 星姫作曲「Grey Angel」とさせていただきます(笑)


お断り:Isle of DeadとGrey Angelはどちらも私の著作物であり、無断転載・無断使用を堅く禁じます。

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創作活動中、というか・・・
えーっと、ストーリーの方が進んでるというわけでは全然なく、むしろそちらは全く進んでなくてあちゃ~と思ってるんですけど。

こないだipodやPCの音楽を整頓している旨をこのブログに書きましたがそれはなかなか複雑?なTediousな作業で。
まずipodで音楽の種類(アメリカ音楽、ピアノ協奏曲など)別にプレイリストを作るのはもちろん、自分のストーリーの「サウンドトラック」のプレイリストも制作することにしていて。
プラス前愛用していたMDに自分のキャラやコンセプトのミニサントラを作っていて。(主に勉強のBGM用)
ストーリーはアイディア構成途中のも併せてかなりあるのでこれが結構かかります。

ストーリーのサントラ、というのは自分のストーリーのシーン毎にぴったりと思う音楽のリスト。
キャラのサントラ、というのはそのキャラに合うな、と思う曲、そして楽器奏者の場合は演奏レパートリーも入れたり。
MDにする分は別に作ってるのですが、上記2種類は基本思いついたらネタ帳に書いて、OneNoteに作ってある公式(といった大げさものではないのですが)のリストに追加する、という形式。

いつもストーリーのために、というフィルターを通して音楽を聞いているわけじゃないですが、常に自分のストーリーの場面やキャラと合う音楽を探しています。
そしてある曲からストーリーのアイディアや詳細のアイディアが浮かんだり、曲を聴いて「この曲なんかどっっかに使いたいな-」と思うこともしばしば。
曲からストーリーがひとつ生まれちゃうことも稀にあったり。

言葉や視覚的に見える場面以上に音楽によって引き出される自分の中の想像力や、感情や、色彩がビビッドなので、ついつい・・・頼っちゃう、という言い方もあれですが。

自分は作曲というものには全くセンスがないというか、勉強したこともなければひらめいたこともなく。
でも聞いた音楽への反応は強いため、こういう形で自分の創作に力をもらっている・・・というわけで。

MD作りはまた別の楽しみがあります。一枚基本80分なのでその80分の間にどう一人の登場人物をまとめるか、という。
サントラはipodなんでどんな長さの曲も使えますけどMDは曲の種類も限られてきて。
そういう工面がものすごく好きな人なんです。

ストーリーの内容も音楽関係のがありますが、やっぱりこう・・・離れられないんですよ。音楽とは。
自分で作曲できたらどんなに楽しいかと思いますが、でもないものねだりはしょうがないので。

創作も、そして今となっては音楽も趣味で、どちらも最大の趣味ですが、趣味にしては多少切羽詰まった感がぬけないところがあるんですよね。
趣味ではあるけれど、自分にとって必需品。でも最初からなかったらそうは感じないのできっと「中毒」に近いのでしょうか(苦笑)

でもこの二つのエリアについては本当にそのためにならどんな勉強をいとわないと思っています。
精神医学の勉強をし始め、本格的に続けたいなーと思うようになったのも創作活動に背中を押されて、という面もありますし・・・
いろんなエリアに頭をつっこんではまって、勉強して。なにをしても一回は創作のことが頭をよぎります。

ちなみに今は(もともと世界史派なのですが)新しくアイディアの種が出てきたストーリーのため、そして他のもろもろのために世界史のいろんなエリア、特にメジャーどころの大国以外の歴史や文化を勉強したいなーと思ってます。

「ストーリーのアイディア」はたくさんありますし、新しいひらめきはいいことなんですけどそろそろ今書いているものも書き進めないとなーと。
どうしても切羽詰まってるので、そしてアイディアが待っているから、趣味は趣味でもちゃんとしないと、と肝に銘じながらとりあえずMDと音楽整頓に今は励みます。

ゴールデンウィークは仕事もこないはず、と聞いているのでピアノも、創作も、勉強も、創作のための勉強も・・・過度ながんばりは禁物ですが進めていきたいと思います!


今日の一曲: コダーイ・ゾルターン 無伴奏チェロソナタ



チェロの無伴奏の名曲といえばまずバッハの6つの無伴奏組曲、ブリテンの3つの無伴奏組曲、そしてこのコダーイの無伴奏チェロソナタ・・・ではないでしょうか。
もともとチェロは4音までなら和音も弾けますし、音量もそこそこあり音域もかなり広いほうなので、伴奏がなくともある程度Self-sufficientな楽器ではあります。

コダーイはハンガリーの作曲家で、ハンガリー音楽独特の荒々しいエネルギーがこのソナタにも詰まっています。
そのエネルギー+技巧のレベルの高さは本当にvirtuosoチェロ奏者にふさわしい物。
そのパワーには惹かれずには居られません。

そしてうんちくに近いんですがこのソナタではチェロにあることをします。
それは下からC,G,D.Aとある弦のうち下の二つを半音下げることです。
音程が変わることによって音域が変わったり、その調(ロ短調・ロ長調)で和音を弾きやすくなることはもちろん、弦の張力が変わったことで音も変わります。
(他に調弦を変える曲はチェロだとクラムの「鯨の声」、そしてバイオリンだとマーラーの交響曲第4番、そしてサン=サーンスの「死の舞踏」などがあります)

なんといってもかっこいいですね-。友達が私のチェロで弾いてくれたこともありますが、まあ間近で聴くとエキサイティング。
長さ的にアンコールにはできないけれど、もっとリサイタルなどでフィーチャーされてもいいと思います。

ちなみに私の持っている録音は大学から借りたもので、そのこの曲を弾いてくれた友達の先生の息子さんが弾いてる物なんですが、気持ちちょっとおとなしめの演奏かなーと思います。
いろんな偉大なチェリストがこの曲を録音しています、この曲がハンガリーの民族音楽にルーツをおいていることを考えると、さまざまな民族音楽を手がけているヨーヨー・マの演奏がいいんじゃないかな~と思いリンクはそれにしたのですが・・・いつか手に入れて聴きたいものです。

個人的な信条としてはハンガリー音楽は「首多くとったもん勝ち」みたいな、騎馬民族であり征服者である民族である(=フン族)国の歴史や文化が現れている、その音楽の独特の性格が魅力だと思っています。
日本人の性格とはずいぶん違うこの性格ですが一度体験するとたまーに欲しくてたまらなくなりますね。
「あーテキーラショット今日は飲みたい気分だなー一杯くいっといきますか♪」みたいな。

・・・すみません脱線してますね。それではここらで。


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