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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「ボクの彼女は発達障害」感想&ちょっと横道に逸れたり
前回のエントリーに拍手2つありがとうございます!
やっぱり需要があるのかAge of Wonders情報。
ちなみに宣言通りデラックス版予約してきました。ただその時にSteamにあったコメントで気づいたのですがMac版はなくてWindows版のみだそうなので要注意です。
(ちなみにあの後からAge of Wonders: Shadow Magic再開しました。ただ進歩が見られない上にのめりこんでしまってなかなかちょうどいいテンションで遊べないのが悩みです)

さて、最近忙しくてこっちにしっかり考えて書くことが少なくなり、結果先延ばしになってたのがこちらの本の感想。



「ボクの彼女は発達障害~障害者カップルのドタバタ日記~」
著:くらげ 漫画:寺島ヒロ

Twitter経由で出会ったこの本、こないだ両親が一時帰国したときに買って送ってもらいました。
数年前に「大人の発達障害」について日本で本が出始めた頃、母が自分も発達障害なのかもしれないと言ってたこともあり、母にも読んでもらって感想が聞きたかったので送ってもらうシステムがちょうどよかったです。そこら辺の詳しいとこは後ほど。

この本は著者であるくらげさんとその彼女あおさんの日常を描いた漫画です。くらげさんは聴覚障害、あおさんは発達障害を持つ障害者同士ですが、始めにある通り「付き合った相手に、お互い障害があった」という「当たり前のカップルの話」です。
タイトルの通り主となるのはあおさんの障害についての話ですが、性質の違う障害がうまく噛み合うところがある部分も面白い。

作品の舞台が現実で日常なのですが、その普通に思える日常を拡大すると発達障害を持つ人にはこんなにも大変なことがあるんだ、という話がたくさん。
母曰く当事者自身であるある、と思うけどその他の人にはなかなかわかりにくいことが書いてあって興味深かったそうです。
当事者じゃない私にはそういった日常の小さな事を一つずつクローズアップするフォーマットがわかりやすかった。全体的に優しい説明のしかたでしたし。(そして漫画+文の合わせ技が最初にがーっと全体読んであとでゆっくり読み込む私の本の読み方に大変フィットしました(笑))
あと障害の話に限らず日常の話を読むのが好きなのです。

そして専門家でない立場でのサポートのことについてもちょっと考えさせられます。
主に鬱を始めメンタルヘルス関係で患者の家族・友人としてのサポートとか役割とか線引きとか距離とかについて考えることが多いのですが、この本ではくらげさんが食事に行ったときなど各所でいいアシストを決めている場面が色々あって、それが読み手としてもなるほどと腑に落ちる感じ。そしてそのナイスアシストまでには試行錯誤が必要でいつもすんなり解決するわけではない、というのは忘れないようにしないとなあ。

ここらからちょっと母や自分のことについての話になりますが。
母が発達障害かもしれない、と言われてから数年、この本とちょっと照らし合わせるようにしてちょっと話したりもしましたが娘としてはあんまりまだぴんとこないというか。母親=第1基準なので自分が見てる母が普通みたいな感じですかね・・・あと子供の頃の行動とかはもちろん見てないですしね。
ちなみに母があるあるの例として挙げてたのがこだわりに関して、母の場合は洗濯物干しとか皿洗いとかでどうしてもこうしなくちゃいけない的なものがずっとあるそうで。

自分が発達障害に当てはまるとは思わないのですが個々の性質・行動・現象には共感することが少なくなかったです。(程度こそ普段の生活には問題ないですが。ただ普段の生活がちょっと特殊ではあるか。母の大人の発達障害関連の本で当てはまった項目はほぼ全部鬱から派生したことだった気が)
たとえば服の話とか、自分で選んだパターンの轍にはまることにちょっと似たような行動のrigidityが自分にも色々あって、それに改めて気づいて考えるきっかけになったり。
そして「適当に」とかの曖昧な表現も若干苦手なところがあるなあ(これは母は大丈夫で私が比較的弱いところっぽい。)

あとこのブログでも書いてますが聴覚過敏に関しての話も。そういえばそもそもこの本を知るきっかけになったのがTwitterでノイズキャンセリングイヤホンについての話を探してたのです。あおさんみたいに常時でないもののここ数年軽躁の時には聴覚過敏がほぼ必ず出てくるようになったので。常時じゃないから「そういえば」になったり、常時でないからお値段そこそこするのを購入するかどうか悩んでいるところです。当時はあんなにしんどいのに実際に悩んでないときってホントそこんところ見えなくなって分からなくなるんですよね・・・

話は大分逸れた上にどっちに関しても書きたいことが書けたかちょっと分からなくなってきたのですが感想という名のエントリーはここまでにします。
疲労はまだまだ強いですがやっと頭の中が片付いてきて少しずつ余裕が出来てきた気がするので仕事以外もだんだんと思考と表現の充実をなんとかしていきたいです。ちょっとずつ。


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 歌曲集「シェヘラザード」より「アジア」



ラヴェルの歌曲、前回迷ってると書いてから何回か聴いているのですがどうも未だにぴんとこない。ラヴェルの音楽全般はものすごく自分にとって近いというか親しみがあるのに歌曲関係はなぜぴんとこない、とずっと悩んでいます。

決してラヴェルの歌曲が他の種類の楽曲と、そして他の作曲家の歌曲と比べて劣ってるわけではないんですけど、少なくとも自分にとってはラヴェルと歌曲の組み合わせはちょっと違うのかなあ、と。
そもそもラヴェルの歌曲ってメロディーがメインでものすごく印象が強いって感じじゃないんですよね。伴奏役のオケのハーモニーとか描写とかが負う役割がかなり大きくて、全体像として風景もひっくるめた映像作品のような感じで聞いています。(もしその役割分担だと歌い手は詩を届けるのがメインということになるのかな?)

で、やっぱりそこはラヴェルの強みでオケで色彩や風、雰囲気や空気を描き込むのがすごい。歌曲だけど楽器の活躍が凄い(とくに木管楽器。この「アジア」でのオーボエやコールアングレ、「魔法の笛」でのフルートは主演が歌い手ならかなりキャラのある助演俳優になりますね)。

特にこの「アジア」ではそのオケの運びや歌のパートの現れ方が物語的というか風景描写と語りの部分が強くて、歌曲としては長めながらも一続きの動きというか流れがあって、なんだか語り手としてのシェヘラザードを連想するような。
そしてこの詩(「シェヘラザード」は全3楽章トリスタン・クリングゾールの詩を歌詞としています)の遠方への憧れとラヴェルの音楽の遠くまで広がるような風景の相性が素晴らしいと思います。

ということでまだ腑に落ちていないながらも魅力を感じる曲です。
ちなみに同じCDに収録されていた「2つのヘブライの歌」も面白いですよ。以前ここでその中の「カディッシュ」のバイオリン版・フルート版を紹介or言及してると思うのですが、改めて歌曲として聴くとものすごく歌曲です(笑)

リンクしたのは(試聴なしですが)手持ちの録音。ジャケットがちょっと素敵。

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織田正吉「ジョークとトリック」感想
久しぶりの感想エントリーです。
というかこれ日本にいる間(=10月)に読んだのでそろそろ感想書いとかなければ。
とはいえこれからずっとさりげなくお世話になることも多そうな本なので急ぐのもあれな気持ちですが・・・

とにかく今回感想を書くのは織田正吉著「ジョークとトリック」です。
両親が去年マレーシアに移住するときかなり荷物を祖父母(両サイド)の家に置いてったのですがその中にこの本がありました。父はマーチン・ガードナーのパズルの本とかいっぱい持っててこれも一緒の箱に入ってたためたぶん父の本。ただ内容を読んでみると母の守備範囲でもあるっぽい。

この本はそんな父の好きな発想の転換とか柔軟な思考とか視点の変換とかそういう系統の話についての本なのですが、他の同系統の本と違うのが一つの形態(パズルとか)に特化するのではなく色んなジャンルを扱っていること。
例えばジョーク、奇術、落語、しゃれ言葉、古典文学、そして外国のジョークや文学作品など。その全てでどうして人の脳は騙されるか、どうしてやられた!と思うのか、どうして粋を感じたり、面白く感じたりするのかを説明している本です。

外国のしゃれ(ルイス・キャロルやシェイクスピアが挙げられています)はもちろん、同じ日本語でも落語や短歌などはある程度の知識・教養がないと分からなかったり、歌詞とかでも面白いとおもってもどう面白いのか分からない場合がある。そういった「どう」面白いのか、「どうして」面白いのかの基礎知識をつけてくれる、という側面があります。

そして表紙のタイトルの下に書いてある「頭を柔らかくする発想」の通りこういったジョークやトリックなどがどういった固定観念などを利用しているか、どういう思考に誘導しているかを知り、柔軟でとらわれない思考につなげる、という側面もありますね。

こういう「どうひっかけてくるか」「どうして粋・面白いのか」という受動的な話は同時にどういう風に粋で面白いジョークや文章を作るか、どういう視点に注目してひらめきを得るか、という能動的な話につながります。ありきたりの言葉・アイディアの向こうを(例えば自分だったら文章書きに生かせたらなあ、と思うのですがなかなか難しい。しゃれとかたとえ話のレベルでもうーんとなる。なので「ずっとさりげなくお世話になることも多そう」な本なのです)

そういう意味で参考したいなーと思ったのが「秘すれば花」辺りの隠匿に関する話。いかに全てを言わずに表現するか、いかに読み手・受け取り手の想像力や好奇心を掻き立てるか、いかに限られた情報から推測し全体像を作り上げるか。

あと面白いと思ったのが日本語におけるジョークやユーモアだけでなく前述ルイス・キャロルやシェイクスピアの掛詞やしゃれなど、そして日本語と外国語をどっちも使ったしゃれやジョークなども入ってるところ。粋も好奇心もユーモアも(性質や言語は違えど)文化に特異な物でなく人類みな楽しむもの、ということですね。

本当にいろいろなジャンル(音楽もありました)から色んなエピソードや問題、ジョークが出てく売るこの本ですが、一番お気に入りだったのは水滸伝の毒を混ぜるエピソード。水滸伝は昔読んでるはずなのですがうっすらとしか覚えてなかった。でもあれは活劇のエピソードというよりちょっとしたミステリですね(笑)金田一少年とかでもよくある奇術的な側面のあるトリック。

ということでものすごく大きなインパクトの本とはちょっと違う、ちょっとずつ勉強になったり面白かったりする本でした。
やっと紹介出来ましたし余裕ができたらまた本読みたいです。読書がちょっとご無沙汰になっているので。
(あとは両親が日本にこないだ行ったときに頼んだ漫画も来るはずですし、手元にはないながらもSTAYシリーズの感想も書きたいなあ・・・どうしませう)


今日の一曲: スウェーデン民謡 「Tusen Tankar」



去年クロノス・カルテットのコンサートに行ったとき2曲アンコールをやって、最初に第1バイオリンの方が「静かな方がいい?盛り上がるほうがいい?」と聞いて結局どっちも弾いたのですが、「盛り上がる方」はClint Mansellの「Death is the road to awe」(映画The Fountainでクロノスが弾いた曲)だったのですが、「静かな方」はスカンジナビアのどっかの民謡だということしか分からなかったのです。
それが最近ようつべ経由でこの曲だと分かって、探してみたら映画「Death and the Civil War」のサウンドトラックに「アルバムのみ」購入とあったのでサントラアルバム丸ごと購入したという経緯。

これが美しい曲なのですよ。もっと早くに入手したかったくらい。
1番と2番はこの曲を歌ったバンドの版がベースということなのですが、元の民謡の素材を生かしてアレンジもシンプルで、弦楽器の奏法の中でも特に古楽器や民族楽器なんかに音を似せる時に使うビブラート無しの音が特にシンプルで。
弓の動き、フレーズとともに音がふくれたりしぼんだりするのも面白い。

Tusan TankarというのはA thousand thoughtsと英語に訳される・・・ということは日本語にすると「千の想い」かな?叶わぬ愛を歌った曲だそうです。静かでどこか悲しげなところがある、でも暖かい。北欧をぱっとイメージするとこういう暖かさが浮かびますね。
そして北欧の森や木造建造物・家具とかの「木」のイメージが弦楽器の飾らない音の印象と重なったりも。

ちなみに「Death and the Civil War」のサウンドトラックに「Gettysburg Address」という曲がありますがこれは「Tusen Tankar」のアコースティックギター版。こちらもまた素朴な音のアレンジです。
他のトラックも1回聞き流した程度ですがなかなか良い音楽です。


拍手[1回]

モネ展+α @NGV
前回のエントリーに拍手どうもですー♪
昨日は珍しく朝早く(6時なのでまだ暗い方角もありました)起きて、友達が仕事に行く前にちょっとシティでお茶しました。

場所はFlinders Street駅のはすむかいにあるメルボルンで2番目に大きい大聖堂、聖ポール大聖堂の敷地内にあるように見える裏の小道にあるLittle Kingというカフェ。目立たないところにあって、割と小さいところなのですが素敵なところでした。
あの時間は会社勤めの方がテイクアウェイでコーヒーを買ったり、というお客さんが多いので実際店の中はそんなにスペース無くても大丈夫っぽいですね。
でも店の中で飲むとマグとか可愛いので出してくれたり内装もささやかなかわいらしさがあったり。チャイはどうやら手作りのブレンド(タッパに入ってた)で、ものすごくおいしかったです。あとバナナブレッドもクルミが入ってて美味しかったです。クルミが入ったパン大好き。
短い時間でしたが話も盛り上がりましたしほっとするところでした。また行こう。

さて、今日は精神科医とのアポ(次は6ヶ月後だそうです。自分でやっていけることに喜ぶべきなのですがちょっと不安もあり)があり、その後にシティをぶらついてきました。
ちょうど今National Gallery of Victoria (NGV) International でモネ展をやっているということで(世間の学校が休みにならないうちに)行ってきました。

モネは19世紀末~20世紀初頭にヨーロッパで起こった芸術のスタイル、「印象派」の芸術家として有名です。
印象派は美術だけの話ではなく、音楽でもそれに相当するスタイルは同時期に生まれ育っています。本場フランスではドビュッシーやラヴェルが有名です。そしてフランス以外だとイタリアのレスピーギ、イギリスのヴォーン=ウィリアムス、ポーランドのシマノフスキとかが「印象派」っぽいと言えるかな。
つまりは音楽での「印象派」は自分の好み・専門どストライクなのです。

もちろん音楽と美術は別物ではあるのですが、時代がかぶっていること、そして表現手法にも通じるもが色々あるというということ、それから美術の印象派の手法もちゃんと理解している自信が全くなかったのでしっかり真面目に勉強・分析みたいな姿勢で見に行きました。

もう1年分の緑色を見た気分です。前も書いてると思うんですがオーストラリア東南部って「本当の緑」が自然に存在しないにも等しいんですよ。モネがよく使う青寄りの緑はだから本当に新鮮。潤い。

やっぱりでもモネの作品を見ていると色の使い方をまず考えさせられて、見た物を自分というフィルターを通してどう絵にするか、というプロセスを考えさせられます(そこのプロセスの違いが印象派がそれ以前の絵画で大きく違うところだそうです)。
「物」を「object」として見るんじゃなくて色の連なり、塊として見るというか。一旦ものを「物」として見ることから始めなきゃいけないんだなあ、と。

それに関してはモネの得意な「睡蓮」をモチーフとした一連の作品(いっぱいあった!そしていっぱい来てた!広間一つほぼ全部睡蓮という部屋があった!)が参考になるんですね。
水に映った景色だったり水に沈んでるものを描く、というのは必然的にものが「物」じゃなくなって、色の塊になる、ということなので上記見方を変えるのが難しいと思ったら水に沈めたものを描く、という手もあるんだな、と。

モネの睡蓮シリーズだったり他の作品で面白いのは同じモチーフを違う光で、例えば夕方の光と朝の光、別の視点で書いてみたりとか割とシステマティックに表現を追求しているように見える部分かな。
新しい表現手法だったから、というのもあると思うんですがそうやって睡蓮の作品を色々みて回るだけで絵には素人の私でもプロセスがわかりやすいというか「なるほどこういう風に考えてるんだ」と思える、という。

そして「物」を「object」として見ない、ということは空は青、雲は白、という見方から純粋に見える色を乗せていく、みたいなことなのですがそれはドビュッシーとかラヴェルよりもむしろメシアンの鳥の声に通じるところが大きいと思います。鳥の声は単旋律、と決めつけず倍音まで聞いて再現して、というところがそのまま。細かい和音のバランスのしかたは乗せる・混ぜる色のバランスに相当したり。

それからモネの晩期の作品がすごかったです。キャンバスに白い部分があったり筆の動きがはっきり見えて粗いようだけれど奥が深い。
前々から音楽家の晩期の作品の変化が面白い、ということはここで書いていますがモネの晩年の作品での変わり様は音楽で色々見てきたのとはまた違う感じで面白かったです。
先ほど物を物としてでなく自分が見たまんま色を乗せていく、というのが極端になったというか。もう「物」がほとんど無いんですよ。うっすら見えるくらい。
で、色が写実的な色からどんどん離れて、実際にこの色ないだろ!っていう色が出てきたり。感覚がものすごくとんがるんでしょうかね、見えないけれど感じる色がよりビビッドになって。
(そういえば統合失調症の患者さんは外的な諸々にものすごく敏感になると聴きましたがそういう患者さんの芸術作品って見えないけど感じる色がいっぱい使われてるような)
晩期にかけた変化、そしてスタイルの分析は改めて時間をかけて反芻したいところです。

色々モネの作品を見て好きだーと思ったものはたくさんありますが、中でも今回「Yellow Iris」が特に好きでした。見上げるアングルとか空の色とか強く印象に残っています。

それから同じくNGV Internationalのロビーのちょっと奥のエリアでフランスの芸術家・作曲家Céleste Boursier-Mougenotの「Clinamen」という作品の展示があったので見に行きました(こちらは無料)。
リンク写真の写真をみると分かると思いますが作品はいたってシンプル。丸いプールに大小色んなサイズの磁器のお皿が浮いています。プールの水は(一箇所から)動くようになっていて、それとともにお皿が動き、ぶつかって音を奏でるというものです。
これはジョン・ケージなどに代表される「偶然の音楽」の考え方を応用した作品で、視覚・聴覚に働きかける形態の芸術でもあります。

ちょうどプールの周りに座るところがあったので足休めにしばらく見て&聴いていましたが割と飽きずに聴いてられました。いい磁器なので(このために特別に作られたんでしょうか)一つ一つの音が良かったり、そして音と音の組み合わせも良い物が聴けて。
ケージとかの実験音楽だったり偶然の音楽だったり、そのアイディアが生まれた時代の作品ってそんなに心に響くものって少なかったり、一般的にも評価がちょっと微妙だったりするのですがこういう作品で、こういう形で展示されているのを見るとそういった芸術に対しても一般に受け入れやすくなったことが感じられますし、そして時と共にスタイルが育ってジャンル内の作品の質も上がったみたいだなあ・・・と思いを馳せたりしていました。改めて偶然の音楽をもっと聴いたり考えたりしてみるべきかも。いいきっかけです。

そして芸術といえば今日QVでランチついでにたまたま入ったSaxonyという服の店でも芸術作品の展示をやっていました。名前からして日本の方っぽい。こういう展示の形式・場所もあるんですね。
実はそこは黒とか灰色とか、あとデザインも自分好みの服を置いてるっぽく。ただお値段が・・・(汗)ケープが素敵だったんだけれど。素敵な黒い服求む。


今日の一曲はお休みです。

拍手[1回]

Alchemy Gothic35周年カタログ♪
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
(拍手コメントは返信済です)

前回のエントリーで書きましたが、日本から帰ってきたら9月にメールで注文したアルケミーゴシックの今シーズンのカタログが届いていました。
今年はアルケミーゴシック誕生から35周年というめでたい年で、カタログも75ページ(数え方合ってるかな)とかなり厚みと重みがあります。(ちなみに去年は同じ数え方で64ページ)
もちろん新作も数々あります。というかめでたい節目の年は廃盤特別復刻とかやってくれないかなーと思ってるのですが。

新作のラインアップはこちら。Steampunkのコアなのからちょっと可愛らしい(?)ものだったり、ゴシック系統も女性的なデザインのからなんとクラーケンのイヤリングまで、結構幅広い作品がそろってます。
自分の好みからするとちょっと惜しいな、という物が多いのですが(例えばAqua Dragonはクリスタルの水色がちょっと可愛らしすぎたり、Sovay Locketもパールが入って可愛い感じになってたり)、それでもIngenieurial Eleganceはグリーンの色がちょっとポップなところがあって面白かったり。

日本に行って来たTetragrammatonでCoco Casket Jewelを買ったところなのでまだすぐは買いませんがTwitterのフォロー先さんが直に見せてくれたTaraneponaが激しく気になってますし、そろそろ大型の指輪(指を跨ぐというか覆うようなデザインのもの)にも目を向けたいところ。

基本まだまだコレクション用ではなく着用のためのものを買いたいです。だからどうしても大きいSteampunk系は手がでなかったり。
でも将来ソヴィエト系のプログラムでリサイタルをやるときはSteampunkのラインアップから選びたいですね-(笑)ショスタコはクラシックに於けるメタル系&Steampunkですから。これは譲れません。
リサイタルでのアルケミ、が定着するかどうかはまだはっきりとは分かりませんがライブに行く時のアルケミ、はなんだか定着しそうです(笑)そっちのほうが簡単ですしね。

アルケミーゴシックといえばiphoneやPC、ゲーム機などのスキンがここだったりここだったりで売ってるんですよね。結構複雑なデザインでどうかなーと思ってるんですがiphone5に買い換えたとき用のケースは今回シンプルで半透明なものにしてるので使えないことはないなーと。
できたら日本で流行のイヤホンジャックアクセサリーでそれっぽいものがあるとなおよい。(これも日本で普通のスワロフスキーのを買いましたが)
どうしても耳に穴開けてないとピアスがつかえないんで例えばこれとかこれとかこれとかに似たデザインがイヤホンジャックアクセサリーであったらいいなあ、と思うのです。
(ただ今のところこのイヤホンジャックに指すやつがどうやら日本周りの外で流行ってる気配がないので・・・)

あとは何度も書いてますが服ですよ。どう冒険したアイテムを買ってどうさりげなくコーディネートしていくか。それによってアルケミの着用する範囲も広がるかもしれない。さてどうか。
この牛の歩みのようなペースでたまに気になるのは果たして自分は40歳くらいになってゴシックとかSteampunkとかのファッションをアクティブにやってるのか、ということなのですが・・・(汗)
着けてなくてもアルケミーゴシックがコレクションになってるといいな。

さて、やっぱり本の感想は真面目に、というか一つの独立したエントリーとして書きたかったので次回はそちらに注力したいです。いい本だったのでちゃんと感想書きたい。


今日の一曲: 聖飢魔II 「JACK THE RIPPER」



妹が買った聖飢魔IIの2つめの大教典、「THE END OF THE CENTURY」に収録されている曲。妹は初期の大教典から買い進めていて、私はそれ以外を買い進めている・・・というパターンが出来ているのですが(笑)

ということでCDとして入手するのは初めてなのですが、ミサのDVD(活動絵巻)でいくつか収録されていて(解散ミサあたり、2005年の復活、2010年の再復活を含む)映像としてよく知ってる曲です。
Satan All Starsでのトーク部分によると聖飢魔IIがデビューする前から演奏されていた、歴史の長い曲だそうです(余談ですがこれに関連するエース長官の話ものすごい好きです)。作曲はダミアン浜田陛下(当時は殿下)。

なのでどうしても自分にとってはミサで賑やかに盛り上がるイメージがあるのですね。今回CDを入手したもののなかなか聴けない(汗)
特にSatan All Starsの活動絵巻では1曲目のアンコールで、ギタリスト4名、ベース2名、ドラム2名、ボーカル&キーボード1名の大編成でとにかく派手だったので(ゼノン和尚のトーク部分でもはや何にも聞こえないみたいなこと言ってました)・・・
あれは楽しいです。ハプニングも含めて(笑)それから衣装とか楽器とかも見所満載なのです。
見てても楽しいんですが弾くのも楽しいんだろうな。

なので今回妹が買ったCD版よりも解散前ミサとかSatan All StarsのDVDがやっぱりお薦めです。
CDからはかなり脱線してしまった(汗)このCDの他の好きな曲だと「怪奇植物」と「FIRE AFTER FIRE」なんかもあります。それから「蝋人形の館」も収録されてます(最初の大教典ではなくこちらなんですねー)。

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Maureen McCarthy 「Queen Kat, Carmel & St Jude Get a Life」 感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
最近どうも軽躁とはまだ言えないレベルの焦燥や活動上昇が出てきていて。例えば天使のまなざしとかスクリャービンとかにはそれがうまく働くのですが(気分が高揚したときのスクリャービンたまらないっすね)、弊害もちょこちょこ来ている。

そんな中これも軽躁傾向の影響で昨日は久しぶりに読書しました。Melina Marchettaの「Looking for Alibrandi」というヤングアダルト小説のことを調べていたのですが(今サーチかけたら映画版も小説もこのブログで紹介していなかった!そのうち。オーストラリアを読むのに大変良いです。オーストラリアの文化を教える教材にも使われているそうで)、その本のことを考えているうちに同じくオーストラリアのヤングアダルト小説であるこの本を思い出して10年ぶり?に読んでみました。

オーストラリアの女流作家Maureen McCarthyの小説、「Queen Kat, Carmel & St Jude Get a Life」。
今回これを久しぶりに読んで一番思ったのは、若い人が人生で「間違える」ことが許されないような風潮がある今だからこそ読んでもらいたい本だな、ということです。
あとこの本がメルボルンのシティ周りが舞台であることは本当に素晴らしいですね。今だと地名が分かりますし、出てくる場所がものすごく身近で景色がぱっと浮かぶのは嬉しかった♪(Melwayでたまに調べましたが)

この本の主人公はヴィクトリア州の田舎のとある地方で育ち、メルボルンの大学に進学しようとしている3人の女の子です。
Katerinaはブロンド美人でちょっとお高くとまった印象のある子。両親が医者で、育った町ではかなりお金持ちの育ち。成績も良く、大学では法律を学ぶ予定。
Carmelは代々農場を営む家族の、8人兄弟の中ただ一人の女の子。自分の太った体型を気にしていて、そして進学希望だった大学の音楽のコースに落ちたが、歌うのが好きで美声の持ち主。
Judeはオーストラリア人の母と今は亡きチリ人の父の間に生まれ、父のように医者になることを目指して医学部に進学した正義感の強い情熱的な子。
この育ちもキャラも全く違う、ほとんど会ったこともない3人が育った町を後にして、メルボルンの街で一緒にシェアハウスを始めるところから物語は始まります。そして物語は3人それぞれの視点から都会での生活1年目を進めていきます。

ある程度予想はつくと思いますが、3人の暮らしも、3人それぞれのメルボルンでの新しい生活も波瀾万丈です。
シェアハウスだって大学生活だって人間関係だって家族とのいろいろだって、うまくいかないことがほとんど。
本当にこれはきれい事抜きでかなりきっついこと色々出てきます。かなり泥臭いことだったり、(色んな意味で)痛いこともたくさん。読んでて苦しいというかあいたたたたなことも。女の子同士ならではのキャットファイト的なものも。

各登場人物の欠点もきついものまでしっかり描写している節がありますね。例えば私は最初Judeが好きで、途中で彼女のお節介なまでの正義感とか熱さとかまっすぐな気質とかが「あーやっぱりだめかも」となるのですが、一周回って最後には彼女がやっぱり好きになる。それはある程度他の2人でも一緒だと思います。
その「あーだめかも」と思わせるほどきつく欠点を描写しながらも登場人物一人一人を最終的には人間として愛せずにはいられない、そんな人物描写が素晴らしいと思いました。

それから若いときに通る迷い道だったり、馬鹿なこと無茶なこと(笑えるものもそうでないものも)、公開することも、大人になったり新しい生活を始めるときの挫折だったり失敗だったり、そういうものがものすごくフランクに、リアルに書いてあるのが本当にこの本の魅力であり、大切なことだと思います。
この本を読むと新しい生活、都会での生活は本当にサバイバルなんだな、と実感しますね。

面白いのは本を3/4ほど読み進めても実はまだ3人の間には相互的に友情が芽生えていない部分もあったり、誤認もあったり、トラブルも会ったりで。でも生活はなんか割と早いうちから成り立ってるし、不思議と色々うまくいったりしている、ベストではないけどなんとかなっている不思議ななりゆき。
あと実際のところ、Kat, Carmel, Judeそれぞれに関して本の最後までたどりついても解決していない問題ってあるんですよね。だから全部解決してハッピーエンド、なんていう都合の良いエンディングでもなく(それがまたリアルの追求でもあるんですよね)。

あと3人が育ち、性格、得意分野や家族との関係が全く違うだけでなくメルボルンに来て身を投じた世界がまったく違う、というのも面白いですね。
メルボルン大学やシティでのショッピング、移民によるエスニック文化、若者に政治活動、Fitzroyのカフェ、ゲイ・クラブ、ドラッグパーティー、などなどなど。
メルボルンって小都会ですがこんなにも多様な世界や文化があるんだ、ということを改めて認識。
(あと都会の田舎との差だったり、田舎の人情や田舎ならではの問題とか。)

3人にはお互いどんなに欲しくても手の届かない、うらやましいものがあったり、それがその人自身には迷惑でしかなかったりして、この物語を全体でみると3人がお互いを認め合うのは多様性と違いを受け止め、楽しむことにつながって、他人と自分を受け入れ好きになっていく、ということにつながるんですよね。
そして人を生まれや交友関係、外見などで偏見を抱いたりしてはいけない、ということも語られています。

さらにこの本ですごいな、と思うのは「みんな不器用で、みんな間違いを起こすのが当たり前」というのをきっちり打ち出しているということですかね。Carmelが最初にシェアハウスに入ったときの気まずさが良い例だと思うんですけどとにかくみんなが不器用!でもそれが人間的で、それが愛しいのです。

とにかくフランクな人間ドラマですね。人生において「間違える」ことにきれい事抜きで向き合い、そして勇気づけてくれる本であり、さらにメルボルンという小都会の「多様性」の賛歌ともいえる本。
メルボルンは不思議な縁の街なんだな、と。決して派手ではないけれどこの街の魅力と性格を存分に生かしている小説だと思います。
英語しかないですし、ちょっと分厚いですが(434ページ)英語はオーストラリアで普通に使われているものがほとんどなので難しくはないですし親しみやすいのでは?(多分)


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第14番「天使達のまなざし」

NaxosにあるMichael Kieran Harveyの演奏(試聴可)

以前紹介した記憶がありますが今回またリサイタルに向けて。
天使は炎から生まれた神の使い、神の一番近くにいる存在にもかかわらず、神は自身の分身、息子を「人間」として生まれさせた。それを知った天使達が混乱し、慌て、そして複雑なまなざしを幼子イエスに向ける曲です。

メシアンの音楽では天使ってほとんど穏やかに描かれませんね。炎の化身にして神の力を具現した存在なので。
特にこの曲では天使=鳥+炎+機械みたいな描写をされています。
天使ってのは思考と同じくらい速く動く(翼はその象徴)といいますし、さらに慌てているためものすごく音が細かい。

速くて落ち着きが無く、激しくしかも不協和音が多いということでなかなか聞きにくい曲ではありますのでちょっとイメージの面でお助けしたいと思います。
まずはこの「慌てよう」ですね。ものすごく機械的な、数学的なパッセージが出てくることからこの天使達が普段から厳しい規律のなか生きてることが分かりますが、とにかくこのせわしなさ。
さらに後半で天使に「階級」があることが分かります。高音でほぼ鳥の声そのままな話し声の天使と、もちょっと低音で鳥っぽさが抜けた、機械的なリズムの伴奏を伴った天使。低い階級の天使(高音)はこの一大事にひたすら憤っているけれど、高い階級の天使(低音)はそれをなだめながら神の意志を疑問に思い推測しようとしているシーン、と説明したら分かりやすいかな。

「20のまなざし」は一つ一つが絵みたいな性質を持っていて(鳥のカタログよりも絵っぽい)、でもあらかじめちょっと知っておかなくちゃいけないお約束ごとみたいなものがあって。西洋の宗教画で赤と青の衣や百合の花の女性が聖母マリア、とかありますがそういうことがメシアンの音楽でもあるんです。
だからちょっと聞きただうるさいだけ(汗)のこういう曲もさっきみたいな説明で少しイメージしやすくなったらな、と思います。

リンクは久しぶりにマイケルの演奏を。彼はせわしい人なのでこの楽章にはぴったりなんですよ(笑)実際かなり速く弾いています。
各トラック試聴ができるので(タイムリミットありだったかな)是非他のまなざしもいくつか聞いてみてください。ちなみに初めましてでお薦めなのは1, 5, 11, 19, 15, 4, 10くらいかな。 

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