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やーっと読み終わりました!
Anne Rice "The Vampire Armand" (邦題:美青年アルマンの遍歴)
(日本語版)
(英語)
二言まず言わせてください。
何よりも深い!そして濃い!
あらすじは、というと・・・
ウクライナの田舎に生まれ、とらわれ奴隷として売られるためにヨーロッパに渡ったアンドレイ(アルマンの元の名前)は、マリウスという男に救われ、ヴェネツィアで彼の元で暮らすこととなる。
マリウスはアンドレイをたいそう愛し、愛しそして教育していく・・・が、マリウスは実はヴァンパイアだった。
アルマンとマリウスとの生活、そしてヴァンパイアになったいきさつ、人間としてそしてヴァンパイアとしてマリウスから学んだこと、そして彼らに降りかかった悲劇、時代の移り変わりと共に生きていくということ・・・
アルマンの人間として、そしてヴァンパイアとしての長い長い人生を彼の視点から綴る本です。
実はこのヴァンパイア・クロニクルというシリーズのなかでこの本は6作目ですが、私はまだ1作目とこれしか読んでません。
2作目の"the Vampire Lestat"が図書館で見つからないので・・・(汗)
でもタイトルでも分かるようにこのシリーズの本はヴァンパイアの主要人物一人ずつに密着した伝記スタイルなのでそこまで順番は・・・最終的に全部読めば大丈夫なんじゃないかなーと独断で決めてしまいました。
断っておきますが前半は結構性的描写が多い・強いです。(笑)
アルマンの性癖・・・というものの性質上、異性とだけではなく男同士のものも含まれます。
でもそれもまたこの物語の魅力の一部と深く結びついているような気もします。
この本で見事だと思ったことが3つあります。
1つはヴァンパイアという存在についての深い考察、哲学。ヴァンパイアとは一体「何」なのか、何を信じてこの長い時を生きて行けばいいのか・・・など。
一人称の伝記的な物語とすることによって、個々のヴァンパイアの感情、信仰、哲学などが深く感じられるのが本当に面白いし、素晴らしいと思います。
2つめは「時」の表現。アルマンがマリウスと過ごしたヴェネツィアの昔と、そして20世紀末のアメリカでの・・・ヴァンパイアである主人公達の周りでどんなに時間が変わったか(彼ら自身の精神も不変ではないのですが)、時代がどんなに移り変わり、世界が変わってしまったかということが人間である読者の心にひしひしと感じられます。
3つめはこれはヴァンパイア文学のなかでも随一だと思うのですが、色彩の表現です。
例えばトワイライトシリーズだとわざと色をあまり使わないようにしていますし、ポーの一族もイギリス中心でまた色が限られてきます。他の作品もしかり。
もともとヴァンパイアは夜の生き物なので、色彩の世界ではない・・・はずなのですが、前半の舞台がヴェネツィアで、マリウスが絵描きだと言うこともあって物語の前半がまあカラフルなんですよ!
アルマン自身も「ボッティチェリの天使」と呼ばれるほどですし、見事にその世界の住人で。
さらに、その色彩が物語の中で主人公の境遇と心境などとともに変化していくのもまた見事です。
あと物語を通じてアルマンの名前が変わっていくこともまた自身の認識、アイデンティティについての考えを表しているようで興味深いです。
最初言ったように、全て深い、そして濃いんですよね。
リアルであるというのは違うんですが、本当に心から共感することがたくさん。
それが愛であれ、性行為であれ、価値観であれ、苦しみであれ・・・
本当に心に強く訴えてくる本でした。
映画にもなった "The Queen of the Damned"も興味深いですが、このシリーズからは次はマリウスの物語である "Blood and Gold"を読んで彼の言い分も聞いてみたいところですね。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ 第23番 「熱情」(Appassionata) 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中で個人的なFavourite・・・という理由だけで今日紹介したのでは実はありません。
なんと!この曲は"The Vampire Armand"で重要な役割を果たしているのです!
20世紀のアメリカでアルマンの新しい心の支えとなった少女・Sybelleが常に(冗談じゃありません。本当にほとんど常にです)弾いているのがこの曲。
彼女は本当にこの曲に思い入れがあって・・・演奏する人はみんなそういう曲がありますが(それはまた別の機会に・・・)、Sybelleはこの曲があれば他に何もいらないくらいの勢いです。
この曲もまた深く、濃いですね・・・
「熱情」、またはAppassionataという異名もこの第1楽章を最後まで聴いていただけたらうなずけると思います。
実際ベートーヴェンの一番光る曲想は悲劇、とか英雄的、とかいうよりもこの「熱情」という言葉に凝縮されているのではないかと個人的に思うくらいです。
弾くにもまたその独特の「手応え」があって。
手にとって、腕にとって、つまり身体にとってものすごく重みというかを感じるんですね。
プラス感情的な重みです。
本当に心の底から前に前に行って表現しないと音楽に負けてしまいそうですわ(初見で負けました、私・・・)。
だいたいベートーヴェンの題名が付いている曲(運命、田園、クロイツェル・ソナタ、月光、etc)は間違いなく名曲ですが、その中でもこのソナタはある意味別格なところもあります。
そして他のどんな作曲家にもまねできないユニークな、何よりもベートーヴェンらしい音楽です。
本では全楽章無限リピートされていますが(笑)、とりあえず第1楽章からどうぞ。
Anne Rice "The Vampire Armand" (邦題:美青年アルマンの遍歴)
(日本語版)
(英語)
二言まず言わせてください。
何よりも深い!そして濃い!
あらすじは、というと・・・
ウクライナの田舎に生まれ、とらわれ奴隷として売られるためにヨーロッパに渡ったアンドレイ(アルマンの元の名前)は、マリウスという男に救われ、ヴェネツィアで彼の元で暮らすこととなる。
マリウスはアンドレイをたいそう愛し、愛しそして教育していく・・・が、マリウスは実はヴァンパイアだった。
アルマンとマリウスとの生活、そしてヴァンパイアになったいきさつ、人間としてそしてヴァンパイアとしてマリウスから学んだこと、そして彼らに降りかかった悲劇、時代の移り変わりと共に生きていくということ・・・
アルマンの人間として、そしてヴァンパイアとしての長い長い人生を彼の視点から綴る本です。
実はこのヴァンパイア・クロニクルというシリーズのなかでこの本は6作目ですが、私はまだ1作目とこれしか読んでません。
2作目の"the Vampire Lestat"が図書館で見つからないので・・・(汗)
でもタイトルでも分かるようにこのシリーズの本はヴァンパイアの主要人物一人ずつに密着した伝記スタイルなのでそこまで順番は・・・最終的に全部読めば大丈夫なんじゃないかなーと独断で決めてしまいました。
断っておきますが前半は結構性的描写が多い・強いです。(笑)
アルマンの性癖・・・というものの性質上、異性とだけではなく男同士のものも含まれます。
でもそれもまたこの物語の魅力の一部と深く結びついているような気もします。
この本で見事だと思ったことが3つあります。
1つはヴァンパイアという存在についての深い考察、哲学。ヴァンパイアとは一体「何」なのか、何を信じてこの長い時を生きて行けばいいのか・・・など。
一人称の伝記的な物語とすることによって、個々のヴァンパイアの感情、信仰、哲学などが深く感じられるのが本当に面白いし、素晴らしいと思います。
2つめは「時」の表現。アルマンがマリウスと過ごしたヴェネツィアの昔と、そして20世紀末のアメリカでの・・・ヴァンパイアである主人公達の周りでどんなに時間が変わったか(彼ら自身の精神も不変ではないのですが)、時代がどんなに移り変わり、世界が変わってしまったかということが人間である読者の心にひしひしと感じられます。
3つめはこれはヴァンパイア文学のなかでも随一だと思うのですが、色彩の表現です。
例えばトワイライトシリーズだとわざと色をあまり使わないようにしていますし、ポーの一族もイギリス中心でまた色が限られてきます。他の作品もしかり。
もともとヴァンパイアは夜の生き物なので、色彩の世界ではない・・・はずなのですが、前半の舞台がヴェネツィアで、マリウスが絵描きだと言うこともあって物語の前半がまあカラフルなんですよ!
アルマン自身も「ボッティチェリの天使」と呼ばれるほどですし、見事にその世界の住人で。
さらに、その色彩が物語の中で主人公の境遇と心境などとともに変化していくのもまた見事です。
あと物語を通じてアルマンの名前が変わっていくこともまた自身の認識、アイデンティティについての考えを表しているようで興味深いです。
最初言ったように、全て深い、そして濃いんですよね。
リアルであるというのは違うんですが、本当に心から共感することがたくさん。
それが愛であれ、性行為であれ、価値観であれ、苦しみであれ・・・
本当に心に強く訴えてくる本でした。
映画にもなった "The Queen of the Damned"も興味深いですが、このシリーズからは次はマリウスの物語である "Blood and Gold"を読んで彼の言い分も聞いてみたいところですね。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ 第23番 「熱情」(Appassionata) 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中で個人的なFavourite・・・という理由だけで今日紹介したのでは実はありません。
なんと!この曲は"The Vampire Armand"で重要な役割を果たしているのです!
20世紀のアメリカでアルマンの新しい心の支えとなった少女・Sybelleが常に(冗談じゃありません。本当にほとんど常にです)弾いているのがこの曲。
彼女は本当にこの曲に思い入れがあって・・・演奏する人はみんなそういう曲がありますが(それはまた別の機会に・・・)、Sybelleはこの曲があれば他に何もいらないくらいの勢いです。
この曲もまた深く、濃いですね・・・
「熱情」、またはAppassionataという異名もこの第1楽章を最後まで聴いていただけたらうなずけると思います。
実際ベートーヴェンの一番光る曲想は悲劇、とか英雄的、とかいうよりもこの「熱情」という言葉に凝縮されているのではないかと個人的に思うくらいです。
弾くにもまたその独特の「手応え」があって。
手にとって、腕にとって、つまり身体にとってものすごく重みというかを感じるんですね。
プラス感情的な重みです。
本当に心の底から前に前に行って表現しないと音楽に負けてしまいそうですわ(初見で負けました、私・・・)。
だいたいベートーヴェンの題名が付いている曲(運命、田園、クロイツェル・ソナタ、月光、etc)は間違いなく名曲ですが、その中でもこのソナタはある意味別格なところもあります。
そして他のどんな作曲家にもまねできないユニークな、何よりもベートーヴェンらしい音楽です。
本では全楽章無限リピートされていますが(笑)、とりあえず第1楽章からどうぞ。
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今日は何年かぶりに映画館で映画を見ました。
なんてったって噂に聞くシャネルとストラヴィンスキーの関係が映画の題材になったと聞けば行かないわけにはいかない人種なので(笑)
ただそれが希少な人種なのか小さい映画館には私ともう一人だけでした。ゆっくり見れてよかったです。
ということで「Coco and Igor」、邦題「シャネルとストラヴィンスキー」、感想です。
公式サイトはこちら:http://www.chanel-movie.com/
あらすじは私よりもここに任せます・・・(苦笑)
ストラヴィンスキーの音楽に心底惚れている、そして芸術史のこの時代(第一次世界大戦直前)にものすごく魅力を感じている、クラシック音楽(特に20世紀音楽)オタクである私個人にとってはものすごく楽しめた、もう何回か見れる、好きな映画でした。
たしょう盲目的なところもあるのであんまり他の人には参考になる感想ではありませんが・・・
自分にとっては最初の何十分かの、「春の祭典」の初演のシーンが本当に見たくて。
臨場感があって本当に興奮しました。
自分の知っている限りでは史実として聞く話にとっても近くて、特に振付師の天才・ニジンスキー(このとき弱冠23歳!)が客席の騒動でオケの音がきこえないであろうダンサー達にロシア語で大声で数えながら足を踏みならしているシーンは本当にあったことで、間近で見ててなんだか泣きそうになってしまいました(苦笑)ツボがまた変ですみません。
ストラヴィンスキーもこの初演のごたごたでダメージを受けましたが、年齢・性格からいってニジンスキーはかなり心が折れただろうなーと。
肝心のシャネルとストラヴィンスキーの関係ですが、まあロマンスとしてはこんなもんかなーという感じでした。
実際はストラヴィンスキーは他にも結構有名人に手出してたらしいとの噂なのでこんなにドラマチックなこともなかったのではないかと。
でも「男という生き物」、「女という生き物」が二人によってうまく描写されているな、と思いました。
芸術家として生きてるようで、何よりも最初に男であるストラヴィンスキー。そして女性の立場をファッションにより覆した、ばりばりのビジネスウーマンでありながら女性としての内面により苦しむシャネル。
男と女の心、生き様、プライド、関係、そういうものがこの二人の偉大な芸術家の関係により表されていると思います。
あとやっぱりこの時代と人物についての小ネタを知ってるのと知らないのとではちょっと楽しみが変わるかも・・・
私自身はどこまでが史実に忠実なのか、映画のなかでの設定なのかわかりませんが、それでむしろ「ここは本当にこうだったのかな?」と大いに気になりそういう意味でもなかなか楽しめました。
ストラヴィンスキーが机の上の物をぴったり並べたりする癖やなんかは「ああ、らしい!」と思いましたし。
反面、例えばディアギレフやニジンスキーに関するちょっとした小ネタを知ってるだけでにやにやできますし(なので最初の数十分はにやにやしぱなしでした。映画巻に人が少なくて良かった~)
ストラヴィンスキーの「春の祭典」「火の鳥」「ペトルーシュカ」「兵士の物語」は本当に昔から知っていて、最後の以外はもう物心つかないころからずーっと聴いてきて。
だからか彼の音楽がまるで当たり前のように普段感じるんですよ。もちろんそれがものすごく素晴らしく、ユニークなものだとは分かりますし、それをフルに感じて生きてますが、上記4つの作品以外はなかなかとっつきづらく感じてしまうんです。
本当に理解するのが難しい音楽だ、ということを改めていつも感じ・・・未だに直感・理論・感情のバランスがつかめないんですよ。ストラヴィンスキーの音楽は。
この映画を見てもっとストラヴィンスキーが知りたい!と思いました。
そして「春の祭典」なんかはもう人間が書いたとは思えないような感性とエネルギーの音楽で、本当に人間離れしてる音楽だな-と時々思うのですが、この映画でストラヴィンスキーの人間・男の部分が見れて・・・なんだかほっとしました。
あーもう一回みたいな~最初の数十分だけでも・・・
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「春の祭典」
本当に、この曲は言葉では表せないことがいーーーーっぱい!なのですが!
そして何度聞いても興奮し、さらには深く考えるだけでも興奮するのでもうめちゃくちゃですが・・・
なんとか説明させてください・・・
映画でも分かるように、この曲のバレエとしての演奏は20世紀の音楽を本当に180度変えたものだったんです。
わかりやすいメロディーもなく、粗暴でカオスな音楽。
ワーグナーなどに代表される後期ロマン派の肥大したオーバーロマンティックな音楽にピリオドを打った音楽のうちの重要な一つ。
先ほどちらと話したニジンスキーの振り付けもまた斬新な物で(ブーイングは主に視覚的に訴える振り付けに向いてたとか)。
彼の感性には大衆はついて行けなかったのです。
とにかく曲について。
オーケストラは大編成。でもハープなどの周辺楽器(と私は呼ぶ)は使わず、木管・金管の数を異常に増やしてます。
それというのも特に木管はこのロシアの原住民の住む雰囲気を表すのに一番大事な楽器群。
素朴な音、木の音で独特の世界を創ります。特に第1部の序章は木管が幅をきかせてます。
さらに打楽器も比較的原始的な(例えばスネアドラムなどはなし)太鼓類を中心にして。
音楽的にもいろいろと常識を破っちゃってくれてます。
例えばオープニングのソロ。あれはファゴットのソロで、それまではほとんど使われなかった超高音域で不安定な音を創り出します。
そして至る所の不協和音(と世間は呼ぶハーモニー)、イレギュラーなリズム、そして複雑に組み合わさるメロディーの破片やリズム。
カオス全開、爆発するような粗暴なエネルギーのすごいこと!
まるで地、地球をゆるがすような。もう間近でいいオーケストラで聴くに限ります。
日本のオケはちょーっとおとなしいのでたとえばフランスのオケとか(フランスは木管強いですからね!)・・・
でもそれでいて100%計算されている緻密さと完璧に共存しているパラドックス&相乗効果がたまりません!
はあー・・・弾いた経験もあるとはいえ長く知りすぎて曲を説明するのは難しいです。
多少(作曲家にとっては不本意だったらしい)変更のあるバージョンがディズニーの「ファンタジア」(最初の)にも収録されてますし、初演の騒動の再現はYoutubeにもありますし。(プレイリストはこちら)
なんだか敷居が高そうだとおもっても以外と身近なので私の百聞より音楽を一聴していただきたいです。
音楽を目指す若者、若くない人でもこの曲を初めて聴いた時はショックを受け、ものすごく驚くらしいです。
演奏する側としては驚くこと、ショックを受けることで世界が開くのは素晴らしいことだと思うので・・・
ぜひぜひ「春の祭典」、この春に体験あれ♪
なんてったって噂に聞くシャネルとストラヴィンスキーの関係が映画の題材になったと聞けば行かないわけにはいかない人種なので(笑)
ただそれが希少な人種なのか小さい映画館には私ともう一人だけでした。ゆっくり見れてよかったです。
ということで「Coco and Igor」、邦題「シャネルとストラヴィンスキー」、感想です。
公式サイトはこちら:http://www.chanel-movie.com/
あらすじは私よりもここに任せます・・・(苦笑)
ストラヴィンスキーの音楽に心底惚れている、そして芸術史のこの時代(第一次世界大戦直前)にものすごく魅力を感じている、クラシック音楽(特に20世紀音楽)オタクである私個人にとってはものすごく楽しめた、もう何回か見れる、好きな映画でした。
たしょう盲目的なところもあるのであんまり他の人には参考になる感想ではありませんが・・・
自分にとっては最初の何十分かの、「春の祭典」の初演のシーンが本当に見たくて。
臨場感があって本当に興奮しました。
自分の知っている限りでは史実として聞く話にとっても近くて、特に振付師の天才・ニジンスキー(このとき弱冠23歳!)が客席の騒動でオケの音がきこえないであろうダンサー達にロシア語で大声で数えながら足を踏みならしているシーンは本当にあったことで、間近で見ててなんだか泣きそうになってしまいました(苦笑)ツボがまた変ですみません。
ストラヴィンスキーもこの初演のごたごたでダメージを受けましたが、年齢・性格からいってニジンスキーはかなり心が折れただろうなーと。
肝心のシャネルとストラヴィンスキーの関係ですが、まあロマンスとしてはこんなもんかなーという感じでした。
実際はストラヴィンスキーは他にも結構有名人に手出してたらしいとの噂なのでこんなにドラマチックなこともなかったのではないかと。
でも「男という生き物」、「女という生き物」が二人によってうまく描写されているな、と思いました。
芸術家として生きてるようで、何よりも最初に男であるストラヴィンスキー。そして女性の立場をファッションにより覆した、ばりばりのビジネスウーマンでありながら女性としての内面により苦しむシャネル。
男と女の心、生き様、プライド、関係、そういうものがこの二人の偉大な芸術家の関係により表されていると思います。
あとやっぱりこの時代と人物についての小ネタを知ってるのと知らないのとではちょっと楽しみが変わるかも・・・
私自身はどこまでが史実に忠実なのか、映画のなかでの設定なのかわかりませんが、それでむしろ「ここは本当にこうだったのかな?」と大いに気になりそういう意味でもなかなか楽しめました。
ストラヴィンスキーが机の上の物をぴったり並べたりする癖やなんかは「ああ、らしい!」と思いましたし。
反面、例えばディアギレフやニジンスキーに関するちょっとした小ネタを知ってるだけでにやにやできますし(なので最初の数十分はにやにやしぱなしでした。映画巻に人が少なくて良かった~)
ストラヴィンスキーの「春の祭典」「火の鳥」「ペトルーシュカ」「兵士の物語」は本当に昔から知っていて、最後の以外はもう物心つかないころからずーっと聴いてきて。
だからか彼の音楽がまるで当たり前のように普段感じるんですよ。もちろんそれがものすごく素晴らしく、ユニークなものだとは分かりますし、それをフルに感じて生きてますが、上記4つの作品以外はなかなかとっつきづらく感じてしまうんです。
本当に理解するのが難しい音楽だ、ということを改めていつも感じ・・・未だに直感・理論・感情のバランスがつかめないんですよ。ストラヴィンスキーの音楽は。
この映画を見てもっとストラヴィンスキーが知りたい!と思いました。
そして「春の祭典」なんかはもう人間が書いたとは思えないような感性とエネルギーの音楽で、本当に人間離れしてる音楽だな-と時々思うのですが、この映画でストラヴィンスキーの人間・男の部分が見れて・・・なんだかほっとしました。
あーもう一回みたいな~最初の数十分だけでも・・・
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「春の祭典」
本当に、この曲は言葉では表せないことがいーーーーっぱい!なのですが!
そして何度聞いても興奮し、さらには深く考えるだけでも興奮するのでもうめちゃくちゃですが・・・
なんとか説明させてください・・・
映画でも分かるように、この曲のバレエとしての演奏は20世紀の音楽を本当に180度変えたものだったんです。
わかりやすいメロディーもなく、粗暴でカオスな音楽。
ワーグナーなどに代表される後期ロマン派の肥大したオーバーロマンティックな音楽にピリオドを打った音楽のうちの重要な一つ。
先ほどちらと話したニジンスキーの振り付けもまた斬新な物で(ブーイングは主に視覚的に訴える振り付けに向いてたとか)。
彼の感性には大衆はついて行けなかったのです。
とにかく曲について。
オーケストラは大編成。でもハープなどの周辺楽器(と私は呼ぶ)は使わず、木管・金管の数を異常に増やしてます。
それというのも特に木管はこのロシアの原住民の住む雰囲気を表すのに一番大事な楽器群。
素朴な音、木の音で独特の世界を創ります。特に第1部の序章は木管が幅をきかせてます。
さらに打楽器も比較的原始的な(例えばスネアドラムなどはなし)太鼓類を中心にして。
音楽的にもいろいろと常識を破っちゃってくれてます。
例えばオープニングのソロ。あれはファゴットのソロで、それまではほとんど使われなかった超高音域で不安定な音を創り出します。
そして至る所の不協和音(と世間は呼ぶハーモニー)、イレギュラーなリズム、そして複雑に組み合わさるメロディーの破片やリズム。
カオス全開、爆発するような粗暴なエネルギーのすごいこと!
まるで地、地球をゆるがすような。もう間近でいいオーケストラで聴くに限ります。
日本のオケはちょーっとおとなしいのでたとえばフランスのオケとか(フランスは木管強いですからね!)・・・
でもそれでいて100%計算されている緻密さと完璧に共存しているパラドックス&相乗効果がたまりません!
はあー・・・弾いた経験もあるとはいえ長く知りすぎて曲を説明するのは難しいです。
多少(作曲家にとっては不本意だったらしい)変更のあるバージョンがディズニーの「ファンタジア」(最初の)にも収録されてますし、初演の騒動の再現はYoutubeにもありますし。(プレイリストはこちら)
なんだか敷居が高そうだとおもっても以外と身近なので私の百聞より音楽を一聴していただきたいです。
音楽を目指す若者、若くない人でもこの曲を初めて聴いた時はショックを受け、ものすごく驚くらしいです。
演奏する側としては驚くこと、ショックを受けることで世界が開くのは素晴らしいことだと思うので・・・
ぜひぜひ「春の祭典」、この春に体験あれ♪
今日はちょっぴり手抜きです。
なぜならこれまでに何百回もおそらく読んだであろう本の感想を、これからまた読むに当たって書くので(苦笑)
David McRobbie作 「Mandragora」
この本は私が学生時代、8年生・・・だったかな?の英語の教材にもなった本で、少なくともクラスではなかなか人気がありました。
主なあらすじを紹介します。
ヴィクトリア州のシップレックコースト周辺の(架空の)町に住む高校生アダムは思いを寄せる同級生、カトリーナが流木を探しに散歩するのにごく自然を装ってご一緒しようと思っている。そこに悪友リチャードとマイクが姿を現し、偶然にも彼らは砂に埋もれた洞窟を見つける。
その町には昔近くであった船の難破で生き残った船乗りが残した物がどこかの洞窟に埋まっているという言い伝えがあることからカトリーナとアダムはその洞窟をわくわくして掘り起こす。その洞窟の中に4人が入ってみるとなにやら小さな棺が5つ。中には木のようなものでできた人形が一つずつ入っていた。
アダムはその中の一つを持ち帰り知り合いの博物館の学芸員というかなんかに見せることにするが、その日から町で不思議な事件が起こり始め、アダムの周りにも危険が及ぶようになってくる。
この一連の事件とその船の難破、そして人形達はどう関係しているのだろうか・・・?
至ってシンプルなヤングアダルト文学で、ストーリーは多少平凡ですが、「現在」のストーリー進行の部分と「過去」のストーリーの対比が良いです。
難破した船での出来事の話も、人形達に関わる部分も、どちらもイギリス・スコットランドの文化がものすごくシンプルながら鮮やかに描かれ、本を読む人が本当にその難破した船の記録・記憶をひもといているような気持ちがしてきます。
所々にちりばめられた古風英語もまたその雰囲気をつくる重要な小道具であり、英語とはまたかなり違った言語だからこそ読めるようで読み解けないのがちょうど良い具合にミステリーを添加します。
例を書き出してみますね:
「Dae ye no ken thy man is curset?」
英語ににているようでちょっと違う。こんな感じで長文になるとミステリーです。
インパクトもまたあるんですよね。呪文のような。途中でこういうフレーズが繰り返されると。そのインパクトもまたほんの魅力です。
この本を読む前にまうクラスで2人ずつに分かれてオーストラリア周辺の船の難破について調査するプロジェクトをやりました。
特にヴィクトリア州のグレート・オーシャン・ロード、12使徒のあるあたりのシップレックコースト(難破海岸)と呼ばれるあたりは海岸の形状と見渡しの関係で難破が多いそうです。
その中で一番有名なのが(記録が多く残っていることもあるらしいです)ロック・アード号の難破で、この本もその難破の話をモデルにしているらしいです。
そしてもう一つ有名なのがマホガニーシップの話。
クック船長がオーストラリアに上陸する前、16世紀ごろポルトガルの船がシップレックコーストで難破し、その残骸が海岸のどこかに埋まっていて、何年かごとに姿を現したりするという伝説です。
事実かどうかはわかりませんが、もともとスペイン海域だったあのあたりは本当はポルトガルの船は入っちゃいけないのではっきりした記録がないんだとか。
ただ見つかるとオーストラリア初上陸ということになるといわれ歴史的にも著明な発見となるらしいです。
本を読んでロマンに思いをはせるのも良いですが、実際に行ってその地で思いをはせるのも乙ですね♪
8年生の図書なので英語も結構簡単で、ストーリーもわかりやすいです。
David McRobbieは他にも「This Book is Haunted」「Haunted」の2冊の短編集が優れています。
この2冊は言えば「世にも奇妙な物語」みたいな感じです。ちょっとわかりにくい物もありますが、どれもひやっとしたり、感動したり、ちょっぴり笑ったり。
こちらもまたおすすめです。
今日の一曲はちょっと力尽きているのでお休みです。
何でしょうね、この疲れは。明日はなるべくパスしないでいいといいな。
なぜならこれまでに何百回もおそらく読んだであろう本の感想を、これからまた読むに当たって書くので(苦笑)
David McRobbie作 「Mandragora」
この本は私が学生時代、8年生・・・だったかな?の英語の教材にもなった本で、少なくともクラスではなかなか人気がありました。
主なあらすじを紹介します。
ヴィクトリア州のシップレックコースト周辺の(架空の)町に住む高校生アダムは思いを寄せる同級生、カトリーナが流木を探しに散歩するのにごく自然を装ってご一緒しようと思っている。そこに悪友リチャードとマイクが姿を現し、偶然にも彼らは砂に埋もれた洞窟を見つける。
その町には昔近くであった船の難破で生き残った船乗りが残した物がどこかの洞窟に埋まっているという言い伝えがあることからカトリーナとアダムはその洞窟をわくわくして掘り起こす。その洞窟の中に4人が入ってみるとなにやら小さな棺が5つ。中には木のようなものでできた人形が一つずつ入っていた。
アダムはその中の一つを持ち帰り知り合いの博物館の学芸員というかなんかに見せることにするが、その日から町で不思議な事件が起こり始め、アダムの周りにも危険が及ぶようになってくる。
この一連の事件とその船の難破、そして人形達はどう関係しているのだろうか・・・?
至ってシンプルなヤングアダルト文学で、ストーリーは多少平凡ですが、「現在」のストーリー進行の部分と「過去」のストーリーの対比が良いです。
難破した船での出来事の話も、人形達に関わる部分も、どちらもイギリス・スコットランドの文化がものすごくシンプルながら鮮やかに描かれ、本を読む人が本当にその難破した船の記録・記憶をひもといているような気持ちがしてきます。
所々にちりばめられた古風英語もまたその雰囲気をつくる重要な小道具であり、英語とはまたかなり違った言語だからこそ読めるようで読み解けないのがちょうど良い具合にミステリーを添加します。
例を書き出してみますね:
「Dae ye no ken thy man is curset?」
英語ににているようでちょっと違う。こんな感じで長文になるとミステリーです。
インパクトもまたあるんですよね。呪文のような。途中でこういうフレーズが繰り返されると。そのインパクトもまたほんの魅力です。
この本を読む前にまうクラスで2人ずつに分かれてオーストラリア周辺の船の難破について調査するプロジェクトをやりました。
特にヴィクトリア州のグレート・オーシャン・ロード、12使徒のあるあたりのシップレックコースト(難破海岸)と呼ばれるあたりは海岸の形状と見渡しの関係で難破が多いそうです。
その中で一番有名なのが(記録が多く残っていることもあるらしいです)ロック・アード号の難破で、この本もその難破の話をモデルにしているらしいです。
そしてもう一つ有名なのがマホガニーシップの話。
クック船長がオーストラリアに上陸する前、16世紀ごろポルトガルの船がシップレックコーストで難破し、その残骸が海岸のどこかに埋まっていて、何年かごとに姿を現したりするという伝説です。
事実かどうかはわかりませんが、もともとスペイン海域だったあのあたりは本当はポルトガルの船は入っちゃいけないのではっきりした記録がないんだとか。
ただ見つかるとオーストラリア初上陸ということになるといわれ歴史的にも著明な発見となるらしいです。
本を読んでロマンに思いをはせるのも良いですが、実際に行ってその地で思いをはせるのも乙ですね♪
8年生の図書なので英語も結構簡単で、ストーリーもわかりやすいです。
David McRobbieは他にも「This Book is Haunted」「Haunted」の2冊の短編集が優れています。
この2冊は言えば「世にも奇妙な物語」みたいな感じです。ちょっとわかりにくい物もありますが、どれもひやっとしたり、感動したり、ちょっぴり笑ったり。
こちらもまたおすすめです。
今日の一曲はちょっと力尽きているのでお休みです。
何でしょうね、この疲れは。明日はなるべくパスしないでいいといいな。
やっと新しいパソコンがいろいろ落ち着きました~
とりあえずアプリケーション、ゲームetcはほとんど動くので安心です。
オーストラリアのヤングアダルト文学で結構好きなものがあって、もう何百回読んでるやつもあるんですけど改めてまた一つ紹介したいと思います。
Brian Caswell作 「A Cage of Butterflies」
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とあるオーストラリアの田舎にある「Farm」。そこでは高いIQを持った子供たちが暮らしている。
主人公はティーンエイジャーの7人で、Farmにくる前は「他とは違う」ことでつらい思いをしていた、でもFarmでそれなりに幸せに今生きている。
彼らとは別に5人、7歳くらいの子供-自閉症のような様子を見せ、身体的成長が遅れた「まるで蝶のように壊れやすい」、特別ななにかをもった子供たちが研究者たちの手の中にひっそりと居る。
Babiesと呼ばれるこの子供たちはいったい「何」なのか?このFarmの中で、彼らを巡っていったい何が起こっているのか?
・・・というようなあらすじです。
が、そういった小説から連想されるサスペンスや、SF的なエレメントや、主人公たちが行動を起こすときのアクションとか、そういうエレメントはあんまり強くありません。
本自体もずいぶん薄く、内容もがっつりというわけではなく。
この著者のことを以前調べたときに彼は「他とは違う」存在のあり場所などについてよく物語を書く、というレビューを読みました。この本もどちらかといえばそういったテーマを中心にしています。
主人公の一人、グレッグは足に障害を持つ、全般的に高い知能を持つ男の子ですが彼が最初に物語を語るとき、「外の世界」でどういう目でみられることがあったか、彼や他のティーンエイジャーがどういった能力をもち、そのためにどういう経験をしたか・・・そういうことが語られています。
そして物語の後半でBabiesを救うためにFarmから逃げよう、という話がまとまりつつあるとき、でもあの子たちは外の世界でどうやって生きていくんだ、という話になり。
「普通になれ」という世界で変な目で、冷たい目で見られ、どうしてそういう目を向けられるかも理解できず、そしてそういう風な目を向ける人を憎むことができない純粋な心で・・・
けっこうそのくだりが長いのもやっぱり物語と著者の焦点なんでしょうね。
なのでそれ以外が薄く思えるのもちょっと詰めの甘さがあるのもまあしょうがないと。
キャラクターの中で言及するべきはBabiesとグレッグでしょうか。
Babiesは幼少時なんらかの理由で自分の世界にこもったままになり、知能は大人のそれさえも遙かに、想像を逸するほど超えて高く。ただし外見は数歳未熟で、たとえ危害を与える者でも人を憎めず、傷つけたくなく、そして言葉をそのまま受け取ってしまう(グレッグ曰く「まだまだユーモアの件は練習がいるな」)ところがあって。
知能の他にもまだまだ不思議な力を宿していて、その能力と彼らがどうしてそうなったか、ということに悪役である科学者たちは興味津々だったり。
ティーンエイジャーの7人の中でリーダー格のグレッグ。物語が始まって早々恋人となったミッキーとともに、その全般に渡った知能の高さ(他の子はたとえば記憶だったり、数学だったり、メカだったり専門的エリアについて超人的な能力を持つ)からか何かとアイディアメーカーだからかどうなのか自然と7人のなかでリーダーとなった男の子。
グレッグの魅力的なキャラクターがこの物語の魅力の半分以上を占めているといっても過言ではないでしょう。
なんというか・・・もうユーモアのセンスが個人的にツボで(笑)特に本の一番最後の・・・おっと、これ以上はいえませんが。
Babiesも彼からユーモアのセンスを覚えていくことがまたほほえましく。
そうやって一見閉鎖されて寂しい空間の中でみんながお互いを信じ、お互いを分かり合い、笑いあって生きている。そういうのが好きです。
先ほどFarmから逃げよう、という風になるといいましたが、むしろそれがアクションぽくなるよりも、その一連の計画と実行が主人公たちの知能の高さを表しながらも何よりも「子供のいたずら」てきなエレメントが終始強くてそれがむしろよかったような気がします。
言語的にも内容的にもあまり構えず読める本で、物語的にもなかなかおもしろく、ヤングアダルト文学としてはけっこう優れていると思います。
それに「普通になれという世界の中で他とは違う何かをもって生きていく」というテーマに関してはうまくそれを提起したストーリーだと思います。
そしてエンディングが多少都合が良すぎだと思っても最後まで読んでくださいね。最後の最後にグレッグがやらかしてくれてますから♪
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「ロシアの歌」
ストラヴィンスキーのコミック・オペラ「マヴラ」からのアリアをチェロとピアノのためにアレンジしたこの曲。
今日初めて改めて聴いてみたんですけど、感想はとりあえず一言・・・
「ロシアってかユダヤじゃん!」
伴奏といい、メロディーの入りといい、調の変わり方といい。
ユダヤ音楽にそう詳しいわけではありませんが(大好きには大好きです。ただクラシックのなかで使われているもののみしか知らなくて・・・クレズマーのCD欲しいです!)、ぴんときちゃいましたよ。
紹介というかツッコミですみませんが(まあ「今日の一曲」なので今日インパクトがあった曲、とか今日つっこみたくなった曲、とかなんでもいいといえばそれまでですしね)。
これでもビオラで弾くともっとユダヤっぽいんではないかと思います。
(考えてみればチェロでしっくりきすぎて元のアリアとして想像しづらいですよ)
なんでしょうね、ユダヤ音楽といえばバイオリンとクラリネットというイメージですが結構陰鬱な影もその音楽の特徴の一部なのでそういうものはビオラのほうがお家芸なのかなーとか思ったり。
ぼんやり思うのはユダヤ音楽で多用する調にしてもバイオリンよりはビオラのほうが自然なんじゃないかなーと思ったりなんだり・・・根拠がないんですけど。
なんにしても小品としては、ユダヤ音楽の片鱗としては結構魅力にあふれた一曲だと思います。
そのうちオリジナルの方も聴いてみたいですね♪
とりあえずアプリケーション、ゲームetcはほとんど動くので安心です。
オーストラリアのヤングアダルト文学で結構好きなものがあって、もう何百回読んでるやつもあるんですけど改めてまた一つ紹介したいと思います。
Brian Caswell作 「A Cage of Butterflies」
Google ブック検索結果はこちら
とあるオーストラリアの田舎にある「Farm」。そこでは高いIQを持った子供たちが暮らしている。
主人公はティーンエイジャーの7人で、Farmにくる前は「他とは違う」ことでつらい思いをしていた、でもFarmでそれなりに幸せに今生きている。
彼らとは別に5人、7歳くらいの子供-自閉症のような様子を見せ、身体的成長が遅れた「まるで蝶のように壊れやすい」、特別ななにかをもった子供たちが研究者たちの手の中にひっそりと居る。
Babiesと呼ばれるこの子供たちはいったい「何」なのか?このFarmの中で、彼らを巡っていったい何が起こっているのか?
・・・というようなあらすじです。
が、そういった小説から連想されるサスペンスや、SF的なエレメントや、主人公たちが行動を起こすときのアクションとか、そういうエレメントはあんまり強くありません。
本自体もずいぶん薄く、内容もがっつりというわけではなく。
この著者のことを以前調べたときに彼は「他とは違う」存在のあり場所などについてよく物語を書く、というレビューを読みました。この本もどちらかといえばそういったテーマを中心にしています。
主人公の一人、グレッグは足に障害を持つ、全般的に高い知能を持つ男の子ですが彼が最初に物語を語るとき、「外の世界」でどういう目でみられることがあったか、彼や他のティーンエイジャーがどういった能力をもち、そのためにどういう経験をしたか・・・そういうことが語られています。
そして物語の後半でBabiesを救うためにFarmから逃げよう、という話がまとまりつつあるとき、でもあの子たちは外の世界でどうやって生きていくんだ、という話になり。
「普通になれ」という世界で変な目で、冷たい目で見られ、どうしてそういう目を向けられるかも理解できず、そしてそういう風な目を向ける人を憎むことができない純粋な心で・・・
けっこうそのくだりが長いのもやっぱり物語と著者の焦点なんでしょうね。
なのでそれ以外が薄く思えるのもちょっと詰めの甘さがあるのもまあしょうがないと。
キャラクターの中で言及するべきはBabiesとグレッグでしょうか。
Babiesは幼少時なんらかの理由で自分の世界にこもったままになり、知能は大人のそれさえも遙かに、想像を逸するほど超えて高く。ただし外見は数歳未熟で、たとえ危害を与える者でも人を憎めず、傷つけたくなく、そして言葉をそのまま受け取ってしまう(グレッグ曰く「まだまだユーモアの件は練習がいるな」)ところがあって。
知能の他にもまだまだ不思議な力を宿していて、その能力と彼らがどうしてそうなったか、ということに悪役である科学者たちは興味津々だったり。
ティーンエイジャーの7人の中でリーダー格のグレッグ。物語が始まって早々恋人となったミッキーとともに、その全般に渡った知能の高さ(他の子はたとえば記憶だったり、数学だったり、メカだったり専門的エリアについて超人的な能力を持つ)からか何かとアイディアメーカーだからかどうなのか自然と7人のなかでリーダーとなった男の子。
グレッグの魅力的なキャラクターがこの物語の魅力の半分以上を占めているといっても過言ではないでしょう。
なんというか・・・もうユーモアのセンスが個人的にツボで(笑)特に本の一番最後の・・・おっと、これ以上はいえませんが。
Babiesも彼からユーモアのセンスを覚えていくことがまたほほえましく。
そうやって一見閉鎖されて寂しい空間の中でみんながお互いを信じ、お互いを分かり合い、笑いあって生きている。そういうのが好きです。
先ほどFarmから逃げよう、という風になるといいましたが、むしろそれがアクションぽくなるよりも、その一連の計画と実行が主人公たちの知能の高さを表しながらも何よりも「子供のいたずら」てきなエレメントが終始強くてそれがむしろよかったような気がします。
言語的にも内容的にもあまり構えず読める本で、物語的にもなかなかおもしろく、ヤングアダルト文学としてはけっこう優れていると思います。
それに「普通になれという世界の中で他とは違う何かをもって生きていく」というテーマに関してはうまくそれを提起したストーリーだと思います。
そしてエンディングが多少都合が良すぎだと思っても最後まで読んでくださいね。最後の最後にグレッグがやらかしてくれてますから♪
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「ロシアの歌」
ストラヴィンスキーのコミック・オペラ「マヴラ」からのアリアをチェロとピアノのためにアレンジしたこの曲。
今日初めて改めて聴いてみたんですけど、感想はとりあえず一言・・・
「ロシアってかユダヤじゃん!」
伴奏といい、メロディーの入りといい、調の変わり方といい。
ユダヤ音楽にそう詳しいわけではありませんが(大好きには大好きです。ただクラシックのなかで使われているもののみしか知らなくて・・・クレズマーのCD欲しいです!)、ぴんときちゃいましたよ。
紹介というかツッコミですみませんが(まあ「今日の一曲」なので今日インパクトがあった曲、とか今日つっこみたくなった曲、とかなんでもいいといえばそれまでですしね)。
これでもビオラで弾くともっとユダヤっぽいんではないかと思います。
(考えてみればチェロでしっくりきすぎて元のアリアとして想像しづらいですよ)
なんでしょうね、ユダヤ音楽といえばバイオリンとクラリネットというイメージですが結構陰鬱な影もその音楽の特徴の一部なのでそういうものはビオラのほうがお家芸なのかなーとか思ったり。
ぼんやり思うのはユダヤ音楽で多用する調にしてもバイオリンよりはビオラのほうが自然なんじゃないかなーと思ったりなんだり・・・根拠がないんですけど。
なんにしても小品としては、ユダヤ音楽の片鱗としては結構魅力にあふれた一曲だと思います。
そのうちオリジナルの方も聴いてみたいですね♪
やっと読み終わりました!いやー大変でした。
この本は「禅とオートバイ修理技術」で知られるロバート・パーシグによる、その続きともいえる本です。
前作で「クオリティ」という名の人間にとっての高度な「価値」のような概念を追求した主人公(そして作者の分身)、パイドロスの新しい旅についての話です。
彼にとって旅とは自身の体が移動することではなく、哲学的思考の旅。そういう意味ではパイドロスは一週間で地球一周してるようなものです(笑)
・・・なので物語のプロットよりも哲学的追求がメインなところが多々あるのでいちいちそこで話が止まってぐるぐるするのが嫌いな方にはお勧めしません。
作者の知的レベルの高さと作風・文体が相乗効果でそこらを消化しにくくするので呼んでてちょっと疲れます。
パイドロスはこの本ではアメリカを船で渡っていて、そのうちにリラという若い女性に出会います。彼女は登場するやいなや厄介者オーラが漂ってるんですがパイドロスはどことなく彼女に惹かれ、あろうことか肉体関係を持ってしまいます。(前作でも結構ストイックな印象があったのでちょっぴりびっくり)
で、その件について彼とともに旅をする友人であり、リラと面識があるらしいリゲルがいったいなんでお前はそんなことするんだ、とパイドロスを説教し始め。それならリラにはお前の言う「クオリティ」でもあるのか、という話になり、パイドロスは自分でもあんまり理解していないながらも自分はリラにある種のクオリティがある、と答え・・・
そこからタイトルにある彼の「モラルの追求」が始まる、というわけです。
人間学にメスを入れる部分とか、アメリカの文化の源泉を追求する話とか、パイドロスの思考はいろんな方向に枝分かれします。いろいろありすぎて本当に例を挙げるのもむしろ面倒になるんですけど、たとえば人間と社会の関係性(人間が社会を創っているのか、社会が人間を支配しているのか、など)や、カモノハシを例に取った「例外」の話。
彼が人間も、素粒子にも同じくクオリティがあって、それにしたがって動いていて、人が細胞の動きでできているように街もまた人間の動きでできているという感じのことを語るので人間にもほかの物質にも同じ力が働いてるーって話は好きです。
共感するのは難しい部分もありますが、前作と同じくどこをとっても考えさせられる本です。
リラ・・・という存在も面白いです。彼女はいろんな意味でパイドロスのいうところの「カモノハシ」で、社会的には彼女はとるにたらない人物なのかもしれませんがパイドロスの思考にはいろんなヒントを与える人物でもあります。
ただこの本はパイドロス主体なので彼女はあくまで彼の興味の対象、にすまないところもあって。
彼女を通じてパイドロスはいろんな思考をめぐらせますが彼女自身をあんまり生身の人間として扱うことは少ないです。読んでてもリラが人間としてあんまり写らないところが多々。
ただリラが心のバランスを崩していてパイドロスと喧嘩したときパイドロスがその感情の爆発を「そういうこともある」と冷静に受け止めたところは自分の経験と重ね合わさったのか妙な安心を覚えました。
物語としてはなかなか納得のいかないエンディング・・・ではあります。ただ本を読み進めていくとこれは仕方がないのかな、この道を進むのが不本意ながら一番なのかな、という不思議なあきらめみたいなものはあり。
そういうところもまああんまりお勧めじゃないのかなあーとか思いますが・・・
なんにしてもとっつきづらい本ではあります。
まずこの本(そして前作も)がアメリカを舞台にしていて、アメリカのことを中心に話を進めているのでやっぱり外国人としては多少なじみが薄いということがあります。
そしてパイドロス自身が多少人間離れした性格であり、多少スノッブなところもあり、意見が偏ってることももちろんありで共感しにくい上反感を持つ方も多いかとおもいます。
パイドロス以外のキャラクターも好感度を持てるキャラは皆無ですしね。
さらに彼が思考の旅に出てしまうとかなり理論的な、無機質な思考の連なりになってしまうことがあって、アイディア自体は実世界を検討するに面白いのですがこうやって読むとむしろしんどいところもあります。
とくにメンタルヘルスの箇所になってくるとそれが顕著に現れますね。この人は人の心を扱ってるんじゃないなーってのがひしひしと。
ただ彼がこの本で語る人と社会、人と価値についての思索は難しくとも、反感を持とうとも、一度読んで知ってみて、それから自分でどう思うか考える価値はあると思います。彼の語ることは理論的ではありますが、現代社会について考える課題とも十分以上になりえるので。
パーシグの本は「好き、嫌い」ではなく自分が彼の本を読んで何を思ったか、何を考えさせられたか、そしてその結果自分はどんな意見や思いを持ったか、ということが大切だと思っていますので。
まったく焦点のぼやけた感想ですみません。そこんとこ難しい本なんですが自分も至らないことをお詫びします。
今度は前作を買って読み返したいと思います。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン チェロソナタ第3番 第3楽章
この曲で一番好きなこと、それを簡潔にまとめると・・・
ピアノとチェロがこんなに相思相愛でラブラブな曲はないでしょう!
音楽のよさもありますが二つの楽器の関係にソナタ全楽章萌えっぱなし(笑)
いえいえ、本当にまじめな話、チェロもピアノもどちらが優勢ということもなく、お互いのパートで自身が引き立てられ。聴いていると特にこの最終楽章はどっちも楽しそうで。
あーんな気難しい顔したベートーベンの肖像を見慣れてる方にはちょっと意外かも?
わくわくするような音形、スピード的にも前へ前へと駆けて。
一緒に駆けながらお互いにちょっかいを出し合って、テンポのいい駆け合いで。
なんか笑みが、お互いに向ける笑いが見えるような曲です。
この演奏で弾いているロストロポーヴィチとリヒテル、どちらもそれぞれの楽器でトップ奏者といっても過言ではないですが、この二人は幾度も共演しているらしく・・・やっぱり気心が知れているのでしょうか、そんな感じがこの録音を聞いているとしますね。
室内楽は個人的な感情の絡み、といいましたがお互いリラックスして音楽を楽しんでるんでしょうね。
真剣に音楽を創っているけど、何よりも楽しく、途中でなぜか笑いたくなってしまう。
ピアノとチェロと一緒に、駆け出したくなって、一緒に笑い合いたくなってしまう。
そんなこの曲は、もし私の恋人がチェリストだったら一緒に弾きたい曲ナンバーワンです♪