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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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感想2つ+α+β
先日の船便で着いた「ロザンのベスト08+」、やっと観ました!
数日だったのにずいぶん我慢した気もします(笑)



まずは:ロザンのコントは面白い!
漫才よりもインパクトがありますしネタ作ってる菅ちゃんの世界が見えるような気がしますねー。
二人の動きももっとダイナミックで特に宇治原さんのまくしたてるようなせりふ+コミカルな動きには二度笑ってしまいます。

あと個人的なあれなんですがコント「バイオリン」の「なぜなら、演奏だけでは~」の台詞をはじめいろいろ音楽家を皮肉ったような台詞には音楽家としてものすごく共感してそれで爆笑しました(笑)嘘は教えてませんけど(もちろん)でもちょっと誘惑としてはありますね。(ただ私に習ってる時点でどっかが間違ってる可能性はありますが)

でも一番は「ベスト刑事」第2弾でしたね。コントじゃなくてもサプライズやいたずらでも一回はやってみたくなるネタをあのテンポでやられたら笑いのツボに来ざるをえないです。

あとはドライブ。菅ちゃんのはしゃぎ具合ももちろん、宇治原さんの振り回されっぷりも二人の仲のよさも本当に見てて安心しましたしたくさんたくさん笑わせてもらいました。宇治原さんの卒業文集も相当でしたが菅ちゃんの「宝くじがもし当たったら」の意味不明さもすごかったですね。すっかり迷宮入りじゃないですか。

これからの季節、元気がないときに安心と笑いとエネルギーを分けてもらえそうなお宝DVDです♪

そして今日はこないだ買った武満のCDを聴きました。



基本クラシックは大雑把に言えば「郷に入れば郷に従え」ではありませんけど作曲家と同じ国の奏者がやっぱり演奏としては一番いい、みたいな評判が全般にありまして(もちろん例外はたくさんありますが、でもあまりクラシックの奏者を知らなくても、曲を知らなくても大体そういう選び方をすれば間違いないみたいなことですね)。
日本は比較的その傾向が薄いという印象があったのですが(今思うと先生に日本の曲を弾きなさいと勧められたのはそういう理由もあるんでしょうかね)このCDで本当に安心しました。

このCDには武満徹のピアノ曲・ピアノ+バイオリン、ピアノ+チェロ、そしてピアノ三重奏曲が詰まっていて。どれもが珠玉の作品、そして演奏ばかり。
よくいわれるメシアンの影響を曲に感じますし、演奏にはどこか「和」な感性を感じます。
武満は瀧口修造の詩を元に曲を書いているんですがどことなく詩的な性格の曲はたくさんありますね。

中でも自分が一番ぐっときたのは「妖精の距離」。その詩的なバイオリンのメロディーと、説明しがたいんですが「ああ、これが武満の世界なんだな」という確信をもてるスタイル。聴いてて何か幸せになります。

あと子供のためのピアノ曲も実は何気に注目してたり。さらっと弾いたりしても武満の世界が味わえそうです。

全体的にいいCDです。いい買い物をしたと思いますし、それに日本でもオーストラリアでも(私の先生の生徒は私を含め何人か弾いていますが)もっと武満をはじめとする日本の現代作曲家が聞かれ・演奏されるようになるといいと感じさせられました。

そしてこれはまだ聴いてる途中なのですが・・・


今のところ交響曲第4番とバイオリン協奏曲を聴きましたが・・・うーん。
やっぱりシマノフスキは小編成にとどめておこうかなーと・・・(汗)
オーケストラ使いはまあまあですがスタイルがなんとも。悪く言えばヴォーン=ウィリアムズの2級品みたいな。
私がシマノフスキの魅力と感じていたエレメントがあんまり見れませんでした。ちょっと残念。

でもZehetmair(バイオリン)の演奏はかなりのものです。イザイを聴いていたときにも思ったのですがオーソドックスだけれど陳腐ではまったくなく、力強くて演奏にも解釈にもブレがない。
もっともっとこの奏者のいろんな演奏を聞いてみたいな、と改めて思いました。


今日は少しまた調子が悪くて。
また、というのは今度は体でなくて精神の方。どうやら天気が良くなくなるのを察知して勝手に弱っていたようです。
今がイースター休みで本当に良かったと思います。
明日から泊りがけで友達の家に遊びに行くので多分明日は更新はありません。天気が良くて向こうでもまったりできたらなあ、と思います。


今日の一曲・・・はさきほどの武満徹 「妖精の距離」ということで。

それではまた次回に。

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なつかしのTomorrowシリーズ
今週末はイースター。親友と休みが続くのでどこか行こうか、ということになっていたんですがどうやら泊まりは無理そうで。近場で日帰り、ということになりそうです。

泊まりでないといったところで没になったプランの一つに「Tomorrowシリーズ」の舞台になった「Hell」のあるところに行く、というのがありました。


こちらにも紹介があります)
この「Tomorrowシリーズ」、オーストラリアの若年層文学の中ではもっとも有名な類に入るジョン・マーズデンの代表作。第1作の「Tomorrow, when the war began (邦題:明日、戦争が始まったら)」から第7作「The Other Side of Dawn(邦題:明日への扉)」まであって。
第1作は多分私がこっちに来る前に出版されてて、私の英語が途中で追いついて多分第6作くらいからリアルタイムで読んでたかな。私の友達も読んでいて、第7作で完結する!というときにはずいぶんテンションがあがった思い出があります。

この話は主人公の女の子(まだ高校生)、エリーが彼女と彼女の友達に起こった出来事を書いて記録に残している、という形で(少なくとも途中までは)書かれています。
エリーはオーストラリア南部の田舎に住む女の子。家は農場をやっていて、友達もだいたいそういう家が多く。
ある日友達を集めてキャンプをしようと企みます。
ギリシャ系のホーマーは破天荒なやんちゃ男子、親友のコリーにその彼氏のちょっといけすかなかったりするケヴィン、(ここまではみんな農場経営)、家が町(といっても小さそう)にあるアジア系で家族がそっち系レストランの男の子リー、ちょっと天然で他の子よりも田舎くささがないフィオーナ(フィ)、そして信心深い女の子ロビンの7人が集まってキャンプにいくことになり・・・

キャンプから帰ってくるとどこの家にも誰もいない。家で管理してる動物は無残な状態になっている。テレビもつかないし、周りにも人っ子一人いない。
これはおかしい、ということで不安な気持ちをぬぐえないまま町の様子を見に出たとき、7人は驚愕の真実を知ることとなる。
・・・この国は侵略を受け、彼らの家族をはじめとする人々は捕らえられている、と。
そしてエリーたちは自分の身を守るため、生き延びるためときには逃げ、ときには戦いながらサバイバルの道を歩むことを決意する・・・という話で。

アクションはもちろん、まだ大人になりきっていない彼らのこの経験を通じての成長や、登場人物一人一人の思いとその変化、そして登場人物の人間関係なども魅力的で。
それにしても今の時代は非国家主体によるテロの恐怖が主流の時代になってしまったのでこのシリーズで描写されるようなアクションは少しもう古いのかしら。
私はちなみにロビンとフィが好きです。エリーも欠点はあるけれどしっかりしてるしタフで好印象男子だとホーマーが好きかな。

それにこないだこっちに来て以来の友達が経営してる農場(家がずっと農場をやってて。今は育児ケアもやってるらしいです)に遊びにいったんですけど、それが地域的にもTomorrowシリーズでエリーたちが住んでいるであろうエリアで、同じように農場があって、ちょっと離れたところに町があってってパーフェクトで。
そうか、あの話はこういうところの話なんだなーって、やっと情景がはっきり浮かびました。
なのでオーストラリア南部を知らない方にはそこのところ読んでてどうなのかなーと気にはなります。

で、そのもうちょっと東の先のブッシュ、というか山の方にエリーたちがキャンプしに行った場所のモデルロケーションがあるんです。
Mt HowittのあたりのTailor's Stitch、そのあたりのDevil's Staircaseが小説で言うSatan's Stepsで、その険しい岩の崖を下ったところにエリーたちの言うHellがあるんです。
Hellは小説の中では昔自分の妻と子供を殺した男が隠れ住んだ場所となっていて、7人にとって秘密のキャンプ場所で、戦争が始まってからは隠れ家的な場所となっていました。地獄という名前に反して暮らしいいところで(笑)とくに戦争中はむしろ外の世界のほうが地獄でしたから。

ずっとそれをみたい、見たい、といってたので今回は没でもいつか親友と一緒に行こうとおもってます。
ただ途中までしか車でいけなくて、それでDevil's Staircaseまでは少なくとも1日ブッシュウォーキングらしいので時間があるときに。さらに冬になるとスキー場もあるエリアなので雪でいけなくなるなんてこともあるらしいのでなるべく寒くないときに行きたいですね。

ただシリーズとしては・・・Tomorrow シリーズは途中と最後がちょっといまいち、という感じでしたね。少なくとも第1巻、第2巻はものすごくお勧めです。ただ5巻と7巻が・・・(ぶつぶつ)

Tomorrow Seriesの邦訳はこちら
私はでも鉄条網をあしらった初版のカバーデザインが一番好きです。最終巻の初回特別版はカバー真っ黒で鉄条網だけ、というデザインがかっこよかったですが今はもしかしたら出版されてないかも。
日本語はもちろん、英語もそんなに難しくないので(もともと現地の中学生が読んだりする本ですし、私も来て3年目くらいで読み始めてるはずなので)自信のある方はぜひ英語で。

なんとこのTomorrow Series、こちらでは今年映画化されるとのことで、かなり楽しみにしています。(日本ではやるのかな?)キャスティングを見る限り役者さんは知らない子ですがみんななかなかイメージぴったりです。ストーリーも元がいいのでシリーズを通じていい映画になるといいです。そしてあわよくばこの映画化で世界にもっとこのシリーズが知られるようになるといいな、と思ってます。


今日の一曲: フランツ・リスト 「超絶技巧練習曲」より第5番 「鬼火」


フランス語で Feux Follet、英語で Will 'o wisp。
リストって全体的にあんまり好きじゃない曲が多いんですけど(外向的なんですよねー。リスト自身が弾いて技巧などを見せびらかすために作った曲が多いのでね)
この曲も大学時代にはそう好きではなかったのですが最近じわじわとどうやら来ているようです。

「超絶技巧」の練習曲の一曲とあって確かに技巧はスーパー難しいです。
イントロの後のメインのセクションの右手を楽譜を見ながら弾こうとすると本当に指がもつれそうで。
ものすごく細やかで繊細で極小回り重視の指の機動力のテクニックの練習曲です(ただここ以外の場所に応用が見つからないんですが)。

突然現れたり飛んだり光ったり消えたり、気まぐれな鬼火とその怪しい揺らめきが上記技巧によってあらわされるわけです。その軽くて実態がないような感じ、そして・・・ゆらゆら怪しく、でもきらきら輝く感じ。
予測不可能な鬼火の動きに心をくすぐられっぱなしです。

たとえばこれをアンコールで弾いたら(メインのプログラムでばてて死んでなかったら)なんかものすごく聴衆の心をくすぐることもできるし、自分がこの曲の技巧に重圧を感じることもないんじゃないかと思います。
なんとなく軽い、ファンタジックなユーモアとともにリサイタルをしめるのも楽しそうです(弾けたら!)


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ファウスト・・・の感想みたいなそうでないような
(ネタばれ注意です)


ゲーテのファウスト、何年か前に読んだんだけど今日またちょっと思い出すところがありまして。

日本語で読んだんですけど(でも英語のほうが面白かったかな・・・?訳によりけりでしょうが)結構好きで、コミカルな面が心に残ってます。

「ファウスト」は私にとってはファウストの物語というよりもメフィストフェレス主体の物語でした。

神様ととんだ賭けをしてしまったばかりに人間に振り回されて苦労してはそんな役回りを演じ続け、骨折り損の果てにファウストの魂まで天国に持っていかれるし。

こういう文学って神様や天使よりも悪魔がどちらかというと人間的に、魅力的に書かれていて・・・そういうのが好きです。
神にこの賭けで勝つためならば、とファウストの望みをなんでもかなえてやるとはりきっていろいろ策をめぐらしたものの、ファウストはグレートヒェンと恋に落ちてこの娘がまたメフィストフェレスの一番苦手そうなタイプで。それで無用の殺人はするわ南に逃げなくちゃいけないわで。
南に逃げたら逃げたで向こうの悪魔の祭りでタイプじゃない女悪魔たちに絡まれるわ、地道に経済再建するファウストに手下ともども地味な肉体労働にかりだされるわ・・・賭けに勝つ条件を果たしたと思えばあれやあれやと天使たちにファウストの魂を騙し取られるわで。

とんだ人生ですよね(笑)でもそうやって苦労症のメフィストフェレスが好きで好きで。

悪魔からみた人間ってこんなんなのかなーって思います。この話の人間を外から見るような視点も好きです。
あの「瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい」ってシーンもどうも他人事のように見てしまう。メフィストフェレス視点で、そう言うファウストの横顔のその表情を見ながら・・・メフィストフェレスはきっと不思議に思うんだろうなーと。

こんど読むときは南北の悪魔の集まりのところをもうちょっとまじめに読みたいですね。どんな生き物が出てるかだけ見ながらざーっと読み進めてしまったので。

もともとは自分の創作のスラーヴァというキャラの設定のためにメフィストフェレス目当てでこの本を読んだんですけど・・・結局参考になったのかどうかというと・・・うーん(笑)
まだまだいろいろ吟味したり、読み返したり、考えたりしなければならないようです。

ファウストは音楽や漫画、映画や小説などいろんな媒体でリメイクされてますが・・・いつかお近づきになりたいところです。


今日の一曲・・・じゃなくて今日は2曲です。

今日の一曲 その1: セルゲイ・ラフマニノフ ピアノソナタ第1番 第3楽章



20世紀音楽ばっかりシリーズ、見事に続いてますね(笑)
ちなみにラフマニノフは後期ロマン派扱いされることが多いですが、結構やってることは20世紀ばりばりではないかと私はいつも言ってたら大学では結構賛同 者がいました
そもそも今日ファウストのことを考えてたかというとこの曲のおかげで。

聞いたところによるとこのソナタの全3楽章はゲーテのファウストを題材にしているとか。
第1楽章はファウスト、第2楽章はグレートヒェン、そしてこの第3楽章はメフィストフェレスがモデルらしいです。
第3楽章のメフィストフェレスについてはラフマニノフをそこそこ知ってる人なら曲中に出てくる「怒りの日」のテーマの引用に裏付けられていると思います。
そしてどことなくなにかが例えばリストのメフィスト・ワルツに似てたりも。

あんまり弾かれないんですよねーこの第1番。ピアノソナタの癖に演奏時間が40分以上あるのが原因でしょうか。ラフマニノフの初期の作品に漂うそこはかとない渋さがものすごく魅力的なんですが。

人間としての哲学的な思いにふけるファウスト、淡い愛に溺れ戸惑うグレートヒェンの後にこの跳ねるような、暗躍し策をめぐらし魔法を使うメフィストフェレス。3者3様、それぞれの魅力が生きてソナタ全体としてもひとつの大きな世界を表現するちょっと長いながらもものすごく心に近いソナタです。


今日の一曲 その2: リゲティ・ジェルジュ(ハンガリーですので) ピアノのための練習曲 第13番 「悪魔の階段」



悪魔と思ったらこれは外せなくて・・・という理由での今日の2曲目。
13番で悪魔、そして悪魔のように難しい!
数学的な音楽を書くリゲティのこと、もしかしたらこの練習曲の番号の13だけじゃなくて曲の中にもなんらかの形で13が入ってるんじゃないかと思ってるんですけど・・・知ってても教えないでくださいね!いつか楽譜を買って自分で探しますから!

まるで無限の階段を上り下りするような音形は本当に無限の空間に広がっているようで。
どこか腹黒い(全体的に色の黒い曲です)、どこかにトラップが仕掛けてあるような・・・無機質だけれど一瞬の気も抜けない(まあ奏者はもちろん気の抜けないほど難しい曲ですが!)音楽です。

どこかわくわくするんですよね。まるでマリオみたいなゲームをやってるがごとく。
そして前述メフィストフェレスが策をめぐらし、魔法をかけ、そして四方八方奔走する様に。

無機質だけれど、ものすごく生き生きしている、ものすごく生きているエチュードです。


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"Musicophilia" 感想
“Musicophilia” by Oliver Sacks


どうして人間という動物は社会的に、生存的に必要だとはいえない音楽というものにこんなに心を注ぐものなのか、という疑問から始まるこの本は音楽が人間の脳にどんなに不思議で特別な影響をもたらすか、そして人間の脳が音楽にどんなに不思議で特別な影響をもたらすかをさまざまな人の実体験とさまざまな研究を交えて探る・・・学術書ほどはかしこまっていなく、伝記的に偏ることももちろんなく、それでも専門知識をふんだんに含んだ本です。

人間に音楽は必要不可欠じゃないもののはずなのに人間の脳は音楽に対してとても特別に反応する、というようなことがいろんな病気や現象などの例を通じて書かれています。 たとえばパーキンソン病の患者のぎこちない動きを音楽がなめらかなものに変えること、音楽の特定のエレメントに不感応になるケース、脳の障害によって音楽性が芽生えたり、消失してしまうことから健常な人に見られる音楽的幻聴の病的幻聴との違い、絶対音感や共感覚、そして誰でも経験したことがあるでしょうメロディーが頭から離れなくなるメカニズム・・・脳と音楽に関することが何でも載っている、といっても過言でないかもしれません。

読んでいると脳がいかに不思議な物体(!)なのか、そして音楽がいかに脳と強いつながりを持つか、そしてそれなのに脳と音楽についての研究がどれだけされていなく、どれだけこの分野がミステリーに満ちているかを一つ一つのケースごとに思い知らされます。脳の奇跡的ともいえる常識を超えた力、というものが多くのケースで見てもうそれには驚くばっかりで。 むしろ本を読み進めるごとに「なんで脳はこんなに音楽を特別に扱うんだろう?」と上記の最初の疑問は深まるばかりですね。

個人的に興味深かったのは音楽によって引き起こされるてんかん発作のセクション、共感覚のセクション(共感覚保持者として)、そして奇妙な知能の低下パターンを持つウィリアムズ症候群の患者たちのセクションでした。

この本でまた面白いのは紹介されているエピソードの多くが音楽においてのさまざまなプロフェッショナルの体験談であることです。音楽は音楽家にとってどれだけ大切で、音楽家が持っている知識でどれだけ体験が変わるかというのもありますし、なんといっても本の中で言われている「音楽家の脳はそうでない人の脳と違う」ということも、音楽家特有の障害なども扱われている珍しい書籍だとおもいます。(なんといっても作者のコネがすごいんですけどね)

おそらく邦訳されてはいないと思いますが、それがなんであれ音楽を愛する人も、脳の不思議について知ってみたい人も是非読んでほしい本です。 こんなに専門知識がわかりやすく正確に著されている本も、芸術と科学がこれだけ近い場所で扱われている本は他にはきっとないでしょうから。


今日の一曲: たま 「サーカスの日」

たまのことはまたゆっくり話したいのですが、あんまり言葉でたまの音楽の魅力を語るのが得意ではないのとあと今日はちょっと出かけて疲れているので簡単に。

たまの音楽を昔から聴いてきて、そのころからこの歌を書き歌った滝本さんことGさんの容貌、声、作風、そして言葉にぞっこんで・・・今の私にもいろいろと影響があるんじゃないかと思います。
その中でも最近特に心を貫くなあと思うのがこの「サーカスの日」。一人さびしい夜にスピーカーではなくイヤホンで一人の世界にこもってきくとどんなに切ないものか。

音に対して言葉の数の多さが目立つこの曲、カラオケだと(入ってればの話ですが)大変そうですがその分思いが音楽にどれだけ詰まってるかが胸を締め付けるほど伝わってきます。
そしてスイングのリズムが心地よく、ジャズ風のピアノがちょろっと聞こえてくるのがまたよくて。昔小さいころ聞いてた時代のたまの音楽にはなかったエフェクトなども私にとっては斬新で。

あなたの向こう背中の向こうの この世の果てみたいな色をしている風景はなに?
僕らは何をしてどこへ消えてゆくんだろう どこからきたの 今目の前いっぱいに広がる星たちよ ねえ暑くないの? 寒くないの? 悲しくならないの? ざわめきにふるえが止まらなくて こわくないの?」

このサビの部分が好きで好きで。言葉とフレーズの切りどころがずれてるところも好きだし、知久さんの1オクターブ上のコーラスがまた切なさをあおってもうどうしようもないくらい切なくて好きです。

難しいけど好きな人に歌ってほしいものですなあ(笑)


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