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仕事一段落で平日のウィークエンドですなう。
ありがたいことにまたいくつか仕事が来るようなので休めるときは休んで、そして仕事も無理なくスケジュール立てていかないとですね。冬ですし。
休日といっても仕事をしないというだけでもちろんピアノはできるときは機会を逃さず練習してます。今日も2時間半練習できて満足ですが成果についてはまだまだ。
(そもそもここ数ヶ月メシアンしか、しかも20のまなざししか弾いてこなくて他の曲を弾きたくならないってのもある意味ちょっと心配だったり。例えば単純に練習量が足りないとか。)
以前も書いたように20のまなざしとも10年の付き合いで、もう少しで全曲演奏も見えてくるかという段階なのですが、そろそろ各曲だけじゃなくて曲集全体として考え始めなきゃいけない頃合いでもあり。
もう聴いたり弾いたり(全部揃って聴いた経験もあり)して良く知ってる20曲ではありますが、全体像を見るのは難しい。
ただ一つ分かったのは20のまなざしってメシアンが数年後に書いたオケ曲「トゥーランガリラ交響曲」と構成が似てるなと。20のまなざしは20曲、トゥーランガリラは10楽章からなる作品ですが、全体のテンションのアップダウン(というか曲の性質の流れ)がちょっと似てるような。
特にまなざしの10番20番とトゥーの5楽章10楽章のポジションと関係性はどんぴしゃとも言えるんじゃないかと(最後よりも中間点の曲の方が盛り上がるし曲として良い曲ってところも含め)。
あとは20のまなざしに近い曲といえば同時期でちょっと前に書かれた「時の終わりの四重奏曲」だったり「アーメンの幻影」だったり。音楽言語や使う音型のパターン、それから宗教的テーマの表現の仕方(タイトルの感じも合わせて)もここら辺3作品は近い。改めてそちらもきちんと聴いて勉強しなきゃ。
ところで1つの曲集に20曲っていうとクラシック音楽のジャンルのなかでもかなり多い方だと思います。決して珍しいわけではないですが(24曲セットも結構ありますしね)、それでトータル2時間は結構長い分類に入るのでとにかくでっかい印象になります。(ちなみに同じくメシアンの鳥のカタログは13曲編成ですが2時間半超え)
ただ20のまなざしの場合演奏時間が長くなってる原因の多くはゆっくりな曲がとにかく遅くて長くなることなので弾く方としてはある意味楽だったり。
例外が6番で、速い・長い・音の密度が高い・音量高いという(特に20曲全部弾くには)困難がぎゅっと凝縮されてる曲。
この曲集を弾き始めて「これ全部弾くな」と思ったとき、自分が最初にしたのは20曲を大中小に分けることでした。難易度と長さのコンビネーションによる感覚的な分類で。確か:
小:1,2,3,4,7,8,9,16,19
中:5,11,12,14,17,18
大:6,10,13,15,20
みたいな感じだったかな。後で「これ違うな」ってのもありましたがこの分類を目安に小さい方から弾き進めてました。おかげで大を弾いてる頃にはメシアンの音楽言語や技巧が身についたのですが、でも20曲全部弾くんじゃなけりゃ中とか大から好きな曲を選んで必要に応じて小を足したりするのがいいんじゃないかな?となぜかアドバイスになってしまいました。
メシアンの作品全般、20のまなざしも「難しいんじゃない?」とよく言われますが難しいもん(上記「大」とか)はすごい難しいですがちょっと慣れが必要なだけど実際はそんなでもない良い曲が「中」あたりにあるのでオススメです。「小」は難しくないですし。
前も書いたと思うのですが20のまなざしで一番難しい曲は、というと6番と10番、その中でも10番と言う人に何人か出会ってるのですが、自分にとっては第6番が一番難しいです。というか「習得するのが難しい」が主なのかな。ものすごく音が多くて頭も指も苦労しながら全然最後にたどり着かないという。その掘り進めていく過程ものすごく楽しいんですけどね、大変です。
10番はでも「喜びの精霊のまなざし」というタイトルと曲の性質からして弾くときに「喜び」を爆発させる余裕を備えてないといけないってのはあるかな。
意外に苦戦してるのが8番15番。8番はもうまなざし始めて最初の年に弾き始めたし最短の曲でそんなに難しくない曲なのですが(鳥の鳴き声的なパッセージほとんどなんで特に鳥カタ弾いてると難しくないはず)どうも自分にとってはすごくビビりやすい曲だったり。明らかな不得意曲。
そして15番もそこそこ難しい曲だけどそれほどではないのに全然美しく聞こえてくれないのが悩み。静かな部分も喜びの部分も愛の表現もこの曲こそがメシアンの(20のまなざしの)真髄!みたいな音楽なので余計に悔しいんですよね。
曲集に20曲も入ってると好みや合う合わない、得意不得意もかなり出てくるのが面白い(なので全部弾かないにしても各々に合うの見つけてもっと弾かれるべきだと思いますし、色んな人の選曲をもっと見てみたい聴いてみたいです)。
私にとっての不得意は上記の通り8番と15番ですが得意は4,5,11,14,17,18,19番あたりかな。17番はなんだか特別な曲で得意って言っちゃうのはなんだかおこがましい気もするのですが、得意の意味でも好きの意味でも17,18,19番をセットで自分の十八番と言いたいです。本当に特別な曲。
そして第6番も難しい難しい言ってますが好きな曲で自分に合う曲で、脳の作業面では得意な曲だと思うのです。だから弾けるようになったら本当に自分に身につく、自分にとって大事なレパートリーの一部になるような気がして、というかほぼ確信になってます。なかなか音がごちゃごちゃ精度が上がらないのですが、自分の物にできるようになるのが楽しみです。
ということで20のまなざしに関する色々を止めどなく語ってしまいましたが、とにかくこの曲集を弾くこと、完成させることが今でも楽しみで。自分の弾く20のまなざしってどんな演奏になるんだろう。
もうちょっと他のレパートリーも考えて思い詰めすぎないようにしたいですが、今の演奏頻度だとなかなか・・・という面もあり。
なのでまだまだこれからもしばらくピアノといえばまなざしの話が続くと思いますが次回はもうちょっと進歩した段階から書けるよう弾く方も考えるほうも引き続き頑張りますぜー。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第18曲「恐るべき塗油のまなざし」
第18番は前紹介したっけ?表記が曖昧だったりしたら検索しようがないので確認してないのですが。
第17番もものすごく特別な曲(自分にとって、そして音楽全般で)なのですが、18番にも同じくらい特別な物を感じます。前後の3曲セットとしての話はまた後でするのですが。
メシアンの音楽はいくつか性格・性質で分類できるのですがこの18番のまなざしは6番、10番、12番と似たようなパワー系。中でも「神の全能の力」を表す12番に似ています。
第18番が表すのは戦う神、雷を落とす神、神とその力に対する「畏れ」の表現。12番と比べて「畏れ」の要素が強いような気がします。
題材というかインスピレーションに新約聖書の「黙示録」があるというイメージから自分にとってはずっとfire and brimstones的なイメージがあって、実際降下する音型は雷よりももっと重い実体と硬さを持ったものが落ちてくるような感じ。ずっとff以上キープですから大変ですが(家ではちょっと力抜いてますが)どっかんどっかん弾くのはとっても楽しいですよ。
そしてこの曲の何が凄いってその無機質さ。最初と最後のリズムの逆行(とそのシンメトリー)や、繰り返されるトライトーン(=減五度の音程、オクターブの半分)の音型、全く同じに別の音から繰り返されるセクション、とにかく公式があってそれに違わず音楽が作られている。それがメシアンが人間ではなく「神」を表現するときの様式で(12番も似たような手法で書かれてる)、その完璧さにまた畏怖を感じます。
持論なのですが、先ほど書いた通りこの18番は神の畏れるべき「力」を、そして17番「沈黙のまなざし」は抽象的にしか表現し得ない神の「神秘」を、そして19番「我は眠っているが、私の魂はめざめている」では神の「愛」と三つの違った側面を描いていて、どれもちょっと抽象的なアングルから捕らえているのがまたバランスが良いと思うのです。ということで私にとってはこの3曲は揺るぎなきセットです(ついでながらセンターピースの18番の冒頭と最後がシンメトリーになってるのもちょうどいい)。
ということでいつかこの3曲も自分の演奏でお届けしたいのですがリンクはもちろんamazonから。このJoanna MacGregorってピアニスト、以前こっちで行った友人のコンサートで友人に紹介してもらってちょっとだけお話したのですがこの人も10番が一番難しいって言ってました。手もそんなに大きくなさそうでしたしやっぱ大変だよなー。
ありがたいことにまたいくつか仕事が来るようなので休めるときは休んで、そして仕事も無理なくスケジュール立てていかないとですね。冬ですし。
休日といっても仕事をしないというだけでもちろんピアノはできるときは機会を逃さず練習してます。今日も2時間半練習できて満足ですが成果についてはまだまだ。
(そもそもここ数ヶ月メシアンしか、しかも20のまなざししか弾いてこなくて他の曲を弾きたくならないってのもある意味ちょっと心配だったり。例えば単純に練習量が足りないとか。)
以前も書いたように20のまなざしとも10年の付き合いで、もう少しで全曲演奏も見えてくるかという段階なのですが、そろそろ各曲だけじゃなくて曲集全体として考え始めなきゃいけない頃合いでもあり。
もう聴いたり弾いたり(全部揃って聴いた経験もあり)して良く知ってる20曲ではありますが、全体像を見るのは難しい。
ただ一つ分かったのは20のまなざしってメシアンが数年後に書いたオケ曲「トゥーランガリラ交響曲」と構成が似てるなと。20のまなざしは20曲、トゥーランガリラは10楽章からなる作品ですが、全体のテンションのアップダウン(というか曲の性質の流れ)がちょっと似てるような。
特にまなざしの10番20番とトゥーの5楽章10楽章のポジションと関係性はどんぴしゃとも言えるんじゃないかと(最後よりも中間点の曲の方が盛り上がるし曲として良い曲ってところも含め)。
あとは20のまなざしに近い曲といえば同時期でちょっと前に書かれた「時の終わりの四重奏曲」だったり「アーメンの幻影」だったり。音楽言語や使う音型のパターン、それから宗教的テーマの表現の仕方(タイトルの感じも合わせて)もここら辺3作品は近い。改めてそちらもきちんと聴いて勉強しなきゃ。
ところで1つの曲集に20曲っていうとクラシック音楽のジャンルのなかでもかなり多い方だと思います。決して珍しいわけではないですが(24曲セットも結構ありますしね)、それでトータル2時間は結構長い分類に入るのでとにかくでっかい印象になります。(ちなみに同じくメシアンの鳥のカタログは13曲編成ですが2時間半超え)
ただ20のまなざしの場合演奏時間が長くなってる原因の多くはゆっくりな曲がとにかく遅くて長くなることなので弾く方としてはある意味楽だったり。
例外が6番で、速い・長い・音の密度が高い・音量高いという(特に20曲全部弾くには)困難がぎゅっと凝縮されてる曲。
この曲集を弾き始めて「これ全部弾くな」と思ったとき、自分が最初にしたのは20曲を大中小に分けることでした。難易度と長さのコンビネーションによる感覚的な分類で。確か:
小:1,2,3,4,7,8,9,16,19
中:5,11,12,14,17,18
大:6,10,13,15,20
みたいな感じだったかな。後で「これ違うな」ってのもありましたがこの分類を目安に小さい方から弾き進めてました。おかげで大を弾いてる頃にはメシアンの音楽言語や技巧が身についたのですが、でも20曲全部弾くんじゃなけりゃ中とか大から好きな曲を選んで必要に応じて小を足したりするのがいいんじゃないかな?となぜかアドバイスになってしまいました。
メシアンの作品全般、20のまなざしも「難しいんじゃない?」とよく言われますが難しいもん(上記「大」とか)はすごい難しいですがちょっと慣れが必要なだけど実際はそんなでもない良い曲が「中」あたりにあるのでオススメです。「小」は難しくないですし。
前も書いたと思うのですが20のまなざしで一番難しい曲は、というと6番と10番、その中でも10番と言う人に何人か出会ってるのですが、自分にとっては第6番が一番難しいです。というか「習得するのが難しい」が主なのかな。ものすごく音が多くて頭も指も苦労しながら全然最後にたどり着かないという。その掘り進めていく過程ものすごく楽しいんですけどね、大変です。
10番はでも「喜びの精霊のまなざし」というタイトルと曲の性質からして弾くときに「喜び」を爆発させる余裕を備えてないといけないってのはあるかな。
意外に苦戦してるのが8番15番。8番はもうまなざし始めて最初の年に弾き始めたし最短の曲でそんなに難しくない曲なのですが(鳥の鳴き声的なパッセージほとんどなんで特に鳥カタ弾いてると難しくないはず)どうも自分にとってはすごくビビりやすい曲だったり。明らかな不得意曲。
そして15番もそこそこ難しい曲だけどそれほどではないのに全然美しく聞こえてくれないのが悩み。静かな部分も喜びの部分も愛の表現もこの曲こそがメシアンの(20のまなざしの)真髄!みたいな音楽なので余計に悔しいんですよね。
曲集に20曲も入ってると好みや合う合わない、得意不得意もかなり出てくるのが面白い(なので全部弾かないにしても各々に合うの見つけてもっと弾かれるべきだと思いますし、色んな人の選曲をもっと見てみたい聴いてみたいです)。
私にとっての不得意は上記の通り8番と15番ですが得意は4,5,11,14,17,18,19番あたりかな。17番はなんだか特別な曲で得意って言っちゃうのはなんだかおこがましい気もするのですが、得意の意味でも好きの意味でも17,18,19番をセットで自分の十八番と言いたいです。本当に特別な曲。
そして第6番も難しい難しい言ってますが好きな曲で自分に合う曲で、脳の作業面では得意な曲だと思うのです。だから弾けるようになったら本当に自分に身につく、自分にとって大事なレパートリーの一部になるような気がして、というかほぼ確信になってます。なかなか音がごちゃごちゃ精度が上がらないのですが、自分の物にできるようになるのが楽しみです。
ということで20のまなざしに関する色々を止めどなく語ってしまいましたが、とにかくこの曲集を弾くこと、完成させることが今でも楽しみで。自分の弾く20のまなざしってどんな演奏になるんだろう。
もうちょっと他のレパートリーも考えて思い詰めすぎないようにしたいですが、今の演奏頻度だとなかなか・・・という面もあり。
なのでまだまだこれからもしばらくピアノといえばまなざしの話が続くと思いますが次回はもうちょっと進歩した段階から書けるよう弾く方も考えるほうも引き続き頑張りますぜー。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第18曲「恐るべき塗油のまなざし」
第18番は前紹介したっけ?表記が曖昧だったりしたら検索しようがないので確認してないのですが。
第17番もものすごく特別な曲(自分にとって、そして音楽全般で)なのですが、18番にも同じくらい特別な物を感じます。前後の3曲セットとしての話はまた後でするのですが。
メシアンの音楽はいくつか性格・性質で分類できるのですがこの18番のまなざしは6番、10番、12番と似たようなパワー系。中でも「神の全能の力」を表す12番に似ています。
第18番が表すのは戦う神、雷を落とす神、神とその力に対する「畏れ」の表現。12番と比べて「畏れ」の要素が強いような気がします。
題材というかインスピレーションに新約聖書の「黙示録」があるというイメージから自分にとってはずっとfire and brimstones的なイメージがあって、実際降下する音型は雷よりももっと重い実体と硬さを持ったものが落ちてくるような感じ。ずっとff以上キープですから大変ですが(家ではちょっと力抜いてますが)どっかんどっかん弾くのはとっても楽しいですよ。
そしてこの曲の何が凄いってその無機質さ。最初と最後のリズムの逆行(とそのシンメトリー)や、繰り返されるトライトーン(=減五度の音程、オクターブの半分)の音型、全く同じに別の音から繰り返されるセクション、とにかく公式があってそれに違わず音楽が作られている。それがメシアンが人間ではなく「神」を表現するときの様式で(12番も似たような手法で書かれてる)、その完璧さにまた畏怖を感じます。
持論なのですが、先ほど書いた通りこの18番は神の畏れるべき「力」を、そして17番「沈黙のまなざし」は抽象的にしか表現し得ない神の「神秘」を、そして19番「我は眠っているが、私の魂はめざめている」では神の「愛」と三つの違った側面を描いていて、どれもちょっと抽象的なアングルから捕らえているのがまたバランスが良いと思うのです。ということで私にとってはこの3曲は揺るぎなきセットです(ついでながらセンターピースの18番の冒頭と最後がシンメトリーになってるのもちょうどいい)。
ということでいつかこの3曲も自分の演奏でお届けしたいのですがリンクはもちろんamazonから。このJoanna MacGregorってピアニスト、以前こっちで行った友人のコンサートで友人に紹介してもらってちょっとだけお話したのですがこの人も10番が一番難しいって言ってました。手もそんなに大きくなさそうでしたしやっぱ大変だよなー。
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