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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「only」という言葉
買ってしまったー!

CD新しく2枚買いました。ストラヴィンスキーの室内楽など小規模でちょっとマイナーな作品の2枚組に、以前「5大フォローアップを怠ってる作曲家」としてあげたシュニトケのピアノ五重奏曲・ピアノ四重奏曲・弦楽三重奏曲。正直シュニトケはもっと冒険してもよかったかなー。普通に自分が好きなシュニトケが手元に加わって嬉しいんだけどもっと「何これ-」と驚くようなものにも出会いたかったかも。頑張らなければ。
ストラヴィンスキーは様々な編成の様々な曲(ストラヴィンスキーって作風も多彩なんですよね)が色々入っててなんだか一回ざっと聴いただけだと情報過多(汗)とりあえずどの曲がどんな楽器編成かから調べなければ・・・

CDを買ったのはもちろんなのがメインの買い物は世界地図。
ちょっと前に見たら日本語(日本で買った?)のも英語(学校で使った)のもユーゴスラビアとか書いてあってこりゃいけないと思って新しくしました。The Timesのリファレンス版です。ちなみに妹が誕生日プレゼントにと払ってくれました。
地図の見やすさはもちろん、地理情報や衛星写真、都市地図など情報が色々入っててオーバーな気もしますがこれで向こう10年使えそう。
インターネットでスクロールしたりズームしたりするのとはまた違うニーズがあるのです。あと地図が好きなのもあります。

さて、タイトルについては今日ちょっと考えてたことで。
うちには父が昔買ったマーチン・ガードナーのパズルの本があるのですが(うちにあるのは英語なのですが日本語の本も日本に置いてあったので好きなんだろうな)、その中にあったパズルをふと思い出して。
ネットでどこかにあるかなーと思ったらこのページの中程しか見つからなかったのですが、要するにこの文のどこにonlyという言葉を入れても文章が成り立つけどどこに入れるかによって文章の意味が変わる、と。

だから仕事でonlyという言葉を使う時は(文章の種類にもよりますが多くはないですが)その位置と使い方には気をつけるようにしています。もちろんonlyに限ったことじゃないのですが、割と一文が長くなるようなフォーマットの文章を書くことも多いので、文章を口の中で読んでみて違う意味になってないようにチェックするのは大事。

ただ自分が「only」という言葉を使うのはピアノの時が多いです。ついでながら「20のまなざし」を弾いてるときはものすごく多いような気がします。
例えば「20のまなざし」の20番とか10番とかとにかく音量がでかいのがほとんどを占める曲で、fとffとfffの部分が色々入り交じってると「fのところはそんなにめいっぱいの音量で弾いちゃいけない」ということになるわけで。そういう時にリマインダとして楽譜にfの前に「only」という言葉を書いておくと「ここはあくまでfだけにとどめておきなさい」というメッセージが自分に伝わる、というシステム。

逆に弱音でpやppやppp、さらにはたまにppppまであるような曲だと(これも20のまなざしにもあります)、pをあんまり弱く弾きすぎるとppとかpppとかが効果が出せなくなる、というかものすごく苦しくなる。ピアノの弱音って限られてますからね。そういう時にpの横にonlyって書いておくとそこそこな音量で弾いてそこから音量を小さくしていける。
(ただ同じ曲で音量の振れ幅がものすごいとそこはそんなに小さくないという「only p」とそこは弱音だよという「only p」が共存しちゃうこともあるのか)

引き続き20のまなざしで「only」を強弱につけて自分でおかしいよなーと思ったのが第20番「愛の教会のまなざし」の最後の方で強弱が「fff」とあるところにonlyをつけたこと。
曲の最後、そして曲集の最後にあたるここはもうメシアンの信仰的な愛が溢れてファイナルの爆発するところなのですが、ずっと音量MAXで弾いてるとしんどいしつまらないので楽譜に書いてあるffとfffとffffを弾き分けなくちゃならない。
そんな中でこの「only fff」というのがffでもなくffffでもなく、両側にマージンを残して(ついでにここまでたどり着くまでにスタミナも調整して)程よい音量で弾けよ、というセルフ無茶ぶり。

ちょうど今大学出てから弾き始めたようなまなざし(大音量の部分が多いやつが多い)でそういう強弱プランニング、曲の中だけじゃなくて20曲全部も視野に入れて必要になってくる時期で。
西洋のクラシック音楽(現代の記譜法)だと楽譜に書いてあるのはあくまでも相対的な、数段階の目安レベルとなってて、作曲家によっても曲によっても周りの音によっても、はたまた奏者によっても演奏のシチュエーションによっても色々変わるもの。

20のまなざしは全体で音量の幅が広くて、強弱の偏りも著しいとなかなかプランニングが大変で、自分は特に体格の関係から大音量方面のリミットも厳しく。
そのなかでどう演奏していくか、これからの課題ですね。

こないだ楽譜買った2曲(ラフマニノフのピアノソナタ第1番とワーグナーの愛の死)もその課題は結構共通してるのでメシアン以外の音楽を久しぶりに初見がてら感覚をリフレッシュさせるのもいいんじゃないかと思いますがまだまだ手元のまなざしで手一杯。
しかも明日から週末旅行なのでまた数日練習休み。とりあえず今週末は楽しんできます。

そういえば昨日CD買ったのに前買ったCD紹介してなかった。ということで今日の一曲で。


今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「ロッシニアーナ」より第2楽章「嘆きの歌」



こないだ買ったCD。ちなみにQ2 Musicのクラウドファンディングで来たCDはなかなかピンとくる曲がないので悩み中。ただMeet the Composersシリーズはすごく楽しんでます。

レスピーギ、私はとってもすきな作曲家なのですが、レスピーギ好きって巷にあんまり居ないんですよね。クラシック好きでない人はまず知らない作曲家で、クラシック好きにとっては深さと聴き応えに欠ける、みたいな印象を持たれてるイメージ。ちょうど間のpitにすとーんと落っこってる。

そんなわけで有名なローマ三部作(特に「ローマの松」)意外の作品となるとなかなか聴く機会がない。ただそういうレスピーギのちょっと知られない作品、小規模作品(三部作もそんなに長くないですが)が多くて、ちょっと幸せになる魅力がある曲も色々あります。「ボッティチェッリの三枚の絵」とか「鳥たち」とか大好き。

今回買った「ロッシニアーナ」は以前紹介した「風変わりな店」と同じく同じイタリア出身の作曲家ロッシーニの作品をアレンジしたもの。「風変わりな店」はバレエ・リュスが演じたそうで。「ロッシニアーナ」はバレエではないのですがバレエにも合う曲ということでバレエに後年仕立てられたそう。

CDを買ってこの曲を初めて聴いた時「これはすごい!(笑)」と思ったのがこの第2楽章。何が笑うほどすごかったかというとそのイタリアの悲しみ&宗教的キャラクターがどーんと現れててこれがイタリアか!と笑っちゃいました。
何に似てるって去年聴いたヴェルディのStabat Materに似てるんですよね。悲しみの表現とか弦の使い方とかハープのアルペジオとか。

独特で面白いなと思ったのが冒頭の銅鑼の使い方。多分遠ーーーーくから聞こえる教会の鐘の音を表現してるんだと思います。レスピーギはイタリアの印象派と思ってますが、こういう描くような楽器の使い方は思わずにやりとしちゃう。というか銅鑼がこんなにたくさん音を出すのってすごく珍しいんじゃないかな。

さらにこの曲集、第4楽章がタランテラになってます。レスピーギもロッシーニもイタリアはイタリアでもタランテラのホームの南イタリアの出身ではないのですが、「純血(Puro Sangue)」とタイトルがつけられてるのが気になるところ。クラシックで聴くタランテラとちょっと感じがちがうけど本場のタランテラってこういうものなのか、はたまた(ジャケットで何やら説明がありましたが)別物なのか。

リンクした手持ちの録音(西ラリアのオケ初めてだった)には他にも「ローマの松」(やっぱり大好き!)、異色の「ブラジルの印象」も収録されてますが、「教会のステンドグラス」がまだ手に入らない!ということでレスピーギの作品を求める旅はまだまだ続く。

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