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最近ちょっとずつバレエ調子良いです。先生曰くもう数週間で一つ上のクラスに移っても大丈夫かもと。ただもう数週間したら日本に3週間行く予定もあるのでタイミング難しいところ。
あと今までの成長は子供のころやってたのの感覚を取り戻した分なのでここから伸び悩む可能性も大ありなので心して続けなければ。
そんなわけでバレエを始めてから音楽、特にバレエ音楽の見方もちょっと変わった気がします。
元々「踊り」の性質がある音楽が好きでバレエでない音楽も体の動きとかをなんとなく意識したりもしてたのですが、最近それがもっとはっきりしてきたような。
踊りや振り付け、衣装やセット、舞台などいろいろな要素が見えてきた感じです。
そういう背景もあって久しぶりにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を仕事のときに通して聴いてみました。個々の曲は聴くのですが通しては何年ぶりか。ユースオケ時代に2回もやってるんでそんなにもう積極的に聴かないんですけどね。
でもやっぱ改めて(間をおいて久しぶりに)聴いてみるといい音楽ですね。オーボエのソロなんて全部美しくて好きですし、第2幕のグラン・パ・ドゥ・ドゥのチェロソロももう天国ですし。要所要所での音楽描写の鮮やかさも愛せずには居られない。
ただ思ったのですが第1幕長え!手持ちの録音(ボストン交響楽団、小澤征爾指揮)だと1時間近く第1幕が続くんですよ。しかも第1楽章はまだ白鳥一羽も出てきませんからね!
ただひたすら人間が王子の誕生日を祝って踊ってるだけ。最初のメインのワルツも7分くらいあるようですし、物語の進行としても音楽的な面白さとしてもとにかくだるかった。レディーを待たせるにも程がありますぜ。
(多分ユースでやったときは数曲カットしてるはず)
なかなかそこがバレエを考えるにおいてちょっとforeignなところなんですよね。
物語とは関係ないキャラクターがいっぱい出てきてそこそこの尺を取って踊っていく、というのは純粋に物語という視点から見ると理解しがたいし、聴覚のみ・時間的な媒体である音楽でもなかなか難しい。オペラとも大分感覚違うような気もします。
でもバレエの場合そういうのがなかったら味気なくなっちゃうのかなあ。
「白鳥の湖」はそういう踊りに対する物語・音楽の無駄みたいのを感じちゃうのですが(大体白鳥の湖でいい曲ってほとんど物語がちゃんと進んでるところなんですよね)、例えば「くるみ割り人形」とかプロコフィエフのロミジュリとか、その無駄を感じない作品ももちろんあり。
あとバレエで面白いと想うのがプロダクションによって(比較的物語で重要でない)曲が違うところで使われてたり順番が変わったりしてること。音楽の性格によって振り付けの性質も変わるし、ストーリーやキャラクターの印象もちょっと変わったり。例えば白鳥の湖の場合、第3幕の黒鳥オディールの有名な32回転の音楽は手持ちの録音とユースオケでやったときで違う曲を使ってます(順番が違う)。
前述「無駄が少なく思える作品」ではでもこういうのって少ない印象。各曲のストーリーでの役割が固定しているというか。
それからバレエの振り付けと音楽の性質の関係にも以前より思いを馳せるようになりました。
そもそものきっかけがアドルフ・アダンの「ジゼル」でジゼルの狂乱の踊りの音楽が全然狂乱してないという話で。(ビオラのソロがあるのは嬉しいですが)そういう意味ではくるみ割りや白鳥の湖(ドラマチックな部分)やロミジュリや春の祭典などが聴いてて&見てて満足感がある。
もちろんそこは振り付け師のお仕事にも色々左右されるところなのですが。
そこはまあバレエという芸術の性質がその後の時代で変わったというのもあり、音楽の方の進化もあったのですが。この2つの媒体に限らずですが二つの分野がぴったり合った時の1+1が10にも100にもなる感覚って素晴らしいです。そう考えるとストラヴィンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な音楽とニジンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な振り付けが作りだした「春の祭典」はものすごい化学反応だったんだな。
(決してそれを「奇跡」と言いたくないのはバレエ・リュスそのものがそういう化学反応を起こすような場所としてしっかり存在・機能してたから)
あとバレエに関して興味深いと思うのがシンボルの使い方。
例えばバレエの振り付けの中で特定のジェスチャーが特定の言葉などを意味してたり、音楽でもライトモチーフというか特定の状況やキャラクターを表すフレーズを使ったり(もちろんバレエに限った話ではないですが)、衣装も伝統的に特定の要素を特定のキャラクターなどに使ったり(白鳥たちの頭飾りとか、火の鳥の赤とか、ジゼルのウィリ達の衣装とか、あと主役級と他の人達との違いとか)。
もちろん踊りも美しく見せなくちゃいけないしオリジナリティも出さなきゃいけないけれど、とにかく限られた表現の中で物語や感情、情景を最大に伝えることが大切だからこそのシンボルの使い方で。
そうやって複数の媒体の表現の調和だったりシンボルを使った表現だったり、物語とキャラクターとその他諸々のバランスなどを考え始めるとやっぱり行き着くところはワーグナーの考えてた「総合芸術」の域に入ってくるのだろうかとか、そういうことひっくるめてもっと創作に使えないかとか思考が果てしない旅路に出てしまいそうで今日はここらでストップに。
本当は最近買ったCDの紹介するのにまた聞き直さなきゃいけないのですが、明日は映画「ムーラン・ルージュ」のサントラを通して聴きたいと思います。ミュージカル(映画含む)は今回書いたのとはまた違う音楽とその他要素の相互作用があって考え始めるとそれも面白そう。いかんまた思考が果てしない旅路に。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」より第2幕「情景」(Allegro, Moderato Assai Quasi Andante)
むかーし、というか大学のころバロック時代以降の伝統的なオペラだと話すようなスタイルの「レチタティーヴォ」で物語を進行して、主要登場人物の「アリア」で時を止めて人物の心情を歌い上げる、みたいな風に習ったのですがバレエも似たような構成になってます。曲の性質がはっきり分かれてるわけじゃないのですが「情景(Scene)」と題されてるのが物語りを進める役割で、その他のパ・ドゥ・なんとかとかcharacter piecesとかがアリアに相当する役割になってるはず。
白鳥の湖からはここではそのアリアに相当する役割の、キャラが立った曲を紹介してきたので今回は一つ「情景」をチョイスしてみました。白鳥の湖の第2幕の情景というと幕の最初の情景が超有名なのですが、もうちょっと物語を進めて第2幕の(手持ちの録音でいうと)3トラック目に。
ジークフリート王子たちが湖に白鳥を狩りに来たら白鳥たちが人間になってびっくり、さらにその元・人間たちを白鳥に変えた魔法使いまで現れてさらにびっくり。3曲目はその魔法使いを追い払ったところで白鳥娘たちが集まり、その中で王子とオデットが言葉を交わし恋に落ちて呪いを解く誓いをする的な場面。ただしプロダクションによりタイミングは変わります。
曲の最初で白鳥娘たちが集まるところの「集まる感」だったり、高貴な感じのパッセージが軽めのタッチで繰り返されるところといい、繰り返しが幾何学的なテイストがあって面白かったり、ただの情景描写でなく動きがあって表現が細やかで。
でもこの曲のハイライトは後半。ピチカートに乗せられた憂いを帯びたオーボエのソロ、そしてクラリネットのソロからのドラマチックなクライマックス、さらに静かで悲しげなエンディング。
オーボエのソロのまるでバレエのステップや動きを模したような、ため息のようなフレージングがたまらない!世の中にこんなにも繊細な音楽があるのか!と心を鷲掴まれます。
オーボエに関してはほんと白鳥の湖はすごい。白鳥といえばオーボエ、オーボエといえば白鳥といっても過言じゃないです。最初の最初からとにかくソロが多いし、それが本当に美しいソロばかりで。今回のこの曲は比較的小さいソロですが、それでも聴きごたえがあるソロです。
オーボエ=アヒルみたいな音と思ってる人も多いかもしれませんができればバレエ全体を聴いてオーボエの美しい音で無双されちゃってください(笑)最高峰です、本当に。
リンクは手持ち。DVDも欲しいんだけどどこのがいいかなーと悩み中。マシュー・ボーンみたいな変わったやつも面白そうなんだけど。ただそもそもバレエのDVD一つ持つなら白鳥の湖じゃないかもしれない。せっかくジョン・ノイマイヤーまで線が繋がったし。
あと今までの成長は子供のころやってたのの感覚を取り戻した分なのでここから伸び悩む可能性も大ありなので心して続けなければ。
そんなわけでバレエを始めてから音楽、特にバレエ音楽の見方もちょっと変わった気がします。
元々「踊り」の性質がある音楽が好きでバレエでない音楽も体の動きとかをなんとなく意識したりもしてたのですが、最近それがもっとはっきりしてきたような。
踊りや振り付け、衣装やセット、舞台などいろいろな要素が見えてきた感じです。
そういう背景もあって久しぶりにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を仕事のときに通して聴いてみました。個々の曲は聴くのですが通しては何年ぶりか。ユースオケ時代に2回もやってるんでそんなにもう積極的に聴かないんですけどね。
でもやっぱ改めて(間をおいて久しぶりに)聴いてみるといい音楽ですね。オーボエのソロなんて全部美しくて好きですし、第2幕のグラン・パ・ドゥ・ドゥのチェロソロももう天国ですし。要所要所での音楽描写の鮮やかさも愛せずには居られない。
ただ思ったのですが第1幕長え!手持ちの録音(ボストン交響楽団、小澤征爾指揮)だと1時間近く第1幕が続くんですよ。しかも第1楽章はまだ白鳥一羽も出てきませんからね!
ただひたすら人間が王子の誕生日を祝って踊ってるだけ。最初のメインのワルツも7分くらいあるようですし、物語の進行としても音楽的な面白さとしてもとにかくだるかった。レディーを待たせるにも程がありますぜ。
(多分ユースでやったときは数曲カットしてるはず)
なかなかそこがバレエを考えるにおいてちょっとforeignなところなんですよね。
物語とは関係ないキャラクターがいっぱい出てきてそこそこの尺を取って踊っていく、というのは純粋に物語という視点から見ると理解しがたいし、聴覚のみ・時間的な媒体である音楽でもなかなか難しい。オペラとも大分感覚違うような気もします。
でもバレエの場合そういうのがなかったら味気なくなっちゃうのかなあ。
「白鳥の湖」はそういう踊りに対する物語・音楽の無駄みたいのを感じちゃうのですが(大体白鳥の湖でいい曲ってほとんど物語がちゃんと進んでるところなんですよね)、例えば「くるみ割り人形」とかプロコフィエフのロミジュリとか、その無駄を感じない作品ももちろんあり。
あとバレエで面白いと想うのがプロダクションによって(比較的物語で重要でない)曲が違うところで使われてたり順番が変わったりしてること。音楽の性格によって振り付けの性質も変わるし、ストーリーやキャラクターの印象もちょっと変わったり。例えば白鳥の湖の場合、第3幕の黒鳥オディールの有名な32回転の音楽は手持ちの録音とユースオケでやったときで違う曲を使ってます(順番が違う)。
前述「無駄が少なく思える作品」ではでもこういうのって少ない印象。各曲のストーリーでの役割が固定しているというか。
それからバレエの振り付けと音楽の性質の関係にも以前より思いを馳せるようになりました。
そもそものきっかけがアドルフ・アダンの「ジゼル」でジゼルの狂乱の踊りの音楽が全然狂乱してないという話で。(ビオラのソロがあるのは嬉しいですが)そういう意味ではくるみ割りや白鳥の湖(ドラマチックな部分)やロミジュリや春の祭典などが聴いてて&見てて満足感がある。
もちろんそこは振り付け師のお仕事にも色々左右されるところなのですが。
そこはまあバレエという芸術の性質がその後の時代で変わったというのもあり、音楽の方の進化もあったのですが。この2つの媒体に限らずですが二つの分野がぴったり合った時の1+1が10にも100にもなる感覚って素晴らしいです。そう考えるとストラヴィンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な音楽とニジンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な振り付けが作りだした「春の祭典」はものすごい化学反応だったんだな。
(決してそれを「奇跡」と言いたくないのはバレエ・リュスそのものがそういう化学反応を起こすような場所としてしっかり存在・機能してたから)
あとバレエに関して興味深いと思うのがシンボルの使い方。
例えばバレエの振り付けの中で特定のジェスチャーが特定の言葉などを意味してたり、音楽でもライトモチーフというか特定の状況やキャラクターを表すフレーズを使ったり(もちろんバレエに限った話ではないですが)、衣装も伝統的に特定の要素を特定のキャラクターなどに使ったり(白鳥たちの頭飾りとか、火の鳥の赤とか、ジゼルのウィリ達の衣装とか、あと主役級と他の人達との違いとか)。
もちろん踊りも美しく見せなくちゃいけないしオリジナリティも出さなきゃいけないけれど、とにかく限られた表現の中で物語や感情、情景を最大に伝えることが大切だからこそのシンボルの使い方で。
そうやって複数の媒体の表現の調和だったりシンボルを使った表現だったり、物語とキャラクターとその他諸々のバランスなどを考え始めるとやっぱり行き着くところはワーグナーの考えてた「総合芸術」の域に入ってくるのだろうかとか、そういうことひっくるめてもっと創作に使えないかとか思考が果てしない旅路に出てしまいそうで今日はここらでストップに。
本当は最近買ったCDの紹介するのにまた聞き直さなきゃいけないのですが、明日は映画「ムーラン・ルージュ」のサントラを通して聴きたいと思います。ミュージカル(映画含む)は今回書いたのとはまた違う音楽とその他要素の相互作用があって考え始めるとそれも面白そう。いかんまた思考が果てしない旅路に。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」より第2幕「情景」(Allegro, Moderato Assai Quasi Andante)
むかーし、というか大学のころバロック時代以降の伝統的なオペラだと話すようなスタイルの「レチタティーヴォ」で物語を進行して、主要登場人物の「アリア」で時を止めて人物の心情を歌い上げる、みたいな風に習ったのですがバレエも似たような構成になってます。曲の性質がはっきり分かれてるわけじゃないのですが「情景(Scene)」と題されてるのが物語りを進める役割で、その他のパ・ドゥ・なんとかとかcharacter piecesとかがアリアに相当する役割になってるはず。
白鳥の湖からはここではそのアリアに相当する役割の、キャラが立った曲を紹介してきたので今回は一つ「情景」をチョイスしてみました。白鳥の湖の第2幕の情景というと幕の最初の情景が超有名なのですが、もうちょっと物語を進めて第2幕の(手持ちの録音でいうと)3トラック目に。
ジークフリート王子たちが湖に白鳥を狩りに来たら白鳥たちが人間になってびっくり、さらにその元・人間たちを白鳥に変えた魔法使いまで現れてさらにびっくり。3曲目はその魔法使いを追い払ったところで白鳥娘たちが集まり、その中で王子とオデットが言葉を交わし恋に落ちて呪いを解く誓いをする的な場面。ただしプロダクションによりタイミングは変わります。
曲の最初で白鳥娘たちが集まるところの「集まる感」だったり、高貴な感じのパッセージが軽めのタッチで繰り返されるところといい、繰り返しが幾何学的なテイストがあって面白かったり、ただの情景描写でなく動きがあって表現が細やかで。
でもこの曲のハイライトは後半。ピチカートに乗せられた憂いを帯びたオーボエのソロ、そしてクラリネットのソロからのドラマチックなクライマックス、さらに静かで悲しげなエンディング。
オーボエのソロのまるでバレエのステップや動きを模したような、ため息のようなフレージングがたまらない!世の中にこんなにも繊細な音楽があるのか!と心を鷲掴まれます。
オーボエに関してはほんと白鳥の湖はすごい。白鳥といえばオーボエ、オーボエといえば白鳥といっても過言じゃないです。最初の最初からとにかくソロが多いし、それが本当に美しいソロばかりで。今回のこの曲は比較的小さいソロですが、それでも聴きごたえがあるソロです。
オーボエ=アヒルみたいな音と思ってる人も多いかもしれませんができればバレエ全体を聴いてオーボエの美しい音で無双されちゃってください(笑)最高峰です、本当に。
リンクは手持ち。DVDも欲しいんだけどどこのがいいかなーと悩み中。マシュー・ボーンみたいな変わったやつも面白そうなんだけど。ただそもそもバレエのDVD一つ持つなら白鳥の湖じゃないかもしれない。せっかくジョン・ノイマイヤーまで線が繋がったし。
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