忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ちょっぴりだけ
いろいろこのごろ考えてたうち、少しだけ。

大学在学中(もちろん音楽です)、自分の創作のために精神医学の勉強を始めたとき。
このストーリーに関しては本当になるべく実際の医学に近づけて、少なくともそのエリアではリアリティをとことん追求したい、と強く思ったので本格的にちゃんと勉強を自分なりにしようと思った、その理由は・・・
なによりも、精神医学に関する知識を、正しく使いたかったからです。

どんな分野でもプロフェッショナル、と呼ばれるのはスキルと知識のレベルからだけではないと思います。
特に法学、医学のエリアでは他人や社会、命までに大きな影響を与えかねない特別な知識を、その「身につけた知識を正しく使える」ことが大きいと思うんです。だから特に先ほどのエリアだと倫理などがものすごーく大切になってくるわけですが。

音楽家としては、そのエリアの知識は大抵自分のために使うもので、どんどんためてどんどん応用できるものなのですが、上記精神医学の勉強を始めたときにその知識の影響の重さをもろに感じて同時にこれだけ重い知識をちゃんと正しく使えるように、そして人のために使えるようになりたいと思うようになったわけで。
(同時に音楽に関してためた知識もその同じ目的に利用できるようになればいいな、と思ったのですがそれはまた別の話。)

インターネットで自己診断してお医者さんにいく人が日本で増えているという話を聞きますが、なんというか情報が誰でもどこでもアクセスできる社会になった弊害の典型的例ですよね。
法律だと意図的に知識を正しく使わない人が多いのに対し、医学の場合は意図せずいろんな人が正しく知識を使っていない、その例が前記の話なのかな、と思います。
誰でも知識にアクセスできる、ということはそれを正しく使わない、使えない、そのことに気づいていない人が本来なら専門のための情報にアクセスできる、というわけで。
知識や情報の「重さ」が減ってきているような気がします。知識にこめられた影響などが軽んじられているような。
倫理などに代表される分厚い底の層の上に浮いている「facts」という名の知識の表層部だけが軽々しく切り売りされているように感じる今日この頃。

最低でも精神医学やメンタルヘルスのエリアでは知識を持つ人よりも知識を正しく使える人になりたいです。
使えるようになるにはもちろん知識がなければいけませんが。
病気や身体についてのことだけでなく、倫理、一人一人の心と真剣に向き合い真剣に考えることなどを含めて自分が持っている知識をフル動員しながらそれを操れるような人間になりたいのです。

ファンタジー作品では「力は使いよう」みたいなテーマがよくありますが、知識や情報も本当にそうであるべきで、もっと認識を持って、丁重にそれらは扱われるべきだと今強く思っています。

(今日の一曲はお休みです。昨日あんなに書いちゃいましたしね)


拍手[0回]

PR
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Comment:
Pass:
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック