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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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静寂が「聞こえる」音楽コレクション
しばらくチェックしてなかったのですが過去のエントリーに拍手ありがとうございます。
あんまり昔のだとやっぱ恥ずかしいには恥ずかしいのですがまあそれも仕方がないし拍手いただけるのは嬉しいです。

さてまたしばらく書くことに詰まってたので一時帰国でまたじっくり書けなくなる前に暖めてたネタを昨日詰めてみました。
音楽というのはその字の通り「音」を楽しむものですが、音がない部分もものすごく大切だと常日頃思っています。自分はリズムや和音にフェチな面がありますが、よくよく考えてみると無音の部分に対しても同じくらい思い入れがあるかも。

ということで今回は無音が音と同じくらい、時には音よりも強く語り響く曲を紹介して音がない部分にちょっと焦点を当ててみたいと思います。
(ちなみに今回直前に弾かれた音の余韻が続くところやかすかな音が続いてる部分とかを除いて曲を選ぶのが意外と大変でした。全くの無音ってほんと特別でちゃんとそれ特有のエフェクトと意味があるんですね)

(1)ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン ピアノソナタ第3番 op. 2-3 第1楽章
この曲に限らずなのですがベートーヴェンのピアノソナタにおける休符・無音の部分って聴衆をサスペンスな状態にするというよりは意表を突いた諸々に対するリアクションをチェックするというか。そこから転じて聴衆と無言のやりとり、様々なコミュニケーションがあるような、曲に限らない意味がある気がします。特にこのソナタの第1楽章はあの手この手で聴衆を驚かせたりしてくる、ちょっと漫才的なエレメントがあるかも。

(2)ジョージ・クラム 「鯨の声」より「海のノクターン(時の終わりのための)」
「鯨の声」の最後の楽章ですが、この最後の最後で同じフレーズを繰り返しだんだん遠くかすかになっていくのですが、最後の繰り返しはなんと奏者は音を出さずに繰り返す、みたいなことになっていて。究極のマニュアルフェードアウト。この場合物理的には無音なのですが、音楽はしっかり確かに存在している不思議。言葉で表現するのもなんだかもったいない1小節です。

(3)ヘンリー・パーセル 「メアリー女王の葬送ための音楽」
タイトルでこの曲が葬送音楽だと分かるからってのもありますし、相当緊張するドラムソロだってのもありますが、それ以上にこの最初のドラムのソロの音の間の静寂の緊張とか重さがすごい。厳粛。物々しい。普通に居てもしゃべったり音立てたりしちゃ絶対いけないやつってすぐ分かる。それだけこの曲のドラムの音と無音の部分だけで周りの空気ができあがってるってことかな。

(4)セルゲイ・プロコフィエフ 「ロミオとジュリエット」より「ロミオがマキューシオの敵を討つ」の場面
この場面がチェロとコントラバスの不穏なアルペジオで始まるその正に一瞬前の静寂。管楽器はもちろんですが弦楽器はじめ息で音を出さない楽器もこういうスタートの時は揃って息を吸うものです(そういう息使いで奏者同士コミュニケーションすることがアンサンブルでは大事)。その息を吸う一瞬、空気がぎゅっと凝縮するのがたまらない。他にわかりやすい例はシベリウスの「フィンランディア」とか。

(5)フランツ・リスト ピアノソナタ
演奏される音も言葉にできない多くを語りますが、ところどころに現れる静寂もまた深くを語り。また曲の冒頭の話になりますが、このソナタがロ短調であるのに最初の音が(そのロ短調のメインの和音には入ってない)「ソ」の音だけを短く、ぽつぽつと奏でるのがたまらない。ここから何が語られるのか全く想像も付かないオープニング。そこから後も特徴的なパッセージの前の意味深な無音が音の深さを際立たせるようで。やっぱり聴くなら休符を大事にする演奏がいいよなあ。

(6)バルトーク・ベーラ 管弦楽のための協奏曲 第3楽章「悲歌」
バルトークのスローな楽章全般での休符や静寂ってただ深く暗いだけじゃなくて何が出てくるかわからない不気味さが大好きです。周りの音の余韻みたいなものがそうしてるんだろうな。音と休符で作る絶妙のアンビエント。そして静寂のあとにとんでもない化け物的な音楽が出てきて驚かされるのも好き。この第3楽章のビオラのセクションソロなんてその素晴らしい例だと思います。

(7)トーマス・アデス 「Arcadiana」 第5楽章「L’Embarquement」
楽器の音の性質とか響きの長さとかがそれぞれ違う関係で休符の使い方っても楽器によって違ってくるんですよね。この「Arcadiana」の第5楽章でのまるで繊維を編むような繊細な音の交差のその間に同じく編み込まれる線の細い休符の綾の美しさは弦楽四重奏ならでは。音と無音、どちらも存在して成り立つ模様です。実際休符にフォーカスして聴いてみると面白いです。ちょっと難しいですけど。

(8)オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19番「我眠る、されど我が魂は目覚め」
自分で弾いていてほんと休符の大切さを感じる曲です。とにかくフレーズの間に無音の部分が多く、まるで意識が眠り深くに潜ってしまったようでもあり、はたまた愛の深さに言葉が消えるような。休符の長さが変わることでニュアンスも表現も変わる、正に無音部分の表現が求められる曲です。音にも愛を込めたいですが休符にも同じくらい愛を込めたい。

(9)グスタフ・マーラー 交響曲第7番 第3楽章
一つ前のメシアンでも休符の長さが(ほとんどの場合)拍数でちゃんと決めてあってその長さが大事なのですがこのマーラーでもそう。スコア見てみるとわかるのですがかなりきっちり決まってる(なので前も書いたのですがあんまり速く弾くと休符の長さにも影響が)。このスケルツォでも無音でのサスペンスが大事なのですが、その緊張の度合いがこの曲を形作ってるようなところもあり。静寂部分をとことんまで楽しむにもってこいの曲です。

(10)ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第11楽章「結び」
ショスタコの晩期の音楽がとにかく好きなのですが、その頃のショスタコの無音の使い方もまた特別なものがあると思います。話をしていてふと言葉が途切れてどこか意識が別のところに行くような休符もあり(ビオラソナタとか)、ごく少ない楽器を使いながら挟む休符とか、色々あるのですが共通しているのがその音がなくなったときの「無」の感覚。全くの虚空のようで、例えば前述バルトークとは違った怖さもあり、透明な清々しさもあり。特にこの第11楽章のように乾いた打楽器の音の向こうの静寂はもう何もない感がすごいです。

ということで無音・休符・静寂に絞って10曲選んでみました。
聴くときにそこに改めて耳を傾けてみるのも新鮮で色々テンションがあがりますが、なにより自分がせっかちな奏者なので弾くときももっと大事にしていかないとと思います。
そして毎回ながら20世紀以降の音楽での静寂の使い方って面白いものがいっぱいあるようなのでこれから色々聴き広げてくうちで素晴らしい音だけじゃなく素晴らしい静寂にも出会えるのが楽しみです。


今日の一曲はお休み。

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