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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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診断について思うこと
今日はピアノにおいてずいぶんと頭が心についていけずまあ大変な、でもまあ面白いことになっていたのですが・・・
メンタルヘルスのことをちゃんと文にできるかはわかりませんがなんとかトライしてみます。

今年で罹患10周年、みたいなことをこのブログでも言ってきましたが、実際問題いつから鬱になったかというのは誰にも解りません。それはまあもちろんそうなのですが、いつ「鬱」という診断を受けたのかもまたあやふやで。

そもそもそのころの自分の状態に関する記憶がずいぶんとあやふやで、「うつの可能性がある」と臨床心理士に言われたのは覚えてるんですけど・・・
まあ診断されたところで状態が変わるわけでもないのですが。

診断、というのはある病気を他の病気から識別し、それによって治療の必要性と方向性を決めるプロセス。
症状を和らげ、回復するためにどんな治療を施したらいいのか決めるために重要です。
精神疾患では患者さんの話を聞いたり、実際に患者さんの様子を見たり、周りの人から徴候を聞いたり、症状のチェックリストや評価基準を用いてどんな病気かを診断します。なので主に自覚的なことを元にするのが他の病気との主な違いです。

前に話した気がしてたまらないんですが、その主観に頼らざるを得ないことからくる難しさの上に精神疾患は病名が違っても似通った症状を持つものが多く、さらに同じ症状がいろんな病気に表れたり、病状が変わると共に病気の種類も変わったり、複数の病気が併存する場合も多いので診断はものすごく難しいんです。
でも正確な診断をしないと、例えば単極のうつと双極性障害では治療を間違えると病状を悪化させかねません。
診断が難しい=自己診断の危険も高いということを追記しておきます。

うつと診断を出したところで、個人や、サブタイプによる症状の違いなどによって治療も変わります。
なのでそれに対応するためにここ数年で日本では「新しいうつの種類」が出てきているらしいのですが。
正直なところその乱立には治療での融通のきかなさが関わっていると思います。どれだけ個人に対応する柔軟な、そして患者さんの状態や心に寄り添った治療ができてないか、ということですね。
脳もいろいろ、性格も色々なのでもちろん表れる症状もそれらの人との関わり方もいろいろなので細かく区分していたらきりがありませんから。

診断はあくまでも回復への第一歩目、のはずです。
病気を特定したあとは患者さん個人に目を向けて、治療方法を共に探り、医師・患者・周りの人の協力で治療を進めていかなければなりません。病名がわかったからといって治療が決まったわけでも治るとわかったわけでもないです。

特に「従来の型にはまらない」鬱などの場合、「Lila」の主人公、Phaedrusの言葉を借りると患者さんはいわゆる「カモノハシ」状態(つまりどこにもあてはまらないこと。精神疾患を抱える人もある種のカモノハシではあるので以後の文に当てはめていただきたいです)で、そういったカモノハシに対して(特に日本やオーストラリアでも田舎の方では)社会の風当たりが強いが故に「診断」を受けて病名が決まったところでその「分類」に落ち着いてしまうのかな~と私は考えています。
病名は避難所ではなく、これから進んでいくためのあくまでもヒントであり方角を示しているにすぎない、という認識がもっと広まるといいのですが。

精神疾患のばあい、病名よりは実際に患者さんに表れている症状それぞれの方が役立つ場合もあります。もちろん症状を治療したところで病気が治るわけではありませんが、でもある程度診断というものにとらわれないでもっと症状とその現れ方に目を向けると患者さんの人となりや、その人にとっての病気の性質が見えてくるのではないか、と過去の経験から思います。

もしも診断が間違っていた場合。
それは必ずしも医者の不手際を示すものではありません。
患者さんが症状を訴えるのがうまく自分でも表現できてなかったり、医者に伝わっていなかったり、それにどうしてもやっぱりお医者さんも他人なのでちょっと・・・その、ごまかしたり、隠したり、強がったり。そういうのもあるじゃないですか(自分自身いまでもたまに・・・なるべく正直にとは心がけていますが)。あといざとなるとどう説明して良いかわからなかったり。そういった理由でも患者さんが悪いとは限りません。
そこは医師も患者も人間です。人間の心を取り扱っているのでいつも理想の形でパーフェクトな所見が下せるとは限らないのです。

先ほども説明したように診断の難しさもあります。そして病気の評価に用いる尺度などにももちろん限界があります。DSMだって万能じゃないですし、今現在だって新版を作るのに多くの人がうーんと悩んでいます。
実際に「こんなテストで何が解るんだ」という声もよく聞きますがはっきり言わせてもらいます。
「じゃああなたはこれ以上正確に診断できるものを作れるんですか?」
もともと数値化できるのか、していいのか解らない「心」という・・・正常も異常も病気も性格も全ての境界があやふやなもの、そしてまだ全然未知な領域である脳の動きをなんとかして分類・診断・評価しようといろんな専門家が頭をひねり、頭を抱え、限界があると知りながら使われているのが今ある尺度で。
最近脳波などが診断に使われるかも?というニュースが入ってきていますが、本当に一刻も早く診断の助けになる、違った形の手段が使われるようになるといいと願っています。

私の診断に関して話を一つ。
私は最初単極性の鬱だといわれていましたが、何年かたってこれは双極性障害のII型、つまり鬱がほとんどでたまに躁までとはいかなくとも「軽躁」と呼ばれる状態になる病気なのではないかと。
ある意味この診断は自分の全ての見方をひっくり返しました。
だって「調子がいいかも」と思ってかなり調子がいい(笑)と思ったときは正常になったんじゃなくて、また違うタイプの異常になってた、ってことなので。
心はそれだけじゃあさすがに折れませんでしたが(もっと心が折れることを経験してきたので)、なんかやっぱり残念ですよね。
でも実際それを注意してみてると「調子が良いとき」と「軽躁」は感じが違うことをだんだんと学びました。でもやっぱり「なんかすごく調子がいいぞ」と思ったときにはまず疑ってかかる癖は直りませんね。軽躁だとはいえ、そういう状態はそれはそれでしんどくなりますし、あとで気分が急降下する場合もありますし。そういったコントロールできないムードスウィングに気をつけるのがこの病気の治療ですから。
まあ悲しい話ではありますが、疑ってかかって損だ、と思ったことはありません。ちょっと冷静に考えてみて本当に調子がよかったらそれはそれで嬉しいので。そのときに改めて手放しで喜びます(笑)

そんなこんなで10年ですよ。
で、なにを基準に10年か、という話は別の日にしましょう。これはまたちょっと慎重に話さなくちゃ行けないものなので。
長々と失礼しました。社会的正義感は薄い方なのではと思うのですが、自分が思い入れのあるエリアは集中的に熱弁する人なもので・・・趣味もしかり。
でもこれだけ強く思うからこそ、なんらかの形でメンタルヘルスの道を歩んで行けたらなあ、と思います。


今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39-4



今日初見で弾いていた曲・・・というか大学1年の頃に弾いていた曲なのですが。

この「音の絵」作品39番でいうとメジャーどころは3番、5番、そして前に紹介した6番なのですが私が好きなのはこの4番、7番、8番と見事に一つもかぶってません。ビンゴにしたら散々な成績です。
まあそれには驚いていないのですが・・・(茨道はいつものことです)

ラフマニノフは偉大な作曲家のみならず世紀のピアノの巨匠でもあったため、アメリカ渡来後ピアニストとして活動するに当たって自分の作品を演奏することも多かったのです。
時代が時代なので音質はあれなのですが、結構今でも彼の演奏の録音はCDで手に入ります。
私が持ってるCDでは彼はこの練習曲集のうちのいくつかを弾いているのですが、なんと!メジャーどころではないはずのこの第4番が入ってるのです!
全曲録音でなく録音したのに入ってるからには何らかの思い入れがあるのではないか・・・と思いたい!

でもまあマイナーな部類に入る理由も分かります。だって練習曲なのに技巧もあんまり駆使してないですし(でなければ大学1年で私が弾けるはずない)、曲想もちょっと地味。さして目立ったところのないような曲なんですが・・・私はむしろその素朴さに惹かれました。
ロシア特有の素朴さ、そして土臭さ、冷たさと熱さの共生・・・authenticityというかそういったものを感じました。

さらに感情的な音楽を書くことで有名なラフマニノフですが、この練習曲に関してはなんというか・・・理系?メカニカル?
メロディーやハーモニーよりもモチーフの展開や追いかけっこ(演奏する側からするとむしろ隠れん坊)によって作られていて、それがなんか楽しくて。

個人的になんですけど、私がこの曲を好きな以上に、どうやらこの曲が私という人間にぴったり合うような感覚を覚えます。上記の理由もそうですが、なによりもこのフィット感が(一番「好き」なのは第8番だとしても)私をこの曲に幾度も導いてくれるんだと思います。
派手な曲はやっぱり私の性に合うもんではどうやらないみたいですから、ね。(と曲にむけてウィンクしてみる)

まったく曲の紹介になってなかった気もしますが、曲の性質上(メカニカル、地味、さしてめだったハイライトもなし)あまり言葉にできるものではないので・・・ちょっとでも気になった方は、そしてなによりも彼の作品(練習曲、前奏曲、なんでも!)を少しでも知っている方にはちょっと耳を傾けてほしい一曲です。
作曲家本人の演奏をリンクしておきましたので、ぜひ彼の演奏で。

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