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自分の行動におけるピアノの比重をもうちょっと大きくしたい欲が出てきた今日この頃。
とりあえず当面の目標は:
1)7月中に先生にレッスンをしてもらう(ラヴェルのソナチネ、もしかしたらメシアンのまなざし第15番、プロコフィエフのリゴードン(op.12から)、あわよくばリゲティの練習曲第11番(En Suspens)あたりも?)
2)8月に新しいラヴェルを初めて冬曲をレパートリーに入れる
3)メシアンの「鳥のカタログ」第3巻とリゲティの練習曲第1巻を誕生日プレゼントにもらう
となっています。
もともと弾く曲に関しては(聴く曲と比べても極端に)偏食ですが、大学を卒業してから少しわがままになったような、同時に許容範囲がちょっと広がったような気がします。
大学での課題や演奏することを意識せず曲が選べるようになったので前よりわがままに(=きがねなく現代音楽寄りに)なり好きな曲ばっかり弾いている、というのがあり。そして大学ではみんな課題にバッハの平均律やショパンの練習曲ばっかり弾いていたので在学中はバッハとショパン全般弾く気にならなかったのですが一人でいるとまあトッカータとかフランス組曲なら弾いてもいいかな~という気になったりで。
今は主に新しい曲中心、プラス大学在学中以前に弾いた曲をさらったりしながらやっています。
基本的に初見は苦手ではないですし、今は先ほども言いましたように好きな曲ばっかり弾くので再習得よりは新しく曲を練習するほうが好きですし楽です。むしろ再習得はもともと苦手で。
その理由はというと・・・
弾く曲にはどうも2種類あって。
一つは練習する過程で解釈をじっくり考えてどうやって表現するか、曲に対しての印象や解釈をひとつひとつ計画して、演奏の際に毎回それを再現できるように練習する曲。
もう一つは練習で音とその他楽譜に書かれてることを練習したあと、解釈などはその時の気分で感覚的に、感じたままに表現する曲。
前者には例えばラヴェルの作品やメシアンの「20のまなざし」、後者にはメシアンの「鳥のカタログ」やクラムの「マクロコスモス」があります。
演奏するとなると後者のほうが楽かと思いきや(まあある意味気楽ではありますが)前者はどちらかというと「できる」という確信が持ちやすく、そしてなんといっても後者は再習得がめんどくさい!
その曲を自由にできる、自分の一部のように操れる感覚がどうも忘れられなくて音をさらう練習がものすごくもどかしく感じるんです。音楽と心が呼び合ってるのに指のあたりでコミュニケーションエラーがものすごく起こっている感じ。で、結果指も回ってないのに心に引っ張られ感じたままに弾いてしまって練習にも何にもならないということです。
今の自分が大学時代と比べてピアニストとして総合的にどうなのか、というのはものすごく解らないものなんですが(今度レッスンにいっても先生リアクションが薄いというかわかりにくいというかなにかとわかりにくい人なのでそっちの線からもわからないです)・・・
とりあえずテクニックはまだ劣化したまま、特に左手の指の周りとスタミナはどうにかしなくちゃいけないことはわかっています。
いろいろ気がはやることばっかりなのですが、将来的にどうしても!どうしてもいつでも弾けるようにしたい曲があるのでその長期目標にむかって頑張って行きたいとおもっています。
覚え書き代わりにその「いつでも弾けるようにしたい曲」のリスト:
スクリャービン:練習曲op.42-5
メシアン:「20のまなざし」より第4番、第11番、第12番、第17番
メシアン:「鳥のカタログ」よりモリヒバリ、モリフクロウ、ダイシャクシギ、ニシコウライウグイス
バッハ:トッカータホ短調
ラフマニノフ:練習曲「音の絵」op.39-4, 7, 8
ショスタコーヴィチ:前奏曲とフーガ第16番
ブラームス:2つのラプソディー
ラヴェル:できるだけ多く
プロコフィエフ:悪魔的暗示、アルマンド、ガヴォット
リゲティ:できるもんならできるだけ多く
Koehne:Twilight Rain
武満:雨の木素描II
・・・案外多いですね。こりゃ相当精進しないと。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第3楽章
いやあマーラーはいいですよね~
第1番はどっぷりはまってない方に一番おすすめです♪なんたって母が好きなものですからハズレはないんですよ(笑)
マーラーはシベリウスに「交響曲は世界のように全てを包括してなければいけない」というようなことを説いたのですが、マーラーの交響曲は実に世界そのもの。
自然や、人とその心、時、そういったものが全て詰まってる(公約通り?)・・・彼の音楽を聴くことは他では味わえない素晴らしい類の(人生)経験です。
自然を肌に感じる第1楽章も、力強く花開く第2楽章も、剣をとって巨大な力に果敢に立ち向かう第4楽章も本当にピカイチなのですが今日は第3楽章を。
第3楽章は・・・一言で言えば「円を描いて連なる雨の中の葬送行進」でしょうか。
ヨーロッパの輪唱メロディーで有名な「フレール・ジャック」(ドイツ語:Bruder Martin)のメロディーをまさにいろんな楽器に輪唱させてぐるぐる、というのがメイン。
最初のティンパニの歩みにのるコントラバスのソロはまたレアもので、なかなか難しいらしいですよ(この手のコントラバスソロって音程の不安定さを買われてキャスティングされたのですが最近はみんなぴしっと決めてしまうんですってね)。
その一人の行進にだんだんと楽器が加わって、いつしか暗い服をまとった誰とも付かない集団の行進になって。その無限な暗さと、そしてものすごく・・・無限な感じが不気味な反面ものすごく心が惹かれます。
ただそれだけでなりたってるわけではありません。
この曲の最近気づいた魅力、というのがこの・・・エキゾチックな感覚が至る所にささやかにちりばめられているところ。
ユダヤ風だったり(じっさいはっきりとユダヤ音楽してるところもあります。マーラーはユダヤ系だったそうですし)、スペイン/中東風(スペイン音楽は中東の影響を大きく受けています)だったり、または正体はわからないけれどちょっぴりセクシーでエキゾチックな、どこか非現実的なフレーバーがあって。
それがまた魅惑的で、心をとらえるようで・・・
で、とらえられたら最後フレール・ジャックの渦に飲み込まれて出られなくなっちゃうんですよ。
でもそれさえも快感になっちゃう、地味ーに中毒的な。
最後の方でメロディーが消えて打楽器の影とティンパニの遠ざかる歩みのところまで来ると「終わらないで!」とちょっぴり思ってしまうことうけあいです。
それもこれもでもマーラーの素晴らしいメロディー構築と楽器使いの賜物、ということもあります。
カノンなんでそれぞれの楽器の音もそれが集まるとどうなるかというのもよくわかりやすいです。(あれ、文が迷走気味・・・)
構築的だけれど、ものすごく感情豊かで同時に感覚的で・・・いろんなところに訴えてくるこの曲。
この楽章だけでも結構楽しめますが、マーラー1番まるまる聞くのをお奨めします。
(他の楽章の紹介もまた後ほどします!)
マーラーは個人的には若い人にものすごく聴いて(そして弾いて)もらいたいのですが年代問わずものすごく素晴らしい音楽です。お近づきになって損は決してしないと強く信じています。たとえそれがこの交響曲でなくとも。
マーラー万歳!(といっても表現しきれないほどいまマーラー愛に満ちてます!)
とりあえず当面の目標は:
1)7月中に先生にレッスンをしてもらう(ラヴェルのソナチネ、もしかしたらメシアンのまなざし第15番、プロコフィエフのリゴードン(op.12から)、あわよくばリゲティの練習曲第11番(En Suspens)あたりも?)
2)8月に新しいラヴェルを初めて冬曲をレパートリーに入れる
3)メシアンの「鳥のカタログ」第3巻とリゲティの練習曲第1巻を誕生日プレゼントにもらう
となっています。
もともと弾く曲に関しては(聴く曲と比べても極端に)偏食ですが、大学を卒業してから少しわがままになったような、同時に許容範囲がちょっと広がったような気がします。
大学での課題や演奏することを意識せず曲が選べるようになったので前よりわがままに(=きがねなく現代音楽寄りに)なり好きな曲ばっかり弾いている、というのがあり。そして大学ではみんな課題にバッハの平均律やショパンの練習曲ばっかり弾いていたので在学中はバッハとショパン全般弾く気にならなかったのですが一人でいるとまあトッカータとかフランス組曲なら弾いてもいいかな~という気になったりで。
今は主に新しい曲中心、プラス大学在学中以前に弾いた曲をさらったりしながらやっています。
基本的に初見は苦手ではないですし、今は先ほども言いましたように好きな曲ばっかり弾くので再習得よりは新しく曲を練習するほうが好きですし楽です。むしろ再習得はもともと苦手で。
その理由はというと・・・
弾く曲にはどうも2種類あって。
一つは練習する過程で解釈をじっくり考えてどうやって表現するか、曲に対しての印象や解釈をひとつひとつ計画して、演奏の際に毎回それを再現できるように練習する曲。
もう一つは練習で音とその他楽譜に書かれてることを練習したあと、解釈などはその時の気分で感覚的に、感じたままに表現する曲。
前者には例えばラヴェルの作品やメシアンの「20のまなざし」、後者にはメシアンの「鳥のカタログ」やクラムの「マクロコスモス」があります。
演奏するとなると後者のほうが楽かと思いきや(まあある意味気楽ではありますが)前者はどちらかというと「できる」という確信が持ちやすく、そしてなんといっても後者は再習得がめんどくさい!
その曲を自由にできる、自分の一部のように操れる感覚がどうも忘れられなくて音をさらう練習がものすごくもどかしく感じるんです。音楽と心が呼び合ってるのに指のあたりでコミュニケーションエラーがものすごく起こっている感じ。で、結果指も回ってないのに心に引っ張られ感じたままに弾いてしまって練習にも何にもならないということです。
今の自分が大学時代と比べてピアニストとして総合的にどうなのか、というのはものすごく解らないものなんですが(今度レッスンにいっても先生リアクションが薄いというかわかりにくいというかなにかとわかりにくい人なのでそっちの線からもわからないです)・・・
とりあえずテクニックはまだ劣化したまま、特に左手の指の周りとスタミナはどうにかしなくちゃいけないことはわかっています。
いろいろ気がはやることばっかりなのですが、将来的にどうしても!どうしてもいつでも弾けるようにしたい曲があるのでその長期目標にむかって頑張って行きたいとおもっています。
覚え書き代わりにその「いつでも弾けるようにしたい曲」のリスト:
スクリャービン:練習曲op.42-5
メシアン:「20のまなざし」より第4番、第11番、第12番、第17番
メシアン:「鳥のカタログ」よりモリヒバリ、モリフクロウ、ダイシャクシギ、ニシコウライウグイス
バッハ:トッカータホ短調
ラフマニノフ:練習曲「音の絵」op.39-4, 7, 8
ショスタコーヴィチ:前奏曲とフーガ第16番
ブラームス:2つのラプソディー
ラヴェル:できるだけ多く
プロコフィエフ:悪魔的暗示、アルマンド、ガヴォット
リゲティ:できるもんならできるだけ多く
Koehne:Twilight Rain
武満:雨の木素描II
・・・案外多いですね。こりゃ相当精進しないと。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第3楽章
いやあマーラーはいいですよね~
第1番はどっぷりはまってない方に一番おすすめです♪なんたって母が好きなものですからハズレはないんですよ(笑)
マーラーはシベリウスに「交響曲は世界のように全てを包括してなければいけない」というようなことを説いたのですが、マーラーの交響曲は実に世界そのもの。
自然や、人とその心、時、そういったものが全て詰まってる(公約通り?)・・・彼の音楽を聴くことは他では味わえない素晴らしい類の(人生)経験です。
自然を肌に感じる第1楽章も、力強く花開く第2楽章も、剣をとって巨大な力に果敢に立ち向かう第4楽章も本当にピカイチなのですが今日は第3楽章を。
第3楽章は・・・一言で言えば「円を描いて連なる雨の中の葬送行進」でしょうか。
ヨーロッパの輪唱メロディーで有名な「フレール・ジャック」(ドイツ語:Bruder Martin)のメロディーをまさにいろんな楽器に輪唱させてぐるぐる、というのがメイン。
最初のティンパニの歩みにのるコントラバスのソロはまたレアもので、なかなか難しいらしいですよ(この手のコントラバスソロって音程の不安定さを買われてキャスティングされたのですが最近はみんなぴしっと決めてしまうんですってね)。
その一人の行進にだんだんと楽器が加わって、いつしか暗い服をまとった誰とも付かない集団の行進になって。その無限な暗さと、そしてものすごく・・・無限な感じが不気味な反面ものすごく心が惹かれます。
ただそれだけでなりたってるわけではありません。
この曲の最近気づいた魅力、というのがこの・・・エキゾチックな感覚が至る所にささやかにちりばめられているところ。
ユダヤ風だったり(じっさいはっきりとユダヤ音楽してるところもあります。マーラーはユダヤ系だったそうですし)、スペイン/中東風(スペイン音楽は中東の影響を大きく受けています)だったり、または正体はわからないけれどちょっぴりセクシーでエキゾチックな、どこか非現実的なフレーバーがあって。
それがまた魅惑的で、心をとらえるようで・・・
で、とらえられたら最後フレール・ジャックの渦に飲み込まれて出られなくなっちゃうんですよ。
でもそれさえも快感になっちゃう、地味ーに中毒的な。
最後の方でメロディーが消えて打楽器の影とティンパニの遠ざかる歩みのところまで来ると「終わらないで!」とちょっぴり思ってしまうことうけあいです。
それもこれもでもマーラーの素晴らしいメロディー構築と楽器使いの賜物、ということもあります。
カノンなんでそれぞれの楽器の音もそれが集まるとどうなるかというのもよくわかりやすいです。(あれ、文が迷走気味・・・)
構築的だけれど、ものすごく感情豊かで同時に感覚的で・・・いろんなところに訴えてくるこの曲。
この楽章だけでも結構楽しめますが、マーラー1番まるまる聞くのをお奨めします。
(他の楽章の紹介もまた後ほどします!)
マーラーは個人的には若い人にものすごく聴いて(そして弾いて)もらいたいのですが年代問わずものすごく素晴らしい音楽です。お近づきになって損は決してしないと強く信じています。たとえそれがこの交響曲でなくとも。
マーラー万歳!(といっても表現しきれないほどいまマーラー愛に満ちてます!)
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