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ここ数日風邪やら酸逆流やらで苦しみましたが大分調子が戻ってきました。
一人暮らしで体調崩すとなんかじっとしてるのもつまらないし不便だし、でもとりあえずご飯食べたりする元気と食欲があってよかった。ずっとインドカレー+昨日はコンサート後だったのでレトルトカレーだったのですがスパイスの香りは効きますね。
そして昨日比較的出かけられる状態だったのもありがたかった。なんたって先生のリサイタル。
しかも自分が今弾いてるワーグナー(リスト編曲)を弾くと言われりゃ聞き逃せない。
ちなみにMelbourne Recital CentreのSalonでのリサイタルだったのですが満席でした。小さいとこでちょっと勿体ない気もしますが先生の音を間近で感じられるのはいい。
プログラムはこんな感じでした。
ピアノ:Stephen McIntyre
フランツ・シューベルト ピアノソナタ第18番ト長調 D.894
ロベルト・シューマン 交響的練習曲 op.13
リヒャルト・ワーグナー(ピアノ編曲:フランツ・リスト) 「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」
フランツ・リスト 葬送曲
アンコール: リヒャルト・シュトラウス セレナーデ(ピアノ編曲:ヴァルター・ギーゼキング)
シューベルトは遅い・長い第1楽章もあり先生これ弾くのかーとちょっと驚いたのですがなんか先生が弾くとぴったりな曲でした。天国的というか、ご来光を見るようなイメージがあった第1楽章も先生が弾くと滔々と流れる川をゆったり下っていくようで、そこから第1楽章「先生川を下る」→第2楽章「先生丘に登る」→第3楽章「先生滝を見に行く」→第4楽章「先生街を歩く、そして家路」みたいな先生の長い散歩の一日の風景が頭に浮かんでしまって。多分今後そうしか思えない。
シューマンとかリストとか、かなりシリアスな曲もあって深く尊厳があるピアノの音も聞けたのですが(葬送曲は色んな人が大学時代弾いてましたがやっぱり格がと貫禄が違いますね)、そんな中でも先生の茶目っ気というか、そういうものが見え隠れもして。
その茶目っ気の具合がシューベルトの音楽に特に相性がいい気もします。なかなか自分はそういうことが(音楽に限らず)そんなに得意ではないのですが聴くのはものすごく楽しい。
私も弾いてる曲というのはもちろんワーグナーですが、色々と私の描いてる&弾いてるのとは違う演奏でした。まあ自分を若干がんじがらめにしてる感はありますし改めてもうちょっと自由にしてみてもいいのかなと思いつつ、それでもがんじがらめにしたいところもあり。難しい。
来週月曜にメシアン(20のまなざし、6と10を除いて順にできるだけ)を聴いてもらいに行くのですがその時にはまだまとまらなさそう。その次の機会になんとかならないかな。今毎回弾く度に違うことやってる気がするので。
今回のプログラム、しかも特にアンコールで先生の演奏の流動的な性質が存分に楽しめて、なんかとっても楽しかったです。ものすごーく細部まで精密、というわけじゃないのですが音楽を揺り動かしたりぼかしたり、そういう魅力があって。(先生のシュトラウスの演奏手元に欲しいぞー)なかなか自分のようなレベル・性質の弾き手がそういう演奏に近づくのって難しいですがね。もっと柔軟なピアノ弾きになりたいです。
あと今回元がピアノ曲じゃない曲が2曲ありましたが、私もピアノのレパートリー外に好きな曲が色々あるので編曲レパートリーももうちょっと探ってみたいと思いました。最近どうもワーグナーに落ち着いてしまって。あとここ数年で自分で発掘したレパートリーとかもまたさらったりしないと。先生に驚いてもらうことも嬉しいので。
ただとりあえずまなざしですね。体調回復して望まなければ。
今日の一曲: フランツ・シューベルト ピアノソナタ第18番ト長調 D.894 第1楽章
オーケストラのレパートリーだとマーラーの交響曲第3番で、第1楽章が特に「長っ!!」と思うのですがピアノのレパートリーだとこの曲が正にそういうことで。ソナタ全体で40分とかなかなかでっせ。手持ちのリヒテルの演奏だと第1楽章だけで26分超えとか大変(=メシアンでいうと鳥のカタログのセンターピースと同じくらいってことか)。
ただシューベルトは「未完成」交響曲も完成してたらかなり長くなってたんじゃないか?という感じだったり、他のピアノソナタにもちょこちょこ長い楽章が紛れ込んでたり、色々時間感覚が不思議な作曲家。総じて長い曲を書くわけじゃないんですけどね。何回かここで書いてますが31年の生涯にも関わらずものすごく多作で、さらに晩年(今の私と同じくらいの年!)に明らかな晩年臭もするし、不思議なところは色々あり。
ただ長いからってシューベルトの作品、そしてこのソナタを敬遠するのはあまりにも勿体ないと思います。だって美しいから。他の曲で出会えないような景色があるので。
そして(いつもよりちょっと早い言及ですが)どうしてもリヒテルの天国的な第1楽章をオススメしたくなるんです。先生の弾き方みたいな演奏も好きで楽しく聴けるのですが、全く違うタイプ(ご来光タイプ)のリヒテルの演奏もすごーく特別。
私はまだこの曲は無理かなー。でも弾くとしたらこの第1楽章の「天国的」要素にメシアンやワーグナーとか他のレパートリーで培ったものを活かしたいと思ってます。でもシューベルト弾くならハ短調とかそっちにしたいです(笑)先生に自分のシューベルト聴いて欲しい。また先生とレパートリーの話しようかしらん。
一人暮らしで体調崩すとなんかじっとしてるのもつまらないし不便だし、でもとりあえずご飯食べたりする元気と食欲があってよかった。ずっとインドカレー+昨日はコンサート後だったのでレトルトカレーだったのですがスパイスの香りは効きますね。
そして昨日比較的出かけられる状態だったのもありがたかった。なんたって先生のリサイタル。
しかも自分が今弾いてるワーグナー(リスト編曲)を弾くと言われりゃ聞き逃せない。
ちなみにMelbourne Recital CentreのSalonでのリサイタルだったのですが満席でした。小さいとこでちょっと勿体ない気もしますが先生の音を間近で感じられるのはいい。
プログラムはこんな感じでした。
ピアノ:Stephen McIntyre
フランツ・シューベルト ピアノソナタ第18番ト長調 D.894
ロベルト・シューマン 交響的練習曲 op.13
リヒャルト・ワーグナー(ピアノ編曲:フランツ・リスト) 「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」
フランツ・リスト 葬送曲
アンコール: リヒャルト・シュトラウス セレナーデ(ピアノ編曲:ヴァルター・ギーゼキング)
シューベルトは遅い・長い第1楽章もあり先生これ弾くのかーとちょっと驚いたのですがなんか先生が弾くとぴったりな曲でした。天国的というか、ご来光を見るようなイメージがあった第1楽章も先生が弾くと滔々と流れる川をゆったり下っていくようで、そこから第1楽章「先生川を下る」→第2楽章「先生丘に登る」→第3楽章「先生滝を見に行く」→第4楽章「先生街を歩く、そして家路」みたいな先生の長い散歩の一日の風景が頭に浮かんでしまって。多分今後そうしか思えない。
シューマンとかリストとか、かなりシリアスな曲もあって深く尊厳があるピアノの音も聞けたのですが(葬送曲は色んな人が大学時代弾いてましたがやっぱり格がと貫禄が違いますね)、そんな中でも先生の茶目っ気というか、そういうものが見え隠れもして。
その茶目っ気の具合がシューベルトの音楽に特に相性がいい気もします。なかなか自分はそういうことが(音楽に限らず)そんなに得意ではないのですが聴くのはものすごく楽しい。
私も弾いてる曲というのはもちろんワーグナーですが、色々と私の描いてる&弾いてるのとは違う演奏でした。まあ自分を若干がんじがらめにしてる感はありますし改めてもうちょっと自由にしてみてもいいのかなと思いつつ、それでもがんじがらめにしたいところもあり。難しい。
来週月曜にメシアン(20のまなざし、6と10を除いて順にできるだけ)を聴いてもらいに行くのですがその時にはまだまとまらなさそう。その次の機会になんとかならないかな。今毎回弾く度に違うことやってる気がするので。
今回のプログラム、しかも特にアンコールで先生の演奏の流動的な性質が存分に楽しめて、なんかとっても楽しかったです。ものすごーく細部まで精密、というわけじゃないのですが音楽を揺り動かしたりぼかしたり、そういう魅力があって。(先生のシュトラウスの演奏手元に欲しいぞー)なかなか自分のようなレベル・性質の弾き手がそういう演奏に近づくのって難しいですがね。もっと柔軟なピアノ弾きになりたいです。
あと今回元がピアノ曲じゃない曲が2曲ありましたが、私もピアノのレパートリー外に好きな曲が色々あるので編曲レパートリーももうちょっと探ってみたいと思いました。最近どうもワーグナーに落ち着いてしまって。あとここ数年で自分で発掘したレパートリーとかもまたさらったりしないと。先生に驚いてもらうことも嬉しいので。
ただとりあえずまなざしですね。体調回復して望まなければ。
今日の一曲: フランツ・シューベルト ピアノソナタ第18番ト長調 D.894 第1楽章
オーケストラのレパートリーだとマーラーの交響曲第3番で、第1楽章が特に「長っ!!」と思うのですがピアノのレパートリーだとこの曲が正にそういうことで。ソナタ全体で40分とかなかなかでっせ。手持ちのリヒテルの演奏だと第1楽章だけで26分超えとか大変(=メシアンでいうと鳥のカタログのセンターピースと同じくらいってことか)。
ただシューベルトは「未完成」交響曲も完成してたらかなり長くなってたんじゃないか?という感じだったり、他のピアノソナタにもちょこちょこ長い楽章が紛れ込んでたり、色々時間感覚が不思議な作曲家。総じて長い曲を書くわけじゃないんですけどね。何回かここで書いてますが31年の生涯にも関わらずものすごく多作で、さらに晩年(今の私と同じくらいの年!)に明らかな晩年臭もするし、不思議なところは色々あり。
ただ長いからってシューベルトの作品、そしてこのソナタを敬遠するのはあまりにも勿体ないと思います。だって美しいから。他の曲で出会えないような景色があるので。
そして(いつもよりちょっと早い言及ですが)どうしてもリヒテルの天国的な第1楽章をオススメしたくなるんです。先生の弾き方みたいな演奏も好きで楽しく聴けるのですが、全く違うタイプ(ご来光タイプ)のリヒテルの演奏もすごーく特別。
私はまだこの曲は無理かなー。でも弾くとしたらこの第1楽章の「天国的」要素にメシアンやワーグナーとか他のレパートリーで培ったものを活かしたいと思ってます。でもシューベルト弾くならハ短調とかそっちにしたいです(笑)先生に自分のシューベルト聴いて欲しい。また先生とレパートリーの話しようかしらん。
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