×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
※文が大分焦っていることを最初にお詫びします。
今日は出かけたり友達と遊んだり(レポは後日)その他もろもろで本当にいろんなことを考えたりいろんな感情をたくさん感じて。
そのなかでもやりきれなかったり悶々としたものもあったり、反対に空回りするほどのポジティブな感情もあったり。
・・・そんななか先ほどうとうとして目覚めたら心がものすごく(不安+鬱方向に)不調になっていたのですが・・・
目覚めて、その自分の状態を心にずっしりと感じたとたんなにか自分のなかではものすごいことに気づいたのです。
父がちょっと前に私は「頭の回転は速いけれど言葉がそれについていかないから意識してゆっくりしゃべらないとちゃんと伝わらない」ということを言っていたのですが・・・
それはピアノでもいつだって指が心と頭についていかないのと同じで。要するにアウトプットが心&頭についていかないのは形態に限らずそういう傾向がある、ということで。
前々から強い感情や思考をを経験・抱えすぎると(それらがポジティブな物かネガティブな物かに関わらず)鬱状態に陥ることが本当に多くて。
今日もうっかり感情が処理されずに寝てしまったためこの状態にある、ということなのですが要するに水量が悪いのかダムが悪いのかはわかりませんがしょっちゅう心のなかにあるダムが量的圧力で決壊している状態らしいのです。
実際に私が経験する、または抱える感情や思考に対して自分の心と頭のキャパシティが全くといっていいほど追いついていないわけで・・・(しかもそれがほとんどデフォルトときた)
自分の「鬱」というのはそのキャパシティオーバーによる精神の疲労、崩壊(大規模なものに限らず)などの繰り返し、積み重ねで起こり、発展した物なのではないか、と。
そこまで気づいた時点でさらに思ったことが。
それなら自分にとって音楽や創作などの表現は必然かつ必需なのでは・・・?
キャパシティがオーバーして貯まった感情や思考が鬱状態という悪い状態に流れでて精神をより弱らせる前に何とか「良い」方向に形作ること、それが自分にとっての表現なのかな?と思ったわけです。
なんとかして自分のなかの様々なものを声にして、ちゃんとしたやり方で「叫んで」やらないと・・・
私にとっては表現は精神が自身を健康に保つためのある種の反応、一種のホメオスタシス(恒常性)的ものなのかもしれない、と思ったのです。突飛なことをいえば生理現象の延長線上?
そうするといろんなことが説明できます。
感情の体感量がぐっと上がる思春期での鬱の発症。
音楽家になりたいと決めたのは鬱を発症してから(声を見つけた、ということでしょうか)。
アレキシサイミア+軽度記憶障害時期でぴたっと表現も止まったこと(感情を認識しないのなら表現しなければならないとも感じないのでしょうね)。
自分の音楽においての自分本位でわがままな態度(自分の弾きたい物だけ弾く、聴衆を楽しませることはあんまり考えない、自分が弾いていれば聴衆は要らないなどの誠に自分勝手な方針)。
自分がそういったものを形にする必要性に駆られて表現してはいるとしても、もちろん好きでやっている部分もあります。表現する快感はなので好きな部分と、あと必要性の部分があるわけで・・・
主に嬉しいです。
自分がどうしてピアノを弾いたり創作をしたり、それらをものすごく大切に思う理由がわかって。
そして前自分が「自分のために」主に表現をしていることを否定されたことがあったのですが、これで自分は自分を第一に、そして可能性としては自分のためだけに表現することがあり得ることで許されることで・・・
他人のために表現しないからといって人間が劣ってるということでは必ずしもないということ。
そして自分の心の赴くままにいろんな表現方法をその必要性や気分によってどんどん試していった方がいいんだ、ということを実感できて。
そしてやっぱり自分は誰がなんと言おうとも音楽と創作は少なくとも一生(自分のため以外に実がならなくとも)つづけていきたいんだ、続けていかなくちゃ、と思い。
自分が楽しいから&自分の健康にもつなげられるから、自分のためになによりも表現するんだという思いを胸に刻み。
同時に表現という行動の自分との近さ、親密さに気づき大切にして、自分の精神の健康のため(そしてあわよくば他人の精神の健康にも使えないかと)表現することに今以上に喜びを感じていきたいと思いました。
・・・この突発的な悟りというか思いを文にするのは心がものすごくあせってはやってることもあり後で読み直すと恥ずかしいことも多々あるだろうとは覚悟していますが、でもそれでもこの思いを表現せずまた寝たらさきほどのも併せてダブルで明日しんどいかもしれないので心を決めて文章にしました。実際いま精神状態は大分落ち着いています。
そして目に見える形でこの考えを残しておくのは大切なような気がぼんやりとしたんで。
長々とお目汚し失礼しました。
レポはちゃんとした文を焦らず騒がず書きます(笑)
今日は出かけたり友達と遊んだり(レポは後日)その他もろもろで本当にいろんなことを考えたりいろんな感情をたくさん感じて。
そのなかでもやりきれなかったり悶々としたものもあったり、反対に空回りするほどのポジティブな感情もあったり。
・・・そんななか先ほどうとうとして目覚めたら心がものすごく(不安+鬱方向に)不調になっていたのですが・・・
目覚めて、その自分の状態を心にずっしりと感じたとたんなにか自分のなかではものすごいことに気づいたのです。
父がちょっと前に私は「頭の回転は速いけれど言葉がそれについていかないから意識してゆっくりしゃべらないとちゃんと伝わらない」ということを言っていたのですが・・・
それはピアノでもいつだって指が心と頭についていかないのと同じで。要するにアウトプットが心&頭についていかないのは形態に限らずそういう傾向がある、ということで。
前々から強い感情や思考をを経験・抱えすぎると(それらがポジティブな物かネガティブな物かに関わらず)鬱状態に陥ることが本当に多くて。
今日もうっかり感情が処理されずに寝てしまったためこの状態にある、ということなのですが要するに水量が悪いのかダムが悪いのかはわかりませんがしょっちゅう心のなかにあるダムが量的圧力で決壊している状態らしいのです。
実際に私が経験する、または抱える感情や思考に対して自分の心と頭のキャパシティが全くといっていいほど追いついていないわけで・・・(しかもそれがほとんどデフォルトときた)
自分の「鬱」というのはそのキャパシティオーバーによる精神の疲労、崩壊(大規模なものに限らず)などの繰り返し、積み重ねで起こり、発展した物なのではないか、と。
そこまで気づいた時点でさらに思ったことが。
それなら自分にとって音楽や創作などの表現は必然かつ必需なのでは・・・?
キャパシティがオーバーして貯まった感情や思考が鬱状態という悪い状態に流れでて精神をより弱らせる前に何とか「良い」方向に形作ること、それが自分にとっての表現なのかな?と思ったわけです。
なんとかして自分のなかの様々なものを声にして、ちゃんとしたやり方で「叫んで」やらないと・・・
私にとっては表現は精神が自身を健康に保つためのある種の反応、一種のホメオスタシス(恒常性)的ものなのかもしれない、と思ったのです。突飛なことをいえば生理現象の延長線上?
そうするといろんなことが説明できます。
感情の体感量がぐっと上がる思春期での鬱の発症。
音楽家になりたいと決めたのは鬱を発症してから(声を見つけた、ということでしょうか)。
アレキシサイミア+軽度記憶障害時期でぴたっと表現も止まったこと(感情を認識しないのなら表現しなければならないとも感じないのでしょうね)。
自分の音楽においての自分本位でわがままな態度(自分の弾きたい物だけ弾く、聴衆を楽しませることはあんまり考えない、自分が弾いていれば聴衆は要らないなどの誠に自分勝手な方針)。
自分がそういったものを形にする必要性に駆られて表現してはいるとしても、もちろん好きでやっている部分もあります。表現する快感はなので好きな部分と、あと必要性の部分があるわけで・・・
主に嬉しいです。
自分がどうしてピアノを弾いたり創作をしたり、それらをものすごく大切に思う理由がわかって。
そして前自分が「自分のために」主に表現をしていることを否定されたことがあったのですが、これで自分は自分を第一に、そして可能性としては自分のためだけに表現することがあり得ることで許されることで・・・
他人のために表現しないからといって人間が劣ってるということでは必ずしもないということ。
そして自分の心の赴くままにいろんな表現方法をその必要性や気分によってどんどん試していった方がいいんだ、ということを実感できて。
そしてやっぱり自分は誰がなんと言おうとも音楽と創作は少なくとも一生(自分のため以外に実がならなくとも)つづけていきたいんだ、続けていかなくちゃ、と思い。
自分が楽しいから&自分の健康にもつなげられるから、自分のためになによりも表現するんだという思いを胸に刻み。
同時に表現という行動の自分との近さ、親密さに気づき大切にして、自分の精神の健康のため(そしてあわよくば他人の精神の健康にも使えないかと)表現することに今以上に喜びを感じていきたいと思いました。
・・・この突発的な悟りというか思いを文にするのは心がものすごくあせってはやってることもあり後で読み直すと恥ずかしいことも多々あるだろうとは覚悟していますが、でもそれでもこの思いを表現せずまた寝たらさきほどのも併せてダブルで明日しんどいかもしれないので心を決めて文章にしました。実際いま精神状態は大分落ち着いています。
そして目に見える形でこの考えを残しておくのは大切なような気がぼんやりとしたんで。
長々とお目汚し失礼しました。
レポはちゃんとした文を焦らず騒がず書きます(笑)
PR