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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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そんな季節らしく。
前回更新時にスパムコメントが山のように来てたのですが単一ソースだったらしく簡単に止まりました。少なくとも今はこれで大丈夫かな。

オケ周りの話をしようと思ってたんですけどね。メンタル関係の話はしたいと思ったときに書いとかないとぐだぐだになるので。
特に軽躁周りは自分にとってもよく分からないことが多いので記録しておきたいという面もあり。

季節の変わり目というか春が来たというか、ここ1週間~2週間くらい軽躁に悩まされてました。
例によっていわゆる「ハイ」とは違う、焦燥とか怒りの方向に気持ちが高ぶるDysphoricな軽躁です。感情が少しでも動けば軽躁にアクセルが急激に入るし、ありとあらゆることに腹が立ち(→軽躁にアクセル)、頭の中がぐちゃぐちゃに動いてるのにそれでも頭を動かさなければ気が済まない。
朝起きた瞬間から焦燥状態だったり、あと言動に慎重さが欠けて自分でもよく分からないことしたり(もしかして軽躁・躁状態だと一般的に外傷も増えるのかな?)それで自分をいちいち責めたり腹立てたり、反対に頭の中がぐるぐるしすぎて言葉が出てこなくなったり。

前書いたと思うんですが元々は「鬱」で「双極性障害(2型)」と診断されてからも数年は軽躁は目立たなかったのがここ数年で実際に不便・苦しみを感じるように。目立つようになってから程度がひどくなってるか、と聞かれるとなかなか分からないんですよね。のど元過ぎれば、じゃないですけど覚えてるのが難しいですし後から冷静に分析しようとするとわからない。

特に双極性障害でも2型は1型みたいな激しい躁ではないので、軽躁は気分が上がって楽しいもの、良いものみたいな誤ったイメージ(スティグマ)が根強くあるようで。Euphoricな方の軽躁は経験したことないので違うとはっきり言えないのですがDysphoricにしてもEuphoricにしても軽躁に苦しんでる人は多いようです。

それがもっと伝わればいいなあと思いつつ今回軽躁を経験してからそれはかなり難しいことなんじゃないかと思い始めました。
軽躁をリアルタイム(またはちょっと回復した状態)で説明しようとするとどうしても面白おかしく・・・とまではいかなくてもたいしたことないように話してしまう。元々(Dysphoricな軽躁でも)症状とか現象自体の説明だけだと鬱ほどは苦しく聞こえないのに、患者自身が苦しさをナチュラルにぼかしちゃったらダメだよなあと。
別に強がったりしてるわけじゃないし、自分の症状のつらさもちゃんと見えてるはずなんですけど。あんまり大げさな風になっても信じてもらえないよなあ、とか信じてもらっても心配かけたくないよなあ、みたいな思いはあるのかもしれない。

そうやって不正確に伝えるのは結局のところ自分(と軽躁で苦しんでる患者さん全体)の首を絞めることにつながるからやめた方がいい、それだったら今のところは自分は黙ってたほうが良いかもしれないという結論に至ったわけです(あと何より軽躁の「とにかく自分に腹が立つ」が増えるので)。

今はある程度落ち着いたので(まだきっかけがあると焦燥スイッチがONになる)色々考えてみてるんですけど難しいです。自分の中で自分の状態を誰かに伝えるのをシミュレーションしてあーでもないこーでもないと考え中。もしかしたらこういうプロセスがセルフケアに繋がるかもしれないのですが正直よくわかりません。
軽躁周りの状態だとそんな難しいことは分からない、というのもありますが先ほど書いたように軽躁との付き合い方はまだまだ分からないことが多いので。勝手が分かるだけ鬱の方がいいなあ、といつも思います。

ということで気持ちを高ぶらせないように気をつけながら、自分でもよくまだまとまってないことを頭がちょっととっちらかってる状態で書いたのでしっちゃかめっちゃかになりましたがまだまだwork in progressということで。もうちょっと自分でも分かりたいです。


今日の一曲はお休み。そこまでの余裕はちょっとなかった。

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