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今日は7月6日。私の誕生日です。
今日をもって私は四半世紀生きたことになるわけで・・・
ここまで生きてこられたのは(言葉そのままの意味ですが)私の両親や家族、友達、先生方々のおかげでありまして・・・
こんな私に長い間付き合ってくれるだけではなく力をいただいて本当に感謝しています。
誕生日パーティーは近日いろいろ友達とやる予定で、またそのレポも・・・と企んでいますが。
誕生日とは直接関係ない話を今日はこの機会にしたいと思います。
小さい頃から多種様々な夢を持ってきましたが、今でもある種の夢を一応持っています。
いま現在一番基本の夢は、ピアノと創作を死ぬまで続けること。
それとは別にあるのがまだまだぼんやりとした突き詰めにむらがある雲のようなアイディアなのですが・・・
とりあえず一番全般的に言えば将来メンタルヘルスに関わる仕事をしたいと思ってます。
できたら若い人のメンタルヘルスに関わる仕事がしたいなあ・・・と。例えば思春期に多い鬱や、拒食症など。
同じ病気でも思春期に発症したものは性質が違ったり、関連する課題や問題がまた違ったりして。
きっかけは一番最初に入院したとき、一緒に入院生活を送った友達を見たり、話を聞いたりして「こんなにみんな良い子なのになんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう」と思ったこと。
なんで大人は、人生経験が多くてしかもこの子達の事を愛してくれているはずの大人はこんなにも理解してくれないんだろう、と自分のことのように辛く思っていて・・・
記憶の薄れた今でもそのころの楽しい、そして辛い経験が私をその道へと突き動かしています。
同じくメンタルヘルスでやりたいことは他にも。
自分の音楽の経験、知識などをなんとかメンタルヘルスに生かせないか、と思うんです。
もちろん音楽療法、アートセラピーなどいろいろ形はあるのですが、あえて今はそこに絞る(またはそれらについて知ることによって範囲を限定する)ことなく、音楽に関して自分のもっているものをどうこのエリアに生かせるかというようなことを考えたりしています。
自分で認識する自分の一番の特技は「人に音楽を勧めること」です。
例えば大学在学中に友達がある特定のスタイルや作曲家の音楽と近づきになる場合はなにから始めればいいのか、とか・・・あとはこんな曲を今(または過去に)弾いていて、他に(または新しく)どんな曲を弾いたらいいのか、とか・・・こんな編成やスタイルだとどんな曲がいいか・面白いか、などのアドバイスをしたことがあって。
評判はなかなかです。(推薦する曲はあくまでも自分で弾く・聴く現代音楽とはまた別なので(笑))
なので本当にまだ詳細とかはなにもわからないんですけれどメンタルヘルスの活動(例えば患者さんとの対話などのセッションの一部)の中に音楽を勧めたりすることを含めた音楽的なエレメントをとりいれていくのが私の目標というか夢です。
そして音楽とメンタルヘルスに関してもう一つ。
私が今のドクターと治療を始めたとき、ドクターは私に自分の表現(創作やピアノ弾きなど)を自分の状態をモニターすることに利用するのをすすめました。
単純な例で言えばピアノもやりたくない、創作も進まない・・・となっているときは自分がどう感じているかに関わらず何かが正常じゃないということがわかります。突き詰めれば自分が書く物、弾く曲の性質は自分の精神状態を強く反映しているので、自分を直接分析するのが難しくとも表現すること、そしてその表現を分析することで自分の心を知ることができる、というわけです。
考えてみればこれは表現を趣味や仕事とする人だけができることではなく。
例えば音楽を聴くことや本を読むことも受動的な表現形態の一つだととらえることができますし、何に心を動かされたか、はたまた不快に感じたか、または心が動かなかったかという受動的な感じも人の状態を反映します。
こういったものが自分の状態をどう反映するかを認識し、分析できるようになり、それに併せてなんらかの積極的な表現形態に自分の声を見つけ(これはこないだの焦ったエントリーに繋がりますね)、表現することを推進すること・・・を治療や精神健康の管理に繋げていけたらな、と思うのです。
うちのドクターの治療方針なのできっとここらへんの事は認知行動療法に繋がってるのかもしれませんが、認知行動療法についてはまだ全然勉強できてないのでそれもわからず・・・
でも認知行動療法による治療方針に私は多く助けられてるのでそれと音楽を繋げる、という方法があれば突き詰めてみたいです。
まだまだこれは構想の断片でしかなく、果たしてこれは一つの夢なのかそれとも別々に扱わなくちゃいけないのかさえもまだ解らなく・・・
そしてもちろんまだまだ勉強不足。それもまたこれからの夢の工程であり、夢そのものでもあります。
生まれてから今まで25年。自分の人生にステージ1、2などがあるとは信じていませんが次の25年、今お話しした夢の少しずつでもかなえていけるよう頑張ろうと思います♪
今日の一曲; アレクサンドル・スクリャービン 練習曲op.42-5
いつも専門はメシアン、クラム、ラヴェルとショスタコーヴィチ(ショスタコはどちらかというと聴き専ですが)と口癖の様にいいますが、その得意&好きな作曲家とは別に、自分にとってまるで自分の心の一部、そして心の声を忠実に代弁してくれる曲があります。
それがこのエチュード。
スクリャービンの中期の作品で、初期のショパンの面影が強いロマンチックで情熱的なエレメントと、後期の独特な魔術的、そして複雑、色彩豊か、難解な性格を併せ持っています。
この曲に出会ったのは15歳の頃でしょうか。この曲に恋に落ち、そして果敢にも(というかただ単に堪え性がなく)その次の歳にはチャレンジしていました。
練習曲、しかもスクリャービンとあって技巧は難しく、しかもまた独特の難しさ(感覚的な話ですが)がかなり壁だったのですが・・・この曲を弾いてきてもう9年、間が開いても暗譜でそれなりに弾けるほど音は脳と手に染みつくようになりました。
そもそもスクリャービンはピアニストとしての将来を期待されていた人なのですが、手が小さいのに無理するから手が故障して作曲家としての道を選ぶことになった、という経緯があり。
彼の作品は自分の手のサイズを全くといっていいほど考慮していません(例えば練習曲op.8-12のオクターブ、10度なんか絶対無理でしょ!と言いたくなります)。ただこの曲の細々した音回りなんかは妙に私の手にしっくりくるところもあり(ラヴェルではよくあることです)、やっぱり小さい手の人ならではの作風なんだな、と思います。
この曲で惹かれるのはなんといってもその性格。
暗く激しくうねるような音型とどす黒い+鉛赤の色彩、溺れさせる強い力とそれからもがき必死に自由になり飛翔しようとする力の対比。
カオスのなかでちょいちょい見られるハーモニー、メロディーそしてメロディーの断片のきらりと光る美しさは秀逸です。
特にBセクションというか第2主題というかが最初に表れるときの飛翔する力強さ、それにたいして2回目に表れるときの少し狂ったようなはかなさとか弱さ、繊細さ・・・
ため息がでますね。
9年弾いてきても技巧的にも、音楽的にも完成することがないこの曲。
自分なりにでも理想はあります。
この3分(実は52小節しかないんです!濃い52小節ですわー)のなかでどれだけ自分の正気という枠を超えられるか。
この曲にこめられている全てが狂気だと私は信じ、それを10%の冷静さと90%の狂気で表現したいです。
暗さも、激しさも、せわしさも、繊細さも、か弱さも・・・そしてそれらのめまぐるしくも鮮やかな移り変わりまでも。
全てに狂気を帯びさせ、リアル以上にリアルな幻覚としてまるで熱に浮かされ悪夢にうなされているような究極のネガティブなイメージをピアノでお届けしたいと思っています。
・・・といったところで上記はまだ自分のこの曲に関するイメージの一部。他にも言葉で表せないことは多々あります。なんたって9年分の思いの蓄積ですからね。自分の人生で経験したものももちろん表現したいこととして盛り込んでますし。
ここまで思いの深い(といってもその思いの深さも言葉では到底表せないようなものなのですが)曲で、さらに自分個人の理想がはっきりしているので他のピアニストのこの曲の演奏というのはもはやあんまり考えないです。
ただやっぱり(自分が創作外で知る唯一の「スクリャービン弾き」である)ホロヴィッツのアンコールでのこの曲の演奏は特別だと思います。練習曲をセットで録ったときよりも自由度が増して、この曲の真髄にあるたがが外れた感じがものすごく出ていて。
スクリャービンの音楽というのはどの流派にも属さず、また音楽史の歴史の流れの中でもまた「カモノハシ」的な、仲間はずれというかあてはまらない存在です。
彼は神秘的なこと、共感覚を含む感覚と音楽の関係などについてエキセントリックとも言える思想やアイディアを多々持っていました。
なのでスクリャービン弾きになるには多少彼のように変人ではないといけない、そしてなんとか波長があうごく少数人がスクリャービンになれるのかな、なんて思うのですが・・・
(ちなみに私の創作でのスクリャービン弾きの子はごく普通の女の子です。自分でも不思議。)
私はスクリャービンの音楽は好きですが、全体的に波長が合わないのと彼の技巧が苦手なのと、あとそこまで変人じゃない(または同じく変人でも方向性が違う)のでスクリャービン弾きにはなれないな、と自覚しています。
でもこの曲だけは本当に自分にとって運命の一曲であり、そして自分の心が一番正直に表現できる、自分にとって自然な「声」であると信じています。
なのでこれからも理想に向かって、さらに新しい理想を創り上げながらこの曲と末永く付き合って、そしてその間私のこの曲の演奏がどう変わっていくかなどにも目を向けて・・・
なにかあったらこの曲がある、と思えるほど傍に寄り添って一緒に生きて行きたいと思います。
今日をもって私は四半世紀生きたことになるわけで・・・
ここまで生きてこられたのは(言葉そのままの意味ですが)私の両親や家族、友達、先生方々のおかげでありまして・・・
こんな私に長い間付き合ってくれるだけではなく力をいただいて本当に感謝しています。
誕生日パーティーは近日いろいろ友達とやる予定で、またそのレポも・・・と企んでいますが。
誕生日とは直接関係ない話を今日はこの機会にしたいと思います。
小さい頃から多種様々な夢を持ってきましたが、今でもある種の夢を一応持っています。
いま現在一番基本の夢は、ピアノと創作を死ぬまで続けること。
それとは別にあるのがまだまだぼんやりとした突き詰めにむらがある雲のようなアイディアなのですが・・・
とりあえず一番全般的に言えば将来メンタルヘルスに関わる仕事をしたいと思ってます。
できたら若い人のメンタルヘルスに関わる仕事がしたいなあ・・・と。例えば思春期に多い鬱や、拒食症など。
同じ病気でも思春期に発症したものは性質が違ったり、関連する課題や問題がまた違ったりして。
きっかけは一番最初に入院したとき、一緒に入院生活を送った友達を見たり、話を聞いたりして「こんなにみんな良い子なのになんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう」と思ったこと。
なんで大人は、人生経験が多くてしかもこの子達の事を愛してくれているはずの大人はこんなにも理解してくれないんだろう、と自分のことのように辛く思っていて・・・
記憶の薄れた今でもそのころの楽しい、そして辛い経験が私をその道へと突き動かしています。
同じくメンタルヘルスでやりたいことは他にも。
自分の音楽の経験、知識などをなんとかメンタルヘルスに生かせないか、と思うんです。
もちろん音楽療法、アートセラピーなどいろいろ形はあるのですが、あえて今はそこに絞る(またはそれらについて知ることによって範囲を限定する)ことなく、音楽に関して自分のもっているものをどうこのエリアに生かせるかというようなことを考えたりしています。
自分で認識する自分の一番の特技は「人に音楽を勧めること」です。
例えば大学在学中に友達がある特定のスタイルや作曲家の音楽と近づきになる場合はなにから始めればいいのか、とか・・・あとはこんな曲を今(または過去に)弾いていて、他に(または新しく)どんな曲を弾いたらいいのか、とか・・・こんな編成やスタイルだとどんな曲がいいか・面白いか、などのアドバイスをしたことがあって。
評判はなかなかです。(推薦する曲はあくまでも自分で弾く・聴く現代音楽とはまた別なので(笑))
なので本当にまだ詳細とかはなにもわからないんですけれどメンタルヘルスの活動(例えば患者さんとの対話などのセッションの一部)の中に音楽を勧めたりすることを含めた音楽的なエレメントをとりいれていくのが私の目標というか夢です。
そして音楽とメンタルヘルスに関してもう一つ。
私が今のドクターと治療を始めたとき、ドクターは私に自分の表現(創作やピアノ弾きなど)を自分の状態をモニターすることに利用するのをすすめました。
単純な例で言えばピアノもやりたくない、創作も進まない・・・となっているときは自分がどう感じているかに関わらず何かが正常じゃないということがわかります。突き詰めれば自分が書く物、弾く曲の性質は自分の精神状態を強く反映しているので、自分を直接分析するのが難しくとも表現すること、そしてその表現を分析することで自分の心を知ることができる、というわけです。
考えてみればこれは表現を趣味や仕事とする人だけができることではなく。
例えば音楽を聴くことや本を読むことも受動的な表現形態の一つだととらえることができますし、何に心を動かされたか、はたまた不快に感じたか、または心が動かなかったかという受動的な感じも人の状態を反映します。
こういったものが自分の状態をどう反映するかを認識し、分析できるようになり、それに併せてなんらかの積極的な表現形態に自分の声を見つけ(これはこないだの焦ったエントリーに繋がりますね)、表現することを推進すること・・・を治療や精神健康の管理に繋げていけたらな、と思うのです。
うちのドクターの治療方針なのできっとここらへんの事は認知行動療法に繋がってるのかもしれませんが、認知行動療法についてはまだ全然勉強できてないのでそれもわからず・・・
でも認知行動療法による治療方針に私は多く助けられてるのでそれと音楽を繋げる、という方法があれば突き詰めてみたいです。
まだまだこれは構想の断片でしかなく、果たしてこれは一つの夢なのかそれとも別々に扱わなくちゃいけないのかさえもまだ解らなく・・・
そしてもちろんまだまだ勉強不足。それもまたこれからの夢の工程であり、夢そのものでもあります。
生まれてから今まで25年。自分の人生にステージ1、2などがあるとは信じていませんが次の25年、今お話しした夢の少しずつでもかなえていけるよう頑張ろうと思います♪
今日の一曲; アレクサンドル・スクリャービン 練習曲op.42-5
いつも専門はメシアン、クラム、ラヴェルとショスタコーヴィチ(ショスタコはどちらかというと聴き専ですが)と口癖の様にいいますが、その得意&好きな作曲家とは別に、自分にとってまるで自分の心の一部、そして心の声を忠実に代弁してくれる曲があります。
それがこのエチュード。
スクリャービンの中期の作品で、初期のショパンの面影が強いロマンチックで情熱的なエレメントと、後期の独特な魔術的、そして複雑、色彩豊か、難解な性格を併せ持っています。
この曲に出会ったのは15歳の頃でしょうか。この曲に恋に落ち、そして果敢にも(というかただ単に堪え性がなく)その次の歳にはチャレンジしていました。
練習曲、しかもスクリャービンとあって技巧は難しく、しかもまた独特の難しさ(感覚的な話ですが)がかなり壁だったのですが・・・この曲を弾いてきてもう9年、間が開いても暗譜でそれなりに弾けるほど音は脳と手に染みつくようになりました。
そもそもスクリャービンはピアニストとしての将来を期待されていた人なのですが、手が小さいのに無理するから手が故障して作曲家としての道を選ぶことになった、という経緯があり。
彼の作品は自分の手のサイズを全くといっていいほど考慮していません(例えば練習曲op.8-12のオクターブ、10度なんか絶対無理でしょ!と言いたくなります)。ただこの曲の細々した音回りなんかは妙に私の手にしっくりくるところもあり(ラヴェルではよくあることです)、やっぱり小さい手の人ならではの作風なんだな、と思います。
この曲で惹かれるのはなんといってもその性格。
暗く激しくうねるような音型とどす黒い+鉛赤の色彩、溺れさせる強い力とそれからもがき必死に自由になり飛翔しようとする力の対比。
カオスのなかでちょいちょい見られるハーモニー、メロディーそしてメロディーの断片のきらりと光る美しさは秀逸です。
特にBセクションというか第2主題というかが最初に表れるときの飛翔する力強さ、それにたいして2回目に表れるときの少し狂ったようなはかなさとか弱さ、繊細さ・・・
ため息がでますね。
9年弾いてきても技巧的にも、音楽的にも完成することがないこの曲。
自分なりにでも理想はあります。
この3分(実は52小節しかないんです!濃い52小節ですわー)のなかでどれだけ自分の正気という枠を超えられるか。
この曲にこめられている全てが狂気だと私は信じ、それを10%の冷静さと90%の狂気で表現したいです。
暗さも、激しさも、せわしさも、繊細さも、か弱さも・・・そしてそれらのめまぐるしくも鮮やかな移り変わりまでも。
全てに狂気を帯びさせ、リアル以上にリアルな幻覚としてまるで熱に浮かされ悪夢にうなされているような究極のネガティブなイメージをピアノでお届けしたいと思っています。
・・・といったところで上記はまだ自分のこの曲に関するイメージの一部。他にも言葉で表せないことは多々あります。なんたって9年分の思いの蓄積ですからね。自分の人生で経験したものももちろん表現したいこととして盛り込んでますし。
ここまで思いの深い(といってもその思いの深さも言葉では到底表せないようなものなのですが)曲で、さらに自分個人の理想がはっきりしているので他のピアニストのこの曲の演奏というのはもはやあんまり考えないです。
ただやっぱり(自分が創作外で知る唯一の「スクリャービン弾き」である)ホロヴィッツのアンコールでのこの曲の演奏は特別だと思います。練習曲をセットで録ったときよりも自由度が増して、この曲の真髄にあるたがが外れた感じがものすごく出ていて。
スクリャービンの音楽というのはどの流派にも属さず、また音楽史の歴史の流れの中でもまた「カモノハシ」的な、仲間はずれというかあてはまらない存在です。
彼は神秘的なこと、共感覚を含む感覚と音楽の関係などについてエキセントリックとも言える思想やアイディアを多々持っていました。
なのでスクリャービン弾きになるには多少彼のように変人ではないといけない、そしてなんとか波長があうごく少数人がスクリャービンになれるのかな、なんて思うのですが・・・
(ちなみに私の創作でのスクリャービン弾きの子はごく普通の女の子です。自分でも不思議。)
私はスクリャービンの音楽は好きですが、全体的に波長が合わないのと彼の技巧が苦手なのと、あとそこまで変人じゃない(または同じく変人でも方向性が違う)のでスクリャービン弾きにはなれないな、と自覚しています。
でもこの曲だけは本当に自分にとって運命の一曲であり、そして自分の心が一番正直に表現できる、自分にとって自然な「声」であると信じています。
なのでこれからも理想に向かって、さらに新しい理想を創り上げながらこの曲と末永く付き合って、そしてその間私のこの曲の演奏がどう変わっていくかなどにも目を向けて・・・
なにかあったらこの曲がある、と思えるほど傍に寄り添って一緒に生きて行きたいと思います。
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