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昨日は国立音楽アカデミー(サウスメルボルンのタウンホールの一角にあります。通ったことはないけれどコンサート会場としてお世話になったことは何回も。不思議な場所です)にマイケルのリサイタルを聴きに行きました。
マイケル、とは・・・
Michael Kieran Harvey、オーストラリアではかなり有名なピアニスト。
(よく誤解があるのですがKieranはミドルネームです。なぜかフルネームで知られています。)
現代音楽、とくにオーストラリアの作曲家の作品を専門・得意としていて自身も作曲家。
いろんなオーストラリアの音楽家と演奏など仕事をして、影響を受けたり、影響を与えたりしているすごい人です。
そしてなんといってもオーストラリア一のメシアン弾きです。
マイケルとの出会いは大学1年のピアノクラスで。
リストの超絶技巧練習曲について話しているときに彼が言ったことがものすごいインパクトして今でも心に残ってます。
「もしも人を殴りたいような気持ちになったら、ピアニストは人を殴らなくとも「マゼッパ」(超絶技巧練習曲第4番)を弾けばいい」
・・・というようなことを言っていたのですが。
その後マイケルの生徒だったPという男の子と友達になり(彼もマイケルの曲を弾いてました)、さらに私の先生もマイケルと友達だという菅家異な事が判明。友達の先生であり、先生の友達、ということで。
そしてその後マイケルがホバート(タスマニア州の州都)に拠点を移し、それにともないPもタスマニアに行き。
私はメシアンを専門にし始め、さらにPといろいろあり・・・
そんなときにマイケルがメルボルンに一時来る、ということでPのはからいと先生に許可を得てマイケルにメシアンのレッスンをしてもらうことになりました。
大学でもクレージー(性格的に、そしてピアノでのすごさ的に両方)だと評判があるマイケル。会ってみると本当に気さくな人で、レッスンの中で鳥の鳴き真似はするわいろいろと楽しくレッスンして、メシアン弾きと認めてもらい。
その後も日本から来た彼の友達の作曲家の女性の名ばかりの通訳をつとめたり、ページをめくったり、彼の演奏を聴きに行ったり、また別のメシアンの曲を見てもらったり・・・
いつしか物理的距離や年齢(誕生日は一日違いですが年齢は今およそ2杯ですもの)を超え直接の友達になっていました。
タスマニアに遊びに行ったときは奥さんとともにご飯につれてってもらったりもしていろいろと可愛がってもらってます。
ちなみにメルボルン大学にも一応なんらかのポジションがあって、それが「Casual Fellow」というポジションらしいんですが(非常勤のフェロー・・・なのかな?)、私の先生が確かにマイケルはCasual Fellow(カジュアルな男性)だからね、と・・・
確かにマイケルを形容するにふさわしい言葉なんですがそのタイミングでそんなだじゃれをぶっこむ先生に脱帽(汗)
Pがいつかいってたのですが、マイケルは「ピアニスト」というよりは「音楽家」、または「表現者」です。
彼が考えていることはピアノの上に限らず。
興味の範囲は本当に政治から環境から哲学から科学から広く深く・・・
作曲にもいろんなコンセプトを取り入れて、自身の作品以外の演奏にも音楽以外の表現形態を取り入れたパフォーマンスをすることが多いです。(これはまた後で)
彼の表現はものすごくパワフル。背丈こそ私とそんなに変わらないんですが桁外れのテクニックと表現の幅とパワフルさ、音楽的な豊かさは圧倒的です。
作曲家の作品がその人を表すならマイケルの思考はどんなに複雑なんだろう、と思います。
無限の色彩に、無限に広がる幾何学的なパッセージ。感情や思考、宇宙などがまるでモザイクになったような音楽・・・
きっと彼は脳と心と音楽がぶっとい線で直結してるんでしょうね。
マイケルはいつだって自分の思うこと、感じることを表現していたいのかな、と思います。さきほどの言葉もそうですが、彼は心になんかあったら理論的にそれを表現しようとする人なんです。
私の鬱のことも知ってるんですが、それと付き合っていく、自分なりに処理できるようなアイディアなどをいろいろと教えてくれたり。Pによると彼は若い頃ずいぶん辛い思いをしたらしいので、私の気持ちにも親身になってくれて、心と脳と理論のつきあいに関しては彼は私にとって師匠です(笑)
私の数エントリー前のメンタルヘルスや表現のあれこれも彼の影響が強いかも???
ともかく自分の「表現」というのが強いので何を弾いてもマイケル色に染まってしまうということはあります。
レパートリーの得意不得意にむらがかなりあるのと、記憶力に多少問題はありますが彼の「声」に合う物を弾かせたら本当に素晴らしいものを生み出す芸術家です。
さて、前置きが長くなってしまいましたが昨日彼のリサイタルで。
「48 Fugues for Frank」という今年初演された(昨日で7回目の演奏でした)彼自身の作品を聴きました。
リサイタルはこの曲を作曲するようにマイケルをそそのかした張本人である詩人Arjun von Caemmererのトークから始まりました。
この曲はフランク・ザッパという作曲家へのオマージュなので、そこのところいろいろの説明がトークの内容で。
小休憩の後に演奏(+スクリーンでvon Caemmererさんのヴィジュアル・ポエトリーの展示)がありました。
私はコンサートに行く前はフランク・ザッパのことは何も知りませんでしたが、こういう形で(トーク、そしてマイケルの音楽を通じて)彼の音楽や考えを知り、学ぶことができてよかったなーと思いました。
ザッパもまた「表現」を追求した人なんだな、と。何を表現して、どう表現して、どこまで表現できるか、を音楽によって突き詰めようとした人。
48 Fugues for Frankもそういった思想を反映しながら、さらに音楽的にもザッパの音楽(そしてザッパが影響を受けた音楽)のエレメントを使い書かれた音楽です。
実際形式はフーガではないんですよね。フーガという音楽にこめられた意味(ちなみに日本語にすると遁走曲)や性格といったものをくみ取った音楽、ということなんだと思います。
まるで脳と無限の宇宙のつながりみたいな、人間の表現が無限に広がる経験をこの演奏で味わいました。
で、コンサートの後にMichael Kieran Harvey Scholarshipの授与がありまして。
なんでもマイケルの知り合いが遺産をマイケルの名を付けた奨学金・賞を作るために残して下さったらしく。
オーストラリアの新しい音楽作りに貢献する、伝統の音楽体制では当てはまらない(私がPhaedrusの言葉でよく使う「カモノハシ」ですね)、伝統的なコンペなどで賞されることがないであろう若い音楽家を賞するためのScholarshipだそうです。
コンサート後の軽食でちょっとばかりマイケルと話しましたがあんまり会えないけれど話せる時間も短く。
(でも初めて会った彼の息子さんとか娘さんとかとちょろっとだけ話しました)
またもうちょっとのんびり話せればいいなあ~と思いながら別れてしまいました。
今回のコンサート、ticketmasterでチケット予約したんですがなんとその特典でこの48 Fugues for FrankのCDがタダでもらえちゃったんです!

マイケルのCDはゆっくりゆっくり集めていて、なるべくサインももらうようにしているので(友達なんですがファンはファンです(笑))
特にマイケルがPeter Cundall(TVで庭関係の番組を持ってる人で、環境活動のなんかでこないだタスマニアで逮捕されてた人です)の語りと共に生録音したメシアンの「鳥のカタログ」(CD3枚組、実際一日3つのコンサートにわけて演奏しました)は私にとって宝物です。
今回のサインは・・・

昨日のコンサートがマイケルの誕生日とあって誕生日仕様でした!
次にマイケルの演奏が聴けるのは来月のPiano Landmarks。
元は私の先生主催の一日4つピアノコンサートの祭典?イベントなのですが、今は私の友達で先生の一番演奏活動的に活発な生徒が主催してます。
先生は朝一のコンサート、そしてマイケルは夜の最後のコンサート・・・らしいです。
あと10月に私の好きな作曲家Thomas Adesがメルボルンに来る際に彼の作品をマイケルが弾く予定なのですが、Ades絡みのもう一つのコンサートは作曲家自作自演、しかも古音楽とまだ私が知らないAdesの作品とのコラボとあってこっちも捨てがたい!
これから3ヶ月じっくり悩んでいきたいと思います。
最後に・・・
マイケルの演奏を聴くなら前述鳥のカタログ、そして同じくメシアンで20のまなざしもお奨めです。
彼の作曲した曲(そして自動的に自演)を聴くならPink Nautilus、またはToccata DNAあたりが割と聞きやすいと思います。
この両曲とも今後の「今日の一曲」で紹介していきたいです!
そして・・・今もこれからもマイケルを尊敬すべき、愛すべき音楽家として、友人として、そして一人の人間として・・・大好きです!
マイケル、とは・・・
Michael Kieran Harvey、オーストラリアではかなり有名なピアニスト。
(よく誤解があるのですがKieranはミドルネームです。なぜかフルネームで知られています。)
現代音楽、とくにオーストラリアの作曲家の作品を専門・得意としていて自身も作曲家。
いろんなオーストラリアの音楽家と演奏など仕事をして、影響を受けたり、影響を与えたりしているすごい人です。
そしてなんといってもオーストラリア一のメシアン弾きです。
マイケルとの出会いは大学1年のピアノクラスで。
リストの超絶技巧練習曲について話しているときに彼が言ったことがものすごいインパクトして今でも心に残ってます。
「もしも人を殴りたいような気持ちになったら、ピアニストは人を殴らなくとも「マゼッパ」(超絶技巧練習曲第4番)を弾けばいい」
・・・というようなことを言っていたのですが。
その後マイケルの生徒だったPという男の子と友達になり(彼もマイケルの曲を弾いてました)、さらに私の先生もマイケルと友達だという菅家異な事が判明。友達の先生であり、先生の友達、ということで。
そしてその後マイケルがホバート(タスマニア州の州都)に拠点を移し、それにともないPもタスマニアに行き。
私はメシアンを専門にし始め、さらにPといろいろあり・・・
そんなときにマイケルがメルボルンに一時来る、ということでPのはからいと先生に許可を得てマイケルにメシアンのレッスンをしてもらうことになりました。
大学でもクレージー(性格的に、そしてピアノでのすごさ的に両方)だと評判があるマイケル。会ってみると本当に気さくな人で、レッスンの中で鳥の鳴き真似はするわいろいろと楽しくレッスンして、メシアン弾きと認めてもらい。
その後も日本から来た彼の友達の作曲家の女性の名ばかりの通訳をつとめたり、ページをめくったり、彼の演奏を聴きに行ったり、また別のメシアンの曲を見てもらったり・・・
いつしか物理的距離や年齢(誕生日は一日違いですが年齢は今およそ2杯ですもの)を超え直接の友達になっていました。
タスマニアに遊びに行ったときは奥さんとともにご飯につれてってもらったりもしていろいろと可愛がってもらってます。
ちなみにメルボルン大学にも一応なんらかのポジションがあって、それが「Casual Fellow」というポジションらしいんですが(非常勤のフェロー・・・なのかな?)、私の先生が確かにマイケルはCasual Fellow(カジュアルな男性)だからね、と・・・
確かにマイケルを形容するにふさわしい言葉なんですがそのタイミングでそんなだじゃれをぶっこむ先生に脱帽(汗)
Pがいつかいってたのですが、マイケルは「ピアニスト」というよりは「音楽家」、または「表現者」です。
彼が考えていることはピアノの上に限らず。
興味の範囲は本当に政治から環境から哲学から科学から広く深く・・・
作曲にもいろんなコンセプトを取り入れて、自身の作品以外の演奏にも音楽以外の表現形態を取り入れたパフォーマンスをすることが多いです。(これはまた後で)
彼の表現はものすごくパワフル。背丈こそ私とそんなに変わらないんですが桁外れのテクニックと表現の幅とパワフルさ、音楽的な豊かさは圧倒的です。
作曲家の作品がその人を表すならマイケルの思考はどんなに複雑なんだろう、と思います。
無限の色彩に、無限に広がる幾何学的なパッセージ。感情や思考、宇宙などがまるでモザイクになったような音楽・・・
きっと彼は脳と心と音楽がぶっとい線で直結してるんでしょうね。
マイケルはいつだって自分の思うこと、感じることを表現していたいのかな、と思います。さきほどの言葉もそうですが、彼は心になんかあったら理論的にそれを表現しようとする人なんです。
私の鬱のことも知ってるんですが、それと付き合っていく、自分なりに処理できるようなアイディアなどをいろいろと教えてくれたり。Pによると彼は若い頃ずいぶん辛い思いをしたらしいので、私の気持ちにも親身になってくれて、心と脳と理論のつきあいに関しては彼は私にとって師匠です(笑)
私の数エントリー前のメンタルヘルスや表現のあれこれも彼の影響が強いかも???
ともかく自分の「表現」というのが強いので何を弾いてもマイケル色に染まってしまうということはあります。
レパートリーの得意不得意にむらがかなりあるのと、記憶力に多少問題はありますが彼の「声」に合う物を弾かせたら本当に素晴らしいものを生み出す芸術家です。
さて、前置きが長くなってしまいましたが昨日彼のリサイタルで。
「48 Fugues for Frank」という今年初演された(昨日で7回目の演奏でした)彼自身の作品を聴きました。
リサイタルはこの曲を作曲するようにマイケルをそそのかした張本人である詩人Arjun von Caemmererのトークから始まりました。
この曲はフランク・ザッパという作曲家へのオマージュなので、そこのところいろいろの説明がトークの内容で。
小休憩の後に演奏(+スクリーンでvon Caemmererさんのヴィジュアル・ポエトリーの展示)がありました。
私はコンサートに行く前はフランク・ザッパのことは何も知りませんでしたが、こういう形で(トーク、そしてマイケルの音楽を通じて)彼の音楽や考えを知り、学ぶことができてよかったなーと思いました。
ザッパもまた「表現」を追求した人なんだな、と。何を表現して、どう表現して、どこまで表現できるか、を音楽によって突き詰めようとした人。
48 Fugues for Frankもそういった思想を反映しながら、さらに音楽的にもザッパの音楽(そしてザッパが影響を受けた音楽)のエレメントを使い書かれた音楽です。
実際形式はフーガではないんですよね。フーガという音楽にこめられた意味(ちなみに日本語にすると遁走曲)や性格といったものをくみ取った音楽、ということなんだと思います。
まるで脳と無限の宇宙のつながりみたいな、人間の表現が無限に広がる経験をこの演奏で味わいました。
で、コンサートの後にMichael Kieran Harvey Scholarshipの授与がありまして。
なんでもマイケルの知り合いが遺産をマイケルの名を付けた奨学金・賞を作るために残して下さったらしく。
オーストラリアの新しい音楽作りに貢献する、伝統の音楽体制では当てはまらない(私がPhaedrusの言葉でよく使う「カモノハシ」ですね)、伝統的なコンペなどで賞されることがないであろう若い音楽家を賞するためのScholarshipだそうです。
コンサート後の軽食でちょっとばかりマイケルと話しましたがあんまり会えないけれど話せる時間も短く。
(でも初めて会った彼の息子さんとか娘さんとかとちょろっとだけ話しました)
またもうちょっとのんびり話せればいいなあ~と思いながら別れてしまいました。
今回のコンサート、ticketmasterでチケット予約したんですがなんとその特典でこの48 Fugues for FrankのCDがタダでもらえちゃったんです!
マイケルのCDはゆっくりゆっくり集めていて、なるべくサインももらうようにしているので(友達なんですがファンはファンです(笑))
特にマイケルがPeter Cundall(TVで庭関係の番組を持ってる人で、環境活動のなんかでこないだタスマニアで逮捕されてた人です)の語りと共に生録音したメシアンの「鳥のカタログ」(CD3枚組、実際一日3つのコンサートにわけて演奏しました)は私にとって宝物です。
今回のサインは・・・
昨日のコンサートがマイケルの誕生日とあって誕生日仕様でした!
次にマイケルの演奏が聴けるのは来月のPiano Landmarks。
元は私の先生主催の一日4つピアノコンサートの祭典?イベントなのですが、今は私の友達で先生の一番演奏活動的に活発な生徒が主催してます。
先生は朝一のコンサート、そしてマイケルは夜の最後のコンサート・・・らしいです。
あと10月に私の好きな作曲家Thomas Adesがメルボルンに来る際に彼の作品をマイケルが弾く予定なのですが、Ades絡みのもう一つのコンサートは作曲家自作自演、しかも古音楽とまだ私が知らないAdesの作品とのコラボとあってこっちも捨てがたい!
これから3ヶ月じっくり悩んでいきたいと思います。
最後に・・・
マイケルの演奏を聴くなら前述鳥のカタログ、そして同じくメシアンで20のまなざしもお奨めです。
彼の作曲した曲(そして自動的に自演)を聴くならPink Nautilus、またはToccata DNAあたりが割と聞きやすいと思います。
この両曲とも今後の「今日の一曲」で紹介していきたいです!
そして・・・今もこれからもマイケルを尊敬すべき、愛すべき音楽家として、友人として、そして一人の人間として・・・大好きです!
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