×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
シーズン終わりで安くなってた白葡萄、どうもハズレを引いてしまったようです。
捨てクオリティの粒も多いしそうでなくても微妙な味のものが多く。
でもシーズン中たくさんおいしいブドウ食べたんでシーズンの終わりに悔いはありません。
ちょうどリンゴのシーズンが始まったのでしゃくしゃく齧るぞ~
さて昨日はMelbourne Recital CentreのSalonで私のピアノの先生のリサイタルに行って来ました。
タイトルは「Seven Sonatas」、つまり7つのソナタ。
プログラムはこんな感じでした。
Seven Sonatas
ピアノ:Stephen McIntyre
アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第4番
ドメニコ・スカルラッティ ピアノソナタK420, K9, K491, K513
フレデリック・ショパン ピアノソナタ第2番
セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第7番
曲の並び(スカルラッティ以外)を見ると長めのリサイタルかな、と思うのですがなんかすごいあっという間でした。
7つのソナタほぼ全部が「典型的な」ソナタとは何かしら少し違うフレーバーの作品で。先生のリサイタルプログラムって毎回色々面白いなあ。ああいう感性とそれを実行する表現力が欲しいと思っちゃいます。
スカルラッティのソナタは大学時代に必ず弾かなきゃいけなかったような記憶があるのですが、最後のK513はそのイメージを覆すというか、epicなソナタでした(他のスカルラッティのソナタと比較して)。なんたって全660曲あるので出会いも難しいのですがちゃんと知ろうとすればぐっとくる曲も見つかるかも、みたいな気がしてきました。
先生のショパンも相変わらず好きなのですが今回のハイライトはプロコフィエフでしたね。
このソナタ7番は大学でよくみんな弾いててどっかんどっかんパワータイプな演奏がよく聴かれて、先生がこの曲を弾くのは珍しいなと思ってたのですがやっぱり先生の演奏は年の功というかひと味違いました。色々慎重なんですが慎重で内向的な分なんか奥の方の内臓に重くブローがくるタイプの演奏。それでなんかそんなに難しい曲に聞こえないのもすごい(本当はものすごく!難しいソナタなのですよ!)。
先生の演奏を聴いてたくさん学ぶこともあったけど同時に自分のピアノの諸々でなんか最近低迷というか迷走というか「迷」なのがさらにぐるぐるし始めた気もします。一人で悩むしかないところも一部ありながらやっぱり先生に聴いてもらった方がいいかなーと思い始めたり。
あと昨日はちょっとコンサート後で後からしんどいくらいワイン飲んでしまったのでそこんとこ反省。結構リカバリ力はあるんだけど肝臓を過信しちゃいけませんな。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第7番 第3楽章
20世紀になってから(特に複数楽章構成の曲の最終楽章として)Moto Perpetuo=常動曲の出番がぐっと増えた気がします。Moto Perpetuo自体は例えばパガニーニの作品とかでその前もあったのですが、増えたのはその止まらず一定の速いスピードで動き続けるのが産業革命らへんの機械のイメージもあるのかな。
このピアノソナタ7番第3楽章もそんな常動曲の一つ。しかも7拍子というトリッキーなリズムでなんとなくブギ的なファンキーなテイストの7拍子。
一定のリズムが続きはするのですがイレギュラーなエレメントもあり、どこか踊りのエレメントがあるように思われます。
この楽章を外向きな感じに弾くと(そのブギ的な感じと変ロ長調という調も手伝って)陽気な曲になっちゃうのですが今回先生が弾いたみたいな内向きな演奏だと決して陽気とはいえない、なんか別の爆発の仕方があります。
この曲が書かれたころプロコフィエフはスターリン支配下のソヴィエトにいて、ショスタコがそうであったように小規模の器楽曲に自分の思いを込めていたと思われる節があり。
そういう背景を考えるとこの曲を踊りと関連付けるのは「言葉にできない・ならない表現」として色々面白いなーと思うのです。
今回のリサイタルでショパンとスクリャービンは「自分の手で弾いてみたらもっと分かるのかも」と思いましたがこの曲に関しては「踊り・体の動きとして考えたらわかるのかも」。
踊るは踊るでまた弾くのと同じくらい難しそうですが。
プロコフィエフと同時代&ソヴィエトつながりでリヒテルの録音を選びましたが、リヒテルの録音は6,7,9番がセットなのが多いですね。プロコフィエフのピアノソナタは6,7,8が「戦争ソナタ」(第2次世界大戦時代に書かれたので)とまとめて称されるのでちょっとびっくりしたけど録音の長さとかもあるのかな。
ちなみにリヒテルの弾き方は外向きな感じですがかなり重い爆発力があって楽しくもがっつり聴けます。
捨てクオリティの粒も多いしそうでなくても微妙な味のものが多く。
でもシーズン中たくさんおいしいブドウ食べたんでシーズンの終わりに悔いはありません。
ちょうどリンゴのシーズンが始まったのでしゃくしゃく齧るぞ~
さて昨日はMelbourne Recital CentreのSalonで私のピアノの先生のリサイタルに行って来ました。
タイトルは「Seven Sonatas」、つまり7つのソナタ。
プログラムはこんな感じでした。
Seven Sonatas
ピアノ:Stephen McIntyre
アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第4番
ドメニコ・スカルラッティ ピアノソナタK420, K9, K491, K513
フレデリック・ショパン ピアノソナタ第2番
セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第7番
曲の並び(スカルラッティ以外)を見ると長めのリサイタルかな、と思うのですがなんかすごいあっという間でした。
7つのソナタほぼ全部が「典型的な」ソナタとは何かしら少し違うフレーバーの作品で。先生のリサイタルプログラムって毎回色々面白いなあ。ああいう感性とそれを実行する表現力が欲しいと思っちゃいます。
スカルラッティのソナタは大学時代に必ず弾かなきゃいけなかったような記憶があるのですが、最後のK513はそのイメージを覆すというか、epicなソナタでした(他のスカルラッティのソナタと比較して)。なんたって全660曲あるので出会いも難しいのですがちゃんと知ろうとすればぐっとくる曲も見つかるかも、みたいな気がしてきました。
先生のショパンも相変わらず好きなのですが今回のハイライトはプロコフィエフでしたね。
このソナタ7番は大学でよくみんな弾いててどっかんどっかんパワータイプな演奏がよく聴かれて、先生がこの曲を弾くのは珍しいなと思ってたのですがやっぱり先生の演奏は年の功というかひと味違いました。色々慎重なんですが慎重で内向的な分なんか奥の方の内臓に重くブローがくるタイプの演奏。それでなんかそんなに難しい曲に聞こえないのもすごい(本当はものすごく!難しいソナタなのですよ!)。
先生の演奏を聴いてたくさん学ぶこともあったけど同時に自分のピアノの諸々でなんか最近低迷というか迷走というか「迷」なのがさらにぐるぐるし始めた気もします。一人で悩むしかないところも一部ありながらやっぱり先生に聴いてもらった方がいいかなーと思い始めたり。
あと昨日はちょっとコンサート後で後からしんどいくらいワイン飲んでしまったのでそこんとこ反省。結構リカバリ力はあるんだけど肝臓を過信しちゃいけませんな。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第7番 第3楽章
20世紀になってから(特に複数楽章構成の曲の最終楽章として)Moto Perpetuo=常動曲の出番がぐっと増えた気がします。Moto Perpetuo自体は例えばパガニーニの作品とかでその前もあったのですが、増えたのはその止まらず一定の速いスピードで動き続けるのが産業革命らへんの機械のイメージもあるのかな。
このピアノソナタ7番第3楽章もそんな常動曲の一つ。しかも7拍子というトリッキーなリズムでなんとなくブギ的なファンキーなテイストの7拍子。
一定のリズムが続きはするのですがイレギュラーなエレメントもあり、どこか踊りのエレメントがあるように思われます。
この楽章を外向きな感じに弾くと(そのブギ的な感じと変ロ長調という調も手伝って)陽気な曲になっちゃうのですが今回先生が弾いたみたいな内向きな演奏だと決して陽気とはいえない、なんか別の爆発の仕方があります。
この曲が書かれたころプロコフィエフはスターリン支配下のソヴィエトにいて、ショスタコがそうであったように小規模の器楽曲に自分の思いを込めていたと思われる節があり。
そういう背景を考えるとこの曲を踊りと関連付けるのは「言葉にできない・ならない表現」として色々面白いなーと思うのです。
今回のリサイタルでショパンとスクリャービンは「自分の手で弾いてみたらもっと分かるのかも」と思いましたがこの曲に関しては「踊り・体の動きとして考えたらわかるのかも」。
踊るは踊るでまた弾くのと同じくらい難しそうですが。
プロコフィエフと同時代&ソヴィエトつながりでリヒテルの録音を選びましたが、リヒテルの録音は6,7,9番がセットなのが多いですね。プロコフィエフのピアノソナタは6,7,8が「戦争ソナタ」(第2次世界大戦時代に書かれたので)とまとめて称されるのでちょっとびっくりしたけど録音の長さとかもあるのかな。
ちなみにリヒテルの弾き方は外向きな感じですがかなり重い爆発力があって楽しくもがっつり聴けます。
PR