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寒さが厳しいというと(特に日本から見ると)大げさかもしれませんが染みいるような寒さが続いてます。
そんな中ちょこちょこあっちいったりこっちいったりの用事が出てきて楽しみながらも億劫なところもあり。
いつもに増してアクティブに過ごしたいけどいつもに増して暖かく過ごしたい2017年冬です。
お出かけの中でも特に寒いのがコンサート行き。8時開演のコンサートとなるとご飯向こうで食べる予定で家でても出発時点ですでに暗い。そして家路はさらに寒い。トラムが古くて暖房ないのはそんなに気にならないのですが(あ、でも新しい車両こっちに早くよこして欲しいです)、風がなくても静かに寒い今日この頃。そりゃあ気も滅入りますよ。
それでもどうしても行きたかったマーラー巡礼第8弾。作曲された順番と違って「千人の交響曲」の前に「大地の歌」。どうしてなんだろう。
「大地の歌」は歌付きの交響曲になるはずだった歌曲集というか。6つ歌つき楽章が続いてれば歌曲集とも交響曲ともとれますね。交響曲とみるとちょっと短い(当社比較マーラー基準)ですが歌曲集とすると最終楽章の突然の30分という長さが異様だったり。
そんな変わった曲ですがプログラムはこんな感じでした。
MSO Plays Das Lied von der Erde
指揮:Sir Andrew Davis
フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」
(休憩)
グスタフ・マーラー 「大地の歌」(メゾ・ソプラノ:Catherine Wyn-Rogers、テノール:Stuart Skelton)
マーラーの交響曲にはちょっと短めのこの曲、合わせるなら同じく交響曲としては半分サイズの未完成交響曲が合いますね。そういう時間的な問題だったり作曲の経緯にいわくつきだったり、それ以外にもっと音楽的なところでもなんか相性良いとこある気がするこの2曲。
未完成、今回のメル響はいい意味でまとまってたかも。ドラマチックなところが爆発しすぎてないというか、大きいコンサートホールでの響きだけどintimateなところがあったり。
メロディーとかソロももちろんいいんだけど伴奏に心地よさみたいなものがあった印象。
あと木管の音の溶け合い方もよかったな。オーボエとクラリネットとか、あんなにも違う音を歩み寄るようにどうやってするんだろう。
そして「大地の歌」。時間的には短めで交響曲ほどでっかくないにしても内容はみっちり濃いし難しい。7番でなんとか頭の中に収まるイメージだったのが大地の歌はかなり頭からはみ出てしまう感覚。聞いててすっごい難しい!特に最終楽章を一つの世界として理解して噛み砕いて飲み込んで消化できるかといえば最初の段階ですでにつまずいてるかも。胸焼けまでも行ってない。
そもそもマーラーが作曲家として弾き手・歌い手・指揮者・聴き手全てに対して容赦ない。
特に歌い手は大変だと思う。さらに言えばテノールはかなりしんどそう。今回歌った方も透明感があるまっすぐな歌声だったんですがなんせバックがフルオケ(=マーラーの、フルオケ)で。音域的にオケとかぶると飲み込まれやすいとこにあると思うんだなー。
メゾソプラノの歌う楽章は(少なくとも音量的には)もちょっと歌い手に優しいかも。
その変わりメゾソプラノは最終楽章担当なので音楽的&体力的に難しいパート。
オケの演奏も良かったと思う中でやっぱり音の質がこの曲を描き彩るべきものちょーっと違ってたような気がします。もっとこう暖かいというか全体を繋いで抱くようななにかというか、うーん難しい。録音・コンサート合わせて色んなオケで聴き込めばわかるかな。
そもそもこの曲をもっともっと分かりたいという気持ちがほんと強いです。現代音楽に限らず、分からないから好きになる、分からないから分かりたい。とにかく掴みたい。
大地の歌も今回聴いて「掴めるかも」まで頭が迫ったところもあり、最終楽章の後半、特に最後の天国的な(チェレスタソロ!)部分の美しさも心にストレートに来てそれだけもこの曲を好きになるのに十分なのですが。それでもそれだけじゃ足りないと思ってしまう。
ついでにな話になりますが大地の歌の歌詞、色々lost in translation的な経緯をたどった元ネタは漢詩なんですよ。ちょこちょこ、というかちくちく「漢文勉強しろ」と縁が言っている。なんとかしたいなあ。
あ、漢詩つながりってのもありますが続報が入ったので。前の前のエントリーで書いたこないだ亡くなった若い作曲家さんの偲ぶ会というかなんというか、とにかく彼の作品が演奏されるそうなのでちょっと行ってみようと思ってます。親しい仲とかじゃ全然ないし特に悲しい方面での感情的な場には苦手意識があるのですが作品を聴きたい気持ちはすごく強いので。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 「大地の歌」より第6楽章「告別」
マーラーでいうと交響曲第3番は最初の楽章が30分くらいで目立って長く、この大地の歌は最後が30分くらいで目立って長く。巡礼的に聴いてきてどっちがしんどいかっていうと五十歩百歩かなあ。どっちの長い楽章も音楽の流れというかストーリーの構成というかそういうのがなかなか見えにくい書かれ方をしている。まだ6番の最終楽章(これも30分超え)の方が安心して聴いてられるというか。いやあれも別の意味で安心じゃないですが。
しかもマーラーってばこの楽章だけ歌詞に漢詩2つ使ってるんですよ。孟浩然と王維。しかもmix & match的に使ってる。詩の世界を大切にしてないわけじゃなくむしろ逆で、それに合わせて自分が描きたい諸々に対する思い入れがすごくてこういう形になったのか。どのみちマーラーが何を思ってこの最終楽章を長さ始めこういう形にしたのか凡人の頭では全然手が届かないです。
(ただしマーラーは3番の第1楽章を最後に書いたことについて「最初に書いてたら一生この交響曲書き終わらなかった」とか言ってるそうなので天才的な感性・思考を変な方向に突き抜けているという可能性はあります)
歌曲としてもちょっと奇妙さがあるというか。割と最初の方からオケが歌い手をサポートするよりも一人ぼっちにさせるようなパートになってるような。もちろんピアノ伴奏の歌曲みたいなアンサンブルとは違う世界なんだけどそれを考慮してもちょっと関係性が・・・異様というか。
それがでも最後の方でうまーいこと溶け合うようなところもあったり。やっぱすごいよなあ。
マーラーは交響曲も9つ+αあるしオケ伴奏の歌曲集も色々あるけどこの最終楽章みたいな世界観ってなかなか出会えないかもしれない。荒涼とした雰囲気も、心に来る重さも、そして最後の「永遠」の美しさも。ただこれを聴くと例えばホルストの「惑星」の「土星」にもつながるところがあったり、正にこの楽章からインスピレーションを得てるクラムのアメリカ歌曲集第7巻のラストにもつながるところがあったり(クラムがマーラーから受けた影響も)、唯一無二ながら色んなところにリンクしている感がまた面白い。それも含めてもっと分かりたい。
さすが録音もたくさんあるんですがどこのオケ・どの指揮者・どの歌手の録音がいいんだろう。うちにあってなんとなく聴いてたから今の今まで全く意識してなかった。もしかしたらちょっと変わった感じかもわからないけどブーレーズ指揮の録音にしてみる。
不思議な物であんまり耳がうまくつきにくいと思った曲でも録音を(特に新しいクリアな音質の録音に)変えてみると不思議と聞きやすくなったり。もちろんこの曲に限ったことではないですが複雑で長いこの曲では特に「むむっ」と思ってももひとつ試すのがおすすめです。
そんな中ちょこちょこあっちいったりこっちいったりの用事が出てきて楽しみながらも億劫なところもあり。
いつもに増してアクティブに過ごしたいけどいつもに増して暖かく過ごしたい2017年冬です。
お出かけの中でも特に寒いのがコンサート行き。8時開演のコンサートとなるとご飯向こうで食べる予定で家でても出発時点ですでに暗い。そして家路はさらに寒い。トラムが古くて暖房ないのはそんなに気にならないのですが(あ、でも新しい車両こっちに早くよこして欲しいです)、風がなくても静かに寒い今日この頃。そりゃあ気も滅入りますよ。
それでもどうしても行きたかったマーラー巡礼第8弾。作曲された順番と違って「千人の交響曲」の前に「大地の歌」。どうしてなんだろう。
「大地の歌」は歌付きの交響曲になるはずだった歌曲集というか。6つ歌つき楽章が続いてれば歌曲集とも交響曲ともとれますね。交響曲とみるとちょっと短い(当社比較マーラー基準)ですが歌曲集とすると最終楽章の突然の30分という長さが異様だったり。
そんな変わった曲ですがプログラムはこんな感じでした。
MSO Plays Das Lied von der Erde
指揮:Sir Andrew Davis
フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」
(休憩)
グスタフ・マーラー 「大地の歌」(メゾ・ソプラノ:Catherine Wyn-Rogers、テノール:Stuart Skelton)
マーラーの交響曲にはちょっと短めのこの曲、合わせるなら同じく交響曲としては半分サイズの未完成交響曲が合いますね。そういう時間的な問題だったり作曲の経緯にいわくつきだったり、それ以外にもっと音楽的なところでもなんか相性良いとこある気がするこの2曲。
未完成、今回のメル響はいい意味でまとまってたかも。ドラマチックなところが爆発しすぎてないというか、大きいコンサートホールでの響きだけどintimateなところがあったり。
メロディーとかソロももちろんいいんだけど伴奏に心地よさみたいなものがあった印象。
あと木管の音の溶け合い方もよかったな。オーボエとクラリネットとか、あんなにも違う音を歩み寄るようにどうやってするんだろう。
そして「大地の歌」。時間的には短めで交響曲ほどでっかくないにしても内容はみっちり濃いし難しい。7番でなんとか頭の中に収まるイメージだったのが大地の歌はかなり頭からはみ出てしまう感覚。聞いててすっごい難しい!特に最終楽章を一つの世界として理解して噛み砕いて飲み込んで消化できるかといえば最初の段階ですでにつまずいてるかも。胸焼けまでも行ってない。
そもそもマーラーが作曲家として弾き手・歌い手・指揮者・聴き手全てに対して容赦ない。
特に歌い手は大変だと思う。さらに言えばテノールはかなりしんどそう。今回歌った方も透明感があるまっすぐな歌声だったんですがなんせバックがフルオケ(=マーラーの、フルオケ)で。音域的にオケとかぶると飲み込まれやすいとこにあると思うんだなー。
メゾソプラノの歌う楽章は(少なくとも音量的には)もちょっと歌い手に優しいかも。
その変わりメゾソプラノは最終楽章担当なので音楽的&体力的に難しいパート。
オケの演奏も良かったと思う中でやっぱり音の質がこの曲を描き彩るべきものちょーっと違ってたような気がします。もっとこう暖かいというか全体を繋いで抱くようななにかというか、うーん難しい。録音・コンサート合わせて色んなオケで聴き込めばわかるかな。
そもそもこの曲をもっともっと分かりたいという気持ちがほんと強いです。現代音楽に限らず、分からないから好きになる、分からないから分かりたい。とにかく掴みたい。
大地の歌も今回聴いて「掴めるかも」まで頭が迫ったところもあり、最終楽章の後半、特に最後の天国的な(チェレスタソロ!)部分の美しさも心にストレートに来てそれだけもこの曲を好きになるのに十分なのですが。それでもそれだけじゃ足りないと思ってしまう。
ついでにな話になりますが大地の歌の歌詞、色々lost in translation的な経緯をたどった元ネタは漢詩なんですよ。ちょこちょこ、というかちくちく「漢文勉強しろ」と縁が言っている。なんとかしたいなあ。
あ、漢詩つながりってのもありますが続報が入ったので。前の前のエントリーで書いたこないだ亡くなった若い作曲家さんの偲ぶ会というかなんというか、とにかく彼の作品が演奏されるそうなのでちょっと行ってみようと思ってます。親しい仲とかじゃ全然ないし特に悲しい方面での感情的な場には苦手意識があるのですが作品を聴きたい気持ちはすごく強いので。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 「大地の歌」より第6楽章「告別」
マーラーでいうと交響曲第3番は最初の楽章が30分くらいで目立って長く、この大地の歌は最後が30分くらいで目立って長く。巡礼的に聴いてきてどっちがしんどいかっていうと五十歩百歩かなあ。どっちの長い楽章も音楽の流れというかストーリーの構成というかそういうのがなかなか見えにくい書かれ方をしている。まだ6番の最終楽章(これも30分超え)の方が安心して聴いてられるというか。いやあれも別の意味で安心じゃないですが。
しかもマーラーってばこの楽章だけ歌詞に漢詩2つ使ってるんですよ。孟浩然と王維。しかもmix & match的に使ってる。詩の世界を大切にしてないわけじゃなくむしろ逆で、それに合わせて自分が描きたい諸々に対する思い入れがすごくてこういう形になったのか。どのみちマーラーが何を思ってこの最終楽章を長さ始めこういう形にしたのか凡人の頭では全然手が届かないです。
(ただしマーラーは3番の第1楽章を最後に書いたことについて「最初に書いてたら一生この交響曲書き終わらなかった」とか言ってるそうなので天才的な感性・思考を変な方向に突き抜けているという可能性はあります)
歌曲としてもちょっと奇妙さがあるというか。割と最初の方からオケが歌い手をサポートするよりも一人ぼっちにさせるようなパートになってるような。もちろんピアノ伴奏の歌曲みたいなアンサンブルとは違う世界なんだけどそれを考慮してもちょっと関係性が・・・異様というか。
それがでも最後の方でうまーいこと溶け合うようなところもあったり。やっぱすごいよなあ。
マーラーは交響曲も9つ+αあるしオケ伴奏の歌曲集も色々あるけどこの最終楽章みたいな世界観ってなかなか出会えないかもしれない。荒涼とした雰囲気も、心に来る重さも、そして最後の「永遠」の美しさも。ただこれを聴くと例えばホルストの「惑星」の「土星」にもつながるところがあったり、正にこの楽章からインスピレーションを得てるクラムのアメリカ歌曲集第7巻のラストにもつながるところがあったり(クラムがマーラーから受けた影響も)、唯一無二ながら色んなところにリンクしている感がまた面白い。それも含めてもっと分かりたい。
さすが録音もたくさんあるんですがどこのオケ・どの指揮者・どの歌手の録音がいいんだろう。うちにあってなんとなく聴いてたから今の今まで全く意識してなかった。もしかしたらちょっと変わった感じかもわからないけどブーレーズ指揮の録音にしてみる。
不思議な物であんまり耳がうまくつきにくいと思った曲でも録音を(特に新しいクリアな音質の録音に)変えてみると不思議と聞きやすくなったり。もちろんこの曲に限ったことではないですが複雑で長いこの曲では特に「むむっ」と思ってももひとつ試すのがおすすめです。
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