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やっと!お知らせができる!
9月にオケで弾きますよー。
まずは詳細から。
Zelman Memorial Symphony Orchestraコンサート
2017年9月17日(日)午後2時開演
Hamer Hall
指揮:Mark Shiell
合唱指揮:Nicholas Cowall
ゲスト・コンサートマスター:Wilma Smith
プログラム:
Harry Sdraulig オーケストラのための「Crossway」(世界初演)
Elena Kats-Chernin フルート協奏曲「Night and Now」(フルート:Sally Walker)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス・バリトン:Adrian Tamburini)
第2次世界大戦中に起きた虐殺事件、バビ・ヤールの虐殺から75年の追悼の意を込めなかなかここらで演奏されることがないショスタコ13番を、しかもHamer Hallで演奏するコンサート。
ちなみに第2次世界大戦あたりでヨーロッパ諸国からオーストラリアに渡ってきた人って(特にユダヤ人周りでは)結構いるらしいのですが、最初の曲の作曲家(以前友人のトリオで作品が弾かれましたね)のおじいさんもポーランド人で当時向こうにいたとか。ついでにいえば時代はちょっと後になりますがElenaもだいたいあそこら辺のエリアが出身だそうで、オーストラリアという場所ならでは?な縁のあるコンサートとなってます。
今回私が弾くのはショスタコでピアノ+チェレスタ・・・もそうなのですがなんか昨日初リハーサル行ったら「Crossway」でもパートがあることが判明。しかもピアノとチェレスタ両方。ありがとうHarry。リハーサルに来たときには是非お礼を言いたいと思います。もっとチェレスタパートをみんな書いてくれー。
ショスタコに関しては私がいつも言ってるとおり(声に出して・文字にして言ったことがあるかどうかは不明)チェレスタパートは音は少ないですが弾く音の大切さとインパクトはものすごい。楽器が古い型で小さいので心配ですがHamer Hallの一番後ろまでショスタコの書くチェレスタの音を届けたい、というのが今回のなによりの目標。
特に第5楽章(最終楽章)の最後の最後のソロは聴衆の心に残るソロであって欲しい。がんばりまっせ。
ほんと難しい交響曲ではあるのですが最初のリハーサルはまずまずの出来でした(まだ第3楽章までしか言ってない)。低音金管がいなかったのは大変残念ですが・・・パートがどうとかいう話でなく個人の好みといいますか、この曲の雰囲気としてあそこらの楽器があるとないとでは大違いなので。
特に第2楽章とか(私は弾かない楽章)弾き手目線で見るとそこらじゅうに罠が仕掛けてあって初見ではすっごい難しい。フレーズの長さとか拍子とかいきなりイレギュラーに変わったりするんですが、聴き手目線だとわりと自然に聞き流せるのが不思議。
それにしてもリハーサルで諸々やってて思うのはとにかくみんなもっと曲の録音を聴こうよ、ということで。曲全体をあるていど把握してると間違えないとことかわざわざリハーサルで労力と時間を割く必要がないとことかいっぱい出てきて。ショスタコ全般そうなんですよね、しっかり録音聞いて(できればスコアも参照して)れば意外と分かりやすいこといっぱいある。ユースオケで11番やったときも言ったはずこれ。
バレエの発表会のリハーサルではそこんとこみんなちゃんと気をつけてるんですよね。自分が踊ってないときの他の人の踊りもある程度気をつけて見るし、舞台全体での位置とか並びとか、あと曲の録音も先生にもらったりしますし。オケの方もそれが当たり前みたいにならないかなあ。特にユースの段階でそういうことの大切さをもっと学べないものかと。
あと教育関係の話になったので一つ。今回のコンサートでHamer Hallといういつもより大幅に大規模な場所での演奏なのですが、もちろんお客さんにたくさん来てもらわないといけないという話もあるのですがなんか寄付があって学校から生徒に来てもらうのに使うという話もあり。
その時にオケのマネージャーやってる人が「音楽やってる生徒だけでなくこのコンサートは歴史を勉強している生徒にも来てもらわないと」と言ってて。
これは聞いてはっとしましたね。高校の時の第2次世界大戦だとちょうど映画「パール・ハーバー」が出たときで学級でそれを見にいったのですが(私はちょっと日本人なんで遠慮しますって言って行かなかったんですが)コンサートでも同じように歴史の学びの場になり得るわけですよね。
個人的にこの曲に限らずショスタコの音楽は歴史資料として扱われるといいなと思ってますしもっと彼の音楽とそれに込められた思いだったり生き様が知られるようになるといいなと思ってるのでこのコンサートを通じてそれをどうやって実現すればいいかの答えが一つ二つ見えてくるといいなーと思います。
兎にも角にもこれから毎週ではないものの寒い中でリハーサルに通ってロシアの冬を象徴するような寒い曲をリハーサルしてくる予定です。曲がまとまってくるのが楽しみ。そしてハープ(4人!)が隣にくるのも楽しみ。またこちらでも経過など書きますのでお楽しみに。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第2楽章「ユーモア」
ショスタコは15つ交響曲を書いててこれは13番目。立派に後期の分類に入る難解さのある作品ですがまだまだ晩期のあのアブストラクトな透明な闇には届いてないくらい。実際14番・15番は交響曲としてスケールがぐっと小さくなるのである意味これが最後のショスタコの交響曲らしい交響曲・・・といえるかなあ。難しいところ。
でもこの曲ってショスタコのショスタコらしい諸々が無駄なく100%詰まってる気がします。どこを見てもショスタコらしい&完成されたショスタコの魅力。ずっとショスタコ。
この第2楽章も明るいけれど心の底から明るいわけじゃない、ショスタコ流の皮肉がたっぷり詰まったスケルツォ。ちなみにショスタコの音楽をもっと知って欲しい、ってのは彼がソヴィエト政府からの抑圧の中でどう表現したかっていうことだけでなく彼の音楽が本当に「こんな感情の音楽があるんだ!」という広がりも広めたくて。この曲もほんとそう。こんなに明るく痛烈に皮肉が刺さる音楽が他にありますか。
でもその魅力が弾き手にとっては難しさの元になったり。途中でなんか木管楽器がみんなアンサンブルとして延々と拍子変わったりなんだりを超えてパワフルなソロ弾いてる部分は聞いててちょっと大変そうでした。なかなかそういう木管パートって少ないような(あくまでも個人的な印象ですが)。でもかっこよかった。そもそもショスタコってソロもアンサンブルも木管パートよく格好いいことが多い。
この楽章の歌詞はエフゲニー・エフトゥシェンコの詩「ユーモア」でユーモアは屈服させることができないみたいな感じの歌詞なのですが、そのテーマも痛快ながら曲自体にもそれと同じくらいの痛快さがあって聞いててすごく楽しいです。この楽章だけ聴くのも十分可能ですが他の楽章も(特に3,4楽章の難解さすごいけど)是非聴いてほしいなあ。
やっぱりまずは第1楽章がこの交響曲のシンボルなので一番にオススメ、そして聴きやすいし痛快な第2楽章。その先にとっつくためのお手伝いはまた別の時にしようと思います。(恒例ですがコンサート終わりましたエントリーまでに全楽章紹介する予定)
リンクした録音はちょっと探してみてよさげなのをチョイスしました。やっぱり全体的に軽くない、というかちゃんと重さがある演奏がいいですし、第1楽章の鐘の音もこだわりたくなっちゃう(鐘フェチ)のですが、なかなかこれ!という録音はちょこっと検索しただけじゃ見つかりませんね。ただようつべとかにも色々演奏ありますので(実際の演奏してる映像付きのもオススメ)色々見てみると面白いかもです。昨日指揮者さんが言ってたのですがいくつか演奏動画を見比べてると難所なんかも見えてくるそうなのでそういうとこに注目するのも一つの楽しみ方。
9月にオケで弾きますよー。
まずは詳細から。
Zelman Memorial Symphony Orchestraコンサート
2017年9月17日(日)午後2時開演
Hamer Hall
指揮:Mark Shiell
合唱指揮:Nicholas Cowall
ゲスト・コンサートマスター:Wilma Smith
プログラム:
Harry Sdraulig オーケストラのための「Crossway」(世界初演)
Elena Kats-Chernin フルート協奏曲「Night and Now」(フルート:Sally Walker)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス・バリトン:Adrian Tamburini)
第2次世界大戦中に起きた虐殺事件、バビ・ヤールの虐殺から75年の追悼の意を込めなかなかここらで演奏されることがないショスタコ13番を、しかもHamer Hallで演奏するコンサート。
ちなみに第2次世界大戦あたりでヨーロッパ諸国からオーストラリアに渡ってきた人って(特にユダヤ人周りでは)結構いるらしいのですが、最初の曲の作曲家(以前友人のトリオで作品が弾かれましたね)のおじいさんもポーランド人で当時向こうにいたとか。ついでにいえば時代はちょっと後になりますがElenaもだいたいあそこら辺のエリアが出身だそうで、オーストラリアという場所ならでは?な縁のあるコンサートとなってます。
今回私が弾くのはショスタコでピアノ+チェレスタ・・・もそうなのですがなんか昨日初リハーサル行ったら「Crossway」でもパートがあることが判明。しかもピアノとチェレスタ両方。ありがとうHarry。リハーサルに来たときには是非お礼を言いたいと思います。もっとチェレスタパートをみんな書いてくれー。
ショスタコに関しては私がいつも言ってるとおり(声に出して・文字にして言ったことがあるかどうかは不明)チェレスタパートは音は少ないですが弾く音の大切さとインパクトはものすごい。楽器が古い型で小さいので心配ですがHamer Hallの一番後ろまでショスタコの書くチェレスタの音を届けたい、というのが今回のなによりの目標。
特に第5楽章(最終楽章)の最後の最後のソロは聴衆の心に残るソロであって欲しい。がんばりまっせ。
ほんと難しい交響曲ではあるのですが最初のリハーサルはまずまずの出来でした(まだ第3楽章までしか言ってない)。低音金管がいなかったのは大変残念ですが・・・パートがどうとかいう話でなく個人の好みといいますか、この曲の雰囲気としてあそこらの楽器があるとないとでは大違いなので。
特に第2楽章とか(私は弾かない楽章)弾き手目線で見るとそこらじゅうに罠が仕掛けてあって初見ではすっごい難しい。フレーズの長さとか拍子とかいきなりイレギュラーに変わったりするんですが、聴き手目線だとわりと自然に聞き流せるのが不思議。
それにしてもリハーサルで諸々やってて思うのはとにかくみんなもっと曲の録音を聴こうよ、ということで。曲全体をあるていど把握してると間違えないとことかわざわざリハーサルで労力と時間を割く必要がないとことかいっぱい出てきて。ショスタコ全般そうなんですよね、しっかり録音聞いて(できればスコアも参照して)れば意外と分かりやすいこといっぱいある。ユースオケで11番やったときも言ったはずこれ。
バレエの発表会のリハーサルではそこんとこみんなちゃんと気をつけてるんですよね。自分が踊ってないときの他の人の踊りもある程度気をつけて見るし、舞台全体での位置とか並びとか、あと曲の録音も先生にもらったりしますし。オケの方もそれが当たり前みたいにならないかなあ。特にユースの段階でそういうことの大切さをもっと学べないものかと。
あと教育関係の話になったので一つ。今回のコンサートでHamer Hallといういつもより大幅に大規模な場所での演奏なのですが、もちろんお客さんにたくさん来てもらわないといけないという話もあるのですがなんか寄付があって学校から生徒に来てもらうのに使うという話もあり。
その時にオケのマネージャーやってる人が「音楽やってる生徒だけでなくこのコンサートは歴史を勉強している生徒にも来てもらわないと」と言ってて。
これは聞いてはっとしましたね。高校の時の第2次世界大戦だとちょうど映画「パール・ハーバー」が出たときで学級でそれを見にいったのですが(私はちょっと日本人なんで遠慮しますって言って行かなかったんですが)コンサートでも同じように歴史の学びの場になり得るわけですよね。
個人的にこの曲に限らずショスタコの音楽は歴史資料として扱われるといいなと思ってますしもっと彼の音楽とそれに込められた思いだったり生き様が知られるようになるといいなと思ってるのでこのコンサートを通じてそれをどうやって実現すればいいかの答えが一つ二つ見えてくるといいなーと思います。
兎にも角にもこれから毎週ではないものの寒い中でリハーサルに通ってロシアの冬を象徴するような寒い曲をリハーサルしてくる予定です。曲がまとまってくるのが楽しみ。そしてハープ(4人!)が隣にくるのも楽しみ。またこちらでも経過など書きますのでお楽しみに。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第2楽章「ユーモア」
ショスタコは15つ交響曲を書いててこれは13番目。立派に後期の分類に入る難解さのある作品ですがまだまだ晩期のあのアブストラクトな透明な闇には届いてないくらい。実際14番・15番は交響曲としてスケールがぐっと小さくなるのである意味これが最後のショスタコの交響曲らしい交響曲・・・といえるかなあ。難しいところ。
でもこの曲ってショスタコのショスタコらしい諸々が無駄なく100%詰まってる気がします。どこを見てもショスタコらしい&完成されたショスタコの魅力。ずっとショスタコ。
この第2楽章も明るいけれど心の底から明るいわけじゃない、ショスタコ流の皮肉がたっぷり詰まったスケルツォ。ちなみにショスタコの音楽をもっと知って欲しい、ってのは彼がソヴィエト政府からの抑圧の中でどう表現したかっていうことだけでなく彼の音楽が本当に「こんな感情の音楽があるんだ!」という広がりも広めたくて。この曲もほんとそう。こんなに明るく痛烈に皮肉が刺さる音楽が他にありますか。
でもその魅力が弾き手にとっては難しさの元になったり。途中でなんか木管楽器がみんなアンサンブルとして延々と拍子変わったりなんだりを超えてパワフルなソロ弾いてる部分は聞いててちょっと大変そうでした。なかなかそういう木管パートって少ないような(あくまでも個人的な印象ですが)。でもかっこよかった。そもそもショスタコってソロもアンサンブルも木管パートよく格好いいことが多い。
この楽章の歌詞はエフゲニー・エフトゥシェンコの詩「ユーモア」でユーモアは屈服させることができないみたいな感じの歌詞なのですが、そのテーマも痛快ながら曲自体にもそれと同じくらいの痛快さがあって聞いててすごく楽しいです。この楽章だけ聴くのも十分可能ですが他の楽章も(特に3,4楽章の難解さすごいけど)是非聴いてほしいなあ。
やっぱりまずは第1楽章がこの交響曲のシンボルなので一番にオススメ、そして聴きやすいし痛快な第2楽章。その先にとっつくためのお手伝いはまた別の時にしようと思います。(恒例ですがコンサート終わりましたエントリーまでに全楽章紹介する予定)
リンクした録音はちょっと探してみてよさげなのをチョイスしました。やっぱり全体的に軽くない、というかちゃんと重さがある演奏がいいですし、第1楽章の鐘の音もこだわりたくなっちゃう(鐘フェチ)のですが、なかなかこれ!という録音はちょこっと検索しただけじゃ見つかりませんね。ただようつべとかにも色々演奏ありますので(実際の演奏してる映像付きのもオススメ)色々見てみると面白いかもです。昨日指揮者さんが言ってたのですがいくつか演奏動画を見比べてると難所なんかも見えてくるそうなのでそういうとこに注目するのも一つの楽しみ方。
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