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昨日行ってきました!Blue Trainのピッツァをお腹に詰め込んでいってきました!
とりあえず基本情報:
メルボルン交響楽団
指揮:尾高忠明
ソリスト:Elena Zelenskaya(ソプラノ)、Timothy Robinson(テノール)、Stephan Loges(バリトン)
メルボルン交響楽団合唱団(Chorus Master: Jonathan Grieves-Smith)
National Boys Choir of Australia(Chorus Master: Peter Casey)
メルボルン・タウン・ホール
(メルボルン・コンサート・ホール(Hamer Hall)はただいま改装中らしいです)
曲目:
ベンジャミン・ブリテン 「戦争レクイエム」
曲についてはブログの端々で言及してるのと、一回文章にしただけでは語り尽くせないのでいつかの機会に・・・と後回しにさせてもらいます。
この2つのエントリーに基本的な情報の断片がありますのでリンクしておきます:
「音楽と言語」、「The World of Poetry」
このコンサートは昨日と今日の2公演があり、私が今このエントリーを書いている間ABCラジオで今日の公演が生演奏されています(聴きながら録音しています!)。
実は先週オーストラリアの偉大な指揮者、サー・チャールズ・マッケラスが83歳で死去したという悲しい報せがあり、この一連のコンサートは彼のために捧げられました。彼はメル響とそのメンバーと深く関わりがあり、特に親交の深かった首席オーボエ奏者(オーボエ奏者同士チェコで意気投合したらしいです)がスピーチをしました。マッケラスはブリテンとも親交があり、彼の作品の初演を手がけた経験もあったそうです。
まずはオケの配置。この曲は特殊です。
指揮者の前に通常のオーケストラがありますが、打楽器はバイオリンの後ろ、聴衆から向かって左側の隅に配置されてます。そしてチェロの後ろには「室内オーケストラ」というメインのオケからは独立した小アンサンブルがあり、該当楽器の主席によって占められてます。室内オケの前(チェロの後ろ端のすぐ後ろ)にはバリトンとテノールのソリストがいて、歌うときはステージの前側に移動します。
ソプラノのソリストはメインオケの第1プルト(一番前)の内側、指揮者のほとんどすぐ前にいます。
通常よりも内側に配置された6本のホルンの外(左)側にはピアノがあり。
合唱団はオケの後ろに配置されています。
私はバルコニー席の後ろから2番目、中心から少し左にずれたところに座っていたのですが、少年合唱団はどこにいるか見えませんでした。
それにしても私が在学中は私と同じ年代の音楽家達が結構Casual playerとしてメル響にいたもんですが、今回はほとんど見られず。最近の事情はどうも違うのかしら・・・みんなどうしてるんだろう。
あとメル響はコントラファゴットの代わりにコントラフォルテ(とっても似た楽器だけれどベルが上向きになっている)を使用するのでホールの後ろでも重低音が聞こえて不思議だった反面ものすごく嬉しかったです。
ソリスト、なのですが。
強く平和主義を唱えたブリテンは当初、初演に第1次世界大戦の戦勝国・敗戦国のどちからかもソリストを起用することを望んでいました(政治的な理由で実際の初演ではそれはかなうことがなかったのですが・・・)。
その作曲家の意志に沿ってこの演奏でも彼の願い通りソプラノにはロシア人、テノールにはイギリス人、バリトンはドイツ人が起用されました。
平和というテーマだけではなく、音楽的にも彼らのパートはその国の歌い手のスタイルに沿って書かれてるような気はうすうすしていたのでこのキャスティングには本当に満足でした。もちろん3人とも素晴らしい演奏をしました!それはまたちょこちょこ後で。
指揮者は日本人の尾高忠明さんだったのですが、彼は今年の初めからメル響の首席客演指揮者となっています。イギリス音楽が専門だそうで、さきほどもラジオでブリテンの専門家だと紹介されてましたが全ての側面から本当に納得です。曲の解釈については本当に文句なしだと思いました。この曲は作曲家自身の演奏を何百回も聴いてきたのですが同じかどうかは別として本当にしっくりいく解釈で。
曲自体、は・・・
最初の方ではものすごくオケ・合唱両方の奏者の「恐がり」が伝わってきました。
あまり演奏されない曲で、しかもこう・・・isolatedなオープニングなので仕方ないことは仕方ないのですが、かなり伝わってきてこちらも不安になるくらいでした(ただやっぱり2回目の公演の今日はそれがほとんどなかったです。)それさえ無ければ稀に見るピカイチの演奏になってたかも・・・?
そのなかでDies Iraeの最初のエントリーで異常な元気さを見せつけたホルン軍団には脱帽。怖がるということはないんですかねえ、あの人達は。
Liber Scriptusのソプラノの力強さが本当に印象に残りました。オケと声のバランスにちょっと難があったのですが、オケも引くわけにはいかないのでこれも仕方がない。でもOut thereの室内オケとソリストの掛け合い、Recordareの合唱とオケのアンサンブルは素晴らしかった!
Dies Iraeに関してはクライマックスの盛り上がり(Be Slowly Lifted Upから)がちょっと物足りなかった感じです。コンスタントな盛り上がりともっとクライマックスで盛り上がって欲しかった・・・と思います。
ただそこで本当に自分の望むくらい盛り上がってたら本当にLacrimosaで泣いてたかも・・・実際少し涙しそうになってしまって。Lacrimosaで泣いたら下手な駄洒落になると(Lacrimosa=涙の日なので)気づいたら冷静になって止まりましたが。あそこ(クライマックスから降りてくる箇所から)は本当に書かれ方が完璧で。ブリテンって本当にすごいです・・・
Offertoriumの最初は・・・あれはなんかすごい難しいんですね。持ってる録音でもやっぱり子供合唱団外してましたし。指揮者の役割としてはこの楽章が一番光ってたかも。あとハープがかっこよかった!私は大学時代に大学のオケのエキストラとして来てもらったメル響の首席ハープ奏者の人とちょっぴりお話ししていろんなことを教わってるのですが(オケのはじっこで休符ばっかりだと隣同士話が弾むのです)、彼女は本当にあのトリッキーな楽器をしたたかに弾きこなす名奏者です。
Sanctusはやっぱり生演奏冥利に尽きますね!合唱もブラスの輝かしいパッセージも、ソプラノと合唱と弦の暖かいパッセージも。その後のセクションも、バリトンのソロをうまく描写的パッセージでオケが引き立てて、下手すれば本当につまらなくなりかねないところをこの重大なメッセージを素晴らしく表現してくれて。心にがつんと来ました。
One Ever Hangsはピアーズの録音をよく知ってるだけに少し心配だったのですが、今回のソリストTimothy Robinsonの素晴らしさといったら!ピアーズの歌声を私個人は良く「天使の歌声」と形容するのですが、Robinsonの声はものすごく似たようなqualityを持っていながらものすごく人間的で。のびのびとリッチな歌声を心から楽しませてもらいました。私の好きな最後のフレーズ「Dona Nobis Pacem」は本当に圧巻で、涙を誘われてしまっただけでなく思い出しただけでもまた涙しそうになります。
そして私の一番思い入れが深いであろうLibera Me。ちょっと指揮者の意志に対してオケが後ろに後ろにひっぱってたような感が強い部分もあったのですが、完成度がかなり高く、クライマックスに関してはまた後ほど話しますが、尋常ないほどのエネルギーが表現・放出されて桁外れにすごいものに立ち会っちゃった感がひしひし(!)。最後初めて全ての奏者が一体となって音楽を奏でるセクションのアンサンブルは初めのあれが嘘のような一体感でした。
私はこの曲をあらかじめ隅々まで知ってからこの演奏を聴いたわけですが・・・多分この曲を知らなくていきなり生演奏を聴くのはものすごくいい体験でもありながら無謀でもあると思います。この曲にこめられてる全てを生でいきなり全部受け止めるのは無理だと思うので。
どっちにしろ素晴らしい、そして他の曲では味わえないいろんなことを体験できる「経験」(もう音楽を聴くといかいうレベルでもなく感情、色彩、全ての「経験」「体験」だと思います)だと思います。
私に関してはもう曲の中で数え切れないほどぞくぞくするわ、身震いするわ、がたがた震えるわ、息は止まるわ・・・
先ほどいいましたが何回か泣きそうになりましたし、Libera Meのクライマックスに関しては泣きそうになったと思ったらあっというまにそのレベルを通り越して気が遠くなりましたし。
感動というレベル・・・では全くないんですよね。通り越して音楽にこめられたエネルギー、感情、色彩などを生演奏によってもろに真っ向から手に負えないほど曝露したので・・・半端無く強い物を感じました。
苦しい部分もありました。でもいい「苦しい」でした(笑)
ちなみに精神は完璧に健康な状態でした。(調子が悪かったら耐えられてなかったかも)
なんでしょうね、やっぱり(Dies Iraeのクライマックスが物足りなかったからなのですが)Libera Meなんですよ。
ものすごく黒いものが最初のドラムの音から体の中に忍び入ってきて。それがどんどん血管から神経から全てに染み渡っていって。曲が盛り上がるごとに体の中を駆け巡って音楽と自分が同化して内から外からあのとてつもないマグニチュードのエネルギーに浸食、爆発されるんですよ。その感覚が苦しながらもものすごく愛しくて。
その一部は録音を聴くことで毎回経験したことがあるんですが、やっぱり生演奏は直接曝露なので違うんですね・・・
その感覚を感動、というのはどうも受け身的な気がするのですよ。感動という言葉はあまり好きではないのですが。ある種の共感であるとは思います。音楽が感じていることを私も同じく、音楽になったかのようになって感じ、ある意味表現してるのですから。
音楽と同化したと感じたことも、それだけ強いものを放つ音楽と対面してそのエネルギーを直接受け止めたということも、ほんとうにいい体験だったと思います。
もちろん音楽を聴いていつも音楽に共感(感動よりかは共感の方がずっと多いです)し、上記の感覚を部分的に感じるのですが。こんなに強烈な体感は初めてでした。
そういう意味でも昨日のコンサートは本当に素晴らしい音楽的・それ以上の経験だったと思います。
ずいぶんと語ってしまいましたが。
素晴らしい演奏と音楽にとどまらない経験に出会えて良かった、と思っています。
ある意味では(純粋に音楽的な意味以外の何か)私が生涯聴きに行ったコンサートの内ダントツで一番素晴らしい物で。
苦しくなるほど、気の遠くなるほど何かを感じる演奏って(もともとの曲のそういった傾向を差し引いても)なかなかないですもんね。
この曲もあんまり弾かれないんですけど(なぜなら演奏・管理どっちも困難を極めるので)、また生で聴ける機会があったらいいな、と思ってます。
そして次回メル響の演奏を聴くとき、これと同じものは望めませんが(ブリテンの力が大きいのでね)、また素晴らしい演奏を聴くのを楽しみにしてます。
いつになるかしらん。なんか聴きたい曲あったかな?
とりあえず基本情報:
メルボルン交響楽団
指揮:尾高忠明
ソリスト:Elena Zelenskaya(ソプラノ)、Timothy Robinson(テノール)、Stephan Loges(バリトン)
メルボルン交響楽団合唱団(Chorus Master: Jonathan Grieves-Smith)
National Boys Choir of Australia(Chorus Master: Peter Casey)
メルボルン・タウン・ホール
(メルボルン・コンサート・ホール(Hamer Hall)はただいま改装中らしいです)
曲目:
ベンジャミン・ブリテン 「戦争レクイエム」
曲についてはブログの端々で言及してるのと、一回文章にしただけでは語り尽くせないのでいつかの機会に・・・と後回しにさせてもらいます。
この2つのエントリーに基本的な情報の断片がありますのでリンクしておきます:
「音楽と言語」、「The World of Poetry」
このコンサートは昨日と今日の2公演があり、私が今このエントリーを書いている間ABCラジオで今日の公演が生演奏されています(聴きながら録音しています!)。
実は先週オーストラリアの偉大な指揮者、サー・チャールズ・マッケラスが83歳で死去したという悲しい報せがあり、この一連のコンサートは彼のために捧げられました。彼はメル響とそのメンバーと深く関わりがあり、特に親交の深かった首席オーボエ奏者(オーボエ奏者同士チェコで意気投合したらしいです)がスピーチをしました。マッケラスはブリテンとも親交があり、彼の作品の初演を手がけた経験もあったそうです。
まずはオケの配置。この曲は特殊です。
指揮者の前に通常のオーケストラがありますが、打楽器はバイオリンの後ろ、聴衆から向かって左側の隅に配置されてます。そしてチェロの後ろには「室内オーケストラ」というメインのオケからは独立した小アンサンブルがあり、該当楽器の主席によって占められてます。室内オケの前(チェロの後ろ端のすぐ後ろ)にはバリトンとテノールのソリストがいて、歌うときはステージの前側に移動します。
ソプラノのソリストはメインオケの第1プルト(一番前)の内側、指揮者のほとんどすぐ前にいます。
通常よりも内側に配置された6本のホルンの外(左)側にはピアノがあり。
合唱団はオケの後ろに配置されています。
私はバルコニー席の後ろから2番目、中心から少し左にずれたところに座っていたのですが、少年合唱団はどこにいるか見えませんでした。
それにしても私が在学中は私と同じ年代の音楽家達が結構Casual playerとしてメル響にいたもんですが、今回はほとんど見られず。最近の事情はどうも違うのかしら・・・みんなどうしてるんだろう。
あとメル響はコントラファゴットの代わりにコントラフォルテ(とっても似た楽器だけれどベルが上向きになっている)を使用するのでホールの後ろでも重低音が聞こえて不思議だった反面ものすごく嬉しかったです。
ソリスト、なのですが。
強く平和主義を唱えたブリテンは当初、初演に第1次世界大戦の戦勝国・敗戦国のどちからかもソリストを起用することを望んでいました(政治的な理由で実際の初演ではそれはかなうことがなかったのですが・・・)。
その作曲家の意志に沿ってこの演奏でも彼の願い通りソプラノにはロシア人、テノールにはイギリス人、バリトンはドイツ人が起用されました。
平和というテーマだけではなく、音楽的にも彼らのパートはその国の歌い手のスタイルに沿って書かれてるような気はうすうすしていたのでこのキャスティングには本当に満足でした。もちろん3人とも素晴らしい演奏をしました!それはまたちょこちょこ後で。
指揮者は日本人の尾高忠明さんだったのですが、彼は今年の初めからメル響の首席客演指揮者となっています。イギリス音楽が専門だそうで、さきほどもラジオでブリテンの専門家だと紹介されてましたが全ての側面から本当に納得です。曲の解釈については本当に文句なしだと思いました。この曲は作曲家自身の演奏を何百回も聴いてきたのですが同じかどうかは別として本当にしっくりいく解釈で。
曲自体、は・・・
最初の方ではものすごくオケ・合唱両方の奏者の「恐がり」が伝わってきました。
あまり演奏されない曲で、しかもこう・・・isolatedなオープニングなので仕方ないことは仕方ないのですが、かなり伝わってきてこちらも不安になるくらいでした(ただやっぱり2回目の公演の今日はそれがほとんどなかったです。)それさえ無ければ稀に見るピカイチの演奏になってたかも・・・?
そのなかでDies Iraeの最初のエントリーで異常な元気さを見せつけたホルン軍団には脱帽。怖がるということはないんですかねえ、あの人達は。
Liber Scriptusのソプラノの力強さが本当に印象に残りました。オケと声のバランスにちょっと難があったのですが、オケも引くわけにはいかないのでこれも仕方がない。でもOut thereの室内オケとソリストの掛け合い、Recordareの合唱とオケのアンサンブルは素晴らしかった!
Dies Iraeに関してはクライマックスの盛り上がり(Be Slowly Lifted Upから)がちょっと物足りなかった感じです。コンスタントな盛り上がりともっとクライマックスで盛り上がって欲しかった・・・と思います。
ただそこで本当に自分の望むくらい盛り上がってたら本当にLacrimosaで泣いてたかも・・・実際少し涙しそうになってしまって。Lacrimosaで泣いたら下手な駄洒落になると(Lacrimosa=涙の日なので)気づいたら冷静になって止まりましたが。あそこ(クライマックスから降りてくる箇所から)は本当に書かれ方が完璧で。ブリテンって本当にすごいです・・・
Offertoriumの最初は・・・あれはなんかすごい難しいんですね。持ってる録音でもやっぱり子供合唱団外してましたし。指揮者の役割としてはこの楽章が一番光ってたかも。あとハープがかっこよかった!私は大学時代に大学のオケのエキストラとして来てもらったメル響の首席ハープ奏者の人とちょっぴりお話ししていろんなことを教わってるのですが(オケのはじっこで休符ばっかりだと隣同士話が弾むのです)、彼女は本当にあのトリッキーな楽器をしたたかに弾きこなす名奏者です。
Sanctusはやっぱり生演奏冥利に尽きますね!合唱もブラスの輝かしいパッセージも、ソプラノと合唱と弦の暖かいパッセージも。その後のセクションも、バリトンのソロをうまく描写的パッセージでオケが引き立てて、下手すれば本当につまらなくなりかねないところをこの重大なメッセージを素晴らしく表現してくれて。心にがつんと来ました。
One Ever Hangsはピアーズの録音をよく知ってるだけに少し心配だったのですが、今回のソリストTimothy Robinsonの素晴らしさといったら!ピアーズの歌声を私個人は良く「天使の歌声」と形容するのですが、Robinsonの声はものすごく似たようなqualityを持っていながらものすごく人間的で。のびのびとリッチな歌声を心から楽しませてもらいました。私の好きな最後のフレーズ「Dona Nobis Pacem」は本当に圧巻で、涙を誘われてしまっただけでなく思い出しただけでもまた涙しそうになります。
そして私の一番思い入れが深いであろうLibera Me。ちょっと指揮者の意志に対してオケが後ろに後ろにひっぱってたような感が強い部分もあったのですが、完成度がかなり高く、クライマックスに関してはまた後ほど話しますが、尋常ないほどのエネルギーが表現・放出されて桁外れにすごいものに立ち会っちゃった感がひしひし(!)。最後初めて全ての奏者が一体となって音楽を奏でるセクションのアンサンブルは初めのあれが嘘のような一体感でした。
私はこの曲をあらかじめ隅々まで知ってからこの演奏を聴いたわけですが・・・多分この曲を知らなくていきなり生演奏を聴くのはものすごくいい体験でもありながら無謀でもあると思います。この曲にこめられてる全てを生でいきなり全部受け止めるのは無理だと思うので。
どっちにしろ素晴らしい、そして他の曲では味わえないいろんなことを体験できる「経験」(もう音楽を聴くといかいうレベルでもなく感情、色彩、全ての「経験」「体験」だと思います)だと思います。
私に関してはもう曲の中で数え切れないほどぞくぞくするわ、身震いするわ、がたがた震えるわ、息は止まるわ・・・
先ほどいいましたが何回か泣きそうになりましたし、Libera Meのクライマックスに関しては泣きそうになったと思ったらあっというまにそのレベルを通り越して気が遠くなりましたし。
感動というレベル・・・では全くないんですよね。通り越して音楽にこめられたエネルギー、感情、色彩などを生演奏によってもろに真っ向から手に負えないほど曝露したので・・・半端無く強い物を感じました。
苦しい部分もありました。でもいい「苦しい」でした(笑)
ちなみに精神は完璧に健康な状態でした。(調子が悪かったら耐えられてなかったかも)
なんでしょうね、やっぱり(Dies Iraeのクライマックスが物足りなかったからなのですが)Libera Meなんですよ。
ものすごく黒いものが最初のドラムの音から体の中に忍び入ってきて。それがどんどん血管から神経から全てに染み渡っていって。曲が盛り上がるごとに体の中を駆け巡って音楽と自分が同化して内から外からあのとてつもないマグニチュードのエネルギーに浸食、爆発されるんですよ。その感覚が苦しながらもものすごく愛しくて。
その一部は録音を聴くことで毎回経験したことがあるんですが、やっぱり生演奏は直接曝露なので違うんですね・・・
その感覚を感動、というのはどうも受け身的な気がするのですよ。感動という言葉はあまり好きではないのですが。ある種の共感であるとは思います。音楽が感じていることを私も同じく、音楽になったかのようになって感じ、ある意味表現してるのですから。
音楽と同化したと感じたことも、それだけ強いものを放つ音楽と対面してそのエネルギーを直接受け止めたということも、ほんとうにいい体験だったと思います。
もちろん音楽を聴いていつも音楽に共感(感動よりかは共感の方がずっと多いです)し、上記の感覚を部分的に感じるのですが。こんなに強烈な体感は初めてでした。
そういう意味でも昨日のコンサートは本当に素晴らしい音楽的・それ以上の経験だったと思います。
ずいぶんと語ってしまいましたが。
素晴らしい演奏と音楽にとどまらない経験に出会えて良かった、と思っています。
ある意味では(純粋に音楽的な意味以外の何か)私が生涯聴きに行ったコンサートの内ダントツで一番素晴らしい物で。
苦しくなるほど、気の遠くなるほど何かを感じる演奏って(もともとの曲のそういった傾向を差し引いても)なかなかないですもんね。
この曲もあんまり弾かれないんですけど(なぜなら演奏・管理どっちも困難を極めるので)、また生で聴ける機会があったらいいな、と思ってます。
そして次回メル響の演奏を聴くとき、これと同じものは望めませんが(ブリテンの力が大きいのでね)、また素晴らしい演奏を聴くのを楽しみにしてます。
いつになるかしらん。なんか聴きたい曲あったかな?
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