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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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四季折々、観天望気
寒かったり涼しかったりのメルボルンの冬、元気にやっています・・・といいたいところですがここ数日また気分がすぐれず。
でも仕事も家事も一応こなさなきゃで・・・まあブログがつけられるのでまあまあ大丈夫です。

メルボルンは一日に四季があると言われますが、冬は一貫して10~15℃(昼)です。
こないだちょっとぽかぽかして上着が要らない(薄手セーターの上に、ですが)日もありましたが、湿気があり雨が多く。
それで心身調子が崩れることもあります。

前話したか分からないんですが、どうも私の身体は天候に弱く。
極端な例では自律神経の調子がすこぶる悪い時に外出したら低気圧の影響であやうく出先で動けなくなるところでした。

雨が降る前になるとほとんどと言っていいほど気分が数レベル落ちますね。
雨が見えなくても、音が聞こえなくても(例えば大学の地下の一番奥の窓のない練習室にいても)変に突然気分が落ちるときは大体雨が降ってます。
しかも雨が降り終わったら降り終わったでものすごい眠気に襲われます。
冬季のデフォルトの平均気分の低さに加えて雨が多くてしょっちゅうこんなんです。

詩的に言うならば気候や天候の移り変わりを深く全身で感じているというか、敏感というか。
ただ現実的にはやっかいなことこの上ありません(笑)

メルボルンも日本と似たような四季みたいなものがわりとはっきりと存在しています。
ただ春秋がちょっと短かったり、一つ一つの季節の中での天候の移り変わりが激しかったり。異常気象、と呼ばれるようなことがわりと日常的に起こったりすることもあり。
なので暦の上ではいつ季節が変わるか不明なのですが、大抵11月のメルボルン・カップまでには一回は真夏日があることだけは通常と思ってます。

先ほどの天候の話と同じように、暦にかかわらず季節が変わる瞬間を体内に感じることが毎年あります。
夏・冬は結構曖昧なのですが春・秋はある日突然「あ・・・」と不思議な違和感を感じるのですよ。
春になったときは軽躁に・・・ちょっと似た?妙な静かな躍動というか、ちょっぴり明るい焦燥感というか。
本当にどうにかなってしまうような、心の奥が騒ぎ出すというか。
秋は逆に不思議な虚無感と静けさと、すーっと夏までの健康な気持ちが静かにひいていくような。
「ああ、秋か・・・」と一人たたずむ秋の入り口・・・(?)

これはまた別の話の領域に入ってくるのですが、同じ四季の話と言うことで。
音楽は本当に人の心や身体にいろんな影響を及ぼしますが、どうもそのうちの1つに「体感温度」があるような気がずーっとしてたんですよ。

例えば夏場にはぱったりドイツ音楽とかロシア音楽は聴かなくなりますね。
ワーグナーとか(ってもともと聴いてない気も)、ブラームスとか(ちゃんと好きなんですよ!ものすごく!)チャイコフスキーとか、シベリウスとか・・・なんだか暑苦しく感じちゃって。
ただでも40℃超えるのが珍しくないメルボルンの夏なのですがそういった音楽は暑さを余計にあおるような気がします。
主にやっぱり冬寒くなったりする国の音楽・・・なんですかね。

夏はなのでフランス・イギリス・アメリカ・オーストラリアの音楽をよく聴きます。
猛暑日にラヴェルやクラムはもうぴったり。すかっとしますね。
同じフランスでもドビュッシー、フランク、サン=サーンス、メシアンあたりは春の方があうかも。
オーストラリアはやっぱり音楽の地元ですからね(笑)聞こえる気候と感じる気候がマッチします。

あと先ほど言いました「春を感じたとき」には「春の祭典」が欠かせません。
本当に心の中の春の息吹が大自然の息吹と音楽を通して繋がるような気がして。どっかに逃がさないと本当にさっき言ったようにおかしくなってしまいそうなので。
未知のエネルギーなのです(謎)

暑い夏の晴れた夜にはクラムの「夏の夜の音楽」から「星屑の音楽」、そういう夕方にはたまの「夏の前日」、雨の日にはラヴェルのピアノ三重奏曲・・・など、始めるとキリがないのですが(別の日にまた改めて・・・・)ある季節・天気・時間にしっくりくる音楽というものがあって、外と内がシンクロしてより音楽を深く感じられる、心により大きな影響を及ぼす、というものはやっぱりあると思います。
あとは別の季節などと関連した曲を聞くとその季節などが恋しくなったり。

音楽の人間への影響、そして音楽を通していろんなことを感じること・・・
なんだかでっかい話のような気もしますが、いろいろ考えていきたいと思っています。もくろんでいます。企んでいます(笑)

明日は寒いであろう中International Youth Mental Health Conferenceの無料公開イベントがあるのでお出かけです。プロの話や現状の話を聴く良いチャンスだと思って参加登録しちゃったのですが。
青少年のメンタルヘルスはもともと一番興味のあるエリアなのですが、とりあえずできることから行動を起こして少しずつでも学びたいとの思いです!
どんな話でどんなセッションなのか、はたして私みたいなひよっこが行って大丈夫なのか、私のメンタルヘルスのもろもろにとってどんなファーストステップになるのか分からないのですが・・・とりあえず頑張ります!


今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 「ドイツ・レクイエム」 第5楽章



冬の寒さにはブラームスの音楽が染み渡ります。
それはその重厚さ、内向的で落ち着いた深さ、ハーモニーの暖かさにあり、そして他のドイツの作曲家にはないユニークなエレメントにもその秘密は隠れています。

ブラームスの有名な曲には「子守歌」がありますが、実際子守歌という名が付いていない作品でも子守歌的な性格・性質をもった曲は多くあります。
それに表れているのはずばり、「母性」です。
大きめの曲はがっつりドイツの男性的ですが、そういった曲で表れる優しさはどこか女性的であり、包容力を持っていて。
なのでブラームスはやっぱり小品の方に素晴らしい音楽が集まってると思ってます。

で、今日のこの曲なのですが、これもまた母性にあふれた曲なんです。

ブラームスがこのレクイエムを書き始めたのは師・シューマンの死を受けてのことだと一説には言われています。
モーツァルトやヴェルディなどのレクイエムはキリスト教の中でもカトリックの教典の中にある「レクイエムミサ」を歌詞として使っていますが、ドイツはバッハの時代くらいからルターによる宗教革命により宗教音楽は別の未知を歩いています。
ブラームスはドイツという土地と文化に見合ったドイツのレクイエムを書くため、ドイツ語の聖書からフレーズを抽出して、ドイツのキリスト教の教えをより反映したレクイエムを作ったのです。

ユースオケで弾いた時聞いた話なので(もう10年近く前!)記憶があやふやで実際本当かどうかも分からないなのですが、当初このレクイエムは6楽章編成となるはずだったそうです。
ただ作曲中に(ブラームスは結構石橋を叩いて渡るような作曲家なので一時間超の大曲、それも色んな意味で思い入れが深い曲を作曲するのには随分と時間がかかったようです)彼の母が亡くなって、それでこの楽章を追加した、という話で。

実際この楽章の歌詞の一部には「汝の母が汝を慰めるよう、私も汝を慰めよう」とありますし。
この楽章でのソリストはソプラノ歌手ですし(これがソプラノ歌手唯一のソロ楽章です)。
あとブラームスに関してはホルン三重奏の第3楽章も母の追悼のために書かれているとの話です。
母を本当に愛していたのでしょうね。(・・・むしろ性格や音楽のその母性的なスタイルを考えてもマザコンだったのでは、と思ってます)

音楽もまた優しくて。まるで本当に母の腕に抱かれているような暖かさと優しさにあふれています。
小さめの編成の弦の音が美しく、ソプラノのメロディーものびのびとしていて。
どこか淋しく、でも美しく。

でもなんといっても最後の方で合唱が一時アカペラになって囁くように「汝の母が汝を慰めるよう」と歌うところにまあやられますね。心がきゅっとなります。

この曲の全体的な性質から一人キャラ生まれてしまいましたからね!(笑)
それだけ本当にある意味理想の女性像(恋愛に限らず)を身近に感じるユニークな曲ではあると思います。

とりあえず何よりも聞いてもらえれば・・・!と思ってます。
うちひしがれたとき、淋しいとき、寒い時、辛いとき、心のざわつきが静まらないとき、傷ついたとき・・・
この曲がその歌詞に違わず優しく力になってくれるでしょう。(あくまで癒し、とは言いません)
「汝の母が汝を慰めるよう、私も汝を慰めよう」と。

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