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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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そしてまた始まるオケの日々
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
あれからまたトラベラーズもちょこっと使いーの編み物練習(まだ練習)始めーのしてます。好きとは言えあんまり詰め込みすぎないように気をつけはしますが・・・多分。

またオケに呼ばれたぞーということでまずはお知らせから。

Stonnington Symphony Orchestra
Sunday Series 1
指揮者:Fabian Russell
アントニン・ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ オーボエと弦楽合奏のための協奏曲(オーボエ:Thomas Hutchinson)
セルゲイ・ラフマニノフ 交響的舞曲

そうなんです交響的舞曲なんです。私の一番好きなラフマニノフ!また弾ける日がこんなにすぐ来ようとはもう嬉しい限りで。
そして指揮者がFabianなのも大変嬉しいです。久しぶりだったーもっとお仕事したい指揮者さんの筆頭な人。

ということで火曜日に初リハーサルだったのですがなんとコントラバスとトランペットが一人もいなかった。トランペットは今回都合がつかなかったみたいですがコントラバスは慢性的に人手不足の様子。前お仕事したZelmanでも募集してるみたいだったしどこも苦しそう。
実際「あるべきところにコントラバスが一人も居ない」という状態を味わったのは長いオケ生活でも初めてだったのですがオケの土台というべき楽器と音がないと明らかな危機感を感じますね。On beatを担当してる人がいない状態でのテンポ上げてくとことか一番わかりやすいですが全体的にすかすかしている。

前回この曲をオケでやったときはどうだったかというのは記憶としては覚えてないのですが(今はここの一番下の録音で試聴&購入できます)、自分のパートに書き込んだ諸々から分かることは多いです。そしてその書き込みで判断すると前回と今回はテンポなどの解釈が全然違う。
Markは割とテンポ変えれるとこは色々強弱してそういう方向から表現してみる傾向で、Fabianは堅実にあまりあっちいったりこっちいったりしない傾向。

ただオケにとって難しいとこは大体一貫してますね。第2楽章の最後の方でだんだんテンポが速くなっていくところとか第3楽章の元の速いテンポに戻ってそこからずっと突っ走ってくとことか。
実際書かれてる音が難しいのもありますが楽譜に書かれてるリズムと(指揮者が振る)拍の兼ね合いが直感的にうまくつながりにくかったりってのはあるかな、どっちのセクションも。音楽を形にするって難しいですなあ。

ハートで弾くのがラフマニノフみたいなイメージありますが頭をがっつり使うラフマニノフが好きです、やっぱり。ラフマニノフに限ったことじゃないですが、あんまりすんなり詳細まですぐ分かっちゃってもそんなに楽しくないのです。特にオケだと新しく気づくことが多くて出会う度になにか発見するのが大好きで楽しいしリハーサルやっててとにかく面白いので。ありがとうラフマニノフ。(でもほんとうはバレエで見たかったんだフォーキン)

あ、そういえば今回弾くピアノパートの楽譜、前回弾いた時につかった楽譜にない数小節が第1楽章の序盤に足されててびっくりしました。版が違うの手持ちの録音2つではどうなってるんだろう、耳で聞いて分かるかな(違ってたら分かるとは思う、くらいの違い)。

来週はリハーサルがないですが再来週はなんとかコントラバスが1人は・・・できたら複数人来るといいなあ。裏方の人達も結構胃がきりきりする案件なので最終的には(でもなるべく早く)解決してくれることを願います。


今日の一曲: グスタフ・マーラー 「大地の歌」第1楽章 「大地の哀愁に寄せる酒の歌」



つい先日「孔明のヨメ。」の著者でもある杜康潤先生の「梨花の下で 李白・杜甫物語」のウェブコミック版(pixivコミック版がこちら、他にニコニコ静画・ComicWalkerにも連載)が連載完結したとのことで速攻全部通してがーっと読みに行きました。もちろんがーっと読むだけじゃなくて作中に出てくる詩とか言及がある詩集(前の時代のもの含め)のリストを作ってあとで調べられるようにしておいたり。これもトラベラーズノートブックのいい使い方。

となるとやっぱり「大地の歌」を今日の一曲でやりたくなっちゃいますよ。杜甫はないですが李白の詩は第1,3,4,5楽章で使われてます。半分以上じゃないですか。19世紀ヨーロッパでもやっぱり詩仙は中国の詩人の中で知名度トップクラスだったのかな。

なんとなくでも上記作品を読んでると李白の作品は欧州ロマン派の音楽(文学も?)に相性が良いのかなと思いますね。一人の人間からあふれ出る感性みたいな芸術の天才としての姿だったり、詩に描かれる一人の人間を主人公とした世界とか自然とか人間のダイナミクスとか。なんか外向きの力がシューマンとかに似てるかもなあ。

そんな李白の詩(を翻訳したりアレンジしたりしたもの)を歌詞としたこの第1楽章も「溢れる」感が強い曲調。マーラーというとどっちかというと(この作品の最終楽章みたいな)内向きに延々杜考えられる曲が好きですし実際そういう曲の方が多い気がします。なのでこの第1楽章は冒頭からなんか新鮮。そして歌曲として考えてもこういう雰囲気とエネルギーの伴奏パートって変わってるかも?

前メル響でこの曲を聞いた時書いたと思うのですが伴奏パートとはいえこの歌曲集は(リヒャルト・シュトラウスの最後の四つの歌も)オケがガチ仕様で書いてあってガチ仕様で弾いてくるので歌う方は大変なんだろうなあと思います。(しかもソプラノとかじゃなくて比較的低めの声部ですし)でもこの容赦ないオケ表現が単純に「歌曲」という世界観に嵌まらない3D映像みたいなさらに&もっと飛び出てくる鮮やかさとドラマチックさを作りだしてるみたいでものすごーくわくわくして聞ける曲です。

それでもやっぱりこの「歌曲集」の表現や世界観を形式以上のものにしている一番大きな要因は最後の楽章「告別」だと思うんですよね。特に聞き慣れてない人にとってどうしても長い楽章は敬遠されがちかなと思うのですが、やっぱり告別なしには語れない。なので最後の最後までおすすめです。

そういえば前回大地の歌ここでやったときからの宿題やってないので未だに誰が歌ってる録音をおすすめすればいいのか決まってません。そのうち。あとマーラーはちょくちょく自分のオケ作品をピアノ版でも書いてるのですが今Amazonでリンク録音見つけたら大地の歌もピアノ伴奏版見つけました。できることなら弾きたい。ついでにバレエ版も見たい(ノイマイヤーさんのです)。

リンクした録音はなんとマーラー9番との2枚組。すごいなあ。私だったら同じ日には聞けないよ。

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