忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

久々のメル響コンサート
明日こそは寒いこと文句言わないと決めながら毎日寒さが頭の中をだいぶ占めてしまう毎日。
でも外に出るときは買い物だったりポケGOだったりだいたい楽しいので冬を楽しく過ごす目標はちょっとは達成できてるかな。

メインのコンサート感想の前にひとつ。
こないだシティにいってチャイナタウンのChinese Museumに行ってきました。
三国志好きとしては今やってる特別展「漢王朝展」を見逃すわけにはいかなかったので。
といっても小さい博物館で展示品も多くはなかったですがよく知ってる名前や「孔明のヨメ。」で見た品々にポスター展示などで言及があったり。
あと常設展の中国人移民関連の展示も色々面白い物がありました。ちっさい関帝廟もおいてあったり。展示少ないとはいったけど好きなもの率は大分高くて楽しかったです。

そして昨日は友人が前働いてたという素敵な毛糸のお店でも買い物をしてしまいました(ただ最近何度かウィンドウショッピングしてる)。Empireというメリノウール、もちろんそれなりにお値段はしますがどうしても外出用のハンドウォーマーをそれで作りたくて買っちゃいました。色も綺麗だし。お値段上も下も色々な毛糸使ってみたいなあ。

そんなお買い物後に久しぶりのメル響コンサート。忙しかったりお財布が苦しかったりもありましたが「これ!」というプログラムが少なかったのもあるかな。ただこのプログラムは見過ごせなかった。

メル響「Thomas Hampson Sings Mahler」
指揮:Andrea Molino
グスタフ・マーラー 「葬礼」
グスタフ・マーラー 「若きさすらい人の歌」(テノール:Thomas Hampson)
(休憩)
オリヴィエ・メシアン 「輝ける墓」
リヒャルト・シュトラウス 「死と変容」

このコンサートはこの1回+Geelongでの公演1回でしたがバルコニー席は結構空いてましたね。結構マイナーなマーラー+メシアン+決して派手ではないシュトラウスというなかなか渋いラインアップは広くは売れにくいとこはあるか。ちなみにPlexusでバイオリンを弾いてる友人(ピアノ友人のパートナーである友人)もそこそこ長くメル響(第2バイオリン)にいますが最初の3曲は初めてだったそう。

ただこのマーラー2曲はメジャーなマーラーのレパートリーとはかなり密接に関係があります。「葬礼」は第2番の第1楽章の派生(でいいのかな)ですし歌曲の方は第1番と共通箇所が色々。
なんか2曲一緒に聴いて不思議な気分でした。
メル響は低音の弦がごうごう言うので「葬礼」は聴いててほんと楽しい。チェロもコントラバスもオーディションとかでやるあの冒頭。こんな形でまた聴くことになるとは(やっぱり不思議)。

そして歌の方もよかったー。すごく甘い歌声でなんかすごく新鮮。そう感じるのは去年のショスタコ13番だったり大地の歌だったりちょっと声域&声質が違う方に行ってたからなのかな。
相変わらずマーラーは歌う人に容赦なくフルオケのスケールで来ますが(とはいえ大地の歌ほどではないかなあ)ホールの後ろまで柔らかく、でもしっかり届く声量。いいなあもっとマーラーの歌曲も生で聴きたい。

今回マーラーも打楽器少なめでしたがメシアンもものすごく少なめでしたね。なんか意外、と思ったら1931年の作品。後の作品みたいな複雑な完成度はないにしてもしっかりメシアン。リズムもそうですし独特の形のメロディーも。特に最後のチェロ+ビオラのセクションソロよかった。四重奏曲の最後のチェロ楽章に通じる天国的な美しさは反則級。
隣に座ってた老婦人も聴いてみたらそこそこお気に召したようでしたがなんとなくシンプルさもあって美しさもあって重厚すぎない「輝ける墓」はもっと気軽にメシアンするのにいいオケ曲かもしれませんね。

シュトラウスの「死と変容」はそんなマイナーな曲ではないけどやっぱり他の彼の作品と比べるとトップには立てない感じかな。でも今回のプログラムを締めくくるには素晴らしいチョイスでした。今回は最初から最後まで「死とその向こう」みたいなテーマの曲揃いで、テーマだけ聞くと「なんだそういうことかー」みたいな反応になりますが実際曲の連なりとして聞いてみるとそれ以上にずっと深い。ものすごい説得力。特にこの最後の曲で。
ついでにいえば伝統的なコンサートプログラムの序曲→協奏曲or歌曲→交響曲でなく15~20分くらいの似たような長さの曲を4つつなげたのもきっと効いてる。

ということで期待して入ったコンサートですが期待以上に楽しんで出てきました。
アイディア次第ではありますが新鮮さを感じるコンサートにもっと出会いたいです。

今月は他にも行きたいコンサートがいくつかあるので寒い中おでかけが楽しみです。
自分で弾く方も新しいレパートリーにしたのでそちらでも新鮮な気持ちになるといいな(ほとんどは前弾いた曲ですが)。


今日の一曲: グスタフ・マーラー 「若きさすらい人の歌」より「恋人の青い瞳」



マーラーは人間も自然も明るいも暗いも全部ものすごい表現する作曲家ですがやっぱ暗いマーラーは一種のguilty pleasureですねー。なんか屈折した、というかちょっと複雑な心持ちの魅力があります。

ただこの歌曲は比較的シンプルかつ比較的パーソナルかな。詩は作曲家自身が書いてるのもありますしそもそも作曲家の自体験に基づいてるとかいう話もありますし。
面白いのはここでオーストリアの作曲家+さすらう主人公+失恋+歌曲+メランコリーっていうとシューベルトの「冬の旅」とかなり属性がかぶること。しかもこの楽章もシューベルトと同じく菩提樹がでてくる。

世界感もちょっとこぢんまりしたスケールではありますが(最近親しんだ例でいうと)例えば大地の歌に通じるような空の広がりがあったり、それと同時に人の沈みが直接感じられるような内なる感覚があったり。いろんな意味で「森羅万象」な作曲家だと思います。

ただやっぱりこの最終楽章が交響曲第1番第3楽章と色々共通なところがあるのを考えると「自然」&「交響曲」と「パーソナル」&「歌曲」の二面性を心で捉え頭で考えるのはまだまだ自分には難しく感じます。特に1番は生涯ずっと知ってる交響曲なので。さらにユダヤ系の曲調があって文化的に「中立」ではないのも余計に難しい。でもこうやって捉え方に迷うのも面白いプロセスです。

あと歌曲の終わりとしてはあまりにもそっけないというか突然というかbleakなエンディングもまた難しい(少なくとも私にとっては)。オケのパートとしては中後期の交響曲と比べると全然シンプルなのにものすごく惑わされています。

ちなみに英語ではこの歌曲集はSongs of a Wayfarerと訳されることが多いですがWayfarerといえばクラムのアメリカ歌曲集にも登場する言葉ですね。大地の歌への言及の件もありますしこれも意識してのつながりの可能性が濃いですね。マーラーもクラムも大好きな作曲家ですし、クラム→マーラーのつながりは音楽自体から語られることが少なめなのでことある毎にこうやって意識して楽しむのもよいです。

リンクした録音は今回歌った方ので。甘い歌声を堪能できますよー。

拍手[1回]

PR
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Comment:
Pass:
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック