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本番行ってきましたー!・・・ということで今日はそちらの話を。
Zelman Symphony Orchestraコンサート
「From the Old World to the New」
場所:Xavier College、日時:9月1日午後8時開演
指揮者:Rick Prakhoff
アントニン・ドヴォルザーク 組曲「アメリカ」
サミュエル・バーバー 弦楽のためのアダージョ
サミュエル・バーバー オーボエと弦楽のためのカンツォネッタ(オーボエ:Thomas Hutchinson)
ボフスラフ・マルティヌー オーボエ協奏曲(オーボエ:Thomas Hutchinson)
Chris Pickering 「The Straightened Arrow」
アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第8番
プログラムの集客力が影響したのかいつもよりもお客さん少なめでした。勿体ないけどしょうがない。
面白いけど不思議なプログラムでしたね。普通新しい曲(=若い作曲家さんの曲)は最初の方で弾くから舞台に行ってマルティヌー弾き始めたときしばらく実感が湧きませんでした。そして管楽器のコンチェルトなのであっという間に終わってしまう。
オーボエのソリストはリハーサルの時から思ってましたがものすごく音が美しくて。でもマルティヌーくらいの量のピアノパートだと弾いてる間は完全に戦闘モードで音の美しさを味わってる余裕全然ないんですよね。なので舞台ONする前に裏でバーバーちょっと聴いておきました。またメル響でもソリストとしてもどこかで聴く機会があるといいなあ。
Pickeringの初演の曲についてはこれまであんまり話さないでおいたのですが演奏したので感想を。作曲家の背景がクラシック系じゃないとオケ使いってこうなるかーという感じでしたね。チェレスタパートをほとんどピアノに変えたのは正解だったけどオケの機能しかたについてはもっと勉強していただきたいかな。でも光る瞬間も結構ありましたしスタイルはある程度確立してたり意志もしっかりあって、今後どういう方向に進んでいくかちょっと楽しみでもあります。
かなり最近までこの曲は全貌が見えてこない、定着しない感じだったのですがコンサートが終わって以来ちょこちょこ口ずさむようになったので自分にとってはそこそこ愛着もありmemorableな曲、ということですかね。
そうそう、今回のコンサートのプログラムに多分来年コンサートが来るであろう日にちとレパートリーに関することがこっそり載ってました。まだ確定してないことも多いそうですが合唱曲、それからバイオリン協奏曲が2つあるとか。バイオリン協奏曲だったら私がパートがあるのはバルトーク2番(超難しいオケパートなのでやらないと思う)くらいですが合唱曲は意外と面白いパートがあったりするので具体例を考えないで指をクロスして待ちに入ることにします。
そして今年の最後のコンサートはこちら。晩年フォーカスなプログラム。曲数は少なくなりましたがそれでも序曲の代わりにハイドンの交響曲なのでボリューム的にはちょっと大きめになるのかな。私が出番があるのはシュトラウスの「最後の四つの歌」。チェレスタがあるはずなんだけどそんなに大きいパートではなさそう。でも大好きな曲なので弾くのがものすごく楽しみ。
ということでもうすぐ日本に出発です。それまでに書く時間はあっても書く事はあるのだろうか。日本に行ったら更新するのか。ということで次はいつになることやらということにしておきます。
今日の一曲: ボフスラフ・マルティヌー オーボエ協奏曲 第2楽章
しっかり身についた曲ですし弾いてて(難しいながらも)楽しかったですが最後まで変な曲だったなあこれ。そもそもマルティヌーが変な作風ということはわかっててもずっと首をかしげ続ける。和音の繋がり方が多分一番わからないんだろうなあ。
先ほどバイオリン協奏曲についても書きましたがそもそも他の楽器がソロ弾いてるコンチェルトでピアノとかが出てくることはごくごく珍しいケースです。特にピアノは音量と音の存在感(もっといえばビジュアルでの存在感も)が圧倒的なのでよっぽどのことがないと協奏曲でオケにいることはないはず。
そのよっぽどのことがこの曲ってのも不思議な話なんですよね。しかもずっと弾いてる。音の数ではソリストより多いんじゃないかというくらい。でも存在感としてはちょうどいいしサブソリストとしてのポジションにいい感じで納まる。そして意味なくピアノがいるわけじゃなくちゃんとピアノである意味がある。そこまで含めて不思議。
特にこの第2楽章ではピアノのパートは(1)弦楽器の和音に輪郭つける(2)オーボエソロのカデンツァをトレモロ和音で伴奏する、に大別されます。よりによってソリストの一番の見せ場で二人っきり(今回は指揮者さんも振らなかったし多分それが普通)。二人と話してたのですがなんか新古典派のハープシコードみたいだったりジャズの伴奏みたいだったり妙かつ絶妙なパートなんですよね。というか私がこの曲を「新古典派のハープシコード」って思った元ネタはおそらくファリャじゃないかな。となるとハープシコードばかりかスパニッシュギターにもつながってる&似てるってことになる不思議。
そのオーボエのカデンツァパートででてくる音階的なパッセージも東欧的というかジプシー的な流れがあってそれもスペインにつながったり。なんか考えると頭痛くなってくる(汗)
でもこの第2楽章すごい好きです。自分のパートの独特さもそうですがマルティヌーの独特な和音の連なりの色彩が静かな弦の音で活きて、オーボエのカデンツァはもうオーボエの一番いいとこがめいっぱい楽しめますし。またどこかで出会うことはあるのかな(そもそもこの曲でなくマルティヌーの音楽全般)。また機会があったら弾きたいです。
残念なのは録音をリンクするときにこの楽章だとオーボエが弾いてない部分ばっかりになっちゃうこと。とりあえずマルティヌーがどんな音楽書いてるか、だけでもなんとか・・・
プログラムの集客力が影響したのかいつもよりもお客さん少なめでした。勿体ないけどしょうがない。
面白いけど不思議なプログラムでしたね。普通新しい曲(=若い作曲家さんの曲)は最初の方で弾くから舞台に行ってマルティヌー弾き始めたときしばらく実感が湧きませんでした。そして管楽器のコンチェルトなのであっという間に終わってしまう。
オーボエのソリストはリハーサルの時から思ってましたがものすごく音が美しくて。でもマルティヌーくらいの量のピアノパートだと弾いてる間は完全に戦闘モードで音の美しさを味わってる余裕全然ないんですよね。なので舞台ONする前に裏でバーバーちょっと聴いておきました。またメル響でもソリストとしてもどこかで聴く機会があるといいなあ。
Pickeringの初演の曲についてはこれまであんまり話さないでおいたのですが演奏したので感想を。作曲家の背景がクラシック系じゃないとオケ使いってこうなるかーという感じでしたね。チェレスタパートをほとんどピアノに変えたのは正解だったけどオケの機能しかたについてはもっと勉強していただきたいかな。でも光る瞬間も結構ありましたしスタイルはある程度確立してたり意志もしっかりあって、今後どういう方向に進んでいくかちょっと楽しみでもあります。
かなり最近までこの曲は全貌が見えてこない、定着しない感じだったのですがコンサートが終わって以来ちょこちょこ口ずさむようになったので自分にとってはそこそこ愛着もありmemorableな曲、ということですかね。
そうそう、今回のコンサートのプログラムに多分来年コンサートが来るであろう日にちとレパートリーに関することがこっそり載ってました。まだ確定してないことも多いそうですが合唱曲、それからバイオリン協奏曲が2つあるとか。バイオリン協奏曲だったら私がパートがあるのはバルトーク2番(超難しいオケパートなのでやらないと思う)くらいですが合唱曲は意外と面白いパートがあったりするので具体例を考えないで指をクロスして待ちに入ることにします。
そして今年の最後のコンサートはこちら。晩年フォーカスなプログラム。曲数は少なくなりましたがそれでも序曲の代わりにハイドンの交響曲なのでボリューム的にはちょっと大きめになるのかな。私が出番があるのはシュトラウスの「最後の四つの歌」。チェレスタがあるはずなんだけどそんなに大きいパートではなさそう。でも大好きな曲なので弾くのがものすごく楽しみ。
ということでもうすぐ日本に出発です。それまでに書く時間はあっても書く事はあるのだろうか。日本に行ったら更新するのか。ということで次はいつになることやらということにしておきます。
今日の一曲: ボフスラフ・マルティヌー オーボエ協奏曲 第2楽章
しっかり身についた曲ですし弾いてて(難しいながらも)楽しかったですが最後まで変な曲だったなあこれ。そもそもマルティヌーが変な作風ということはわかっててもずっと首をかしげ続ける。和音の繋がり方が多分一番わからないんだろうなあ。
先ほどバイオリン協奏曲についても書きましたがそもそも他の楽器がソロ弾いてるコンチェルトでピアノとかが出てくることはごくごく珍しいケースです。特にピアノは音量と音の存在感(もっといえばビジュアルでの存在感も)が圧倒的なのでよっぽどのことがないと協奏曲でオケにいることはないはず。
そのよっぽどのことがこの曲ってのも不思議な話なんですよね。しかもずっと弾いてる。音の数ではソリストより多いんじゃないかというくらい。でも存在感としてはちょうどいいしサブソリストとしてのポジションにいい感じで納まる。そして意味なくピアノがいるわけじゃなくちゃんとピアノである意味がある。そこまで含めて不思議。
特にこの第2楽章ではピアノのパートは(1)弦楽器の和音に輪郭つける(2)オーボエソロのカデンツァをトレモロ和音で伴奏する、に大別されます。よりによってソリストの一番の見せ場で二人っきり(今回は指揮者さんも振らなかったし多分それが普通)。二人と話してたのですがなんか新古典派のハープシコードみたいだったりジャズの伴奏みたいだったり妙かつ絶妙なパートなんですよね。というか私がこの曲を「新古典派のハープシコード」って思った元ネタはおそらくファリャじゃないかな。となるとハープシコードばかりかスパニッシュギターにもつながってる&似てるってことになる不思議。
そのオーボエのカデンツァパートででてくる音階的なパッセージも東欧的というかジプシー的な流れがあってそれもスペインにつながったり。なんか考えると頭痛くなってくる(汗)
でもこの第2楽章すごい好きです。自分のパートの独特さもそうですがマルティヌーの独特な和音の連なりの色彩が静かな弦の音で活きて、オーボエのカデンツァはもうオーボエの一番いいとこがめいっぱい楽しめますし。またどこかで出会うことはあるのかな(そもそもこの曲でなくマルティヌーの音楽全般)。また機会があったら弾きたいです。
残念なのは録音をリンクするときにこの楽章だとオーボエが弾いてない部分ばっかりになっちゃうこと。とりあえずマルティヌーがどんな音楽書いてるか、だけでもなんとか・・・
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