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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「愛称」雑感
過去のエントリーにちらほら拍手が来ていたのにちょっとぶりに気づきました。もちろん時間が経つと色々恥ずかしくはあるのですがそれでも変わらずありがとうございます。

メルボルンは5月末としてはとんでもない寒さで(でも季節予報としては例年より暖かくなって水不足の恐れがあるとか)サッカーの試合に出かける用事がなくてよかった。動かないでいたら凍えるところでした。

一年サッカーを見て勝ち負けとか内容とか感情とか出費とか、他にも学ぶこと考えること初めて体験することが色々あったのですが一つ何か思うことでブログに書くとしたら前も書いたと思いますが短縮名、愛称の話あたりがあるかな。

サッカーなどスポーツで選手を愛称で呼ぶのは特に珍しいことではないとは思いますがオーストラリアはもしかしたら多めなんじゃないかと思います(サッカーの場合は特にオーストラリア人選手に対して。例外もあり)。そもそもスラングというオーストラリア独特の言い回しに言葉を短縮するケースが多いですしね。
前々からそういうスラングの短縮言葉は短縮形よりは「愛称」というフレーバーが強いと思ってましたがサッカーをフォローして人名に対する「愛称」の側面の強さもより実感した気がします。

前回このトピックについて書いた場合その時も書いたと思いますが私がオーストラリアで英語を話すとネイティブの人よりは言葉を短縮するのは少なめです。でも結構使うには使ってます。どこからどこまでという決まりとか境界線を設けてるわけではないですが、例えばsunnies(sunglasses)やvegies(vegetables)は使うけどBrolly(umbrella)は使わない。というかこの場合Brollyという言葉の奇妙さに色々負けているだけかも。
もちろんそこら辺はTPOに応じて使い分けもありますし、なによりわかりやすさを一番に優先してます。

人名だと愛称・ニックネームは友人関係でもほとんど使いません。自分の人との距離とか人付き合いの仕方とかもおそらく関係してはいるとは思いますが。あとまあ基本相手が呼んで欲しい名前で呼ぶのはもちろんですし。ただ指定がない場合は「正式な方」「紹介された名前」で呼ぶかなあ。自分が(本名が短いので)ニックネームで呼ばれることが少ないってのもまあある程度は影響があるとかないとか。

そんな私が一年サッカーの選手をサポーターやファンなどが呼ぶ愛称で呼ぶことが多くなって、改めてシーズンが終わって冷静になってみるとなんだかとても面白いです(笑)照れとかじゃなくて誰をどうしてどう呼んでるかを分析してみて愛着だったり呼びやすさだったり(日本語でツイートするときとかは仮名に落としやすさだったり)、愛称を使うことで選手に対する印象とかどんな影響があるかだったり。そういうのも全部含めて楽しいです。

あと選手同士や関係者の中で選手がどういう呼び方をされてるのかってのにも耳ざとくなりましたね(笑)一人一人のキャラとか立場とか、人と人との関係性とか、場の雰囲気とか愛称の使い方一つでも垣間見えるものが色々ある。
一番それがはっきり分かったのがメルボルン・ヴィクトリーに1月の移籍でJames Donachieという選手が戻ってくる前、各所のコメント欄が「Donksが来るの早く発表しろ」というコメントでいっぱいになっていて「あ、この人はみんな知っててしかもかなり親しんでいる&待ち望んでいる選手なんだな」という雰囲気がかなり強かったこと。正式発表前のフライング動画でなるほどそういう風に呼ばれるキャラの選手なんだなってのも分かりましたし。

余談ですが「場所」の愛称のインパクトも地味に感じてます。メルボルン・ヴィクトリーのホームスタジアム(2つあるうちちゃんとサッカー用のやつ)はAAMI Parkというのですが正式名はMelbourne Rectangular Stadium。うーん味気ない。AAMI Parkはスポンサー名がついてるスタジアムとしてはまあまあ愛着が湧く方かなあ。近くのテニス用アリーナMelbourne Arenaはスポンサー名が転転として今のこの名前になったみたいで定着しないのも困るよなあと。Marvel Stadium(もう一つのホームスタジアム)はスポンサー名でも夢のある名前だし定着してくれると素晴らしいよなあ。

それに言葉のチョイスが色々面白いのは名前に限ったことではないなということも記者会見やらインタビューやらコメント欄やら色んな人の言葉を聞く機会が増えて実感した一年でもありました。
仕事でももちろんそういうのは大事なんですけどね、それとはまた違う楽しみで。他の人が使っている言葉を考える・分析する→それを踏まえて言葉をしっかり選んで使うという職業についておいてあれですが方前半だけの方が楽しいです。でも明日もしっかり言葉を選んで働きます。


今日の一曲: アレクサンドル・スクリャービン 2つの舞曲 op. 73-2「暗い炎」



基本ピアノで練習するレパートリーも季節の変化に合わせて変わっていくというか変えていくのが常となっていますがこうも急に寒くなると弾く曲も速急に!なんとかしなければ!と思ってしまいます。とにかく火!燃やす!炎!となるとやっぱり弾きたくなるのはスクリャービン。(これ多分去年とか他の年も似たようなこと考えてる)

スクリャービンはでも炎要素+どろどろ+首まで沼に浸かれるを求めて晩年の作品を色々模索するのですが簡単な曲なんてそもそもないですしどれだけ小さい手で弾けるのかという問題もありますし、あとスクリャービンの音楽にはまっていてもなかなか響きにくい曲って結構ありますし。しっかりじっくり楽譜と録音併用して定着できる曲を探したいと思ってます。

この「暗い炎」は去年(だったよね)弾いた曲で後期スクリャービンとしては比較的お手軽な曲だと思います。(スクリャービン後期が好きなことを前提とすれば)とっつきやすく同種音楽の良いところがしっかりある小品。スクリャービンの作品によく出てくる炎のイメージを色々感じる・解釈する楽しみもあります。

スクリャービンの音楽における神秘性をエキゾチックというのも違うと思うのですが「どこのものでもない、ファンタジーともまた違う異国的な雰囲気」はこの「舞曲」にあふれていると思います。あえて、あえて言えばシュトラウスのサロメの7つのヴェールの踊りに通じるものが・・・ないですかね?雰囲気的に。

知らない人には(特にスクリャービン初期から迷い込んだりした人には)取っつきづらい作風と思われますがスクリャービンの神秘主義がかってからの作品ははまれば急にその世界の中での秩序やルールが見えてきたり、最初で書いたような特定のニーズを満足させるのに必要不可欠な音楽になっちゃたりします。必ずしも広い層にうける音楽ではないけどふとしたきっかけで魅せられてしまう可能性は十分にあるんじゃないかな・・・?

リンク先録音はリヒテルによるショパンとスクリャービンのコンビのアルバム。「暗い炎」だけじゃなくて「炎に向かって」も収録されてますね。前弾いたことがある曲でものすごく好きな曲、自分にとって大事なレパートリーです(でも今は新しい曲が弾きたい)。

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