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最近こちらの新聞でこないだのメンタルヘルスイベントでメインパーソナリティを務めたPatrick McGorry教授がメンタルヘルス改革の主張においてデータの数字をふくらましたという疑惑があるそうで。
twitterで2度ほどつぶやいているのですが、精神関係に関しては統計は様々なものがあって、統計の取り方、分析の仕方、解釈で随分と差が出てしまうので、一概にふくらました、とは限らない側面もありながら・・・
メンタルヘルスケアの重要さを主張するにしても実際に改ざんしたのならそれはいけないことですし、どっちにしろこうやって騒がれて信頼が失われることによってこの課題の重要さや、こないだイベントで話されたような課題、問題、解決策の重みが失われたり、無視されたりすることになったら残念ですし。
今日はそのイベントで話されたうち、イベント全体の感想のなかであまり言及できなかったトピックを一つまとめてみたいと思います。
Scaffolding。
その単語自体の意味は建築などで建物の周りに組む足場のこと。
scaffoldという風に単語の形を変えると足場だったり、はたまた絞首刑の台という意味もあります。
ただこの文脈ではscaffoldingは命を奪う物ではなく、命を救う物のことを指します。
Scaffolding。
それは人の心に何かあったとき、頼れるところ。落ちそうになれば受け止めてくれる、困ったときに足を向けられる避難所のような・・・心にとって安全であれるところ。
誰にとってもあって損はないですし、むしろ必要なものですが、心の病を抱えている人にとっては必要であり、その人にとって大きな助けになるものでもあります。
もちろんScaffoldingの形は人それぞれ。
親しい人だったり、信仰だったり、趣味だったり・・・
ここでは便宜上「人」に関連したscaffoldingに関してお話したいと思います。
scaffoldingとして個人が別の個人を選ぶことはごく自然な行為。苦しむときは一人じゃあ淋しすぎるし心細い。一人じゃ乗り切れないって思いますし、そもそも病気で判断・思考能力が鈍っているときは間違った行動や判断をしてしまうので誰かが傍にいてガイドしてあげることが必要な場合もあります。
信頼できるドクターやその他専門家がいれば慢性的に精神疾患を抱えている方にとっては確実なオプションですね。
専門知識ももちろん、治療過程で十分な話し合いと意思疎通、信頼が築いていられれば患者さんを人間としてよく知っていますし、なんといっても冷静に話し合いができます。
ただ何が何でもお医者さんにいくのもあれですしね。
急にアポがとれないこともありますし、病気自体の影響とは別の話(例えば仕事や人間関係で一時的に落ち込むことなど)だったり、病気とは直接関係のない一時的な原因がはっきりわかっている不調だったり。
またはまだ病気を患って日が浅かったり、はたまた病気かどうかも分かっていない状態だったり。
いろいろリストしましたがとにかくなるべくお医者さんにいかなくて済むのが一番良い!
そういった意味でも普段周りにいる親しい人達がscaffoldingとなっていることは望ましいと言えます。
先日のイベントでの話で興味深かったのは若い人には特にPeer group、友達グループや友達同士の絆が他の世代に比べて目立って大切だと言うこと。
なので友達の間でなにかあったら若い人にはものすごいダメージだ、ということを大人は分かっておかなくちゃいけませんし、逆に若い人にとっては友達の理解とサポートが強力なscaffoldingになるということ。
でもやはり理想は家族がscaffoldingになること、らしいです。
自然に考えれば一緒に住んでいる家族、とくに若い人・子供だったら愛を持って誕生から見守ってきた親がその人の事をよく知っていて、さらに長くの時間を共に過ごしているためなにかあったら気づきやすい。
それに本来ならば家族に対しては信頼を抱き、心を許していろんなことを話せるはずであり、もっともアクセスしやすいscaffoldingにデザインされているはずなのですが・・・
・・・家族と家族の形についてはまた別の長い話になりそうなのでそのうちまた。
友達がいるから大丈夫だ、主治医さえ分かってればそれでいい、という話でも勿論ありません。
scaffoldingに相当する人達はそれぞれメリットとデメリット、得意不得意があります。(例:先ほど言いましたようにお医者さんの場合冷静で専門的かjudgmentalでないアドバイスをもらえますが、会える時間と金銭的な問題がありますね)
家族、友達、専門家、その他アドバイスをもらえるサービスなど様々なscaffoldingの種類にアクセスできる状態にしておくのは重要ですし、サポートがあると知っているだけでも随分と落ち着くものです。
普段から備えておくことも勿論大切です。調子が悪くなると患者さん本人も正しい判断・思考ができない状態だったり、周りの人もおろおろするばかり、ということがよくありますからね。
そしてscaffoldingとなる側ももちろん努力が必要です。
周りにいる苦しんでいる人の力になるために、その役割に見合った「できること」があって、でもいざとなったら何をしていいかわからない、という人が多く。
私自身はここまで書いておきながら具体的な手ほどきなどの知識をなにも持ってないことを今現在お詫びしたいのですが、でも私も私の家族も友達も、いろいろ試行錯誤して今のお互いの理解とサポートがあるのは事実で。
でも試行錯誤の過程でいっぱい苦しいこともありました。そしてみんながポジティブな結果を迎えられるわけではありません。
なので例えば親のため、または若い人のために精神疾患についての知識や、サポート方法、どこまでできるのか&どこから専門家に任せるべきか、何かあったらどこに連絡するべきかなどについてトレーニングや手ほどきなど、授業だったり生活の一部としての教養としてみんなに身につけてもらえたら、というのはイベントでも話されていましたし、私も切実に思うことです。
こういったスキルや心遣いが自然にできることは苦しんでいる人を助けるだけでなく、病気になるのを食い止めたり、メンタルヘルス以外でも使えるもので・・・
精神疾患を患う人が増えるということは関わる周りの人も増えると言うことなので啓発が広く行われるのは重要ですね。
あとイベントでパネルのうちの一人の方が言っていたのは、昔はヨーロッパ系のコミュニティはキリスト教ベースで、キリスト教の信仰や教えがscaffoldingになっていた・・・けれど現代は価値観が一つの宗教にとらわれることなく、個人が自分の価値観を「選ぶ」時代になり。それと同時にscaffoldingは与えられるものでなく、自分で探さなければならないものになった、という話でした。(家族もまた与えられたscaffoldingなのですが、現代はこれもちょっと重みが減じてますもんね・・・)
なので一人一人がscaffoldingを日常のうちで探し、何かあったときに備えないといけない、というわけです。
(これは災害への備えと同じことです。ただやはり災害と一緒である程度情報にアクセスできないといけません。なのでもしものときにコンタクトできる施設、団体、コミュニティなどの情報の公開も大切!)
最後になりましたが、周りにscaffoldingとなる存在がいても、他の環境が患者さんにとって「安全」でなければあまり意味がありませんね。
例えば家族がscaffoldingとなっていても職場でメンタルヘルスに理解がなかったり、たとえば引っ越ししたり進学したりして今までscaffoldingになっていた環境から新しい環境に移ったり(ただでさえ引っ越しなど環境の変化はストレスに容易に繋がりますからね)・・・
なので本当の理想は社会全体が大きなscaffoldingになる、ということ。
精神疾患(その他にもいろいろありますが)に対してスティグマや偏見がない社会をつくることによって大きなscaffoldingを作ることはもちろんそうですが、社会全体がそうなることによって個人の認識がポジティブになり先ほどの話のような小さなscaffoldingができやすくなる、という効果もあります。
さらに、大きなscaffoldingがあることで患者さんがなるべく周りの人に頼らず、scaffoldingに依存しないようになる、と私は信じています。
自分はもう長いこと試行錯誤してきた上でいろんなscaffoldingを身につけてきました。
家族もそうですし、学生時代からの友達もその試行錯誤を一緒に通り抜けてきましたし、運のよさなのか、メルボルンの人の認識のポジティブさか大学でもたくさん理解を示してくれる、頼れる人に出会いました。
表現形態として音楽や創作もありますし、精神医もいますし、社会も今言いましたが暖かく。
失敗したこともたくさんありますが、本当に心から感謝しながら今私のscaffoldingとなっている人達を心から
信頼しています。
信頼することは本当に心が落ち着きますし、私の助けになっていると信じています。
例によって長くなってしまいましたが、本当にこのコンセプトは重要と思っていますし、なるべく多くの人に知ってもらいたいと思っているので・・・
少しずつでもいいから、何かがどこかで変わっていってくれれば、とdown underの片隅で今日も祈っています。
今日の一曲: Chuck Mangione 「Children of Sanchez」
(HMVでの録音リンク)
今日は何よりも金管奏者の娘としてお届けします♪
ここ数ヶ月Black Dyke Mills Bandのブラス音楽に何とも言えない愛とアットホーム感を感じています。
バンドと言えばイギリスバンド、中でもこのバンドは桁外れ。
うちにある2つのCDと1つのDVDじゃあまだまだ足りない!と思うほど。
そのなかでこのChildren of Sanchez。なんでも同名の小説を元にした同名の映画のための音楽で、メキシコを舞台としているんだそう。荒野を思わせるドライなラテン系のノリと音楽がたまらなくかっこいい!
ソロをつとめている楽器はフリューゲルホルン。トランペットの仲間の楽器で、巻きが広いといいましょうか、巻きがちょっと下に伸びてる感じ。トランペットははっきりした明るい音が特徴ですがフリューゲルホルンは甘く、fuzzyで柔らかい音色が特徴です。
ちなみに金管楽器はマウスピースの大きささえ同じなら持ち替えて弾けるんですが(逆にマウスピースの大きさが違うとembouchureが乱れるから駄目!とのこと)、トランペット奏者が持ち替えで吹く楽器だと私は甘めのはっきりした音色をもつコルネット、そして明快でちょっぴりドライなC管(できたらロータリーで♪)がお気に入り。
・・・と語り始めちゃあきりがないので閑話休題。
フリューゲルホルンの魅惑の音色で口説かれる最初のスローセクションでは実は打楽器が静かに活躍しています。打楽器はどんな音楽でもリズムを叩くだけじゃなくて雰囲気をセッティングするのにものすごーく重要な役割を担っています。
なのでそこにも耳をそばだてて欲しいです♪
でもなんといってもアップテンポのセクションの迫力!
低音金管がパンチアウトする金管楽器の低音域にある独特の刃、リズムの強力さ・・・
アーティキュレーションで爆発する金管のパワーに圧倒されっぱなし!
ラテン系のノリとメロディーと合わせるともう惚れ惚れ(笑)
このパワーというか爆発的な音というか、そういうものが自分にとっては「アットホーム」で。
ブラス・フェスティバルのコンサートとかで生でそのエネルギーを真っ向から浴びるのがなんともエキサイティングであり、心地良いです。
この曲を一通り聞き終わったらプロの金管オンリーブラスバンドを生で聴きに行きたくなること間違い無しですよ!
twitterで2度ほどつぶやいているのですが、精神関係に関しては統計は様々なものがあって、統計の取り方、分析の仕方、解釈で随分と差が出てしまうので、一概にふくらました、とは限らない側面もありながら・・・
メンタルヘルスケアの重要さを主張するにしても実際に改ざんしたのならそれはいけないことですし、どっちにしろこうやって騒がれて信頼が失われることによってこの課題の重要さや、こないだイベントで話されたような課題、問題、解決策の重みが失われたり、無視されたりすることになったら残念ですし。
今日はそのイベントで話されたうち、イベント全体の感想のなかであまり言及できなかったトピックを一つまとめてみたいと思います。
Scaffolding。
その単語自体の意味は建築などで建物の周りに組む足場のこと。
scaffoldという風に単語の形を変えると足場だったり、はたまた絞首刑の台という意味もあります。
ただこの文脈ではscaffoldingは命を奪う物ではなく、命を救う物のことを指します。
Scaffolding。
それは人の心に何かあったとき、頼れるところ。落ちそうになれば受け止めてくれる、困ったときに足を向けられる避難所のような・・・心にとって安全であれるところ。
誰にとってもあって損はないですし、むしろ必要なものですが、心の病を抱えている人にとっては必要であり、その人にとって大きな助けになるものでもあります。
もちろんScaffoldingの形は人それぞれ。
親しい人だったり、信仰だったり、趣味だったり・・・
ここでは便宜上「人」に関連したscaffoldingに関してお話したいと思います。
scaffoldingとして個人が別の個人を選ぶことはごく自然な行為。苦しむときは一人じゃあ淋しすぎるし心細い。一人じゃ乗り切れないって思いますし、そもそも病気で判断・思考能力が鈍っているときは間違った行動や判断をしてしまうので誰かが傍にいてガイドしてあげることが必要な場合もあります。
信頼できるドクターやその他専門家がいれば慢性的に精神疾患を抱えている方にとっては確実なオプションですね。
専門知識ももちろん、治療過程で十分な話し合いと意思疎通、信頼が築いていられれば患者さんを人間としてよく知っていますし、なんといっても冷静に話し合いができます。
ただ何が何でもお医者さんにいくのもあれですしね。
急にアポがとれないこともありますし、病気自体の影響とは別の話(例えば仕事や人間関係で一時的に落ち込むことなど)だったり、病気とは直接関係のない一時的な原因がはっきりわかっている不調だったり。
またはまだ病気を患って日が浅かったり、はたまた病気かどうかも分かっていない状態だったり。
いろいろリストしましたがとにかくなるべくお医者さんにいかなくて済むのが一番良い!
そういった意味でも普段周りにいる親しい人達がscaffoldingとなっていることは望ましいと言えます。
先日のイベントでの話で興味深かったのは若い人には特にPeer group、友達グループや友達同士の絆が他の世代に比べて目立って大切だと言うこと。
なので友達の間でなにかあったら若い人にはものすごいダメージだ、ということを大人は分かっておかなくちゃいけませんし、逆に若い人にとっては友達の理解とサポートが強力なscaffoldingになるということ。
でもやはり理想は家族がscaffoldingになること、らしいです。
自然に考えれば一緒に住んでいる家族、とくに若い人・子供だったら愛を持って誕生から見守ってきた親がその人の事をよく知っていて、さらに長くの時間を共に過ごしているためなにかあったら気づきやすい。
それに本来ならば家族に対しては信頼を抱き、心を許していろんなことを話せるはずであり、もっともアクセスしやすいscaffoldingにデザインされているはずなのですが・・・
・・・家族と家族の形についてはまた別の長い話になりそうなのでそのうちまた。
友達がいるから大丈夫だ、主治医さえ分かってればそれでいい、という話でも勿論ありません。
scaffoldingに相当する人達はそれぞれメリットとデメリット、得意不得意があります。(例:先ほど言いましたようにお医者さんの場合冷静で専門的かjudgmentalでないアドバイスをもらえますが、会える時間と金銭的な問題がありますね)
家族、友達、専門家、その他アドバイスをもらえるサービスなど様々なscaffoldingの種類にアクセスできる状態にしておくのは重要ですし、サポートがあると知っているだけでも随分と落ち着くものです。
普段から備えておくことも勿論大切です。調子が悪くなると患者さん本人も正しい判断・思考ができない状態だったり、周りの人もおろおろするばかり、ということがよくありますからね。
そしてscaffoldingとなる側ももちろん努力が必要です。
周りにいる苦しんでいる人の力になるために、その役割に見合った「できること」があって、でもいざとなったら何をしていいかわからない、という人が多く。
私自身はここまで書いておきながら具体的な手ほどきなどの知識をなにも持ってないことを今現在お詫びしたいのですが、でも私も私の家族も友達も、いろいろ試行錯誤して今のお互いの理解とサポートがあるのは事実で。
でも試行錯誤の過程でいっぱい苦しいこともありました。そしてみんながポジティブな結果を迎えられるわけではありません。
なので例えば親のため、または若い人のために精神疾患についての知識や、サポート方法、どこまでできるのか&どこから専門家に任せるべきか、何かあったらどこに連絡するべきかなどについてトレーニングや手ほどきなど、授業だったり生活の一部としての教養としてみんなに身につけてもらえたら、というのはイベントでも話されていましたし、私も切実に思うことです。
こういったスキルや心遣いが自然にできることは苦しんでいる人を助けるだけでなく、病気になるのを食い止めたり、メンタルヘルス以外でも使えるもので・・・
精神疾患を患う人が増えるということは関わる周りの人も増えると言うことなので啓発が広く行われるのは重要ですね。
あとイベントでパネルのうちの一人の方が言っていたのは、昔はヨーロッパ系のコミュニティはキリスト教ベースで、キリスト教の信仰や教えがscaffoldingになっていた・・・けれど現代は価値観が一つの宗教にとらわれることなく、個人が自分の価値観を「選ぶ」時代になり。それと同時にscaffoldingは与えられるものでなく、自分で探さなければならないものになった、という話でした。(家族もまた与えられたscaffoldingなのですが、現代はこれもちょっと重みが減じてますもんね・・・)
なので一人一人がscaffoldingを日常のうちで探し、何かあったときに備えないといけない、というわけです。
(これは災害への備えと同じことです。ただやはり災害と一緒である程度情報にアクセスできないといけません。なのでもしものときにコンタクトできる施設、団体、コミュニティなどの情報の公開も大切!)
最後になりましたが、周りにscaffoldingとなる存在がいても、他の環境が患者さんにとって「安全」でなければあまり意味がありませんね。
例えば家族がscaffoldingとなっていても職場でメンタルヘルスに理解がなかったり、たとえば引っ越ししたり進学したりして今までscaffoldingになっていた環境から新しい環境に移ったり(ただでさえ引っ越しなど環境の変化はストレスに容易に繋がりますからね)・・・
なので本当の理想は社会全体が大きなscaffoldingになる、ということ。
精神疾患(その他にもいろいろありますが)に対してスティグマや偏見がない社会をつくることによって大きなscaffoldingを作ることはもちろんそうですが、社会全体がそうなることによって個人の認識がポジティブになり先ほどの話のような小さなscaffoldingができやすくなる、という効果もあります。
さらに、大きなscaffoldingがあることで患者さんがなるべく周りの人に頼らず、scaffoldingに依存しないようになる、と私は信じています。
自分はもう長いこと試行錯誤してきた上でいろんなscaffoldingを身につけてきました。
家族もそうですし、学生時代からの友達もその試行錯誤を一緒に通り抜けてきましたし、運のよさなのか、メルボルンの人の認識のポジティブさか大学でもたくさん理解を示してくれる、頼れる人に出会いました。
表現形態として音楽や創作もありますし、精神医もいますし、社会も今言いましたが暖かく。
失敗したこともたくさんありますが、本当に心から感謝しながら今私のscaffoldingとなっている人達を心から
信頼しています。
信頼することは本当に心が落ち着きますし、私の助けになっていると信じています。
例によって長くなってしまいましたが、本当にこのコンセプトは重要と思っていますし、なるべく多くの人に知ってもらいたいと思っているので・・・
少しずつでもいいから、何かがどこかで変わっていってくれれば、とdown underの片隅で今日も祈っています。
今日の一曲: Chuck Mangione 「Children of Sanchez」
(HMVでの録音リンク)
今日は何よりも金管奏者の娘としてお届けします♪
ここ数ヶ月Black Dyke Mills Bandのブラス音楽に何とも言えない愛とアットホーム感を感じています。
バンドと言えばイギリスバンド、中でもこのバンドは桁外れ。
うちにある2つのCDと1つのDVDじゃあまだまだ足りない!と思うほど。
そのなかでこのChildren of Sanchez。なんでも同名の小説を元にした同名の映画のための音楽で、メキシコを舞台としているんだそう。荒野を思わせるドライなラテン系のノリと音楽がたまらなくかっこいい!
ソロをつとめている楽器はフリューゲルホルン。トランペットの仲間の楽器で、巻きが広いといいましょうか、巻きがちょっと下に伸びてる感じ。トランペットははっきりした明るい音が特徴ですがフリューゲルホルンは甘く、fuzzyで柔らかい音色が特徴です。
ちなみに金管楽器はマウスピースの大きささえ同じなら持ち替えて弾けるんですが(逆にマウスピースの大きさが違うとembouchureが乱れるから駄目!とのこと)、トランペット奏者が持ち替えで吹く楽器だと私は甘めのはっきりした音色をもつコルネット、そして明快でちょっぴりドライなC管(できたらロータリーで♪)がお気に入り。
・・・と語り始めちゃあきりがないので閑話休題。
フリューゲルホルンの魅惑の音色で口説かれる最初のスローセクションでは実は打楽器が静かに活躍しています。打楽器はどんな音楽でもリズムを叩くだけじゃなくて雰囲気をセッティングするのにものすごーく重要な役割を担っています。
なのでそこにも耳をそばだてて欲しいです♪
でもなんといってもアップテンポのセクションの迫力!
低音金管がパンチアウトする金管楽器の低音域にある独特の刃、リズムの強力さ・・・
アーティキュレーションで爆発する金管のパワーに圧倒されっぱなし!
ラテン系のノリとメロディーと合わせるともう惚れ惚れ(笑)
このパワーというか爆発的な音というか、そういうものが自分にとっては「アットホーム」で。
ブラス・フェスティバルのコンサートとかで生でそのエネルギーを真っ向から浴びるのがなんともエキサイティングであり、心地良いです。
この曲を一通り聞き終わったらプロの金管オンリーブラスバンドを生で聴きに行きたくなること間違い無しですよ!
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