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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Arachnoid Matter
(↑スペルミスじゃないですよ、わざとです(笑))

今日はDaylesfordまで行く予定(昨日やっと予定がたったところ!)だったのですが昨日の午後から心身の調子がすこぶる悪く、これは無理できないと今朝リタイア。全面休養の一日となりました。
昨夜10年来のネットでの友人であり、強力なScaffoldingである人と話していたところ頑張りすぎで最近調子が右肩下がりな感じでここまできたんじゃないか、と言われました。
思って見ればモーニントン半島に行く前に仕事終わらせなきゃ、から始まってレッスンまでピアノも仕事や勉強と並んで頑張らなきゃ→曲を今週中に仕上げなきゃ、などと次から次へと頑張る締め切りみたいなものが出来ていて・・・
プラス毎週のように友達と会っていて正直あんまり楽しめないことも少なくなく、人疲れしてたのを無理に押していたような感じもひしひしします。
完全に自己管理・自己ケア・自己モニタリングの不足だった、と今日冷静になって大変反省しております。

明日は仕事なのですが、仕事はとりあえず苦にならなさそうなので勿論頑張り、あとはピアノや創作、勉強の方も気負わずやっていこうと思ってます。
方針としてはしばらく友達とは会わないようにして、一人で自由にきままに動き回れる時間を大切にしたいと思ってます。

で、昨日の午後の不調で「いかん!」と思った時にとっさに博物館に足を向けまして。
動物園や水族館は少しお金がかかりますし、博物館はシティから近いですし、なんといっても恐竜の化石と虫の展示が常時やってますので(笑)
恐竜の化石や、世界の動物の標本もそうですが、なによりも昆虫ほか虫を見ていると本当になんともいえない落ち着きを感じるんですよ。
昔から図鑑で育った子供だったのですが、中でも虫、特に蛾なんかは愛着が強くて。メルボルンではあまりめぼしい虫たちにお目にかかれる機会は少ないのですが実物が見れるときは必ずといっていいほどはしゃいじゃいます。

昨日は何よりも生きてるタランチュラの展示が愛しくて愛しくて。
自分の手のひらよりも大きい奴らがこっちにおしりを向けたまま、触角だけたまにむにゃむにゃ動かして寝ていたり、そして珍しくもそもそ歩き回ってる様子を見ると心が不思議と和みます。もともと蜘蛛は、とくにタランチュラは好きなんですが、実物が動いてるのを見るとこんなにも愛しいものかと(笑)
見てると好奇心が次から次へと湧いてくるんですよね。
8本もある足の動かし方には規則性みたいなものがあるのか?とか。どんな表情をして、何を思って動いているんだろう、とか。
昨日珍しくもそもそ歩き回ってた子はなにやら左後ろ足を怪我しているようで、そこだけ動きがぎこちないように思えました。もともとはメルボルン空港の検疫で押収されて博物館に来たらしいです。
「大変ね-」とかいってついつい厚いガラス越しに日本語でしゃべりかけてしまったり。
なつく動物だったらよかったのだけれど、なつきそうには無いです。ただそれでもきっと私はしゃべりかけるでしょう(笑)

(オーストラリアは検疫が厳しく、持ち込める食料品なども限りがあります。ただその厳しい検疫が外来種により自然形態を乱されることを防いでるのであって、Cane Toad以来外来種で問題があったことは皆無と言っていいでしょう。ちなみに口蹄疫も狂犬病も存在しません。)

とにかく蜘蛛で和むのも一時的な食い止めではあるのですが、調子が悪く感じたときにああやって気軽にゆったり(?)時間を過ごせる、自分が気が楽になれる場所を知っているのは本当に自分でも助かります。
特に冬場は外でまったりするのにも天候が悪かったりで・・・今年のメルボルンの冬は雨が多いので余計に。
春になったら動物園のバタフライハウスに遊びに行こうと思います。何とかトリバネアゲハ、それよりもユリシーズ(オオルリアゲハ)に好かれようとしてみたいです。蝶になつかれたい。

春になったら・・・といえば貯金次第で(給料が数ヶ月分オージードル換算が滞納されています。お父さん、しっかりしてください)春になったら電車で(metropolitan範囲外で)一泊くらい旅行にいこうかなーと。2泊でもいいですし。
ワイヤレスインターネットがあるところなら緊急の仕事だって出来ちゃいますしね。あ、仕事を休むための旅行ではなくどちらかというと違う景色で、誰も知ってる人がいないところ(田舎とか)でまったりしたいな、という。
一人旅は日帰りでWarrnumboolに、そして2泊3日でタスマニア(ホバート)に行ったのですがどこに行こうかなあ・・・
水のあるところが良いです。川でも湖でも海でも。

ちなみに来週末はコンサート続き。
土曜日はPiano Landmarksという元は私の先生が、今は同門の先輩が主催しているピアノコンサートシリーズ。1日に4つサウスメルボルンの国立アカデミーでコンサートがあるのですが、朝一のコンサートに私の先生スティーブンが、最後の夜のコンサートにマイケルが出演するので(他の2つのコンサートも知ってる人出るのですがとりあえず)その2つを聴きに行きます。
今年のテーマは「Preludes, Fugues and Etudes」で、先生は前奏曲オムニバス的プログラム、マイケルは練習曲オムニバス的プログラム担当です。

日曜日はここらの区域のタウンホールでKlezmaniaのコンサート。
クレズマー(イディッシュ=ユダヤ音楽)を知る一歩として、行ってみようかなーと思い。
実はそのタウンホールのある地域自体がメルボルンのユダヤ人地区なのですが、こういうコンサートの話をあんまり聞いたことが無かったので飛びついてしまいました♪あー楽しみ!

何はともあれ今週はあんまり飛ばさず、ゆっくり無理せず行きたいと思います。

ちなみにタイトルはArachnoid Mater=くも膜をもじって付けました。MaterじゃなくてMatter (事柄)ということで。


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「古風なメヌエット」



心に優しい曲を今日は自分のために一つ。

ラヴェルはいわゆるフランスの20世紀初頭の「印象派」と呼ばれるくくりに入っていますが、同時に「新古典派」のくくりにも入っていて。
19世紀の終わり、ワーグナーに代表される熟れすぎた「ロマン派音楽」に辟易した芸術家達がそれに取って代わる新しい芸術の形を探していたのが20世紀初頭、ことに第一次大戦の前にこういった探索がされていました。
「新古典派」というのはロマン派以前の音楽、つまり「古典」時代のモーツァルトやハイドン、さらにさかのぼって「バロック」のバッハやクープランなどの音楽にあったシンプルさ、簡潔さ、クリアさを取り戻そう、そういう動きだったんです。
ストラヴィンスキーやプロコフィエフも後にこの運動に傾倒するのですが、その話は後日。

Menuet Antique=古風なメヌエット、というこのピアノのための曲は実は(基本自分このコーナー参照無しでやってるので)そういった思想の一環なのかは定かではないです。ただタイトルが・・・ね。示してますよね。

こないだレッスンの時に先生が言うにはラヴェルは多作でなかった分それぞれの曲のクオリティが高く、「悪い」曲を書かない・・・のだけれどこの古風なメヌエットは比較的弱い曲だ、ということで。
まあ誰でも初期の作品は自分のスタイルを見つける発展途上の音楽。幼き頃から天才と呼ばれ完成された音楽を書き、生涯自体短かったモーツァルトさえも初期と晩期の音楽は結構違います。

これは聴いてみるよりも弾いてみると本当によく分かるんですけど、確かに「典型的な」完成されたラヴェルの音楽では確かにこの曲はないんですよ。
どこが、とは言いにくいのですがちょっと違う。ラヴェルの音楽は割と手になじむんですが(手が小さいので)、割と違和感がある。サウンドもなんだかちょっと違う。
でもむしろそれが「初々しさ」ゆえのぎこちなさ、あやふやさとして私はものすごく愛しくて。

それでもラヴェルの音楽にある前向きな懐かしさ、とか透明さ、とか優雅さは勿論ありますし。
なんとも言えない女性的なクオリティ、優しさがあるから憎めないどころか愛せずには居られない、そんな曲です。

あ、この曲は(ラヴェルが多くの自身のピアノ曲にしたように)ラヴェルによるオケ編曲版もあります。
ラヴェルはすぐれたピアノ曲書きではありますが、オーケストレーションの才能は音楽史の中でもトップ5に入るほどの腕なので、編曲版もすごく名曲です・・・が!
音楽に詳しい方ならご存じかもしれませんがピアノの12音の調律は平均律といって12の音の間隔が均等になるように調律されていますが、オケなど他の音楽だと和音などが美しく聞こえるように音程をその都度調整するのですが、その調整がこの曲のオケバージョンの最初の音になかなかの悪影響を及ぼしております。
これはオケが悪いわけでもなく、曲が悪いわけでもなく・・・ただそういうシステムの違いからピアノで自然に聞こえることがオケではあれ?となる、ということで・・・

とりあえずそんな理由からピアノ版をお奨めします♪

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