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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Messiaen et l'Oiseaux
昨日、今日のてんてこ舞いも無事終わり、なんとか落ち着くことが出来ました。
妹も大学の図書館でメシアンの「火の島I」とシマノフスキの「Metopes」の楽譜を借りてきてくれまして、ほくほくでございます♪
妹は今年で工学部を卒業予定。その後は私が自費で図書館の会員になって自分で楽譜を借りる予定ですが、それまでは妹の学生ステータスを活用させてもらうつもりです。

ということでメシアンの話になりますが・・・

メシアンといえば作曲家、それに次いでオルガン奏者、ピアノ奏者、作曲においての教師でもあり。
そして音楽とは離れているエリアなようで密接に繋がっている、鳥類学者としても突出した存在でありました。

メシアンは鳥を愛していました。
敬虔なカトリック信者で、23歳から生涯パリのサン・トリニテ教会の常任オルガニストとして神に音楽を捧げていた身だった彼は、鳥たちを神からの使者と考えていました。
生涯のうちで日本やオーストラリアを含むたくさんの国で鳥を探し、鳴き声を録音し、後に楽譜に起こして自身の作曲に多く取り入れたという話で。日本を訪れたとき得たものは「七つの俳諧」という曲に表れています。ただメシアンをあんまり知らない人にはちょっと向いていない曲かも・・・

キリスト教と鳥、といえばイタリアの聖人で清貧をモットーに慎ましい生き方をつらぬいたアッシジの聖フランチェスコがすぐに思い浮かびます。彼の説教を鳥たちが静まって聞き入った、というようなエピソードなのですが、聖フランチェスコが鳥に対して神の教えを説いたのに対し、メシアンは鳥たちの歌に耳を傾け神の教えを鳥たちから学んだ、という正反対の態度なのですね。

メシアンは実は鳥の歌に関して興味深い考えを残しています。
鳥の鳴き声はもちろん繁殖のために使われるともあれば、他の鳥との社会的なコミュニケーションにも使われ。
ただメシアンが言うにはそういった鳥間のコミュニケーションという意味を持たない鳴き声、というものもあるらしいです。明け方と夕方に聞かれる鳴き声で、しかもその日没・日の出の光の美しさによって鳴き声が変わるらしく。
メシアンはそういった観察から鳥もまた人間と同じように「美」を感じることができる、と考えていたそうです。

メシアンの鳥の歌声を音楽にするプロセスは面白いものがあります。
最初に聞くと違和感を感じるのは彼が倍音までも再現しているから。私たちが普段一つの音と思ういろいろな音は実はいくつかの音の和音で、その和音のバランスで音色が決まる、という原理なのですが、メシアンの鳥の声が和音で表現されることが多いのはそういった理由です。
あと鳥の声は基本高音域で、ピアノなどの音域より高い音であることも頻繁にあるらしく。
そういうときは楽器の音域内まで低く持ってきて、メロディーの相対的な音程の比が元と同じになるように音を調整してるらしく・・・詳しくは私も実は半分くらいしか理解していないので割愛させてくださいお願いします(汗)

で、鳥の歌声を作曲で使う場合メシアンは元の歌声を正確に採譜したもの、そして鳥の歌声の雰囲気を出したパッセージを書いたもの(ある種類をイメージする・しない場合あり)と2種類あります。
比較的初期は雰囲気のものが多いみたいです。「20のまなざし」の第5番「子に注ぐ子のまなざし」などはそうです。
同じ「20のまなざし」でも第8番「高き御空のまなざし」はヒバリ、クロウタドリなど実際に正確に引用してあるらしく、こういった場合はメシアンは楽譜に鳥の種類名を書き記しています。
「高き御空のまなざし」の一部や、「火の島I」のように複数の鳥がそこら中にいる情景だと前者のテクニックを使うようです。「火の島I」(火の鳥、にあらず)はパプアニューギニアのフウチョウ(極楽鳥)が多種多数いるジャングルの風景を醸し出そうとしてるんだと私は思います。

でもメシアンの音楽で鳥、といえば「鳥のカタログ」でしょう!
13楽章、3時間を超える曲集なのですが、それぞれ違う鳥の名前が付けられた楽章のなかでその鳥をはじめとした様々な鳥とその鳥たちが住む自然が織りなす色彩の世界を本当に心地良く豊かに表現するマスターピース。
私も2曲弾いてすっかり虜に。マイケルがやったみたいに全曲1日の(3つに分けた)コンサートで、なんては無理ですが、いつか野外自然の中にグランドピアノを置いて鳥たちに演奏して認めてもらいたいなーとは思っています。

メシアンの音楽は(特に「鳥のカタログ」などでは)彼が長々とフランス語で巻頭・曲の冒頭に書いた説明書きありき、なところもないことはないのですが、でも「鳥のカタログ」に関してはこの長い文を読んで理解すると自然、風景、雰囲気が(フランスに行ったことのない身としては特に)より深く感じられますね。

やっぱり鳥たちに聞いてもらうのがやっぱり究極の形だと思います、メシアンの音楽は。鳥の言葉が分からなくとも、彼らと話をしたいと私はいつも思ってます。そりゃあメシアンの音楽に出てくる鳥の種類=鳥の言葉は私の身の回りにいるものとは違うのですが。
鳥の歌に耳を傾け、こちらからも言葉を返し・・・なんか夢ですね。

あとはあくまでネタとしてなんですが鳥のカタログの巻頭に出演鳥のリストが学名・仏・英・独・西語であるのですが、それからランダムな言語でランダムな鳥の名前を選ばれたら即座にピアノでその鳴き声を弾ける、なんてできると面白そうです。

もともと私も小さいときから家族で鳥好きだったのですが、メシアンの音楽を知ってから鳥の歌に一層耳を傾けるようになりましたし、倍音でできることがわかるようになりましたし。鳥だけでなく、自然、季節の移り変わりなどをより深く愛するようになりました。
メシアンの音楽、とくに「鳥のカタログ」をこれから弾き進めて自分の外の自然の世界を内からも強く深く感じられる、そして表現出来るようになりたいと強く思っています。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「ヨーロッパヨシキリ」


Move RecordにてCD(試聴有り)


勿論!鳥のカタログです♪

鳥のカタログは13曲、7巻からなっているのですが、7番目(つまり真ん中)に位置されているこの曲はこれ1曲で第4巻を構成しています。
「ヨーロッパヨシキリ」は演奏時間が曲集最長の27分(!)。長さも中身も、名実共にこのサイクルのセンターピースに十分すぎるほどふさわしい曲です。

なぜ27分か?といいますと。
他の曲が「○月のある早朝」みたいな舞台設定をされているのに対し、この曲はある夏の日の湖畔での1日=27時間を表しているからです。曲の1分=曲の中の世界の1時間、ということで。
真夜中に始まって蛙の声や、案外真夜中にも鳴いている様々な鳥の声。その後に表れるヨーロッパヨシキリの鳴き声は歌、というよりもメシアンの典型的な「喜びの踊り」的な性格が強く表れています。

現代音楽、メシアンの音楽に慣れていない人には多少ハードルが高いのは事実ですが、一応循環的な構成で書いてあるのと、あとなーんとなーく「あ、ここはもう昼なんだな」とか「そろそろ夜に近づいてるのかな」ってことが本当になんとなくですが分かるようにも書かれています。

ちなみに思い入れがかなり大きいので録音はマイケル(Michael Kieran Harvey)のものを。
ナレーション(英語)を担当したのはオーストラリアのTVで庭関係の番組の司会をやっているPeter Cundall(こないだ自然保護関係のアクションで逮捕されましたが・・・)。
ホバートで1日、3コンサートに分けて芸術関係フェスティバルで自然をテーマとして演奏した時の生録音です。

マイケルの演奏は当たり外れはありますが、自分の得意分野(現代音楽、特にメシアン+オーストラリアの現代音楽)だとものすごく輝きますね!独擅場です。

メシアンに関してこんな名手が近くにいると「越えなきゃ!」と思うかとおもったら案外そうでもないですね。
私は私のメシアン道を進むんだ、と割り切ってます。2回レッスンしてなんだかメシアン弾きとして認めてもらってるような感じなので(とうぬぼれてもいいみたいなので)。
なので自分はまた違う演奏をきっとするのですが、このマイケルの演奏は心にとって大切なものであり、バイブルでも教科書でもありませんが、自分がメシアン道を進むのに力をくれる存在です。

最難関の「ヨーロッパヨシキリ」が弾ける日が果たしてくるのか分かりませんが、「鳥のカタログ」を弾き進めていきたいです!

次回はちゃんとメシアン初心者の方でも楽しめるメシアンにしますね(汗)なんなら次回更新の時でも。あんまり2回続けて同じ作曲家は選ばないのですが、なんだか微妙にやっちゃった感があったりするので・・・(苦笑)

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